バーソ様
おはよう御座います。
特別号ですね。
死ぬほど悲しいときは一人でいる方が
いいかもしれません。
どんな声をかけられても癒されることは
ないと思います。
家内が眠る霊園内には「追憶の椅子」という
ベンチがあります。
たしかどこか北欧の話に沿って作られたと
いうのですが長いベンチが途中で135°に
折れています。
この角度が慰めるのにいい角度なのだそうです。
90°でも180°でも、まして対面でも
なく135°で脇から声をかける感じです。
愛新覚羅
温かみのあるひと言で、うつの人を助けられる。
この正月は何もしないうちに三が日が過ぎました。
しかしまだ新年が明けました気分になれない人がおられるでしょうか。
人生には、新型コロナや大震災など、思ってもみなかったような事が起きます。失業や倒産、事故、病気、借金、離婚、近親者の死別などで、落ち込み、うつになり、自死を考えているような人が身近なところにいるかもしれません。
そのようなつらい思いをしている人には、どのように会話したらいいでしょう?

大事なことは、説教や激励よりも、感情移入と共感です。
基本は「死にたい」という言葉を真剣に受け止めて、じっくり話を聞くことで、その際は会話の内容より、感情を汲み取ることが重要です。
言ってはいけない言葉は、「そんなこと言っちゃ駄目」「死ぬ気になればなんでもできる」「元気がないね」「まだ治らないの?」「心が弱い」「どうしてそうなったの?」「一緒にストレスを発散しよう」といった励ましや叱るような言葉で、これらは相手を追い詰めます。
「支えるほうも大変なんだ」と愚痴を言うのも良くありません。「頑張れ」とか「死ぬな」よりも、「あなたが死んだらわたしは悲しい」という方向性での説得が効果的です。さらに、本人を必要とする近い未来のスケジュールを適度に埋めてあげ、危機を先延ばしにするというのも妙手で、あくまでも本人が負担に感じないものが良いようです。
具体的にどういう言葉を掛けてあげるのがいいのでしょう?
つらいね。しばらくそばにいようか?
本当に頑張ってきたんだね。辛かったでしょう。
あなたがそんなに疲れていることに気がついてあげれなくてごめん。
あなたの今の仕事は寝ることだ。
あなたにはいいところが一杯ある。
あなたがいてくれるだけでいい。
あなたには幸せになる権利がある。
他人に迷惑をかけないひとなんていない。
これからはわたしが養ってあげる。
離婚は絶対にしないから安心して。
心配するな。お金のことはなんとかする。
ウチは裕福じゃないけど、出来ることならなんでもしてあげたい。
子どもを信じない親がどこにいるの。
大丈夫。あなたには善悪の区別がついてるから。
今までわたしはあなたに助けられてきた。今度はわたしがあなたを助ける番だ。
あなたがわたしにしてくれたのと同じように、わたしもあなたの力になりたい。
あなたが死んだらわたしは一生怒る。
あなたが死んだらわたしがどれだけ泣くと思ってんの!?
あなたが死んだら、わたしはあなたのことを嫌いになる。
どんな言葉もいまは慰めにはならないかもしれないけど、どうか自分を大切にして。
あなたのおかげで人生の勉強になった。
わたしはあなたを傷つけたその人が許せない。
うつ病の薬には、いまはよく効くものがたくさん出ている。
____________________
そういう人は、今生では難易度の高い課題を自ら選択して生まれてきた、霊性の高い魂なのでしょう。そう思って、温かな目で見守ってあげたいと思います。
※上記のフレーズはブログ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・笑う門には福来たる」より許諾を得て引用しました。
COMMENT FORM
aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 死ぬほど悲しいときは一人でいる方が
いいかもしれません。
どんな声をかけられても癒されることは
ないと思います。
そうですか。実感がありますね。体験に基づく言葉のようで、よほど愛しておられたのだなあと感じます。でも教授は一人で耐えてきたのですね。母上の面倒をみる必要もあったので、それが逆に、耐える助けになったのでしょうかね。
> 90°でも180°でも、まして対面でも
なく135°で脇から声をかける感じです。
この角度の感じがちょっと分からなかったので、検索したらわかりました。
http://www.shiroyamaseichi.com/sp/plus.htm
なるほど、対面だとお互いに気が張りすぎます。でも互いに前方を向いて座るが、片方はちょっと相手のほうを向くので、上皇陛下に美智子上皇后が寄り添っているような感じみたいです。この墓地は深い森があって、世界遺産になっていて、かなりきれいな所のようですね。
しかしまた間違いなく再会できますよ。大丈夫ですよ。
どれもこれも、聞きたくない言葉ですね。
当事者としては。
そもそも、欲しいのは言葉じゃないですし。
溝、深いですわ。
(*′☉.̫☉)おお❢ 臨時増刊号でしたか。
nannoさんのブログ読んで……
ドキッ(◎ー◎;)でした。
自殺する一か月前に、秘書を通じて
デートの誘いがあった代議士なもんで……(^_^ ;)
熊本出身の彼は、私が勤めていた印鑑屋の専務
(阿曽村村長の娘)の甥っ子で、
当時、代議士秘書になってくれと、
しつこく懇願されたものです。 → 即断❢
(人相学得意でしたし……)
うつ状態が長引く場合、周囲へのsos発信だと思いますねぇ。
死ぬ人はたいてい、予告などせずにさっさと死にますから。
この『うつ病』状態は、人によって症状がさまざま過ぎて、
難しい問題だと思います。
身近な数例の“うつ病者”を知る限り、
列挙されている“掛けてあげる言葉”さえも
“ウザイ”と感じる時期があるでしょうし、
精神科医に任せると、さらに悪化するケースが多かったです。
血縁者の場合だと……。
接する者が、相手の『うつ』を意識しない。
普段通りに接する。
ただ黙って寄り添い、ときおり『大丈夫だよ』と
声を掛けて微笑み、背中を撫でるようなスキンシップをとる。
そんな感じで自然に治った人が多いです。
失業や倒産、事故、病気、借金、離婚、近親者の死別など
ショックなことがなくても罹る現在のうつ病は、
社会現象のひとつじゃないでしょうか。
仕事や人間関係に順応できない。
承認欲求が満たされないなど……。
過激ですが……。
『うつに逃げ込んでいる自分』に気づく手っ取り早い方法は、
極度の空腹、あるいは身の危険、あるいは北のように
強制収容所送りかもしれませんね。(笑)
ああ、今日で休みが終わってしまう。(笑)
希死念慮のある人にかけてはいけない言葉、かけるべき
言葉って最近よく目にします。
こうやって整理された言葉たちを適宜に選んで声をかける
のはいいでしょうね。
言ってはいけない言葉の筆頭が「がんばれ」らしいですが、
言ってもいい病態とか時期もあって難しいです。
うつ病と違って、うつ状態というのは誰にでもおこり得ますが、
そんな時は話しかけないで欲しいと思うときもありますしね。
バーソさんが挙げられた言葉たちは、3つのパターンに分けられる
ような気がします。
相手に安心感を与える。
相手に寄り添い同じ気持ちだと伝える。
相手の存在は社会や私にとっていかに大きいかを伝える。
このリストを印刷して所持しておこう。
思考錯誤屋さん コメントありがとうございます^^)
明けましておめでとうございます。
と、正月の挨拶をしてから、話を始めますよ。(笑)
さて、やしまさんが聞きたくない理由は、《当事者としては、散々似たような言葉を聞いてきたが、治らなかったし、かえってウザかった》。そんなことより《欲しいのは言葉じゃない、気遣いだよ、愛情だよ》ということか。あるいは《あまり干渉しないで、時々優しくしてくれればいい》ということですかね。
やしまさんは、今は仕事もしているようで、車も修理し、毎日短文を3本も書き、以前に比べると状態が格段に良くなっているようなのと、非常に頭脳優秀な人なので、ここは私がいま感じたことをあえて率直に述べさせていただいていいでしょうかね。
というのは、今まで私が会ったうつ病の人に共通する心理を、やしまさんの短いコメント文から思い出したのです。溝が深いのは承知していますが、以下は、誰にも知っておいてほしいと思う一般論です。
その第一は、もし言葉じゃなく、気遣いや愛情がもっと欲しいという意味であれば(と仮定すれば)、それには“甘え”があるように感じますね。いわゆる自己ファーストです。
なぜ、まわりのひとから適切な仕方で気遣いや愛情を示してもらいたい、と思うのか?と不思議です。まあ、不安があるからなんでしょうが。しかしもし私が逆の立場なら、他の人から言葉だけでも気を使ってもらって有難いことだ、自分のことで他の人に気を使わせて申し訳ないことだと思うでしょう。
やしまさんは違うかもしれないし、こういう言い方はきついかもしれません。そこで重々念を押しておきますが、これはそういう人を責めているのではなく、相手は分からないのだから、溝があるのだから、誰かのなにかしらの言動が気に障っても、別に悪気はないのだから、過度に気にして落ち込んだりしないでほしいと、ここでは弁明しているつもりです。
中には、他者の何気ない言動に対して、激しく怒ったり憎んだりして症状が悪化する人もいます。でも溝は深くて分かり合えないのはしょうがないのだ、と思ってほしいのです。これはお願いです。
第二に、まわりの人は精神科医ではなく、対処法も不明で、どういうふうに話し掛ければいいか分からないために、つい叱咤激励してしまいがちなので、この記事では参考になる言葉を列挙しています。
私は過去、聖書から参考になると思える聖句を述べたりして励ますことを心掛けてきたものの、うまくいかず、そういう意味でも、ここに列挙されている言葉は参考になると思ったのですが、そうは思えない人がいても、それはしょうがないことです。個々の事情は違うのですし。
ただ、役立つ人もいるだろうとは思っています。ここでは役立つ人のために書いていて、役立つ人が読めばそれでいいのです。
そしてさらに言うなら、何かの批判をするときは、できれば解決策をも述べると、建設的な批判になる―――というのは昨年暮れに「ロバに乗る老夫婦」の記事で書きました。だからできれば当事者ならではの個人的経験でも簡単に書き添えるか、あるいは自分のブログに書いてあるなら、そのURLを教えてほしかったですね。そうすれば有益なコメントになりました。
日本は長寿国なのに、自殺者は非常に多いのが困ったもので、境遇や環境や社会に原因がある場合もあるでしょうが、ただ、他にさして原因がないようなのにそうなる人がいて、本当に気の毒だと思いますね。早く原因や事情が分かって、溝が浅くなれば、回復も早そうですが。
風子さん コメントありがとうございます^^)
そうそう、そうでした。モテモテの風子さんには、そういう特異な体験もありました。でも、関係ないとはいえ、思い出すたびに微妙な思いになるでしょう。
世間には予告的にそういう言葉を漏らす人もいるようで、気をつけないといけないですが、普段から気軽にそういう言葉を気軽に頻発する女性もいますから、その見分けが困ったものです。しかも女の涙には男は弱いですからね。
> 列挙されている“掛けてあげる言葉”さえも“ウザイ”と感じる時期があるでしょうし、精神科医に任せると、さらに悪化するケースが多かった
そうですか。まあ、いろいろ原因は違うでしょうから、対応も違ってくるのでしょう。それに精神科医には優秀な人もいれば、そうではない人もいるでしょうし。
> 血縁者の場合だと……。
接する者が、相手の『うつ』を意識しない。
普段通りに接する。
ただ黙って寄り添い、ときおり『大丈夫だよ』と
声を掛けて微笑み、背中を撫でるようなスキンシップをとる。
そんな感じで自然に治った人が多いです。
なるほど、そういう、何気ない、しかし愛情が伝わるような、対応が良さそうですね。家族ならそうできやすいでしょう。
私の場合は、相談してくる人に親身になって話を聞いてあげることにしていたのですが、そうすると例外なく、頼ってきます。電話がかかってきて、いますぐ家にうかがいたいとか、真夜中に電話がかかってきて、すぐ来てほしいと言われたことも何度もあります。話も非常に長く、こちらも忙しいので困るのですが、相手のほうも精神が自分ではどうにもできなくなって困っているのでしょう。
そういう人は働いてない場合が多いので、体を使って疲れればいいのではないかと思ったことがありますが、そういう人は仕事が続かないですね。意欲や根気がなく、人間関係をうまくやっていくことが出来ません。そこが心の病気なんですね。
しかし、風子さんの最後の言葉のように、働かないでも暮らしていける世の中が、まあ、幸せというべきか、なんと言ったらいいか、とにかく東南アジアの最貧国にはうつ病の人は少ないだろうということは分かります。
私の子供の頃は、引きこもりとかニートなんていなかったと思います。クラスにそんな子は一人もいなかったですね。当時は、どこの家庭でもみな生活が厳しかったですから。
そういうことを思うと、いまはどんなひとでも生きていけるのですから、安楽な時代になったものだと思いますね。
エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 言ってはいけない言葉の筆頭が「がんばれ」らしいですが、言ってもいい病態とか時期もあって難しいです。
そうなんでしょうね。その辺の見極めが、その人の家族ではない、友人関係の場合には難しそうです。
私は、教団にいた頃の最後のほうは、ただ、話を聞いているだけにして、話題は、その人の好きそうな趣味のことなどを話すようにしていました。ただ、そうすると、頼られてしまって時間を取られるのが、こちらとしては困りました。自分の個人的時間も取れないほど超忙しかったからです。時間に余裕があればいいのですが。
> うつ病と違って、うつ状態というのは誰にでもおこり得ますが、そんな時は話しかけないで欲しいと思うときもありますしね。
そうですね。単なる「うつ状態」というのはありますね。
しかし、そんな状態は大抵、時間が解決したように思います。強く悩んでも、大抵、ニ三日すれば落ち着きますし、一週間も経てばだいぶ回復します。そういうことを何度も経験していくうちに“図太くなる”のも療法の一つなのでしょう。
> 3つのパターンに分けられるような気がします。
相手に安心感を与える。
相手に寄り添い同じ気持ちだと伝える。
相手の存在は社会や私にとっていかに大きいかを伝える。
なるほど、そうしようかという気になりましたが、ただ、これは私の書いた文章じゃなく、あまりいじるのは僭越になるので、編集して分類するのはやめておきますね。
しかしその3つの共通点は、相手に優しい気遣いを持つことと、それを、“伝える”ということのようです。伝わらないと意味がないですから、やはり愛情だけでなく、その具体的な方法も大事なのでしょう。
特に一番目の「安心感を与える」を見て思いましたが、「人間の最大の問題点は『不安』だ」と、『神との対話』で著者のニールさんに現れた神が言っていたのは真実のようですね。
「不安」がない状態が安心であり、幸福なんでしょう。そういう意味では能天気なほうが良さそうですが。(笑)
先ほど、一都三県の飲食店に8時までの時短営業陽性、アルコール類は7時まで。というニュースを目撃しました。
供給力の限り、まともな補償がなされてるならぼくも何も言いませんが、雀の涙ほどの補償のいっぽうで、こんな惨い要請をする政府を眺めながら、なんとも言えない気持ちになり、打ちひしがれる飲食店のみなさんの顔が思い浮かぶようで、そんなときにバーソさんの今回の記事を拝読しました。
今まさにきっと、これからの不安にさいなまれたり、死にたいような気持ちの方で溢れかえっているかと思います。
創造者は人類に対し、極めて難易度の高い試練を用意したものですね。
いま、本当に死にたいような人が目の前にいるとしたら、ぼくは何も言葉をかけれないと思います。ただただ、じっとそばにいて、その人が話したくなったなら耳を傾け、その絶望に共振する言葉のみを返し、想いを受け止め続けるのみですね。
ですが、それが政府の財政出動で解決する悲劇であるなら、戦う手段があることを伝えるのかもしれません。
友資さん コメントありがとうございます^^)
閉鎖している飲食店を時々見かけます。宅配の自転車もよく見かけます。大変なことになったと感じます。
政府はMMT理論のことは知らないはずはないのに、なぜもっとふんだんに紙幣を刷らないのか、こんな時に刷らないでいつ刷るのかと思いますね。
今まで儲かってきた店はなんとか乗り越えられるかもしれないですが、やっと生き延びたきたような零細店はさぞかし困っているでしょう。パートや派遣などの失業者も増えているでしょう。
コロナのせいじゃないですが、知り合いの親戚が会社経営に失敗して自殺した話を聞きました。
その人自身の内部的な問題でうつ状態になっている場合は別として、この記事の冒頭に列挙したような外部的な問題で苦しんでいる人の場合は、声を掛けないで放置しているなんてことは普通はしにくく、必死に説得したいと思うものです。悩んでいる姿を見れば、なんとか励ましたいと思うものです。
ただ、そうはいっても、当事者でない場合は、話しかけ方とその内容が難しいので、できるだけ相手の精神状態に共感し、同情し、ただ、話を聞くだけになってしまうかもしれないですね。そうとしか言いようがないのが残念ですが。
この世で体験する諸問題は、個人個人によって違いますが、いずれにしても基本的には自分の精神的な問題は、自分個人で乗り越えていかなくてはいけないことです。それを自分で選択して生まれてきたのであれば、余計そうでしょう。今も大変ですが、震災で家を無くし、家族を亡くした人もいます。そういう人もよく頑張っていると思いますね。
しかし政府が対処すべきことは政府にきちんとしてもらいたいものです。友資さんは、やはり戦う手段があることを伝えますか。そうですね。それが一番有効かもしれないですね。それはまた生きるべき理由にもなりそうです。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
こういうマニアルみたいなのは、違和感があります。
結局は人間関係。
心の中で、うざいなあと思っていたら、何を言っても駄目な気がします。
ケースバイケースでもあるでしょう。
人によっては、大声で罵り合って「死ぬ前に、絶対お前をへこます!」
と元気になることだってありそうです。
何か言うなら、どこまで真剣に相手を思っているかを自問してからの方が良い。
そんな風に思いました。
つい余計なことを言いがちな私は、黙っておくことにします。
しのぶもじずりさん コメントありがとうございます^^)
> こういうマニアルみたいなのは、違和感があります。
そうですか。マックの店員用の販売マニュアルみたいですか。
ただ、そのような人に接する際の基本的な“心構え”だけだと、では実際にどう言えばいいのかが分かりにくいものですから、具体的な言い方があれば参考になると思ったのですがね。
むろん、感じ方は人それぞれ。事情も状況もみな違うので、参考にならない人もいるでしょう。それはそれでいいと思います。
私としては、文字数も少なく、簡単にまとめていることからも分かると思いますが、これさえ読めば万事解決だ、なんてまったく思っていないですからね。念のため。
> 何か言うなら、どこまで真剣に相手を思っているかを自問してからの方が良い。
そうですか。そもそも、うつで苦しんでいる人のことを真剣に思ってないような人は、こんな記事は通り過ぎるでしょうし、つまらん、くだらん、と思うでしょうね。
ただ、うつの人の慰めになるような “言葉” をうまく言える人がいるかと言えば、まあ、そんな正解や最善策を出せる人は滅多にいないのじゃないですか。もし簡単なことなら、その種の病気の人は世の中からいなくなるはずですから。
バーソさん、こんにちは。
うつ病の人への言葉かけ。多くの人が「難しい」と感じるようですよね。うつ病への理解もまだまだ広まっていませんしね。いまだに「心の風邪だ」とか、「心が弱いんだ」「本当は怠けたいだけだろ?」みたいな本音をもつ人がたくさんいます。
私はといえば、なぜか不思議と、うつ病の人とうまく付き合えるみたいです。職場でうつ病の人がいても、その人は私とのコミュニケーションは気が楽だと言ってくれていました(本音だった、はず(笑))。
ブログでも、うつ病の人からのコメントもきます。ふかーいやりとりをしています。
これは私がとくべつに優しいとか、つきあい方がわかっているとか、そういうことだとは思っていません。
きっと私が、うつ病に近いタイプなんだろうと感じています。いつ自分がうつ病になってもおかしくないタイプだからこそ、うつ病にたいしての偏見もないし、普通に接することができる。そんな気がしています。
バーソさんの記事にあったような言葉かけを、しているかどうか。
ちょっとわからないんですけど、あまりたいしたことは言ってません(笑)
してないけど、ニュアンスとして、やわらかく届いているのだとしたら、とても嬉しいなあと思いました。
だから、みんながうつ病の人に無理な励ましや叱責をしなくなるというのは、難しいでしょう。
あまりに自分と違いすぎて。
でも、お手本となる言葉の方向性をつかむことで、追い詰めることだけはなくなっていってほしいです。これは心から願うことです。
励まさなくていい、追い詰めんといて!
最近NHKが『引きこもり』…特に引きこもりを無理やり社会復帰させようとする「引き出し屋」の問題をシリーズで扱っています。
再教育施設に入れられた引きこもりの大半が、精神を患ったり、行方不明になったり、自殺したり…却って悪くなっている様です。
大金を払ってでも我が子を更生させたい…と言う親の気持ちを逆手に取った「引き出し屋商売」が社会問題になるのも無理はない。
そもそも鬱になる原因の多くは「自分は社会に必要ない人間」「自分は社会に居場所がない」と思い込んでしまう所から来ています。
だが大局から見れば、今この世に生きている人間は全て「いてもいなくてもいい」存在で、その人が死んでも社会は動き、地球は回り続けます…なので「引きこもり」は、世の中の中心は自分だと思っているトランプ氏の裏返しでして、自意識過剰が過ぎて病んだのですね。
どの様に生きた所で人はやがて死に、代わりの者が生まれてくる…そして奇妙な事に善い事よりも悪い印象の方が後世に伝わるものです。
明智光秀と言えば裏切者。東條英機と言えば戦犯。田中角栄と言えばロッキード。もう忘れられかけている安倍晋三と言えば森友・桜(笑)良い事もしているはずですが…悪い印象が残るのは「俺はあいつよりもマシな人間」と思いたい人の自意識の表れなのでしょう。
過ぎたるは及ばざるが如し…学校の教科に『死生学』を取り入れて、若い時から「生き死に」を学ばせた方が良いと自分は思います。
馬場亜紀さん コメントありがとうございます^^)
> きっと私が、うつ病に近いタイプなんだろうと感じています。いつ自分がうつ病になってもおかしくないタイプだからこそ、うつ病にたいしての偏見もないし、普通に接することができる。そんな気がしています。
そうですか。それが大事なことだと思います。つまり亜紀さんが同じようなタイプということではなく、相手の身になって、同じような気持ちになれる心の波長を持っているので、相手の人が近づいてくるのだろうし、だからそういう人と良いコミュニケーションが持てるのだろうと思います。自分のことなんか気にしてないと思われたら、近づいてもこないでしょうから。
亜紀さんは同情と感情移入ができる人なんでしょう。批判より吉報がいい。そう思っている人に、精神的な悩みを持つ人が近づいてくるのは当たり前のことだと思いますね。
私は、コメント欄では、相手によっては、思ったことを割合率直に述べていますが、普段は無口で、口喧嘩などはほとんどしたことがなく、むしろ言われっぱなしで、パワハラなどの意地悪をされても、ひたすら黙って我慢するほうで、実際、長年そうしてきました。以前は、右の頬を打たれても左の頬の教えを文字通り実践しようと決めていたからです。(笑)
うつの人は自分の話し掛けやすい人を探していますね。自分に話しかけてくれる人を求めていて、誰がそうか違うかが敏感に分かるようです。私の知っている人は、例外なくそうでした。
悩みの相談相手というより、ただ話し相手を求めているので、ちょっと近づいて話し掛けると、べったり頼られました。私が話し掛けたすべての言葉を一字一句覚えている、と言われ、日記交換のようにメールのやり取りをしたい、と30年以上若い女性から言われたこともありますよ。真夜中に呼び出されたことも何度もあります。深夜もコンビニが開いているので、ケーキなどを買ってバイクですっ飛んでいくのですが、エホバ(の祝福)だと言って、エホバ神に感謝していました。(笑)
また、うつの人が話し相手を求めているもう一つの原因は、大抵の人は敬遠して、そのような人には近づかないからです。
もっと気軽に普通に話し掛けてくれればいいのにと思うのですが、普段押し黙っているような人には、大抵の人は近づかないものなんですね。
私は、このコメント欄では、当事者の心理分析みたいなことを言いたくなったので率直に言っていますが、実際に苦しんでいる人に直接会っているときに、そのような厳しいことを言ったことは当たり前のことながら一度もありません。今までは、病気の話題は極力避け、もっぱら相手の喜びそうな、明るい話題を心掛けてきたつもりです。
ただし、中には感覚の敏感過ぎる人がいて、こちらの何気なく言った、ごく普通の何でもないことを、えらく勘違いして、気を回して悪く解釈される場合もありました。こちらの誠実な誉め言葉さえ、邪推され、悪く思われたこともあります。特に症状の重い人との会話は難しいものだと思います。
しかし要は、亜紀さんのように、ただただ、優しい気持ちで、普通の気持ちで、気軽に接することが大事なんでしょう。それがコツなんでしょうが、これはこちらの人格が関係してくるので難しいものです。(笑)
sado joさん コメントありがとうございます^^)
人の悩みに付け込んで金儲けをしようとする悪質な人間は本当に困ったものです。そういう人は、引きこもりの人を支配関係に置き、恐怖で思い通りにコントロールするようです。
昔、戸塚ヨットスクールの先生のやり方が問題になったこともありました(一度見かけたことがあります)、逆に関西のほうで、不登校の生徒などに夜の街で地道に話しかけて成功した教師もいました。
> 「引きこもり」は、世の中の中心は自分だと思っているトランプ氏の裏返しでして、自意識過剰が過ぎて病んだのですね。
ここでうまいこと、トランプを登場させましたね。(笑)
引きこもりの原因は、自分が存在していることをもっと世間に認めてほしいという自意識過剰ですか。
そうなら、そのような人はさみしいのでしょう。愛情不足なんですかね。それほどまわりから放っておかれたなら、かわいそうなものですが、ただ、大抵のひとはそんなことは思いもしないので、そこのところの精神のバランスがちょっと崩れているのかもしれません。精神をコントロールできないところがやはり心の病気なんでしょう。アフリカや共産圏などと比べれば、ずっと暮らしやすいはずの日本に自殺者が多いのはおかしなものです。
> 悪い印象が残るのは「俺はあいつよりもマシな人間」と思いたい人の自意識の表れなのでしょう。
なるほど、面白い分析です。がしかし、それがその人の人生で一番目立ったので、そしてそれがその人の人生の最後か晩年に起きたので、それゆえに後世の人に覚えられているということもあるのじゃないですか。人は死に際が大事だと言われる通りです。
ただ、田中角栄や東条英機の場合は、ある国家権力によって意図的に悪い人間に仕立て上げられたこともありそうです。安倍さんの場合は政権が国民に支持され、長く続いたせいで、反対勢力の異常なまでの嫌悪心と嫉妬心がありそうです。
しかし三島由紀や太宰治などは妙な死に方をしてますが、そんなことより、作品について記憶され、尊敬されているので、要は、その人自身のどこを見るかで評価はかなり異なりそうです。ゾウはキバだけを見ていれば恐ろしい動物に見えるものです。
> 学校の教科に『死生学』を取り入れて、若い時から「生き死に」を学ばせた方が良いと自分は思います。
まったく同意です。実生活にまったく関係のないサイン・コサインなどの数値を教えるよりも、その時間を使って、男らしく雄々しく信念のために生きる。人間らしく尊厳を持って生きる。なによりも親切と同情心を第一にすべきことを教える。そしてイジメなどをする人間は人間のクズだ、と小学校のときから徹底的に教えこんでほしいものです。日本は世界に比べるとモラルはいいほうですが、まだまだ十分とは言えません。
と思うのですが、こういうことを言うとすぐ、戦前の修身の復活だとか、教育勅語の再来だ、軍靴の足音が聞こえるなどと、ある方面から文句が出てきそうじゃないですか。(笑)
「答え」は、記述してあります。
これ以上も以下もありません。
おしまい。😎
思考錯誤屋さん 返コメありがとうございます^^)
> 解決策、ではありませんが。
聞きたくない言葉ですね。(当該記事を書いた)当事者としては。(笑)
> 「答え」は、記述してあります。
普通、有益でもなんでもない、否定的で、マイナス志向の「答え(コメント)」を読んで楽しくなる人がいると思いますか。
普通の人は、役に立つ「解決策」か、もしくは面白い意見を読みたいと思いますがね。
> これ以上も以下もありません。おしまい。😎
溝、深いですわ。(-_-;)
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鬱の方の治療は、医者にかかってはダメ(たいてい薬漬けにされる)で、宗教家か薬屋の出番ということになりましょう。
やっぱりバーソさんも大勢の鬱病患者を相手にされておられたんですね。小生も何人か応対しました。
でも、真面に相手していると、バーソさんも振り回されたようでしたが、真面目な同業者もそうで、夜中の電話やなんやかやでとうとう体を壊し、とうとう20日間休業。
多くの同業者は「鬱病を治すにはこの漢方薬しかないです」と言って、1か月分8万円(2品)をお客様の目前にどーんと置いて、追い返す。なあーんて方法で対処しています。
さて、小生の場合、滅多に鬱の方のご来店はないですが、まずはお座りいただいて、「アメリカンコーヒーですが1杯お飲みになってください」と、薄いインスタントコーヒーを差し出します。そして「これを1日3杯飲むと鬱になっちゃいますから、いくらコーヒーが好きでも、1日1杯に止めといてくださいね。」とお話しします。
お客さんはキョトンとされます。
そこで、鬱という字の書き方の覚え方を説明するのです。
『リンカーンはアメリカンコーヒーを3杯飲む』
リンカーンは鬱を患ったかどうか知りませんが、3杯も飲んだから、きっと鬱になったんじゃない?と言います。
これについては下記ブログ記事の最後のほうで図解しています。
https://blog.goo.ne.jp/miyakekazutoyo230910/e/a10f1d8e5bc6e0aaad86bc1847a7fee0
これでお客様が笑ってくだされば、軽症で、もうちょっと安い漢方薬を出し、これで改善させられます。
全然反応がなければ、重症で、8万円コースを紹介し、お帰りいただく。でも、これでは横着すぎますから、「小生のブログ記事、何本もありますが、それを何度も読んでください」とお話しし、夜中に電話が掛からないようにガード。
なーんて方法で鬱の方の対応をしているのですが、鬱の方には、とにかく肩の力を抜いてやらねばなりませんから、周りの皆が、ここに挙げられた数々の言葉がけや行動を取らねばいかんですよね。
コメント全部をザーッと読んだのですが、鬱の方を相手にした経験のない方は、やっぱり無責任な言動しかなさいませんね。まあ、それもしゃあない。健常者には病人の心が理解できないですから。
薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)
「宗教家か薬屋」の出番ですか。聖書では駄目でした。相手も教訓や原則論を知りたいわけではなく、ただただ、話し相手を必要としていることが身に沁みて分かりました。心の不安を拭い去りたいのでしょう。
一か月8万円のコースというのはいいですね。しかし、これで治らなかったらどうするのか?と問われたらちょっと困りそうですが。(笑)
2017.4.25の記事は拝読しました。これを読み、参考にして、できることを普段実行して、心の中の鬱を排毒できればいいのですが、実行できる人は軽症のひとだけなんじゃないですかね。
「リンカーンはアメリカンコーヒーを3倍飲む」は私も記事にしています。「漢字はパーツに分解すれば、格言になる」です。
https://barso.blog.fc2.com/blog-entry-249.html#comment
この記事は思ったより評判が悪かったのですが、鬱の人に接した経験のない人には、こんな話は益がないと思ったのでしょう。経験しない人には分からないと思います。無理もありません。
自分は当事者だと言う人でさえも、かなり定的な意見を述べたので、まあ、難しいものだとあらためて思いましたね。
心の病気ですから、優しく接してあげれば治るかというと、重い症状の人には効き目はないようで、かわいそうなものです。
教団には心の救いを求めて来ている人がいるので、牧者の立場にある者としては、むげに断るわけにはいかず、そのせいもあって、こちらの都合に関係なく、昼間でも真夜中でも電話が掛かってきて呼び出されるので、それが困りました。
そのような人や親や家族は心の中では感謝しているのかもしれないですが、言葉に出ないのが、ちょっとナンでしたね。相手の身になるという精神の余裕がないようです。そんなことを病人相手に望むのはいけないのでしょうが。
コメントありがとうございました。
うつの話ですね。
実は私は「うつ」というのが分からないのです。
つまり、経験がないもので、どう話しかけたらいいか、どう話しかけられたいか、それについての考えが浮かんでこないのです。
私は、今ある苦しみも楽しみも、自分に与えられた生きる目標(糧)だと思って、そのことに向かうようにしています。
極楽トンビさん コメントありがとうございます^^)
うつになったことはないですか。私も同様ですね。私は他の人からの言動で落ち込むことはほとんどないですが、自分の不注意から他の人に迷惑を掛けたときはかなり落ち込みます。ですが、大抵これも時が過ぎればだんだん回復していきます。そのような悪い記憶はだんだん薄れていきます。この記憶が薄れるという天然の自動機能は有難いものです。
うつにならないような人は一般的には、人生をすこぶる快調に生きてきたか、あるいは問題に対処できる強い精神力があったかでしょうが、「今ある苦しみも楽しみも、自分に与えられた生きる目標(糧)だと思って、そのことに向かうようにしています」ということですか。広い世の中には「生きる目標」だと思っている人はいると思いますが、「糧」と思っているのはちょっと珍しいですね。
人生とは山あり谷あり晴れあり嵐ありだという認識は、いまでは私も持っているつもりですが、「糧」とまでは思ったことがないですね。できれば硬くてからい食物ではなく、柔らかくて甘い食物のほうが食べやすいし、おいしいと感じるほうです。(笑)
しかし「極楽トンビ」という名前はいいですね。人生の諸問題や試練を面白がって受け入れて生きていこうという楽観的な人生志向が感じられます。今の新型コロナで苦しんでいる人も、なんとか精神力を強く保てればいいのですが。
ブログ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・笑う門には福来たる」のほうを読みに行ったら、、、
腰を抜かすような記事が、、、 10記事ぐらいあって、ビックリしました。
が、その後、削除されてました。。。
ああ、ビックリしました。。。
Anthonyさん コメントありがとうございます^^)
彼から、“18禁”用語を濫発し、嘘もまじえて、私のブログ記事と精神と思考に対して、常軌を逸しているほどの侮蔑罵倒記事が書かれました。
理由は、本人からメールで、バーソ叩きのネタを思いついた、1,2本辛抱してほしい、あとで謝罪文を書くから、バーソさんのことは尊敬している、と言われたのですが、それを信じて待っている4日間に、なんと計11本も罵倒記事を書かれ、驚き、呆れました。
記事の内容には一応少し論理的な反論が含まれてはいましたが、なにしろトッピングとしてウジ虫が載せられているようで下劣すぎ、ここでは書けないような言葉が満載され、見るだけで不快なものでした。ただ、じつはざっと斜め読みをしただけです(知人の助言で、当該テキストとスクリーンショットは全部保存してあります)。
これは「約束違反」と「ルール違反」ですし、まだまだ続きそうだったので、FC2に削除依頼をしたら直ちに「内規違反」として対処してくれて本人に通達が行き、当人は全部削除したのですが、その代わりに当該記事を別のブログ2つに全部転載し、SNSでも書くと言っています。私の知らない”陰”の土俵で、隠れて悪口を言うつもりのようです。精神がイカれています。
彼は、自分への批判を許さない「言論弾圧」が大嫌いだ、批判には自分のブログで反論せよと挑発していますが、まず、問題は彼のブログにはコメント欄が無いのです。彼は自分の土俵に反論相手が入れないように設定してあります。本当は臆病なんでしょう。
私は卑猥な言葉や下劣で卑怯な人間が大嫌いなので、そんな無礼な人間に真面目に答える意欲がまったく起きません。狭量にならずに清濁併せ飲め、とも言われていますが、私は、ただただ気持ち悪いだけです。
批判されたのは、キリスト教関係とスピリチュアル関係のだいぶ古い記事ですが、拙ブログは「考え方はいろいろあるから面白い」と標榜している通り、それらの信仰や思想は信じたくなくても、大嫌いであっても、私としては一向に構わないものです。
私はだいぶ前に教団から離れていて、宗教を信じない人や教団が嫌いな人を説得する気などまったくないのです。
誠実な言い方で批判してくる人なら誠実に長文で答えますが、口汚く嘲罵する無礼な人には応えないことに決めています。
彼は自分のリンクを張ってもらうことに異常にご執心であちこちに依頼しているようです(読者を増やすためだそうです)。ブログでも、リンクを張ることに関わる記事を、この1週間で5,6本も書き、リンクを張らない他の方々何人かを罵倒していますが、その記事も全部削除されたようです。
要は、B級芸能誌のように、低俗下劣な話題で “集客アップ”を狙っているのでしょう。くだらな人間です。
私が真面目に反論すれば、それはまた記事のネタにされ、彼を喜ばせるだけです。その悪企みと彼の身勝手な自己愛にやっと気付いたので、ここは無視し、放置することにしています。
FC2ブログには「禁止ワード設定」という機能がある通り、私が削除依頼した記事は全部FC2の「内規違反」に当たります。ですから「言論弾圧」どころか、下劣な言葉で人格を侮蔑するのは「名誉棄損」に当たり、私の記事画像を勝手に載せたのは「著作権法違反」になります。個人への中傷なんかSNSでは普通だ、と彼は言いますが、知人の話では裁判すれば軽く勝てるするそうです。
彼が「言論の自由」を盾にして、自分は他者の記事と人格や精神までも下劣な言葉でののしっているにも関わらず、他者がそれに応じないことを非難攻撃する思考は、「ダブルスタンダード」でしょう。
どんな人でも、友人だと思っていた人(彼は私のことを盟友だと言っていました。私も彼のブログを二度ほどブログでとり上げ、宣伝しました)から、突然、4文字言葉などで口汚く罵られたら、驚き、当惑し、怒るでしょうが、私は罵り言葉ぐらいで切れまくったりはしない人間です。聖書伝道で訓練され、慣れています。
彼のことは、ただ、いい年して、まあ、情けない、哀れな人だなあ、と思っているだけです。まあ、世の中には心と精神のおかしな人間がいるものです。
Anthonyさん コメントありがとうございます^^)
ご心配いただいて、すみませんね。
そうなんです。こんな人間には生まれて初めて会いました。
頭はいいが、モラルや常識が欠落しています。嘘は言う。約束は破る。罵り言葉や4文字言葉を言うのは「お家芸」だそうで、悪いことだとは全然思っておらず、むしろ得意になっています。
このたびは彼はずいぶんいろんな人に、リンクを張ってくれと言いまわっているようで、張ってくれないと「超不愉快」だそうです。張ってくれない人を記事を書いて罵倒していますが、私の場合は特別に10数本も罵倒記事を書かれましたから、一番の恨み憎しみの対象になっているようです。よほど有名ブログと思っているのかもしれないですが、じつは零細ブログなんですね。(笑)
私が昔、異端教団にいたせいもありそうですが、15年前にやめており、その教団だってオウムとは質が正反対で、世間の一般的レベルよりは倫理観は上です。彼に比べたら本当に天と地ほど違いますから、「お前が言うな」と言いたくなりますよ。
文才はあっても、悪いほうに使えば、才能とは言いません。核も発電所に使えば有用でしょうが、爆発のために使えば大量殺人平気です。「売れない物書き」だそうで、何十年も妻の扶養に入って養ってもらっていたというのも、さもありなん、むべなるかな、です。(笑)