「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 困難でも喜びのゲームを楽しむ『少女パレアナ』の視点。 


 エレナ・ポーターが1913年に書いた『少女パレアナ』という本があります。

 書き出しは私の好きな『赤毛のアン』に似ていますが、それより10倍感動しました。2日間で3回読み返しましたが、3回目も涙があふれ出ました。これは友人のエリアンダーさんから紹介された、私としては近来にないと思えた良書です。

 場面は100年ほど前のアメリカ。両親を失って孤児となった11歳の少女が、義務感だけは心得ている気難しい叔母さんに引き取られますが、困難な状況にあってもいつも強い意志と努力によって《喜べる理由》を探し出すゲームをすることで、荒れていた町の人々の心を喜びで明るくしていくお話です。

「パレアナ」は、当時アメリカ中の店やホテルの名前になるなどのブームになり、ウェブスター英語辞典には《喜悦》という意味の名詞として掲載され、「パレアナイズム(極端な楽天主義)」という心理学用語を生みました。

 今回は、パレアナの《喜べる言葉》をピックアップした感動の“さわり”集です。

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 パレアナの《喜びのゲーム “Glad Game”》が人々を励ます。

《喜びのゲーム》が始まったきっかけは、若くて清くて貧しい牧師の父親が生きていたとき、小さなパレアナが誕生日に人形を欲しがったら、教会の慰問箱に松葉杖が入れられていました。でも父親は、杖を使わなくてもすむから喜べると教え、それ以来、パレアナはどんなときにも喜べる理由を探し出すことをゲームとして楽しむようになったのです。それは探し出すのは難しければ難しいほど面白いゲームになりました。松葉杖は、この話の伏線になっています。


❶叔母さんは父親の遺産を受け継いだ裕福な四十女で、家は広くて立派でした。でも姪に与えた屋根裏の小部屋は殺風景で、敷物も絵も鏡もなかったのですが、パレアナは「鏡がなければソバカスもうつらないでいいし、窓からはあんなに美しい絵のようなすてきな景色が見えるし」と言います。パレアナはすぐ喜ぶことを探し出し、喜ぶことのほうを考え、いやなほうは忘れてしまうのです。


❷メイドのナンシーが、自分の名前は平凡で嫌いだと言ったら、「ヘプジバという名前でないことを喜べるわ」と言い、パレアナは、知り合いの女性が「ヘッブと呼ばれるのは(ヘッブ万歳!と、からわれるようで)いやでいやでたまらないんですって」と話すと、ナンシーは自分の名前が以前の半分も気にならなくなります。
 ナンシーが、仕事始めの月曜日が一番いやだと言ったら、「一週間のどの日より月曜日の朝、喜んでいいと思うわ。だって次の月曜日が来るまでに、まる一週間あるんだもの」と言います。ナンシーはそれを思い出すたびに笑いたくなります。


❸近所のスノーさんは、何もかも気に入らない、寝たきりのひがみおばさんです。パレアナが「おばさんの目は大きくて黒くて、髪はまっ黒できれいなカールになっている」と褒めて髪を結い、花瓶の花を一輪つまんで髪に差すと、花はしぼむからいやだと泣き言を言うので、パレアナは「しぼむからこそうれしいんですわ。また新しい花が手に入りますもの」と言います。
 スノーさんが、近所から聞こえてくるピアノの練習の音が聞こえて気がどうかなってしまいそうだと不満を述べると、パレアナは、ピアノの音を聞きたくないから寝返りをしようと思ってもリュウマチで寝返りも打てない人の話をし、その人の妹さんが耳が悪いために会話ができなくてみんな大変だったけど、でもその人は「自分は耳が聞こえると思ったらうれしいと思えてピアノの音を我慢できるようになった」話をします。
 そして「おばさんは、他の人たちがおばさんみたいでないことをどんなにか喜べることでしょう。寝たきりじゃ大変ですものね」と言うと、スノーさんはあまりいい返事をしませんが、パレアナが帰ったあと、目には涙が流れています。


❹地元の教会員が分裂して悩んでいる牧師がいました。パレアナは、父親の牧師が同じような顔をしていたことを話し、父は「聖書に喜びの句がなかったら1分だって牧師なんかしてられない」と言っていた、聖書には『主にあって喜べ』とか『大いに喜べ』といった聖句が、特別いやな気持ちのときに数えたら800もあったという話をすると、牧師は神妙な顔をします。
 パレアナが「だからうまく行かない時でも、こういう考え方でずいぶん助かったんですの」と言うと、牧師は家に帰ってから、最初「あなた方は災いである。偽善者よ」とイエスが悪行者を糾弾する聖句が書いてあった原稿を破り捨て、説教のテキストとして次の聖句を選びます。『ただしき者よエホバを喜び楽しめ。すべて心の直き者よ、喜べ呼ばうべし』(詩編32:11)


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 パレアナは自動車にはねられ、ベッドに臥す。

 そのようにパレアナが人々を喜ばせていた或る日、なんと彼女自身が交通事故に遭い、歩けなくなりました。彼女の《喜びのゲーム》はどうなるのでしょう?

 パレアナは、最初の頃は、学校に行けたらどんなにうれしいだろうか、スノーさんに会いに行ったり、Bさんを訪ねたり、T先生と馬車に乗ったりしたら、どんなにうれしいだろう、と将来は治ることを想像して《喜びのゲーム》をします。

 ところがパレアナは、足が二度と治らないという内緒話を、猫がドアをちょっと開けたために聞いてしまい、悩みだします。
自分が生涯の病人にどんなにして喜んだらいいかを教えるのはやさしいけれど、自分が生涯の病人になって、そうしなければならないとなると、そうはいかない」と言って気をもみます。
他の人たちがあたしのようじゃなくてどんなにうれしいかもしれないと、何度も何度も自分に言い聞かせるのだけれど、そう言っている間じゅう、自分が二度と歩けないということしか考えられない」と言い、「遊びは難しいときにはいっそう面白いと言ったが、本当に難しいときには、そうじゃない」と嘆くのです。

 パレアナが何よりも嘆いていることは、自分がこの不幸にぶつかった今、遊びができないことで何一つ喜びを見いだせないことだ―――というメイドのナンシーの報告が広まったときには、町の人々の涙もつのる一方でした。

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 町中の人が見舞いに訪れ、パレアナはゲームを再開する。

 人々は心配して次から次へと見舞いに訪れ、《パレアナのおかげで喜べるようになったことを伝えてほしい》と口々に言います。パレアナの叔母は、姪がどこでこんなに大勢の人と知り合ったのかと驚きます。
 しかし叔母は、パレアナが会う人みんなに、どんなときでも喜べる理由を探し出すゲームを教えていくうちに、町中で《喜びのゲーム》が知られるようになり、暗くつらかった人々の毎日が明るく楽しい毎日に変わり、町中が前よりも驚くほど幸福になっていることを知り、そのことを喜んでパレアナに伝えます。
 そうしたらパレアナは手を叩き、「ああ、うれしいわ」と叫んだかと思うと、突然、顔に素晴らしい輝きが表れます。
あら、叔母さん、やっぱり、あたしにも喜べることがあるわ。とにかく、前には足があったということよ―――そうでなかったら、そんなことが―――とてもできなかったでしょうからね!
 そしてパレアナの足の治療の話をきっかけに、叔母さんがけんか別れをしていた昔の恋人T先生との関係が元通りになり、やっと結婚することになった話を聞いたときは、パレアナは大変喜びました。
ああ、叔母さん、あんまりうれしくて、ちっとも―――足のことでさえ、いまじゃ、どうでもかまわないくらいよ

                  

 パレアナは以前、足が歩けたときはみんなに会えたから、みんなが喜べるようになれたと気づいて喜べるようになりました。歩けない現在と未来の暗さを見ることから、今まで成し遂げた明るさを見ることに視点を移したのです。
 そして今は叔母さんが結婚できたことを大変喜んだので、歩けない現在のことが気にならなくなりました。
 つまり、何よりもパレアナは自分のことより他の人の喜びを考えたとき、自分の喜びを保てるようになったのでしょう。
 また、町の人々と叔母さんの喜びをパレアナが知ったというのも大事なことだったでしょう。だからこそ、パレアナは自分の喜びに気付けるようになりました。

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パレアナ(またはポリアンヌ)の立像
(著者の出身地ニューハンプシャー州リトルトン)


 ここでは本の一部を抜粋引用して簡単に要約しましたが、やはり全体を読まないと感動は伝わらないのが残念です。280ページの文庫本ですから、数時間で読めます。ぜひ、一読をお勧めします。パレアナの足がどうなるかも分かります。



《補足》―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
aElelljpg.jpg牧師がパレアナに励まされた夜、目にした雑誌に、こんな一文がありました。
「男女にかかわらず人が必要としているのは励ましである。…絶えず相手の欠点を責めるかわりに長所をあげて賞(ほ)めるのがよい。…奉仕の念に富んだ、美しい明るい性格は強い感化力を持つ。それは町全体を革新することができる。人はその頭脳と心の中にあるものを放射する。親切と協力の念をもって生活していれば、その隣人たちもいつの間にかこちらに同調してくるだろう。…悪を予測して悪を求めれば必ず悪を得、善を見出すと信じていれば善を得る」
 著者エレナ・ホグマン・ポーター(1868-1920)

●カギカッコ付き「セリフ」は村岡花子訳『少女パレアナ』角川文庫第二十八版から引用しました。
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おはようございます❢

少女パレアナは、究極のポジティブ・シンキング。
『赤毛のアン』で有名な村岡花子の訳ですよね。

物語の中で、多くの村人がパレアナ思考に
感化されていくというのが素晴らしい。
しかも主人公自身が事故で歩けなくなっても、
それまでの考えを否定せずに生きたことがスゴイ。
『ものごとは起きた時点では中立。それをどう捉えるか…』
タデウス・ゴラスの一節が浮かびます。

そもそも偉人伝は、出来事に対する『受け止め方』の
教本のようなもの。
即時反応は難しいですが、コロナ禍に似て最近は、
“災い転じて……”みたいなことを多く見聞きしますもんね。

世界レベルに照らすと、幸せの国ブータンもその典型。
ないものを嘆くより、既にある幸せをかみしめる国民性と、
北のプロパガンダとの極端な違いを思います。

2020/06/20(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

おやおや今日はご隠居と熊さんは留守みたいですね。

バレアナは聖人ではなく、ゲームとして皆を喜ばせて幸せにしていたのですね。
(こじつけのような話もあるようですが)
そして自分に不幸がふりかかり、それが元でゲームではなくポジティブ思考が実際のことになっていくのですね。
バレアナは人間にとって幸せとはなにかを悟ったみたいですね。
バレアナを家族として欲しいです。

愛新覚羅

2020/06/20(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: おはようございます❢

風子さん コメントありがとうございます^^)

『赤毛のアン』は村岡花子訳でない訳本を読んだことがありますが、なんか違和感がありましたね。映画でも女優の顔が本で読んだイメージと違ってピンと来ないことがありますが、でも何度か観ているうちに慣れて来た頃に、違う女優が演じている映画を見るとまたピンと来なくなるのと似ていますが、村岡花子訳は(たぶん難しいだろう、ちょっと昔の)女の子の言葉遣いの訳し方が上手なのでしょう。

 ポジティブシンキングについては非常によく聞きますが、あまり感動はしないで、まあそうなんだろうなあで終わってしまいがちです。でも、こういう童話のような話でも、実在人物のように書かれると、共感したり感動したりしますね。本を読んでから映画を見ると、こまかな心理描写などが弱くて、ちょっとがっかりすることがありますが、文章の力とは凄いものです。

 パレアナは日頃立派なことを言っていたのに、いざ自分が窮状に陥ったときは、立派なことができなくなったが、しかし視点を変えたときに思いが変わり、また適切な対処ができるようになったのがたいしたものというか、作者の巧みさだと思いました。

 私が感動したのは、パレアナの父親である牧師が、聖書には喜びに関する言葉が数えたら800あると言ったことです。探して数えたのですね。私はそんなにあるとはまったく思わなかったので、これには感心させられました。

 面白いことに、私の思い出せる「喜び」に関する聖書の書き方は、「恐れを抱いてエホバに仕え, おののきつつ喜べ」とか「天よ、歓声を上げよ。地よ、喜べ。山々は歓喜して叫べ。エホバはご自分の民を慰めてくださり」というように、おおむね推奨形というか、命令形が多いのですね。
 喜びというのはひとから言われて、はいそうですかというようなものではなく、自分の心で、ほんとうにそうだなあと感じて、心の中にじわーっと喜びの感情が湧いてくるようなものですから、そういう意味でも、理論攻めのお堅い教訓書の書き方より、パレアナのような実話風の書き方がいいのかもしれません。

 コロナの件でも最初の頃はメディアから、恐怖と経済の劣化ばかり煽られましたが、今は「災い転じて」の報道も少し見えてきました。人間はだてに知恵があるわけではないので、福を探し出さないといけませんよね。

2020/06/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 ネットを見ていたら「喜びを探し出すことをゲームにすればそれでいいのか」という意見がありました。しかしゲームにしたのがいいのですよね。
 義務感としてそうしなければいけないと思うより、ゲームとして楽しんでやるほうが、この障害はなんとかしてクリアしてやろうという自発的な意欲が出てきます。そして努力してクリアすれば喜べます。ハードルが高ければ高いほど面白くなってきます。
 私たちの人生もゲームとして見れば、もし自分の抱えている問題がハードなものであっても、ならばもっと頑張ろうという気になります。そしてゲームは難度が高いほど、上級者向けですから、自分は人生の初級者じゃないのでこんな難問が来たのだなと、かえって意欲を持つことも出来ると思います。

 パレアナの母親は金持ちからの求婚を断って、貧乏な牧師の若者と結婚したのですが、清くて貧しい生き方を実践している父親はさすがに良い信仰と信念を持っていました。キリスト教の牧師は、教会の信者からの寄付から給与を受け取って生活しています。それは悪いことではなく、聖書では「働き人はその報酬を受け取るにふさわしい」と認められています。
 百年前のアメリカは貧しくて寄付もたいして集まらなかったのでしょう。そしてパレアナの父親は貧しかったからこそ、どんな時でも喜びを探そうという気持ちになったのでしょう。だからパレアナにもその精神が伝わったわけで、家庭の教育は大事ですね。親の気持ちは子供の気持ちに大きな影響を与えます。

 聖書の詩編は150編まであって、神を賛美する内容の詩であふれているのですが、私なんか「エホバを喜べ」なんていう聖句を見るだけで、教団を離れてからは宗教的な人格神は信じなくなった今でもジーンと来ます。

2020/06/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

子供向けに編集された『少女ポリアンナ』しか読んだことがありません。村岡花子さん訳があるんですね!合うだろうと思いましたが、ぴったりですね。赤毛のアンもポジティブですが、ポリアンナ(パレアナ)はさらに上級者ですね。自分でも読んでみたくなりました。探します!
拙ブログはコメント欄を閉じています。拍手コメント欄からで大丈夫です。
勝手ながら、リンク貼らせてもらっていいですか?せっかくの縁です。漂流から、しっかり杭を打っておこうかと笑 よろしくお願いします♪

2020/06/20(土) |URL|馬場亜紀 [edit]

こんにちは

昔は「ポリアンナ」っていいTV放送もありました。
足ることを知ることの重要さを教えてくれる小説です。
どこかの修行僧の言葉を思い出します。
自分を変れば、私の家族を変え、家族は街を変え、国を変え、
世界を変えることさえ出来る・・・
妻にこの小説を紹介したら、少女小説みたいだと関心なさそうでしたが、
後日彼女の書棚を見たらちゃっかりと「パレアナの青春」、
「スウ姉さん」が並んでいました。
バーソさんがきれいにまとめてくれましたが、わざと結末には
触れていません。
結末はこれまた感動モノなんですね。

2020/06/20(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2020/06/20(土) || [edit]

Re: タイトルなし

|馬場亜紀さん コメントありがとうございます^^)

 小説『少女パリアナ』は、テレビで『愛少女ポリアンナ物語』として1986年にフジテレビ系列で放映されたそうです。
 https://www.youtube.com/watch?v=SHVLxJ5qOjQ

 名前の表記が違うのですが、Wikipediaによると、
「原題Pollyannaの発音が、日本語で表記するにはあいまいで捉えにくい音であるためと考えられる(厳密に発音を分析すれば、Pollyannaの po はポとパの中間ぐらいの音、lly はリとレの中間ぐらいの音である。また annaは、アナまたはアーナとでも表記すべきところで、アンナという日本語のローマ字読みの表記は、英語としては本来正しくない。したがって、原音に忠実な表記としては、パレアナ、パレアーナ、ポリアナ、ポリアーナなどが適切と考えられる。また、パリアナ、ポレアナなどと表記しても、間違いとは言えない)」とありました。 


 このテレビアニメのほうは、年齢は2歳ぐらい引き下げられているそうで、本とは全然イメージが違って、完璧に子供向けになっています。私はたぶんこの動画なら感動するどころか、自分は対象外だと思って、観なかったと思います。

 でも本のほうは『赤毛のアン』よりも、私には格段にポジティブでいい本だと思いました。おしゃべりな孤児が、女の子供を歓迎しない生真面目な中年女性宅にやってくるという状況設定が似ているので、おそらく著者は『赤毛のアン』からヒントを得たのではないでしょうか。ちなみに私は行きたい外国の一番目がプリンスエドワード島で、二番目がパリのモンマルトル近辺で、三番目は特にありません。

 翻訳本は、昔は直訳調で、読みにくいのが多く、特に上流家庭の女性の話し言葉は難しそうですが、この村岡花子訳は百年ぐらい前のアメリカ人の家庭と娘の感じがよく出ていると思います。
 しかし馬場亜紀さんなら、どういうふうにまとめるでしょうね。簡潔に上手にまとめそうで、それも楽しみです。
 
 リンクの件、私のほうも貼らせてもらおうと思っていました。どうぞ末永くよろしくお願いします。ただ、コメントはとてもうれしいのですが、書きたい時だけにしてくださいね。そうでないと精神的に負担になりますからね。(^^)


2020/06/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 おかげさまで一本かけました。「私としては近来にないほど」感動したと形容しましたが、それほどいい本だと思いました。自分のほぼ理想とする人間像が明るく偽善的でなく描かれています。そして人の善良さを信じ、神の善良さを信じる信仰が描かれているのもまた良いと思った理由だろうと思っています。

 私は今なお有神論者であることは変わらないものの、もう「エホバ」の人格神は信じていないのですが、「エホバを喜べ」の聖句を目にしただけで胸キュンとなり、ジーンときました。心の底には、密かな場所にいる神からいつも見られているという意識が残っているのでしょう。

> 自分を変れば、私の家族を変え、家族は街を変え、国を変え、
世界を変えることさえ出来る

 そうなんですよね。なにしろ人はみな考え方が違うのですから、社会全体を一気に幸福にするマジックはないのでしょう。でも一人ひとりが自分の思いを変えていけば間違いなく世の中は変わっていきそうです。というより、それしか方法はないのでしょう。
 人の心は変えられませんが、自分の気持ちは変えようと思えば変えられるものです。少しずつでも変わっていけばいいなあと思います。

『パレアナの青春』と『スウ姉さん』は入手しました。村岡花子さんの後書きを見たら、『少女パレアナ』より『スウ姉さん』のほうが私はいいと思うと書いてあったので、『スウ姉さん』を読み始めたのですが、90ぺージぐらい読んでもまだ面白いとは思えません。『少女パレアナ』は最初のページから引き込まれたのですが。
 どうも主人公の状況と生き方を自分に当てはめて考えて、自分の状況と似ているか似ていないかも本を面白く思うか思わないかと関係しているのではないかと思います。

 エリアンダーさんはよく覚えていますね。そうです、結末はハッピーエンドと言えそうです。でも続編の『青春のパレアナ』ではどうなるのか、まだ読んでないのですが、これも楽しみです。

2020/06/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ゲーム感、この感覚がいいですね

ここのところコロナで精神不安になっている方も多く、何か明るい、元気になる話はないかと、当店薬屋の新聞やブログで意識しながら記事にしていますが、「喜び探しのゲーム」(ゲーム、これ自体がまず楽しい)というのは、実に面白いと感じました。
「喜び探し」をしなさいといくらアドバイスしたってなかなか聞いてもらえないのですが、「ゲームしなさいよ」とアドバイスすれば、「じゃあやってみようか」という気分にもなりましょうや。
ゲームをするなかで、ポジティブな視点を持つ人に変身していく、そのように期待できます。
来月のDMは完成してしまいましたから、再来月あたりで「ゲームしましょう」と呼びかけたいです。
今のご時世、皆、明るく元気にポジティブに行こう!ですよね。
いい話題を提供していただき有り難うございました。

2020/06/20(土) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: ゲーム感、この感覚がいいですね

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)

 お互いに、奇しくも似たような意図の記事を書いたようですね。
 そうなんです。昨今、新型コロナウイルスで怖ろし気な話と悲し気な話ばかりですから、少しは気分転換をしないといけません。

 私もいつも「人生はゲームのようだ」だから人生には障害物があるのだと書いているつもりですが、諸問題の中から《喜び》を探すことをゲームにするとはちょっと気が付かなかったですね。
 幸せは山のあなたの空遠くにあるのではなく、青い鳥は自分の身近な鳥かごの中にあるとよく言われますが、やはり探さないと見つからないのでしょう。探せば見つかるのでしょう。

 我々凡人はそれに気づかず、隣の芝生を羨ましがるばかりの日々を送っていますが、人体が弱ったときは対処療法や体質根本改善の薬が必要でしょうが、精神が弱ったときは喜びを探すゲームをするのが良薬になりそうですね。
 ぜひ、漢方も扱う実践派の薬屋さんならではの良い記事を書いてくださいな。

2020/06/20(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

リンクやコメントの件、ありがとうございます。お返事を読んでますますポリアンナ、もしくはパレアナ、またはポリアーナ(("⌒∇⌒")いろいろ変身してるイメージも出てきますね)を読みたくなってきました。
真っ向勝負の善いこと探しを「青臭い理想」みたいに鼻で笑う人や、嫌悪感をもつ人もいてそうですが。そういう青臭いことを言う人がいて、やっとこさ現在の世界があるんだと思いますから。
言う人がいなかったら、もっと殺伐としていたかもしれないですね。
しんどくても、ゲームを続けていきましょう!!
拙ブログへの返信、たいへん楽しく読ませていただきました!新たな物語が展開しそうなタイトルが並んでいましたねー♪
これもゲームの一つでしたね笑

2020/06/21(日) |URL|馬場亜紀 [edit]

女子プロレスラー:木村花さんの死からこっち、ネット上の誹謗中傷が社会問題になっています。
他人を攻撃する人は自己肯定感が低く、自分が人より優位に立たなければ自我を保てないからだ…と、心理学者は解析します。
確かに生物が生命を保つ為の捕食を除いては、他を攻撃するのは自分の弱さや、他者への恐怖心が根底にある様に思いますね。
逆に自己肯定感の強い人は攻撃するよりも、むしろ他者にやさしくて人をよく褒めます。それは自己の持つ自信の現れなんですね。
凄いと思うのは、後の世で聖者と呼ばれる人達はみんな自己肯定感が並外れて強い特徴があります…だから聖者になったのかな?
イエスは自分の死によって人々がどう変わるかを知っていて、人々が善くなる為には敢て自分の死を肯定して拒まなかった様です。
釈迦は自分が死後の(アジア)世界で崇拝され、自分が説いた教えだけが唯一広まる事を知っていて「天上天下唯我独尊」と予言した。
ここまで自己肯定感が強く自信たっぷりだと、一歩間違うと鼻持ちならない傲慢な人間に見えるはずが、聖者はそうはなってません。
あくまで強い自己肯定感に立った他者への思いやりの為せる業でしょうか?記事のパレアナさんを見てつくづく自分は凡人だと思いました(笑)

2020/06/21(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

馬場亜紀さん コメントありがとうございます^^)

 ノラが出てくる『人形の家』の作者は Ibsenです。ノルウェー(デンマーク)語ではイプセンと読むのでしょうが、2字目の「b」を英語式またローマ字式に読むと、濁音の「ブ」にしてイブセンと読みそうです。
 イエスの名前は、カトリック系ではイエズスとかイエスースと発音するので、私にはちょっと別の人のように聞こえます。
 パレアナだとファニーな女の子のイメージがしますが、ポリアンヌだと良家のお嬢さんのような気がします。外国語は読み方が違うとイメージも違ってきて面白いものですね。

「真っ向勝負の善いこと探しを『青臭い理想』みたいに鼻で笑う人」がいれば、その人はいわゆる皮肉屋さんですね。世の中を冷めた目で見て、楽しくなく生きている、かわいそうな人です。そういう人は物事の裏面も見る才能もあって頭はいいのでしょうが、あまり人間関係はうまくいってない人のように感じます。

 1年ぐらい前、近所に住宅の掃除をしている高齢の独身男性がいて、ひょんなきっかけから会話をするようになったのですが、自分では字が読めないと言う通り教養があまりなく、いつも競馬で儲かりそこなった話ばかりよくしてくるのですが、目や表情に人の良さが表れていて、今では出会ったときはお互いに手を振って挨拶をする仲になりました。
 世の中、ギスギスとした人間関係になったらお終いですね。電車に乗っている、営業職のように見える中高年男性は不機嫌な顔をしている人が多いので、自分ももっと気をつけないといけないなと思っています。

2020/06/21(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 政治思想の場合は、その考えでは世の中が悪くなると思えた場合は相手を非難する根拠や大義名分がありそうですが、一般人の一般な出来事の場合は相手を心の中で批判するのはいいとしても、それを面と向かって、汚い言葉で言うのまったくおかしいことなんですが、そうする人がいるのは不思議です。
 まず、言論の自由、思想の自由がありますし、他者には礼儀を持って対しなければいけないのですから、その常識的なことをしないで、ただ相手のことを罵るだけなら、それは自分のほうが悪そうです。おそらく自分の人間性に劣るところがあるのでしょう。
 SNSの誹謗中傷の件では joさんが前々回でしたか、ブログに書いていた案はいいですね。現状では匿名をいいことにして好き勝手なことを書いているわけで、もし自分が書いたことに責任を問われることになったら、誹謗中傷をする人は激減しそうです。車にドライブレーダーを付けたら煽り運転が減るのと同じです。

 イエスは自己肯定感があったのか。あったと思います。イエスは神のことを「天の父」と呼び、自分は「父から遣わされた」者だと言いました。「私を見たものは父を見たのである」とも言っています。人格もさることながら、頭も非常に良く、イエスにディベートで敵う人はいませんでした。
 釈迦はどうだったか。「天上天下唯我独尊」と言っているが、その意味は思い上がって言っているのではないという解説を読んだことがあります。しかしながら、あれだけのことを人々に教えて影響を与えたのですから、自信がなかったはずはありません。

 しかし自信というのは諸刃の剣的なところがありますね。度を超すと高慢尊大になり、無さすぎると卑屈な落ち込みやすい人間になります。
 パレアナの場合はどうだったか。彼女は自信があったからというよりは、牧師の父親からそう教えられたので、だから、ただただ純粋にそうすることが正しいと思い込んでいたのと、楽しかったからではないでしょうか。
 もしそうではなく、喜びのゲームをすることが立派な行為なんだと頭の中で考えてしていたのなら、それは善行をひとに見せるためにしていたわけで、偽善者のようないやらしさを感じ、読んでも感動を感じなかったと思います。

2020/06/21(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

素敵な物語ですね(^o^)

政治に埋没すると、どうしても「不満」に目が向くゲームになってしまいがちですが、パレアナはまったく逆の視点をもたらしてくれますね。
いかなる状況にあろうとも、人はその瞬間に幸福にもなれるし、不幸にもなれる存在で、他者との繋がりの中に喜びを見い出す人間という存在に、ワンネスを見る思いがしました。

2020/06/22(月) |URL|友資 [edit]

Re: 素敵な物語ですね(^o^)

友資さん コメントありがとうございます^^)

 本当にそうですね。政治に目が行くと必ず不満が生じます。政治家が真面目に真剣に政策を取っているのなら多少の不具合はしょうがないのですが、非常にお粗末に見える場合があるので、どうしてそんなことをするのか、どうしてこうしないのかと腹が立ち、せめては遺憾砲を撃ちたくなります。
 そして現行の政治システムではうまくいかない。現行の選挙の方法以外に良い方法はないものか、例えばスェーデン方式はいけないのか、などと考えたりします。

 イエスは柔和で穏やかなひとと思われていますが、時には実力行使に出たこともあります。エルサレムの神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返したことがあります。彼らが神殿を利用して不当な利潤をあげていたからです。
 しかし興味深いことにイエスは政治には一切かかわろうとしませんでした。イエスの説教を聞いて感銘を受けた民衆が、イエスを王に祭り上げようとして集まってきたとき、イエスはどうしたかといえば、「山に逃げた」と記述されています。
 イエスの理念は「神の王国」にあり、「この世の王国」にはなかったからです。この世の政治システムでは良くならないと思っていたのです。聖書は、この世は悪魔サタンが支配しているとし、サタンのことを「この世の神」と呼んでいます。

 とはいえ、現在の世の中を良くしようと思ったら政治で変えるしかなく、それには良い政治家を選ぶしかありません。良い政治家とは世の中をもっと良くしようとの理念をしっかり持っていて、そのためには死んでもいいというぐらいの意欲と熱意を持っている人です。そんな政治家が日本には極度に少ないですね。

2020/06/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「変身少女パレアナ」最高ですね。今回の記事を読んだあとなので、尚更ツボにはまりました。「異邦人どこいったん」「君のためなら千回でも沈黙」とかも好きです。絵本も持っていらっしゃるんですね!幅広い分野が集まる本だなかなあと想像してしまいました。
楽しい空想タイトル、ありがとうございました("⌒∇⌒")

2020/06/22(月) |URL|馬場亜紀 [edit]

Re: タイトルなし

|馬場亜紀さん コメントありがとうございます^^)

 感想コメント、うれしいです。じつは私は忙しすぎたのと、この社会のこととは何十年間かブランクを設けた期間があったせいもあり、ここ数十年の本や映画や音楽は知らないことが多いのです。テレビのドラマは全然見たことがありません。絵本もアンデルセンとかグリムなどの他は知らないのです。

 なので、このたびはネットで「ぜひ読みたい小説ベスト100」なんていうサイトを幾つか見つけて、面白そうな本のタイトルを探してメモしておいて、あとでくっつける作業をしただけなんです。でも30分ぐらい掛かりましたが。

「変身少女パレアナ」は、「変身、少女パレアナ」か「少女パレアナ変身」にしようかちょっと迷いました。カフカの「変身」はパレアナとは趣の全然違う本で、結局なにを言いたいのかよく分からないままになっています。主人公が虫になる妙なストーリーは覚えているのですが。

 しかし馬場さんは感性が鋭敏で、発想力もずいぶん広いひとのようですね。思いついたらすぐさま書ける才能があるので、毎日更新できるのでしょう。私も馬場さんのようなエッセーを書ければいいなあと思いますが、肝心の才能がありません。いいものを見ればいい影響を受けるので、そのうち書けるだろう、いや、書こう、とパレアナ思考になろうとしているところです。(笑)

2020/06/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2020/06/23(火) || [edit]

ディズニー映画「ポリアンナ」の原作でしょうか。
細かいところが違いますが、そっくりです。

本を読んだことはありませんが、映画は良かったです。
牧師さんの説教が怖くて、「正しく生きないと地獄に堕ちるぞ。天罰が下るぞ」と怒鳴るような説教に町じゅうがうんざりしているのです。
ポリアンナが次々と良いこと、を見つけてたとき、友人の子が言うのです。
「さすがのポリアンナでも、あのお説教に良いことなんか見つけられないわ」
ポリアンナは、ちょっと考えて「次の日曜日まで一週間もあるわ」といった時は、大笑いしたものです。
牧師さんがポリアンナの軍門に下るところは感動です。
分かりやすくて楽しい映画でした。

2020/06/23(火) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: タイトルなし

しのぶもじずりさん コメントありがとうございます^^)

 私はディズニー映画やテレビアニメのほうは見てないのです。ポリアンナが貧しさや不幸にめげずに頑張る大筋は同じですが、原作よりも大幅に希望のあるストーリー展開となっていて、監督が泣かせる演出をしているそうですよ。

 牧師は最後の審判を強調していましたか。そして牧師がポリアンナの軍門に下るところは感動でしたか。
 一般に牧師が信者に、悪いことをしたら地獄に落とされるぞと神罰を強調する説教は消極的な教え方ですが、むろん、良いことをすれば神に祝福されるという積極的な教え方もあります。これはその人の性格というか、神をどのように感じているかの信仰が反映するようですね。

 パレアナの場合は、父親が牧師の割には、神に罰せられるとか神に祝福されるという概念がないようで、いま現実に苦しい状況をどのようにしたら逃れられ、解決できるかに主眼を置いているわけですから、世にある「苦」をどのようにみなすかという点で、ちょっと釈迦の仏教的な問題対処法のように感じます。

 しかし悪いことが毎週、定期的にあるときは、次までにはまだ一週間もあるわという考え方はいいですね。
 私はブログを土曜日に更新していますが、次の更新までまだ一週間あると油断しているうちに月曜日になり、火曜日になり、水曜日になったら精神的に毎週かなり追い込まれています。(笑)
 ちょっと意味が違いましたが、ともあれ、人生から「苦」はなくならないのですから、有効な対処が難しい場合は、諦めるか、他に視点を移すかしかないのでしょう。パレアナ(の作者)が偉いのはそれをゲームにしたことで、ゲームなら難しいほうがやる気が出て、達成すれば喜べます。この喜ぶというのがいいのでしょう。

2020/06/23(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2020/06/24(水) || [edit]

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2020/06/25(木) || [edit]

久しぶりにこの本の話題を知り
懐かしくて懐かしくてコトバにならないほど。

実は、子供のときに、読んで大好きな本でした。
家の本棚にあるはずと思って、すぐに探したらなかった。
子供に送ったようです。
当時、とても感動して夢中になって読みました。
また、思い出して
懐かしいです。
パレアナ大好きでした。

2020/07/05(日) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)

 お久しぶりです。
「少女パレアナ」は子供の頃に読んだことがあるのですか。さすが、読書少女だったことはありますね。私はこんな本があることも知らなかったですよ。でも友人から教えられて読んだら、「赤毛のアン」よりもポジティブな志向で、暗めの人生観を明るく変えてくれる、とてもいい本だと思いました。

 最近の日本列島がそうですが、豪雨があり、洪水があり、地震があり、津波があり、噴火があり、新型コロナの追い打ちも来ていますから、なんでこんなに次々と問題がやってくるのだろうかと不思議に思いますが、問題とは続くからこそ問題と言うのでしょう。
 先日、もりんさんのところにちょっとお邪魔したのですが、乳酸菌飲料3本の話があって、まあ、相変らずのようで大変だなあと感じました。

 もりんさんは、露骨な嫌がらせをされても、言い返したりせず、じっと我慢して少女パレアナの方法を試みていると思いますが、なかなかうまく行かないようですね。私がかつてそうでしたが、また隣国に譲歩して謝罪ばかりしてきた日本国もそうですが、相手の性格が意地悪い場合は、あんまりいつもひたすら我慢しておとなしくいると、かえって舐められてしまって、相手を調子にのせてしまうことがあるかもしれませんね。困ったものです。
 パレアナ思考でいるか、たまにはガツンとやるか、ちょっと考えどころですね。

2020/07/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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