「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 『楢山節考』。姥捨て山伝説から見る高齢者の幸いとは? 


 その貧しい村では七十歳になった親を子が背負い、お山に捨てに行く――――
 母親は言っていた。「おれが山に行くときゃあ、きっと雪が降るぞ」


深沢七郎の短編小説『楢山節考』は、間もなく七十歳になるおりんが、山深い貧しい部落の因習に従って冬の楢山に捨てられる話です。
 
(あらすじ)
 おりんは捨てられる日を早めるために、丈夫な前歯を自分で石臼(いしうす)に打ち据えて折っていた。
 あと三日で新年になる極寒の夜、息子の辰平はおりんを背負い、いやいや楢山を登っていく。
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 頂上に来たら、おりんは冷たい筵(むしろ)の上に座り、辰平の背中を押して帰らせた。
 辰平は帰り道で、おりんが言っていた通り、雪が降っていることを知って感動する。雪の中で凍死するのは、餓死より苦しみが少なく、幸いなのである

 辰平が家に帰ると、おりんの綿入れと帯はすでに孫たちが使っていた。

       .


この小説は、深沢七郎が山梨県境川村大黒坂のお年寄りから「姥捨て山伝説」を聞き、その土地の人たちの昔の純粋な人情を想像しながら創作したもので、おりんの人物像は、著者の実母さとじが肝臓癌を患い、自らの意思で死に赴くために餓死しようとした姿に重ねられています。また、おりんの人物造形にはキリストと釈迦の両方が入れられているとのことです。

中国学園大学の木村東吉教授は、「おりんが山頂に着いたとき、雪が降り出したということは、村人全体が《運が良い》と思うことであった。おりんの生き方や誇りは地域社会の価値体系に合致し、それはすべて無言のうちに辰平や村人に通じているため、おりんは孤独に陥ることなく、自分の生き方を貫徹でき、自己犠牲でありながらも十分幸福であった」と論考しています。

哀れで慈愛と雄々しさもあって胸に迫る話ですが、姥捨て伝説はインド源流の大陸輸入であり、事実ではないそうです。日本では、昔は村落が極度に貧困であっても老人を犠牲にすることは稀だったはずで、経済学者の池田信夫は、元々日本において「人口問題を解決した方法は、姥捨てとは逆の子捨てである」としています。

私は数年前に読んだときは涙が止まりませんでしたが、いま、あらすじを読むだけで、どっと涙が出てきます。母親とは仲が良かったわけではないのですが。
 
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「姥捨て山」伝説には幾つかのバリエーションがありますが、どうしてでしょう?

①枝折り捨て型(親は自己犠牲的な情愛を子に示す)
息子が母親を背負って山に登っていくとき、母は小枝(または花)を折って道に落としている。息子は、母親が自分で戻るための目印を付けているのかと思ったが、帰りの暗い夜道で迷いそうになったとき、これは自分が家にちゃんと戻れるよう目印をつけてくれていたのだと気づく。息子はさめざめと泣き、親を連れて帰る。

②難題吹っかけ型(経験ある老人ならではの知恵を出す)
老婆を山に捨てよとのお触れに背いて、息子は母親を家に密かに隠していた。隣りの国から、難題を解けなければ国を攻めるぞと脅されたとき、母親は難題を見事に解いて息子に教え、息子は殿に知らせる。隣国は知恵者がいることに恐れて攻め込むのをやめる。殿は姥捨てのお触れを撤回し、老人を大切にするようになった。

《その難題と答え》※答えは白文字なので[空白部分]をドラッグしてください。
 Q1:灰で縄を作れ→[Aワラを塩水に浸けてから縄を作り、乾かしてから焼く ]
 Q2:ほら貝に糸を通せ→[A蟻の足に糸を結び、出口に蜜を塗り、中を歩かせる]
 Q3:一本棒の根元と先端を示せ→[Aタライに水を汲んで浮かし、浮く方が先端]
 Q4:叩かなくても鳴る太鼓を作れ→[A太鼓の中に大きなアブを捕まえて入れる]

③子に教えられる型(わが身に置き換えて考えてみる)
母親を捨てに行くとき子供を連れていくが、もっこ(運搬用具)ごと捨てようとしたら、子供から「おっとうを捨てるときに使うから、もっこは持って帰ろう」と言われる。明日は我が身と考えたら、親を捨てることの非道さに気付いて思い直す。

④年寄りの知恵発揮型(知恵を働かせて苦難を生き延びる)
母親は、悪い嫁にそそのかされた息子により、山の萓(かや)小屋に入れられ、火を点けられる。恐い鬼が次々にやってくるが、母親は知恵を働かせて打ち出の小づちを奪い、財を成す。嫁は真似ようとして萓小屋に入って火を点けるが、焼け死ぬ。

⑤息子自然に思い直す型(苦しい時こそ人間らしさを思い出す)
長野県更級に住む男が、妻にそそのかされて姨(おば)を山頂に捨てたが、美しい月を見て激しく後悔し、「わが心 なぐさめかねつ 更科や おばすて山に 照る月を見て(古今和歌集)と詠んで翌日連れ帰った話が『大和物語』にある。この付近には山の急斜面に作った棚田が多く、古来「田毎の月」の名所になっているが、不便な山腹にも田んぼを増やさなければならなかったほど厳しい暮らしがあったのだ。

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このようにバリエーションが幾つかあるのは、明るいポジティブなエピソードを付け加えることで、「姥捨て山伝説」の悲惨さを軽減したいと思ったからでしょう。

        ____________________


武漢発祥ウイルスは、特に高齢者を狙っていて《爺婆捨て山》のようです。

「姥捨て山伝説」には、主役と共演者の他に、大勢の人がバックにいます。
村人たちがそうで、一見、端役かエキストラのようですが、そのうち彼らも必ず主役か共演者になる筋書きになっています。
脇役として爺もいたはずですが、当時の男は五十代で早死にしていたのでしょう。
(姥捨て山伝説で捨てられる姥の年齢は、大抵六十歳のようです)

人生は、自分を主人公とするドラマです。
自分はまた脚本家でもあるので、これから近未来の人生を決めるのはちょっと難しいように思えても、次の瞬間なにを選択するかはいま自分で決められます。

では、ニューコロナウォーズ「ウイルスの逆襲」を、エピソード1「人類の覚醒」編とかエピソード2「新たなる希望」編に変えたいと思うかもしれませんが、それにはどうしたらいいかを考えるのがポジティブな精神思考の面白いところです。




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※画像はYouTube(木下恵介監督1958年映画『楢山節考』オリジナル予告編)より借用しました。

スマホ派の方へ。句読点などが行頭に来ないようにする禁則処理が働くと、行末に1文字分の空白が生じ、文章の左右幅がきちっと揃わなくなります。それは見た目のレイアウトも重視する私の無駄な美意識(!?)に合わないので、すべての行末に改行マークを入れていました。今後はそれをしないことにしたので、段落の文章が文末まで途切れずに続き、4インチぐらいの画面でも読みやすくなると思います。

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捉え方が方向性を決める

カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞た緒形拳主演の『楢山節考』。
涙なくして見られなかったことから、しっかりと記憶に残っています。
そのせいか、正にコロナ禍は世界規模の《爺婆捨て山》”現象に
思えないこともないです。
実際、後期高齢者ともなると社会保険料も異様に高く、
首を絞められている感はぬぐえません。(笑)

とはいえ『ウイルスの逆襲』は、
『人類の覚醒』として捉えたいです。
大規模な森林伐採による生態系の破壊、空気や水の汚染、
大量消費のつけが、世界支配を企む中国から発生したのも
偶然ではないような……。

トランプは好きじゃないですし、再選の思惑が絡んでいるとしても、
コロナ蔓延の責任を押し付けて中国に国交閉鎖まで言えるのは、
彼をおいて他にはいない。破天荒なトランプの言動も、ある意味、
必要悪に思えるのが可笑しいです。

高度に進化した星では大都会は存在しないそうです。
小規模なコミュニティでの自立型社会を築き、衣食住の全てが
自然回帰&循環型で営まれて……。

もっと、もっと豊かに、贅を尽くした暮らしがしたい。
天井のない人間の欲望に対して、天はウィルスを介して
警鐘を鳴らしているのかもしれません。

難題のバリエーションを読み込むと、なんだか笑えます。
悲惨さに対処しようとする人の思考もバラエティに富んで‥‥。

2020/05/16(土) |URL|風子 [edit]

Re: 捉え方が方向性を決める

風子さん コメントありがとうございます^^)

 いや、特にこのところ、よく考えられた深い文章になってますね。ちょっと怖ろしいほどです。読んですぐ、これほどの文章が書けるのはさすがに風子さんです。当方、気軽に返信が書けず、困ります。でも気軽に思ったことをそのまま書きますが。(笑)

 その映画は今村昌平監督のですね。ちょっとYouTubeを見ましたが、坂本スミ子が負ぶわれなければいけないほどの老婆に見えないのが変だというか、哀れというか。白骨がいっぱいある所に置き去りにしようとするのも変だというか、怖ろしいというか。わが身に置き換えれば幾晩も悪夢を見そうです。

 この映画を見て感動した多くの欧米人が、日本には昔こういう風習が実際にあったと思い込んでいるそうで、フィクションの小説でも映画になると真実の話だと思うのですね。
 しかし自分の娘を売った事例は近世の日本にも隣国にもあったのですから、これを見ても親捨て風習はなかったことが示されているようです。昔は子より親のほうが権威が上ですから。

 新型コロナウイルスは中国が利得を得ようとして拡散したものだとする陰謀論が出ていますね。中国共産党なら今は対米経済戦争で負けていることもあり、このぐらいのことは平気でやりそうです。そもそも最初の感染死亡者を隠蔽し、最初の報告者を処罰したり、手なずけていたWHOから、心配ないとかパンデミックにはならないというような嘘情報を流させた点など、いろいろ怪しいところがあります。

 いや、あのウイルスの遺伝子は人工的なものではないという反論がありますが、それゆえに天然のものを拡散したとも考えられます。だからこそ中国では計画通りだったので、異常に早く収束したのだろうし、また、だからこそ世界に問題が広まる前に世界中からマスクを大量に買い集め、それを高額な価格で恩着せがましく売ったのかとも思えます。しかし確たる証拠はないはずなので、トランプの中国非難も単なる選挙目当てのピーアールのようにも思えます。
 いずれにしても中国に頼る経済構造は、よくよく考えないと損失を被ることが分かったはずですが、それでもいま中国への高額出資をしようとしている著名な日本企業があるようです。

「高度に進化した星では大都会は存在しない」。
 そのようですね。有名な「バベルの塔」の話も、人々がユーフラテス河畔のシナルの平野に集まり、そこに「都市」を作り、神に対抗して自分たちの名を揚げようとしたので、神は怒って塔を破壊し、人間の言葉を乱した。だからバベル(混乱)と呼ばれるようになり、それ以来、人類は互いにコミュニケーションが出来なくなったとされています。ちなみに聖書では「都市」を最初に作ったのは、アダムの子カイン(弟アベルを殺した)です。
 人間は集合して生きる社会的動物ですが、互いに意思が通じないと一致することが出来ず、争いが生じるのでしょう。

 普通、人は自分と波長の合わない人とは交流を持ちませんが、それが一致できない原因になり、しかしまたそれが争いが生じない原因にもなりそうで、面白いものです。(笑)

2020/05/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

《爺婆捨て山》現代バージョン

 バーソさんに先手を取られてしまいました。もうちょっとコロナ禍が広がって医療崩壊が始まったら《爺婆捨て山》をメインブログに書こうと、虎視眈々狙いを定めていたのですが…
 さて、「姥捨て山伝説」は全国各地にあり、「爺婆捨て」は飢饉があったときには冬場の口減らしとして実際にあったものと小生は捉えています。
 ただし、日本では儒教思想の“悪”影響がために、最後は親孝行で締めくくらねばと、多くが「連れ帰る」と改変されてしまったというところでしょう。
 「爺婆捨て」は、わりと最近までアボリジニとエスキモーの世界でごく一般的にありました。前者はヨボヨボになった年寄りを屋外に放置、後者は住居を移動するときに残しておく、というもので、当の本人が進んで希望もしたようです。
 なお、凍死は、体温低下とともに夢心地の世界に入り、何ら苦痛を感じることなく楽に逝ってしまえるようです。

 ついでながら、小生が思う年寄りの理想的な死に方について。
 年老いてもまだピンピンしていたらちょっときついようですが、よぼよぼになってきたら飲食を一切経てば意外と楽に逝ってしまうことが可能なようです。
 小生のメインブログ記事から一部抜粋して以下に示します。

 「自然死」のすすめ(中村仁一著)
 「自然死」のしくみとは
 自然死の実態は…「餓死」(「飢餓」「脱水」)です。一般に、「飢餓」「脱水」といえば、非常に悲惨に響きます。…
 しかし、同じ「飢餓」「脱水」といっても、死に際のそれは違うのです。いのちの火が消えかかっていますから、腹もへらない、のども乾かないのです。
 人間は、生きていくためには飲み食いしなくてはなりません。これはあたりまえのことです。ところが、生命力が衰えてくると、その必要がなくなるのです。
 「飢餓」では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるといいます。
 また、「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりとした状態になります。
 …点滴注射もせず、口から1滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数がどれくらいかといいますと、7日から10日ぐらいまで(最長で14日間)が多いようです。…この時点で(死の2、3日前)、本人はスヤスヤ状態なので、何ら苦痛はありません。…
(引用ここまで)

 ということで、中村仁一氏ご本人は、まだ元気なうちに『「断食往生」ができないかを考えています。』と具体的に28日間の断食工程まで描かれているも、残念ながらまだご存命(今年80歳)。彼より8歳年下の小生そして我が女房ともども、“反”儒教思想の“子孝行”のために、ぼつぼつ自ら「爺婆捨て」の道を探らねばと思い始めたところです。ほんとにできるかなあ?ですが。

2020/05/16(土) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: 《爺婆捨て山》現代バージョン

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)

 読んですぐ、こんなに長文のコメントを書いていただき、ありがとうございます。
 姥捨ての風習については、日本にあった無かったの両者の意見があるようですが、伝説があるということは、まったくなかったとは言えず、一部にはあったことを示唆しているのでしょう。もし全然なければ伝説にはならないでしょうから。
 ただ、昔の日本には全面的にそのような風習があったとは思えないですね。そうなら当の女性が怒るはずで、口減らしのためなら、自分が捨てられる前に息子の嫁か能無しの息子でも殺しておこうかという話もありそうです。

 今回調べたら、ある年齢以上の高齢者だけが特定の場所に行く所があって、そこで彼らが自給自足をして死ぬまで生きていたという話もありました。山に捨てられる年齢は60歳ですから、まだ体力的には元気なので、これからは自分独りで生きていくわいと思った人もいたのではないでしょうか。
 映画にあったように、あんなに沢山の白骨がある場所に親を捨てていくなんてことが、当たり前のように何百年も日本全国で続いていたとはちょっと思えません。アフリカやアジアや南アメリカにも貧しい部族がありますが、彼らにそういう風習があるとは聞いたことがないですし。ですから、まあ、そうですね、飢饉があったときの貧村の一部にはあったのかもしれませんね。

 今ついでに思いましたが、わずか1カ月ちょっと仕事をしないだけで、店や会社がつぶれるのはどういうわけなんでしょう。家賃と、従業員がいるせいでしょうか。農家なら台風や飢饉で農作物が全滅というのはよくあることで、ですから貯えというのは普通は最低数か月分はあるべきで、あるはずだと思うのですが。
 しかしまあ、こういうことがあるので、まずは老婆を捨てようという発想になるのでしょうか。女性はかわいそうなものです。男は働いて働いて早死にして男もまたかわいそうなものですが。

 自然死については、いい話を知りました。ありがとうございました。
「断食往生」ですか。なるほど、確かに餓死という方法なら痛みもなく、自然に衰退していくので楽に死ねそうです。日本では注射による安楽死はできませんし、その注射を打ってもらうのもかなり怖いでしょうが、食べないで老衰していくのは容易そうです。
 私は病気をしたとき、食欲がなくなったことが何度もあり、それは別に苦しいことではなかったので、いざそうなったら周りの人に迷惑を掛けないためにその選択肢を覚えておきたいと思います。
 そういえば断食を一か月ぐらい続けて、かえって心身共に良くなった事例が幾つもあるようですが、それは若い体力のある人に限るのでしょう。

 “反”儒教思想の“子孝行”のため、ぼつぼつ探り始めていますか。その家族愛と覚悟はいいですね。しかしまた、そういう心情があるので姥捨て伝説を否定しないのでしょうかね。

 私は妻には、不要な延命治療はしないでいいと言ってあるので問題はないと思いますが、ただ、病院に献体することになっているので、やせ衰えた細い体になるとうまく解剖できるのかとちょっと気になります。
 希望はピンピンコロリなんですが、それは滅多にないのでしょうね。

2020/05/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re:Re: 《爺婆捨て山》現代バージョン

 倍返しの長文の返コメをいただき有り難うございます。
 「口減らし」の最大なものは嬰児殺しで、世の中が長期に安定してくると人口圧で嬰児殺しが盛んになるようです。それも女の子を中心にして。欧州では中世がそうでしたし、日本では江戸時代がそうで、それ以来水子供養も始まりました。文明からかけ離れたアマゾン奥地「ヤモマミ族」では「口減らし」のため今でも嬰児殺しが行われています。「姥捨て」しても人口圧は防げませんからね。
 そうした点からしても、「姥捨て」は飢饉のとき限定のマレな口減らしであったと思われます。

 「ある年齢以上の高齢者だけが特定の場所に行く所があって、そこで彼らが自給自足をして死ぬまで生きていたという話」、これは「爺婆捨て」ということになりましょうが、何年か前にTVドラマで見た記憶があります。しかし、これはにわかには信じられないですね。

 長期断食をすると高齢者であっても健康を取り戻すことができます。特に頭がすっきりしてきますが、中村仁一氏の望んでおられる「断食往生」の場合は最後の7日間は一切の飲食を断つというやり方で、脱水症状を起こして死に至る、というものです。こうした「断食往生」は過去に複数の僧侶が行っています。
 それを念頭に小生も訓練のため3日断食(前後の少食を合わせて1週間断食)を行なったことがある(空腹感はなし:水分はしっかり補給)のですが、はたして28日間も断食するなんて根気が自分にあるのか、とても保証できそうにありません。
 一番いいのは畑での凍死ですが、このような楽をすると、これは自殺で、後味が悪い。真夏に畑に出掛けて熱中症でぶっ倒れて事故死に見せかける、という方法も選択肢の一つ。近所のお婆さんで99歳で亡くなられた方は、90歳過ぎに真夏に2度も畑で熱中症で倒れられ、誰かが発見して救急車で医者へ運ばれ、助かってしまいましたが、彼女は死に場所を畑に求めたのではないかと勘繰ってしまいます。
 死に方は人様々ですが、健康を害し、“もうおいとましよう”と決断出来たら、1週間飲食を断つ(当然に点滴もなし)という行動に出れば、楽にあの世へ行けるのは確かなようです。

 言われてみると、「“反”儒教思想の“子孝行”」と「姥捨て伝説の肯定」は密接に関連していますね。今まで気が付きませんでしたが。
 「不要な延命治療はしないでいい」、このことはやはりしっかりさせておいたほうがいいでしょうね。小生も女房もそうしています。
 人間、70年も生きたら、“あとは楽しく楽して死のう!”ですよね。これが、小生の死生観です。
 献体もいろいろあって、はじめて医学生の勉強になるというもの。解剖の腕を一気にあげてあげられましょうぞ。そういう小生、まだ献体するかどうか決めかねています。

2020/05/16(土) |URL|薬屋のおやじ [edit]

こんにちは

「楢山節考」 青空文庫にはまだなかったです。
秋の夜長などに語り継がれていろんなバリエーションが
出来たのかも知れません。
一番の「木の枝」に母の愛が感じられてじんと来ました。
いつも不思議に思うんですが、「楢山節考」、このタイトルって
ちょっと奇異な感じがしません?
「節」、「考」っていったい何なんでしょう。
最近のおばあちゃんたちはたくましくなって、「捨てちゃうよ」などと
冗談で言っても鼻で笑われ逆にこちらが捨てられてしまいます。(笑)
友人の息子さん、テコンドーを習っています。
今のご時世で道場が閉鎖されているんですが、その道場主さん、
ちゃっかりしていて携帯で一回2000円で指導しています。
息子さん携帯手持ちでキックなどかましています。

2020/05/16(土) |URL|エリアンダー [edit]

先進国は勿論、新興工業国…特に中国は医療の近代化によって高齢化が急速に進み、日本よりも早く若者と高齢者の比率が逆転するとか。
なので今回の騒動は、役に立たない癖に国家予算を食う老人を廃棄する為に中国政府が仕掛けた姥捨て山戦略…と言う線もありそうです。
現に若者の死亡率は数%しかないのに、老人の死亡率は80%近くに上り、イタリアやイギリスなど高齢者人口の多い国で被害が出てます。
けれど、コロナで死ぬか?(倒産して)首吊って死ぬか?を迫られるほど働き盛りの壮年が苦しんでますから、老人廃棄は計画倒れです。
ニューコロナウォーズを映画化するより、トム・クランシーのスパイ小説ばりに「習近平の陰謀 ~中国楢山節考~」を撮影して告発してはどうかと思います。
尤も、制作した中国人監督はたちまち失踪して行方知れずになるでしょう(笑)…今回の件では批判して失踪した医師やジャーナリストが随分いたようです。
まぁ、中国は国家自体がマフィア組織の様なもんですから「新ゴッドファーザー・ドン習近平」と言う映画も面白いかも知れません。
♪広い世界の真ん中に~ やがて俺様の世の中が来る~ 逆らうやつらに~ 言葉はいらない~(笑) 

2020/05/16(土) |URL|sado jo [edit]

Re: Re:Re: 《爺婆捨て山》現代バージョン

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)

 またまたご丁寧な教示、ありがとうございます。
 長期間の断食をすると健康と精神にも良いようですね。ユダヤ教にも年に一日「断食の日」がありました。「贖罪の日」に関連して「あなた方は自分の魂を苦しめるべきである」と命じられていて、これが一般に断食を意味していると理解されています。(レビ 16:29-31; 23:27; 民 29:7)
 西暦前7世紀頃、エルサレムが他国に攻撃されていたときは、断食を年に4回していました。こんなに熱心に断食しているのですから、どうぞ神よ、我々を助けて下さいと神に願ったのでしょう。

 旧契約の仲介者モーセと新契約の仲介者イエスは40日間の断食を行なっていますが、1世紀の偽善者として知られるパリサイ人は、律法には定められていないのに週に2回、週の2日目と5日目に断食するのを習慣としていました。これは自らの義を世間に示そうという、いやらしい動機でそうしたようです。

 永築さんは断食の経験者でしたね。一日三食ではなく食事量をかなり減らし、さらに美味グルメ志向ではなく、医食同源を旨とし、漢方式の体にいいものを摂る生活を何十年も続けてきたようで、言行一致、そこらへんの薬屋さんとは違うようです。
 断食では根気が一番大事ですか。水も飲まなければ喉はカラカラ。苦しくないのでしょうか。もし飲んだら命がもっと続きそうですが、喉を湿らせる程度ならいいのでしょうかね。体に管を突っ込まれ、一切なにもできない状態で生き長らえるのはいやですから、楽に逝きたいものです。僧侶の場合は地面に穴を掘って埋められるのもありましたが、私は閉所恐怖症なのでこれは御免蒙りたいです。

 一つ思い出しましたが、以前、職場の20代の女の子が、1か月ぐらい職場にいないなと思っていたら、何を思ったか「断食をしてきた」と言うのです。大体がちょっと変わった女性でしたが、以前と比べて(目付きではなく)目がすっかり変わっていましたね。
 私は伝道を長年してきたので、宗教に口先だけではなく本当に心から信じている人はすぐ分かるのですが、それは目を見ると目の奥にある(霊のようなもの?)が違うのです。目の奥に常人とは違う冴え切った冷たい光のようなものがあり、ちょっと怖ろしい感じがします。
 別に悪人の目だというのではないのですが、明らかに普通の人とは違う目があります。以前、何かの古武道をやっていて、目をつむっても相手の動作が分かるという達人っぽい男性に会ったことがありますが、その人の目も同じ目をしていたので、その話は本当だろうと思ったことがあります。
 だから断食はみな危険だという意味では全然ないのですが、断食はその道場や目的によってはちょっと違う世界に連れていかれることもあるようです。むろん精神を磨くためや、肉体を浄めるための断食には良いものがあるのでしょう。

 “あとは楽しく楽して死のう!”はいいですね。私も同意します。が、ただ、楽しくすることに慣れてないので、なにをしたら楽しいのかよく分かりません。いま一番楽しいのは、ブログを書いて、こうして会話ができること、また他のひとのブログを見て、いろいろ知識が増えることですかね。そういうとき、ああ、こういう時間をもっと前から楽しみたかった、もっと長生きしたいものだ、とつくづく思います。

2020/05/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 
 秋の夜長に語り継がれていくうちにバリエーションが増えていった。なるほど、昔は書物ではなく、年寄りからの口承口伝がメインですからね。聞いた子供は怖ろしい思いをしたでしょうが、話す親のほうも怖ろしい思いをしながら話したのでしょう。童話もそうですが、本当は怖い民話なんですね。

 ①枝折り捨て型がジンと来ましたか。私もこれが一番好きですね。白い花を捨てたというヴァージョンもあって、映画なら白い花が夜道にぼっと浮かび上がって見えるのも感動的なシーンになりそうです。この枝(花)捨てがないと、単なる人捨ての怖い話のままで、代々親から子へと語り継がれる民話にはならないのでしょう。

 楢山節考の「節考」とは何か。これは私もそう思いましたが、これは「楢山節・考」ではないかと思います。ドンキ・ホーテではなく、ドン・キホーテのようなものです。
 作者の深沢七郎は、かつては日劇ミュージックホールに出演していた人で、エルヴィス・プレスリーの大ファン。ビートルズやジミ・ヘンドリックスも好んでいて、かなり音楽好きのようです。テレビ映画『ララミー牧場』を真似たラブミー牧場という名の農場(ですか)を作っていますから、作家としては変人というか、かなり面白い人だったようです。

 そのせいもあるのでしょう。この書の中に劇中歌が20ぐらい散りばめられています。七郎自身が作詞作曲した歌、すなわち「楢山節」が全編で歌われていて、それを軸のようにして物語が展開していきます。
 この山奥の寒村には、歌で歌われる以外のことは起きません。歌の中に喜怒哀楽が全部込められています。昔から同じようなことが同じように変わらず毎年毎年行なわれ、盆、暮れ、正月と同様に、この姥捨てもその一つの習わしであった。当時の村の人々のそうした日常のことについての「考(察)」なんじゃないでしょうか。

 私が姥捨て山伝説で、それは無かった説のほうをひいきするのは、嫁というのは妻になって何十年かすると必ず(あるいは得てして)夫より強くなるので、実話なら婆捨てより爺棄て山のほうが真実性があるのではないかと思うからです。あ、むろん、エリアンダーさん宅では違っていて、革製の分厚いソファかイギリス調のロッキングチェアに座って夫婦仲良くのほうだと考察しますが。(笑)

2020/05/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 今回の新型コロナウイルスは変わった特性を持つ肺炎のようですね。もっぱら高齢者だけ、それも持病持ちの弱い人が狙われているようです。
 ですから客観的に冷めた目で見ると、地球というビッグマシーンの古くなった微小パーツだけの交換が迫られているようにも見えます。こういうとお前は情愛がないと言われそうですが、客観的に見ればの話です。

 ある教授(76)は、この新型コロナウイルスは、例年のインフルによる死者を減らしていて、プラスマイナスすると死者はコロナのほうがずっと少なかったから、かえって良かったとも見ることができると言っています。しかも年寄りの七十代とか八十代は放っておいても死ぬ年齢なのだから、どうしてそんなに怖がるのか、騒ぎ過ぎだと言っています。この教授の話は、世界は別として日本には当てはまりそうです。

 確かに自粛ゆえに店をたたみ、失業し、自殺に至る人もいるでしょうから、ここらあたりで自粛を解くのがいいのかもしれません。ただ怖れて自粛しているだけなら、また冬が来れば流行しだすでしょうから、それよりも今から免疫を付けることや、また来たときのための体力をつけるなどの予防措置を今から考えることが大事なようです。

『習近平の陰謀 ~中国楢山節考~』ですか。面白そうです。制作(政策):周隠蔽、協賛(共産)WHOテロロス・アダノム、世界一斉公開(後悔)になりますかね。

 トム・クランシーのジャック・ライアンシリーズなら、『レッド・ウイルスを追え』とか『いま、ここにある危機』とか『米中開戦』とか、ジャック・ヒギンズなら『ワクチンは舞い降りた』などはどうでしょう。私なら、スティーヴン ハンターの『極大射程』に出てくるボブ・リー・スワガーが一発で仕留めるほうが手っ取り早くて好きですが。(笑)

2020/05/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ様
こんばんは。

93歳の母親と暮らしている身にとっては深刻な話です。
いけないこととは思いながら母親がいなければどれだけ楽だろうと思うこともあります。
老人ホームに入れるのも姥捨て山と通じるところがあると思います。
生きていられるというのが違うだけでしょうね。
私などまだいい方で身体の自由が効かないのに親の面倒をみなければならない人もいます。
これに経済的困窮が加わったら姥捨て山に似たようなことも起こり得ると思います。
すべて寿命が伸び過ぎたことが原因でしょうね。

愛新覚羅

2020/05/16(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 93歳は長生きですね。普通だと、おめでとうございますと言うべきところでしょうが、世話をするのは決して楽ではないでしょう。

 私の知り合いで、やはりその位の年齢の女性がいて、夫に先立たれてから家で一緒に住んでいた次男が、結婚もしないまま60代で病死してしまったものですから、それまで母親の世話をしていなかった長男がその母親を養老院に入れていまいました。お金持ちでしたから、良い設備の施設に入れたのではないかと思っていますが、どう暮らしているやらと思っています。

 教授は、優しいので、よく面倒をみています。立派です。しかし健康体ではないので、教授自身がもし動けなくなったら、そのときは大変ですね。

 私はもう両親とも亡くなっていて、親戚づきあいをしている人もいないので、妻を看るか、私が看られるかですが、あまり面倒を掛けるのは嫌なほうなので、一週間断食往生法で逝くことでも考えたいと思っていますが、できるなら、ぽっくりがいいと願っています。

 昔、西行法師がこう詠みました。

 願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月の頃
 できることなら2月の満月の頃に死にたいと願っていたのですが、実際にその言葉通り、その2月15日の「釈迦の命日」の翌日に亡くなったのだそうです。

 私も考えましたが、私はいつ頃というのはないですね。人はみな自分の死ぬ時を(潜在意識では)自分で定めている、というのですが。

2020/05/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、いつもありがとうございます(^^♪

今回の記事を読んで、自分の母親はもちろんのこと、日々接する介護事業所のお年寄りたちのことを思いました。
認知症を患い、自分の力で歩くことも排泄することもできなくなった高齢者たちをお世話しながら思うことは、自分だったらここまでの状態になってまで生きていたくないし、何よりこんな場所にも居たくない。なのに自分は事業所をそういう場所(自分が利用者の立場でも居たいと思える場所)にできていない、という葛藤です。
自分がここに居たいと思えるような事業所にしていくことは、自分が経営者になるしかないのだと思うのですが、経営者になったらなったで、理想と現実(ビジネス)の狭間で苦しむことになるのでしょうね。
やはり介護や保育といった人の命を預かる職業は、公務員として位置づけられるべきものなんだと思いますね。
そのためには緊縮財政からの大転換が必須ですが、現政権にそんな気はさらさらない様子です。
それでも、ニューコロナウォーズ「人類の覚醒」編「新たなる希望」編を紡ぎ出すために、足掻き続けるしかありませんね。

2020/05/17(日) |URL|友資 [edit]

Re: バーソさん、いつもありがとうございます(^^♪

友資さん コメントありがとうございます^^)

 そうでしたね、友資さんの仕事は、まさに今回の伝説の舞台を見るような仕事でしたね。友資さんは家族の世話とペットの世話とYouTubeとブログの訪問まで、多忙な中、毎日よくやっています。いま就いている仕事は、性格的に出来る人と出来ない人がいて、出来ない職員は仕事がつらくなり、老人ホームや障害者施設で悲惨な事件を起こすのでしょうかね。
 日々、入居者を見ていると、自分が本人だったらどうするかを考えさせられていますか。精神的にもかなり大変な仕事なのでしょう。
 で、この続きは友資さんのブログに書きますね。

2020/05/17(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2020/05/18(月) || [edit]

断食あれこれ

再度返コメいただき有り難うございます。
バーソさんは断食にけっこう興味がお有りのようで、ユダヤ教の断食などにも詳しく、とても参考になりました。
宗教の世界で、断食で一番有名なのはイスラムのラマダンでしょう。イスラム世界は肉食中心の食生活ですから、断食が絶対的に必要になると考えていいと思われます。
動物は基本的に窒素過多を避けようとします。つまりタンパク質過多を嫌うのです。でも、食べ物が窒素系に偏れば、それを食うしかないです。そうした場合に、体の中に溜まった不要な窒素化合物を抜く一番の方法が断食。完全肉食のライオンは通常1週間に1食で、6日間断食をして体をクリーンにする、といった塩梅です。
ヒトも肉をたらふく食ったら、やはり断食しなきゃ健康に良くないということになり、イスラム世界ではラマダンが制度化されたと考えられます。実に理にかなったものなのですが、現実には日が沈んだらどんちゃん騒ぎするお祭りと化し、逆効果。もっとも、ラマダン中は、毎日、日中のミニ断食でそれなりの効果は上がっていると思われますが。
バーソさんにもおすすめしますミニ断食。
ブログに何本も記事にしていますが、一番最初に読んでいただくとすれば、次の記事です。
<1日3食でもって皆が「エネルギー変換失調症」になっています>
https://blog.goo.ne.jp/miyakekazutoyo230910/c/e1d6c32605040c8f96d6825f19b6105a

「水も飲まない断食」は死に際に行うものですが、そのとき“喉が渇いてかなわん!”と感ずるようだったら、“まだ元気すぎる”から死ねない、ということかもしれません。このへんの体験者は、まずおみえになりませんから、小生もわかりかねますが。

他の方への返コメで「西行法師」のことが書かれていましたが、西行さんは計画的に断食往生なさったか方です。残念ながら1日余分に生きしてしまわれましたが。

2020/05/19(火) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: 断食あれこれ

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)

 わざわざまたありがとうございました。
 西行が計画往生だとは知りませんでした。私は、精神力が強いのでそうなったのかと思い、ちょっと憧れていました。

 イスラムの聖典は、旧約聖書(モーセ五書と詩編)と新約聖書(福音書)とクルアーンですから、ユダヤ教徒といろいろ似たところがあります。

 古代イスラエルの断食は年に一日。目的は「過去の罪に関して敬虔な悲しみと悔い改めを表わす行為」でした。
 イスラムの断食(ラマダン/聖なる月)は一か月で、日没から日の出までの間に水分の多い食事を軽めにとるそうです。
 Wikipediaによれば「空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。また共に苦しい体験を分かち合うことで、ムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付や施しが行われる」そうですが、このラマダンを薬学的に考察すれば、それは蛋白質過多、すなわち窒素過多を避けるためなんですか。
 なるほど、そうなのかと思いつつも、昆布の旨味と言わずにグルタミン酸ナトリウムだと言ってるような西洋医学的な味気なさがちょっとありますね。(笑)

 おすすめの記事。これは以前に読んで覚えています。が、また読みました。さすがに三日断食はちょっと大変そうで、実行するのもかなり無理そうです。
 断食をしている人や仏教やチベットの高僧は、大抵ひょろっとした細い体をしてますが、それでも心身ともに芯は強そうに見えます。
 しかし体に脂肪が少ないと、ラクダのこぶがないのと同じで持久力が弱そうに見え、新型コロナには大丈夫なのかと思います。もちろん金正恩のようにパンパンに太っていると、逆に危ないのではないかと思いますが。

 しかし胃袋さんも年中無休で大変ですね。たまには断食にして、最低でも週休制にするのがいいのでしょう。断食は医学的にも理に適っているのですね。

 我が家では、断食は許してもらえないと思います。栄養を摂らないといけないと言って、いつも私にとっては腹十分以上食べさせられますから。といっても、主食は、夜はお茶碗にご飯は一杯だけ、朝は五枚切りの食パン半分だけなんですが。二人ともグルメではなく、粗食系のほうなので、心身にはいいとしても気分的にはいいんだか悪いんだかです。(笑)

2020/05/19(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2020/05/20(水) || [edit]

こんにちは、

一汽車遅れのコメントで済みません。

「楢山節考」や「南極物語」は
胸が締め付けられて、
極力観るのは避けている映画です。

深沢七郎のエッセイを読んだことがあります。
デパートの食品売り場の一角を買い取り、
大判焼きを焼いていたそうです。

と、いつも関係のないコメント、
申し訳ありません。
最近、土曜日の朝(こちらの金曜日の晩)を
楽しみにしています。
いつも更新なさるのが土曜日なので。

2020/05/31(日) |URL|ミルティリおばさん [edit]

Re: こんにちは、

ミルティリおばさん コメントありがとうございます^^)

 何周遅れでもいいですよ。はるばるイタリアからコメントしていただけるだけで当方は大感激です。コロナのほうは大丈夫のようで良かったですね。

「楢山節考」も「南極物語」も映画は観てないですが、話は知っています。涙なくしては観ることができない映画なのでしょう。
 私は本は椅子に座って読むより寝ながら読むほうが楽なのですが、「楢山節考」のほうは読んでいる間、涙が出っぱなしで、枕が濡れました。

 実際に自分がその状況になったら、置き去りにされる恐怖があって、耐えられるだろうか。60歳ならまだ体は元気ですから、山を降りて家に帰りたい気持ちと戦うのが怖ろしそうです。

 でもこの話では、自ら山行きを希望するのですから、貧乏は嫌ですね。人生で最大の不幸は貧乏ではないでしょうか。
 カネがすべてではないですが、生きていくための最低のカネがないと人間としての尊厳を保てません。

 上を見れば不平不満を言いたくなり、隣りを見れば愚痴を言いたくもなりますが、昔を見れば今はかなりいい世の中ですね。そう思えば少し以上幸せな気分になれそうです。

2020/05/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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