「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 「汝、殺すなかれ」は死刑反対の聖書的根拠になるか。 


「もっと光を」とはゲーテ臨終の言葉として知られている。
 これをいかにもゲーテらしい霊的な深い言葉だと言えば、それは間違っている。
 実際は部屋が暗いので「もっと光が入るように寝室のよろい戸を開けてくれ」という意味だったからだ。

なんじ、殺すなかれ」と言えば、モーセの『十戒』の6番目の戒めだ。
 フランシスコ教皇は「この戒律は絶対的な価値を有し、罪のない人にも罪を犯した人にも当てはまる」と語ったことがあるが、過去、少なからぬ作家や知識人や最高裁判事も、この言葉を死刑反対の根拠の一つとしてきた。

 しかし「汝、殺すなかれ」を根拠に、「だから死刑は国家の人殺しだ」と主張するのは、聖書的には間違っている。

 今回は、死刑制度に賛成か反対かの論議というよりは、汝、殺すなかれ」の正しい意味を考えてみたい。


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――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 まず重要なことは、どんな聖句も文脈と他の聖句も考慮して解釈すべきことだ。

 古代イスラエルには基本的な原則として『十戒』があり、その下に具体的な規定として『律法』が600以上あったが、その『律法』では、過失致死ではなく、故意に殺人を犯した悪質な犯罪者は必ず死刑に処せられることに定められていた。

 国に生れた者でも、他国の人でも、故意に罪を犯す者は主(神)を汚すもので、
その人は民のうちから断たれなければならない
民数記15:30
 
 イスラエル人と在イスラエル人の差別なく、故意の殺人者は「断たれなければならない」とは死刑にすべきだということで、大抵の場合、石撃ちで処刑された。

 だから「汝、殺すなかれ」とは、どんな宗教教団や道徳団体、また国家の法律でも言われている《殺人はいけない》という一般原則論を述べた戒めに過ぎない。『十戒』と、さらに『律法』も読めば、正しい意味は容易に分かるはずなのだが。


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 いや、古代イスラエルの旧約時代はそうでも、イエス登場後の新約時代は違う。イエスは「汝、殺すなかれ」の戒律に反対した、という反論があるかもしれない。
 では、マタイ5章の文脈を見てみたい。

昔の人々に、『殺すなかれ。殺す者は審判にあうべし』と命じられていたことは、あなたがたも聞いていることである。しかし私(イエス)は言う。・・・兄弟が自分に反感を持っていることを思いだしたら、早く仲直りせよ。訴訟の相手とは、法廷に向かう前に問題を解決せよ」マタイ5:21-25抜粋

 イエスは最初、『十戒』から「汝、殺すなかれ」を引用し、次に「しかし私は
(違うことを)言う」と言って、その戒律を否定し、結論で「仲間と和解せよ」
と言っているのだから、イエスはすべての殺人を非としていると言われる。
 だが、「・・・」で省略された部分には、こう書かれている。

兄弟に『馬鹿』と言う者は、最高法廷に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の燃えるゲヘナに投げ込まれる

「ゲヘナ」とは「ヒンノムの谷」の意で、エルサレム市内の汚れた物や死がいが硫黄と一緒に燃やされていたゴ三焼却場のことだが、「地獄」と訳す聖書が多い。

 つまり兄弟(同国人)を「馬鹿」とか「愚か者」と言って罵り続けるような者は、ユダヤの最高法廷で裁かれ、最後はゲヘナで焼却され、いわば神の法廷でも裁かれるので、そうなる前に「兄弟と和睦せよ」と言われているに過ぎない。心の中で憎しみを持続させれば、殺人に発展し、人を殺したら死刑にされるからだ。


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 いや、イエスは「剣を取る者は剣で滅ぼされる」と言った。イエスは、剣を持つことさえ禁じている。だから死刑はいけない、と反論があるかもしれない。

 この文脈は、イエスの最後の晩、裏切り者のユダと祭司長と大勢の群衆が剣やこん棒を持ってやってきてイエスを捕らえたとき、使徒の一人が剣を抜いて大祭司の奴隷の耳を切り落としたが、それを見たイエスが言った言葉だ。

 イエスは「剣を取るな」とは言ってない。「剣を取る者は剣で滅ぶ」ものだという格言的な原則論を述べただけだ。今は剣を引っ込めないと私と一緒に当局に捕縛される、と使徒に警告したに過ぎない。


 イエスは剣を否定していない。このちょっと前、使徒たちにこう語っている。

今は、剣のない者は、自分の上着を売って剣を買うがよい。『彼(キリスト)は罪人の一人に数えられた』(イザヤ53:12)と書いてあることは、私の身に成し遂げられねばならないからだ。 ・・・弟子たちが言った。『主よ、ここに剣が2本あります』。イエスは言った。『それでよい』」ルカ22:36-38

 冒頭に「今は」と言われているのがミソだが、暴徒が来るのが分かっていたので、万一のための用心として剣が必要だったのだ。イエスは自衛権を認めている。


 イエスは天に復活後、「最後の審判」の日には死刑執行者として行動する。

 それ(神の審判)は主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、私たちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復する。彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。テサロニケ第二1:7-9

 これは使徒パウロが書いた言葉だが、「最後の審判」は信じないでも、聖書では、神も、イエスも、使徒パウロも、死刑を当然としていることは分かるはずだ。


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 結論、「汝、殺すなかれ」は死刑反対の根拠には使えない、である。






(冤罪の危険性については、次回の記事で扱う予定です)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
遠藤周作は戦時中、教会で「汝、殺すなかれ」と教えられたことと、戦争で戦うこととの矛盾に苦しみ、キリスト教を棄てようかとずいぶん悩んだそうだが……。

●日本は死刑制度があって「野蛮だ」と言われるが、日本は死刑執行については非常に慎重だ。欧米のように警官がすぐ犯人を射殺することもない。日本の殺人発生率は世界でほぼ最下位。「死刑は世界の潮流から外れている」と言うなら、自衛隊が違憲だと言うのも世界の常識から外れている。

●「汝、殺すなかれ」は死刑制度にも適用すべきだと考える人は、日本が侵略されて何万人も殺されて領土が奪われても自衛隊が発砲することに反対すべきで、銃を学校で乱射して何十人も殺している犯人を警官が射殺することにも反対すべきで、自分や家族を殺そうとする強盗を正当防衛で殺すことにも、紛争地域の一方を支援することにも強く反対しなければ、その主張には一貫性がない。 一人二人ならいいが、大勢殺すのは良くないと言うなら、「汝、大勢は殺すなかれ」と言うべきだ。

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COMMENT FORM

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時と場合を除いて「汝、殺すなかれ」?

聖書を読んでいた時代もですが、
今回の記事を読んでいても
『どっちやねん❢』と思います。(笑)
現状、死刑廃止国が圧倒的に多いですが、
個人的には全面廃止には賛同しかねます。

問題は更生の可能性。
日本だと過酷な強制労働があるわけじゃなし、
食と寝床が保証される暮しを好む受刑者などは
税金の無駄遣いに思えますし、
被害者の心境を思えば、死刑そが最高刑かもしれません。
一方、その精神に『更生』への思いがあれば、
死刑ほど無慈悲な手段もありませんよねぇ。

(o´_`o)ハァ・・・難しいです。
自分の中でも『どっやねん❢』(笑)

2020/02/22(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

死刑といえば、やまゆり園の植松被告の裁判が行われていますね。被害者の家族の人は極刑でもたりない。もっと重い刑罰はないかと言っているそうです。

死刑というものは人を殺すと死刑になると言ういましめ的なものかと思います。
犯罪者のなかには死刑で楽になりたいと願っている輩もいるということです。
であればいましめの意味がなくなってしまいます。

犯罪者が一番こたえることを刑として与えると犯罪の抑止力になるかも知れません。
例として手足を切断して生かしておくとか、家族を死刑にするとか。
私が考えても自分が死刑になるより辛いと思います。

愛新覚羅

2020/02/22(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 時と場合を除いて「汝、殺すなかれ」?

風子さん コメントありがとうございます^^)

> 時と場所を除いて「汝、殺すなかれ」
 これは情状酌量付きの死刑制度がいいということですかね。故意の殺人でも死刑にしたくない場合がありそうですから。例えば親の仇、子の仇。これは討ちたい気持ちが分からないでもない、と裁判官も陪審員も思いそうです。
 ただしこれを拡大解釈され、憎い相手を殺しても死刑にならないとなると問題ですが。

 古代イスラエルでは「少年法」というようなものはなく、誰でも13歳になったら「律法の子」と呼ばれ、大人扱いされました。ですから、ほんの少年でも悪質な犯罪なら大人にされるのと同じ重い処罰がされたのでしょうが、ただし情状酌量はあって、年齢なりの事情が考慮されたようです。

 「汝、殺すなかれ」について論じたのは、最近この聖句を根拠にして死刑制度に憤慨している人を複数知ったからですが、その聖句解釈は間違っていると思ったのと、世間には「一切ひとを殺してはいけない、それは人道に反する、死刑は国家の人殺しだ」と思い込んでいる人が多いので、今回は死刑反対論に軽いジャブを打ったつもりです。
 次回は、少し重めのストレートを打つ予定ですが、ただ、やわらかめのパンチを打っても必ず重く打ち返したいと思う人がいるでしょうから、また「驚きました」とか言われ、今でも少ない読者を失うかもしれません。(笑)

2020/02/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 45人も殺傷したのに、「無罪」を主張する弁護士はなんなんだろうと思います。情状酌量による「無期懲役」を主張するならまだわかりますが、大麻はタバコより害が少ないと言われていますし、弁護士とは正義と公正を獲得する職業じゃなく、とにかく被告を無罪にする職業だなと感じます。

> 死刑というものは人を殺すと死刑になると言ういましめ的なものかと思います。
 そうですね、その戒めがあるのと無いのとではだいぶ違うと思いますが、死刑制度がなくても殺人数は減らないという意見がけっこうあるようです。死刑制度がないと間違いなく殺人は増えると私は思うのですが。

> 犯罪者が一番こたえることを刑として与えると犯罪の抑止力になるかも知れません。
例として手足を切断して生かしておくとか、家族を死刑にするとか。
私が考えても自分が死刑になるより辛いと思います。

 いいですね。市中引き回し、そして獄門さらし首。古代イスラエルでは残酷な石撃ちで死刑になったのは、それを見た人が恐れて悪事をしなくなるからだと言われています。
 日本の江戸時代は犯罪が少なかったのは、十両盗んだら死刑というように刑罰が重かったのが原因の一つにありそうです。

 4,5年前、フィリピン大統領が「24時間以内に投降しろ、さもないと銃殺する」と発表し、麻薬王を射殺し、実際に警官が麻薬の売人を射殺して回ったら、みな手持ちの麻薬を持って自首してきたので、刑務所が満杯になってあふれた写真を見たことがあります。死者は5000人に達するということですが、市民は安全になったとして喜んでいるようです。

 プーチンは政府要人を殺した暗殺者を捕まえたとき、その遠い親族まで三十何人も殺したので、暗殺組織が怖れしまって二度と同様な暗殺事件は起きなかったのだとか。確かに、これは怖ろしいでしょう。ロシアはオソロシアですね。(笑)

2020/02/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

記事を読んで真っ先に頭に浮かんだのは、ミッキー・ロークがIRAのテロリストを演じた「死にゆく者への祈り」でした。
マーティン(ミッキー・ローク)は、罪もない子供達が乗ったスクールバスを、相手がプロテスタントだからと言う理由で爆破します。
その足で涼しい顔をして教会の牧師に罪の懺悔をするのですが、牧師は告白された信者の秘密を守る義務があるので警察に訴えられません。
あのロークの名演技は今でも記憶に残っています…一般的に、映画やテレビでヒーローなる者がが敵を倒す時によく使う言葉があります。
「天に代わって成敗いたす」「神の名において正義の裁きを下す」…そこには人の死を一人で背負いきれない人間の弱さが表れています。
獣はただ殺しますが、人間は「国家の為」とか「民族の為」とか「アラーの為」とか、何かしらの大義名分や理由を付けて人を殺します。
現に殺人事件の裁判でも、被告は何が理由で人を殺したのかを明かそうとします…してみると、人間は人を殺すのに理由が必要な訳です。
民主主義における死刑と言うのは、国民全員が死刑囚の死に対して責任を負います。とても天に代わって…などと傲慢にはなれません。
バスを爆破されて死んだ子供達の死も死、原爆で焼かれて死んだ人々の死も死、絞首台で絞殺された死刑囚の死も…また死には違いない。
ちなみに死刑執行を行う執行官は一人ではなく複数人居て、誰が押したボタンで刑が執行されたのか?分からない様にしてあるそうです。

2020/02/22(土) |URL|sado jo [edit]

言い忘れましたが

映画「死にゆく者への祈り」では、教会の懺悔室でミッキー・ロークが涼しい顔で神父さんに大勢の子供を殺した罪を告白します。
神父さんは一瞬たじろぎますが、それでも「神の名においてあなたの罪を許します」と、ミッキー・ロークに告げるんですよ。
ロークが「警察には言いませんか?」と言うと、神父さんは「神に誓って言いません」…そこでロークはニヤッと笑って立ち去ります。
二人の迫真の演技も含めてこのシーンにはものすごく感動しました…例え相手の懺悔が嘘あっても、架上のキリストの如く汝の罪を許す。
普通、どんな宗教でも開祖の振る舞いは廃れて行きます。だがキリスト教にはそれが残っている…なるほど2千年間続く訳が分かりました。

2020/02/22(土) |URL|sado jo [edit]

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2020/02/22(土) || [edit]

Re: 言い忘れましたが

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> 「天に代わって成敗いたす」「神の名において正義の裁きを下す」…そこには人の死を一人で背負いきれない人間の弱さが表れています。
 なるほど。そういう見方もありますね。人は何か理由を付けないと人を殺すことは出来ないのでしょう。それは人間の内部にある良心の働きと本能的な愛という特質に関係しているでしょうかね。

 じつはこの記事を書こうと思ったのは、ネットを見ていたら、死刑に強く怒っている人がいて、その理由は、死刑にすると加害者が殺人をした理由や原因が分からなくなる。殺人は社会がそうさせたのだから、生かしておいて社会の悪を追究したほうがいい、みたいなことが正論としてきちんと書かれていたからです。

 ほう、個人がした勝手な殺人を社会のせいにするのかと思い、まあ、いろんな理由付けがあるものだと(良い意味ではなく)感心したのですが、死刑反対論の根拠はじつにいろいろありますね。中には、無抵抗の人(捕まった殺人者)を殺すのは残虐だという意見もあって、これは反論がちょっと難しいかなと思ったものです。ただ、無抵抗と言ったって、捕まったから無抵抗なわけで、捕まってなかったら連続殺人をしてたかもしれず、しなかったとしても最初の殺人はおそらく無抵抗か、ほぼ無抵抗状態の人を残虐に殺したかもしれず、あるいは何人も無残に撃ち殺した後、やってきた警官に向かって両手を挙げただけかもしれないのですが。

 話が戻りますが、「人の死を一人で背負いきれない人間の弱さ」という理由の他に、殺人者が天や神を持ち出すのは、悪漢に正義が冒されたので自分が代行して裁きを執行するのだという、自分なりの「正義感」もありそうじゃないですか。IRAのテロリストなら、国家独立のためという大義名分がありそうです。ハリソン・フォードハリソン・フォードの『パトリオット・ゲーム』もそんなIRAが出てくる映画でしたかね。民族と民族の紛争が絶えない地域は大変です。

 神父への懺悔のシーン。その映画は見てないので一般論的な感想を言いますが、私は、懺悔とは罪を悔いる行為なので、それはいいのですが、懺悔(告解)という行為をしたら神父(人間)が神の代わりに人を赦すという偉そうな仕組み(ゆるしの秘跡)には同意できないですね。なぜなら聖書では、神だけが真実には人の罪を赦せることが書かれていて、聖書の教義に反しているからです。カトリックの「七つの秘跡」は非聖書的なおかしな教えだと思っています。せっかく感動した映画に、こう言ってしまうと身も蓋もないですが。(^^ゞ

2020/02/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

[太字]鍵コメVAさん コメントありがとうございます^^)

 そうですか。それは半分冗談で、半分謙遜だろうと思っていましたよ。
 コメント投稿の件、じつは、そうしてほしいと提案しようかと思っていました。ありがとうございました。(^^)

2020/02/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

先に結論ありきの死刑廃絶

 人権、人間の尊厳、こうしたものを振りかざされると、真正面から論戦を張れば死刑廃絶派の勝利間違いなしとなりますよね。
 人間のみならず生き物の尊厳を重視する仏教ともなると、「死刑なんて有り得ない」となってしまいます。つい最近のことですが、全日本仏教界が(どういうわけか今頃)死刑廃絶についての諮問・答申の内容についてプレスリリースしました。
 「死刑廃止について」理事長談話
 http://www.jbf.ne.jp/activity/3474/3483/3797.html
 開いたら「答申内容はこちら」をクリック、「社会・人権審議会」をクリック、「ファイルを開く」をクリック。これでやっと見られますが、言っていることは「仏教の教義と死刑が相いれないことは明白である。」(これを2回繰り返して言っています)です。
 死刑廃絶に関しては、これを肯定するか否認するかは、その人その人「先に結論ありき」になってしまう感がします。そして、その理由付けは、自分に都合のいいことをああじゃこうじゃと並びたてる。
 話はずれますが、クジラを殺す「捕鯨」問題も、先に結論ありきの感がし、西欧で発足した過激な環境保護団体であるグリーンピース、それから分れ出た超過激なシーシェパードの行動に、日本はタジタジになりました。日本政府は、堪忍袋の緒が切れたのでしょう、最後はケツを捲ったのですが、これはこれでいいでしょうね。
 さて、死刑廃絶に、こうした西欧の過激団体が関与していないかと調べてみたら、アムネスティ・インターナショナルという人権団体がありました。この組織がいかほどの力を持っているのか知りませんが、どれだけかは影響力があることでしょうね。日本支部もありますので。
 キリスト教の教義では死刑は認められるも、米国を除くキリスト教国では死刑廃絶、仏教の教義では死刑は認められないものの、仏教国の多くは死刑制度を持っている、というネジレ現象。
 なんともおかしな状態になっています。
 して、小生は死刑廃絶派か存続派か、ですが、“ううーん”と、うなるしかない。
 問題は、信じられない凶悪犯罪の数々ということになるのですが、これらの大半は心療内科に通っていてヤブ医者から強い精神薬を飲ませられた結果であることを、精神科医の内海聡氏がブログで幾度か書かれています。例えば、最近のものとしては「京都事件と精神科と生活保護」がそうです。
 http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-577.html
 またまた本筋からはずれてしまい、申し訳ありません。
 「次回は、少し重めのストレートを打つ予定。今回は軽いジャブを打ったつもり」とのことで、次回を期待してますが、今回の小生のコメントはいきなりのカウンターパンチになってしまったみたいですね。
 今日の定休日には百姓仕事を予定していたのですが、昨日の雨に加えて今朝も雨が降り、畑に行くことができず、暇に任せて思いのままを綴ってしまいました。失礼しました。

2020/02/23(日) |URL|永築當果 [edit]

バーソさん、こんにちは

キリスト教国は、人生は一回限りという思想があるので、
更生のチャンスを失わせる死刑に否定的という面もありそうです。
しかし、神様が愛のある存在なら、たとえそれが来世であっても、
更生する可能性のある魂には、そのチャンスが与えられると思います。

白人は、攻撃性や残虐性が比較的 高い人種で、
その反面、それを隠したいという動機もあってか、
奇麗事を言うのは非常に好きな人種でもありますが、
実際の犯罪率は日本より高い傾向にあります。

彼らの制度を学ぶのは、勉強のできる生徒が、
実際の勉強は出来ないが、勉強論については雄弁な生徒の勉強方法を
取り入れるという一面もありそうです。

その結果として、
実際の犯罪は増え、犯罪被害者も当然増えます。
反面、加害者の人権はより尊重されるようになるのでしょう。
世の中を地獄化する人は、自分の手を汚さなくても、
地獄化したことの責任を負うことになると思います。
神様が馬鹿でなければ、そこはちゃんと見てるでしょうね。

死刑を廃止することで生じる不利益が大きいので、
特に廃止する必要は無いと思います。
死刑制度があっても、死刑に値する犯罪を犯さなければ、
死刑になることは無いので、特にデメリットはありません。
死刑制度が無いのが文明国という思い込みがあるなら、
文明国面が出来なくなるというデメリットならあるかもしれませんが、
個人の偏見を守ってあげなければいけないような理由もありません。

私は、人の人権を無視する犯罪者の人権を守るより、
人権が踏みにじられた被害者の被害と人権を
回復することに興味があります。
犯罪者の人権は、制限されるのが当たり前で、
なぜそれが尊重されるべきであるかの理由がよく分かりません。
人権を無視する人の人権が尊重されるというのは、
ちょっとした人権の特権階級という感じでもあります。

国の経済状況が一定であれば、国が維持できる人口も一定になります。
生かしておく殺人犯の人数は、
それによって助けられたはずだが、見殺しにされる人々の数でもあります。

話は逸れますが、
経済は単にお金の問題ではなく、人の生死に直結するものなので、
奇麗事を言いながら、経済を縮小させて、自殺者を増やす
旧民主党のような政権は支持できません。
彼らは、現実を知らないから奇麗事が言え、
現実を知らないから当然無能です。
理想が高くても能力の無い政治家は、
国に頼るより自殺を選ぶような善人を、結果的に殺すことになります。

犯罪者の人権を尊重することで、犯罪被害者をセカンドレイプし、
殺人犯を生かしておくことで、善人を見殺しにするような社会になれば、
この世がよりよくなるという理屈は、本当に理解できません。
実際に何が改善されるのでしょうか?

2020/02/23(日) |URL|Vacancy [edit]

Re: 先に結論ありきの死刑廃絶

[太字]永築當果さん コメントありがとうございます^^)
 
 お、今回は「薬屋のおやじ」ではなく、「永築當果」のハンドルネームで堂々の到来ですか。それにしても、私バーソにカウンターパンチを食らわせ、マットに沈めることを人生の一つの楽しみにしていませんか。(笑)

 そうですね。「人間の尊厳」という建前を正面に打ち出されると、ちょっと反論がしにくくなります。ちょうどこれを書いているときに、次のコメント(Vacancyさん)が来たのですが、これが見事な正論だと思いましたので、私の答えが代弁されていると思って、そちらも読んでいただけると幸いです。

 とはいえ、私も少し感想を述べますよ。
 仏教で厳密に教義を実践すれば、蚊やゴキブリさえも殺してはならず、菜食主義に徹底しなければならないはずですが、実際は言われる通り、「仏教国の多くは死刑制度を持っている、というネジレ現象」があります。むろん、キリスト教にもネジレがあります。
 クジラを殺すなと言うのは正論(建前)でしょうが、そう主張しながら同じ哺乳類の牛や豚や羊は、クジラとは比較にならないほど非常に多く殺し、中には子牛や子羊や若鶏を好んで食べている実態(本音)は気にしてないのは、じつに頭の軸がネジレています。

 正論というのは、得てして本音と建前の自己矛盾、あるいはダブルスタンダードを含んでいて、イエスが「偽善者である律法学者とパリサイ派の人たち、あなた方には災いがあります! 白く塗った墓に似ているからです。外側は確かに美しく見えますが、内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちています」と述べたパリサイ人の表面の顔と裏面の顔のようです。マタイ23:27

 精神科医のブログ、読みました。「現在、意味不明の事件が多いのは薬物によって、頭がやられ衝動的になり止まらないからだ。つまりこれは精神科医と製薬会社、さらにいえば毒親の共同体によってつくられた問題である」とありましたが、これは、この精神科医ならではの推測ですね。明確なデータによるものではないようです。ただ、京アニ事件はそういうことも関係しているようですが。

 まとめサイト『らばQ』に、こんな情報が紹介されていました。

「統計数字から見ても、一般的な再犯率は40%~60%とも言われている。すなわち約半数の者は更生しないし、矯正出来てないとも言える。殺人事犯では100人中1~2人は、再び殺人を犯すと言われている。再犯者には、暴力団関係者が目立ち、劣悪な生育環境下にいた者は少なく、相手を殺害するほどの事情がないにもかかわらず、その場の激情や興奮に単純に支配され凶行に及んでいるとの報告がある。
 これは、感情が激越的に爆発しやすい性格であり、衝動的に反社会的行為を起こしやすいからである。このような人格障害者の矯正や更生は、とうてい望み難い。死刑廃止論者は、犯罪は社会環境のせいだとするが、社会環境が悪いだけではない。自己責任部分も多いにある。医学的観察や統計数字からみて、全ての人間が人の心の痛みを知り、更生できるとの考え方は、勉強不足というものである。虎も猫も子供のころはみな、かわいい。
 一つの死刑に対し、平均18の殺人を妨げる効果があがる(全国を対象にしたエモリー大学の教授による2003年の研究)。また、イリノイ州での2000年の死刑一時廃止により、4年で150の殺人を誘発したとヒューストン大学の教授が2006年発表した。死刑を早期に執行することは、殺人を減少させる効果を強固なものにする」
 http://labaq.com/archives/50693235.html

「虎も猫も子供のころはみな、かわいい」とは面白い言葉です。よく、犯罪の原因を家庭環境や社会や病気のせいにする人がいますが、それよりも直接の原因は、当人の良心やモラルのせいであるほうがはるかに多い、というのが正論じゃないでしょうかね。
 メディアで正義という正論を振り回すのが好きな人の話は、一方的な偏った見方が多いように感じます。

2020/02/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Vacancyさん コメントありがとうございます^^)

 おおーっ、書くのに相当、時間がかかったでしょう。見事な正論です。じつは次回の記事の原稿をほとんど書き終えたのですが、このコメントをそのままだしたほうが良さそうだと思えるほどです。とはいえ、せっかく書いたので、自分の原稿はそのまま載せて、このコメントも参考として「URL」クリックで開くようにして紹介させていただきますね。

 というわけで、まったく同意するだけなのですが、感想だけ述べさせていただきます。

> キリスト教国は、人生は一回限りという思想があるので、
更生のチャンスを失わせる死刑に否定的という面もありそうです。
しかし、神様が愛のある存在なら、たとえそれが来世であっても、
更生する可能性のある魂には、そのチャンスが与えられると思います。

 そうなんです。聖書を信じない信仰の薄い牧師・神父と信者が増えているのです。本当は、聖書は「復活」があることを明確に述べています。

「キリストは死人の中からよみがえらされたと宣べ伝えられているのに、あなた方のうちのある人たちが、死人の復活などはないと言っているのはどうしてですか。実際、もし死人の復活ということがないのであれば、キリストもよみがえらされなかったことになります。そして、もしキリストがよみがえらされなかったとすれば、わたしたちの宣べ伝える業はほんとうに無駄であり、わたしたちの信仰も無駄になります」― コリ一 15:13-14。

 しかし愛の神がいるなら、真実の神なら無条件の愛を持っているはずですが、「天への復活」のチャンスがあるのは当然だと思います。人はみな肉体を失っても本質である魂は永遠に存続し、生まれ変わりを経験するのだろうと思っています。ただし、この人生は一回限りですから、その貴重な人生を故意の殺人者に台無しにされるのはとんでもないことだと思います。

> 勉強のできる生徒が、
実際の勉強は出来ないが、勉強論については雄弁な生徒の勉強方法を
取り入れるという一面もありそうです。

 この例え、面白いですね。白人は有色人種に対して優越感を持っているのでしょうが、立派そうなことを言っているものの、知識と実践は別。キリスト教国の治安の悪さを見れば分かります。しかし日本にも、こういう知識人は結構いますね。

> 私は、人の人権を無視する犯罪者の人権を守るより、
人権が踏みにじられた被害者の被害と人権を
回復することに興味があります。
犯罪者の人権は、制限されるのが当たり前で、
なぜそれが尊重されるべきであるかの理由がよく分かりません。
人権を無視する人の人権が尊重されるというのは、
ちょっとした人権の特権階級という感じでもあります。

 まったくその通りで、次回はその点を主に論じます。「人権を踏みにじった犯罪者の人権は、制限されるのが当たり前」は、記事の中に混入させていただきますね。

> 犯罪者の人権を尊重することで、犯罪被害者をセカンドレイプし、
殺人犯を生かしておくことで、善人を見殺しにするような社会になれば、
この世がよりよくなるという理屈は、本当に理解できません。

 ストーカーは警察から注意されても直りません。性犯罪は再犯率が高いそうです。昔、女性を一人殺して、確か7,8年で刑務所から出てきた俳優だか歌手がいました。日本の法律は刑罰が甘いと思いますね。アメリカのように悪質な犯罪者や路上で拳銃を振り回す者は警官がすぐ射殺すれば、死刑反対とか賛成の論議も起きず、手間も費用も掛からないのですが。

2020/02/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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