「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ダビデとイエスを裏切った男と、聖書の『予型』解釈法。 


「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。
そんな鋳型(いがた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。
少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。」
           ――――――夏目漱石『こころ』(上・二十八)


 裏切りといえば、どんな人を思い出しますか。
「ブルータス、お前もか」を筆頭に、「なんと、光秀がか」「よし、秀秋だな」と思われたであろう武将、また『三国志』の呂布の名を思い出すかもしれません。

        ____________________


クマ「おっと、ご隠居、肝心なのを一人忘れちゃいませんか、江戸っ子だってねえ」
隠「熊さん、自分の弁護士を裏切った、あのゴー・・・」
クマ「いえ、ユダです、ユダ」
隠「ああ、イスカリオテのユダか。欧米ではユダは極悪の裏切り者と思われているが、じつは十二使徒の中ではイエスから一番信頼されていたようだな」
クマ「ユダが信頼?」
隠「ダヴィンチの『最後の晩餐』ではユダは財布を握っているが、ユダは使徒たちの共同基金を管理していた。つまりイエスの信頼が厚かったのだ」
クマ「なんで、そんな人がイエスを裏切ったんで?」
隠「いろいろ説があるが、熊さん、預言的な解釈が面白いぞ」
クマ「ご隠居は、トンデモ話が好きですねえ」
隠「いや、けっこう論理的なのだよ。イエスの千年ぐらい昔の先祖にダビデという王がいた。ダビデの三男はアブサロムといって、『足の裏から頭の頂まで非の打ちどころがなかった』と言われたほどの二枚目だ。小泉進次郎を百倍男前にして、山本太郎を百倍弁舌巧みにしたような若者で、自分の支持者を増やした」
クマ「いい男には敵わねえ」
隠「そう、昔も今も大衆はひとを顔で判断する。二枚目のアブサロムは言葉巧みに人心を掌握し、父王ダビデに突然謀反を起こした」
クマ「あら、下克上だ」
隠「突然だったからダビデは急いで都落ちした」
クマ「そのアブサロムって奴は、『敵はエルサレムにあり』とか言ったんですかね」


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 ヤン・マサイス『ダビデとバテシバ』1510-1575(人妻だったバテシバの祖父がアヒトフェル)


隠「このときダビデは非常な窮地に陥った。智謀で知られる諸葛孔明のような顧問官アヒトフェルが裏切って、息子アブサロムに付いたからだ」
クマ「光秀も知恵者でしたね」
隠「アブサロム軍では作戦会議が開かれ、その顧問官アヒトフェルがこう進言した。『今夜すぐに、野の洞穴に潜む父上ダビデの寝込みを襲うべきです。私が手勢を率いて、気弱になっているダビデ王一人を容易に討ち取ります』と言った」
クマ「うん、もっともな作戦だわ」
隠「ところが、ダビデが密かに送り込んでいた密偵が、『このたびのアヒトフェルの助言は良くありません』と言った。この言い方がうまいぞ」
クマ「このたびの、がですか」
隠「単に良くないと言わずに、『このたびは良くない』と言ったのがミソだ。いつもは良いのだがと認め、しかしこのたびの作戦に限っては良くないと言われたら、よほどの根拠があってそう言ったのだろうと思う。顧問官のほうも全面否定されたわけではないので、それほど不快には思わない」
クマ「なるほど」
隠「それよりも、『ほかならぬアブサロムご自身が先頭に立ってイスラエルの全軍を率いれば、圧倒的に戦力差があり、華々しい勝利を得るでしょう』と進言した。うぬぼれ屋のアブサロムは虚栄心をくすぐられて、全イスラエルに招集をかけた。
だが準備に時間が掛かっている間にダビデは安全な所に逃げることができた」
クマ「その密偵はうまく時間稼ぎをしたんだ」
隠「そうだ。顧問官アヒトフェルは、そのあとで首をくくった」
クマ「えっ、戦う前に自殺したんですか」
隠「ダビデ王は武勇に優れた王だ。ちゃんと態勢を整えたら、若いアブサロムが率いる反乱軍は負け、自分は無惨に殺される、と読んだのだな」
クマ「本当に優秀な人間は潔(いさぎよ)いんだ」
隠「アヒトフェルはダビデが一番信用していた友人だったが、裏切って最後は首をくくった。ユダもイエスが一番信用していた友人だったが、裏切って最後は首をくくった」
クマ「あららー、同じだ」


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 ジェームズ・ティソ『アブサロムの死』1836-1902(逃走中に長髪が木の枝に引っかかった)


隠「このように旧約時代に起きたことは、新約時代のキリストや教会の予型として記述されている、と見る解釈法を『予型』論的解釈と言う。つまりイスラエルの王ダビデは神の国の王イエスを予(あらかじ)表しており、裏切り者のアヒトフェルは裏切り者のユダを予表していたというわけだ」
クマ「ほおー」
隠「これは言い換えれば、聖書の神は、古代のイスラエルを『予型』として用いて、人間の歴史を預言し、導いている、と考えるのだな」
クマ「よひょー」
隠「だから旧約聖書と新約聖書を見ると、ダビデ王とイエスに関わる記述に共通点が幾つもある。
 たとえば旧約聖書にはこう記述されている。
ダビデ王もまたキデロンの谷を渡って進み、民は皆進んで荒野の方に向かった。ダビデは泣きながらオリーブ山を登った。(サムエル下15:23,30)

 新約聖書にはこう記述されている。
イエスはキデロンの谷を渡って、弟子たちと一緒に庭園がある所に行った。裏切り者のユダもその場所を知っていた。(ヨハネ18:1)

 両者共『キデロンの谷』を渡っているだろ。熊さんは『川中島』と言われたら何を思う?」
クマ「信玄と謙信の合戦場です」
隠聖書を知る者は『キデロンの谷』という地名を聞くと、ダビデとイエスが共に、親しかった友に裏切られて逃げた歴史上の場所を思い出すのだな」
クマ「そうか、キデロンの谷、来てロンする谷、マネーをロンする谷、レバノンに通じる谷」
隠「お、そう来たか。世に裏切り者の種は尽きまじ。熊さんや、親しき仲にも礼と儀あり。裏でこそこそ企んで、あたしを裏切ったらいかんよ」
クマ「へい、俺は、裏切りじゃなく、お・も・て・ぎ・り です」
隠「なに、おもてぎり?」
クマ「へえ、(おもて)で、をしっかり果たします」


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 現代のキデロンの谷 Kidron Valley From OldCity.






補足

私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた」(詩篇41:9)←これはダビデの詩ですが、ダビデ自身にもイエスにも当てはまります。

●ユダの裏切りの理由については説がいろいろあります
ユダはイエスを信じる信仰が足りなかった。ユダは金箱から金を常々くすねており、イエスを裏切って報奨金をもらいたかった。イエスがユダヤの王としてローマ政府に反乱行動を起こさなかったので失望した。奇跡ができるイエスの力を試したかった。悪魔サタンがユダの心に入った。イエスが贖いの死を遂げて人類を救う目的成就のために神がユダを導いたなど。
●ユダとアヒトフェルは国外逃亡したりせず、いさぎよく自決しています
・新約聖書「ユダは(褒賞金の)銀を神殿に投げ込み、去っていって首を吊って死んだ」(マタイ27:59)
・旧約聖書「アヒトフェルは、自分の助言が実行されなかったのを知って、故郷の自分の家に帰り、家の人たちに指示を与えてから首を吊った」(サムエル下17:23)
●キデロンの谷はエルサレム旧市街東に位置し、神殿の丘とオリーブ山を隔てる谷。激しい雨が降らない限り冬でも水がなく、以前の神殿域の向かい辺りに来ると、深さ約30m、幅約120mになり、さらに南は死海に至ります。



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出来心と衝動の強弱

>『だから旧約聖書と新約聖書を見ると、
ダビデ王とイエスに関わる記述に共通点もある』

(*′☉.̫☉)ほぉ!……さすが研究熱心なバーソさん。
ってか、よひょう!レベルの驚きです(笑)

>『いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。』

目漱石の見解は“出来心”の曖昧さ、衝動の強弱を
よく表現していますよね。

人生を振り返ると、“魔がさした?”みたいな裏切り行為には、
なんども遭遇しています。
ま、まさか、あの人が…なぜ? みたいな……。
その心を想像するに、ジェラシー、信頼の崩壊、失望など……。
イエスを売ったユダ心理は、誰にでも生じ得ると思います。
衝動と自制心の強弱に差があるだけかもしれません。

個人的には疑心暗鬼に陥った場合、その人から離れます。
自分の中の“思い込み”をリセットするためだったり、
相手の心理を客観的に分析したいからです。(笑)

思いを主張、あるいは行動して自決する人って、
ずるいと思います。
原因と結果を体験するために生きているのですから。(^_^ ;)

2020/01/18(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

裏切りというといみ嫌われますね。
ただ冷静に考えれば考え方を変えただけなのでしょう。
そこに感情論が入ってくるから汚いもののような気がする
だけなのかも知れません。

「うらぎり」ではなく「おもてぎり」ですか。
意味が深いですね。

愛新覚羅

2020/01/18(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 出来心と衝動の強弱

風子さん コメントありがとうございます^^)

 漱石が書いたように、根っからの悪人なんて、生まれながらに精神が病んでいる人以外におらず、一般の人はみな善人だと思いますが、百パーセント善人でないので、自分が危うくなると出来心を起こすのでしょう。

 しかし「魔が差す」という言い方は私は好きじゃないですね。自分の本質的な性格上の欠点やミスのくせに、それを「魔」、キリスト教で言えば悪魔サタンのせいにしているからです。あの「頭まっしろ」も同じ種類の言い訳のようです。とかく人間というのは失敗したときに責任転嫁したがりますね。

> 個人的には疑心暗鬼に陥った場合、その人から離れます。
 私もそうかもしれません。危ない人からは距離を置きます。大体、その人の目付きで分かります。ひとの悪そうな、信用ならない目をしています。でも、ひとの良さそうな顔をしている人もいて、こういうひとは仮面をかぶっているので要注意です。ギリシア語の「偽善者」という言葉は、仮面をかぶって演技するという意味なんですね。

> 思いを主張、あるいは行動して自決する人って、
ずるいと思います。
原因と結果を体験するために生きているのですから。

 自分が悪い原因をつくって、それを修正しようがないので、自死で償おうとする場合もありますが、アヒトフェルの場合は裏切り者への処刑の恐ろしさを思って、痛い苦しい思いをするよりは自死しようと思ったようです。

 これは旧約聖書で唯一の自死の記述なんですが、戦闘中の自決ではサウルというイスラエル王国初代の王がいます。サムエル第一31章4節を引用します。これは武将らしい死に方ですよ。

そこでサウルはその武器を執る者に言った、「剣を抜き、それをもって私を刺せ。さもないと、これらの無割礼の者どもが来て、私を刺し、なぶり殺しにするであろう」。しかしその武器を執る者は、非常に恐れて、それに応じなかったので、サウルは剣を執って、その上に伏した。

2020/01/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> 裏切りというといみ嫌われますね。
ただ冷静に考えれば考え方を変えただけなのでしょう。
そこに感情論が入ってくるから汚いもののような気がする
だけなのかも知れません。

 なるほど、そういうふうに感情抜きの人間関係を持っていれば、裏切られたとも思わないでしょうし、もっとしてくれてもいいはずだと期待もしないでしょう。

 旧約聖書には「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり、苦難のときのために生まれた兄弟である」とあります。(箴言17:17)
 また新約聖書には「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」とあり、これはイエスの言葉です。(ヨハネ15:13)

 人間は、友人とは何か自分に良いことをしてくれる存在だと思っているのでしょう。しかしこれが企業と企業の関係、国と国との関係になると、損得や利害が関係するので、客観的に相手の動機を考えたり、どう付き合ったらいいかを考えるのでしょう。

 しかし子供の頃や学生の頃は、そういうことは一切考えなかったので、付き合いが楽でしたね。もっとシンプルに考えれば人間関係はスムーズになるのかもしれません。

 裏で隠れて切る人も付き合いたくないですが、おもてで堂々と切ってくるような人とは絶対に付き合いたくないですね。(笑)

2020/01/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

『予型』論的解釈、知りませんでした。
神話や宗教に疎い私はアブロサム、アヒトフェル・・・初めて聞きました。
「このたび」という言葉のアヤを使った心理的戦略が奏功したのか。
そういえば世界や日本の神話もギリシャ神話やローマ神話に共通
している部分があると言われています。
これも『予型』の一種なのかな。
時代を何千年も下って、日本で13人のユダが三越の岡田氏を
裏切りました。
このとき岡田氏は「ブルータスお前もか」じゃなくて「なぜだ?」と
つぶやいてその年の流行語となりました。

2020/01/18(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 旧約時代のイスラエルの歴史は新約時代の出来事を預言しているとする解釈法は、予型とか予表、影、模型、雛形とか言われる、一種の比喩的預言論です。
 予型論は新約聖書の著者が行なっており、旧約時代の幕屋(神殿)は天にある真の神殿を表しているとか、幕屋で捧げられた傷のない動物の犠牲は傷のないイエスの贖いの犠牲を表しているなど、特にヘブライ書の筆者が一生懸命に論じています。
 日本列島は世界の大陸の縮図だとする日本列島雛形論も似たようなものですね。偶然の一致とは思えないほど、ほぼ見事に一致するので、私も以前記事にしたことがあります。https://barso.blog.fc2.com/blog-entry-70.html

 ところが現在は、いわゆる正統派の教会では、この予型論はあまり採用されません。というより聖書を全面的に神の霊感の書であるという前提の下に解釈するのは古いとされています。特に進化論が出てきた頃から、創造論より進化論を受け入れる教会指導者や聖書学者が多くなり、特にカトリック教会の場合は聖書より教皇のほうが権威が上ですから、聖書に全面的に従って生きるという宗教思考が薄くなりました。

 大きな組織や体制が堕落すると革新勢力が台頭します。19世紀になり、再臨派と言われるキリスト教派が出てきました。イエスが再び地上に来て至福千年支配が実現すると主張する教団です。エホバの証人(ものみの塔)、モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)、セブンスデイ・アドベンチスト教会がそうです。みな、正統派教会からは異端だとかカルトだと言われていますが、そもそもの発祥の動機は西暦1世紀の原始キリスト教に回帰しようとするものです。

 世界の神話に共通する部分があるというのは、元々は一つの天地創造の話があったのが、世界各地に散らばっていったときに経年変形して、各地独自の神話となったという解釈がやはり主流でしょう。
 神話学者のジョーゼフ・キャンベルの説については過去に記事にしたことがあります。https://barso.blog.fc2.com/blog-entry-105.html

 三越の岡田氏事件は言われて思い出しました。少し覚えています。ゴーン事件も同様にできなかったのでしょうか。ともあれ、ある国際学者は、あの事件はルノーフランスの日産支配に対抗したもので、だから金融事件なのに特捜が出てきたと言っています。

2020/01/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは^^

夏目漱石が言うように、
誰しもに善と悪とがあって、
同じ人が主観者によって善にも悪にも変化する、不思議な世界ですね。
そんな世界だからこそ、
他者にも政治にも過度な期待は禁物で、
そういう心構えでいれば、
人や人生に裏切られることもそれほど怖いものではなくなりますね。
あずかり知らぬところで自分自身も誰かを、
裏切ってしまっている、ということもあると思いますね。

三国志にはまったく詳しくないのですが、
「呂布カルマ」というラッパーがいまして、
彼が何故にその名前を名乗るようになったかが、
バーソさんの記事をきっかけにわかったような気がしました。

2020/01/19(日) |URL|友資 [edit]

Re: こんにちは^^

友資さん コメントありがとうございます^^)

 善と悪は人間が決めたものと言われますが、そうであれば政治にしても個人の主観と観点で善悪が決まってくるわけで、誰にとっても完璧な社会というのはあり得ないでしょうし、また、それゆえにいろいろ工夫の余地があるのが面白そうです。
 聖書では、来たるべき神のご予定の時が来たら全地が同じ思いになり真の一致があると言われ、それが至上の幸福のように待ち望まれているのですが、実際にそうなれば完璧に理想的な共産社会のようになるでしょうが、でもそれがいいんだか悪いんだかはちょっと分かりません。

 ひとを多大に信頼しているとは、ある意味、そのひとに頼り切っているわけで、もしその人が自分の期待したいた状態から外れたりすれば、かなり気落ちするでしょうし、時には逆恨みをして激しく憎むようになることもありそうです。
 好きだったひとに対してストーカーになる人は自分の期待と外れた恨みから始まるのでしょうから、これも結局は悪い意味の自己愛で、人間はみなそういう自己愛を大なり小なり持っていますね。したがって、人生とはバランスなり。という格言ができそうじゃないですか。

「呂布カルマ」という人をYouTubeで見ましたが、ラッパーというのは何かのメッセージをリズミカルにメロディを重視しないで歌うもので、幕末に流行ったという「あほだら経」を思い出しました。ウクレレ片手の牧伸二のような話芸にもなり、だみ声で語れば浪花節になり、自作のメロディと歌詞で語ればシンガーソングライターの曲になりそうですが、ユーチューバーが自分のおしゃべりをリズミカルに語れればちょっと面白いでしょうね。

2020/01/19(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2020/01/22(水) || [edit]

裏切者と聞くと極悪人と誤解している人が多いですが、現実はバーソさんの推測通りの善人です。
本能寺の変で織田信長を裏切った明智光秀は優秀な官僚であり、命令を忠実に遂行するイエスマンでした。
信長の信頼も厚く、新参者なのに旧家臣を差しおいて京都守護職に任じられ、丹波と近江に領地を与えられました。
ただ彼の様な生真面目で主に忠実な人は、同時にとても正義感や責任感が強いのです…その性格が本能寺の変に繋がった。
裏切りの切っ掛けは「比叡山焼き討ち」だったと思います…信長の命令でやったとは言え、本人は相当に悩んだはずです。
そしてその後、信長の家臣への苛烈な仕打ちや、家臣の話の端々に出る信長の横暴さが目や耳について離れなくなります。
「この人をこのまま天下人にしたら民百姓まで不幸になる」…真面目で正義感や責任感の強い人は辛抱強くもあります。
長年耐えて待った甲斐あって信長から秀吉の援軍として毛利討伐の命が下されます。これで軍を集めても誰も怪しまない。
で、一息にやってしまった…自分は本能寺の変は裏切りではなく、明智光秀の正義感と責任感から出た行動だと思います。
ただ信長は本能寺で死んでよかったと思う…一向宗を虐殺し延暦寺を焼いて、次々に自分に逆らう寺や僧侶を殺害していたら、英雄として歴史に名を残せなかったでしょう。
「俺は日産の幹部達に裏切られた」と保釈中に法を破って高飛びし、レバノンで喚いているゴーン被告も信長と同じです。
聞く所によると外ではずいぶん人にいい顔をして、会議では幹部達を能無し!と罵倒していたらしい…おまけに娘が経営するレバノン料理店の仕入れや経費を全部日産に出させていた。
堪りかねて「違法ですからやめて下さい」と言った幹部をクビにしたそうで、そのまま放って置いたら会社そのものが危なかったでしょう。
見た所、ゴーン氏は自分に逆らう人間を排除してイエスマンばかりで側近を固めていた様だが、忠実で真面目なイエスマンほど正義感や責任感が強い事を知らなかったと見えます。
最後に、イスカリオテのユダはキリスト教信者の間ではイエスを売った極悪人になってますが、自分はれっきとした善人だと思います。
イエス一行の会計係だったと言うのがミソで、おそらくイエスが私的に寄付金を流用したのを知った…或いは会計ができるほどの知識階級だった為に、イエス(にとっては改革のつもりでも)が平気で律法を破るのが許せなかった。
イエスを告訴したのは正義感と責任感からで、その証拠にイエスがひどい目に遭って死んだのは自分のせいだと首を吊って自殺してます。
多分、真面目な人だったのだだろうと思います。正真正銘の悪人だったらそんな…損なかな?(笑)事はしませんよ。

2020/01/22(水) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 漱石は「平生はみんな善人なんだ」「いざという間際に急に悪人になる」と書いています。この世には、心の芯から全面的に悪で固まっている人なんて、精神異常者の人以外いないでしょう。大抵は金や名誉などの欲望が絡んだり、個人的な憎しみや恨みが関係したときに、その件では悪人になるに過ぎません。
 ただし、その犯罪行為がその人がどう評価されるかを決める大きな要因になっています。一生のあいだ真面目に働き、大きな功績を残しても、一つ大きな罪を犯すと、それがその人の全体イメージとなってしまいます。

 そう思うと、見る人の視点や、どこを見るかで、個人の評価は変わってきそうです。ふだん見えている95パーセントを見れば善い人になり、しかし裏に隠れた5パーセントの闇の部分を見れば悪い人になる場合もありそうです。

 誰かが著名な人物を暗殺した場合。やはり暗殺した人間が悪いとして非難する見方と、よく暗殺したとして高評価する見方があります。
・伊藤博文は朝鮮併合に最初は反対し、後には韓国の発展のために尽力した人間で、千円札にもなっている優秀な政治家です。朝鮮人の活動家に暗殺されましたが、韓国では暗殺者の安重根は義士として英雄扱いされています。

・ソレイマニ司令官はトランプ政権に暗殺されましたが、見方が二つに分かれています。イランの体制派とNHKや民放は、ソレイマニは民衆から尊敬されていた国民的英雄だったと紹介しています。しかし一方では正反対の見方があり、とんでもない、ソレイマニは反対者や同性愛者を何千人も虐殺したテロ組織の首謀者だ、最恐テロリストだ、おかげでアラブ社会はより安全になったと言われています。
 面白いのはTBSが、東京板橋で飲食店を営んでいるソレイマニの弟をインタビューして、ソレイマニは良い人物で民衆からの評判も良かったと述べた映像を流しました。しかしその人の母と妹はイランに住んでいるそうで、だとしたら本音を言うはずがないのを忘れて(隠して)います。
 北朝鮮の街並みはきれいだった、平壌の人々の暮らしは豊かだったと言ったジャーナリストがいましたが、彼の地では同行の見張り員が許可した場所しか見せられず、インタビューされた(指定された)北朝鮮人が本音を言うはずもないのです。

 ですから自分がどういう思想と視点を持っているかで、人や物事の評価は変わってきます。どちらにも一面の真実があり、どちらにも反面の問題点があり、どちらの比重を大きく見るか小さく見るかの違いで善悪・正邪の判断は変わってくるのでしょう。

 光秀やユダの裏切りについてはいろいろな説があります。ユダを肯定する意見もあり、自殺についてはイエスを裏切ったことを後悔したからとも考えられますが、予表と実体論で対応する顧問官アヒトフェルの場合は後悔ゆえではなく、あとでダビデ軍から無惨に殺されるのが分かっていたので自死しています。

 ゴーン容疑者については、「ゴーンさん」と、さん付けで言うメディア人が多いのが不思議です。少なくとも保釈中の義務を破って不正出国をしたのですから、裏切り者で犯罪を犯しているはずですから。
 異なる視点から見て、日産を立て直した功績を言う人もいますが、それはそれ、これはこれ。話が違うはずです。

 もしゴーンがまったくの無実で、日産と日本政府の陰謀による捏造事件であるなら、著名な弁護士も複数付いているのですから、自分が犯罪を犯してない根拠を示して堂々と裁判で戦い、無実を勝ち取ったあかつきには、逆に日産を訴えて謝罪させ、多額の賠償金を取るのが、世界を股にかける一流CEOのすることでしょう。
 ところが保釈金15億を没収され、逃亡金推定22億を支払い、おそらくレバノン高官たちにも相当賄賂を渡すことまでもして逃げたのは、やはり実際に罪を犯していたのかと思われるのがオチでしょう。それを言わないメディアが多過ぎです。

 妻に会えないのが辛かったからと言うのは、子供じゃあるまいし、それより名誉のほうが大事じゃないのか、と普通は思われます。
 男たる者は、まず何よりも自分の名誉と尊厳を守ることに命を懸けるべきです。不正にかけられた偽りの容疑なら、命を懸けてでもそれを晴らすのが男のすべきことであるはずです。でもそれをしないのはやはり明確に闇の部分があったのでしょう。アメリカではマネロンがバレて1億円の罰金を支払ったという話もありますし。

 ところが日本の司法制度は98パーセントが有罪にされるとゴーンが批判したので、世界から日本が悪く言われていますが、日本の場合は有罪になる見込みがあると判断された場合のみ慎重を期して裁判になるというシステムの違いを、日本政府はもっと世界に発信すべきです。欧米では裁判もせずにすぐ警官が射殺するのですから。

 フランスでは80パーセントぐらいの人がゴーンの逃亡を評価しているそうですが、ゴーンの逃亡を肯定あるいは正当化し、日本の司法を悪く言う日本人が多いのには驚きます。ゴーンの担当弁護士も、自分が保釈のための条件などを構築したその責任のことは一言も言わず、謝罪もせず、ゴーンの気持ちは分かるとか司法制度が良くないと傍観者のように言っています。

 日本政府の外交や宣伝戦略はお粗末の極致ですから、捏造され事実化された慰安婦問題と同じく(著者の吉田清治はフィクションだと認め、世界に広めた朝日新聞は誤報だと認めて社長が辞任。強制連行の事例は皆無です)、どうもまたこのたびも日本のほうが悪者扱いされそうで、困ったものです。

 頭が悪く口下手の菅さんには早く引っ込んでもらって、頭脳優秀で弁舌巧みな専任のコメンテーターと対外広報部門を設置して、毎回毎回必ず3倍返しで反論してほしいものです。そうしないと雄弁なゴーンのプロパガンダに負けるでしょう。

2020/01/23(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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