「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 目は口ほどにものを語る。声と言葉はなにを語るか。 


 いじらしくも、ちょっと物悲しい《異種カップル恋愛物語》がある。


 昔、宮崎の山奥で、カブトムシと毛虫が愛し合うて暮らしちょった。
 ある時、毛虫が糸を吐いて繭(まゆ)を作って、そん中にこもり始めたので、カブトムシは、毛虫が死んだと思うて嘆き悲しんだ。
 ところが、ある日、突然、繭ん中から蛾が現れ、カブトムシは思うた。
「なんやこいつは。おれが嘆き悲しんじょんのに、こげん派手な格好で飛びまわっちょって」
 カブトムシが蛾に襲いかかろうとしたとき、二人ん目と目が合うた。
 目は、愛(いと)しい毛虫ん目やった。
 ――――――カブトムシと蛾は、また一緒に暮らし始めた。

 ただ、いままで通り愛し合うて暮らすためには、たびたび相手ん目を見る努力が必要やった。

             5khgr.jpg by Pixabay
                   
                       (出典:ネットのジョーク集/宮崎弁化)


 人間は、欠点の多い不完全生態系の生物である。少々野暮ながら、この寓話を
注釈すれば、良い関係を永く保つためには、意識して相手の「心」、特に良い点
を見るよう努力する必要がある
ということだろう。そうしなければ、人は外見や
表面的なことを見て判断を誤ることがあるからだ。

 新選組の近藤勇は京に妾が何人もいたが、醜女の松井つねを正妻に選んだのは、
「美人は貞淑を欠きやすいが、醜女なら真心をもって夫に仕える」からだそうで、
まあ、身勝手な言い分だが、しかし人間は心が重要だという真実は突いている。

 そして、この寓話からもう一つ分かるのは、目を見れば心が分かるということ、
すなわち「目」の表情に相手の心や感情が表れるということだ。

 しかしそれは周知のことなので、今回は、声を聴いても相手の心が分かること、
単に《名前》の呼び方を聴いても分かることを考えたい。

          ―――――――――――――――

 イエスがひとの《名前》を呼ぶ声には、独特の親愛感があった。

①イエスが金曜日に葬られた次の日曜朝に、マグダラのマリアが埋葬窟に来た話。

(ヨハネ福音書20:1-17 要約)
 
イエスが葬られた墓に、日曜の朝早くマグダラのマリアが来た。墓の入り口の石が取り除かれ、中が空っぽだったので泣いていたら、「誰を捜しているのですか」と尋ねる声がした。マリアは、庭師だと思い、「遺体を引き取りたいので場所を教えてください」と答えた。すると、その男は「マリア!」と言った。マリアは向き直り、「ラボニ!」と言って、その男にすがりついた。「ラボニ」とはヘブライ語で「師よ」という意味である。

       Franco.jpg 
         フランチェスコ・ソリメーナ『私に触れてはいけない』

 
 マリアが庭師だと思った男は、じつは復活したイエスだった。マリアが「誰を
捜しているのですか」と話し掛けられても、イエスだと気づかなかったのは、声
も外見も違っていたからだが、ヘブライ語で「マリア!」と呼びかけられたとき、
声の調子で瞬時に生前の懐かしいイエスの話し方を思い出し、あー、この男の人
はイエスなんだ! やっぱり復活したんだ!と理解して、抱き付いたのだ。
 マグダラのマリアはイエスの妻だという異説があり、私はかなり支持している。

 ソフトバンクCMの白犬の声は顔と合ってない気がするが、人間は顔が違えば
声も違う。しかし人の個性や感情は、言い方の微妙なニュアンスに表れるのだ。

          ―――――――――――――――

②ベタニアのマリアとマルタの姉妹宅に、生前のイエスが招かれたときの話。

(ルカ福音書10:38-42 要約)
 
イエスがベタニヤ村を訪れたとき、マルタとマリアという二人の姉妹がイエスを家に招いた。マルタのほうはご馳走の準備に忙しくしていたが、マリアはイエスのそばに座って話を聞いていた。マルタが「主よ、マリアが私を手伝うように言ってください」と不満を言うと、イエスは「マルタ、マルタ、あなたはあれこれ心を配って落ち着かないが、なくてならないものは、ただ一つなのだよ。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはいけない」と言った。

      feri4.jpg
         ヨハネス・フェルメール『マルタとマリアの家のキリスト』


 マリアは霊的な必要、すなわちイエスの教訓的な話を聞くことに気を使ったが、
マルタは物質的な必要、すなわち、もてなしの準備にあれこれと気を乱していた。
そこでイエスは、《大事なことは物質的なことではない。霊的なことだ》と言っ
てマルタを諭したわけだが、ここで興味深いのはイエスが「マルタ、マルタ」と
二度名前を呼んだことが福音書に記録されていることだ。

 名前は一度書けば意味は十分通じるのに、わざわざ二度書かれているのは、こ
のときの「マルタ、マルタ」と呼んだイエスの声の調子に、イエス独特の優しい
響きとニュアンスがあったことが分かる。

 イエスは、悪人には非常に厳しかったが、弱者や罪びとにはとても優しかった。
 偽善者には譲歩や許容を示すどころか、辛辣に糾弾したが、愛には愛で応じた。

          ―――――――――――――――

 以上、「目」は人の内面を語るが、「声」も人の特質を語るという話でした。
 声の調子、話し方、抑揚などの微妙な違いも、人間の本性を語るのですね。

 では、普段、どんな声で、どんな話し方をしているでしょう?
 私は大きなことは言えません。大体が寡黙で、声は小さいほうですので。(笑)





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

聞かせてよ、優しい声をいろいろと。
「夏のそよ風のような優しい声」村上 龍『恋はいつも未知なもの』
「女のように優しい声」夏目漱石『坊っちゃん』
「湿った絹糸のような優しい声」獅子文六『てんやわんや』
「とても静かな神経を慰撫するような声」村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
「ハートマークがついていそうな優しい声」竹宮ゆゆこ『とらドラ!』
「甘えるような優しい声」福永武彦『海市』
「なめつくような優しい声」徳田秋声『足迹』

※復活したイエスが別の姿に変わっていた理由。
神学的に言えば、イエス自身の体は、刑柱上で死ぬことにより、人類の罪を贖う贖罪のために天の神
に宥め(なだめ)の犠牲として捧げられた。それゆえ、いったん捧げられた肉体がそのまま元通りに
甦ってしまうなら、捧げたことにならない。だからイエスは復活後、目に見えない天使が人間の姿を
して地上に現れたように、霊の力で物質化した肉体を身に着けて、マリアの前に現れたと考えられる。
※イエスの復活についての客観的な証拠。
歴史上、多くの無神論者が復活がない証拠を調べたが、もしイエスが復活してないなら説明できない
ことが非常に多い。一つ例を挙げると、人は真実だと知っていることのためには殉教死も出来るだろ
うが、嘘と知っていることのために死ぬことは出来ない。もしイエスが死んだだけで復活していない
なら、最初はわずか数十人の信者らの集まりが、ユダヤ教やローマ皇帝の大迫害にも負けずに信仰を
続け、その後、これほどまでに世界にキリスト教が広がった理由を合理的に説明することができない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



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天はニ物を与えず?

長年、手相や人相学を研究していた父の影響から、
私もまずは相手の目をよ~く見る習慣が身に付いています。
(人相学の極意は目にある)

ただ文学や映画に登場する人々や、体験的な観察から、
絶世の美女、かつ心根の良い女性には出遭ったことがないような……。(^_^ ;)
反面、心の美しい人は容姿までもが美しく観えてくるから不思議です。

>声の調子、話し方、抑揚などの微妙な違いも、人間の本性を語る……。

個人的には、大きめの声で理路整然と話す方です。
若い頃は、周囲からの好き嫌いがはっきりしているようでした。
歳と共に、自己主張を控えて聞き上手へと。
すると、声の調子、話し方、抑揚なんかは変化しているような……。

ちなみに、復活したイエスを信じています。
ただ、この現象については議論しても意味がないと思ってます。
霊的な現象は『インスピレーション(直観)』の領域でしょうから……。

2019/12/07(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

目も声も意思を伝える有効なツールですね。
役者、俳優は目だけでも演技できますし
声優はもちろん声だけで演技します。
物まねタレントなどをみると顔まで真似て
いますがメインは目と声です。
良いことにも使えますが詐欺なんかも使われれるようです。

ソフトバンクの犬の声は北大路欣也ですね。
聴き慣れてくると合ってくるので不思議なものです。

愛新覚羅

2019/12/07(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 天はニ物を与えず?

風子さん コメントありがとうございます^^)

「人相学の極意は目にある」のですか。そうですね、私も長年、伝道では、まず、相手の顔を見て、どういう人かを判断する癖がついています。第一印象は、おおむね当たります。ひとは自分の家に訪問してくる他人(訪問販売者など)には、割合自分の本性を飾らずに表しますね。

 ひとのいい目をしている人、陰険な目をしている人、目はその人の人格を表します。ですから僧職者で、ガラの悪い顔をして、品のない目をしている人はまったく信用できません。この世的な俗っ気の多い顔をしている信仰者には霊性など無いと思っています。

 ですが、ひとのいい目をしていても実は内面が違う人もいますね。ひとの良さそうな顔をしていても、それは表向きで、内面には暗い面がある人もいます。感じの悪そうな目をしていても、案外親切で気を使ってくれる人もいます。私の母親がよく言ってました、「ひとは顔で判断したらいけない」と。政治家の石破さんはどういう人か全然知らないですが、かなりあの目付きで損をしています。声は穏やかでいいのですが。
 声質と内面が違う人もいますね。そんな人を何人も見てきました。声は意識して作れます。特に初対面だと、ひとの本当の姿は分かりにくいと思います。

 風子さんは「大きめの声で理路整然と話す方です」か。そうだろうと思います。自分に自信のあるひとは皆そのようです。弁論大会では優勝し、営業では日本一になり、医業でも生き方の助言者になり、おしゃべりにはかなりの才能があるように見えます。
 テレビによく出る人を見ていると、みな頭の回転がいいことに加え、おしゃべりが巧みです。今の時代は、おしゃべりは才能ですね。
 聖書筆者の使徒パウロは会話がかなり下手だったようですよ。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない」と反対者から酷評されています。コリント第二10:10

 イエスの復活については、そんなことは信じない学者が、復活は嘘だと証明しようとして調べたら、とんでもない、客観的な証拠が何十もある、と列挙している翻訳本を読んだことがあります。イエスが単に生きていただけの人なら、単に孟子や孔子と同じような偉人として見られただけでしょうが、復活した話がトンデモ話じゃなく、真実として信じられたので、その後、世界三大宗教の一つになり、いまでは世界が「西暦」を採用するようになったのでしょう。

2019/12/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 たまたまYouTubeで「サンドウィッチマン」というお笑いコンビのコントを見つけて、このところ何本か見ましたが、まあ、話の意外性が面白いこと、ボケと突っ込みの掛け合いが見事です。そのコントの一つに中年男の物真似をするのがあり、太ったほうの伊達みきおが安倍首相の話し方を真似るのですが、ぶつぶつ区切って言う話し方も声質も似ているので感心しました。

 声質は顔の頬や腔内の形で決まってくると思うのですが、物真似芸人はいろんな顔の声を真似ることができるので、どうやって発声しているのかと思います。

 この伊達みきおさんは、金髪で、こわおもてゆえに、その筋の人に見えますが、目はつぶらな瞳をしており、仕事はひとを笑わせるコントです。最初の職業は、仕事の内容に感動したために福祉の仕事を始めて、5年も従事したそうで、ひとは見かけによらないものです。
 以上、返コメを書くためにWikipediaを参照しました。(笑)

 ソフトバンクの白犬は声がだいぶ聞き慣れてきましたか。そういうこともありますね。声と顔が合わないと感じる他の原因は、「お父さん」と呼ばれているのに、あの白犬が若く見えるせいもあるのじゃないでしょうか。

 ところで、白い犬は、頭も白く、顔も白く、足も白く、背中も白く、もしろい、だそうですよ。(笑)

2019/12/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

イエスは誰に対してもやさしいイメージがありますが、
悪人に対しては厳しかったですか。
ジェファーソン大統領はイエスに触発されたのかこんなこと
言ってます。
「謙虚な人に対しては、絶対に不遜であってはならない。
不遜な人に対しては、絶対に謙虚であってはならない」

最近日本女性の声が高いと感じませんか。
普通の日本人女性、アナウンサー、女優、声優みなみな異常に
声が高いです。
本来持っている声域より高い声で話すフェイク声というらしい。
声が高い方がモテたり、かわいらしく感じさせたりするんだとか。
ワンちゃんの耳が垂れたり、目が大きくなってきて人間にアッピール
するのに似てますね(幼生化)。
外国女性は一般に声が低い人が多く、日本に来て女性の声の高さに
驚くそうです。
社会が声の高低を作っているんですね。

2019/12/07(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 イエスは穏やかで冷静沈着のイメージがありますが、喜怒哀楽を割合素直に出す人でした。

●大声で笑った記述はありませんが、大声を出したことはあります。

・祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」。ヨハネ7:37
・(墓にいた遺体ラザロに)「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。ヨハネ11:43
・(刑柱上で)イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」。訳すと「わが神、わが神、なぜ私を見捨てたのですか」という意味である。マルコ15:34

●大声で泣いたこともあります。

・いよいよ(エルサレムが)近くなって都が見えると、イエスは都(に臨もうとしている裁き)を思い、声をあげて泣きだされた。ルカ19:41

●怒ったり、暴力さえ振るったこともあります。

・イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら マルコ3:5
・イエスは神殿に入った。彼は神殿で売り買いする者たち全員を追い出し、両替人たちの台と鳩を売る者たちの椅子とをひっくり返した。マタイ21:12

●特に偽善者には非常に厳しい言葉で糾弾しています。

「禍いだ、お前たち律法学者とパリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは、人々の前で天の王国〔の扉〕を〔鍵で〕閉じてしまうのだ。なんと、お前たちは自ら入ることをせず、入ろうとする者たちをも入らせないのだ。
 禍いだ、お前たち律法学者とパリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは海と大陸を駆けめぐって、一人〔でも〕改宗者を作ろうとする。そしてうまく行った時は、彼をお前たちに倍するほどのゲヘナの子にしてしまうのだ。
 禍いだ、お前たち盲目の道案内人どもよ。お前たちは言う、『神殿にかけて誓う者〔がいるとすれば〕、それはなにごとでもない。しかし神殿の黄金にかけて誓う者は、〔その誓いを〕果たす義務がある』。
 禍いだ、お前たち律法学者とパリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは薄荷(はっか)とイノンドと茴香(ういきょう)との十分の一税を払っていながら、律法の最も重要なものをなおざりにしている。〔公正な〕裁きと憐れみと信頼である。前者も行なわねばならないが、後者もなおざりにしてはならない。
 盲目の道案内人どもよ、ぶよを濾(こ)すが、らくだは丸呑みにする者どもよ。
 禍いだ、お前たち律法学者とパリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは杯と皿の外側を清める〔だけで〕、内側は略奪〔行為〕と放縦さに満ちている。
 盲目のファリサイ人よ。杯の外も清くなるためには、お前はまずその内を清めよ。
 禍いだ、お前たち律法学者とパリサイ人よ、偽善者どもよ。お前たちは石灰で〔白く〕塗られた墓そっくりだ。外側は美しいが、内側は死者の骨とあらゆる不浄に満ちている。
 このようにお前たちも、外側では人々に義人らしく見えてはいるが、内側は偽善と不法で満杯だ。
よい。
 蛇よ、まむしの裔(すえ)よ、お前たちはゲヘナの裁きからどのようにして逃げようというのか。
 まむしの裔(すえ)め、お前たちは悪しき者であるのに、どうして善いことを語りえようか。なぜなら、心があふれることによって口は語るのである」マタイ23:13-33,12:34

 パリサイ人(派)はユダヤ教正統派の特権階級です。
「パリサイ」とは「分離した者」という意味で、彼らは、自分たちは律法を守らぬ俗人とは分離された聖なる者だと誇っていて、一般民衆を見下げていました。民衆よりも律法を守っていて倫理観は厳しかったのですが、それは善行を見せびらかすためであり、ラッパを吹いて自分のプロパガンダのためにそうしていました。彼らと大祭司たちがイエスを殺すように画策したのです。

 以前にも話したことがあると思いますが、私は、不遜な人にも謙虚であろうと努めてきたために、かえって相手から調子に乗られて、けっこう損失を被ってきたことがあります。相手が偉そうにするときに、こちらは譲歩ばかりするのは間違ってますね。

 最近の女性の声が高音の件。数日前にパネルディスカッションの動画を見ていて、主張の大きい人がそうなることが多いように感じました。若くて自信があって勢いのある女性は、他のコメンテーターに負けないために高音傾向になっているような気もします。あと、日本では大人の低音の魅力よりも、かわいこちゃんタイプの高音女性のほうがもてはやされる傾向もありますかね。

2019/12/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは^^

ぼくもまた動画ではだいぶがんばって声を張って喋っておりますが、普段はなんと言ったか聞き返されてしまうことも多く、寡黙というよりも喋るのが面倒といった体たらくです^^;
相方と息子はその対極のような人間なので、
ある意味バランスが取れた家族ですね笑

これはぼくの主観的に感じることですが、
普段の喋る声が大きい方は「自分が喋りたい」という意識が強い方が多く(あるいは無自覚に喋ってしまう)、
声が小さい方は「聞き手」に回ることが多い(自覚的にならないと喋れない)感じがしますね。
これまたうちの家族関係がそうです。

その人の性格を形作る要素は生まれ持った声帯の筋肉などにもあるのかもしれませんね。


>人は真実だと知っていることのためには殉教死も出来るだろうが、嘘と知っていることのために死ぬことは出来ない。

これは本当にそのとおりですね。
あるいは「知らないけれども信じてる」という理由でも殉教死はできて、
「知らないし信じられない」という理由では死ぬことができませんよね。


マグダラのマリアはイエスの妻だったという異説、とても興味深いです☆

2019/12/08(日) |URL|友資 [edit]

Re: こんばんは^^

友資さん コメントありがとうございます^^)

 友資さんはあまりおしゃべりじゃないほうですか。俳優でユーチューバーという経歴からすれば、おしゃべりはかなり得意のように見えますよ。
 しかし家族は正反対なのでバランスが取れている。なるほど、うまくいっている家族のようで良かったですね。

 私はおしゃべりじゃないのですが、何にも考えてないのかというとそんなことはまったくなく、頭の中でいつもよくしゃべっています。絶えず頭の中でおしゃべりしているので、瞑想が不得意です。夢想状態になって数秒もすれば、何かしら考え出します。だから夜はすぐ眠れる状態にならず、ひどいときは4,5時間ぐらい頭が考えています、つまらないことを。(笑)

 ですから、誰かがしゃべると私もそれに対してしゃべる言葉は考えているのですが、ただ声に出さないだけなんですね。そういう意味では「自分が喋りたいという意識が強い」ほうではなく、自己主張は弱いほうのようです。ただ、ひとこと誰かの言葉に合わせて駄洒落を言いたくなる傾向は強くありますが。(笑)
 
> あるいは「知らないけれども信じてる」という理由でも殉教死はできて、
「知らないし信じられない」という理由では死ぬことができませんよね。

 確かに前半の理由もありますね。その「信じている」というのは狂信とか盲信と呼ぶべきもので、度を越すと家族や社会にに害悪となることがありますが、本人は、自分の信じていることは強信だ、正義だ、立派なことだと思いこんでいるので困ったものです。

 マグダラのマリアの件ですが、聖書外典『フィリポによる福音書』には、マグダラのマリアをイエスの伴侶と呼び、イエスは彼女を他の誰よりも愛していたという記述があります。マリアはイエスの妻とされている学説もありますが、私は、そのことがチャネリングで語られたスピリチュアル本を持っています。このマグダラのマリアは、復活したイエスを最初に目撃した女性です。

 ところが西方教会が、女性の使徒がいたら困るのと、聖なる神の子イエスに妻が居たらこれも困るので、マグダラのマリアは罪深い女だった、つまり娼婦だったという噂を広めてきたために、そんな聖書的証拠はまったくないのに、悪いイメージが付いてしまった気の毒な女性です。マリアについては、そのうちブログに書こうかと思っています。

2019/12/08(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

以心伝心

 言葉はいらないというのは思い上がり。恋人なら会話せよ。所詮は他人の男と女、何もせずに解り合えるわけがない。
 その点、男と男なら会話はいらない。解り合う必要がないからだ(笑

2019/12/09(月) |URL|miss.key [edit]

Re: 以心伝心

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 「バベルの塔」が完成しなかったのは、人間が塔の頂を天まで届かせて神に対抗しようとした傲慢さゆえに神が怒って人間のことばを多言語に乱したので、人間同士が互いに意思疎通ができなくなり、その結果、塔の建設が中断してしまったと言われています。

 いくら言葉をしゃべってもその意味が通じなければ、物事はうまくいくはずがないし、大体が解かり合う必要がなければ言葉を通わせる必要もないし、実際にそうなっているのが世界の現状なんでしょう。そして、そうなっているのは利害損得の勘定の他に、主義思想の感情が絡むからでしょう。

 言葉を通わせなければ意思も通じない。だから「初めに言葉ありき」というよりは「初めに考えありき」で、それは「われ思うゆえにわれ在り」の意識が強いからなんでしょう。

2019/12/09(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/12/10(火) || [edit]

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