「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ゴーギャンの絵『我々は何者か』の問いとゴーギャン的「解」。  


 前回考えた、ゴーギャンの深遠な問い。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
 これをタイトルにした絵は、悪魔の削除と生命の再起動を示しているようです。

 そのように説明しているサイトは、ざっと検索した限りでは見つからなかった
のですが、そう思える根拠があります。
 まずは下の絵がヒントですが、すぐ分かれば S.ホームズや金田一耕介級です。

 barfe1.jpg
 『ヴァイルマティ』1897年 マルキーズ諸島の神話に登場する美女で、後に神の妻になる。



『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(クリック拡大)
P8enons-nous.jpg
  (老年期)  ← ← ← ← ← ← ←  (成年期)  ← ← ←  (幼年期)


 絵のタイトルは、ゴーギャンが子供のとき神学校で教えられた教理問答が元に
なっています。ゴーギャンはタヒチで、この絵を永遠の謎解きのテーマとして描
いたあと砒素自殺を試みたので、この大作は彼の遺書のようになりました。

 今回は、この深遠な問いの“ゴーギャン的な「解」“を考えました。

       ____________________

この絵は永遠の時間の流れを描いている。

●画面は、時間が右⇒中央⇒左に流れている。
・右側で寝ている赤子は《人生の始まり》を表し、
・中央で立っている若者は《成年の活動期》を表し、
・左側でしゃがんでいる茶色い老婆は《人生の終わり》を表す。

●中央の人物は、画面の上下いっぱいに描かれ、天と地をつないでいる。
両手を伸ばして果実をもいでいるのは、エデンの園の「禁断の果実」物語を表す。
この人はアダムの妻エヴァを表しているようだ。

※訂正:前回記事では、中央の人は胸にふくらみが全然なく、乳首部分もほとんどないので、ゴー
ギャンは、《原罪》の主たる責任者として、若い「男」を描いたかと思ったのですが、旧約聖書の
『創世記』には、蛇(悪魔サタン)がエヴァに「この果実を食べたら神のようになれる」と言って
誘惑したら、「女はその実を取って食べ、共にいた夫にも与えたので、彼も食べた」と記述されて
おり、絵の登場人物は子ども以外は女ばかりのようなので、一応「女」であることにしておきます


●画面の両端の動物は、前世と来世を表すのかも。
・右端の「黒い犬」は、赤子の右側にいるので《生まれる前》を表し、
・左端の「白い鳥」は、老婆の左側にいるので《死んだ後》を表しているようだ。

「白い鳥」はゴーギャンの説明によると「言葉がいかに無力であるかを表してい
poulus.jpgる」そうだが、注目したいのは「白
い鳥」の足の下で、よく見ると、緑
色のトカゲが押さえつけられている。

 聖書巻末の書『黙示録』では悪魔
サタンが「竜」として出てくるが、
「竜」の英語はドラゴンで、トカゲ
の親玉のような体形をしている。

←右は冒頭に出した『ヴァイルマティ』の絵
の一部だが、トカゲの色が黒いのが違うだけ。



       ____________________

この絵の深遠な問いのゴーギャン的「解」は・・・

①『我々はどこから来たのか?』
 =人間は《無》から来た。生まれる前は《無存在》だった。

 絵の右端には「黒い犬」がいる。黒い色は暗黒の世界を示唆しているようだ。
 聖書は「神が地面の塵(地球の元素)を用いて人間を造った」と記述している。
すなわち神によって造られる以前は、人間は存在していなかった。

②『我々は何者か?』
 =人間は霊的なことを考える生きものである。

 絵では中央の人は罪を犯そうとしている。その左では子どもが原罪を表す果実
を食べている。奥の偶像神の右には「祈る人」がいる。つまり人間は、義と不義
という概念と不可視の神を考える《倫理的で宗教的な生きもの》である。
 聖書は「人は神の像(似姿)にかたどって造られた」と記述している。人間は、
神の属性である愛や公正などの道徳心と理性を持つ「考える葦」であるのだ。

③『我々はどこへ行くのか?』
 =大空を羽ばたく「白い鳥」は《生まれ変わり》を意味していそうだ。

 偶像神が月の光を受けて青白く光っている。これはゴーギャンにキリスト教以
外の信仰が入っていたのかもしれないことを示唆している。タヒチ土着の信仰は
魂の不滅を教えていると思われるが、ゴーギャンの手紙からは、彼が生命の再生
や輪廻を考えていたらしいことがうかがえるそうだ。
 むろん、キリスト教は、信者は天国に行き、未信者は地獄で苦しむと教えてい
る。ただし『ものみの塔』は、死んだら塵に戻って無存在になると主張している。


        ____________________


時間の流れを、前側の右から左、後ろに行って左から右に「」字型に見ると、
kaous.jpg

 左端の「白い鳥」の後ろ奥には「偶像神」があり、その右には、偶像神を信じ
てないのか、背を向けて「祈る人」がいて、さらに右奥のほうではそこだけ暗雲
に包まれた「二人連れの女性」が途方に暮れている構図になっている。

masla.jpg 右奥の「二人連れの女性」は、アダムとエヴァが罪を犯したた
めにエデンの園を追い出される『楽園追放』の絵を想起させる。


←マザッチョ『楽園追放』 1426-1427年
 上空にいるのはエデンの園を守る天使。


       ____________________
   
 宗教的な視点で見れば、キリスト教的な世界観を根底に、土着信仰の影響も見
受けられ、「白い鳥」では生命再生の希望がぼんやりと描かれているようです。

 全体の印象は暗く、ゴーギャン自身は、何が真実なのか、救いはあるのか、死
んだらどうなるのか……の正解があやふやなために迷っているようにも思えます。

 そうであれば、旧約時代の預言者エレミヤの言葉を思い出します。
「主よ、わたしは知っています。人はその道を定め得ず、歩みながら、足取りを
確かめることもできません」(エレミヤ10:23)


 (次回は続編として、“スピリチュアル的な「解」”を扱うつもりです)

 

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意外です

『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』。
拙ブログのタイトルと同じなのに、ゴーギャンが、
こんな絵を書いていたとは知りませんでした。
実は映画“炎の人”を観て、激情タイプの二人にうんざり。
以来、ゴッホやゴーギャンの絵が嫌いになって……(笑)

ですが、この壮大なテーマは人生において、
誰もが一度や二度真剣に考えますよね。

大きな老木の先端に『新生児』。
中間の枝葉に『若い娘』。
幹に『中年の女性』。
根っこに『老女』。
過去と未来は描かれていませんでしたが、
人の一生を古木に描いた作品を京都美術館で見たことがあります。
同じテーマで世界の著名な画家たちが描いたら、
『輪廻転生』はどう見えるのか。興味津々です。

抽象画ほどではないにしても、パッと見るだけでは、
画家の心情や意図を理解することは難しいですね。
個人的に『ボッティチェッリ』や『ダビンチ』の画風が好きだからでしょうか。
ゴッホやゴーギャンから感じる『愛』に崇高さは感じられない。
単なる激情、肉欲、闘争、ジェラシーなどが表出して、
人智学や哲学からは遠いように観えてしまいます。(^_^ ;)

2019/10/19(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

ただの楽園の絵ではないのですね。楽園にしては色調が暗いと思っていました。
この絵によると人間の絶頂期が中心より手前に描かれています。
ということは当時も長寿だったのでしょうか。

それにしても白い鳥はもう少し手前にこないといけません。
多分がん保険を勧めているのですから。
鳴き声は「Aflac」と一言です。

愛新覚羅

2019/10/19(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 意外です

風子さん コメントありがとうございます^^)

 あらら、風子さんのブログのサブタイトルは、ゴーギャンの絵と同じだなと思っていましたよ。知らなかった、ということは風子さんのそれはオリジナルなんですね。
 この『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』は精神世界に関心を持つ人の共通の疑問なんでしょう。私は特に「どこへ行くのか」に子供の頃から強い関心がありました。死んだら世界から自分の無存在を意味していると思っていたので非常に怖ろしくて、夜中にそのことを思うと、大声を出したくなるほどでした。

 この絵はちょうど10年前に、皇居のそばの国立近代美術館で見たのですが、思っていたよりも大きくて、暗くて、うーむ、これがそうかと、しばし唸りました、が思ったより感動しなかったですね。
 ゴーギャンはこの絵を1か月ぐらいで描いたそうですが、彼の魅力であるあの強烈な赤や緑が無くて、絵としての美しさがなかったせいが大きいと思います。畏怖すべき荘厳感というようなものも感じなかったですね。
 ただ、このテーマはたいしたもので、おっしゃるように他の画家が描いたらどうなるか興味がありますね。

 『ボッティチェッリ』や『ダビンチ』の画風が好きですか。ちょっと意外でした。激しいタッチの絵が好きだと思っていましたよ。
 私は、好きな画家は、若い頃はカンディンスキー、次にゴッホ、ついでユトリロやロートレック、そしてボッティチェッリとなって、そのあとは好みが拡がって、きれいなものなら何でも好きになりました。きれいというのは私の場合、色ですね。色がきれいで構図が良ければ名画だと思います。

2019/10/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> ただの楽園の絵ではないのですね。楽園にしては色調が暗いと思っていました。この絵によると人間の絶頂期が中心より手前に描かれています。
 あ、なるほど、人間にはおおむね誰にも絶頂期というのがありますね。サラリーマンだと入社して部下が出来た頃から退社するまででしょうか。教授は相当精力的にあれこれと活躍したのじゃないですか。

 芸術家やそしてスポーツ選手もそうだったかもしれないですが、彼らは5年間が絶頂期だそうで、それを過ぎると下り坂に入るというのですが、芸術家に限っては晩年になってもかえって勢いが落ちない人もいますね。
 ただ、若い頃に世間に認められ、成功した画風の絵をずっと死ぬまで続けるというのは創作ではなく、単なる惰性で描いているわけで、ピカソのように画風がガラッガラッと変わるほうが面白い生き方だろうと思います。むろん、一つの画風を極めるというのもありますが。

 この白い鳥を見てあのCMを思い出しましたか。ガチョウとアヒルの違いは、コブがあるほうがガチョウだそうですが、両者とも家畜化されたので数メートルしか飛べない鳥になってしまいました。
 ゴーギャンの時代のタヒチの白い鳥は、青い大空を大きく羽ばたいて飛んでいたように感じますね。

2019/10/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/10/19(土) || [edit]

Re: こんにちは

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)

 タヒチはゴーギャンの時代にすでにかなり文明に毒されていたようです。今はタクシーの初乗りが1500円するとかブログに書かれていました。観光地だけの値段なんでしょうか。

 タヒチといえば映画『南太平洋』を思い出します。ミッツィー・ゲイナーとロッサノ・ブラッツィ。ミッツィー・ゲイナーはこの映画を観たときはあまり美人だと思わなかったのですが、何十年も経ってからビデオで観たときは美人に見えたことを思い出します。女性の好みも変わってくるのですね。(笑)

 映像はあまり覚えてないですが、音楽はよく覚えていて、出だしだけなら今でも歌えます。有名なのが3曲ありました。
「Some Enchanted Evening.you may see a stranger」の『魅惑の宵』
「Bali Ha'i.may call you」の『バリハイ』
『パペーテの夜明け』は口笛のメロディを聴くとタヒチの夕暮れを思います。
 あ、それから「Wonderful Guy」というのもありました。昔の映画は音楽がいいのが多いですね。

 最近ゴーギャンの映画が公開されたのですか。私も観たいです。

2019/10/19(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』…と言うのは古代から続く人間の命題ですね。
結論から言うと「我々はどこからも来ていない 我々は何者でもない 我々はどこにも行かない…と言うより行けない」
我々は「E=mc2」…つまりエネルギーであり、そこで発生したものであり、エネルギーとして運動しているから時間がある様に見え、実体が存在している様に見えるだけで、どこへも行けず、ただエネルギー体としての変換を繰り返しているだけなのです。
…と、真実を言ってしまえば身も蓋もないですが、それでも自分は個我があって物体として存在していると思いたいのが人間です(笑)
なぜ人間はそう考えるのか?と言うと、地球と言う星がハビタブルゾーンの中にあって、しかも環境によって、水が固体・液体・気体に変化する有様を見ているからです。
エネルギーの形態が変化するのは当たり前の自然現象なのですが、生命の源である水(液体)から生まれた人間はどうしても液体の状態に固執してしまう。
気体(見えない)や、固体(動かない)状態を死ぬ事だと錯覚してしまうから、その状態に移行する事を嫌がるのでしょう。
万物が変化するのは全てがエネルギーだからであって、人の生命も同様であり死んで無になったり、天国へ行ったりはしません。
形態を変えながら永遠にこの世なる宇宙に留まり続けます…生命を生命たらしめる素粒子もゆくゆくは発見されるでしょう。

2019/10/20(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 今回の拙記事はゴーギャンの絵について聖書をベースにした説明です。でも、joさんのこのコメントは、人間とはエネルギーが形を変えたもので「エネルギーとして運動しているから時間がある様に見え、実体が存在している様に見えるだけ」という持論ですが、これはjoさんのオリジナルなんでしょうかね。いずれにしても、むしろ拙記事の次回のスピリチュアル的「解」の内容に合っているようです。

 モノみなエネルギーであるとはアインシュタインが喝破したことですが、人間は単なるエネルギーの凝縮したものではないはずです。なぜなら、人間がモノと決定的に違うのは、「意識」がある点です。そしてなによりも「霊性」があることが人間を人間たらしめている重要なポイントだと思います。はるか彼方の宇宙を想う思考もあるので、だから「考える葦」であると言われています。

 問題は、エネルギーがどうしてそのような「意識」や「心」や「感情」を持ったのかということです。宇宙がビッグバーンと爆弾が暴発したかのように始まったなら、「心」や「感情」なんて異質なものは生まれ得ないはずですから。
 私は人間という生き物は「意識」が一番重要な要素だと思っているのです。もっと言えば、神という存在は究極的には「意識」だと思っているのです。

> 生命を生命たらしめる素粒子もゆくゆくは発見されるでしょう。
 ここは私とは考えがちょっと違いますね。私は、科学という唯物論的な思考では、生命とか神とか魂という形而上学的なことは説明できない、それは次元が違うものだからと思っているのですが、もちろん、それを証明できるわけではありません。
 

2019/10/21(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/10/24(木) || [edit]

なるほど

この絵は私も10年くらい前に
巡回展で見ましたが、
この素朴な絵に寓意を探そうと言う発想には、
全く至れませんでした。
その気づきに脱帽です。
ゴーギャンは3年くらい前に映画にもなって、
それも見ました。
個人的には好きな画家です。

2019/10/24(木) |URL|無着(無縛) [edit]

Re: なるほど

無着さん コメントありがとうございます^^)

 10年くらい前なら、私が観たのと同じ美術展だったのですね。私が観たときは、この絵は壁面ではなく、展示スペースの中央に置かれていたような記憶があります。これがあの絵か、と思ってしばしたたずんだものです。

 この絵は一か月くらいで描いたそうで、ただ人生の各シーンを時間順に並べただけのように見えます。しかし西欧の印象派以前の絵は、大抵は王侯貴族とその家族か、あるいは聖書やギリシア神話を基にした宗教画が多いのですが、ゴーギャンの宗教画は面白いですね。登場人物が南洋の現地人で、しかも宗教画くさくなく、荘厳感などまるでありませんが、同じものを白人で描いてもあまり面白くないでしょうから、やはりこれがアイディアなんでしょう。

 2009年に東京国立近代美術館で『ゴーギャン展』を企画開催した主任研究員によると、「ゴーギャンは、19世紀末の終末論的な時代の空気のなかで、近代文明に対する徹底的な懐疑をふまえ、人類が向かうべき処方箋の一つを提示しようとしたのではないか。世界を暴力的に裁断してしまう二元論を超えるためには、対立と闘争によって発展的に統一をめざす止揚ではなく、ヒナ神や両性具有者に表象されるような、両者の境界を柔らかに溶かしていく循環的な発想が求められる。ゴーギャンはタヒチのなかに、その可能性を秘めた身体的な知を発見し、それを『野性』と名づけたのではないだろうか」(『ゴーギャン展』図録p.124)と記しています。
 同じ絵を観ても、いろいろ深く読み込む人もいるのですね。私なんぞはどうにか絵の説明をしているだけです。

 ゴーギャンで思い出すのはゴッホですが、Goghは宗教画をいうものをほとんど描いてないのですね。『種まく人』『善きサマリア人』ぐらいしか思い出せません。

 画家には表現の自由がありますが、人種偏見やヘイト思考を含むキナ臭いものではなく、もっと平和志向で精神的に深みのある、見て美しいものを描いてほしいものです。

2019/10/24(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/11/07(木) || [edit]

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