「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ゴーギャンの「我々は何者か」の絵と十字架刑についての夢想。 


有名なゴーギャンの絵を見ていたら、
あら、これはキリストの磔(はりつけ)のポーズだ、と気が付いた。

どこに十字架があるのか?と思うかもしれませんね。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
 (クリック拡大)
P8enons-nous.jpg
                                 Wikipedia 

中央の人物の立ち姿が下右の「磔」 はりつけ 男と似てないでしょうか。

右の絵は中世の杭殺刑ですが、男が一本の「杭(くい)」に架けられています。

 nzzkhfd.jpg
           
↑ 『杭殺刑』ユストゥス・リプシウス De cruce 1595

★訂正:中央の人物は女性かもしれません。次週、このゴーギャンの絵を扱う際に説明します。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
イエスの刑柱は本当は「一本の杭だった」とする異説が面白い。

キリスト教の一派『ものみの塔』が「十字架は間違いだ」と主張している。宗教
上の真理は一つだとされているので、教義に「表現の自由」はない。この異説派
と保守派の教義論争が、検事と弁護士のやり取りを見るようで、面白いですよ。

●異説『一本の杭説』の根拠
(1) 「十字架」という訳は言語学的に間違いだ。新約聖書で一般に「十字架」と
kkkkk.jpg訳される古典ギリシア語の「スタウロス」は、おもに真っす
ぐな「杭」もしくは「柱」
を表しており、十字形ではない。
他には「クシュロン」というギリシア語が5箇所で使われて
いるが、その言葉は元々「木」を意味していた。新約聖書の
筆者たちが、この語を「横木の付いた杭」つまり「十字架」
を指して用いた証拠はない。



←イエスが一本の「杭」に架けられたイメージ画
 頭上の表示は「罪状書き」
『ものみの塔』誌1987年8月15日号24ページより ※1
 


(2) イエスは旧約律法に書かれている通りに「木」か「杭」に架けられたはずだ。
聖書では「罪の払う代価は死」である。古代イスラエルの律法では、犯罪者は死
刑後、「呪われた者」として「木」または「杭」に架けられ、さらし者にされた。
イエスは罪を全く犯さなかったが、人類の罪を身代わりに負うために、無実なの
に刑柱に架けられて「呪われた者」となり、人類を有罪状態から解放した。※2

(3) 十字架は古代カルデアの異教に起源がある。西暦4世紀、太陽神崇拝者コン
スタンチヌス大帝が異教の教えやシンボルをキリスト教に持ち込み、教会は堕落
した。異教の崇拝を忌み嫌う聖書の神が、異教起源の十字架をキリスト教に使う
のを許すはずがない。主イエスが殺された忌まわしい刑具をなぜ有難がるのか。

               ――――――

●反論『十字架説』の根拠 ※1
(1) 罪状書きがイエスの「頭の上に掲げられた」ので、十字架に架けられたはず
gurek.jpg福音書のマタイ27:37には「イエスの頭の上には『これ
はユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きが頭の
上に
掲げられた」と記述されている。
これは左の絵のように、刑柱が横棒のある「十字架」で、
手が左右になっているときにのみ当てはまる。もし刑柱
が一本の「杭」であったなら、罪状書きは「両手の上に
掲げられた」と記述されているはずだ。(上の絵参照)


← エル・グレコ『キリスト磔刑』1541-1614年
  
(2) イエスは両手に複数の釘が打たれた。十二使徒の一人トマスはイエスの復活
について、「その手に釘跡を見なければ、わが指を釘跡にさし込まねば、私は決
して信じない」と言ったが、この「釘」というギリシア語は複数形である。つま
り刑柱は杭と横棒から成る十字架形だったので、両手に複数の釘が打たれたのだ。

(3) 初期教会の文献がある。西暦2~3世紀のイグナチウスや殉教者ユスチヌス
などの初期の教会記述者や『ペテロ行伝』は、イエスが「十字架」につけられた
ことを記述し、『バルナバの手紙』は「モーセが手を挙げた姿は十字架を表して
qqqq8.jpgいる
と書いている。
(←映画『十戒』より紅海を分けるモーセ)
テルトゥリアヌスは申命記33:17の
「野牛の角は二つのキリストの性格、
裁き主としての力と救い主としての
優しさを示している。その角は十字
架の両端である」と書いている。

(4) 考古学上の証拠もある。西暦79年に廃墟と化したポンペイの町跡から出土し
た家に金属の十字架の跡があった。西暦1873年、70~135年の間の物と推定さ
れる棺がエルサレム近郊の納骨堂で発見されたが、「十字架」が刻まれていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
嘘も100回聞かされれば、嘘と分かったあとも心に残る。


イエスが架けられた刑柱が、十字形だろうが、一本杭だろうが、T字形だろうが、
関心がなく、重要事でもなく、信仰にも関係ないだろう、と思うかもしれません。

「罪状書きが頭の上に」あったとする聖句も《頭の上の手の上に》と解釈可能な
ように、問題は、聖句は割合どうにでも解釈できることと、一つの考え方だけを
繰り返し教え込まれていると、どうしてもそれを真実だと信じてしまうことです。

聖書は、人々は「世の霊」の影響下にあると述べています。(コリント第一2:12)
「世の霊」とは、この社会の人間の思考や活動を支配している精神傾向のことで、
教育やマスコミ、政治家や識者やその書籍によって育成され、固着されています。

本来、時事報道は中立であるべきですが、日本のテレビ局は新聞社が親会社で、
特定の思想に染まっています。ですので情報源が著名であっても、すぐ信用せず、
情報はできるだけ多方面から仕入れたほうがいい、と昨今は強く感じます。
※3




補足
※1:中澤啓介「十字架か、杭か」 http://1st.jwtc.info/uploads/photos/62.pdf

※2:「呪われた者」についての聖句
申命記21:22「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木に架けるならば、死体を木に架けたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木に架けられた死体は、神に呪われたものだからである」
ガラテヤ3:10-13「律法の業に頼る者はみな呪いのもとにあるからです。『律法の巻き物に書かれているすべての事柄のうちにとどまってそれを行なわない者はみな呪われる』と書かれています。……キリストは私たちの代わりに呪われたものとなり、こうして私たちを律法の呪いから買い取って釈放してくださったのです。『杭に掛けられる者はみな呪われた者である』と書かれているからです」。

※3:アメリカ合衆国ではクロスオーナーシップと言って、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすことが制限されています。



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おはようございます❢

>この社会の人間の思考や活動を支配している精神傾向のことで、
教育やマスコミ、政治家や識者やその書籍によって育成され、
固着されています。

これはおっしゃる通りだと思います。
だから、人類の罪を背ったとされるキリストの処刑についても
教会主導のプロパガンダかも? などと、ず~と疑問を持っていました。

というのも、例えばヒトラーの父が懺悔のつもりで、
息子とドイツ国民の罪を背負って自死したとしても、
アーリア人至上主義思想は消滅しなかった。
それどころか世界は未だに『〇〇至上主義』に満ちています。

やはり『世の霊』の進化は、個々の魂がエゴを体験し尽くし、
何度も生まれ変わって価値観を取捨選択するより以外に
道はないような気が……。

それでもなお、一本の杭と、十字杭を見比べると、
十字型に聖なるものを感じてしまいます。
識者や書籍によって思想育成され、固着してしまったのでしょうか。(笑)

2019/10/12(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

磔は残酷ですね。手や足に釘を打つなんて聞いただけでも身の毛がよだってしまいます。
痛いでしょうね。
それと比べれば戦国武将が相手の首を取るなんてまだ紳士的です。
インディアンが頭の皮をはぐのはいただけませんが。
一般市民は磔になった人を見物に行ったようですがどんな心理だったのでしょう。
私なら絶対に見に行けません。

愛新覚羅

2019/10/12(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: おはようございます❢

風子さん コメントありがとうございます^^)

> 例えばヒトラーの父が懺悔のつもりで、
息子とドイツ国民の罪を背負って自死したとしても、
アーリア人至上主義思想は消滅しなかった。

 最初の人間が罪を犯して、その罪が遺伝により自動的に全人類に伝わったという「原罪」の教理は、物事の道理に反しています。罪の罰は当人だけが負えばいいはずで、しかも「罪の代価は死」ですから、死んだら罪は消えて無罪になるはずですから。

 アダムから四千年後のイエスが無実でありながら死刑を執行されたことで、全人類が受け継いだ原罪を相殺したとする「贖罪」の教義は、もし全人類の罪が自動的に消えるのならいいのですが、イエスを信じる者だけが罪を消してもらえるというのが解せません。これはキリスト教会だけを利する利己的かつ独善的な教えであり、公正・公平な愛がないと思いますね。

 そういうわけで、先祖の罪を言い募って、その子孫に対して千年間も、謝罪せよ謝罪せよと言い続けるのは道理に反しており、愛と寛容がありません。

 よく三十過ぎの子供が罪を犯した責任をとって有名人の親が仕事を辞めたりしますが、これも子供の罪は親が負う必要はないし、親が負えるものでもなく、当人だけが負って罪を償えばいいのです。学校のクラブ活動で部員の誰かが不祥事をしたからといって、部員全員が連帯責任を負うのは道理に反していると思いますね。

 十字架については由来は異教にあることは学術的に確かです。聖書の神は自分以外の神々への崇拝を嫌悪しますから、そういうことを叩きこまれてきた私は、教団を離れてだいぶ経つ今でも十字架には触りたくありません。(笑)

2019/10/12(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 古代イスラエルでは、誰かを故意に殺すと、「目には目、歯には歯、命には命」の原則により殺人者は死刑にされました。
 その方法は「石撃ち」といって、みんなで石を投げて犯罪者の命を奪います。そのあとで刑柱に架けてさらし者にして、見せしめにします。
 だから気軽に人を殺すことはできず、イスラエル社会は、そういう意味ではかなり安全度が高かったと思います。

 過失致死の場合は牢屋に入る必要もありません。「逃れの町」という地域が6か所あって、そこに逃げ込めば被害者の遺族の復讐の手から逃れることができました。そして時の大祭司が死んだら、恩赦が適用されました。
 無期懲役なんていう刑罰はないので、貴重なひとの命を故意に無慈悲に奪った極悪人を、牢屋で養う費用も手間も掛かりません。イスラエルの犯罪者に対する律法は基本的にはよくできていると思います。

 首吊りも怖いですが、ギロチンも怖いですね。薬物のほうが痛くないでしょうが、しかし怖いのも犯罪の抑止力になりそうです。
 人間の老衰死も痛みがなければ怖くないと言う人がいますが、もし自分のまだ若いときにその時が突然来ると分かったら怖くないのかと思いますね。

2019/10/12(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

解剖学的な見地から言うと、手のひらに釘を打って人間の体重を支えるのは無理があるそうです。
吸血鬼ドラキュラ伯爵のモデルになったモルドバの領主「ヴラド三世」は、当時最強だったオスマン帝国と戦って勝った事で有名です。
その時、捕らえたイスラム教徒の捕虜を手首と足首を重ねて杭に打ちつけ、街道にズラリとさらして見せしめにしたそうです。
確かにそれだと身体の重みで人体がずり落ちる事は無く、杭に打ちつけられたまま死ぬまで延々と苦しみ続ける事になるでしょう。
その異教徒に対する残虐な処刑から、後の世になってヴラド公がドラキュラのモデルにされたのも理解できる様な気がします。
現代ではそんな事をすれば人権問題ですが、当時は杭打ちや火あぶりは(特に異教徒に対して)一般的な処刑方法だったと思います。
なので、或いは宗教的な意味を持たせて書かれた(虚構の入り混じった)聖書と史実は異なるのかも知れません。
特に、後にローマ人がキリスト教に改宗したので、聖書ではユダヤ総督「ポンテオ・ピラト」は善人に描かれてますが、イエス処刑の主犯は彼だと思います。
なぜなら一介の官僚であるピラトにとって、ローマ皇帝領であるユダヤの統治を一任されているのに、そこで問題が発生すると役職を解任されかねません。
問題が大きくなって皇帝の耳に届く前にさっさとイエスを始末した…今では世界宗教の祖であるイエスの処刑は、当時から言えばその程度のものだと思います。

2019/10/12(土) |URL|sado jo [edit]

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2019/10/12(土) || [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 てのひらに釘を打って体重を支えるのは無理があるというのはその通りのようで、実際は手首の付け根の骨の間に打たれたりしたようです。そうなると姿勢が苦しくなり、肩を脱臼し、呼吸困難で死んだこともあったようです。それで、ひどく苦しむのがかわいそうだというわけで槍で刺したりして死期を早めることもしたようで、イエスに対しては痛み止めの薬を混ぜた葡萄酒を飲むかと兵士が聞いて、イエスは断っています。

 今は人権が問題にされるので苦しまない方法で死刑になりますが、死刑廃止の国もあるので、そのような国では、一般人による殺人は比較すれば多いのではないでしょうか。日本の江戸時代に犯罪が少なかったのは十両盗めば首が飛んだからだという話もありますから、刑罰は軽いと効果がないことは確かなようです。昔なら何億円も不正で懐に入れる社長や役員はみな死刑になります。

 そうですね。ピラトは、聖書では好意的に描かれていますが、実際はかなり狡猾だったという話もあります。イエス殺害は、群衆がイエスを殺せ殺せと叫んだからですが、そうするように扇動したのはユダヤ教の大祭司や祭司長などですから、いつの時代も大衆は政治的な意図を持つリーダーに導かれて動いていますね。

 イエスの死についての一般の文献は、後の教会記述者を除けば、歴史家のヨセフスが軽く触れている程度で、そんな出来事が世界の宗教の基礎になっていくのですから、原罪と贖罪の教理を考え出した使徒パウロという人物はたいしたものだと思います。企業でも宗教でも国家でも、リーダーの才覚によって運命が決まりますね。

2019/10/12(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)

 2代目会長ラザフォードについての文献まで検索したのですか。
 彼は判事出身で頭が良く、かなりいろいろ独自の教理を打ち立てることに熱心でした。「エホバの証人」という名称をイザヤ書から採用。神の裁きの大患難のあとには地上で永遠に生きる「大群衆がいる」。十字架の不採用。クリスマスと誕生日の祝いを廃止。国旗敬礼を廃止。政治・宗教・商業はサタンの三大ツールである・・・などです。
 ものみの塔は、宗教の中でも特にキリスト教を真理から逸脱した背教者だとして嫌悪しています。キリスト教のほうは、逆に彼らは異端だとして嫌っています。お互いに自分たちこそ真理だと信じているので、仲良くなることはないでしょう。

 旭日旗の問題は戦後何十年もまったく問題にはなりませんでした。2011年のサッカーアジア杯で、ある韓国選手が猿の真似をして日本人を侮辱して咎められたとき、言い訳として観客席に旭日旗があったと言ってから、始まりました。あとで調べたら観客席に旭日旗はなく、その選手も後で、旭日旗は以前に見たと言い訳を変えていますが、旭日旗はそのときに新開発された日本攻撃武器だということは韓国の教授やジャーナリストでも認めている人がいます。彼らは日本に嫌がらせをすることがなぜそんなに好きなんでしょうかね。優越感を感じて気分がいいせいかと思っていますが。

 しかし朝日新聞は、韓国人は旭日旗を見ると植民地時代の苦しみを思い出すのだと記事に書いて、日本批判を続けています。彼らの日本ヘイト思考は理不尽で、虚偽を宣伝し、時には捏造したりして、まったくもって理解不能です。

2019/10/12(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/10/13(日) || [edit]

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2019/10/17(木) || [edit]

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2019/10/27(日) || [edit]

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