「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 善悪の見分け方は愛。それは与えるものか、奪うものか。 

(新テーマ:時事的スピリチュアル)

本能の生活には道徳はない。従つて努力はない。この生活は必至的に自由な生活である。必至には二つの道はない。二つの道のない所には善悪の選択はない。故にそれは道徳を超越する。
       ―――――有島武郎『惜みなく愛は奪ふ』1917(大正6年)


「ご隠居、この話、『本能の生活は』と始まって、結論は『道徳を超越する』っ
て流れが解せねえです」
熊さん、ここの三段論法は面白いぞ。『本能の生活』は道徳も努力もないので、
『自由な生活』になるのは『必至的』だ、すなわち《必ずそうなる》と前提して、
必ずそうなるなら、二つの道はない。二つの道がないなら、善と悪の選択はない。
善悪を選択しないなら、道徳を超越する、という理屈だ。しかし熊さんは、熊と
言っても獣じゃないんだから、必ず善のほうを選択しなさいよ」
「イエッサー」
「お、サーが付いたか」
「あはは、でも動物とは違って、われらヒューマンたるゆえんは、善と悪を区別
して道徳を守るところですよね」
「そうだ。ただ、善悪の判断は難しいがな」
「ご隠居、あの大統領が最近『一度の合意で、過去の問題を終わらせることはで
きない
』って言いましたよね。日本は、もっと過去の戦争問題と正面から向き合
わないと、《悪》になるんですかね」


 w92-1.jpg

.
「熊さん、『合意』の反対語は何だ?」
「・・・決裂ですか」
「決裂とは合意しないことだ。そうではなく、合意したあとで故意に約束を破る
言葉だよ」
「・・・裏切りですか」
「そう、国と国が合意して協定を結んだのに、一度の約束は認めないというのは、
裏切りだ。条約違反だよ。妙な独裁国家なら、ひょっとしたらあるかもしれんが、
民主国家の首脳がそんな大胆なことを言ったのは、おそらく史上初めてだ。あた
しは最近で一番驚いたよ」
「やっぱり、あの方は『本能の生活には道徳はない』を地で行っている人なんで
すかね」
「いや、そんな言い方はいかん。文さんは、そう言うことは『民族の誇りを保つ
ためだ』と思い込んでいて、大統領として良心的に正義を実行しているつもりか
もしれんよ。しかし問題はだな、それくらい善悪の規準は人によって違っていて、
善悪の判断は難しいということだ」
「ご隠居はよくそう言ってますね。善悪の規準は、地域や年代、宗教、教育、生
まれ育った環境によって、みな違うって」
「そうそう」
「じゃあ、一体どうやったら善悪を決められるんですか」


 nw398.jpg


「いい質問だ。聖書など古い知恵の書に書かれている教えこそが《不変の正義》
だと思っている人がいるが、違う。人類史を見なさい。成功例はない。また民意
に聞けばいいと思っている人もいるが、大衆の民意に従っていけば、いまの問題
多き民主国家になるのだよ」
「どうしたらいいんでしょうね」
「人は自分が理解し、同意したことだけを『正しい』と思っているが、しかしそ
れは『間違っているかもしれない』と、自分の《思考》を吟味してみることだ」
「はあ」
「人間の理解力なんて、情けないほど小さくて狭いものなんだよ。ところが人間
は思い上がり、自分は正しいと思っている。だから自分が理解してないことは、
初めのうちは『間違っている』と感じる」
「だから、頭がいいと自惚れて居る人には、正義の話は通じないんだ」
「頭が固い人にも通じないし、頭が悪い人にも通じない」
「どうしたら、お通じがよくなるんですかね」
「うむ、熊さんよ。物事は《経験》によって知ることができる。人が経験に耳を
傾けていれば、良い世界になったはずだ。ところが経験から学んでいないので、
同じ過ちを繰り返している」
「そうか。でも人が経験できねえ場合もありますよね」
「思考や経験でも分からない場合は、他の方法として『感情』がある」
「感情でどんなふうに分かるんですか」


 nwli1.jpg


「最高の考えには、常にジョイという感情がある」
「食器洗いの、いや、お医者さんですか」
「エンジョイのジョイ。《喜び》だよ。そうだな、熊さんや、二人の者が互いに
正義を言い募って譲らないなら、どんな感情になると思う?」
「そりゃ、憎しみです」
「ならば、喜びがあるか、それとも憎しみを売り物にしてないかを考えることだ。
憎しみの感情が強いなら、善とはちょっと言い難いだろうな。悪を悪だと言うの
はいいし、正当な怒りもいいが、平和主義者が強い憎しみを抱くと《ひとを憎む
ハト派》になる」
「それって言葉が自己矛盾してますね」
「そうだ。そして熊さんよ、最高の言葉は常に《真実》から成っていることも覚
えておきなさい」
「そうか、見え透いた嘘を言う奴、証拠を捏造する奴は、善でも正義でもねえと
簡単に見破れるんだ」
「感情の中では、特に《愛》があるかどうかを見たらいい。最も偉大な考えは愛
だ。愛なんだよ。熊さん、よく理解しなさいよ」
「アイ・アイ・サー」
「おっと、オチはまだ早い。じつは愛もまた《本能》なんだよ。惜しみなく与え
る本能は愛だよ。その証拠に、ヒューマンカインドのカインドには、優しいとか
親切という意味もあるのだよ」






補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●「カインド/kind」は【名】種類、性質という意の他に、【形】親切な、寛大なの意もあります。
●ニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話①』サンマーク出版20-26ページを参考にしています。
●画像はアメリカ合衆国でコンデナスト社が発行する雑誌 “The New Yorker”から借用しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


関連記事

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

究極の難題かも…

個人はもとより国々の価値観に照らして、
何をもって『喜びを感じるか』……。
これは魂レベルの、究極の“難題”に思えます。

男女間の“感情”は“情愛”であって、
“無償の愛”にはほど遠いし、“愛国心”などは、
単なる身内贔屓に思えないこともない。
すると、有島武郎の言わんとする“道徳”や、
“本能”もなにを指しているのかが不透明に
思えてきます(笑)

>最も偉大な考えは愛だ。愛なんだよ。

愛もまた《本能》のはずが、発する側と受容する側には
“解釈の壁”が立ちはだかっているような……。
本日のテーマほど高度で深い話はないかも、です。(。・?_?・。)

2019/09/07(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

善悪なんて人間の都合なのでしょうね。
Aという人間にとっての善はBという人間にとって悪かも知れません。
全てが納得することは無いのだと思います。
人間は単純ですから映画の中のいい人、悪い人をみつけていい人が悪い人をやっつけると嬉しくなります。
水戸黄門のドラマが長寿なのもその辺があるからでしょうね。
プロレスはヒーローと悪役がいてなりたっています。
皆が嫌う北朝鮮のあの人だって自分は正しいし善人だと思っていることでしょう。
実際、文大統領よりは正直者かも知れません。
人間に関することはわからないものだらけです。

愛新覚羅

2019/09/07(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 究極の難題かも…

風子さん コメントありがとうございます^^)

 経済力や武力は理論や感情を上回るので、泣く子と地頭には勝てません。ただし武力よりも精神力のほうが上回ることもあるので、弱い人でも精神が強気なほうが勝つ場合もあります。私なんか、腕力も弱い、気力も弱い人間なので、この世では生き抜くのが大変でした。(笑)
 香港の若者たちのデモを見ると、民主と自由を思う気力はたいしたものだと思います。この点、日本人は覇気というか、精神面が弱いですね。しかし見方を換えれば、穏やかで、おとなしいので、なかなかいいのですが。

 ギリシア語には愛を表す言葉が4つあり、男女の愛はエロース。愛国心は身内の愛だからストルゲー。いわゆる博愛の「愛/アガペー」とは違うものです。
 このアガペーは《相手を好きになる》という意味ではないのですね。「汝の敵を愛せ」と言われても、敵を好きにはなれませんから。ですから意味は、敵の感情を思いやる、大事にする、憎まないようにする、ぐらいに思っていればいいのかもしれません。

 あることが正しいか正しくないかは、論理性があるかどうか、物証があるかどうかで客観的かつ知的に判断できるはずですが、感情は理論を上回るので、強い憎しみや怒りが論議の主軸にある場合には、議論しても議論しても対立はなくなりません。話し合いは無理です。
 政治的思想や宗教的教義で、自分の考えが正しいと思い込んでいる人には、理屈や道理は通じず、かえって憎しみと怒りが返ってくることがあります。

 そこで、そういう場合は、博愛の精神が少しでもあればいい。そして自分の考えの中に喜びと憎しみの感情のどちらが強いかを考えれば、つまり心を冷やして冷静になれば、或る程度、正邪の判断や落としどころの目安が付いてきて、問題の解決に近づきそうだ、という話のつもりだったのですがね。

2019/09/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> Aという人間にとっての善はBという人間にとって悪かも知れません。全てが納得することは無いのだと思います。

 仰る通りだと思います。人はみな自分の観点で正邪善悪を考えます。自分が好きな考えは善で正しい。自分が得する考えも善です。
 そしてたとえ自分が損をしても、これは正義だと思えることがあれば、それも善で正しいことです。だから政治の暗殺や自爆テロをする人は、自らの命を失っても自分が善だと信じる行為をするのでしょう。昔の日本赤軍と呼ばれる人たちは武装闘争を行ない、内ゲバで仲間を殺しました。
 正義感とは諸刃の剣で、いい面とそうでない面があり、暴力まで使うようになると怖ろしいですね。

 私は悪代官や悪商人をやっつける「必殺仕事人」とか、弁護士が極悪人や悪徳企業に裁判で勝つというような映画は案外好きですね。自分が普段できないことを映画の主人公が代理でしてくれるのが気分いいのでしょう。

 ヒトラーも東条英機も悪く言われますが、当時の世界状況の中で、自分の政治信念によって政治家として良心的に行動したのかもしれないですね。あの北の将軍様も、自分の権力維持を大事にしているように見えますが、祖父の信念を受け継いでいて、南北統一の壮大な政治願望があるのかもしれません。じつは文さんがその目的のために協力しているという話もあるようです。
 日本は西側にいますから、いつも西側の視点からしか見ておらず、じつはかなり偏った思考を持っているのかもしれないですね。

2019/09/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

思い出せない

「惜しみなく愛は奪ふ」を読んだのは、ずいぶん前なので、面白かったということは覚えているんですが、何が書いてあったのか思い出せません。
読み直してみたいかも。

2019/09/07(土) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: 思い出せない

しのぶもじずり さん コメントありがとうございます^^)

『惜しみなく愛は奪ふ』は読んだことがあるんですか。さすが文学少女です。
 私はじつは、この引用部分だけ知っていたので、ちょうどいい機会だからと思って、青空文庫でざっと斜め読みをしたのですが、そのせいか面白いとは思わなかったです。硬すぎて、硬すぎて、私の歯では噛めなかったです。というより味が分からなかったですよ。

 有島武郎。軽井沢の別荘で、愛人の人妻と心中。遺書の一つには、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残されていたそうで、愛のためには命をさえ捨てるほどの覚悟はたいしたものだが、どこかに二人で逃げれば良かったのにとも思いましたが、人に知られた顔なので無理だったのでしょうか。

 きれいな文章を書く作家には恋愛が多く、それゆえの心中が多いですね。作家はモテるのでしょうか。いくら相思相愛でも、死ななくてはならないほどの間になるのは、ちょっと考えさせられます。

「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
を思うと、しのぶもじずり さんは、若い頃はだいぶその種の心熱きことが多かったようですね。

2019/09/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/09/07(土) || [edit]

倫理と道徳

HUMAN KINDを和訳すると「人類」なのですね。
この言葉を考えた方は、
過ちをくり返しながらもどうにか善くあろうとし続ける、
人間への希望や平和への願いのようなものを、
そこに込めたのかもしれませんね。


>本能の生活には道徳はない。従つて努力はない。この生活は必至的に自由な生活である。必至には二つの道はない。二つの道のない所には善悪の選択はない。故にそれは道徳を超越する。

またひとつ、素敵な言葉を教えていただきました。
善悪の選択のないところには、
自由と不自由もないことを踏まえると、
ここで述べられている「自由な生活」とは、
自由と不自由をも超越した、
普遍的で根源的な何かなのだろうと思いました。

そしてご隠居の言う「愛」に、
ぼくが勝手に提唱させていただいている「神の自己愛」とを、重ねて見てしまいました。
「道徳」は人間が構築した善悪の規律ですが、
スピノザ代表作のタイトル名でもある「倫理(エチカ)」が意味するところは、
神が構築した規律(本能であり愛)なのかもしれないな、
そんなことを思いました^^

2019/09/07(土) |URL|友資 [edit]

Re: 倫理と道徳

友資さん コメントありがとうございます^^)

> 善悪の選択のないところには、
自由と不自由もないことを踏まえると、
ここで述べられている「自由な生活」とは、
自由と不自由をも超越した、
普遍的で根源的な何かなのだろうと思いました。

 そうですか。友資さんらしい読み方が霊的志向ですね。HUMAN KINDの感想も友資さんらしく善意的です。

 本能は、獣のような欲望とか言われて、普通は悪い意味で使われます。弱肉強食の世界で生き抜くために、生存のために自然に備わったものだとされています。これは進化論をベースにした考え方です。
 でも創造論をベースにすると、人間の場合は、本能とは単に生き抜くためにだけにあるのではないと帰結できます。エンジンやギアにはスムースに回るようにするための潤滑油が必須です。人間の場合は社会的動物ですから、それを円滑にするための潤滑油も必ずあり、だから愛とか優しさ、良心、理性などが本質的に備えられているはずだと思っています。

 理性も本能的であることを想えば、博愛(アガペー)とは《原則に基づく愛》なので、《こういうときはこうするのが人間の務めだ》というように知的に考えて、愛の行動を起こせるはずだと思っています。

 と考えると、友資さんが最後に書いた「『倫理(エチカ)』が意味するところは、神が構築した規律(本能であり愛)なのかもしれない」と同じことになりますかね。

2019/09/08(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/09/08(日) || [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/09/09(月) || [edit]

楚の狂接輿、歌ひて孔子を過る。曰はく
「鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰へたる。往く者は諫むべからず、来る者は猶追うべし。巳みなん巳みなん。今の政(まつりごと)に従う者は危うし」…と。
※「鳳」とは賢聖(ここでは孔子)を指し、乱れた世で人の礼儀・道徳…世の中のあり方を説く人々を言います。

U18野球ワールドカップ。日本VS韓国戦において高校生が当たり前の礼儀を披露しただけでニュースになる。
そんな事がクローズアップされる背景には、当然の礼儀や道徳を失った各国の政治家や国民の堕落した姿がある。
国民に選ばれた国家元首が(ハリケーンに見舞われる)国民の災難をそっちのけにしてゴルフに興じる。
それ相応の肩書きを持つ人間が、テレビなどの人が見ている前で善人面しながら平気で他国の人々を罵り蔑む。
「鳳かくれなば災いきたる」人が本能の赴くままに生き、狂接輿の様な賢聖も隠れる人倫が乱れた世になりました。
孔子が「礼」を説いた時代もそうだったと言います…願いも虚しく世は乱れ不遇の内に生涯を閉じたと伝えられています。

2019/09/09(月) |URL|sado jo [edit]

順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元

 それがし、昔はそれなりに名のある武将でござった。
 主君に恵まれ、信を得てとんとん拍子に出世いたし、一国一城の主に遇されてござる。
 しかしそこは戦国のもののふ、天下を此の手に掴み我が思う侭に号令を発したいという欲求も無きにしも非ず。
 ある時、たまたま鉢合わせた偶然に、ついむらむらと来てしもうたが運の尽き。後先を考える事すら忘れ、本能の命じるが侭に主君を殺め、天下を取った気になったは良いが、頼みとする者共からは裏切り者よ不忠者よと罵られ見捨てられ、気付けば天下は掌中より零れ落ちておった。それが悔しゅうて情けのうて、我が魂は未だこうしてこの世を彷徨って居る。
 ああ、何故にあの時、我は獣に変わってしもうたか。寺の名でも悪かったかのぅ。よりによって本能寺とは。

2019/09/09(月) |URL|miss.key [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> 今の世の政に従う者は危ない
 博識joさん、このたびは孔子できましたか。なるほど、孔子の生きた時代は春秋戦国時代。必然的に秩序を保つための気運と思想が生じ、儒教が台頭したのでしょうか。「君子危うきに近寄らず」と言われる通り、現政府を信用しないでいよとの勧めはベターだったのかもしれません。また、いつの世にも当てはまる真理かもしれません。

 では現代はどんな考え方がベターか。極端な言い方をすれば、個人の場合は、ひと様に迷惑を掛けないで、その人の好きな(できれば有益な)生き方をすればいいと私は思っています。
 しかし国家の場合は、首脳が自分の好きな政治をするのは間違いでしょう。基本は国民の多数が受け入れ、善だと思っている方向に行くことを考えつつ、政治家としてのプロの知恵と視点により、長期的な観点で国民の得になる(できれば徳にもなる)政策をとるのがベターなはずです。自国民の多数の幸福を考えるのが民主主義ですから。
 いまの日韓の首脳を比較して客観的かつ公平に見れば、どう見ても日本の首脳のほうが冷静でまともじゃないですかね。あちらは国民や日米など気にせず、自分のやりたいように突っ走っていて、国民6割が否定している人を強引に法相に任命し、自分の任期が終わったあとの備えにしていますから。

> U18野球ワールドカップ。日本VS韓国戦において高校生が当たり前の礼儀を披露しただけでニュースになる。
 これは日本人投手が韓国人打者のヘルメットに死球を与えて謝ったことを言うのでしょうか。プロ野球ではあまりないですが、高校野球なら当たり前のような気がします。
 それにつけても過去の国際戦では、優勝選手らがマウンドに国旗を立てたり、優勝カップを足蹴にしたり(後で優勝を剥奪されました)、311の後には「おめでとう」という垂れ幕を掲げたりという出来事を思い出します。

 今回、日本が5位に終わったのは監督が悪いと言われています。投手と捕手を除く7人のうち、6人が右投げ左打ちの遊撃手だったそうで、だから外野も1塁も遊撃手と投手が守りました。しかも全国大会では打ちまくった右のスラッガー二人が出なかったことと、ノーアウト1塁では必ずバントをしてワンアウトを無駄にしたことも目立ち、首脳が駄目だと国民が不利益を受ける例のようでした。あの文さんは長くなさそうじゃないですか。

2019/09/10(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 あはは、うまい。パチパチパチ。物語をすぐ書ける人は羨ましい憎らしい。(笑)
 で、オチは本能寺にありの拙い続きです。

 火炎の路を歩きながら、こう考えた。それにしても我が名は、智に明るく、光に秀でている。じつに良き名であると思っていたが、あの羽柴の猿めがこんなにも早く帰って来るとは夢にも思わなんだは、返す返すも我が不覚、我が恥辱。意地を通せば火を付けられる。智に働けば腹が立つ。どうせあの世に立つなら、もっと良き智を、否、根源的な本能の智を悟るべきであった。ああ、無念、残念。本能寺に来る以前から、名前負けであったと気づくべきだったよ。


「順逆無二門」。「無二」を《二つとない》と解釈すれば、順も逆も、善も悪も無いということになりますか。
「大道徹心源」。人の行なうべき大道が心の奥深くまで分かった。人は生きていれば良い体験と苦しい体験をして、結果的に貴重な教訓を学べるのでしょう。
「五十五年夢」。人生55年と言っても、動乱の世の中で、その命は有意義に使われたとも思えます。平々凡々な人生では、たいした人生観は学べません。
「覚来帰一元」。人生は束の間の夢。夢から覚めれば、また一つの根源に戻っていく。人生流転。あたかも輪廻転生の理を述べているようです。

 しかしそれにしても男たる者、野望に燃えて華々しく散る人生もまたいいものですねえ。たった三日間じゃ駄目ですか。二位じゃなく、一位になったのだからいいじゃないですかね。

2019/09/10(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/09/13(金) || [edit]

Trackback

トラックバックURL:https://barso.blog.fc2.com/tb.php/444-85ba249b

back to TOP