「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 世界は人のために存在しているのか。アンスティル・ライフ。 

 ※池澤夏樹『スティル・ライフ』(第98回芥川賞受賞)の冒頭文を見たら、啓発を受けまして、
 無謀にもその続きを書きたくなりました。小説本文からの引用部分は青色字にしています。


 世界がきみのために存在すると思ってはいけない。
 世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、
それぞれまっすぐに立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜ん
でいる。世界のほうはあまりきみのことを考えてはいないかもしれない。



 sunrkdd.jpg


 世界はきみのことを考えていないといわれると、がっかりするかもしれない。
でも、この意味は、世界はきみの人生には干渉も仲裁もしないということで、つ
まりは、世界はきみが自由意思と自分の力により生きることを期待しているのだ。

 しかし世界はきみを愛している。このことは信じていいし、信じたほうが少な
くとも毎日を過ごすのがずっと楽になる。

 ただし世界は自分だけを特別にひいきにしてくれる、と期待してはいけない。
 期待とは、あることが実現するだろうと心待ちにすることだが、それは運任せ
とか神頼みといった、能動性と生産性のない迷信や盲信を育て、生き方の自由と
発展性を妨げる。


 sogfko.jpg


 この世界は万華鏡構造をしている。自分と他の人たちの視野は、その時々で、
それぞれ異なって見えている。
 たとえば冬、雪が降る情景だが、雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙
を、きみを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、
着実に、世界は上昇を続けてい
る。きみはそのとき、地球人ではなく、宇宙人の、
また天使の目になっている。

 また、雨が降るのでもない。大地と海の膨大な水が、水蒸気となって天空の雲
となり、雨滴となり、それが再び大地と海に帰ってきている。水は絶えず循環し、
転生している。雨は、それをきみに気付いてもらいたいので、道路や田んぼ、屋
根や傘の上で絶え間なく音を立てているのだ。


 watitr.jpg


 この世界はマジカルとミラクルの複合体だ。そのせいか、原子や分子が永い年
月の間にひとりでに進化して生物になり、ついに人間になったと考える人がいる。
 そうなら、いろいろな問題は偶然のように起こり、人間の手に負えないことが
あるのも無理はない。
 でも、人間が世界の愛と意思で造られたのなら、人生に起こることは偶然では
ない。どんなことも、きみを助ける機会になるために起きている。


 世界はきみを愛している。だから、きみは世界を利用できる。人がデフォルト
で持っている情愛や良心や知恵といった特質を用いて、より善い道や自分の好き
な道を自由に切り拓いていける。

 気づいてない人がいるが、この “自由に生きられる” ことこそが幸せと呼ぶべ
きもので、幸せとは心の状態であり、幸せな状態でいるのが人間の本来なのだ。





 ※画像はフリー画像サイト「pixabay」から借用しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
関連記事

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

(◎ー◎;)ワ~ォ❢

青文字以外はバーソさん作ですって❢
美しい❢
どう読んでも池澤夏樹さんですよね。

>世界はきみが自由意思と自分の力により生きることを
 期待しているのだ。

身に沁みます。

“世界は人のために存在しているのか”
“きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。
それを喜んでいる。”

これなんて……泣いてしまいます。o(;_;)o

2019/08/31(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

この理論は人と状況によって違うのかも知れません。
食べるのに不自由していない人にとっては成り立つ理論だと思いますが、
戦争をしている国や国情が悪い国に住んでいる人にとって世界は個人を愛しているなどと思えません。
自由だってありません。
空気は自由に吸えるので自由があるといえばあるのですが・・・・。

愛新覚羅

2019/08/31(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: (◎ー◎;)ワ~ォ❢

風子さん コメントありがとうございます^^)

 文体を似せようとはほとんど意識せず、ただ自分の考えを書いたに過ぎないのですが、雰囲気は多少は元の著者に似ていましたかね。
 この人の文章は美しいと言われているようですが、私にはクリエイティブな感覚がすごいと思いました。「雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、きみを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ」なんて視点は素晴らしいですね。これには感心させられました。

 じつはこの冒頭の段落では、「世界」は「神」に言い換えられると思ったのです。でも「世界のほうはあまりきみのことを考えてはいないかもしれない」というフレーズにちょっと引っかかりました。

 神が人間のことをあまり考えてはいないというのは、いわゆる普通の有神論ではあり得ない考えです。インテリジェントデザインが言うサムシンググレートのような宇宙の智慧的な「クリエイター」なら、感情がない「創造者」も考えられるのですが。
 そこで世界は人間個人の人生を考えてはいないとしても、人間全体を大きな目で見て愛しているという話にして、その一番の愛は、人間に自由を与えていることだとしたのです。
 
 ひとつ気になったのは、読者を「きみ」と呼んでいることです。私が使うと偉そうに聞こえるので、文章の途中から「きみ」ではなく、「自分」とか「人間」と言い換えるようにしました。

2019/08/31(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> 食べるのに不自由していない人にとっては成り立つ理論だと思いますが、戦争をしている国や国情が悪い国に住んでいる人にとって世界は個人を愛しているなどと思えません。自由だってありません。
 そうですね。私も書いていて、必ずそう思う人がいるだろうと思いました。これは精神世界的な視点がないと、ちょっと理解するのが難しいと思います。

 聖書の話をすると、聖書の神エホバはエデンの園で、アダムに禁断の木の実を食べたら死ぬと警告しましたが、アダムは故意に無視して果実を食べたので、寿命による死という罰が与えられました。
 神は、アダムが果実を取ろうとしたその時に関与して、悪行をやめさせることも容易にできたはずですが、それをしなかったのは人間の自由意思を尊重したからだと言われています。

 この社会では、人が重大犯罪をしたら刑罰として死刑か懲役刑になります。死刑は自由が無くなることで、懲役刑は自由が制限されることです。ですから人間にとって一番の幸福は《自由に生きられること》なんですね。自由意思があり、自由に生きられることは最大の幸福なんです。何十億も金があっても無期懲役なら不幸でしょうから。

 難民や独裁政権の国に住んでいる人はかわいそうだというのは、その通りです。これは説明が難しく、理解も難しいと思いますが、ただ言えることは、神がそんなふうにしたのではなく、人間の中の悪い気持ちを持つ人たちがそのような状況にしたということです。イデオロギーや貪欲や支配欲や愛情の欠如や愚かしさがそうしたのです。

 ということは地上の諸問題は、人間の意思と能力で解決できる問題なんですね。世界の指導者が戦争をやめようと決意し、軍備を撤廃したら、世界から飢饉による死はなくなります。神が人間社会に関与したり干渉しなくても、人間の意思で解決できるのです。
 ですから神は人間全体を愛しているが、「自分=個人」だけを特に贔屓にすることは無いと書いたのです。
 
 では難病や生まれつき障害を持っている人はどうなのかという疑問が生じますが、これは輪廻転生を受け入れてないと理解できないでしょうね。
 人は自分の自由意思で自分の好きな人生を歩みたいと思っています。ところが最長でも百歳位しか生きられないので、やり遂げたいことがあってもなかなか目標は達成できません。
 だから、世界には本質的に愛があるので(それは自然界がじつにうまく出来ていることを見れば分かります)、人間が何度でも生まれ変わるようにしているはずだと考えるわけで、実際に臨死体験や生まれ変わりなどの物証もあるのですが、信じない人が多いでしょうね。

2019/08/31(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

世界の中心で叫んでみた

お久しでーす

僕は世界の中心にいる
世界は僕のためにあるのだ

だから僕が変われば世界も変わる
僕が死んだ時、世界は終わる

ただ僕の存在で作られた世界は、誰かの世界で風化されながら記憶となって生きながらえるだろう

もう一度言おう
僕は世界の中心にいるのだ

なんちゃって・・



2019/08/31(土) |URL|ばく [edit]

Re: 世界の中心で叫んでみた

ばくさん コメントありがとうございます^^)

 お元気なようで何よりです。今夏は雨が多いですが、北海道は夏は気温は過ごしやすいのでしょう。

 この詩的な文章。深いですね。仏教思想が表れているように感じます。釈迦の「天上天下唯我独尊」の境地のようです。
 これは衆生はすべて「苦」に悩んでいるが、自分はこの苦の衆生を安んずるために誕生したのだから尊いという解釈と、解脱したのだから尊いという解釈があるようですが、いずれにしても「僕は世界の中心にいる 世界は僕のためにあるのだ」と書けるのはたいしたものです。それだけのことを成し遂げたという自負と実績がないと言えない言葉でしょうから。

> だから僕が変われば世界も変わる
僕が死んだ時、世界は終わる

 前半はチベットの高僧が述べていて、私も記事にしたことがあります。
 後半は、あはは、ちょっと同意しません。世界が終わっちゃうのですか。大変だ。あ、いや、そうじゃなく、これは自分の世界が終わるということですね。

 だから「ただ僕の存在で作られた世界は、誰かの世界で風化されながら記憶となって生きながらえるだろう」となるのですね。
 これもなかなかたいしたものですね。私なんか、子供も家も財産も良い評判も地位も何もないので、死んだらそれで風化も痕跡も記憶もなく、一切が終わりです。ま、それでいいと思って生きてきたのですが。(笑)

2019/08/31(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/08/31(土) || [edit]

♪二人のため 世界はあるの~ (世界は二人のために:佐良直美)と言う歌がありました。

自分の為にこそ世界はある…と考えられたら、どんなにか楽に生きられるだろうと思います。
好きな事がしたい放題できて、人に迷惑を掛けようが、不幸にしようが、一切考えなくてすむ。
死んだ後でどんなに悪口を言われようが、どうせ聞こえないんだし、自分の知った事ではない。
第一、死後の世界を見てきた人はいないし、天国や地獄などと言うものが存在する証拠もない。
なのに、私は何でこんなに人に気を遣いながら生きてきたのか?つくづく運の悪さを感じます。

♪わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして~ 人は哀しいものですね~(愛燦燦:美空ひばり)

もし生まれ変われたなら、したい放題、贅沢三昧、好き勝手に人生を楽しみたいと願ってます(笑)

2019/08/31(土) |URL|sado jo [edit]

Re: こんにちは

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 
 そうですね。ほとんどの人は自分が幸せであることをあまり気付いてないと思います。昔は若い男と女が歩いているだけで奇異の目で見られ、冷やかされました。女性が爪にマニュキアをしたりロングブーツを履くだけで売春婦のように言われました。私は二十代の頃、ちょっと長髪にしただけで女みたいだと言われ、髭を生やしたら聖徳太子みたいだと言われ、迫害されましたよ。今ならどうってことがないですが。子供は親の家業を継ぐのが当たり前。女は結婚は30過ぎたら遅い。同性愛者の結婚なんてとんでもないなど、昔はいろいろなことが不自由で、意味のない決まりや制限や迷信も多くありました。

 上を見れば限りがないですが、以前と今を比較して見れば、ほとんどの人は物質的にはかなり良い暮らしをしています。
 私は今こうしてネットでいろいろな情報を得られるだけでも、そしてこうしてブログを書いて、コメントを読んで、返事を書けていることを思うだけでも、ずいぶん良い時代になったものだ、幸せなことだと思います。パソコンを初めて使ったときは、ああ生きてて良かったと思いましたよ。

2019/08/31(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 「♪二人のため 世界はあるの~」ですか。おや、joさんがちょっと感傷的になっているような。ははあ、若かりしときに好きだったひと、好かれたひとをいろいろ思い出し、今はそういうことも懐かしいだけだと感慨にふけっているのですかね。(笑)

> 自分の為にこそ世界はある…と考えられたら、どんなにか楽に生きられるだろうと思います。
 まあ、そうですね。気持ちがその域にまで成れたらたいしたものですね。よほど男と女二人が愛し合っていて、自分たち以外が見えない状態なんでしょう。私にはそういう経験はないのでよく分かりませんが。
 でも男は自分の好きな仕事がうまく行ってて絶頂状態にある時は、男女の色恋などに関係なく、自分のために世界はあるぐらいの気分になるのではないですかね。

> 好きな事がしたい放題できて、人に迷惑を掛けようが、不幸にしようが、一切考えなくてすむ。・・・なのに、私は何でこんなに人に気を遣いながら生きてきたのか?つくづく運の悪さを感じます。
 で、「♪わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして~ 人は哀しいものですね~」ですか。なるほど。joさんはいろいろひとに気をつかって生きてきたのでしょう。
 しかし「それでも過去たちは優しく睫毛に憩う」もので、そして「それでも未来たちは人待ち顔して微笑む」ものでしょう。なので、「人生って、哀しいものですが、また嬉しいものですね」。

 喜怒哀楽。いろいろな感情を味わえるのは、おそらく人間だけの特権でしょう。以前、観た『ベルリン・天使の詩』という映画では、人間の姿になって地上に降りてきた天使が、人間であることの幸せを感じ、羨ましがっています。以前、記事にしたことがあるので、そこから引用します。天使たちはこんなことを感じています。

「体温を持ち、新聞で手が汚れる。食事したり、うなじに見とれ、耳に触れる」
「歩くと、骨の動くのを感じる。靴を脱ぎ、足の指を伸ばす。はだしの感触を味わう」
「長い一日のあと家に帰り、フィリップ・マーローのように猫に餌をやる」
「手が かじかんだら、こすり合わせる。これがまたいい気持ちだ」
「見ろよ、ブレーキのあと。 ほら、吸い殻が転がる」
 
 人間から見たら何でもないようなことを天使は喜んでいます。私たち人間は、生きているだけで十分に幸せなんですが、この真実になかなか気づいてないですね。
 

2019/08/31(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

素敵な記事をありがとうございます^^

「デフォルト」であるものを見い出すこと、提示し続けることが、
宗教や精神世界に託された役割なのかもしれませんね。

バーソサロンにてこころのトリートメントをしていただきました。

2019/09/01(日) |URL|友資 [edit]

Re: 素敵な記事をありがとうございます^^

友資さん コメントありがとうございます^^)

 いつも励ましの言葉をありがとうございます。
 困っている人を見かけたら衝動的に助けたくなるという「惻隠の心」は本能的なものですね。何か悪いことをしようかと思ったときにセーブするよう働く「良心」も本能的なものです。愛や優しさや同情心だって、向上心や倫理観だって、みなほとんど本能的なものです。ただ、それが強く働く人とそうでもない人の違いがあるだけで、みなデフォルトに備わっている。そしてそれらを思い出すための助けとして、精神世界とか哲学とか宗教があると思っています。

 サロンですか。いいですね。私、サロンに憧れています。日焼けサロンやビューティサロンじゃないですよ。ああ、もちろん分かってる。あ、そうでしょうね。(笑)
 同好の士が集まって、文学や芸術、学問などについて意見を述べ合って、知的な話題の語り合いを愉しむ。当然反対の意見もあるが、議論白熱しても、ケンカすることなく、他の人の考えを検討し、自分の考えも吟味するというサロン。コメント欄もそうなったらいいと思っているます。

 ですからコメントで褒めるのもいいし、ここはおかしいのじゃないの?と質問したり批判したりするのもいいと思っています。人間の考えはどうしても自分自身の観点からしか見ないので、他の人たちの意見も貴重なんですね。

 でも何かの意見に反論すると、とかく感情的になり、不快になり、交流がなくなってしまったりします。感情的な罵りや侮蔑なら、それは単なるケンカですから、しないほうがいいですが、論理的な議論ならしたほうがいい場合が多いと思っているのですね。

 なので友資さんも遠慮なく率直に意見をお願いしますね。私は上から目線で偉そうに非論理的なことを言われると不快になりますが、そうではなく敬意を払いつつする論理的な議論なら好きなんです。論理で説得されるのを嫌うひともいますが、私は気持ちいいことであり、好きですね。

2019/09/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

世界は生きる事を許してくれている

 世界は人が生きる事を許してくれています。だから牛も鳥も魚も食べられたからと言って恨みを抱いて化けて出る事もありませんし、野菜も果物も腹の中で暴れたりせんのであります。
 しかし人の餌食になる為に生まれてきた訳でもありませんから、そう都合良くは捕まってくれないし、育ってもくれんのであります。
 ま、許す許さないとは比喩なのでありますが。ただ勘違いしてはならないのが、世界は人間の為に作られた訳でもなければ、何かの目的をもって変化している訳でもないと言う事でありましょうか。

2019/09/01(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 世界は生きる事を許してくれている

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

> 世界は人が生きる事を許してくれています。
 そうですそうです。人が生きる事を許してくれています。ただ、私なら、人が生きるようにしてくれています、というか、むしろ、人が生きるためにあるのです、と書きたいところですが、まあ、これはmiss.keyさんとは根本的な思想の違いがありますから、言い回しと帰結するところが異なるのも当たり前でしょう。

 しかし世界が人に生きる事を許していると思える科学的な事例は無数にありますよ。大地と海の水が水蒸気になり雨になる自然の循環もそうですし、太古以来飽きもせず続いている海の自浄作用もそうです。植物や細菌による光合成のおかげで地球上の炭酸ガスと酸素は絶妙なバランスに保たれています。細菌の化学合成もそうでしょう。自然界の物はみな腐敗して大地の元素に戻るので、土地は栄養分を絶えず補給され、植物は生存が出来ています。そのような不思議な自然の恵みは、数え上げるとキリがないほどあり、それらはみな生きものの生存と存続のために寄与しています。太陽の熱量だってじつに適切な温度に保たれ、地球との位置関係もじつに適切な位置に保たれています。世界の平均気温がわずか数度高まるだけで人類は破滅するとかしないと言われているのですから。
 イエスはこんなことを言っています。「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。

 人間に意識(コンシャス conscious)があるのも凄いですが、良心があるのも凄いですよ。良心とは良い心と書きますが、英語では conscience(コンシャンス)と書き、con(共に)science(知る=科学)のことです。つまり人間の中には、自分のことを共に知るもう一人の自分がいて、何かあると、これは良くないと咎めたり、あるいは、このくらいなら良いだろうと釈明します。咎め、釈明する機能。善悪正邪の判断をする際には、この二つの微妙なバランスを取るのが良心の働きなんですが、これは非常に優れたファジィ制御の人工知能回路のようでもあります。
 良心は全人類一律に働くのではない点も凄いと思います。人によって良心の働きが強い人と弱い人がいて、それが許容されているのも面白いことだと思います。
 ちなみに何でもかんでも、これをしたらいけないと自分を咎めることのほうが多い人は、聖書的には「清い良心」とは言わず、「弱い良心」と言います。咎め、釈明するそのバランス感覚が不適切に機能しているからですね。純粋で真面目でちょっと頭の良くない人に起こりがちで、例えば手品は人を騙すから良くないとか思ったりします。
 しかし、といって「強い良心」ならいいのかと言えば、そうではなく、強い良心の人はとかく弱い良心の人を裁くので良くない。善悪の区別が明確ではないような些細なことなら、自分のほうが引くことで愛をもって対処せよ、仲良くせよと言われています。

 世界は「目的をもって変化している訳でもない」は、その通りで、ただ人間や生物が存在し続けるためにあるだけだろうと思っています。しかし世界は素晴らしいのに、人間が素晴らしくないために、地球の自然環境は破壊の一途を辿っているようです。人間がもっとしっかりとした目的をもって生きれば、世界はもっと生きやすい環境になると思うのですがね。

2019/09/02(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Trackback

トラックバックURL:https://barso.blog.fc2.com/tb.php/443-30e582df

back to TOP