「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 雨を線で見た浮世絵と、事象を点で見る視点。 


永い永い間、西洋の風景画はピーカン待ちであった。
すなわち、画家は “雨の絵” は描かなかった。
伝統的な写実画法では、雨をうまく描くことができなかったからだ。

一筋の雨は一滴の水から成り、その形は涙滴状ではなく、ほぼ球状をしている。
人が雨を線と見るのは、眼の残像効果で細い線のように見えているに過ぎない。
西洋画は、輪郭線で描かないので、雨を線で描くことを思いつかなかったのだ。

     raq18.jpg Pixabay


19世紀、日の出ずる処の絵師が、日の沈む処の画家に絵の新しい描き方を示した。
黒船が太平の夢を破った如く、日本の浮世絵が西洋に渡り、彼らの目を開かせた。

あまりに遠しふらんすに、空前のジャポニスムブーム到来。
ついに西洋は、浮世絵により、 “雨の絵“ を驚嘆とともに知った。

すなわち、“点” を “線” で見る視点を得て、「雨雨ふれふれ、もっと降れ」、
さらに「都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる」の芸術意識になったのだ。

立体感を表さず、左右不均衡の大胆な構図のなかに、輪郭線で図柄を描く浮世絵。
この画法は、多くの画家、アール・ヌーボー、グラフィックなどに影響を与えた。
.

雨の浮世絵では、広重が亡くなる1年前に描いたこの作品が最高傑作だろう。

   hiros2.jpg
       歌川広重『名所江戸百景・大はし あたけの夕立』1856年


これは端正な構図の中に、自然と生活の一瞬を捉えたスナップショット画である。
二種類の無数の線で描かれた雨は、絵の中の要素をまったく壊してないのが凄い。
画面の半分以上を占める細い線は、土砂降りの量感と動感を見事に表現している。

川岸が右下に傾いているのは、左下がりの橋とバランスを取るためだが、雨の線
とは直角に配されており、一見破綻しそうな中に絶妙の緊張感を生み出している。

人々は突然の夕立で慌てて急ぎ足になっているとの説明が多いようだが、私には、
夕立は濡れて帰ろうとばかりに、時々の自然の営みを受容しているように見える。
舟の漕ぎ手も泰然自若として漕いでいて、激しい雨の動と人の静の対比に見える。

 
            ―――――――――


大胆な筆のタッチで知られるゴッホは、広重の絵を具象的に緻密に模写している。
おそらく普段は一日以内で描いているが、この絵は一週間近くは費やしたはずだ。

hqir3.jpg
                  (右)フィンセント・ファン・ゴッホ『雨の大橋』1887年

しかし、両者を比べてみれば、広重の描画がいかに卓越しているかがよく分かる。
さすがの天才ゴッホの絵も、肝心の雨の線が汚く、各部には緊張感と品格がない。

舟も広重のは一幅の絵になっているが、ゴッホのそれは存在感がなく、情けない。
橋の描き方も、ゴッホのほうは薄板の経木細工のようで、壊れそうで、頼りない。
橋げたは陰影が付けられて立体感があるが、かえって要らぬ努力のように見える。

私の好きなゴッホは、やはりあの自由な筆使いとあの色彩が素晴らしいのだろう。


                 


ところで、事象は “線” で見たほうがいいか、それとも “面” で見たほうがいいか。
どちらにも正当な言い分がありそうだが、良くないのは “点” で見ることだろう。
群盲象を評すと言って、部分だけを見るなら印象がまるで異なって見えるからだ。
であれば時には、右からも左からも、上からも下からも、近くからも遠くからも、
なるべく物事は多面的に、かつ長期的な視点で見るのがいいようじゃないですか。


補足――――――――――――――――――――――――――――――――――
Shiniyo.jpg※左写真は現在の「新大橋」。隅田川に架けら
れた三番目の橋で、当時とは様相がかなり違う
のだが、ここにいま夕立が降り、幾人かが当時
と同じように土砂降りの中を歩いているとして、
広重のレベルで絵を描ける現代画家は一人もい
ないのではないか。街の景観と人々の暮らしに
は、現代には現代の情緒があるはずなのだが…。

photo by Wikipedia
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民族性か?

中学生の頃、日本画と西洋ルネッサンスの絵を見比べて
思ったものです。
日本人はなぜ、物の立体を描かないのか?
平面的だと漫画チックにしか思えないと……。

それがジャポニスムブームになった。
一方で日本人画家は、ルネッサンスなどの遠近感に圧倒された。
互いが“ないものねだり”の斬新さに圧倒されたのですね。(笑)

ただ、西洋の絵は独創性の幅が広い。
シャガールなんて、三次元のさらに上。
『時間や空間』まで捉えた(感じた)のだろうかと
たまに思いますねぇ。

ふむ……。
やっぱ物事は『多面的、かつ長期的な視点』でしょうね。
この、長期的に、というのが案外盲点で、
なかなかその視点を養えませんが……(^_^ ;)

2019/08/10(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

この広重とゴッホの対比はテレビの番組で観たことがあります。
広重といい、北斎といい、浮世絵画家は凄いと思いました。

点は線より、線は面より、情報量が少ないですよね。しかしなぜ少ない情報量でリアルさを伝えることが出来るのか?

スティーブ・ジョブズのシンプルを求める姿勢もそこからきているような気がします。

愛新覚羅

2019/08/10(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 民族性か?

風子さん コメントありがとうございます^^)

 私も思いましたね。日本画は立体感も遠近感も写実性もなく、色づいも単純にベタ塗りなので、西洋にだいぶ遅れていると。
 ところが構図という視点で見ると、はるかに凌駕しているのですね。端正さ、大胆さ、美しさでは西洋は敵いません。北斎の『神奈川沖浪裏』なんか世界最高だと思っています。

 若い頃は、泰西名画のような写実的な絵より、ゴッホやロートレック、ブラック、ルソーなど、ちょっと独創性のある絵のほうが好きだったのですが、中年になってからはボッティチェリのような繊細荘重な宗教画、またシャガールのような色づかいのきれいな絵も好きになりました。
 要は、描き方はどうであっても、いいものはいい―――。着るものの好みも、音楽も、すべておおむねそんな包容力があるともいえるアバウトな嗜好になりました。

 現代の絵のほうが独創性が優っているように見えるのは、過去のいろいろな絵を見ることが容易なので、それを下敷きにして、さらに違ったものを考えやすいからじゃないでしょうか。シャガールは比較的最近に東京駅構内のミュージアムで見ましたが、適当に思い付きで描いているのではなく、事前に緻密に計算して描いていることが制作過程の絵や写真もあったのでよく分かりました。
 ゴッホも広重を模写しているということは、衝動のままに適当に描いているのではないのでしょう。芸術は、心と感性に知性も加わって、初めていいものができるのでしょうね。

2019/08/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 私は浮世絵は子供の頃は凄さが分からなかったですね。浮世絵のことを言うと、母親はあんないやらしいものをと言って顔をしかめるので、役者絵はいわゆる花柳界の絵なので下品なものかと思っていました。広重や北斎の風景画は、そう悪くはないが、西洋の名画には負けていると思っていましたね。

> 点は線より、線は面より、情報量が少ないですよね。しかしなぜ少ない情報量でリアルさを伝えることが出来るのか?
 うーん、これは、相当に深そうな言葉ですが、「少ない情報量でリアルさを伝える」とは、要は要領のいい情報処理ができているということですかね。電気回路もデジタルになって、だんだん小さくなっています。

 最近買い足した中華製パソコンは大きさがCDケース3枚分ぐらいしかなく、モニターのうしろに装着できるほど小さいのですが、それでも性能は通常の大きなデスクトップ型と変わりありません。だんだん世の中は軽薄短小になってきて、そのほうが良くなってきていますね。

「シンプルイズベスト」。本当は食べる物の着る物も住む所もそんなに沢山は要らないのでしょう。あ、いや、老後の預金は二千万は要るそうですが。(笑)

2019/08/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ゴホッゴッホゴッホ・・・風邪かな

 そら世界に冠たる浮世絵の天才とゴッホさんを比べたらかわいそうですがな。え゛、ゴッホさんも天才?いやね、芸術ってワインと一緒で、権威のある誰かが良いと言えば駄作でも一夜にして名作になるもんなんですよ。逆にどんないい絵でも知られてないが故に凡作扱いされるものも数知れず。ゴッホさんはどっちなんでしょうね。生前は誰からも相手にされず、死んでからもてはやされた人ですが。作品の値を上げるために殺される作家ってぇサスペンスも結構多いでやんす。脱線失礼。
 技術と違って文化に優劣はありませんで、異文化の接触の際には必ず革命が起こります。互いに有るもの無いものを補い、取り込み、排除して新しいものが生まれるでやんす。当時のゴッホさんの絵を日本人が見たとしたら、どう思うのでありましょう。びっくりして広重なんか目じゃないとかのたまったでありましょうかね。

2019/08/10(土) |URL|miss.key [edit]

Re: ゴホッゴッホゴッホ・・・風邪かな

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 広重の絵とゴッホの模写で比べたら、模写したほうが負けるに決まっています。もしゴッホの絵を広重が模写したなら、広重は、ああゴッホの筆づかいは到底真似できないわと落ち込んだでしょう。

> 異文化の接触の際には必ず革命が起こります。互いに有るもの無いものを補い、取り込み、排除して新しいものが生まれるでやんす。
 広重だったか北斎だったかが、西洋の絵を見て、これこそが本当の絵だと思って、赤穂浪士の討ち入り図を遠近法で忠実に情景描写したら、江戸の人々に全然ウケなかったという話があります。その絵は確かに、吉良家の屋敷の屋根に人が何人かいるだけで、遠目なので何をしているやら分からず、つまらない絵でした。

 小説がうまくなりたければたくさん本を読め。絵がうまくなりたければ沢山絵を見よと言われますが、確かにひとの作品を見て啓発されることはありますね。それをそっくり真似するのではなく、それとは違う他の新しい切り口を開発すれば、それが自分の新しい芸術財産になるのでしょう。

 ゴッホはあの大胆なタッチと色彩感覚が良く、ルソーはあのとぼけた下手うまの味が良く、モジリアニはあの歪んだ顔に黒目が良く、歌だって『上を向いて歩こう』を、誰か歌唱力のある上手な歌手がカバーしても、大抵の人は坂本九のあの味には敵わない・・・と考えると、芸術には大胆な独自の発想以外に、なんらかの「味」があるのがいいのでしょう。

 そして独自性はあればあるほど、その世代の人には理解されにくいのでしょうから、まあ悲しいものがありますね。で、miss.keyさんは書き溜めた小説を本にして世の中に出す予定はないのですかね。印刷しないでもネットで読める本がありますが。

2019/08/10(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

西洋の風景画に

雨の絵がなかったということに驚き、
ほとんどの外国人には虫の鳴き声が聞こえない、という話を何故か思い出しました。

ゴッホが日本人画家の絵を模写していたという、
そのことにもまた驚きました。

それにしても、美しい雨の線ですね。
日本人が抽象的に物事を捉えることに長けていたことを、
象徴するような絵にも感じました。
今ではすっかり西洋文化が流入し、
その能力は衰退してしまったようにも見えますが、
本来は日本人こそが多面的な視点を得意とする民族だったのでしょうね。

2019/08/10(土) |URL|友資 [edit]

Re: 西洋の風景画に

友資さん コメントありがとうございます^^)

> ほとんどの外国人には虫の鳴き声が聞こえない、という話を何故か思い出しました。
 あ、これは面白い。人は見たいものを見る。見たくないものは見えない。アバタもエクボの話もそうでしょう。人の視力、いや、視野はかなり意識に関係しているのですね。特定の或る思想や主義もそうなんでしょう。自分の好きな面だけを見ていたので、そうなったのかもしれません。

 模写するというのは、その絵が好きだから、その絵の技術を自分も手に入れたいからですが、ゴッホの画法は広重とは真逆ですから、自分とは違う良いものを浮世絵に感じて、憧れていたのでしょう。ゴッホという人は顔を見ると頑固そうに見えますが、かなり自由な思考と包容力を持っていたことが分かります。
 広重の雨の線は、彫り師の技術も大いに関係しているそうですよ。あれほど細い線を濃淡二色で摺る技術があったからこそ、浮世絵のあの繊細さと端正な緊張感が成し得たと言われています。

> 日本人が抽象的に物事を捉えることに長けていたことを、
象徴するような絵にも感じました。

 なるほど、そう感じましたか。ブッダにしてもイエスにしても孟子にしても、精神的な指導者は多く東洋に発しています。古びたものを見て、侘び寂びを感じる日本人の感覚は西洋にはあまりないでしょう。

 しかし西洋文明が浸透してくるにつれ、そういう微妙な自然の感性はだんだん薄れていくのでしょうか。夜の空がネオンや街灯で明るくなると、満天の星の中の天の川は見えなくなります。そういうことを考えると、あまり文明が進歩しないほうが良いような気もしてきますよ。(笑)

2019/08/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/08/11(日) || [edit]

浮世絵は、ほんとに素晴らしいといつも
画集を眺めては
たくさんの展開を楽しんでいる私です。

雨・・・そうですねえ
広重の雨、最高傑作ですね。

西洋の絵も素晴らしいのですが
平面的な表現や
線の描き方で
どんな立体的なものより
奥深く質感をだせるワザ、素敵です。

2019/08/11(日) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)

 絵の好きなもりんさん。浮世絵の画集も家にあって、いつも見てるんですか。本当にいろんな本が好きなんですね。

 北斎の雨の絵ってちょっと思い出せないですが、雨なら広重でしょうかね。しかし風なら、北斎のこの絵が決定打のような気がします。こんなひょうきんな動きのある絵は西洋にはないでしょう。西洋の絵は静止画ですが、これは動画のひとコマですね。富嶽三十六景「駿州江尻
 https://kanazawabunko.net/works/5480

 藤田嗣治はパリに行って成功した画家ですが、あの乳白色の肌の色に、輪郭線を使ったのが独自の画風となったわけで、そう考えたらマンガも輪郭線で描かなければでき得ないアートですね。

 平面的な描き方と言えば、ポスターはほとんどベタ塗りのイメージが強いですが、ロ-トレックのポスターもミュシャのポスターも浮世絵の影響を受けているそうです。ミュシャはニ三週間前に美術展に行ってきました。「みんなもミュシャ」というタイトルですが、後半はミュシャに影響を受けた日本の少女マンガ家のイラストが展示されていました。日本のアニメも輪郭線で描かれていて、遠く遡ると浮世絵に行きつくのでしょう。芸術ははるか後の時代にも影響を与えていて、人間の感性というのは面白いものですね。

2019/08/11(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

子供の頃に田舎町の映画館で観た映画のスクリーンにはよく雨が降っていました。
何で部屋の中に雨が降ってるのか?…もしかして空襲で吹き飛んだ屋根の修理がまだなのか?と思いました。
尤も、田舎の映画館は都会で封切られた新作のお古を上映しているんだ…と言う驚愕の事実を後で知りました。
大人になって実際に映画の製作現場で仕事をしだしてからも、新人の裏方は給料が安いので場末の映画館で雨の降る映画を観てました。
だから、雨の線は自分の頭の中では芸術的表現と言うよりも、地域格差や生活格差の象徴でしかありませんです(笑)

2019/08/12(月) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 高校生の頃は映画が趣味でした。洋画専門で、池袋東口の人生坐とか文芸坐、文芸地下という名の映画館に毎週必ず通っていました。封切館ではなかったですが、いま思い出そうとしても、スクリーンに雨が降っていた記憶はないですね。

 雨降り映画は、後になってテレビの『日曜洋画劇場』で見たチャプリンなどの白黒の無声映画だけだったような気がします。あるいはその頃は、そんなものだと思っていたので、スクリーンの縦筋はあっても気にならなかったのかもしれませんが。

 レコードもSPだと盛大に針のスクラッチノイズが出ます。LPでも出るのですが、CDの音を聴くまではレコードのノイズは気にならなかったですね。むしろカセットテープに録音する際にドルビーノイズリダクションを掛けると高域が甘くなるのがイヤで、だからFM放送はドルビーは掛けないで、そのままテープヒスを残したまま録音をしていました。

 映画(や音楽)は、ノイズのある無しよりも、本質は内容とそして俳優ですね。内容とは脚本の巧拙もあるのでしょうが、やはり監督です。名監督の映画はほとんど例外なく面白く、だから好きな監督の映画は必ず映画館に観に行きました。女優ではB.バルドーやM.モンローが好きだったので、主演映画は全部観ました。私は日本映画はほとんど観たことがないのですが、最近は邦画もずいぶん盛り返してきたそうで、いいことです。ミュージカルはまだアメリカには敵わないだろうと思いますが、人間の内面を描いたような作品は日本映画はなかなか捨てたものじゃないのでしょう。
 
『君の名は。』には大変感心したので、先日は『天気の子』を観に映画館に行きましたが、これも東京の街が美しく、人の心が純粋で、いい映画でした。

2019/08/12(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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