「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 「あなたにとって宇宙とはなんですか」と問われたら? 


 例えばサッカーの試合直後の選手に、インタビュアーがする一番陳腐な質問は、
「あなたにとってサッカーとは何ですか?」でしょう。

 理由は言うまでもなく、ファンは、得点に関係したナイスシュートやファイン
セーブの技術的ポイントや、そのときのまだ冷めやらぬ熱い気持ちを知りたいか
らで、選手だってそれを言いたいはずだからです。


 しかし次の質問は、上記の定番フレーズと似ていますが、陳腐ではありません。


「あなたにとって宇宙とは何ですか?」


 chil8.jpg Pixabay
.
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「宇宙」を考えると、ひとの思いは様々に広がります。

 小学館『大辞林』が「あなたの言葉を辞書に載せよう。2016」キャンペーンで、
《宇宙》の語のイメージを一般から募集したら、多数の投稿がありました。

 内容は、宇宙の雄大さに思いを馳せたものが最も多く、神話やSF的なイメージ、
雄大さの対極としての人間の小ささにスポットを当てたもの、また哲学的に考え
させられるイメージも寄せられたそうで、8つの優秀作が選ばれました。
                              
【宇宙】うちゅう

■人類を電子顕微鏡下の塵のような存在だと教えてくれる空間。(ざのぴす)

■私たちの悩みを小さく見せてくれるもの。(フラッシュ)

■見上げれば空に広がり、目を閉じれば自分の内に広がるもの。(大福ちゃん)

■少年時代、いつかは、その果てまで冒険したいと夢見る未知の世界。(moka
ちゃん)

■頭の上に広がっていると思いがちだけど、本当は右にも左にも前にも後ろに
も足元にもひろがる「全て」。(たんたこ)

■「夢」「希望」「未来」この世界における未知がつまった場所である。(かと
やん)

■神々の世界。(spoooooky)

■ロボットの戦場。(おおもり)            
   (敬称略)


 flowrt.jpg Pexels
 花の名コスモス(cosmos)は《秩序》の意。「宇宙」とも訳される言葉です。


 上記は『デジタル大辞林』に順次掲載されていくそうです(→小学館サイト

 なお、当コメント欄にも投稿のスペース(space=宇宙)がありますからね。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
有名人の考える「宇宙」は、さすがに深く、面白いものがあります。

こんな金言も、言い回しを変えて編集すれば「宇宙」の語釈になりそうです。

■星をつかもうとして手を伸ばしても、なかなかつかめないかもしれない。だが
星をつかもうとして泥をつかまされることはない。(レオ・バーネット/米国の
マーケティング専門家)

■宇宙と人間の愚かさという2つのものは無限大だ。そして私は宇宙については
よく知らない。(アルベルト・アインシュタイン)

■宇宙を認識したければ、汝自身を見るがよい。人間を認識したければ、宇宙を
見るがよい。(ルドルフ・シュタイナー/神秘思想家、哲学者)

■足元に目を落とすのではなく、星に目を上げることを忘れないようにしなさい。
あなたから見えるものを理解し、宇宙を存在させているものについて疑問を持ち
なさい。(スティーヴン・ホーキング)

■地球上のすべての電波望遠鏡がこれまでに受信した、太陽系以外からのエネル
ギーの合計は、地面に落ちる一片の雪のエネルギーよりも少ない。(カール・セー
ガン)

■人は世間から生まれ出て世間の中に葬られて了うのではない、天地から生まれ
て天地に葬られるのである。(国木田独歩)

■およそ天地の間にわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つ
もない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るもの
だ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる
事だ。それどころではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に
苦しむほどの命題ではない。山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云っても
差し支えはない。(夏目漱石『吾輩は猫である』)



 peiyo.jpg Pexels


 人間いろいろ。考え方もいろいろ。発想は多様に膨らむのがいいのでしょう。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
漢字の「宇宙」は、中国と日本ではイメージが違います。

 前漢時代の『淮南子えなんじ 』斉俗訓によれば、「宇」とは天地四方の意、「宙」とは
古往今来の意で、宇宙とは《空間と時間の広がり》を意味するそうです。《時間》
の概念はアインシュタインの解ですから、紀元前の中国人はたいしたものです。

 この語は奈良時代の『日本書紀』にも使われていてます。
其の父母二神、素戔嗚尊に詔したまはく、『汝甚だ無道し、以ちて宇宙に君臨
たるべからず。固當遠く根の国へ適れ』とのりたまひ、遂に逐ひたまふ


 イザナギとイザナミがスサノオに、「お前は甚だ道に外れている。宇宙に君臨
することはできない。遠い根の国(冥界)へ行ってしまえ」と言って追放した話で
すが、「宇宙」は《あめのした》と読みます。日本人は「宇宙」を自分のまわり
の世界と見ましたが、この思考は浅そうでもあり、深そうでもあります。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――
精神世界では、宇宙は人間の《意識》が創り出したと見ます。

 精神世界では、この3次元の世界は、自分の内面の意識が外側にプロジェクト
された360°立体映画であると見る考えがあります。そうであれば自分はその映画
の主人公、自分以外の人は脇役、環境や状況は舞台セットとなります。

 自分は監督兼脚本家でもあるので、この世界は自分の意識が創り出しています。
つまり人間は、スリルも、ラブロマンスも、ホームドラマも、花も嵐も、山も谷
も、あらゆるシーンを体験するために、この地球に生まれてきたと考えられます。

 夜空に在る無数の星々は、人間が、この宇宙の創世の《原因》に思いを巡らせ、
生きる理由を考えるために、太古の昔から静かにまたたき続けているのでしょう。

 
 pex56.jpg Pexels


 昔、東京に空がないと言った女性がいましたが、今は星もなくなっていますね。






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COMMENT FORM

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壮大なテーマ

《宇宙》のイメージについての8つの優秀作。
どれも素晴らしいですし、人の思いは
様々に広がることを再認識しますよねぇ。
有名人の考える「宇宙」では、
アインシュタインの謙虚さが好きです。

それにしても驚くのは……。
前漢時代に『宇宙とは《空間と時間の広がり》を意味する』と説いたこと。
アインシュタインも真っ青の宇宙論ですね。

個人的にしっくりくるのは、
『宇宙は人間の《意識》が創り出した』説です。
最後のバーソ解説がいいですねぇ。

“人間が、この宇宙の創世の《原因》に思いを巡らせ、
生きる理由を考えるために、太古の昔から
静かにまたたき続けているのでしょう” 

ブラボー❢ …(*´~`*)。o○

2019/07/13(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

急速に回復し、本日退院します。応援ありがとう
御座いました。

さて宇宙というと空と星を思い浮かべますが
バーソ様の言われるように哲学的なものなので
しょうね。全身麻酔は天国から地獄に一変します。

愛新覚羅

2019/07/13(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 壮大なテーマ

風子さん コメントありがとうございます^^)

 子供の頃は地方に住んでいたので、夜は真っ暗で、近所の原っぱに寝転ぶと、満天の星の中に天空を横切る天の川がよく見えました。二十代になって、渋谷の東急プラネタリウムに行ったとき、館内が今と違って真っ暗だったせいか、自分が本当に宇宙の中に浮遊しているような気がして感動したのを覚えています。

 若い頃から、太陽よりはるかに大きいそんな星や星団や星雲がなぜ宇宙に無数に在るのかと思い、天文関係の本をよく読みましたが、聖書を知り、それらは神が造ったと思うようになったら関心は薄まりました。しかし今でも星を見るのは好きですね。

 最近、三鷹の国立天文台に行ってきました。係員に、天体望遠鏡の観察者が脚立の上に載って接眼鏡をのぞくのはかなり大変でしょうと訊ねたら、床がエレベーター式に昇降します、だから周辺に隙間があるでしょうと言われて、ああなるほど、もっともだと合点しました。
 しばらくして、ブラックホールが初めて撮像されたという報道がされましたが、もし自分が裕福であったなら自宅にミニ天文台とミニアトリエとミニガレージ兼作業場を持つのが夢ですね。ほんのミニでいいですから。(笑)

“人間が、この宇宙の創世の《原因》に思いを巡らせ、
生きる理由を考えるために、太古の昔から
静かにまたたき続けているのでしょう” 
 この《原因》は、最初は《創造者》と書いたのですが、すぐ思い直して《原因》としました。何でも《結果》は必ず《原因》から始まるのですから、このほうが適切で正確だと思います。

2019/07/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 術後の痛みがかなりひどかったようですが、「急速に回復し、本日退院」ですか。よかったです。「急速に」というのが特に良かったです。まだまだ体のほうは生きる意欲と元気がいっぱいにあるようで何よりです。

 人体は《自然治癒力》を備えていて、人間が意識して関与しないでも絶えず細胞を修復しているそうです。その治癒力が強い人と弱い人がいるようですが、それには精神力も関係しているそうで、教授は強いほうなのでしょう。
 
 私も全身麻酔を経験しています。数を4か5ぐらいまで数えたら眠りに落ちたようで、目覚めたあとも泣きたくなるほどの痛みは感じなかったのですが、術後は手術が成功したために、症状が地獄から天国に場所移動したように楽になりました。お医者さんには多めのお礼を渡しておいたのですが、あとで気持ちを込めて何度も感謝の言葉を述べました。健康なときは体の有難みはなかなか分からないものですね。

2019/07/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

「宇宙」の語は『日本書紀』にも使われているとは驚きました。
明治時代に英中辞典に使われていたuniverse=宇宙をそのまま
日本で使ったのが最初らしいですね。

私にとって宇宙とは逃げ水のようなもの。
触れようとすると、そこにはなくどんどん遠くの方へ行ってしまうもの。

宇宙となると、分からないことだらけで頭がこんがらがってしまいます。
138億年前にビッグバンでこの宇宙ができしかも拡大中なのか?。
何がビッグバンを」起こしたのか? ブラックホールがビッグバンを
起こしたのか?
そうすると我々の銀河の真ん中にはブラックホールがあるのか?
最近のアルマ望遠鏡の観測では二つの銀河が合体しつつあるとか。
だって銀河同士って離れて行っているのじゃないのか?
その銀河のそれぞれのブラックホールはいったいどうなるのか?

>地球上のすべての電波望遠鏡がこれまでに受信した、太陽系以外からの
エネルギーの合計は、地面に落ちる一片の雪のエネルギーよりも少ない。
(カール・セーガン)

そうだ、人類はまだ宇宙についてほとんど知らない。
私が知らないのも無理はない。(笑)

宇宙についての箴言を二つばかり、

■ふたつの可能性がある: 宇宙で人類は唯一の存在なのか、そうではないのか?
どちらにしても恐ろしいことである。
・・・アーサー・C・クラーク

■宇宙には人間が一生かかっても到達できない遠い場所が無数にある。
それでも「昨日」より遠い場所は宇宙にはない。
・・・anonymous(よみ人知らず)

2019/07/13(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 宇宙はエリアンダーさんの好きなジャンル、得意分野でしょう。
 ビッグバン理論は非常に面白いですね。超極小のエネルギーが膨大な宇宙の星と塵にインフレーションのように進化発展する。一種の進化論のようですが、こちらは根拠がありそうです。

 しかし、いま宇宙が膨張を続けていることは銀河の赤方偏移から分かるが、アンドロメダ銀河は青方偏移している。遠い銀河は光速以上の速度で離れていることになるが、光速を超えるものは存在しないはずで、観測もできない。
 宇宙が風船のように膨張しているなら、空間だけが膨張していることになるのか。もし空間の中の銀河や星雲も地球も人間も膨張しているのなら、一緒に膨張している人間は宇宙の膨張を感知できない。

 ビッグバンが事実なら、過去に遡れば極小の一点になるはずで、その一点は想像を絶する質量になる。それが超ブラックホールと同じなら、なぜどのように最初の爆発が始まったのか。それには理由があるはずだが、それは生命を生み出すためなのか。生命とは静止しているものではなく、絶えず動いているものであり、膨張(とか自転とか公転)という運動は動いていること、すなわち生きていることを示しているのか。

 銀河の赤方偏移の他にも、膨張の理由を説明する説が幾つかあるが、ここで有神論の見地から思えば、全てのものは神を材料にして出来ており、神とは《意識+エネルギー》なので、宇宙も意識とエネルギーで出来ているはずとなる。そして神が存在しない場所は宇宙のどこにもないなら、星と星の間の《空間》もエネルギーから出来ているはずで、そのエネルギーの密度の違いで、様々な形態の違いが出来ているのかもしれない。昔は空間には《エーテル》が満ちていると考えられていたが、じつはエネルギーが満ちている。

 そのエネルギーは無限のはずなので、ならば宇宙も無限に膨張するのか。あるいは石を空に投げたら減速して、静止して、また地上に戻ってくる(※空気抵抗と地球の引力と発射速度のせい)ように宇宙も中心点に収縮するのか。膨張と収縮を宇宙は繰り返し、それが宇宙の輪廻なのか。人間も輪廻し、宇宙も輪廻し、万物の意識も生命も永遠である……というようなことを思いましたが、いや、宇宙って面白いですね。

 しかしいずれにせよ、自分の今の人生は一度だけ。人が二度と到達できない「今日」より大事な日は、宇宙にはどこにもないのでしょう。

2019/07/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

仮にもし

宇宙がなかったなら、
人間のイマジネーションはとても狭く、
つまらないものだったのでしょうね。
そして、
「神」という概念もまた、
生まれなかったのかもしれませんね。

2019/07/14(日) |URL|友資 [edit]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/07/14(日) || [edit]

Re: 仮にもし

友資さん コメントありがとうございます^^)

 聖句を思い出しました。イスラエルの王ダビデの詩です。彼は王になる前は、羊飼いでした。彼は夜、羊と共に野原にいたときに、満天の星空を眺め、創造者のことを思っていたのでしょう。

「あなた(神)の指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれに心を留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。(詩篇8:3-8)

 これは今から3千年前のことで、その頃は月のない夜は漆黒の闇だったので、星は今とは比べ物にならないほど美しく無数に見えたのでしょう。大抵の人は、満天の星空を見ると、広大無辺な宇宙の大きさに比べれば、人間がいかに弱小な存在であるかを気づかされます。ダビデが思ったのは、宇宙の創造者である偉大な神が、私たち小さな人間を顧みて下さるのはどういうわけですかと不思議に思い、ありがたく思い、感動して詩を書いたわけで、だからダビデは、愛や優しさを持つ人格神を思っているのです。

 この聖句の「人」も「人の子」もともに《人間》という意味ですが、キリスト教は特に「人の子」のことを《イエス》に適用し、イエスがキリスト(メシヤ)となって「栄光と誉れの冠」をかぶり、「万物を彼の足の下」に置く時が来るはずだと、この賛美の詩を預言的に解釈しています。聖書の預言というのは、そういうふうに拡大して予表的に自分たちに都合のいいように解釈する場合が多くあるのですね。

 星空を見ても人はいろいろなことを思います。アンドレ・ジイドは、宇宙は考えないが、人間は考える。だから人間は《考える》という点において偉大だと考えました。確かに、もし考えることがないなら、どんなに人生は空しくなることでしょうかね。

2019/07/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 私にとっての宇宙

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)

 深い内容のコメントを秘めたままにするのはもったいないので、抜粋紹介させていただきますよ。

>  仏教の華厳経において「菩提の求めるこころを発するならば、微小な世界がすなわち大世界であり、大世界がすなわち微小な世界であることが分かるのである。…仏の一毛穴のなかには一切世界が入り、一切世界を見ることは、仏の一毛穴で知ることである。」と言っています。
 この意味するところは、「部分が全体であり、全体が部分である」し、「部分と全体は一致する」ことを言っているようなんですが、これの理解はかなり難しく、自分でもまだ未消化です。


 そうですか。仏教の教えは深いようで、ボカされているように感じるところがありますね。物証や論証がない精神論の禅問答のようでもあります。
 これを見て思い出したのは、エメラルド・タブレットの言葉「天にあるものは地にもあり、中にあるものは外にもある」です。地上の事柄を見れば神の見えない世界のこともなんとなく推測できるというような意味だと思いますが、今の時代に当てはめれば電子の構造を見ると宇宙の仕組みも分かる、すなわち万物の法則をまとめた統一理論の完成の時は近いと解釈できるかもしれません。

>  …頭脳明晰なインド哲学者に解説していただこう。宮元啓一氏と石飛道子女史の共著「ビックリ!インド人の頭の中」(講談社)の中で、はるか昔の紀元前7~8世紀に、古代インド哲学者のウッダーラカ・アールニが唱えたことが書いてあるが、これを小生なりに多少現代風にアレンジして要点を述べよう。
 
ウッダーラカ・アールニ曰く。
 宇宙がある時に誕生したと仮定すれば、我々が知らない何か別の「有」が誕生の前に安定した存在としてあったことが大前提となる。
 それが不安定な「有」であったなら、直ちに宇宙が誕生するが、それは矛盾する。その不安定な「有」も「無」からは決して生まれないから、何か別の「有」から変化しなければならないからである。
 従って、ある時に、安定した「有」が自ら流出を開始するしかない。しかし、その「有」は、その「有」として自己充足しているのであるから、ある時に流出する必要は一切ないし、気紛れを起こしようがない性質のものである。
 よって、いつまで経っても宇宙は誕生しないのである。
 宇宙創造の神がいたとしても、外力を働かすしかない。仮に、そのような神がいたとしたら、宇宙を創造するまでの間、神は何をサボっていたのか、なぜにある時点で宇宙を創造したくなったのか、気紛れで創造したり破壊したりするのが神なのか、ということになる。論理を無視した悪ふざけも度が過ぎる。
 アールニの実に見事な言いっぷりである。このとき以降、インド哲学者は、神と宇宙創造の2つは論理の対象外として取り合わなかったのである。(ブログ版追記:正しくは、アールニは「無から有は生じない」など体系だった「有の哲学」を著したものの、彼自身は矛盾を抱えながらも流出説[宇宙創造]を採った。その後のインド哲学各派の論争の中で幾つもの流出説や神の存在が皆、論理破綻を来たし、以後、インド哲学者はこの2つについては取り上げるのを避けた。なお、後半部分はバーダラーヤナの言を多少オーバーに表現したところである。)
(引用ここまで)
 さて、この論理展開においては「有は無からは決して生まれない」ことを大前提としています。これが絶対の真理なのか否か、はたまた「有は無から生まれる」のか。なお、現代物理学においては、「真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。」となっていますが、空間というものが有ることが前提になっており、「空間という有は無から生まれるのか」を、まず解決せねばならないでしょうね。
 (引用ここまで)
 さて、この論理展開においては「有は無からは決して生まれない」ことを大前提としています。これが絶対の真理なのか否か、はたまた「有は無から生まれる」のか。なお、現代物理学においては、「真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。」となっていますが、空間というものが有ることが前提になっており、「空間という有は無から生まれるのか」を、まず解決せねばならないでしょうね。


 神と呼んだり、根源、一者、サムシンググレートと呼ぶようなものが宇宙を造ったとするのはいいとしても、一体なぜ造ったのか、造る前は何をしていたのか、無から有は生じないではないかといった疑問が生じますが、確かに科学でも宗教でもその解明は難しい問題です。
 一応、キリスト教の解釈を言えば、神は愛であり、愛は愛する対象を必要とする。だから神は愛したくて人間を造ったのだとしますが、この反論は、神は全能であり何でも充足できている方なので、愛も一人で完結するはずだという説があります。
 スピリチュアルで言えば、神は意識であり考えることは何でもできるが、実体験ができない。愛とはどんなものかは考えればわかるが、愛を表の時の感情などは体験してないので理解できない。だから神は自分の分身を造って、代理体験をさせ、その分身である人間を通して様々な感情体験をしていると考えます。

 では創造の前は神は何をしていたのか。聖書はこう述べています。旧約聖書の伝道の書3:11です。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」
 ここでは人は永遠を知りたがるが、永遠については完全に知ることができないようになっていると言われています。これはおそらく、人間が悟ってしまい、すべてを理解してしまったら、人間が神の代理として地球に生きているこの人生ゲームが終わってしまうからではないかと思います。

 もう一つ思い出しました。『ロビンソン・クルーソー』に出てくる黒人の従者フライデーが、神はなぜ・・・というような質問をしたら、主人ロビンソンは、そんな質問をする人間のために神は地獄をつくったのだよと答えていた記憶があります。(笑)

2019/07/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

宇宙、そこは最後のフロンティア...

僕は米国のTVドラマシリーズ『宇宙大作戦』(スタートレック)の日本語版の冒頭のナレーションに洗脳されています。。。(笑)



2019/07/15(月) |URL|Anthony [edit]

Re: 宇宙、そこは最後のフロンティア...

Anthony さん コメントありがとうございます^^)

 大作戦で思い出すのは『スパイ大作戦』と『特攻大作戦』で、『宇宙大作戦』は思い出さなかったですよ。『スタートレック』は若山弦蔵のナレーション。いい声の人でした。
 「フロンティア」とは、「最前線の」とか「新天地の」の意。アメリカ人にとっては先住民が悪の集団で、彼らを追い出し、殺しまくった西部開拓時代のアメリカ大陸がその地だったのでしょう。宇宙の場合は、怖い先住民が居ると考え、『スター・ウォーズ』ではいろんな化け物のような動物が出てきましたし、猿が水の惑星に出てくるのもありました。
 冒頭のナレーションに洗脳されているとは、いつも新天地や最前線に憧れているということですかね。もっと刺激を求めていますね。(笑)

 考えてみると宇宙に天使のようなものが現れても不思議ではないのに、そういう映画はあまりないのは面白いことです。人間はこの広大無辺な宇宙、それは人にとっては未知の世界ですから、分からないものに対する不安や恐怖を感じているということでしょうか。
 しかしまた分からないからこそ興味をそそられる分野でもあり、宇宙の小説や映画は発想が新奇で面白いものが多いですね。最近はCGが発達したせいで、今一つ面白味が減ったような気もします。

2019/07/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

返コメ有り難うございます

コメントがあまりにも長文になってしまい、迷って鍵コメにしちゃいました。
随分とたくさん引用を引っ張り出しての返コメ、お手数を掛けました。
そして、これまた詳細な解説をいただき、恐縮しています。
幾つも興味ある解説をいただきましたので、それに関して、小生の思いを述べさせていただきます。

「部分と全体は一致する」
欧米人でもこうした思考をする人もいるんですね。もっとも、20世紀初頭に量子論を打ち立てたハイゼンベルグは、そのような思考が、物質の神秘を解く鍵を握っていると言っていますから、けっこう普遍的な思考方式のようにも思えます。
古代インドの哲学者(思想家、宗教家も)は、深き瞑想によって「ブラフマン(語源:増大する)」という万有の根本原理(その意味は「宇宙に満ちている何かを生じさせる力」:漢字では「梵(ぼん)」)、これと、一番確かな存在である自分自身、その最も本質的なもの「アートマン(語源:呼吸):漢字では「我(が)」、この2つ、つまり、「ブラフマンとアートマンとが一体になること」、すなわち「梵我一如」が真理であると考えるようになったといいます。これも「部分と全体は一致する」という思考でしょう。
小生、「梵我一如」をほんのちょっと(疑似的に短時間)体験したものですから、ここに何やら真理が隠されている(そう期待したい)という思いが強いです。もっと、これを自分自身以外の者に説明する段にあっては、論理的説明を展開せねばならないですから、相当な困難性を伴うことになりますが。
なお、バーソさんの思い『今の時代に当てはめれば電子の構造を見ると宇宙の仕組みも分かる…』というのとはちょっと違います。これは、異なる物理学理論が働いている世界、その両者を統一する物理学理論があってしかるべき、といったところでしょうか。

「創造論」について
バーソさんの解説『一応、キリスト教の解釈を言えば、…神は愛したくて人間を造ったのだとしますが、この反論は、神は全能であり何でも充足できている方なので、愛も一人で完結するはずだという説があります。 』を見て、この反論は論理的で面白いです。
しかし、この世に生きているのは人間だけではありません。人間は客観的に見ると、生物界の芥子粒ほどの存在ですから、「神は全能であるがゆえ、全ての生物を愛したくて」ということになり、そればかりでなく「すべての無生物つまり物質を、そしてエネルギーも」ということになり、根源的な宇宙創造を論ぜねばならなくなります。
キリスト教なりスピリチュアルでは、人間独尊が強く出過ぎている感がし、これでは真理にたどり着けないのではないの?という思いが小生には強いです。

旧約聖書の伝道の書3:11「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
これはいいですね。宇宙をはじめ目に見えない細菌に至るまで、それぞれのその成り立ちは公理、定理で説明できる性質のものです。いまだ無限小の真理しか人間は知り得ていないのですが、今までに知られた真理についての公理や定理は皆「美しい」数式(複雑怪奇ではない)で示されます。
複雑な説明で語られる論、それに矛盾している事象が見つかったら、さらに複雑怪奇な説明をするようになる論というものは「美しくないから間違っている」と断言できます。
この世の自然科学者は「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」をバイブルにせにゃいかんです。

2019/07/15(月) |URL|永築當果 [edit]

Re: 返コメ有り難うございます

永築當果さん コメントありがとうございます^^)

 自我はスピリチュアルでも悪者にされる場合が多いですね。自我をなくして、無我の境地に入ることが悟りだと言われます。しかし自我があるからこそ人間らしいとも言えるように思えますが、覚者は、そうじゃない、無私無欲でエゴのない状態こそがそ何事にも代えられない至福の境地なのだと言います。「梵我一如」というのは、断食中などに、そういう霊的に高度な状態―――非常に安らかな無我の境地に入ったことがあるということでしょうかね。

> キリスト教なりスピリチュアルでは、人間独尊が強く出過ぎている感がし
 確かに、人間中心主義の感がしますね。ただ、ジイドが述べたように、人間は《考える》という点において他の生物とは格段の違いがあり、それゆえに物ではなく、もっぱら心のことを考えるのが、宗教やスピリチュアルの役目のような気もします。動物はおそらく生命保存の本能のみによって生きていますが、人間はそれ以外に、損得計算とか欲望とか野心とか良心とか信念によっても生きていますから、心や精神の複雑さは他の動物の比ではなさそうです。

 何を大事にして生きているかは人によって様々でしょうが、人が命よりも大事にしている最大のものは何かといえば、それは《正義感》だという話があります。《親子愛》や《人類愛》もそうなんでしょうが、そんな愛よりも何よりも正義感のために人は命を懸けると言われます。正義感があっても愛があれば人を殺すようなことはしないはずですが、愛より正義感のほうが強いので、自爆テロをしたり暗殺したりする人もいるのでしょう。

 ところが正義感や信念ほど誤りやすく、独善的なものはないので、正義感がないのも問題ですが、ありすぎるのも困ったものです。真面目な人ほどそうなりやすいので要注意で、本当は宗教はそういう分別を人間に教えるためにあるのでしょうが、もっぱら現世ご利益か死後の生命の約束しか教えてないのが残念です。

 ところで無生物とは動かないもののことを言いますが、しかし原子レベルで見れば生物も無生物も原子核のまわりを電子が回っているという構造(イメージ)に変わりはなく、ミクロで見れば万物はみな生物なのです。
 アインシュタインが喝破したように、モノはすなわちエネルギーの形を変えたものであり、エネルギーとは静止しているものではなく、活動しているもの、活動する力を秘めているものなのです。
 ただ、石や岩の動きは非常にゆっくりしたもので、何千年何万年という単位で見ないとその動きは人には見えないだけの話で、石にも岩にも、そして木や植物にも、それなりの意識はあると考えています。だからベートーベンを聞かせると果実がうまく成育するという実例があります。

 「神のなされることは皆その時にかなって美しい」。これはいいですか。そうですね、宇宙の法則はシンプルで、数式で表せるという話に私はいつも感心します。私は特に有神論者になってから、この思いが強くなりましたね。宇宙は、地球は、人間は、そして生命は、本当にじつに素晴らしく良く出来ていると思います。

2019/07/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

自己複製とか新陳代謝とか生命を定義する幾つかの項目がありますが、最も重要なのが内と外の区別があるかどうかだそうです。
確かに顕微鏡で見ると、例えどんな単細胞生物であっても生命自体が周囲の環境とは別の存在として生きている事が観察できます。
ところが、量子の世界には内と外…我と宇宙と言う様に生命と環境とを別々に分けて考える様な概念は最初から存在していません。
我々が観測している宇宙はただ一瞬だけのもので、実際はスクリーンに映し出されたフォログラフィの如く実体はないのだそうです。
振り向いて見た時だけそこに宇宙が存在する…しかも、その宇宙を見ている我々自体が本当は霧やモヤの様に曖昧な存在になります。
物質とか生命と思っているものは、実は絶え間なく動いているエネルギーの波動で、我々自身もフォログラフィの一部になるのです。
まさに宇宙は「色即是空 空即是色」ある様でなく、ない様である。強いて言えばそれが宇宙の真実の姿なのではないでしょうか?
そして、生命とは宇宙を映し出す存在であり、宇宙全体を生命と考えれば、我々は人体の中にある小さな素粒子なのだと思いますね。

2019/07/15(月) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> 生命を定義する幾つかの項目がありますが、最も重要なのが内と外の区別があるかどうか
 これは生物の細胞膜が外部と内部とを分離し、化学的にエネルギーのやり取りをして、自己増殖をしているのが生命であるという話ですかね。

> ところが、量子の世界には内と外…我と宇宙と言う様に生命と環境とを別々に分けて考える様な概念は最初から存在していません。
 そうです。ミクロに見れば生物も無生物もみな同じ構造をしており、みなエネルギーが姿を変えたものです。

> 我々が観測している宇宙はただ一瞬だけのもので、実際はスクリーンに映し出されたフォログラフィの如く実体はないのだそうです。振り向いて見た時だけそこに宇宙が存在する…しかも、その宇宙を見ている我々自体が本当は霧やモヤの様に曖昧な存在になります。物質とか生命と思っているものは、実は絶え間なく動いているエネルギーの波動で、我々自身もフォログラフィの一部になる
 おや、地球に人類が生まれたのは何万年前で、アフリカが発生の地だというような世の一般科学に基づく、joさんのいつもの話とはちょっと違って、joさんにしては珍しく唯心論的というか、スピリチュアルそのものの話ですね。どっちが本当のjoさんなんでしょうね。

 すべてのスピリチュアルがそう唱えているわけではないですが、このフォログラフィ説は興味深い考えですね。人が寝る前はベッドがあり、枕元には照明があり、部屋にはカーテンが掛かっているが、寝てしまったらそれらは消滅し、朝になって目が覚めたときにまた元通りになっている。それは人間の意識がそうさせている。この世界は、いわば人間の意識で成り立っているイマジネーションの仮想世界だと言われています。
 夢の中の蝶が自分なのか、起きているときの自分が本当なのか。荘子の話とも似ていますが、夢と現実の区別がつかないという映画もけっこうありますね。ヴァーチャル・リアリティのデジタルテクノロジーが発達してきた今、この種の話も現実的にあり得るようになってきました。
 
> 生命とは宇宙を映し出す存在であり、宇宙全体を生命と考えれば、我々は人体の中にある小さな素粒子なのだと思いますね。
 宇宙にある恒星はものすごいエネルギー体です。そしてダークマターとかブラックホールというものもそれ以上のエネルギー体でしょう。創造者がいるなら自分を材料にして宇宙を造ったはずで、この宇宙がものすごいエネルギーであるなら、創造者はもっとグレートなエネルギーであり、そのエネルギーで出来た星団群が、たとえばバブルのように秩序正しく存在し、美しいシンプルな法則の下に正確に活動していることを見ると、その大元のエネルギーには意識や知性があることになります。
 意識があって活動しているなら、宇宙全体は生命であると考えられ、そうであれば星も生命体で、地球も生命体で、人間も生命体で、動物も昆虫も魚もアメーバもみな生命体であるとなります。宇宙は大小様々な生命の集まりなんでしょう。

 ですが、本当の意味の生命体とは、人間の場合、無為に怠惰に生きているか、それとも何か目的をもって生きているかどうか。それが決め手のように思いますね、と身も蓋もないことを言いますが。(笑)

2019/07/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/07/17(水) || [edit]

またまた返コメします

<動物はおそらく生命保存の本能のみによって生きています>に対する反論
 ヒトと類人猿の頭脳はどれくらいの違いがあるのか、その事例紹介をブログ記事にしていますが、そのなかでヒトと類人猿に類似性が高いものをいくつか紹介しましょう。
・夕陽を見つめるチンパンジー(Vol.2)
 http://suiseisnka.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
・歌を口ずさむゴリラたち
 http://suiseisnka.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
・首飾りをつくるオランウータン
 http://suiseisnka.blog.fc2.com/blog-entry-24.html
・瞬間記憶ができるチンパンジー、これができない人間
 http://suiseisnka.blog.fc2.com/blog-entry-62.html

<「梵我一如」の疑似的体験>
これについては、下記論文で書きました。(以下部分引用)
人類の誕生と犬歯の退化「あとがき」
 山歩きが好きな私が20歳のときに不思議な体験をしました。
 それは、富士山の五合目から三合目までの登山道を一人で下ったときです。その日は風が全くなく鳥のさえずりも遥か彼方からまれに小さく聞こえるだけでした。絶えず聞こえてくるのは自分のキャラバン・シューズの足音だけです。暫く下って両側が緑豊かな低木帯、といっても自分の背丈を超える高さがありましたが、そこに差しかかると登山道は分厚い苔で覆われ始め、その苔を踏み付けるのが何だか申し訳ない気分になって、そっと歩を進めていきました。それがどこまでも続き、その苔もどんどん分厚くなって、とうとう自分の足音さえも一切感じなくなってしまったものですから、奇妙な気分になりました。そこで歩を止めました。
 すると、自分の体がスーッと周りの木々や苔の絨毯に拡散し始め、自分と大自然が一体化してしまうような感覚に陥りました。
 自分が消えてなくなってしまう。怖い! 何だろうこの感覚は?
 そのときは、これはきっと何かの錯覚だろうと考えました。周りからは物音一つ聞こえないし、自分の足音も聞こえなくなったのだから、おかしな感覚が生じただけだろうと。そこに立ち止まっていた時間は記憶に定かではありませんが、多分1~2分間の短い出来事だったと思います。でも、40年経った今でもその感覚ははっきりと蘇ってきます。
 10年近く前に宗教に興味を持ち、幾冊かの本を読む中で仏教はどのようにして誕生したのかを知りました。その中で興味を覚えたのが、西北インドでは紀元前8世紀頃から多くの哲学者、思想家、宗教家たちが一人静かに深き森の中に入り込んで座禅を組み、あるいた立ったままで思索に没頭したとのことです。彼らは、「アートマン」(自己:語源は呼吸、漢訳では我)と「ブラフマン」(万有の根本原理であり、宇宙に充ち満ちる力:語源は増大・拡大するもの、漢訳では梵)とが一体になること、つまり「梵我一如(ぼんがいちにょ)」が真理であると考えるようになったとのことです。
 それを知った後、何度目かに「梵我一如」という言葉が目に入ったときに、フッと富士山で感じた不思議な体験を思い出し、“なるほど、あれはそういうことだったのか”と思えました。
 あのとき、自分が呼吸していることを知覚していたのかどうかは記憶にありませんが、自分が増大・拡大するように感じたあの体験は、「アートマン」と「ブラフマン」とが一つになったように思え、古代インドの彼らの思考方法が身近に感じられ、何となく理解できるようになりました。

<生物と無生物>
 動くか否かの物差しを当てるのはいかがかと思います。
 まず、我々になじみが深い最小の物質「原子」ですが、原子モデルは理解しやすいように惑星型モデルで示されるのですが、けっしてそうした形をしておらず、量子論からの説明では「原子核の周りにうすぼんやりした雲の形で電子が存在する」というものですが、これも正しくなく、「雲の部分に確率的に存在する」といのがより近い説明となるも、これも正確ではないです。ミクロの世界では、空間の概念も我々が感知する空間とは異質なものですから。
 よって、量子論からすれば、原子は安定、静的な存在です。ただし、外力が働けば、その性質を変え、エネルギーを蓄え、また、エネルギーを放出するという受け身的存在です。
 さて、生物の定義ですが、いろいろな定義があるなかで、これは誰も行っていないと思いますが『生物とは、「アデノシン三リン酸」(ATP:「生体のエネルギー通貨」と形容される化合物)を自ら絶え間なく産生しているもの』と考えたほうが分かりやすいと思います。
 ATPは全ての生命現象をつかさどる生体エネルギーと言ってよく、生体内での化学反応の主力になるもので、単細胞生物からして、これが生きる原動力になっています。
 こうしてATPが産生されている間は、生体内でエネルギーが渦巻くことになり、この渦巻きを「意識」と言い換えることもできましょう。そして、この渦巻きが神経細胞の集合体を持つ生物にあっては、その一部は電気的性格を持ち、ヒトでは脳波がいい例ですが、生体外へも電磁波エネルギーとなって放出されます。これが、他の生物や無生物にも外力として働く、と考えることができましょう。
 脳波を一例として取り上げましたが、これは我々が知り得る物理学の範囲内にあるも、まだ知り得ない物理学の世界において、この「渦巻き=意識」なるものが、かなり活躍しているように思われます。なんたって、神経細胞を持たない植物にあっても、外力を働かしているような気がするからです。
 この、まだ知り得ない物理学、霊エネルギーとでもいうべきもの、これを作り出す本元はATPであろうものの、その原理は、その定理は、となると、どう思い巡らせても何も見えてこない、といった蜘蛛の巣が張った小生の脳みそです。

ここのところ、けっこう暇を持て余しており、つい長文のコメント、というか自己主張をしてしまいました。お許しください。

2019/07/17(水) |URL|永築當果 [edit]

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2019/07/17(水) || [edit]

Re: またまた返コメします

永築當果さん コメントありがとうございます^^)

 ああ、またまた面白い長文コメント、恐れ入ります。
 早速ですが、
> 動物はおそらく生命保存の本能のみによって生きています>に対する反論
 この場合の「生命保存の本能のみ」とは、弱肉強食で争うような、生きていくための《熾烈な生存本能》のことのみを言っているのではないのです。愛や優しさといった善意の「道徳的特質」もまた、いわゆる高等動物には基本的な「生存本能」として備えられていると私は思っているのです。私は進化論を信じてない有神論者ですから、ある種の動物にも(それなりの)愛や優しさが見られるのは当たり前であり、それもデフォルトの「生存本能」だと思っているのです。

 紹介されたURLは拝見しました。動物、特にチンパンジーやゴリラ、また馬や犬、猫などには(それなりの)愛があることは承知しています。私が毎日見ているサイト『ガラパイア』にも、その種の話が動画や写真と共に毎回のように出ていて、感動しながら見ていますから。http://karapaia.com/

 聖書も、動物には基本的に愛や優しさという基本属性が基本機能として備えられていることを示しています。
 例えばイエスは「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ ―――わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように」。(マタイ 23:37)と述べました。つまり母親めんどりがひなに対して《本能的な愛情》を持っていることを聖書は示しているのです。

 あるフレーズだけを見るのではなく、意図と文脈を全体的に見ていただければ分かると思いますが、私は前回の返コメに、人間の場合は、動物と違って道徳観や倫理観があり、知恵は格段に優っており、「損得計算とか野心とか良心とか信念」によっても生きているので、心や精神の複雑さは他の動物の比ではなさそうだと書きました。そして人間が大事にしている最大のものは「正義感」だとも書きました。つまり、そういった社会的な《倫理的特質》は、人間以外の動物には基本本能として備えられてないが、しかし愛や優しさといった道徳的な特質は、ある種の動物にも基本的な「生存本能」として備えられていると思っているのです。ちょっと言葉足らずがあったでしょうかね。

 それにしても、愛や優しさといった「基本的な本能」が動物にあるということは、進化論では説明しがたいでしょう。正義感・信念・良心などの「倫理観」が人間にあることは、進化論ではまったく説明できないはずです。
 人間が自分の信じる信念や主義主張、正義感、責任感のために死ぬなんてことは、進化論の唯物論的思考ではあり得ないことで、真逆な話でしょう。この点だけを見ても進化論の論拠にはかなりな不備があるように思います。
――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「梵我一如」の件。
 そうでしたか。似たような経験をした人の話はよく聞きますね。人間も自然界の一部の存在であり、自分と他の境界がなくなる感覚を味わう人は少なくないようです。おそらくその人の思考なり、心の波長が霊的な方向に向いているからじゃないでしょうか。そういう人が悟りを開いて覚者になるのでしょう。そして、この世的な欲望がいかに虚しいかを認識するのでしょう。私も子供の頃にはちょっとばかり似たような体験があったのですが、成長するにつれ、消えていきました。俗人になったせいかもしれません。(笑)

 しかしそれなのに、永築さんが、無生物から生物が進化してきたとする唯物論的な進化論を信じているのは面白いですね。進化論的思考の人は、そういう「梵我一如」の状態は脳の幻覚だろうと言って全面否定するはずなんですが。
――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 それから、生物と無生物の「定義」について、文脈を見ればわかる通り、論じたわけではないのですよ。岩や石のような無生物でも、ミクロに見れば生物と何ら違いはない。動いてないように見えても広い視点で見れば動いている。物質とエネルギーはイコールですが、進化論でいう頂点の物質である人間に意識があるのなら(意識どころか倫理観もありますが)、エネルギーにも意識はあるはずだと(とんでもないことを)言う精神世界の見方を書いただけなんですね。むろんモノには皆それなりの意識があるという話は、証明はできませんが。
――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 原子モデルについても、私は「原子レベルで見れば生物も無生物も原子核のまわりを電子が回っているという構造(イメージ)に変わりはなく」と書きました。「構造」のあとにカッコで「イメージ」という言葉を入れてあることから分かる通り、原子モデルの《イメージ》として小学校で教えるような概念を書いただけです。「原子核の周りにうすぼんやりした雲の形で電子が存在する」というような話や不確定性原理などについては少しだけですが知っているつもりです。

 ただ、「アデノシン三リン酸」の話は知らなかったですよ。教えていただいて、一つ知識が増えました。
 長文コメントをまたまたありがとうございました。勉強になります。

2019/07/17(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

わたしが宇宙の🎵中心だけどね😃

2019/07/19(金) |URL|たけ [edit]

Re: タイトルなし

たけさん コメントありがとうございます

そうですか。
珍なる言のようであり、妙なる語であるようでもありますね。(笑)

2019/07/19(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/07/19(金) || [edit]

 宇宙とは、その片隅に地球をぽつんと浮かべている空間であります。そしてそれは何者かによって設定されたものではなく、その状態下で成るようになっるべきものが成るようになった物であります。旨くできていると思えるのは、その状況下で成れるようにしかならない形になっているからであります。つまり、流されて流されて、たどり着いたヤシの実みたいなもんです。なんのこっちゃ。
 にしてもおねーちゃん、美人でやんす。

2019/07/22(月) |URL|宇宙とは [edit]

Re: タイトルなし

宇宙とは さん コメントありがとうございます^^)

 宇宙とは「流されて流されて、たどり着いたヤシの実みたいなもん」ですか。マル。宇宙(と生命)は、たまたま稀有な確率で非常に巧く出来て存在しているとする《宇宙偶然存在説》ですね。学校で習ったとおりの正解で、それでいいと思いますが、でもこんな詩もちょっと見てみませんか。
 
 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ
 旧の木は 生(お)いや茂れる 枝はなお 影をやなせる
 実をとりて 胸にあつれば 激り落つ 異郷の涙
 思いやる 八重の汐々 いずれの日にか 国に帰らん

 椰子の実一つは「名も知らぬ遠き島」より偶然に流されてどんぶりこどんぶりこと日本の砂浜に辿り着いたと見るひともいるでしょうが、その故郷である「遠き島」には「旧(もと)の木」があり、今なお「生(お)いや茂れる枝はなお影をやなせる」であろうことが推測できます。

 その椰子の実一つを「胸にあつれば」、「異郷」すなわち日本人には別世界のように思える旧の出身地が思い浮かび、「いずれの日か、国に帰」ることだろうと詩人は歌っています。

 これはすなわち、「椰子の実一つ」を見て、しばし推理力を働かせれば、《自然のモノ》には必ず「故郷」とか「異郷」と比喩される大元の《原因》があること、そして最後に「帰らん」と結ばれているように、生命には《輪廻転生》があることが詩情豊かに語られているとも解釈できそうです。

 というわけで椰子の実一つの詩を見ても、解釈は、偶然説と原因結果説と二つ考えられるわけですね。要は《学説》の違いは《視点の違い》である場合もありそうじゃございませんかね。

2019/07/22(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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