「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 死者の「冥福を祈る」と失礼になる場合がある。 


 毎日更新7周年(!)のブログに、米寿まで頑張って、揃ってバーソを見送ろうと
冗談半分で書きこんだコメントがあり、あと30年でしょうかと受けている返コメ
を見たら、あははと笑ってしまい、こっちが先に二人を見送りたいと罪深いこと
を思いました。(笑) ブロ友三人ともメスが入った体ですが、当分もちそうです。

 このところ、著名人が高齢で亡くなっています。
 高島忠夫さんは享年八十八(米寿)。密葬の予定だそうですが、一般に友人知人
の葬式では、弔意をどう伝えるかが難しいと思ったことはないでしょうか。


 ki83.jpg photoAC


 なにか良い言葉を思いついても、実際に口から出すとなると面映ゆいものです。
そこで常套句を思い出すことになりますが、
ご愁傷さまです」は、定番ながら、通り一遍のようで気になります。
お悔やみ申し上げます」も、平凡で、ちょっと物足りません。
哀悼の意を表します」だと、文語体の手紙文を読んでいるようです。
亡き人をしのんでいます」は、少々気恥ずかしい感じが私はします。

ご冥福を祈ります」は、どうでしょうか?
 これは死者がさまよい行く《冥土=暗黒の世界》でも幸福があるようにという
祈りで、そのために日本の仏教と僧侶は在るようなものですから、良さそうです。

 ただし浄土真宗の場合は、他力により、すなわち阿弥陀仏の恵みにより、悪人
も往生を遂げると考えているので「冥土」の概念はなく、不適切のようです。

 キリスト教の場合は、「冥福を祈る」と言うと、故人が天国に行っておらず、
不信仰だったと暗に言っているようなものですから、失礼に当たります。

 神道では、死者は先祖の霊に連なって守り神になるので、死はむしろ喜ばしい
ものと捉えることもあるので、「御霊やすらかならんことを……」と言うのが適
切だそうですが、神主の祝詞のようで言いにくいですね。


 droijpg.jpg pixabay


 天国の概念も、宗教によってけっこうイメージが違います。

 キリスト教の天国については、イエスがこう述べています。
わたしの父(神)の家には、住む所がたくさんある」(ヨハネ14:2 新共同訳)

 ここを著名な欽定訳聖書は「父の家にはマンションが沢山あるIn my Father's house are many mansions」と訳していま
す。「マンション」は新明解四版が「スラムの感じが比較的少ないように造った
鉄筋のアパート式高層住宅」と悪く書いていますが、英語では「邸宅」の意です。

 つまり欧米では、天国の家は富裕層の豪邸のようだと考えられているのですね。
田園調布に建つようなお屋敷ですと言ったら、誰にでも通じるでしょうか。(笑)

 イスラム教の天国は、酒池肉欲のハーレムです。
 自爆テロを聖戦とみなして死ぬような男には、金髪の処女「フーリー」72人が
天国で相手をすると言われていて、まあ、男中心の宗教思想は醜悪です。

 それから思うと、極楽のイメージはきれいな池に蓮の台が うてな あり、清浄です。
 物質重視と精神重視―――東西の意識の違いを見るようで面白いものですね。


 それにしても、生前はひとのよかった人が、死後に意地悪になり、弔いをしな
いと遺族や知人に祟るというのは道理としておかしくないですか。それに故人へ
の侮辱になりませんか。進化論で考えても、人が死後に恨みがましい亡霊に突然
変異するなんてあり得ないでしょう。


 skoy.jpg pixabay


 一方、死後の世界や神を信じない無神論の人は、「冥福」とか「祈り」といっ
た宗教用語は使いたくないでしょう。不可知論の人もそうかもしれません。

 私も、宗教や人格神や冥界に関する教えは信じていないので、同様です。
 でも以前は、冥界や地獄は無いとする厳格な教団にいたので、葬儀など皆の前
で仏教儀式が求められる場は、踏み絵を踏まされるようなもので、困りました。

 神や死後の世界をまったく否定する人は、葬儀に参列したときや黙祷を求めら
れる場面では、誰に、何を(心から)祈っているのだろうかと不思議に思います。


 しかし死者の冥福や平安を祈る宗教儀式には、メリットがあるかどうか分から
ないとしても、デメリットもないから問題はないと考えますか。

あの世で食うに困らず、金もあり、大きな家に住んで召使いを大勢使って
ゆたかにくらすのが「冥福」すなわちあの世でのしあわせである。
そのためにはこの世からの応援が必要である。
花をそなえて手をあわせるくらいではとても間にあわない。
さしあたりのものはまずお墓に入れて人間といっしょにあの世に送ってやらねばならぬし、食いものなんかはあとずっと送りつづけねばならない。
       ――――高島俊男『お言葉ですが…・別巻1』(連合出版)


 死者を悼む気持ちは分かりますが、私は、盛大な葬儀に熱心な人を見るたびに、
死後の世界についてよく調べもしないで、無駄なことをしているなあと感じます。

 私たち夫婦は葬儀はせずに、献体することにしていますが、密葬もいいですね。
ただ、葬儀は親族や知人のためにする場合もありそうです。


 さて、お金や時間、労力は、死者のためより、生者のために使ったほうが意味
があるでしよう。
 生者とは、家族や高齢の親、困っている人たち、そして自分も含まれます。






註――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※地獄については仏教諸宗派が共通に説くが、極楽は浄土教だけが説く。極楽は遥か西方の十万億
土彼方にあり、地獄はその地下にある。極楽の仏は阿弥陀如来で、今も教えを説いているとされる。
極楽往生の往生とは、彼岸に往って、新たに生まれることなので、死は必ずしも悪いことではない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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COMMENT FORM

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労います(笑)

遺族にはごくありふれた挨拶をしますが、
故人に対しては“贈る言葉”は決めています。
『お疲れ様でした。何度目かの地球、卒業ですね。
おめでとうございます❢』(笑)

盛大に、質素に、故人の遺言に従ってと
形態もさまざまでしょうが、葬儀は、
故人の為というより
“残された人々”のためにあるように思います。

チベットや、エジプトの『死者の書』を読むと、
まるで黄泉の国へのガイドbookですが、
複雑で手間のかかる儀式を経ることで、
遺族や友人、知人の“気がすむ”のでしょう。

最近は葬儀も埋葬もシンプルなものが好まれるようになりました。
寺、檀家は消滅し、僧侶は出張専門になることでしょう。

おお、献体❢ 私も登録完了なので安気です。(^_^ ;)

2019/07/06(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。
30年後の愛新覚羅です。

なんやら難しいですねえ。
会社関係の葬儀ではなにかと気を使いましたが。

愛新覚羅

2019/07/06(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 労います(笑)

風子さん コメントありがとうございます^^)

> 故人に対しては“贈る言葉”は決めています。『お疲れ様でした。何度目かの地球、卒業ですね。おめでとうございます?』(笑)
 「故人に対しては」とは、心の中で言う言葉ということですね。風子さんなら当たり前の感覚なんでしょう。冥福は祈らずとも間違いなく成就しているわけですから。しかし「お疲れさまでした」は、わたしは疲れてない、もっと長生きしたかったと返されそうな気がしますが、これは、ひと仕事終わったときに言う定番の挨拶ですね。あ、いや、そうじゃなく、もう心地よい意識次元状態にいるので長生きしたいなんて言わないのでしょう。

> 葬儀は、故人の為というより“残された人々”のためにあるように思います。・・・複雑で手間のかかる儀式を経ることで、遺族や友人、知人の“気がすむ”のでしょう。
 そうですね。ただ「気が済む」とは、やはり死者は冥界でさまよっているという考えを持っていることを示しており、またそうするのが社会風習になっているためなんでしょう。
 私もチベットの『死者の書』は読みました。一般の人の読後感は、今なお迷信を持続していると思うか、今なお真理を持続していると思うか、その二種があるだろうと思いました。

 私は以前は、人は死んだら無になると思っていたせいで「冥福」は祈らず、今は死後も魂は残っていると思っているために「冥福」は祈らず。まあ、節操がないと思われそうですが、人間の意識や信念は何かきっかけがあると目からウロコが落ちたように変わり得るのですね。

 amazonで「[お坊さん便] 法事法要手配+戒名授与チケット (移動なし)」が65000円。レビューは☆5が71%、☆1つが29%。まあまあ好評のようですよ。

2019/07/06(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> 30年後の愛新覚羅です。
 おやまあ、30年後もお元気なようで何よりです。ただ、昨日の今日ですから、痛みがかなりありそうで、大丈夫ですか。そんなときも朝早くコメントをいただいて恐縮です。
 私は採血の注射針も怖いので、メスと聞くだけで体が震えそうになります。抜歯も怖いので、歯科の前を通るのも怖いです。外科医院なんてとんでもないです。(笑)

 会社関係の葬儀では気を使いましたか。
 私は小学生のとき、同級生の葬儀の際に代表で焼香したときが最初。あとは親と友人数人程度で、会社関係は社長の葬儀が1回あっただけでした。だから知り合いばかりでしたが、会社の営業関係の付き合いもあると葬儀もかなり多かったのでしょう。私の知り合いの営業マンは、机の中に黒いネクタイを常時しまってありました。

 考えてみると、けち臭いことを言うようですが、香典は出す方が圧倒的に多いですね。もらうのは一回だけ。それも死んだ後ですから。葬儀とは損儀なり、と言いたくなりますが、香典は遺族のためになっているので、損になってはいないのでしょう。

2019/07/06(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

天国より

おはようございます。

30年後のばくです、おいらはとっくにこちらに来ています、それにつけバーソ師匠のしぶとさには恐れ入ってります、でもギョロさんも母上をお見送りした後、早々に奥様の元に戻っておられますので、おいら結構寂しくはありません、奥方はまだまだ来る気が無いので、鬼のいない間のなんとやらで、72人の金髪美女と日替わりで楽しんでおります。

おいらが旅立つとき、送り人達はありがとうと口々に、今までありがとうなのか、死んでくれてありがとうなのかは定かではありませんでしたが、兎に角、感謝されての旅立ちでしたので、結構ルンルンな気分でこちらに来た次第です。

もしこの先、輪廻転生と申しましょうか、生まれ変わってそちらに戻ったとき、故人には、ありがとうの言葉を添えて送り出したいと思っています。

2019/07/06(土) |URL|ばく [edit]

Re: 天国より

ばくさん コメントありがとうございます^^)

 おやまあ、ばくさんも30年後の未来からお出ましですか。相変らずお元気そうで何よりです。で、なんですか、バーソはしぶといですか。あはは、お褒めの言葉にあずかり、恐縮です。

 私は、わび、さび、しぶの雰囲気も悪くはないと思っていますが、そちらは72人もいたら、名前を覚えるだけでも大変でしょう。顔にはベールが掛けられているのでしょうから、顔も覚えるも大変でしょう。
 残された美人の奥方は焼きもちを焼いて、お線香をいっぱい燃やしているでしょうから、煙が天国まで届いていて、いまナット・キング・コールの『煙が目に沁みる』の歌でも歌っているのではないですか。
 ばくさんは大会社の会長でしたから、参列者が大勢いて、きれいどころの方々も大勢いたでしょう。皆さんからお悔やみと感謝の言葉を言われて、涙に暮れたのじゃないですか。われらのキングよ、地上に帰ってきておくれとのコールもいっぱいあったのじゃないですか。(笑)

 真面目な話。輪廻転生が有ると思える状況証拠は少なからずあります。前世を覚えているという人がいて、調べると状況描写が正確だったとか、どう考えても生まれ変わりとしか思えないような事例が世界にはけっこうあり、学者が検証して書いた研究書も出されています。

 人が生まれ変わるときは、それぞれの役割は違っても、また同じような人間の組み合わせになることが多いと言われているので、こうしてブログで知り合えたのも何かの縁以上のものがあるのでしょう。
 私もまた40年後ぐらいにはそちらに行きますので、そのときは必ず声を掛けてくださいよ。

2019/07/06(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

私は「ご愁傷様です」と言いますが、
「ご愁傷様です」って言うのは「新春シャンソンショー」と同じ
くらい言いにくいです。
「ごしゅうしょうしゃま」ってなってしまいます。
なので口をもごもごして頭を下げるだけです。
何を言っているかなど誰も気にしていないですから。

ルーズベルト大統領は常々、会話の内容など誰も気にしてないん
じゃないかと思い、ある集まりのとき、試してみることにしました。
彼は支援者の手をとって言いました。
「今朝、義母を殺しました」
たいていの人たちは微笑えんでそのまま立ち去って行ったそうです。

タレントのサンコン氏は焼香を後ろから見て香を食べていると思った
らしい。
私も仏教的な葬儀に参加すると若干「踏み絵」感を感じます。
2、3人前の作法をよく見てマネています。(笑)

2019/07/06(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2019/07/06(土) || [edit]

つねづね

ぼくも不幸があった方にかける言葉に、
困ってきた人間です。

定型的な言葉で相手の人の慰みになるとも思えず、
だからと言って何も言わないのも何か違うような気がして、
何か言おうとするのですが、
何も言葉が出て来なかったりします。

ぼくがいま、不幸があった立場であるなら、
どんな言葉をかけてほしいかな、
あるいは何も言わずにそっとしておいてほしいのか、
なんとも想像しがたいところですが、
いずれにしてもこういうときに選ぶ言葉は、
頭で打算的にするものではありませんね。
こころで選ぶものだと思います。

2019/07/06(土) |URL|友資 [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 新春「シャンソンショー」も「ご愁傷さま」はローマ字入力するときも難しそうです。私は拗音を打つのが苦手になってきて、「ちょっと」は「ち」で単語登録していたのですが、その登録のときに間違えたらしく、「ちよっと」になっていました。でもその間違いにかなり長期間、気付かなかったことが少々ショックでした。

 口の中で「このたびは~」と、ごにょごにょ言って語尾を省略しても誰も気にしない。なるほど、そうなんでしょう。胸がいっぱいになっているので、そのほうが悲しむ気持ちが出ているようにも思います。
 以前、葬儀のとき、仲間の信者の老婦人が、遺族に対して、ゆっくりとあらたまった声の調子で「このたびはまことにご愁傷さまでございます」と一語一語丁寧に発音しいるのをそばで聞いて、なるほど、こういうときは、お芝居の口上を述べるように、決まり文句をゆっくりと読むように言えばいいのだなと思ったことがあります。こういうときの言い方は普段と違うほうがかえっていいようですね。

> 私も仏教的な葬儀に参加すると若干「踏み絵」感を感じます。
 ああ、エリアンダーさんもそうですか。物事の本意を真面目に考える人は、宗教は特にこだわらないので何でもいいと許容はしていても、自分が心から信じてない宗教儀式などはやはりしたくないと思うのが当たり前ですよね。特にお経は意味がまったく不明なので、聞いても全然ありがたく感じないのが損しているように思います。
 中世のカトリック教会は、聖書はラテン語訳しか認めていなかったので、一般の人は聖句が読まれても意味がよく分からなかったそうで、だから司祭が聖書と反するようなおかしなことを言っても民衆は全然気づかなかったという話があります。

 「2、3人前の作法をよく見てマネています」と言われたら、落語の『本膳』を思い出しましたよ。―――庄屋の家で祝言があり、村の三十六人がご馳走に招待されることになったが、誰も本膳の作法・礼式を知らない。そこで手習いの師匠の所に教えてもらいに行ったら、「私のすることを真似しなさい」とアドバイスされる。いよいよ本膳が回ってきたとき、師匠が里芋の煮っころがしを塗り箸でつまもうとしたら、ヌルヌルして滑るためにはさめず、うっかりコロコロ転がしてしまった。すると、あちらでもこちらでも芋をコロコロコロ転がす人が続出したという話ですが、社会風習もこの笑い話にちょっと似ていませんか。(笑)

2019/07/06(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: つねづね

友資さん コメントありがとうございます^^)

 葬儀が得意だと思う人はいないでしょう。特に遺族にはどんな言葉をかけたらいいかは、悩みますね。通り一遍のお悔やみの言葉より、あたたかな気遣いの気持ちを表せればいいのですが。

 私は今まで葬儀では、本文に挙げたような常套句のお悔やみはしっかり述べたことがないですね。たいていは礼をして、悔やんでいる顔をしながら相手の目を見て、こちらの思いを目で伝えるだけでしたが、相手も無言で返せるのでかえって良かったのではないかと思います。

 旧約聖書(伝道の書7章2節)には、「嘆きの家に行くことは,宴会の家に行くことに勝る」とあります。
 葬式の場は、人生のはかなさや、人間の計画や活動がいかに素早く中止させられてしまうかを否応なく思い知らされます。なので、悲しみの場に行くことは、人が自分の人生をどのように送っているかを真剣に考えるきっかけとなり、だから勝っていると言われています。

 この命は一回しかないので、有効に使いたいとよく思いますが、では実際にそうしているかと言えば、日々流されて生きている自分がいますよ。(笑)

2019/07/06(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

かのスティーブン・ホーキングは「人には宗教で言う魂はないが、思考は脳が発する電気信号だから、137億年前のビッグバンによるマイクロ波背景放射が今でも観測できるように、古今東西の人(様々な命)が発した無数の生命波(脳波)も宇宙が続く限り永遠に空間を飛び回って存在し続ける」と言いました。
私もティーブン・ホーキングの意見に賛成で、多分、人が思考するたびに発する脳波と言うものが魂なるものの正体だと思います。
ただ電波…素粒子の流れそのものがそれぞれ波長や強弱が異なっているのと同じで、人の脳波も波長や強弱が違っているはずです。
例えば怒りや憎しみの脳波は非常に強く長い波長で放射され、それが今生きている人間に悪い影響を与えているものと考えられます。
負の思考を打ち消すには強い愛の脳波が必要ですが、如何せん、愛は恋人などの特定の対象に指向する性質があり、世界全体には広がりません。
もし、男・女も人種・民族も問わずに全ての人間を愛する強い脳波を広範囲に放射する釈迦やイエスの様な聖人が、今世界に100万人いたなら人類のサガは劇的に変わると思います…多分人類と言う種は今後の数億年間は存続できると思います。

2019/07/07(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 理論物理の科学者がスピリチュアルの見えない世界を理論的に説明しようとするのはいいですね。思考と魂を同一視するのも視点としてはいいと思います。しかし「思考は脳が発する電気信号だから」はいいとしても、その電気信号である「脳波が永遠に空間を飛び回っているのがいわば魂である」という理屈はちょっと納得しがたいですね。

 電波が発信されるには、電源と無線発信機とアンテナが要り、電波を地球圏外を出すとなると、スカイツリー以上の相当に強力な大型装置が必要ですが、人体でアンテナに相当するものは何なんでしょう。
 宇宙マイクロ波背景放射は、ビッグバンがあったので宇宙にその残滓があるという話ですが、逆に言えばビッグバンほどの超巨大なエネルギーの放出がないと残滓はないということで、人間の脳波はそれとは比較にならないほどの超々微弱な電気信号ですから、そんなものが地球から宇宙に行って、その中に今でも物理的に残り得るのかと思います。

 いま人間の中で、見えない世界からの波動信号を受信できるのはチャネラーとか霊媒師と呼ばれる人ですが、それは彼らが物理的な受信装置を持っているからではないはずです。しかも電気信号なら速度は光の速さを超えないはずですが、テレパシーで交信できる人は、距離に関係なく、瞬時であると言います。観測すると電子の位置が変わるという観測効果の話も、全然遅延はないはずじゃなかったですかね。

 ひょっとしたら近い将来に物質世界と霊的世界の共通点が見つかるかもしれないですが、それは既存の物質的な電気信号などではなく、いまだ科学では発見されてないものではないかと思いますね。量子の世界は奥深いので、その近辺にあるのかもしれませんが。

> 負の思考を打ち消すには強い愛の脳波が必要です
 これは実際にそのようですね。よく「人々の緊張感でその場の空気がピンと張り詰めていた」と言われる通り、人間の感情はその近くの人々の思いに影響を及ぼし、特に負の感情は他のひとに悪い影響を与えるようです。群集心理で人が何か突拍子もない行動をとるのも同じ理屈でしょう。

 ですから「男・女も人種・民族も問わずに全ての人間を愛する強い脳波を広範囲に放射」するなら、「人間のサガは劇的に変わる」でしょうね。
 とすれば悪いことばかり言って、もっと一層向上改善してもらおうと思うのもいいですが、良い面を見て良いことを言って、もっと向上発展してもらうのも、世界に良い脳波を発する手段としてはより優れていそうですね。

2019/07/07(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/07/07(日) || [edit]

ネズミ経

おんちょろちょろちょろ出て来られ候う
おんちょろちょろちょろ穴覗かれ候う
おんちょろちょろちょろ何やら囁かれ候う
おんちょろちょろちょろ出て行かれ候う

 徳の高い坊さんという触れ込みで一夜の宿をゲットしたただの旅人が適当にその場をごまかして読んだお経でございます。が、信じる者は騙される・・・もとい、救われる。中身なんかどーでもいいのです。臨んだその人が満足すればネズミ経でもありがたい。大体ですよ、インドの尊いお話ってーのを訳も分からん漢字に音だけ当てて、更に日本に持って来て何百年。元の意味なんかとっくの昔に吹っ飛んでいて、何やらわかりません候うってなもんですよ。某ユーラシアの西の方の宗教のそれにあたるものだって、当時の意図なんぞ消し飛んでいて、解釈次第でどーとでも変わるってぇじゃぁないですか。豚肉は食っちゃいかんとか、絶食週刊とか、血は不浄だとか、デビルフィッシュは美味しいだとか・・・あれ?
 死んだ人の価値は、その人にどれだけの思い入れがあったかでありまして、どんな無名の人でも好きだった人の死は重いものです。一方でどんな偉人であれ関わりなければただの事象の一つです。少子化が叫ばれてかまびすしい昨今ではありますが、世界で見れば人間七十億人。人生五十年で一日38万人。死もまた日常なのであります。

2019/07/08(月) |URL|miss.key [edit]

Re: ネズミ経

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 お、さすがの名文コメントです。お婆さんのねずみ経はこのあと、泥棒に効き目があったので、信じる者にはなにかしらのご利益があるのでしょうかね。「信じよ、さすれば救われる」と言われ、体をさすったら気持ちが良かったという話もあります。

 落語を思い出しましたよ。『小言念仏』といって、老人が「なむあみだぶなむあみだぶ」と唱えながら、その合間に「仏壇にホコリがある」「湯が煮立っている」「今朝のおかずは何だ」とお婆さんに言い続ける話ですが、なんにせよ信じてない者の祈りや行為はなんにも効果がなく、有難くもないことが分かります。

 宗教で食べる物に禁忌があるのは案外多いですね。ユダヤ教とイスラム教で禁止されている豚肉は、現代的にその理由を考える人が、旋毛虫症や回虫症が多いからだと言います。しかし彼らの経典が駄目だとしている理由は、そんな健康面の理由ではなく、神が禁じているのだから駄目だとされているのですね。神の言葉は絶対なんですね。念のためにいえば、この神は宗教が教える人格神です。

 ブタというと旧約聖書の箴言11:22の「美しくても分別をわきまえない女性は、豚の鼻にある金の輪のようだ」を思い出しますが、かわいい子豚のベイブに失礼じゃないですかね。ベイブ役の子豚は全部で200頭もいましたが、撮影後はみな自分の本来の役目をするために養豚場に戻っていったそうで、豚の人生目的は人間の食用。まあ、生まれながらに、かわいそうな動物です。

 人間も生まれながらに必ず死ぬ運命が定まっているわけで、人生の短さを思うとかわいそうと思いませんか。いや、生きものはそうなるのが当たり前だから、別に何ともないですかね。
 「死もまた日常なのであります」と達観できている人は、救いも必要なく、死への恐れもなく、命への未練もないでしょうから、たいしたものです。これは皮肉でなく、そう思います。

2019/07/08(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

私も、葬儀は残された人たちのものだと思います。

家族が亡くなると、遺族は忙しいです。
誰に知らせるか知らせないか。
葬儀社はどこにするか。
棺桶は松竹梅のどのランクにするか。
斎場の生花の予算は。
精進落としの料理は何人前用意すれば良いの。

そうやって儀式に追われているうちに、悲しみも落ち着いてきます。
面倒な儀式にも意味があるようです。

参列者の祈りも、それぞれでかまわないんじゃないでしょうか。
死者は気にしないと思います。
挨拶は、適当で……。

2019/07/09(火) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: タイトルなし

しのぶもじずり さん コメントありがとうございます^^)

> 葬儀は残された人たちのものだと思います。
 おそらくそう思っている人が多いかもしれないですね。本当は葬儀とは本来、人の死を悲しみ、遺族に対してお悔やみを言う場です。しかし今は遺族など残された人々の気持ちの整理をつかせるためにするという要素が多いでしょうかね。
 そして死後の生命があるかどうかや、霊魂が冥界でさまよっているかどうかなどには関係なく、単に社会習慣だから行なっているのでしょうかね。そうであれば、まさに人間は習慣の奴隷であると言われる通りのような気もします。

> 死者は気にしないと思います。
 私もそう思っています。そういう意味でも葬儀をするかしないか、どの宗教の方法でするかは、まったく個人の自由だと思っています。
 ですが、自分が信じてないことのために、そして死者には不必要なことのために多額な金を掛けるのは無駄ではないかと思っているだけで、いや、そうじゃないと思っている人、したいからしたいと思っている人の行動を止めさせようとはまったく思っていません。ただ、無駄な金を使っているなあ、その分を生きている者のために使えばいいのに、と思っているだけのことです。
 というわけで、まあ、大きなお世話なんですが、ただ日頃は宗教を嫌って悪く言っているのに、なぜ誰かが亡くなったら、その嫌っている宗教の儀式を熱心に行なうのか、矛盾は感じないのだろうかとは思いますね。

> そうやって儀式に追われているうちに、悲しみも落ち着いてきます。
面倒な儀式にも意味があるようです。

 まあ、確かに、そういうこともあるかもしれないですね。ただ、そういうバタバタと心あわただしいことなどしないで、故人のことを静かに思うほうがもっと適切のように思うのですが、どうでしょうね。

 私が以前所属していた教団は、葬式の儀式は一切なしで、聖書から死に関する講話(約45分)と祈りが遺族と参列者に対してあるだけです。私も演壇から葬式の話をしたことがありますが、その内容は、人は死後は無になるので苦しみも痛みも意識も無いこと、そして神のご予定の時に死者は地上に復活してくるので再会の希望があるということを聖書から話しました(今は死後の生命はあると思うようになりましたが)。

2019/07/09(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/07/12(金) || [edit]

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