「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 『魏志倭人伝』は、日本女性の振る舞いを称賛している。 


 日本の女性は大昔から優秀の美を飾っています。

 蜀の諸葛亮、魏の曹操で知られる《三国時代》に書かれた歴史書『三国志』。
その一部である『魏志倭人伝』が、三世紀日本の地理習俗を記述していることは
よく知られています。朝鮮についての『高句麗伝』より字数は多いそうです。

『倭人伝』を読むと、魏の使者が、倭の婦人は性格がいいことを特筆しており、
いささかカルチャーショックを受けたらしいことがうかがえます。

 gisi888.jpg
  図はWikipediaより

 読み下し文から一部を抜粋引用して紹介します。


.
 婦人 いんせず、妬忌ときせず、盗窃せとうせつ 、諍訟少 そうしょう なし。

「淫せず」とは淫らなことをしないこと。貞潔さと品格を認めている。
「妬忌せず」とは、当時一夫多妻だったが、妬まず穏健だと褒めている。
「盗窃せず」とはコソ泥をしないこと。むろん強盗など無いと驚いている。
「諍訟少なし」は訴訟で争わない意。揉め事や事件が少ないと感心している。

 世間によくある当たり前のことは歴史書にわざわざ明記しない。それを書いた
というのは、中国ではそんな不品行や悪事は日常茶飯事のようなものだったのに、
日本の婦人は違っていると使者が気付いて驚いたのだ。


●日本女性がそのように良い特質を持っていたのはなぜか。

 その法を犯すに、軽者はその妻子を没し、重者はその門戸、宗族を没す。

 中国では罪を犯しても金銭で償って実刑から逃れたこともあったが、日本は犯
罪に厳しく、罪が軽い者は妻子が奴隷にされ、重い者は一族が根絶やしにされた。

 旧約聖書には「命なら命を、眼なら眼を、歯なら歯を」と言って、被害者がさ
れたのと同じ傷害を刑罰として加害者に与える公正の『律法』があるが、当時の
日本ほど刑罰が厳しければ、犯罪を犯す者はほとんどいなかったはずだ。

 ちなみに江戸時代は、その辺に財布を置いておいても盗まれなかったが、累計
で十両盗めば首が飛んだ。だから計算して総計九両五分ぐらいに抑えた盗人もい
たらしい。十両は今の150~200万円ぐらい。オレオレ詐欺は自動的に消滅する。


●以上は男に対する罰則だが、女性と子供についても例外ではなかっただろう。

 その会同、坐起では父子男女は別無し。人性は酒を たしな む。

 ここでは父子男女の区別はないという点に注目できる。刑罰の適用も基本平等
だったのかもしれない。ただし会合での立ち居振る舞いについて書き、「酒を嗜
む」と続けているので酒の場の無礼講であったかもしれないが、しかしそうなら
酒の話が先に書かれ、その後に「父子男女の別無し」と書かれるはずだ。

 ともあれ、女性にも男性に準じた刑罰が執行されたはずで、子供の場合は古代
イスラエルのように年齢に応じた斟酌がされたのだろう。
 魏の使者は、おそらくは倭人と一緒に酒を飲み交わし、談笑しながらも、日本
には年齢男女の差別がないことをしっかり横目で見てとった。

                  

●しかし社会の道徳秩序が良かったのは、必ずしも懲罰刑法が効果的だったから
だけでもないようだ。

 尊卑は各々差序有りて、相 臣服あい しんぷくするに足る。

 尊卑の差や序列が各々にあるが、身分の高い者も低い者も互いに臣下として服
することに「足る」とある。「足る」とは《十分》あるいは《満足》の意なので、
人々が、そのような序列制度に納得し、不満がなかったことを示している。
 魏の使者は、倭人が互いに服しているときの顔と目の表情までよく見て、果た
して本心でそうしているかどうかをちゃんと見極めている。

 ということは独裁国家のように、上から命令として《礼》を押し付けられたた
めに、人民がしぶしぶうわべだけ服従していたのではなく、心の内奥に恭敬の精
神がしっかり培われていたように思える。
 これは日本に孔子の教えが入ってくる数百年前のことで、国家的な公の道徳教
育がされていたわけではないだろうことを考えると、かなり驚くべきことだろう。


●秩序ある社会には、首長の賢明なリーダーシップも関係しているようだ。

 その国、本は亦(また)、男子を以って王と為す。住むこと 七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃(すなわ)ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす。年すでに長大。夫婿(ふせい)なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。王と為りてより以来、見有る者少なし。

 倭国は男子の王たちが争っていたが、うまくいかないので卑弥呼を女王とした。
卑弥呼は「鬼道」に仕えて大衆を良く治めた。そして弟が補佐した。
「鬼道」とは道教か神道か邪教か占いの類とする解釈もあるが、「仕え」「惑わ
し」とあるので、卑弥呼はシャーマン(巫女)として神霊に仕えて託宣を民に伝
え、そうした政祭一致の政策がうまくいったのだろう。人は力の強い者に勝てて
も、神霊の力を持つ者には敵わないのだ。

 独身で高齢の女王を見た者は少なかったとあるので、自らを神秘のベールに包
ませ、より神懸かった演出をしたのだろう。すなわち頭も良かった。

 昔、米国の女優シャロン・テートが妊娠中に、狂信的な女性信者らに惨殺され、
腹中から腸まで引き出された事件があったが、今でもカルト教祖を崇拝視したり
神霊と交信するような者は怪しげで胡散臭いとみなされ、実際その通りの場合も
少なくない。だが当時、卑弥呼に助言をした高次元の霊的存在は、いわゆる高級
霊で、だからこそ女性が半世紀以上も支配者の座に留まれたのだろう。

 卑弥呼の名は陽巫女とか妃皇女と書いたほうがいいと思うが、ここで「弥呼」
と卑字を使い、「惑わした」と悪く書いているのは、筆者が倭人に対して蔑視感
を持っていたことを示唆している。

                  

 そんな中華思想を持つ官吏が自国民向けに書いた歴史書で、日本婦人の特質を
称賛しているのですから、ちょっと心温まる話だとは思いませんか。





補足――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
世の『魏志倭人伝』に関する研究は、邪馬台国の位置特定に関するものがほとんどです。『魏志』
の読み下し文や注解については以下のサイトや書籍なども参考にし、自分なりの解釈をしています。
・『古代史レポート』http://www.eonet.ne.jp/~temb/index.htm
・『コトバンク』https://kotobank.jp/word/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%B
C%9D%28%E8%AA%AD%E3%81%BF%E4%B8%8B%E3%81%97%29-1614467
・『謎の古代女性たち』黒岩重吾(中央公論社)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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勉強になりました

驚きました。
中国人のモラルの悪さは『三国志』の時代から延々なんですかぁ。
筋金入りですね(笑)
ってことは、『G20』もパフォーマンス合戦で虚しく終わることでしょう。

>心の内奥に恭敬の精神が……。

ヨーロッパの騎士道と女王陛下への忠誠、
日本の武士道と天皇への忠誠、似ています。
それらが恭敬の精神の礎になったんでしょうね。

とはいえ、日本の敗戦相手が民主主義国で良かった。
そうでなければ、せっかくの維新も軍国主義、あるいは
一党独裁主義国になっていたかもしれませんもん。

>人は力の強い者に勝てても、
 霊の力を持つ者には敵わない。

確かに……日本の天皇もですが、
世界でも時の権力者を神格化することで治世が行われてきたような……。
しかも卑弥呼の時代に、
“国家的な公の道徳教育がされていた可能性がある”とは……。
霊力云々のおかげで、
現代の道徳倫理より効果的だったんでしょうね。

2019/06/29(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

日本人の道徳心の高さは江戸時代に形成されたものかと思っていたら3世紀頃も高かったのですね。
ということは宗教や哲学的なことではなく民俗学的なことなのかも知れません。

それにしても自国のことを魏の書物からしか知りえないというのは情けないことです。
人は良かったのですが知能は低かったのでしょうね。(日本人は全て天才バカボン論)

愛新覚羅

2019/06/29(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 勉強になりました

風子さん コメントありがとうございます^^)

 中華思想は「漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想。自らを夏、華夏、中国と美称し、周辺の異民族を夷狄 (蛮族) であるとして卑しむ」とWikipediaにあります。「中国」とは中華思想の《美称》なんですね。

 中国の歴史は、秦漢帝国→三国時代→魏晋南北朝時代と続くので、《中華思想》は中国統一を成し遂げた始皇帝の頃に生じたようです。後年の三国時代は群雄割拠していましたが、自分たちも始皇帝のように天下を獲ろうという意識が男たちの間に蔓延したのでしょうか。
 万里のフェンスで自国を護る話は現代にもありますが、やはり自民族中心主義の人が造るのでしょう。そんなことを思えば、『G20』だって世界強国の横暴には敵いません。確かに、精々各国の「パフォーマンス合戦で虚しく終わることでしょう」。

> ヨーロッパの騎士道と女王陛下への忠誠、日本の武士道と天皇への忠誠、似ています。それらが恭敬の精神の礎になったんでしょうね。
 そうですね。やはり何かの崇高なポリシーか、あるいは何かを神格化しないと、そういう忠誠心の育成は難しく、だからヨーロッパには《王権神授説》が出てきたのでしょう。中世のローマ教皇なんか神様扱いで、だから《カノッサの屈辱》なんてことが起きたのでしょう。

 人間の世俗の権威に神の権威を付与されると、上位は間違いなく尊大になり、下位に対して横暴になり命令的になります。特に宗教組織の場合は、指導者が教義を間違えて信者を誤導しても、決して訂正せず、それどころか間違いを指摘した信者を排斥したりして大変なことになります。ガリレオや異端審問の事例は現代にもありますね。

 天皇制は、日本の場合は軍部に利用されたこともありましたが、国民全体の恭順の意識の育成には大いに役立ってきたのでしょう。だから日本人は生来、我を通そうとせず、性質がおとなしいのでしょうかね。

>人は力の強い者に勝てても、霊の力を持つ者には敵わない。
 これは後半を「神霊の力を持つ者には敵わない」に変えました。霊はスピリチュアル、神は宗教というわけです。どちらも、人の心を「惑わし」あるいは「救け」ますから。

2019/06/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 日本人の道徳心の高さは、おおむねいつの時代も高かったようです。十六世紀の安土桃山時代になると、スペインからフランシスコ・ザビエルが到来しましたが、この宣教師は日本人について大変好意的な書簡を残しています。

「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。彼らは一人の妻しか持ちません。この地方では盗人は少なく、また盗人を見つけると非常に厳しく罰します。盗みの悪習をたいへん憎んでいます。彼らはたいへん善良な人々で、社交性があり、また知識欲はきわめて旺盛です」―――書簡90:1945年11月5日

 上下身分差の階級制があり、上が下を秩序正しく治めていると、社会は経済的にも精神的にも安定し、生活が楽になるので盗みなんかもする者はいなくなるという理屈なんでしょうかね。それにしても聖徳太子の「和」を尊ぶ話があるように、日本人は昔から従順温和を旨としてきた民族のようです。

> それにしても自国のことを魏の書物からしか知りえないというのは情けないことです。人は良かったのですが知能は低かったのでしょうね。(日本人は全て天才バカボン論)
 あはは、バカボンに天才が付くのがいいです。西のほうは古くはナイル川流域やユーフラテス流域に文明が発生し、ヨーロッパでは西暦前のギリシアローマ時代から文化が爛熟しました。中東では西暦前15世紀ごろに『十戒』と『律法』が出来ています。中国は殷の時代には文字が出来ました。
 それを思うと日本はかなり遅れていますが、その原因は日本列島に人が住み始めたのが遅かったためではないかと思っています。その代わり明治になると目覚ましく文明文化が向上し、戦後も目覚ましく経済が復興してジャパンアズナンバーワンとか言われましたから、学習意欲と向上心については、かなりのものがあるようじゃないですかね。

2019/06/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「卑弥呼」は

蔑称だったんですね。
江戸時代の処刑方法の残酷さは、
相当にひどいものだったそうですね。


>上から命令として《礼》を押し付けられたた
めに、人民がしぶしぶうわべだけ服従していたのではなく、心の内奥に恭敬の精
神がしっかり培われていたように思える。

こんなところに日本人に秘められた「和」の精神を見ますね。
聞いた話ですが、
日本にはペリーが来航するときまで「競争」という言葉はなかったそうです。
それに近い言葉として「切磋琢磨」という言葉があったそうなのですが、
「競争」と「切磋琢磨」では意味合いがまったく変わってきますよね。


そういえば、タランティーノ監督がシャロン・テートの事件を題材に映画を製作中のようです。
好きな監督なので楽しみにしております^^

2019/06/29(土) |URL|友資 [edit]

Re: 「卑弥呼」は

友資さん いつもコメントありがとうございます^^)

 「卑弥呼」の名を初めて見たのは子供の頃でしたが、妙な字を使っているなと思った記憶があります。「邪馬台国」もそうです。長じて、これは中国の歴史書に書かれていると知り、彼の国には周辺国を蔑視する思想があることを知りました。

 恭敬の精神については、私なんかだと子供の頃は、上にある者に対しての「忠誠・忠実」は責任感の表れであり、男子に必須の特質だと思いこんでいました。年末には必ず『忠臣蔵』の映画があり、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を愛読する人も多く、日本人のほとんどは、そういうふうに教育されたと思います。だから「企業戦士」と言われて戦後の時代を必死に働いたサラリーマンがいたのです。

 「競争」という言葉はなかったが「切磋琢磨」はあったという話は面白いですね。“competition”を「競争」と翻訳したのは福沢諭吉だそうで、「争」という字が入っていたために、この文明の概念は危険なものだと思った人もいたようですが、今なら簡単に「コンペ」と訳されそうです。
 明治時代は外国から新しい概念が沢山入ってきたのでしょう。付いていくのが大変だったでしょうが、よく西欧に競争できるほどに成長したものです。

 金があったり地位が高かったりするとすぐ偉そうにするのは人間の悲しい性向なんでしょう。かつては「3高(高学歴・高収入・高身長)」を口に出して望む女性もいましたが、今は「3優(家族に優しい・私だけに優しい・家計に優しい)」だそうで、「競争」より「優しい」ほうがいいと変わってきたのですかね。

 タランティーノ監督がシャロン・テートの事件を題材に映画を製作中なんですか。古い事件ですが、特にアメリカでは自由主義の国のせいか、妙なカルト教団が時々世間を騒がせますね。今はインターネットがあるので、いろいろ調べることが容易になり、ずいぶん便利な世の中になったものだと思います。この監督の映画は『パルプ・フィクション』が面白かったですね。3回ぐらいテレビで観ましたよ。

2019/06/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

なるほど、日本女性賛美の嚆矢は魏志倭人伝だったのですね。
日本女性の容貌がや資質が優れていることは昔から旅行者、宣教師、
大使館員がそろって述べています、フロイスの例外もありますが・・・。
私もバーソさんど同意見で、この資質は厳罰によるものとは考えません。
縄文時代から現代まで引き継がれたDNAが寄与しているのではないかと
思っています。
それに引き換え、日本人男性は散々です。
エドゥアルド・スエンソン(江戸幕末滞在記)「日本女性は男たちの醜さから程遠い」、
ゴードン・スミス(ニッポン仰天日記)「この国ではひとりとして恰好いい男を見かけない」
失礼な!ほっといてくれ(笑)
しかし外国では最近日本男性の評価が挙がってきています。
日本のサブカルチャーを通してマッチョより草食系を好む女性が
増えてきたんですね。
逝ってしまった日本の美点を惜しみ、まるまる一章を女性の賛美に
ささげた著書が渡辺京二「逝きし世の面影」です。
卑弥呼の墓と言われる箸墓の調査を頑なに拒む宮内庁は
国民の知る権利に時代を逆行するお粗末な省庁です。
今度の選挙の公約で「箸墓を発掘する」という人物が現れないかな。

2019/06/29(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 欧米の話で、デートするならイタリア人がいい、料理ならフランス人がいい、結婚するなら日本人がいいというような話がありますが、日本女性は表情からして、性格はおとなしそうです。特にラテン系の女性に比べると顔つきはまるで違います。
 戦前の小説や映画などを見ていると、女性が父親や夫に意見一つも言えないで、ひたすら我慢しているシーンがよくあります。外国では違うのかと言えば、キリスト教世界の家庭でも似たようなもので、彼らは聖書に書いてある通り、男社会です。イスラム社会の場合はもっと徹底しているのでしょうから、なぜ日本人女性は性格がいいと言われるのか、ちょっと不思議な感もあります。やはりDNAですかね。

 しかし男の場合は評判が悪いのですか。エリアンダーさんはいろんなジャンルの本をよく読んでいますね。そうですね、大抵の日本男子は、白人のあの彫りの深い顔には敵いません。日本の男優レベルなら外国の街の八百屋やパン屋の店員にでもごろごろいそうですから。野球やサッカーを見ていても日本人男子は外見が見劣りするので、それだけでも相手チームは優越感を持つのではないかと心配します。

 私が好きな逸話は、幕末に来た欧米の役人を江戸幕府の下級武士が世話をしたとき、その白人がお世話になったのでとお礼を差し出したら、その下級武士は着物が粗末でかなりの貧乏だったようなのに、そのお礼を固く辞退したそうで、そんなことは今まで回ってきた東南アジア諸国では全くなかったと感心した話です。

 武士は食わねど高楊枝。武士は貧しくても気位を持っていたのですね。切腹だって気位の象徴のようなものですから、日本男児は道徳心は良かったようです。が、女性には顔も負けるのですか。うーむ、でも鏡を見ると、なんとなく、はっきりと分かるような気がもします。(笑) 

『逝きし世の面影』は図書館にあったので予約しました。
 このたびは『魏志倭人伝』に関する本を6、7冊ざっと読みましたが、今までも読んだ本の感想と合わせると、邪馬台国の位置に関しては、それぞれに論理があるものの、肝心の『魏志』の記述そのものの方向や距離の数字にそれほどの厳密性がないようなので、明確な場所特定は難しいだろうと思いましたね。私はいまのところ九州説ですが。

2019/06/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

倭人とは「素直な人」と言う意味を持つ言葉です。
「中国は人が作ったが、日本は自然が作った」…大昔、人が常に手を加えないと食物が実らない中国に対して、森と水に恵まれた日本は何もしなくても食料が手に入りました。
人々は神様が森に食物を実らせ、獣に姿を変えて肉を与えてくれる。この世の全ては神様の生業であり、人はただありがたや、ありがたやと神様に感謝して受け取っていれば生きられた。
「人が作った大地と大地が作った人」…中国人と日本人の思考の違いは、どう自然に向き合って生きてきたかにある様です。
確か戦国時代に来日した宣教師のルイス・フロイスも日本人の素直な資質に感心した様な記述を残していたと記憶しています。
オランダはオランダ人が作り、ベニスはベネチュア人が築いたと言われる様に、ヨーロッパも人が手を加えないと住めない土地が多いですから、よっぽど珍しかったんでしょうね。
大阪で開催されているG20を見ていると、中国や欧米の首脳には「他人を押しのけてでも」と言う殺気を感じます…日本では押しが強いはずの阿部首相がなぜか慎ましく見えるから不思議です(笑)

2019/06/30(日) |URL|sado jo [edit]

メールフォーム経由さん コメントありがとうございます^^)

 ずいぶん丁寧に書いてくださり、ありがとうございました。よく調べましたね。知的好奇心はいまだ衰えないようで何よりです。お陰様で面白かったです。
 『魏志倭人伝』は、言葉一つとっても、研究者によってかなり解釈が様々にあり、いまだ不明な点が多いようです。このたびは私も本やネットをいろいろざっと読み漁ったので少し知識が増えました。
 せっかく調べた研究メールに日の目を見せないのはもったいなく、かわいそうなので、その基本部分をここで紹介させていただきますよ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(メール引用はじめ)
(前段部分省略)「其俗国大人皆四五婦 下戸或二三婦」の解説文は「その習俗では、国の大人はみな四、五人の妻を持ち、下戸でも二、三人の妻を持つ場合がある。」とあります。素直に読めば、こうなりましょう。
 ところが、です。魏の国では、男権社会につき、力のある男は一夫多妻になりましょうが、日本では、その当時まだそこまでは行っておらず、加えて「下戸或二三婦」ということは、「下戸」は「律令制で、戸を大戸・上戸・中戸・下戸に分けたうちの最下級」ですから、上から下まで男は一夫多妻という、おかしなことになってしまいます。男は戦いであらかた死んでしまって男女比が1:3程度にならないと、こうしたことにはなりません。しかし、そんなひどい戦乱の世ではなかった。
 平安時代は基本的に通い婚でしたし、その昔となると、男女とも生まれ育った家から出ることはなく、男は皆、夜這いに出かけていたとしか、考えられません。
 ここらあたりのことに関して、どこかにかいてなかったかなあ、と思い、10年ほど前に読んだ高群逸枝著「情勢の歴史(上)」(講談社文庫)を引っ張り出しましたら、ずばり書いてありました。それを以下、引用して紹介します。
 
第1章 四 族母卑弥呼 三世紀ごろの日本(P109)

「大人皆四五婦 下戸或二三婦。」
 三世紀ごろの一夫多妻のわが俗を「魏志」はこう報じているが、これはトロブリアンド母系氏族の男の多妻の俗や、エンゲルスが書いているイロクォイ母系族の男の多妻の傾向と同じく、むしろ性的な三角関係に比すべきもので、後代の家父長的蓄妾制ではこれはなく、これを裏返しにすると、『大婦皆四五夫 下婦或二三夫。』とすらいえる種類のものではなかろうかと思う。ただし、いくぶんかは、男性中心に偏向しつつあるのかもしれないが、私の調査では、わが多夫多婦の俗は、全招婿婚期期間中は、原則的に維持されていたといえるのであるから、まして、招婿婚も初期の形態である妻問婚ーすなわち通い婚ーの時代に、蓄妾制を描くようなことはできないと思う。

 つぎに、父母兄弟はちりぢりに別居し、部落民のなかに溶け込んでおり、そして「会同座起。」も部落単位、団体単位になされ、「家族」という個性は、まだ認められていない俗が描かれている。すなわち、「父子男女無別。」「父母兄弟臥息異処。」なのである。また、楽しむことの好きな国民性で、戸外などでよく男女の別なく食ったり飲んだりして楽しんでいる姿が魏の使者たちの目に映っては、「人性嗜酒。」の断定となっている。

(引用ここまで)

 こうしたことからして、魏の使者は、自分たちの国が往々にして一夫多妻の家族であるがゆえに、日本の男女同居の姿を見間違えたと言えましょう。
 よって、その当時には「淫」も「妬忌」も、その概念を日本人はまだ持っていなかったのでして、魏の使者の観察は空回りしていたことになるのです。

 ついでながら、原文写真「其俗国大人皆四五婦 下戸或二三婦」の前の「其人寿考 或百年或八九十年」も目に入りました。解説では「人々は長寿で或いは百歳、或いは八、九十歳の者もいる。」とありますが、これは素直に捉えればいいでしょう。
 時は古墳時代の始まりの頃で、この頃の日本人は埋葬された骨格標本からして背も高かったですから、食生活が豊かで長寿であったと推測されます。(以下省略)
(メール引用おわり)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 『魏志倭人伝』の注解や解釈はじつに多様にありますね。
 卑弥呼の巫女説にも異論があり、道教の解釈にもいろいろ異説が入り乱れています。寿命が「百年、或八九十年」の記述についても、昔の人がそんなに長生きをするはずがないので、収穫の春と秋でそれぞれで一歳と数える《二年歴》だろうとする解釈もあります。そもそも邪馬台国とは都市なのか国家なのかという問題もあり、エンゲルスは、氏族社会と国家を対立的なものと考えていたようです。
 学者や研究者は得てして自分独自の考えを述べるのが好きで、そのせいもあって言葉一つとっても異論が複数あり、それだけ見たら正当な論議があるように見えても、安易に信用することはできません。それに、スピリチュアル(チャネラー)でも、かなり定説とは異なる説明もあり、或るハイヤーセルフによると、邪馬台国は日本では無いそうです。

 結婚制度についても異説が幾つかあります。定説の一夫多妻制の他に、多夫多妻制だとか多夫一婦制だとか、あるいはまだ制度として確定していない類似のようなものだろうという説もあり、「下戸或二三婦」とは《下戸の中にもニ三人の妻を持つ者がいた》程度の解釈が妥当だとする説もあります。
 私はこの説に賛成で、魏の使者が出会った下戸(上戸も)は一般庶民よりも多少羽振りが良かったのか、あるいは彼らが偉そうにしていた使者に、ちょっとカッコつけて誇張して自慢したのかもしれず、それを聞いた使者が日本人全体の事例だと判断した可能性もあると思いました。人は自分の目で見たもので全体を判断しがちですからね。
 「合同坐起」が家族単位の話ではないとしても、「人性嗜酒」が戸外の遊びだとしても、それをわざわざ書いたというのは、やはり中国とは異なった光景として見たということでしょう。ちなみに、一夫多妻は別に戦乱の世でなくてもあります。現代のイスラムがその好例です。

 そういうわけで「国の大人は皆四・五婦、下戸も或は二・三婦」の部分は、話がややこしくなるのであえて省いたのですが、困りますね。ここは気付いてほしくなかった箇所なんですよ。(笑)

 旧約聖書の箴言30:19には「不思議な道の一つは、男の女に会う道である」と書かれています。男女の仲は、梅沢富美男が歌う『夢芝居』の歌詞にあるように「男と女 操りつられ、細い絆の糸 引きひかれ」ですから、現行の一夫一婦制であれ、他のどんな結婚形態であれ、地球上には、とかく女に惹かれやすい男がいて、とかく性向が妬みやすい女がいて、男も女も淫らになりやすいのが人間の本能であり、常というものではないでしょうかね。
 ですから特に倭国の婦人が、性に関する欲望や妬みの概念を持っていなかったとは思えません。人間の基本的本性は古今東西でそんなに変わないはずです。そういうことを思うと、なんにせよ「婦人淫(いん)せず、妬忌せず」と中華思想の役人から自国向けの歴史書に書かれたのは、まあ、たいしたものだと思いましたね。『高句麗伝』では「其俗淫(男女の仲は淫らである)」と書かれているそうで、魏の使者が見たところでは、中国や朝鮮に比して日本婦人の慎み深さは格段に目立っていたという話じゃないでしょうか。

 私は先日、サロメをテーマに《悪女》の話を書いたので、ひょっとして女性方に恨まれているのではないかと恐れおののき心配しまして、その記事とバランスを取るために今回の女性を崇め奉る話を書いたわけなので、どうかその辺の事情も考慮もしくは斟酌あるいは忖度していただけると幸いです。(笑)

2019/06/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> 倭人とは「素直な人」と言う意味を持つ言葉です。
 そうみたいですね。私も今回調べていて知りました。ネットにはこんな情報がありました。

 「倭」は「委(ゆだねる)」に人が加わった字形。解字は「ゆだね従う」「柔順なさま」「慎むさま」、また「うねって遠いさま」。音符の委は、「女」と音を表す「禾」で「なよなかな女性」の意。
・平安時代初期の『弘仁私記』序には、ある人の説として、倭人が自らを「わ」(吾・我)と称したことから「倭」となったとする説が記されている。
・一条兼良は、『説文解字』に倭の語義が従順とあることから、「倭人の人心が従順だったからだ」と唱え(『日本書紀纂疏』)、後世の儒者はこれに従う者が多かった。
・江戸時代の木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする説を述べている。
 なので良くとれば、性格は素直な人。悪くとれば、体格は矮小な人。どちらも合っているようでもあります。
 
> 人々は神様が森に食物を実らせ、獣に姿を変えて肉を与えてくれる。この世の全ては神様の生業であり、人はただありがたや、ありがたやと神様に感謝して受け取っていれば生きられた。
「人が作った大地と大地が作った人」…中国人と日本人の思考の違いは、どう自然に向き合って生きてきたかにある様です。

 うーん、そうですか。joさんはこういうまとめ方が上手ですね。日本の山は緑色をしていますが、中国の水墨画に描かれる山は木がなく、岩のはげ山。そういわれると日本は山水にも四季にも恵まれていると余計に感じます。
『魏志倭人伝』には倭人が生野菜を食べていたことが書かれています。生でも食べられたのは、新鮮で柔らかい野菜が容易に入手できたゆえなのでしょうか。漁師は水に潜って魚や蛤をとっていたようで、海の幸、山の幸ともに美味だったのでしょう。
 自然界の万物を神とする神道が生じたのは、そういう自然環境に恵まれていたせいかとも思います。

 フロイスの記述でわりあい知られている話では、《信長は潔癖症で酒が飲めなかった》、《秀吉は片方の手の指が六本あった》などがありますが、日本人を褒めたこともあったのですか。
 私の知っている宣教師も、日本人に好意的でしゃべり方も食べる物もすっかり日本人になっている人と、なにかあるとすぐ日本人は何々だと馬鹿にするような言い方をする人(三世)がいて、後者の人はあまりひとから好かれていなかったですが、フロイスはどうだったのですかね。

2019/06/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/07/02(火) || [edit]

曹操孟徳

 諸葛孔明ダウト。
 諸葛孔明と言ってしまいますと曹操は曹孟徳になってしまいます。一方、司馬懿仲達を司馬仲達という人はおりません。諸葛孔明は諸葛亮、もしくは諸葛亮孔明というのが正しい。しかしなぜか日本では亮を省く傾向にあります。不思議であります。
 さて、大陸の方々の素行の悪さはステレオタイプを差し引いてもとにかく【ピー】。人の悪さは一際【伏字】。某半島なんか上から下まで民族総出で七つの大罪MAXデフォなんじゃないかと思うほど【自主規制】。偏見ですかね。いや、これまで見てきた方々の職業、素行、態度どれをとっても【検閲削除】な人ばかりでしたから強ち間違ってはいないんじゃないかな。いや、本当に日本人に生まれてよかった。
 閑話休題
 さて、それなりの年齢になってる人からはよく「年上に対する敬意が足らない」とか言うセリフが飛び出します。歳が行ってなくとも対象より年上だという傾向にありますかね。ですが、これを言う人のほとんどが「敬意」を感じられん人であるという事実。つまり、自分でそれを言い出すのは、それ以外にえばれる事が無い証拠。まあ、そんなの何の利点でもないんですけどね。年の功とは積んだ経験でありまして、中身のない年月はただの老化。マイナスポイントにしかならんのですな。敬意を払われる人とは年齢に関わらず自然と敬意を払われるもんです。
 え゛、わたくしでございますか?えばれるものもないし、えばりたいとも思わんです。

2019/07/03(水) |URL|miss.key [edit]

Re: 曹操孟徳

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 諸葛孔明ダウトと言われて、おお、そういえば高校生ぐらいのときにそんなことを読んだかなあ、と遥か昔の青春時代を思い出しました。
 そうでした。諸葛亮孔明は、姓は諸葛、諱は亮、字は孔明でした。しかし「諸葛亮孔明」だと若干おかしく感じ、「諸葛亮」だと今一つピンと来ないのは《目の慣れ》でしょうか。面白いことです。

 メジャーで長く活躍した日本人選手の名を二人だけ挙げるなら、野茂英雄を除けば「イチローと松井秀喜」でしょうが、この呼び方を戸籍名で正確に揃えれば「鈴木一朗と松井秀喜」となり、ちょっと違和感があります。「水戸黄門と助さん格さん」は、呼称を揃えれば「黄門さまと助さん格さん」か「水戸光圀公と渥美格之進と佐々木助三郎」でしょう。赤穂藩主の正式名は浅野長矩ですが、普通は役職名で「浅野内匠頭」と呼ばれます。『荒城の月』作詞者は土井晩翠ですが、「つちい」ではなく「どい」と呼ぶ人が多いために、本人が晩年に「どい」に改称したそうです。――――とまあ、著名人はとかく《通称》で呼ばないと、かえっておかしく感じるので、諸葛孔明と曹操も日本人が呼ぶ《通称》であるとして許してもらえませんか。
 えっ、駄目? 駄目ならしょうがない。修正します。諸葛亮に。(笑)

 嘘の話は従軍慰安婦問題が典型例ですが、あれは日本人が悪いと中部大学の武田邦彦教授が言っています。 
 従軍慰安婦問題は、1)日本人が創り出し、2)日本の大手マスコミが宣伝し、3)日本政府が追認し、4)日本の弁護士が国際的に拡散した。なぜ、韓国を非難するのか。
  http://takedanet.com/archives/1074741792.html
 こちらでは韓国人の教授が、徴用工の話は嘘だと講義しています。
 https://www.youtube.com/watch?v=CC4sDzrlNCQ
 
 「年上に対する敬意が足らない」というのは事実ですね。若さと自信過剰は同義のようなもの。若くて頭がいいとうぬぼれていると、とかくそうなりがちです。年長者はもっと尊敬される者になれ。これもその通りです。老いも若きも、もっと謙遜・素直になればいいのですがね。
 で、miss.keyさんは「えばりたいとも思わん」ですか。そうならたいしたものです。私も威張りたいとは思ったことは、ただの一度もありません。内容がないようなので当然ですがね。

2019/07/03(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。

2019/10/01(火) |URL|omachi [edit]

Re: タイトルなし

iomachiさん コメントありがとうございます^^)

魏志倭人伝の拙記事から来られたのですかね。
「北円堂の秘密」は1~18まであって、かなり長いので、
ちょっと眠り難いときにでも読ませていただきます。

2019/10/01(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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