「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 芥川の『神神の微笑』は日本人の持つ力を語っている。 


日本は《無神論者》が非常に多い国です。
そのパーセンテージは、共産党独裁の中国に次いで、なんと世界2位。
日本は自由主義であることを思うと、宗教的にはかなり特異な国のようです。

しかしながら日本人はまったく《無宗教》の民族というわけではありません。

山本七平は、日本人は自らは自覚はしてないが《日本教》の信者だと言いました。
日本教とは、神道・仏教・キリスト教などをみな抵抗なく受け入れる宗教です。

これは、柔軟寛容な《和》の精神とも、いい加減で節操なしとも言えそうですが、
諸外国の精神文化に優る日本の《神の力》として芥川龍之介が論じています。


 nannb73c.jpg
 遠藤周作原作の映画『沈黙』のフェレイラ神父。今回の話の主人公ではなく、時代は江戸初期。

     
   ____________________


芥川龍之介の短編小説『神神の微笑』の概要(太字部は本文からの引用)

 時は安土桃山時代。イエズス会の宣教師オルガンティノ神父は、熱心な布教に
より、何万人もの信徒を作ることに成功し、京都には南蛮寺が建つまでになった。

 しかし日本には岩から草木に至るまで、不思議な「霊力」が潜んでいると感じ、
泥烏須に熱心に祈った。泥烏須とはデウス、すなわちラテン語で神のことである。

南無大慈大悲の泥烏須如来! 邪宗に惑溺した日本人は波羅葦増ハライソ(天界)の荘厳
を拝する事も、永久にないかも存じません。私はそのためにこの何日か、煩悶に
煩悶を重ねて参りました。どうかあなたの下部、オルガンティノに、勇気と忍耐
とを御授け下さい。――
」      (註:下部=しもべ)

 そんな憂鬱の底に沈んでいるときに、「この国の霊の一人です」と言う、首に
勾玉を巻いた老人が現れ、厳しいことを言った。
あなたは天主教を弘めに来ていますね。それも悪い事ではないかも知れません。
しかし泥烏須もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。


 オルガンティノ神父が、「泥烏須は全能の御主だから、泥烏須に勝つものはな
い筈です
」と言い返すと、老人はこう諭した。
ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの国へ渡って来
たのは、泥烏須ばかりではありません。孔子、孟子、荘子、――そのほか支那か
らは哲人たちが、何人もこの国へ渡って来ました。しかも当時はこの国が、まだ
生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉の国の絹だの
秦の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い、
霊妙な文字さえ持って来たのです。が、支那はそのために、我々を征服出来たで
しょうか? たとえば文字を御覧なさい。文字は我々を征服する代りに、我々の
ために征服されました。


 そして老人は、日本人が渡来の文化を巧みに変容させた事例を挙げる。

❶支那の漢字は、日本の大和言葉に適合するよう変容された。例えば「舟」とい
う漢字は「ふね」と訓読みされたが、「しゅう」と音読みしていれば日本語は支
那語になっていたかもしれない。そうならなかったのは、この国の「神の力」だ。

❷支那の墨蹟は手本にされ、日本ならではの楷・行・草などの書体美を創造した。

❸牽牛・織女の伝説は彦星・棚機津女の話に変容され、柿本人麻呂も歌に詠んだ。

❹老子・荘子・孟子らの儒教は、日本に合うよう哲学的学問として和らげられた。

❺仏教の本尊である大日如来は、神道の天照大神と同じとされ、神仏習合された。

❻親鸞や日蓮が信仰した仏は、印度の黒人の顔ではなく、日本の徳人の顔である。

 そして老人は話を結んだ。
つまり私が申上げたいのは、泥烏須(デウス)のようにこの国に来ても、勝つも
のはないと云う事なのです。


 オルガンティノは日本の歴史に疎いので、老人の雄弁は半分も分からなかった
が、それでも「今日などは侍がニ三人、一度に御教に帰依しましたよ。」と言う
と、老人はこう返した。
それは何人でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国
の土人は大部分 悉達多
(シッダルダ=ブッダ)の教えに帰依しています。しかし我
々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。


 オルガンティノが「造り変える力」なら、どの国でもあるのではないかと反論
すると、老人は、ギリシア神話の「ユリシーズ」でさえも日本に来て「百合若」
と名を変えたのと同様、泥烏須も必ず勝つとは言えず、天主教も広まっても必ず
勝つとは言えないと断定して、夕闇の中に消えてしまった。
 そうして、老人が消えたら、オルガンティノ神父も、南蛮船入港を描いた昔の
古い屏風絵の中に帰って、幻のように消えてしまった。

 じつは今までの話は、幕末に訪日した宣教師が、三百年昔の屏風絵に描かれた
オルガンティノ神父を見ながら、当時の日本人の宗教観を黙想したという設定に
なっていて、その外国人宣教師が最後に独り言を言う。

泥烏須が勝つか、大日孁貴が勝つか――それはまだ現在でも容易に断定は出
来ないかも知れない。が、やがては我々の事業が、断定を与うべき問題である。」

                  ※ 大日孁貴(オオヒルメムチ)とは天照大神の別称。


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 南蛮屏風:江戸時代・紙本金地著色・縦154.8×横348.4cm(九州国立博物館)

        ____________________


芥川は、西洋の宗教が勝つか、日本の風土宗教が勝つかは、外国人宣教者による
布教活動の行く末を見ればやがて分かると述べていますが、これは言い換えれば、
日本ではキリスト教の繁栄は無理だと婉曲的に結論しているようにも思えます。

実際、現状を見れば、キリスト教は衰退の一途を辿っているようです。
それは日本人は、排他的な一神教に抵抗感があるためと、地域社会の人たちと違
うことをしたがらない共同体意識が強いためと、日本の牧師や神父が人々の心に
良い感化を与えるような布教活動をほとんど全然してこなかったからです。

日本土着の宗教も偉そうなことは言えません。仏教は葬式宗教になり下がり、神
道は初詣と七五三だけの神社に堕落し、新興宗教は刑事事件を起こし、信者らは、
ご利益追及には熱心でも、愛や親切心などの霊性向上には不熱心であるからです。


しかし日本人は外来のものを自分たちに合うように造り変える力を持っています。
であれば、強固そうな自分たち自身の「心」を造り変えることもできるはずです。

世間に倣うだけのコピペ人生は、存在の耐えられない軽さと形容したくなります。
それよりも新しい視点の自分に造り変える生き方のほうがずっと面白いはずです。

日本教だ、和の精神だ、日本独自の精神文化だ、競争社会の中を生き抜く知恵だ、
なんて思って、独創のない、月並みな生き方に満足していてはせっかくの人生が
もったいないと思うのですが、どうでしょう。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※ ギャラップ国際調査によれば、世界の7割が「神を信じる」、日本は無神論者の割合で世界2位。 
https://www.christiantoday.co.jp/articles/25615/20180601/religion-prevails-in-the-world-gallup-international.htm


●カトリック信者の遠藤周作は、エッセイ『神々の微笑』の中で、「芥川龍之介が老人の口をかりて、
いかなる外国の宗教も思想もそこへ移植すればその根が腐り、その実体が消滅し、外形だけは確かに
昔のままだが、実は似而非なるものに変わってしまう日本の精神風土を指摘している」と述べている。

●歴史上のオルガンティノ(1533-1609)宣教師は、日本人に大変好意的で、書簡の中で褒めている。
index.jpg「われらヨーロッパ人は互いに賢明に見えるが、日本人と比較すると、はなはだ野蛮
であると思う。私には、全世界中でこれほど天賦の才能をもつ国民はないと思われる。
日本人は怒りを表すことを好まず、互いを褒め、相手を侮辱することを好まない」。
―――Wikipedia
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花より団子

日本人は哲学(精神論)を嫌う傾向が強いと思います。
個性の幅が狭く、むしろ他者と違うことを怖れるみたいな……。
その気質が、手っ取り早く“花より団子”を選択。
お賽銭などの“ご利益信仰”に繋がったような気が。

故に、形而上、あるいは人智学など、
得にもならないことを研究する学者は少ない。
日本人の『外来のものを自分たちに合うように造り変える力』は、
見方を変えると、自由な解釈で自らを納得させたい願望の
集大成のように思えなくもないです。(^_^ ;)

互いの個性を尊重することで“イジメ”なども減ると思うのですが、
自らの考えはないまま、ただ『群れる』ことを好むんでしょうね。

2019/06/08(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

「日本人は外来のものを自分たちに合うように造り変える力を持っています。」

その通りだと思います。現地の中華料理なんか日本人の口には合いませんが街の中華料理屋さんはみごとにアレンジしています。
洋服は本来日本のものではなく、たかだか150年の歴史しかありませんが日本人のファッションデザイナーが世界で活躍しています。

宗教は時の権力者の都合で広がったり捨てられたりしてきましたね。
仏教や儒教でさえ政治の道具でした。
キリスト教は道具になりえなかったのでしょう。
コピペは独創性を無くしてしまいますが経済発展のためには重要な役割を果たしてきました。
日本でも明治維新や太平洋戦争の敗戦後はコピペで復興したようなものです。
中国もコピペがあったから経済大国になれたのでしょう。
でも独創性を欠くとどこかで成長が止まります。もう日本も日本に特化させることでは通じなくなってきました。世界に通じることで勝負しなければなりません。近いうちに中国も壁にぶちあたるでしょう。

apple教 愛新覚羅

2019/06/08(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 花より団子

風子さん コメントありがとうございます^^)

> その気質が、手っ取り早く“花より団子”を選択。
お賽銭などの“ご利益信仰”に繋がったような気が。

 なるほど、“花より団子”説ですか。だから手っ取り早く、ご利益だけを願う―――確かに、そう思えますね。ただ、その精神傾向は西洋でもさほど変わらないのじゃないですか。中世のカトリック教会が売り出した免罪符も、原罪や贖いの教義とはまるで関係のないインスタントなご利益入手法で、人々は天国に行けると思って喜んで買ったのでしょうから。
 今の日本でも、小さな神社が、ここは縁結びにいいとか宣伝しているのを見ると、どうだかなあと思います。

> 形而上、あるいは人智学など、
得にもならないことを研究する学者は少ない。

 これはそうですね。私も聖書の活動をするために会社を辞めると言ったとき、同僚から、そんな得にならないことをなぜするのかと心配して言われました。まあ、実際に金銭的には、また人生全般に渡って、かなりその通りでしたが。

> 日本人の『外来のものを自分たちに合うように造り変える力』は、
見方を変えると、自由な解釈で自らを納得させたい願望の
集大成のように思えなくもないです。

 そうかもしれないですね。イエス・ノーをはっきり表明しないで、自分には合わないからイヤだと言って拒否しない心理は、断わった場合の悪い結果を予想してしまうので怖ろしいからですかね。だから何事も“無難を良し”とするのでしょうか。

 とにかく日本人は“個性”を嫌いますね。ひとと変わっているといけないと思うのはなぜなんでしょう。私も最初に入った会社は大手広告会社でしたが、それでも長髪でアゴヒゲを伸ばしていたのが当時は珍しかったせいで、社内でもけっこうなんやかんやと言われましたよ。
 ただ、最近は、自分だけの花を咲かせるのはいいことだと言われるようになりましたが。

2019/06/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 コピペ文化は、いい面もありますね。日本人はそういう工夫し、改善するという分野で非常に優れていると思います。昔の松下電器が大きくなったのは後出しジャンケンがうまかったからだなどと言われたものですが、トヨタ自動車の「カイゼン」は今や世界に通用する言葉になっています。

 確かに、明治維新以降の文明開化も、戦後の驚異的と言われる経済発展も、追いつけ追い越せの国民的気質で日本人全員が懸命に働いたせいが大きいと思います。教授もそういう経済発展の時代を勝ち抜いてきた企業戦士の一人として、軟弱とは程遠い「頑張る・耐え忍ぶ・生き抜く」精神を人一倍持っているのでしょう。私も自分で言うのはナンですが、サボるとか適当にといった意識は微塵もなく、仕事も教団の活動もそれこそ寝食忘れて一生懸命がんばってきたつもりです。昔はみな頑張って生きていたので、引きこもり中年なんていなかったと思いますね。

 日本人は物真似はうまいが独創性が弱い原因は、無難を好み、冒険を好まない気質があり、出る杭はすぐ打たれてしまうせいかと思っていたのですが、若い男性のファッションだけを見ても、ずいぶん意識が変わってきたように思います。
 教授はapple教信者でしたね。昨今、アップルの新商品が発表されると、すぐ開店前から店頭に若者や中年が並ぶのも、独創性を好むゆえなんでしょう。私も若い頃はソニーやホンダが好きでした。

 中国も壁にぶち当たりますか。私もそう思います。日本が経済大国になって、そのあと衰退したように、あの国も今は安い労働力によって経済的に優位にありますが、そのうち物価が先進国並みになると勢いはかなり薄れ、そして現在の“安かろう悪かろう”はなくなっていくだろうとも思います。それにしてもあの国の一党独裁がなくなると、うまくいかないような気もします。

2019/06/08(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

素敵な記事をありがとうございます。

日本人であることの意味を考えさせられるのと同時に、
奥底から力が湧いてくるような記事でした。

こういったエピソードを目にすると、
アメリカからの要望にはなんでも応え、
海外企業に自国のライフラインを売り飛ばそうと目論む政治家たちは、
本当に同じ日本人なのだろうかと首を傾げてしまいますね。
よくもわるくも「受容的」な民族性ということなのでしょうか。

けれども、食やファッションや音楽にしても、
日本人ほど他文化を面白がり、
取り入れつつも、
まるで合気道のように、
受けた力を進化した形で、
創造的にアウトプットできる民族はなかなかいない気がします。

拝金的で支配的な現社会の堅牢な構造を、
根本的に造り替えることもまた、
日本人自身にしかできないことなのかもしれませんね。

「コピペ」ではない、
「リスペ(リスペクト&ペースト)」な人生を、
歩んで参りたいです^^

2019/06/08(土) |URL|友資 [edit]

Re: 素敵な記事をありがとうございます。

友資さん コメントありがとうございます^^)

 お、芥川の分析を肯定的に捉えましたね。この小説を見る限り、あるいは宗教や一部の文化に関する限りというべきか、芥川は西洋かぶれではないように見えます。明治から大正期の人としてはちょっと珍しいような気もしますが、その頃、日本は追い付け追い越せで、清・露の大国に勝って勢いのあった時代なんでしょう。

 今の日本人は自尊心を失ってとは言わないまでも、かなり弱くなっていますね。良く言えば従順で寛容で温和で平和的、悪く言えば外国のエネルギーに負けていると言うか妥協して許容しています。外国の研究機関の調査でも、日本は諸外国から見れば印象は良い国として最上位付近にありますが、日本人自身は自信のなさで最下位付近にあるそうです。

 ファッションや音楽に関しては、ほとんどアメリカ文化の模倣から始まり、ポップスなどは韓国のほうが勢いがあるように見えますが、日本は合気道のように進化創造的にアウトプットしていますか。映画は最近、日本製が盛り返してきたようですが。あ、マンガは日本がリードしていますか。

 それにしても友資さんの文章は、語彙が多彩で、比喩がうまくて、感心します。特に合気道のくだり、そして「コピペ」ではない「リスペ」なんて、まあ、見事なものです。やはり演劇関係の出身だけに並の言葉は使わないようにしているのでしょうかね。(*^^)v

2019/06/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

日本人は西洋人が言う様な無神論者ではないと思いますよ…逆に信仰心は篤かろうと思います。
西洋人は日本人を改宗させようとしますが、日本人は改宗はしません。その代わり入信はします。
神様は多ければ多いほど役に立つからです…なので日本人はイワシの頭でもキツネでも拝みます。
日本人に最も嫌われるのは排他的な宗教(神)です…それを強制さえしなければ信者になってくれます。
広義に言えば、日本人は善きキリスト教徒であり、仏教徒であり、マルクス(現世利益・唯物)主義者です。
まぁ、どんな宗教や思想・哲学にも欠陥はあり、宇宙(その創造)を完全に解明したものはない訳ですから、
多様性をもって補い合えば一歩でも完全なものに近づける…日本人の宗教観の真髄はその辺りにあるのでしょう。
にしても、七福神などと言って神様をたくさん並べ、7倍のご利益に預かろうと欲深くするのは日本人位のものです(笑)

2019/06/09(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

 sado joさん コメントありがとうございます^^)

 テレビでは、有名人が亡くなると大抵、冥途に行くとか黄泉の国に行くとは言わず、天国に召されたと言います。宗教を嫌う人でも葬式は大抵仏教式でします。ですから日本人には無神論者が多いというのは、特定の宗派には属しておらず、信仰活動には熱心ではないということのようです。

 七福神のメンバーはヒンズー教、仏教、道教、神道出身が七人いますが、七は縁起のいい数なので七福神にまとめられただけの話じゃないでしょうか。
 これは日本人の宗教観をよく表しているようですが、では世界は違うのかといえば、世界も同様で、様々な宗教の源流を探れば、ほとんどみなチベットやバビロン近辺の宗教に行き着くようです。
 ですから黙示録では、世の終わりのときには「大いなるバビロン」が神により裁かれるとされていて、この「大いなるバビロン」とはプロテスタント系では、カトリック教会を表すのだとしていますが、根本的な教理ではプロテスタントもカトリックもさほど変わりはないので、聖書的に真の崇拝に反抗するすべての宗教を表しているようです。

 ところが、そう言うキリスト教にも、異教の風習が雑多に混じってきています。有名なところではクリスマスはローマの農神祭から来ています。サンタクロースの話は北欧起源です。マリアが処女で生んだイエスの話も、異教に似たような話があり、バビロンではセミラミスとタムズ、インドではデーヴァキーとクリシュナ、エジプトではイシスとホルスの関係がそうです。パンを食べ葡萄酒を飲む聖餐式の儀式はミトラ教にもあります。もちろん死と再生の話も異教にあり、それらが形を変えて現在のキリスト教独自の教理となっているわけですから、一神教の宗教にだって異教の教えがかなり混合しているのです。

 中世のイエズス会の宣教師は世界に出かけていきましたが、行った先の土着の宗教と教えを混合させてキリスト教を広めようとしたようで、その証拠の一つがこの『神神の微笑』のオルガンティノ神父が祈った対象の名です。彼はゼウスに対して「南無大慈大悲の泥烏須如来!」と呼びかけています。「南無」は「何々になりますように」の意で「アーメン」と同じなので別に構わないのですが、「デウス如来」と言っている辺りにその宗教混合の意識が残っています。

2019/06/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

極論を言えば

 人から押し付けられたもの、布教されたものを信じると言う事自体が究極の自我放棄、コピペ精神なんですよ。んなもんクソ食らえ。俺は俺だ。自分の中に見たもの感じたものが総てだ。ってのがつまり日本人の根本にあるんじゃないのかなぁ。だから何でも日本ナイズしてしまう。勿論、全部が全部とは言いませんがね

2019/06/09(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 極論を言えば

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

> 人から押し付けられたもの、布教されたものを信じると言う事自体が究極の自我放棄、コピペ精神なんですよ。
 お、さすが、miss.keyさん、視点が違いますね。そう言われると、私なんか、布教されたものを信じたので、究極の自我放棄であり、コピペ精神の典型のようなものです。
 でも私は十代の頃から、ひとと違うことをするのが好きなほうで、だから仕事もそういう方面を選びましたし、買い物でも世間に流行ってないものを選ぶ傾向が今でもありますが、それなのに世界のベストセラーに全面的に従おうとすることを長年よくやってきたなあと自分でも不思議に思うことがありますよ。その書物は、二千年前の古い教えこそが最高至上であり、その教えに還れ、イエスに倣え、コピペせよと教えているのですから、なおさらそう思います。

 ただ、「人から押し付けられたもの」ではないですね。きっかけは布教だったわけですが、家に来た伝道者がそれはそれは珍しく浮世離れをしたような純粋そうな好人物だったのと、私自身も聖書を知りたいという気持ちがあったので、家に訪問して無料で聖書を教えてくれると言われて、喜んで始めただけのことです。だから、これをしないと不幸になると脅されたわけでも、したら幸福になると説得されたわけでもなく、自分で真剣に勉強して、その教えに納得して共感して自分の心で受け入れたわけなのですよ。

 とはいえ、洗脳されたのだろうと言われれば、その通りです。一つのことを真剣に学んでいれば、大抵の人は、その教えが自分の頭に浸透して、結果的に洗脳されたことと同じに思います。日本人が日本教教徒なのも、日本にいて日本の教育を受けてきたからでしょう。ただし狭い所に隔離してする強制的な洗脳とは違いますが。

 しかしながら、すべての人は(と言っていいと思いますが)、みな洗脳されていて、自分独自に考え出したものなんか無いと思いますよ。
 自分だけは違う考えを持っていると思っていても、じつはそれはみな、過去に誰かが思っていたり考えていたことであり、それをひとは自分の人生でいつの時期かに学び、その中から自分の好きな考えを取捨選択して組み合わせてたものを現在の自分の考えにしているに過ぎないからです。三千年ぐらい前に書かれた旧約聖書もこう言っています。


「先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。」―――コヘレトの書1章9節

 これはつまり「長い人類の歴史を辿ってみれば、必ず先人が同じことを考えている、先例がある」という意味です。発明にしても、大抵は過去や現在にあるものの意外な組み合わせだそうですね。

 だから究極的にはみなコピペ人生であり、それでいいと思います。ただ、私が最後に結論として「和の精神だとか日本独自の精神文化と思って満足していてはいけない」と書いたわけは、AppleやGoogleのような企業が日本にも出てきてほしいからです。
 たとえば社内の会議でいろいろ選択肢が提案されたとき、「これが無難だから」と言って、良く言えば「和」的な、悪く言えば「出る杭は打って潰す」的な、いわば「なあなあ」案を採用することがよくありますが、そういう先例のないことはしない事なかれ主義の考え方は進化発展がなく、面白くない。人生も同様で、世間一般が行なっている無難な道を選ぶよりも、自分が好きなこと、本当にやりたいことを選んだほうがいい。と、これはいつも私が自分自身の反省から言っていることを書いたに過ぎないのですね。
 
 なお、私は今は宗教、特にその組織には否定的ですが、特定の宗教を信じているのなら、他の宗教の教義と混合するのはウケるために自己の信念を曲げるわけで、それはその宗教の堕落だと思います。

2019/06/10(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

芥川の「神々の微笑」青空文庫で読んできました。
オルガンチーノは日本人に暖かい気持ちを持っていた人ですが
一方で性的や飲酒に対する非道徳的な一面は嫌っていました。
オルガンチーノは細川ガラシャに洗礼名をつけた人でしたね。
ザビエルが日本人信者と向かい合ったとき、よくされた質問は、
「洗礼を受けないで亡くなった先祖たちは今も地獄にいるのか。
いるとすればそれを救う手立てないのか」だったそうです。
「ない」とザビエルが答えると日本人は嘆き悲しんだと伝えられています。
私だったら「今、君たちが洗礼を受け善人になれば先祖たちも救える」って
諭しますが・・・、これって教義的には誤りですか。(笑)
ザビエルは日本人の資質を高く評価していて、彼らにきちんと哲学的に
説明できる立派な宣教師を日本に派遣すべき、とカトリック本部に訴えています。

>山本七平は、日本人は自らは自覚はしてないが《日本教》の信者だと言いました。
私もそう思います。他の宗教にも寛容で、動物や植物や自然にも神が宿るという
精神世界は、私にとってはは居心地のよい「無宗教」ですね。

外国から何でも取り入れ改良・同化し日本独自のものにしていく精神は好きですね。
漢字を伝えてくれたお国の漢字は簡略化されすぎて、漢字の持つ表意性が喪われ
読み難いものに変貌してしまったしね。

最近はアメリカではちと窮屈なことも起きています。
他宗教の抗議で「メリークリスマス」と言えなくなり「ハッピーホリデー」と言うのが主流化
してきました。
またアメリカ人による日本スタイル(着物を着たりする)はすぐ「人種差別」や「文化の盗用」
と批判されます。

2019/06/10(月) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 また青空文庫に行って本文を読んだのですか。エリアンダーさんはよく調べて時間を掛けてからコメントを書いてくださっているようで、有難いかぎりです。意見はどんなものでも遠慮なく自由にどうぞ。

 この神父は秀吉の時代の人ですが、かなりの日本びいきだったようですね。特に江戸は、世界に名だたる文化都市で、識字率は世界一。来日した外国人が江戸ほど美しい町は世界にはないと言ったそうですが、モラルもまた諸外国に比べてかなり優れていたようで、これは日本人の伝統であるようです。魏志倭人伝が「盗まない」こと驚いているそうですが、それは、当時の支那人にとっては「盗まない」ことが特筆すべき長所だったからのようです。
 ザビエルも「それがキリスト教信者の地方であっても、そうでない地方であっても、盗みについて、これ程までに節操のある人々を見たことがありません」と記録に残しています。

 人が信者になれば救われるのはいいが、その先祖はどうなるのか?
 キリスト教の教えでは、教会や伝道者から聖書の「福音」を聞いたのに、なおも断った人は救われません。ヨハネ3:36


「御子(イエス)を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」

 では福音を聞いてない先祖はどうなるかと言えば、「最後の審判」のあとに人類はみな「復活」することになっていて、そのときに復活してきた先祖は、信じるか信じないかのチャンスを与えられ、イエスを信じるなら救われることになっています。
 だから不公平はないとされているのですが、そうなら「世の終わり」の前の今現在はキリスト教の福音を聞かないでおいて、将来に本当に復活があったときに墓から甦ってきて真面目に聞いたほうがずっと信じやすいじゃないか、という反論があります。
 それにイエスを信じないだけで、愛の神が、先祖アダムの原罪によって永遠の滅びという罰を、それほど大きな犯罪も犯していないごく普通の人間に与えるのはおかしいという疑問もあります。
 
 何にしても唯我独尊で排他的な主義思考は、困ったものです。ひとの生き方に不当に干渉するだけでなく、それを非難攻撃して排除しようとするわけですから、人間に迷惑な存在としか言いようがありません。
 信仰も度を超すと自爆テロを起こすイスラムの過激派のようになるわけで、何かを信じたいのなら、それでいいから、自分だけにとどめて置けば何も問題はないのですが。
 
 私は以前は原理主義的なキリスト教教団にいたので、その宗派を信じているのなら、信仰合同とは信念がなく、酷いものだという意識がありますが、精神世界を知った今は、宗教の教えそのものを信じなくなりましたから、むしろ山の頂上に登る道はいろいろある、だから登りたいなら自分の好きな方法手段で登ればいいと思うようになっています。
 
> 外国から何でも取り入れ改良・同化し日本独自のものにしていく精神は好きですね。
 日本人の吸収力と、消化力(昇華力)はたいしたものですね。特に真摯な研究心と純粋な意欲については、日本に敵う国はないでしょう。
 トヨタのハイブリッド技術には世界の自動車の名門メーカーは十年以上遅れていて追いつけていませんし、あのポルシェでさえルマンで負けて撤退してしまいました。ライカもコンタックスというドイツの名門も、ニコンとキヤノンには完膚なきまでに負けています。
 ですから他の分野でも勝てると思うのですが、問題は企業のトップの意識です。昔、ベンチがアホやからチームが勝てないと言った投手がいますが、本当にそうで、トップの頭の良し悪しで組織体の運命は変わりますね。
 
 今の日本に「独創性」と「デザイン性」が加味されると天下無敵になると思いますが、この点はまだ特にアメリカの自由な独創性と感性にはちょっと及ばないようです。
 SONYがApple社のようにならなかったのが残念です。日本の家電企業は長い間の安泰に慣れ過ぎました。もう少し独創性とデザインの分野で頑張らないと、元の勢いを取り戻すのは難しいでしょう。しかし物理学の分野ではノーベル賞受賞が多いので、そんなに心配する必要はないかもしれません。

2019/06/10(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

神仏とはぜんぜん関係ありませんが

以前、猫を飼っていた時に芥川好きの元妻と協議して、「龍之介」と名付けました。

 賃貸マンションでどうぶつの飼育が禁止だったので、人間の子供がいるように偽装していました。。。(笑)

2019/06/10(月) |URL|Anthony [edit]

Re: 神仏とはぜんぜん関係ありませんが

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)

 前の奥さんは芥川好きでしたか。文学好きなひとですね。いいひとと別れたものです。もったいない。(笑)

 猫の名は龍之介。愛称はリュウちゃんでしょうか。僕は君をかわいいと思うよなんて言ってたのかもしれませんが、もし漱石好きなら、吾輩は貴君を愛玩する次第だよなんて言ってたかもしれませんね。

 あるいは、リュー!リュー!と何度も呼んでも、ネコは名前を読んでもあまり期待に応えてくれることはなかったでしょうか。ネコは気ままですからね。それがいいのでしょうが。

2019/06/11(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>前の奥さんは芥川好きでしたか。文学好きなひとですね。いいひとと別れたものです。もったいない。(笑)

 文学好きではなかったです。本当に、芥川だけ好き。

 でも、結果的には、別れてもったいなかった。。。(笑)



>愛称はリュウちゃんでしょうか。

 はい、そのとーりでございました。ちなみに、妹猫の名前は、これまた人間のように「桃子」。


>あるいは、リュー!リュー!と何度も呼んでも、ネコは名前を読んでもあまり期待に応えてくれることはなかったでしょうか。ネコは気ままですからね。

 それが、舐めを呼べば、スグに「ニャー」と返事をして、走ってやってきました。

 首輪とリードをして公園を散歩するという、猫らしくないという。(笑)

2019/06/12(水) |URL|Anthony [edit]

Re: タイトルなし

Anthony さん コメントありがとうございます^^)

 人は、別れると、失うと、落として壊すと、もったいないと思い、懐かしがるものなんですねえ。(笑)

 返事をしてすぐやってくるとは、かわいかったでしょう。リードを付けての散歩とは、ちょっと珍しい。よほど従順さを身に着けているのでしょう。

 そういえば、ネコの名前はネコ専用の名が多くないですか。ミケとかクロとかレオとか。モモも多いようですが、桃子というのはいいですね。菊池桃子のファンだったのでしょうかね。

 ネコに人間の名前を付けている親戚がいて、ネコの名前を呼ぶのを聞いていると、だれか家族の一員を呼んでいるように感じました。

2019/06/12(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/06/13(木) || [edit]

>桃子というのはいいですね。菊池桃子のファンだったのでしょうかね。

 菊池桃子のファンでも、ハイヒール・モモコのファンでもありません。(笑)

 肉球のピンク色が、あまりにもキレイだったので、桃ちゃんにしましたが、人間風に桃子と呼んでいました。
 


>ネコに人間の名前を付けている親戚がいて、ネコの名前を呼ぶのを聞いていると、だれか家族の一員を呼んでいるように感じました。

 ソレをねらって、名付けました。

 マンションの管理人さんや隣室の住人にも10年以上バレませんでした。

2019/06/26(水) |URL|Anthony [edit]

Re: タイトルなし

Anthony さん コメントありがとうございます^^)

 同じマンションの人に10年も気付かれなかったというのはすごいですね。

 ハイヒール・モモコは全然思いつかず。桃子で思い出せるのは菊池さん一択です。
 大体が桃の字が付く名は桃太郎しか知らず。語彙が貧困です。
 あ、いや、桃井かおりもいました。最近、見かけませんが元気なんでしょうか。

 と考えていたら、胡桃沢という苗字もありますね。胡桃は桃の仲間には見えませんが、同じ字を使うのはどうしてなんでしょう。

 キャンディーに「小梅ちゃん」というのがありますが、これに対抗して「小桃ちゃん」はどうでしょう。売れそうに思いますが。(笑)

2019/06/26(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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