「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ら抜き言葉と、たぬき言葉。言語は流動し、固着する。 

 ここでは引用文以外は、「た」の字を抜いた「た抜き言葉」で書いています。
 当該箇所には下線を引いていますが、「た」を補って読んでみてください。


 
ra19.jpg こんにちは。ぼくは、アライグマです。
 先々週、あしか君にメールでさそわれて、日本にやってきまし

 先生は、ぼくのことを、らっくんと呼んでいます。
 友だちは、緑のどん兵衛じゃあなく、赤いぬきと呼んでいます。
 英語では、アライグマはラクーンで、ラクーンドッグはヌキなんですね。

 学校は、国語の授業がむずかしいです。
 先生はよく、最近は若者の日本語が乱れていると言います。
 とえば「見られる」を「見れる」と言う。「食べられる」を「食べれる」と言
う。言葉を短縮し《ら抜き言葉》は手抜きで、文法的に間違っている。なげかわ
しい、はあーっと、め息ついていまし

 ぼくは、短くていいのにと思っので、近所のご隠居の家にうかがいまし困っ
ときは、なんでも教えてくれる親切なお年寄りなんです。

「ご隠居さん。こんにちは~」
「お、今日は熊さんじゃなく、アライグマのらっくんか。らっくん来れらいだな。
なに? 《ら抜き言葉》はなぜいけないのか。うーむ、あしは、いけないとは思わ
ないほうなんだがな。というのは、言葉をつめ言い方は、最近の流行ではなく、
千年昔からあるのだよ。清少納言が『枕草子』の中で、こう嘆いとる。

 なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文(ふみ)に書いては、言ふべきにもあら

 太字の『ん』と『む』は同じだ。正しくは『んとす』と言うべきなのに、最近
は『んず』とか『むず』と言って、『と』を省略しているのが悪いと言われてい
る。そんな《と抜き言葉》を日常で言うのは悪いし、まして書くときに使うのは
言うまでもなく悪い、と清少納言さんは嘆いとる。
 だが、間違っているとされ『むず』は、後の鎌倉時代になると、一般に定着し
て使われるようになるのだなあ。


 これより三百年以上あとの吉田兼好も『徒然草』の中で、やはりこう嘆いとる。

 文(ふみ)の詞(ことば)などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。

 文とは手紙で、反古とは書き損じもの。手紙は昔の書き損じもののほうがいみ
みじき、つまり立派だ。しかし、言うだけの話し言葉はだんだん口惜しく、情
けなくなってゆくようだと言って、昨今の話し言葉が乱れていると嘆いておる。


 
 先日97歳で亡くなったドリス・デイさんの「スリーピー・ラグーン」です。 


 敬語もよく『乱れている』とか『間違っている』と言われるのだがね。橋本治
が『ちゃんと話すの敬語の本』の中で、こんなことを言っとるぞ。

 敬語というのは、古い時代の言葉なんです。だから、これをちゃんと正しく使いすぎると、時代劇になってしまうのです。

 らっくんよ。江戸時代の人は目上の人には、『』ということを『参りまし
と言い、『何々です』ということを『何々でござります』と言っていが、その江
戸時代の敬語が崩れて、いい加減に使われているのが現代の敬語なんだな。だか
ら正しい敬語を使いければ時代劇のような言い方になるが、それはおかしいだろ
うと言われとるわけだ。※1


 それから、プラトンの言葉らしいのだが、SF作家のアシモフが引用しておる。

 " What is happening to our young people? They disrespect their elders, they disobey their parents. They ignore the law. They riot in the streets inflamed with wild notions. Their morals are decaying. What is to become of them? "

 これは大体こんな意味だ。『最近の若者はどうなっているのか。年長者を馬鹿
にし、親には従わず、法律は無視する。やら興奮して街で騒ぎを起こし、道徳心
は腐りきっている。彼らはどうなるのか』
 後半はハロウィンの夜の渋谷駅前みいだが、大昔の年寄りも、若者の言葉の乱
れや行動に我慢がならなかっようだな。


 しかし、よく『美しい日本語』なんて言われるが、間違っ読みが正しいとされ
日本語はけっこうあるのだよ。本来の読みは、『輸入』は『しゅにゅう』と読み、
『比較』は『ひこう』で、『捏造』は『でつぞう』で、『堪能』は『かんのう』、
『消耗』は『しょうこう』、『情緒』は『じょうしょ』と読むのが正しいのだ。


 
 ドリス・デイのこの歌も私の好きな曲です。「イッツ・マジック」


 国語の先生が、《ら抜き》言葉は間違っていると教えのは、現在の試験の答え
としてはバッテンになるからだろう。らっくんよ、正しい読み方や正しい文法は、
しっかり覚えておかんといかんよ。字を間違えるのは教養が足りないみたいで、
みっともない。
 しかしなあ、意識や考え方は、時代の流れに乗って、変わっていくのが自然だ。
言葉だって川の流れに乗る舟のように、時代に合わせて変わっていくのが自然な
のかもしれんな。※2
 自分は国語の専門家でもないのに、現代の日本語の《揺れ》は嘆かわしいと偉
そうに言うような人は、自分が知識人であることを誇りい気持ちがあるのかもし
れんし、精神的にどっぷりと年寄りになっているのかもしれん。あしも気を付け
よう。
 だから、らっくんよ。大人になっても、古い人間になっらいかんよ。おっと、
間違え。古いぬきなっらいかんよ」


 ご隠居の話はよくわかりませんでしが、とにかく、ぼくは友だちと話すときは
《ら抜き言葉》を使うことにしましそうしら《らくーん抜き》にならないので
仲間外れにされない、と思っら気持ちがらくーんになりまし




補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 「むとす」は「しようとする」という意で、「むず」に短縮化。「むず」は「む」と同じです。

※2《ら抜き言葉》は、中国・四国地方や東海地方では古い時期から常用されていまし。五段動詞の
《可能》表現では、江戸時代初期にはすでに「読まれる」が「読める」になるような変化が起こって
います。《ら抜き言葉》にすると《尊敬》や《受身》の形との曖昧性がなくなることから、学者の中
には、この形のほうが合理的とする見解もあるそうです。―――Wikipedia
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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懐かしのドリス・ディ

ドリス・ディに関するバーソさんの記事を読んでビックリ❢

なんですと❢ 三千曲? (((ʘ ʘ;)))
しかも感傷的になるバーソさんなんて、新鮮でした。

それにしても「た抜き言葉」「ら抜き言葉」なんて、
よく着眼されましたよねぇ。

かつて映画[舟を編む]を観ました。
新しい辞書『大渡海』の完成に情熱をかける
馬締光也を松田龍平さんが演じました。

若者言葉や「ら」抜き言葉なども積極的に取り入れる。
新語を常に採集したり、死語をのぞいたり、
一冊の辞書をつくるには気が遠くなるような作業が
必要だと知りました。

で……『美しい日本語』にもちょっと疑問をかんじました。
言葉は“温故知新”……変化に満ちた文化ですもんね。

>“ racoon ラクーン” とはアライグマ。
racoon dogと言われるとタヌキ。

これも日本語と共通ですよね。
魚のつく魚名の多いこと。(笑)

2019/05/25(土) |URL|風子 [edit]

ら抜き言葉

バーソ様
おはよう御座います。

ら抜き言葉ですね。戦後間もない1949年生まれの私には当然抵抗があります。
しかしご隠居の、「言葉が変わっていかなければ時代劇になってしまう」というのは説得力があります。
ら抜き言葉も気にしなければ自然に変わっていくのですね。

個人的には書き言葉でひっかかっているのがあります。
口語で「〇〇はいい」というのを文語で「〇〇は良い」と書きますね。
しかしあまりにこれに固着するとおかしな文章になってしまいます。
私は口語体で書くようにしていますが頑固なまでに文語で書く人も多いようです。ら抜き言葉に抵抗するのと同じなのかなとも思っています。

ドリス・デイですね。1949年生まれの私からみても古い大歌手です。中学生時代にアメリカンポップスを聴きはじめた頃はすでにコニー・フランシスの時代になっていました。

愛新覚羅

2019/05/25(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 懐かしのドリス・ディ

風子さん コメントありがとうございます^^)

 3000曲近くというのは数えたわけではないのですが、音楽プレーヤーの記憶容量から推論すれば、そのぐらい入っているかなという感じです。音楽も私の趣味の一つなんですね。

 感傷的になるのが意外でしたか。私は自分ではかなりロマンチストのほうだと思っているのですがね。好きな音楽を聴くだけでも、いい動画を見るだけでも、すぐ涙が出ます。あ、これは歳のせいかもしれませんが。(笑)

 Wikipediaを見たら、『大渡海』の映画は知らなかったですが、概要は分かりました。辞書作りは大変な苦労があるようですね。言葉集めが大変。その注解が大変。執念がなければできない仕事です。でも辞書を見るほうは、今はネットで検索すればすぐ簡単に分かるのですから、申し訳ない気持ちになります。

 以前、国語の辞書は17冊ぐらい持っていました。でもやはり『新明解』が一番好きでしたね。ほとんどの辞書は「怠惰」で引くと「怠けて怠ること」なんて書いてあるのですが、『新明解』は「働くべき時に働かないこと」なんて書いてあったような気がします。伝記ではなく評伝のような感じの面白い辞書でした。

 しかし最近の若い人の言葉は気になりますね。これも歳のせいかもしれません。それにしても関西弁が増えました。吉本のせいでしょう。くだらないギャグがなぜ受けるのだろうと不思議です。じつはこの記事で、ラックンゴレライと書きたくなるのを抑えました。はい、同類です。

 確かに魚偏の漢字は多いですね。寿司用の湯飲みに魚名が書かれているのがありますが、読めない字のほうが圧倒的に多いです。

2019/05/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: ら抜き言葉

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 
 教授は言葉の用法にはうるさいほうのようですね。以前、ブログで「いい」と「良い」について論じていなかったですか。

 私は時々迷うことがありますね。おおむね「いい」を使っているのですが、反対語の「悪い」と対比して使うときは「良い」を使うほうが自然かなと思ってしまい、迷うのです。

 ら抜き言葉については肯定派のほうです。理由は、「られる」だと《受身》と《敬語》の用法もあるので、《可能》との区別がつきにくいからです。
 それに一字省けるので、ローマ字入力では打ちにくいラ行を打つのが簡単になります。
 それにしても日本語なのにローマ字で打つのは不合理で、なんとかならないのかと思いますね。親指シフトは打ちやすくいいのですが、今は希少派ですから。

 コニー・フランシスですか。「ボーイ・ハント」をすぐ思い出します。甘ったるい声の女性でした。「カラーに口紅」もそうでしたか。他には思い出せません。検索したら、この動画の人がそうなんですかね。全然イメージが違います。

https://www.youtube.com/watch?v=5S7MtWv2zg4&list=RD5S7MtWv2zg4&start_radio=1&t=73

2019/05/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

恥ずかしながら

30代になる手前くらいまで
活字だけの本を一冊読み切ったことがありませんでした。
国語のみならず教養の下地というものが、
まったくと言っていいほどありません。
最終学歴は高卒で、
不良がたむろする県でも有名な負け組高校の中の、
下の下の成績でした。

その後人並みに本を読むようになって、
作文を書くのに困らない程度の文法や読み方の知識は得ることができたのですが、
かと言って「文章の書き方」の類の本は興味を持てず、
ほとんど「この言葉は響きがいいなあ」とか、
「口にすると気持ちがいいなあ」といった感覚から言葉を覚え、
書くときも自分が気持ちいい言葉をチョイスしてきた感じがしてます。
おそらくバーソさんが前回の記事のコメントの中で、
美文調、洒落た言い回し、とぼくが使う言葉についてお話してくださったのは、
そういう理由なのかもしれません。

なので正しい日本語というものがなんなのか、
きちんとしないままここまで生きて来てしまった感じがあるのですが、
それでも変化が目まぐるしい昨今の言語感覚には、
ついていけてないところもありますね^^;

あ、ちなみに
YouTubeで話すのと文章に書くのとでは文体が変わるか?という質問なのですが、
間違いなく動画の方がフランクで平易な言葉になりやすいです。
日常会話ではバーソさんと同じく、
動画よりもさらに普通の語彙を使うかもしれませんね。
たとえば目の前の相手がわからないだろうと想定できる言葉は、
まず使わないです。



>言葉だって川の流れに乗る舟のように、時代に合わせて変わっていくのが自然な
のかもしれんな。

という点についてはぼくも同意見ですね。
そして大人はムリに若者言葉に合わせる必要はなく、
若者も大人に合わせる必要はなく、
「近頃の若者は…」と大人からぼやきが出るくらいのほうが、
実は滞りなく言葉が進化し続けている顕れなのかもしれませんね^^

2019/05/25(土) |URL|友資 [edit]

こんにちは

清少納言の話。
昔からこんな言葉の乱れの嘆きがあったとは。
「むず」が鎌倉時代には一般に定着したのは、今の定着しそうな
ら抜き言葉に似ています。
言葉が形を変えながら一般化していくのはしょうがないことですが、
ひところ流行った語尾上がりの言葉は消えつつあるように感じます。
私が気になる言葉は「・・・じゃないですか」です。
無理やり相手を同意させるような響きを持った言葉、好きになれない
じゃないですか。
バーソさんは「イッツ・マジック」に特別な思い入れがおありのようですね。
「あの夏の子供たち」という映画を見ていたらエンディングにドリス・デイ
の「ケセラセラ」が使われていました。音域・音程の完璧な女優さんですね。
https://youtu.be/xZbKHDPPrrc

た抜き言葉、疲れましたね、ご苦労様。

2019/05/25(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: 恥ずかしながら

友資さん コメントありがとうございます^^)

> 30代になる手前くらいまで
活字だけの本を一冊読み切ったことがありませんでした。

 えっ、本当ですか。かなり意外です。ブログを読んでいると、また動画でお顔を見ていると、そして話を聞いていると、とてもそうは見えません。

 言葉遣いがなかなか洒落ていると感じているのですが、それは自分の語感で「心地よく感じる言葉」を選んでいるせいですか。なるほど。舞台でセリフをしゃべる俳優は、そういう語感を大事にしているのでしょう。言葉の持つ力にも関心があったので、それゆえに演劇関係にいたのでしょうかね。

 しかし三十代になってからは、精神世界の本をずいぶんあれこれと読んでいるのでしょう。いまどき、スピノザなんて珍しい人の本を読む人は滅多にいないと思います。
 この人は、人がキリスト教の信者にならなくても、その同じ精神を持っているなら救われると唱えているようですね。キリストなら当然そう言いそうです。教会に通わなければ救われないなどと言うはずはありません。ところが大抵の教会は、信者だけが救われると言って、信者を恐怖で縛っているのです。
 私は今は、神とは博愛であり、無条件の愛を持つ神であるという信仰を持っているのであれば、人は救われていないと考えるのは矛盾だろうと思っています。

 難しい語彙を使えばかっこいいと思っている人がいて、その人の書く文章が実際にかっこいいのなら、それはそれでいいのですが、ただ文章をくどくこねくりまわしているだけで、メッセージに目新しさや独自の見解がない場合は読む気がしないですね。と言うと、そういうおまえはどうなんだと言われてしまい、やぶ蛇になりますが。

> 「近頃の若者は…」と大人からぼやきが出るくらいのほうが、
実は滞りなく言葉が進化し続けている顕れなのかもしれませんね

 ああ、そうなんでしょうね。まったく拒否して反対するのもおかしいし、まったく受け入れて矢鱈に使うのもお調子者みたいで、みっともないことです。
 個人的には、「がっつり」とか「ほっこり」が気持ち悪いです。政治家が、日本語の言葉があるのに、わざわざ横文字を使うのも嫌いですね。なんで庶民の街の交番の看板に「KOBAN」と書いてあるのか。コーバンではなく、コバンと読んでしまいます。

2019/05/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 日本の奈良平安時代は、世界的にも珍しいほど、言葉に敏感な時代だったのじゃないでしょうか。なにしろ上は天皇から、下は農民、役人、芸人、僻地の防人、そして詠み人知らずの無名の人までが、みな和歌を詠んだのですから。

 しかもそんなに古い時代の和歌を、後の時代の人たちが学んで、鑑賞して、江戸時代には本歌取りをして俳句や川柳にしたり、現代でも学校の授業として教えたり、いまだにそんなに存在感を示している千年以上昔の文学なんて、古今東西の歴史上でも滅多にないように思いますね。「サラダ記念日」が出るまでは、だれもが大昔の万葉集の言い方から抜けられなかったのですから、いかに完成されていたのかが分かります。
 
 エリアンダーさんも気になる言葉が結構ありそうですね。
 私も語尾上がりは気になります。ビデオとかクラブなどのカタカナ言葉をを語尾上がりにされると、英語のアクセントを知らないのかと思います。それと、話の途中で、相手に質問しているように聞こえる語尾上がりも気になりましたが、これは最近あまり聞かなくなりました。こういう言葉遣いにも流行りがありそうですね。

 いま思い出したのは、王貞治さんの言葉遣いで、記者からインタビューされたときには、必ず最初に「そうですね」と受けてから自分の感想を述べているのがいいと褒めたコメントを読んだことがあって、そういうものかと思っていましたが、だいぶあとになって、なぜそういうふうに曖昧な返事をするのか、もっと自分の思ったことをはっきり言えというコメントもあって、ああなるほど、そういうものかとも思ったことでした。いや、節操のないことですが。(笑)

 「あの夏の子供たち」という映画で「ケサラセラ」が歌われていたのですか。その映画は見たことがないですが、この歌が歌われていた映画は覚えています。ヒッチコックの「知りすぎていた男」です。ジェームズ・ステュアートが主演し、ドリス・デイが妻の役を演じていました。
 この歌は2番までの歌詞を歌えたのですが、いま歌ってみたら1番しか覚えていなかったですよ。日本ではペギー葉山がヒットを飛ばしました。「ケセラセラ」はスペイン語ですが、文法的にはちょっとおかしいのだそうですね。「なるようになる」とは、現代の精神世界の言葉のようでもありますが、当時はそういう見解を述べる人はいなかったように思います。

 た抜き言葉は、読むのも疲れたでしょう。引っ掛かってしまって、スムーズに読めませんから。私も出来上がって編集画面のレビューを見たら、読みにくかったので、いったんは普通の文章に戻してみたのですが、折角「たぬき」を思いついたので、とりあえずその思いつきを残しておくことにしましたが、くどくなってしまったのが後悔の一つです。「スリーピー・ラグーン」の話も不要だったかもしれません。

2019/05/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

以前、発掘された古代エジプトのパピルスを解読していた言語学者が面白い文章を見つけました。
そこには「近頃の若者言葉は意味が理解できない」と言う意味のヒエログリフが刻まれれていたそうです(笑)
どうやら言語は、四千年の昔から新しい世代の手によって日進月歩の勢いで書き換えられていた様です。
考えてみれば、言語と言うものは頭に浮かんだイメージの置き換えでして…言わば代替記号の様なものです。
記号であるならば、言葉を飾る修飾詞などの余分な部分はできるだけ省いた方が、簡便で伝達も早くなります。
なので将来の言葉は「た」や「ら」以外の部分も抜かれて、コンピューター言語の様に簡略化されるはずです。
お互いにまだ言葉で遊べる時代に生きられて良かったですね^^ 未来は「あ」か「う」しか表現方法がなくなります(笑)

2019/05/26(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> 言語と言うものは頭に浮かんだイメージの置き換えでして…言わば代替記号の様なものです。
 そうなんですよね。私は小学生のとき、漢字の書き取りで樋口一葉の「樋」の字を正しく書いたつもりでいたら、答案用紙にバッテンを付けられたので、どうしてかと先生に聞いたら、点が一つ足りない、ここは「二点しんにょう」だと言われて、そんな妙な字を作る方がおかしいし、そんな字を問題に出すのもおかしいやと思ったことがあります。

 漢字の筆順もやかましく教えられたので、今でも「飛」や「右・左」でも正しく書けていると思っていますが、でもそんなことにこだわるのもおかしいと思っています。

 記号であるなら簡単なほうがいいですか。確かに。中国の簡体字は奇妙に感じますが、じつは要領がいいのでしょう。それにしても漢字民族はハンディがありますね。

> 未来は「あ」か「う」しか表現方法がなくなります(笑)
 あ、うまい。そうきましたか。
 あーうーと言えば、あの方を思い出します。見た目は鈍重なイメージがありましたが、実際は回転が速くて、しかも人格者だったようですね。
 そう言われて、このトップページに検索を掛けてみました。この後の2つの記事の導入部分と右側のカラムの部分も含んでいますが、あ行は以下の通りになりました。

 あ=52、い=34、う=213、う=101、え=30、お=25

 た抜きはあまり影響はないですが、う抜きやえ抜きだとかなり日常会話に差し支えそうです。うーと唸ることもできず、えーと考えることもできません。
 ついでに五十音全部をやってみたら、最高は「の」で256もありました。最低は「へ」で3でした。へー、そうか、とでも思っておいてください。(笑)

2019/05/26(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

たぬき言葉は何かと難解

 言葉の乱れも困ったもんですが、言い回しの乱れはもっと深刻です。良くてやばくて、悪くてやばい。奪取と奪還の違いも判らず、追加と勝ち越しの使い分けも出来ないアナウンサー。新聞なんか主筆が目を覆いたくなる文章書いてるし、アーティストと呼ばれてるミュージシャンの作る歌詞は文節の羅列。巷では差別用語排除の動きが結果としてなんでもない言葉を差別用語に進化させ、更にそれを禁止することで言葉がどんどん痩せ細っている。しまいにはあーとかうーすら差別だと言われかねん。ホント困ったもんです。
 え゛、私ですか?私はら抜きもたぬきもしませんよ。代わりにするのは手抜きです。

2019/05/26(日) |URL|miss.key [edit]

Re: たぬき言葉は何かと難解

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 テレビで気になるのはオーバー過ぎる言葉です。何かというと「世紀の一戦」「因縁の死闘」と言い、ちょっと古いと「レジェンド」などと気軽に言います。野球では解説者が以前は「バント」を「バンド」と言っていましたが、今はどうなんでしょう。他に思い出すままに挙げると、「てゆうか」「違くね」「まぢ」「悩ましい」「話し言葉」などです。アマゾンの中国出品者が書いた日本語は、おかしいを通り越して面白いです。

 他には、「何々させていただく」を謙遜言葉として得意になって多用する人がいますが、これは気になります。「とんでもございません」は違和感を感じませんが、良しとして採用する辞書も出てきているそうです。
 自分ではいまだにうまくできないのは形容詞に「です」を付ける場合です。「おいしい」は「おいしゅうございます」が正しいのだそうですが、つい気になりながらも使っています。でも「うれしいです」の場合には違和感を感じないのが面白いです。←あ、これもそうでした。
 また、「今現在」は言葉がダブっているのは知っていますが、ふだん使っています。「なので」は接続詞でないのは知っていますが、「だから」の代わりに使っています。
 こういうのは《慣れ》が左右するのでしょうか。女性がジーンズ(Gパン)の上にスカートを穿くのや、ジーンズにハイヒールを履くのも最初はかなり気になりましたが、今は目が慣れてしまい、お洒落として肯定する気になりました。とすれば言葉でも、ちょっと奇異に感じても、バリエーションとして肯定しても良さそうです。西武の「おいしい生活」というキャッチフレーズも最初は気になりましたが、慣れてくると名コピーに見えてきましたから。

 ただし、はっきりとした誤用や間違いはいけません。字の読み違いや書き間違いは恥ずかしいことですから。
 私の母親は普段でも「文芸春秋」を買って読むほど文学好きで、国語は教養のあるほうでしたが、私が高校生の頃、「勤務評定」を「きんむひょうじょう」と読んでいました。なまじ小田原評定と言う言葉を知っていたのでそう読んだのでしょうが、親には絶対口答えをしたり意見を述べてはいけないと教育されていたので、読み間違いだと指摘できなかったことがありますよ。
 といいながら私も書き間違いや変換ミスに気が付かないことがよくあります。自分の書いたものは何度も見直さないといけませんね。以前、「拗音」と書いたつもりが「促音」と書いていたのにだいぶ経ってから気が付いて耳が赤くなったありますよ。
 ★追伸:「挙げる」が「揚げる」となっていました。お恥ずかしい。

 で、ら抜きもたぬきもせず、手抜き言葉ですか。あはは、うまい。
 私は餃子を食べるときにはラー油がないと物足りません。そばを食べるときは揚げ玉がないと物足りません。

2019/05/27(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2020/02/02(日) || [edit]

Re: タイトルなし

[太字]鍵コメVさん コメントありがとうございます^^)

 過去記事にも目を通していただき、うれしいです。
 「ら抜き言葉」ですが、《可能》の意味で使う「見られる」「来られる」「食べられる」などの言葉から、「ら」を抜いて、「見れる」「来れる」「食べれる」と表現するのは、必要な言葉「ら」を抜いていることが日本語の文法としておかしいとされているようですね。

 しかし助動詞「られる」は《可能》の意味だけでなく、確かに《受動、自発、尊敬》という意味でも使われる言葉ですから、「ら」抜き言葉は《可能》だけに意味を絞れるのでかえっていいと言う人もいて、私もそのほうが分かりやすいのと短縮化されるので良いと思いますね。
 ただし現在の時点では、まだ全体的には同意されてないので、ブログでは使用を控えていますが、使っている人を悪く言う気はありません。。

 ら抜き言葉は嘆かわしいというような人は、よく言えば言葉を知っている教養のある人で、悪く言えば四角四面で融通のきかない人になるでしょうか。
 しかし言葉というのは他の文かと同じく、経年変化していくものなので、ある程度その言い方に慣れてくると、あまり違和感を感じる人もいなくなるのでしょう。

 私は、「チョー~」という言い方が渋谷ギャルみたいであまり好きじゃなかったのですが、芥川の時代に「電車が超満員」という新聞の見出しで違和感があると非難されていたという話を読んだとき、やはり時代と共に語感も変わってくるのだから、あまり言葉遣いがおかしいと非難するのは良くないと思うようになり、いまではけっこう「超~」という言い方を使っています。

 ちょっと以前、「真逆」という言い方が嫌だと書いてあるブログを複数見て、じつは私はその言葉は気にならないので使っていたのですが、あわてて過去記事を検索して、何か所かあった「真逆」を「正反対」に変えたことがあります。
 しかしその後、やはりいいじゃないかと思うようになり、一度「真逆」という言葉を落語の熊さんか八っつあんの話言葉として使ったことがあるような気がします。

 でもいまだに気になるので使わない言い方もあって、「~よくね」「なにげに」「ヤバい」などがそうですが、これは頭が古い証拠かもしれません。(笑)

2020/02/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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