「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 バクテリアのべん毛モーターは人間が作れないほど超高性能だ。 


 虫の王子さま


 こんにちは。
 ぼくは、虫の王子さまです。
 虫といったのは、ちいさくて、べん毛という長い毛が体にはえているからです。
 王子さまといったのは、ぼくのようなちいさい子どもでも、人間よりすごい体
をもっていて、たいしたものだからです。

 すごい体というのは、べん毛の根元にあるモーターがすごい高性能なんですね。
人間のつくる電気モーターにおどろくほどよくにてますが、人間には、とてもま
ねできないそうです。
 ぼくには足がありません。でも、心配しないでください。べん毛をスクリュー
のように回転させて、じょうずにおよげます。


 bqeo.jpg photo by pixabay


 電気モーターには、回転子や固定子、軸受け、自在継ぎ手、スクリュー、反転
制御装置といったパーツがありますが、ぼくのべん毛モーターにもおなじような
パーツがちゃんとあって、もっとすごいんです。
.
・1秒で体長の数倍から100倍も移動できます。人間なら150メートル以上かな。
・回転数は1分間に17,000回です。F1エンジンだって15,000回転ですからね。
・わずか4分の1回転で急反転できます。これは化学センサーが制御します。
 だから、栄養や空気が最適な環境のところに、はやくちかよっていけます。

・エネルギー源は、細胞内外のイオン濃度差から生じる水素イオンの流れです。
・時間がたってイオン濃度が高くなったら、それを外に出すポンプもありますよ。
・消費エネルギーは1千兆分の1ワット。効率は、ほぼ100パーセント。
 だから、最高の省エネ性能です。外部電源はいりません。

・クラッチもあって動力のオンオフもできます。自動車みたいでしょう。
・前進、停止、後退、方向転換も、じゆうじざい。暴走はしませんよ。
・あ、そうそう、ぼくのモーターの直径は、100万分の45ミリぐらいです。
 だから、世界最小で、最強の高出力モーターなんです。すごいでしょ。


 
 日本語の詳しい説明動画は→『サイエンスフロンティア21 (49)自己構築するナノマシン


 それから、パーツはタンパク質でできているんですけど、それに指令をあたえ
るシステムもあって、各パーツは20分ぐらいで、ひとりでにあつまって、組み上
がります。これは人間が、ぜったいまねできません。ねっ、たいしたものでしょ。

 人間は、ぼくたちのことを、原始的な単細胞生物とかバクテリアとか細菌とよ
んでいて、ヨーグルト菌や納豆菌も、ぼくのなかまです。
 地球上のあらゆる場所にいて、人間のおなかにも、5,000種、3,800兆もいる
んですよ。ぼくたちからみたら、人間は少数民族ですね。あ、いいおくれました
けど、ぼくは大腸菌です。

 ぼくのべん毛モーターは、人間がおそれいるほどすごいので、ぼくは、じぶん
のことを王子さまといって、かってに自慢してるのですけど、おとなになったら、
王さまというつもりです。 
 でも、あまり、いばっていると、わーい、はだかの王さまだっていわれるかも
しれないので、こんど、パンツもタンパク質でつくろうかな。
 だけど、べん毛モーターのうえにパンツをはくと、わーい、パンパースだって
いわれないかなあ。





●~~~~~――――――――――――――――~~~~~―――――――――――――~~~~~ 
バクテリアは、べん(鞭)毛を鞭(ムチ)打つように回転させることで移動します。

①1973年、《べん毛を回転させて泳ぐ》バクテリアがいることが分かりました。
べん毛を回転させるモーターは、30から40 種類のタンパク質のパーツから成っ
ていて、そのどの一つが欠けても、べん毛モーターとしてまったく機能しません

②バクテリアが速く移動したいためにべん毛モーターを持とうとして進化したの
であれば、モーターが完成するまでの途中段階は、みなパーツが組み立て途中か、
もしくは完成したとしても全部揃っておらず、しかも働かないパーツを余分に持
っているわけですから、進化途中は泳ぐことができず、食料を探しに行けません

③進化論は、生物が長期間掛けて次第に変化したとする説で、長期間とは数千年
以上ですから、進化の途中段階は《適者生存》どころか、《不適者死亡》となり、
バクテリアは絶滅するはずです。べん毛モーターがもし《突然変異》で瞬時に出
来たの
なら生存可能ですが、そうならご都合主義による奇跡頼みの話になります。

④モーターが完成するには、各パーツがそれぞれの用途に適した設計がされ、各
パーツのすべてが一か所に集まり、正しい順序で組み立てられる必要があります。
こういったことが何も意志を持たない偶然の自然の力のみによって起こる確率は
宝くじの1等賞が連続して何十回も当たるようなもので、科学的にあり得ません

⑤パーツの組み立ては知的作業ですが、それは《本能》で自動的に行われている
と考えるのなら、それは何らかの指令信号が各パーツに先天的に組み込まれてい
て、すべての細胞がそれに従っているからです。つまり単に偶然による物理化学
的な要因でなく、他に《何らかの意志を持つ要因》が生物には働いているのです。

⑥ビックバンの名付け親フレッド・ホイル博士によると、最初の生命が生まれる
確率は10の4万乗分の1。10が4万回掛けられた数字です。それは「廃材置き場
の上を竜巻が通過したあとに、ボーイング747ジェット機が出来上がっているの
と同じような確率」
だそうです。つまり生命の自然発生も確率的にあり得ません

⑦しかし進化論は、証拠もないのに、生命は偶然に発生したと断定し、種の進化
や多様化もあったと主張しています。これはモノみな単純化して安定するという
《エントロピーの法則》とは変化方向が正反対で、自然界の法則に反しています
進化論では、べん毛モーターの驚嘆すべき造りはまったく説明できないでしょう。

べん毛モーターの事例の要点は、「漸進的進化論」なら進化の途中段階は生存不可能ということです。
「突然変異論」なら奇跡でない限りうまくいかない極めて特殊な例外であり、その確率は宝くじ1等
連続とボーイングジェット機の比喩のような、科学的にはあり得ない、神話のレベルということです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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まさに『小宇宙』

おお、虫の王子さまは大腸菌でしたかぁ❢

ミクロ、ナノミクロの世界で起きているシステムは『小宇宙』そのもの。
生理学を学んでいたとき、細胞に魅せられるあまり
当時はまだ高価だったNHK『人体』のテープを買って何度も見たものです。
核(遺伝子)、ミトコンドリア、リボゾーム、ゴルジ体など、
ひとつの細胞の中で繰り広げられる“命”を見つめていると、
正直、進化論なんて吹っ飛んでしまいます。

虫の王子さまのように、細胞のひとつひとつに意識がある。(笑)
この世界は、知れば知るほど神秘性が高まりますよね。
科学者などはとくに、人智を越えた“設計者の存在”に気づき、
ただ畏敬の念に圧倒されることでしょう。

ダーウィン、高性能の電子顕微鏡、あるいは量子顕微鏡を覗けたとしたら、
進化論をあっさり撤回するんじゃ? (^_-)-☆

2019/04/27(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

そういえばべん毛やせん毛というのを学校で学びますね。すっかり忘れていました。
こんなに超精密機械のようになっているのですね。
昔から和舟の1本櫓が不思議でした。なんで1本をこねくりまわして前進するのだろうと。
べん毛もそんなイメージを持っていましたがハイテクなのですね。
最近のF1はメルセデスが強すぎて面白くありませんからF1に出場してもらいたいです。
チーム名は、ずばりO-157でどうでしょう?
17,000rpmでぶっちぎれ!

愛新覚羅

2019/04/27(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: まさに『小宇宙』

風子さん コメントありがとうございます^^)

 べん毛の話なので、大腸菌にしないと他にオチが思いつかなかったのです。というより、これはすぐ思いついて頭から離れなかったのです。(笑) もっと上品なほうがよかったのですが。

 NHKのテープ『人体』を買ったとは相当のレベルですね。人体の造りには仕事のためもあったのでしょうが、元々そういう方面に関心があったのでしょうかね。

> 虫の王子さまのように、細胞のひとつひとつに意識がある。
 単細胞生物はそれ自体で生物として立派に成立していて、立派に生きているわけですから、細胞の一つ一つに意識があるのだというニールさんの話はよく納得できます。

 人間の細胞は37兆個あって、1秒に3個数えると不眠不休で数えても40万年かかるそうですが、そんなに膨大にある細胞が一人の人間として考えたり感じたり動いたりするのもすごいことです。そしてそんなに沢山ある細胞をうまくまとめているモノがあるからこそ人体として活動していられるわけで、そのまとめている“偉大な知恵”とはすごいものだと思います。

 しかも人間の細胞だって、筋肉の細胞もあれば神経や血管の細胞もあり、心臓と大腸の筋肉は違っているでしょうし、全部で細胞は270種ぐらいあるそうですから、それが卵子から始まってじつに絶妙に細胞分裂を繰り返してスーパーコンピュータを作れるほどの頭脳を持つ成人の人間になることを考えると、進化論の「漸進的進化」とか「突然変異」なんて考えがいかに安直で愚かしいものかを思わせられます。

 とはいえ、創造論を受け入れたくない学者は、そんな都合のいい仮説でも考えないと、創造論以外には生物の成り立ちは説明できないので、進化論とはやむを得ない苦肉の策なんでしょう。

2019/04/27(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 進化論は、元素が突然マクロ的に有機物に進化して、それが突然マクロ的に単細胞生物に進化して、それがまた突然マクロ的に複雑な生物に進化して、そのように魚類、両生類、爬虫類、鳥類、人間にと、突然変異・突然変異の繰り返しで進化したと唱える、奇跡頼みの仮説です。
 
 現在の進化論は突然変異論が主流なんですね。種の途中段階の化石が発見されていないためと、途中段階の生存しにくさ(突然変異は普通は奇形児を産むだけで、そうでないとしても進化の途中段階は中途半端な構造なので生存できない)を全然説明できないので、それゆえ生物は偶然にたまたま、あるいはウイルスで突然に変異したのだという奇跡や魔術のようなトンデモ説を唱えているのです。

 しかし、いわゆる知識人が進化論に言及した本を読んでいると、進化論は証明されたと思い込んでいる人が多いので驚きます。最近読んだベストセラーの本『ホモ・デウス(上)』も、進化論を受け入れず聖書を信じているような人間は頭が古くてどうしょうもないというように書いてありましたね。でもその作者の本は面白くて計4冊も買いましたが。

 私も「和舟の一本櫂」は今でも不思議です。左右に動かして直角方向の推力を得ようとするのですから、そして実際に左右に少し振れながら進んでいますから、かなり効率が悪そうに感じます。何年か前、葛飾の矢切の渡しに行って舟に乗ったとき、そう思いながら船頭さんの漕ぎ方を見たものです。

 F1のチーム名はO-157ですか。他の車が近寄ってこないで、接触事故は少なさそうです。(笑) しかしF1もそのうち、エンジンではなく電気モーターで走る時代になりますかね。そうなら車体の構造以外に技術差がなくなり、面白くなさそうです。

2019/04/27(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

才覚がにじみ出ていると言うか・・

いゃー、白犬の尻尾ですわ、何処から収集されてこられるのか、いつも斬新な切り口、小学生レベルよりちょいと上だと自負するおいらにも解りやすいお話、目から鱗が2、3枚落ちました。
勉強もこんな先生に教えて頂いていたら、きっと大学まで進学できたでしょうに、今更ながら残念でなりませぬ。

さいごのパンパースおち大好きです。

2019/04/27(土) |URL|ばく [edit]

Re: 才覚がにじみ出ていると言うか・・

ばくさん コメントありがとうございます^^)

 あらー、白犬の尻尾でしたか。ばくさんにおほめいただき、とてもうれしいです。パンパースおちも大好きですか。あはは、お互い、まだお世話にはならないで良かったですね。(笑)

 じつは最近『星の王子さま』の本を訳者違いで読んで、内藤 濯さんというフランス文学者が、このサン=テグジュペリの『Le Petit Prince』(直訳「小さな大公」)を初めて『星の王子さま』と訳したそうなんですが、その文体を真似したいと思っていたのです。文体といっても、ひらがなと漢字の混ぜ具合なんですが。
 それでバクテリアの記事を書こうと思ったときに、その文体で『虫の王子さま』として書いたわけなんですね。

 バクテリアの情報は公の研究機関が出している資料がいろいろあったので、調べるのが楽でした。幾つかのサイトから情報を得たので、URLは書かなかったのですが、どれも大体同じような内容で、もっと面白いことがいろいろ書いてありました。ただ、べん毛モーターを構成している蛋白質の数を30としているのや、40としているのがあったので、ブログでは両方載せておきました。

 このたび自分で話をまとめていて、あらためて思いましたね。「漸進的進化」や「突然変異」の仮説は、もう科学的におかしいレベルを通り越して、トンデモ説の領域であると。
 突然変異で別の新しい種が出来たとする考えは、地上にあるすべての種に当てはめなければ、今ある膨大な種の成立を説明できないのですが、その確率ほぼゼロで、これほどあやういというか、奇跡頼みの理論基盤(理論にもなっていませんが)の上に立つ仮説は、他の科学分野ではあり得るのだろうかと思いましたね。

2019/04/27(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

バクテリアのもつ高度な機能を考えるとき、段階的進化が虚しい
ものに見えてしまいます。
この銀河系にどれだけの文明の数があるのか? 
これを算出するのにドレイクの方程式を使ったりします。
たとえ大目に見て1億~100億が算出されても、最近出て
きたような生物の発生の確率からすれば消し飛んで無に近い
数字になってしまいますね。
なにしろ、生物が誕生する確率(バーソさんが繰り返して記事に
されています)は、猿が適当にタイプライターを打って、
シェイクスピアの戯曲が完成するくらいの確率とか
宝くじの1等が、100万年間毎週当たり続けるくらいの確率とか
言われています。
生物「進化」はあるにしてもその方向性やスピードに介在している
サムシング・グレートの存在を考えたりしてしまいます。
でもサムシング・グレートはアウシュビッツの虐殺や広島の原爆投下や
東日本の大震災の時はどこにいたんでしょう?
地球はサムシング・グレートにとってただ箱庭的に眺めるもの、あるいは
単なるシュミレーションなのでしょうか?

2019/04/27(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 ドレイクの方程式によれば、地球のような文明の星はこの銀河に2つか3つあるとされていますが、スピリチュアルでも、銀河系以外の星に地球よりも進んでいる文明が沢山あると言っています。確率的に考えれば、けっこうありそうですね。

> 生物が誕生する確率は、宝くじの1等が、100万年間毎週当たり続けるくらいの確率とか言われています。
 そうですか。私はべん毛モーターが偶然に組み上げられる確率ということで「宝くじの1等賞が連続して何十回も当たるようなもの」とアバウトな言い方をしましたが、生命発生の場合は「100万年間毎週当たり続ける」のですね。
 そんな、ほとんどゼロの確率のことが太古の昔にはあったのだと前提するのが進化論ですから、いかに進化論がとんでもない考えの上に成り立っているかがよく分かります。

> でもサムシング・グレートはアウシュビッツの虐殺や広島の原爆投下や東日本の大震災の時はどこにいたんでしょう? 地球はサムシング・グレートにとってただ箱庭的に眺めるもの、あるいは単なるシュミレーションなのでしょうか?

●ID説の場合の解釈についてですが、サムシング・グレートとは単に自然界に働いている「偉大な知性」のことです。
 一方、宗教の「神様」は、創造神であり人格神でもあり、人間に多大な関心を持っていて、時には個人に関与することもある霊的な存在とされていますが、サムシング・グレートはそれとは違うもので、ID説ではその解き明かしはしておらず、宗教とは別物のようです。

 サムシング・グレートと呼ばれる自然界に働いている「偉大な知性」は、創世の初めに地球が出来上がっていく際に働き、生命が発生する際にも働き、それが多様な生物になっていく際にも働き、その後の地球環境の保全などでも働いています。
 しかし地球が人間によって汚染されとか、破壊されたとか、人間社会に暴力や不正があるからといって、その「偉大な知性」が人間の道徳心を改善しようとか、邪悪な世を滅ぼして新秩序をもたらそうといったことはしません。
 ID説が言うサムシング・グレートは、そんな善悪や正邪の判断はしないのです。人間社会のことには関与せず、ただ、宇宙の仕組みがうまく働くように機能しているだけの知性のことですから。
 宇宙には偉大な知性が働いているのは誰しも否定できない事実です。でもそれを「神」と呼ぶと、宗教が教える「神様」と混同されるので、もしくは宗教やその神は信じてないので、サムシング・グレートという無人格的な呼び方をしているようです。

●宗教の場合の「神様」についてですが、聖書の場合を例にとると、この神様エホバ(ヤハゥエ)は愛と公正があることになっています。だから最初の人間が罪を犯した結果、エホバはその「公正さ」ゆえに人間が犯した罪の罰としてアダムに死を宣告しました。しかしエホバは「愛」の神でもあるゆえに、原罪の下にある全人類を救うべく、神の独り子イエスを人類の罪の身代わりとすべく刑柱上で犠牲の死を遂げさせたとキリスト教は教えています。

 しかし愛と公正の神なら、どうして人類社会の不正や虐殺や災害や原爆を放っておくのかという当然の疑問が生じます。

 その一つの答えは、神様は人間に「自由意思」を与え、地球上での人生を個々の人間にまかせているということです。人間にとって倫理的に自由であることほど大切な権利はありません。生きる権利もその一つ。思想の自由もその一つです。
 つまり人間社会がどうなろうと、それは人間が自由意思でそうしたのであり、神様には関係ないというわけです。自由意思を与えておきながら、いちいち神様が、あれをしてはいけないこれをしてはいけないと関与したら、人間は神のロボットに過ぎず、倫理的に自由な存在ではなくなりますから。とはいえ、人間が倫理的に正しく生きて幸福になるために、神は必要な経典や教訓者を与えたとも言われています。

 もう一つの答えは、神エホバが宇宙を治めるのが果たして正しいのかという論争が天であったとするものです。これは優秀なみ使いの一人(悪魔サタン)が神の支配権に対して異議を唱え、天界で宇宙の支配権論争が生じた。その解決には、神様と悪魔とどちらの支配が正しいか、実際に人類の世を支配させてみないと分からないので、神様は悪魔に人類の世を任せたとする解釈です。これはエホバの証人の主要な教理の一つですが、私はその説に異議を唱えており、その世界では割合知られています。 https://barso.blog.fc2.com/blog-entry-21.html

 いずれにせよ、人間の努力やサタンの支配がうまく行かないことが分かった歴史の最終時点で、聖書の神は行動を起こし、邪悪な悪魔サタンとその配下の悪霊たちと邪悪な人類社会を滅ぼす、というのが聖書巻末の書「黙示録」に出ているハルマゲドンの戦いです。その後、天界にいるイエスが地上を治める「千年王国」が実現すると言われています。
 ですから聖書の神は、現在の人間社会の問題点は放置しているが、神のご予定のときには悪を追放して善なる世をもたらすとされています。時々街角で「悔い改めよ、神の国は近づきたり」と叫んでいる人たちは、そのことを言っているのです。ただし「神の国」とは人の心の中に存在すると考えている教団もあります。

●精神世界の神の場合についてですが、この一つの考えでは、神とは「大いなる意識&叡智&エネルギー&生命&愛」のようなものです。その神は人間と会話することなんてありません。ニール・ドナルド・ウォルシュに『神との対話』の本を自動書記で書かせた神は、その神ではなく、守護霊とかハイヤーセルフと呼ばれる高次元の霊的存在です。ちなみに聖書に登場する神は、宇宙創造の神ではなく、すべて神を代表する天使です。聖書では、人間は、神と話していると思っていますが、じつは天使と話をしているのです。

 アインシュタインは、物質とはエネルギーと同じものだと喝破しましたが、神は自分のエネルギーを用いて物質を造りました。宇宙が始まる前は、神以外に材料はないので、神は自分(エネルギー)を取り分けて物質宇宙を造ったのです。

 なぜ物質を造ったのかと言えば、神は大いなる意識ですから、考えたり思うことはなんでも出来ますが、肉体がないので実体験が全然できません。甘いとか辛いという概念は分かるが、舌で味わったことはないので実感がわかないというようなものです。
 そこで肉体を持つ人間を自分の分身として造って、地球という二元性(暑さと寒さ、上と下、近いと遠い、喜びと悲しみ)のある環境に住まわせ、自分の代理体験をさせているわけです。「箱庭的に眺めている」というよりは、神の分身ですから、人間が感じたことはそのまま神も(なにしろ分身の親玉ですから)感じていると考えられます。人間イコール神ということです。

 そして人間もマクロに見ればみな一つの存在です。一人の人間の細胞が37兆個あってもその個の人間は一つであるように、地球人口の75億の人間も神の視点から見れば一つであるとも言えます。
 だから地上の人生に喜怒哀楽や波乱万丈や紆余曲折があるのは当たり前で、その中で人間はあれこれ考え、努力し、それを乗り越えて生きていくのが人間の(そして神の)人生の面白さであるとも言えるわけです。
 一切なにも波風がない人生は一見いいようでも、砂漠の一定地点で2000年も生きると言われる「ウェルウィッチ」のようなもので、ひねもすのたりのたりの単調な生活もじつに味気なさそうです。
 
 では大震災などで死んで不幸な人生を送る人はかわいそうじゃないかという疑問が出てきます。
 それは人生が1回限りならそうですが、人生は何百回もあるとされています。輪廻転生の教えについては胡散臭いと思う人が多いでしょうが、生まれ変わりとしか思えないような事例は意外に少なからずあるのです。
 そして不幸な生まれつきに見える人は、じつは霊性のレベルが高い人なのだとも言われています。レベルが高いので、より難しい人生を自分で選択して生まれてきているのです。

 なお、地球も生命体であり、それなりの意識を持っているので、人間により自分がひどく破壊されそうになった場合には悲鳴を上げ、自分が生きながらえるために自らの生命を守ろうとする、つまり人類を滅ぼすかもしれないとも言われています。
 
 モノをミクロで見れば、中心に核があって電子が回っていますが、マクロで見れば太陽系も同じような構造をしています。人間のサイズはちょうどその中間だと言われており、面白いものだと思います。

2019/04/27(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いつもありがとうございます

これは驚きました。
バクテリアのメカニズムはもちろんのこと、
バーソさんの創造論に結び付けていく十分な下調べと理性的な分析力と、
虫の王子さまのチャーミングさに、
ただただ感服いたしました^^

ぜひともいつか、
今回の記事を動画でご紹介させていただきたいです。

2019/04/27(土) |URL|友資 [edit]

Re: いつもありがとうございます

友資さん コメントありがとうございます^^)

 毎度、過分のおほめにあずかり、恐縮です。
 進化論はいまや正当な科学であるかのように思われています。長年の研究で実証されているとか、その物証もあるとか言われています。
 ところが今や進化論の主流的な考えである「突然変異論」は、それがあったとしないと種の新種への変化という大きな飛躍が成り立たないからでしょう。今これほど膨大な種が多様にあってみな適者生存であるのは、そうなるように突然変異があったからだ、という本末転倒の論理で成り立っているのですね。

 ところが創造論のほうは、まず偉大な知恵があって、それが万物を造ったと仮定するとすべてが矛盾なく、うまく説明できるのです。
 そして創造論には一見、物的証拠が皆無のようで、そうではないのです。目に見えないものを感じたり、そこから実際に常識では考えられないような驚くべき情報を得たというような不思議な事例が世界中にかなりあるのですね。
 臨死体験にしても、ベッドに寝ていて心臓が止まっているはずの人が距離のかなり離れたところの状況を目が覚めてから詳細に説明したりとか、そのような方法でこの世界には目に見えない霊の次元があるという証拠はかなりあるので、有神論者は、あながち信仰だけで盲目的に信じているわけではないのですね。むろん超常現象などにはインチキもあるので、よく確かめる必要はあるのですが。

 私がべん毛モーターで感心したのはエネルギー源です。食物を食べてそれを消化してエネルギーにしているのではないのですね。液体の中のイオン濃度の差を利用した、細胞膜を通る酸(水素イオン)の流れが生みだす天然エネルギーを使ったナノモーターなので、これは一種の永久機関のようです。

 モーターの回転子が回るためには、しっかり固定子が細胞壁に固定されてないと回れませんが、最近の研究では、固定子はずっと回転子周囲に固定されているわけではなく、回転中のモーターから外れたり、再び組み込まれたりして交換されることが明らかになってきたそうです。そして過去10年間の研究成果では、2種類のカチオン(陽イオン)を利用できるハイブリッドエンジンを持つモーターも発見されたそうですよ。これは40億年ぐらい大昔からあるのでしょうから、トヨタの先進技術よりすごいじゃないですかね。
 こういうすごい超テクノロジーを見ると、サムシング・グレートの存在をよく感じます。もっとはっきり言えば、創造者である神の存在を感じます。

 なんでも自由に使っていただいてけっこうですが、一応ご自分で確かめて、納得してからにしてくださいね。

2019/04/27(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

確かに進化論は「適者生存」…自然淘汰の結果、強者だけが生き残り弱者は滅びるのが論理です。
しかし、それなら多細胞生物に進化した優生種だけが生き残り、幾らべん毛を持っててもバクテリアは滅んでいるはずです。
ところが、現実には地球上の全バクテリアの数量を合わせると、他の多細胞種の数十兆倍になると言われる位栄えています。
そこから導き出されるのは、進化の頂点に立つ優生種なる者は、現在の地球環境に尤も特化した種にすぎないと言う事です。
むしろ特定の環境に特化せず、あらゆる環境で生きられる様に適応していった進化論で言う弱者こそが覇者なのではないか?
言うなれば、余りにも今の地球環境に特化しすぎたホモサピエンスは、今は覇者であっても将来的には滅びる可能性が高い。
弱者はどんな環境にも適応して栄えるが、特定の環境下でしか生きられない様に特化した恐竜や人間などの強者は環境が変われば滅びます。
「弱者隆盛、強者必滅」が真実…現に人間世界でも千年どころか五百年繁栄した帝国はなく、時の流れの中で全て滅びました。

2019/04/28(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 生物の種類は、これまで記録された数だけでも百数十万種に上り、そのうち動物は100万種以上、植物(菌類・藻類含む)は50万種ほど。未知の生物種は1千万とも1億とも言われているそうです。

 進化論はよく「適者生存」と言うのですが、現存する膨大な生物の種類を見ると、また何万年前から進化せずに存在していると言われる生きた化石「シーラカンス」などを見ると、この世界は生存競争が厳しい弱肉強食ではあるものの、弱者のように見える単純な生物種や力の弱い生物種も非常に数が多くいるわけですから、バクテリアからヒトに至るまでこれほど膨大な種があるということは、《すべての種が適者生存である》と結論できそうです。

 むろん絶滅種もいます。巨大な恐竜や翼竜など一部の生物がは死滅したのは「適者」ではなかったからではなく、彗星の衝突や世界的な大洪水による地球環境の突然大変化があったせいだと言われています。いまは生物の種類がどんどん減っているようですが、その原因は適者ではないせいではなく、人間の貪欲と無知のせいです。

 とすると、どんな生物でもみな地球環境に適して十分生きていけるのですから、偶然に生じる「進化」という力が、これほど多様複雑かつ膨大に生物の種を増やさなくてもいいはずです。なのに、なぜこんなに増えたのか、もしくははこんなに膨大にあるのか。それは、何かの知性が自然界の生物に働いていて、それが意図的に膨大に種を増やすようにした、もしくは最初から膨大にあるようにさせたと考えたほうが理にかなっているように思えます。

 進化論では《ヒトは進化の頂点に立つ》と考えるのですが、そう考えなくても、最初からヒトは頂点にいた、そのように造られたとも考えられます。そうであれば、「地球の環境に特化し過ぎた」というよりは、地球の環境にヒトも適した構造をしているに過ぎないとも言えます。
 ただ、ヒトの場合は知性の点で他の生物とは一線を画しており、それがヒトを生物の中でいわば頂点にいさせているのでしょう。
 宇宙は強大なエネルギーである星の集合体で、人間なんか地球の大気温度を10度でも上げれば生存は極めて困難になりますが、その宇宙でも「考える」という点においては人間にだいぶ劣るとジイドが言っています。

 地球環境が変われば人間も生きられなくなる、というのは確かでしょう。京都議定書から北アメリカ大陸の大国が抜け、中国やアフリカ大陸、南アメリカ大陸、中東などが数値目標を持っていない現在、環境問題を放っておけば地球と人類はどうなるか分かりません。

 500年繁栄した帝国はないですか。神聖ローマ帝国はもう少し長く、850年ぐらい続いたようですが、しかし確かに繁栄した期間は短く、驕れるもの久しからずで、栄枯盛衰は世の流れです。
 しかしそれは人間が滅んだ訳ではなく、単に時の時の支配者、または国家がなくなっただけです。それどころか、世界は100年前よりは確実に生活レベルがみな向上しています。アフリカの奥地に住む民族でもスマホを使っていますから。
 特に19世紀からは人間は世界で急激な人口拡大を続けており、2055年には100億になるとか言われています。これから人口が増え過ぎれば、逆に、食料不足などで文明が破壊のほうに向かうかもしれません。

 人口問題にしろ、飢饉の問題にしろ、すべては発展途上国が主要な問題源です。知性というのは本来、人種による優劣は基本的にないでしょうから、まあ、持っている知性をどう使うか、どう知性を磨くべく教育するかで、人間の価値と人類の将来は決まってきそうです。
 金儲けこそ、経済活性こそが人間を幸福にするのだという「カネ信仰」を修正もしくは除去しないと、ますます貧富の格差は拡がっていきそうですね。

2019/04/28(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ありがとうございます♪

仰ってくださったとおりですね。
自分でもよく事実確認をしてみて、
自分の中によく落とし込んだ際に、
バーソさんのように創造論と進化論についてのお話をしてみたいと思います^^


>臨死体験にしても、ベッドに寝ていて心臓が止まっているはずの人が距離のかなり離れたところの状況を目が覚めてから詳細に説明したりとか、そのような方法でこの世界には目に見えない霊の次元があるという証拠はかなりあるので、有神論じゃは、あながち信仰だけで盲目的に信じているわけではないのですね。


ぼくが過去に読んだサイエンスライターの本に、
脳のある特定の部位に電極を繋いで電気を流すと、
様々な感情を引き起こせるだけでなく、
体外離脱と同じ現象が現れたという実験実証例がありました。
30人くらいいて30人とも同じ症状が出たというゆるぎない実証結果の実験ではなかった気がしますが(2、3人だったでしょうか)、
仮にそのことが普遍的真実なら、
様々な神秘体験もまた脳内現象という結論に至りそうなのですが、
僭越ながらここからはあくまで個人的な見解で、推論です。

個人的な感触としては「脳内現象」というよりも、
「脳」はあくまで受信機のようなもので、
もっと言えばスマートフォンのようなもので、
自動アップデートをくりかえし、
「脳」というまったく同じ形のものがない人それぞれの鋳型が、
おのおのオリジナルの宇宙を見せているようにぼくは考えています。
人の数だけ宇宙があり、それがすべて重なった状態と言えばよいでしょうか(あまり好きな例えではないのですが、オンラインゲームや映画マトリックスを彷彿とさせますね)。
なので、霊的体験をする脳と、
そうならない脳とで分類されることになります。
ある人には見えるもの体験できるものが、
ある人にはまったく見えないし体験できないということが起こるわけです。

この世の形あるものや空間までもが、
究極的には同じ量子で構成され境界がなく、
なおかつ「時間」すらもが幻想であるとなると、
予言や予知の類や、
体外離脱でなければ説明できないような場面を目撃することも、
ありえる話だよなということを思います。

なぜなら「時間」や「空間」を創造できるということは、
「時間」や「空間」がない状態も、
偉大な知恵者は内包しているということで、
たとえばドミノ倒しの牌が倒れて進んでいる進行形の状態が時間であり、
森羅万象の縁起的流動であるなら、
牌をどう並べてどういうギミックや体験を宇宙や人間に仕掛けようかという、
牌が倒れ始める前の状態(過去も未来も)を、
創造者は設計できると思うわけです。

過去に「霊的ファンタジー体験」という動画をアップしたのですが、
その根拠にしたものは上記のような考察からでした。
説明になってるようななっていないような説明で申し訳ありません。
違和感を覚えるところなどありましたら、
ぜひともご指摘よろしくお願いいたします。



>私がべん毛モーターで感心したのはエネルギー源です。食物を食べてそれを消化してエネルギーにしているのではないのですね。液体の中のイオン濃度の差を利用した、細胞膜を通る酸(水素イオン)の流れが生みだす天然エネルギーを使ったナノモーターなので、これは一種の永久機関のようです。

ミクロの世界では、
とっくにフリーエネルギーが実現しているというわけですね。



>モーターの回転子が回るためには、しっかり固定子が細胞壁に固定されてないと回れませんが、最近の研究では、固定子はずっと回転子周囲に固定されているわけではなく、回転中のモーターから外れたり、再び組み込まれたりして交換されることが明らかになってきたそうです。そして過去10年間の研究成果では、2種類のカチオン(陽イオン)を利用できるハイブリッドエンジンを持つモーターも発見されたそうですよ。


サムシンググレートを感じますね。
多細胞生物となって高度な知性を持つようになった、
その偉大さを唯一理解できる存在、「人間」に対し、
「オレに追いつこうなんざ100億年はやいぜ」
と創造主が見せつけたいかのようです笑



長文失礼いたしました。
必ずしも返信していただかなくても大丈夫です^^

2019/04/28(日) |URL|友資 [edit]

Re: ありがとうございます♪

友資さん コメントありがとうございます^^)

 いやあ、友資さんは真面目な人だとあらためて思いました。私と似ています。(笑)

> 脳のある特定の部位に電極を繋いで電気を流すと、様々な感情を引き起こせるだけでなく、体外離脱と同じ現象が現れたという実験実証例がありました。
 これは推論の仕方が逆なんじゃないでしょうか。様々な感情を起こすと脳のある特定の部位に電流が流れるように人体の仕組みがなっているのであり、脳は実際の物理的な事象だけではなく、体外離脱のような霊的な現象の場合も、それを脳内の微弱な電流として感じ取れる感度と構造を持っているということじゃないですかね。
 脳の中には10兆ないし100兆のシナプスがあり、その電気的なインパルスが流れる仕組みは驚くほどコンピュータの中枢回路と似ているそうですから。もし実験者がオーラやテレパシーを感じ取れるような霊的感度の高い人ばかりだったら、その確率は1割じゃなく、10割になったのじゃないでしょうか。

 「心」はどこにあるのか。それは脳にあるという仮説が現在の主流ですが、むろん実証されてはいません。私は「脳」はいろいろな情報を扱う集積回路とメモリー回路で構成されたコンピュータのようなものであり、様々な感情に関係のある「心」を司るところでは無いと思っています。しかし人がなにかしたり感じたりすると、人には意識や(良)心があるので脳で自分のしたことを振り返って反省したり分析したりします。その際、脳のある部位に、その感情に関係する特定の波長の微弱な電流が流れるということじゃないでしょうか。「脳はスマートフォンのようなもの」という比喩は、なるほどと思いました。

 人間の心(意識)により脳は揺れ動いている。「脳は受信機である」と考えている人は少なからずいるようですね。
 たとえば議論が白熱している会議室に入った瞬間、ある種の熱気や緊迫感というような「気」もしくは「波動」を感じることがありますが、それは脳が受信機だからかもしれません。人間の場合のデータバンクは、コンピュータのクラウドのようにアカシックレコードだと考える人もいます。だから覚者とか天才と呼ばれるような人は、天界の叡智を受信する能力が高いのかもしれません。著名な音楽家が3歳の時から天才ぶりを発揮したとか、突如インスピレーションが湧いたなんて話を聞くと、そう思えます。

> おのおのオリジナルの宇宙を見せているようにぼくは考えています。
人の数だけ宇宙があり、

 人が寝ている間は、その人の周りにあるベッドや机や壁や窓などの事象は消滅しており、その人が目を覚ますと、また寝る前の状態に戻っていると言われますから、映画『マトリックス』や『胡蝶の夢』はまさにそのことを言っているようです。
 中世に白人の帆船が、西洋文明を全然知らない南洋の島に着いたら、その島の人々はその帆船が見えなかったという話があります。自分が知らないものや自分の概念にないものは、人間には見えないようです。宇宙人のUFOも、信じない者には見えないのと同じですね。創造論も、信じない人には全然受け入れがたいのと似ています。

 物質は原子の集まりであり、原子はエネルギーが姿を変えたものであること、そしてその電子の位置は不確定であり、人間の観察に影響を受けるといったようなことが科学的に分かってきてから、霊的な世界と物質的な世界の類似性が科学的にだんだん解き明かされてきたようです。時間や空間はこの二元性のある世界にだけ存在するものでしょうから、物質(肉体)のない霊的次元の世界では、「永遠の今」があるというのは納得できることです。

 『霊的ファンタジー体験』は、ヘビが気持ち悪かったのですが、また見てみたので、その感想を書きますね。
 まず、「不幸な人生に遭っているのは、自分が生まれる前に不幸を選択したからか」という疑問ですが、私は、その通りだろう思います。人(魂)が輪廻転生を何百回も繰り返しているのであれば、トレンディドラマや平凡なファミリードラマや面白い喜劇もいいが、今度はスリルとサスペンスの冒険劇もいい、悲劇の主人公もやってみたいと思うのじゃないでしょうか。渥美清は寅さん役に長年固定されたのが嫌だったそうです。だから輪廻転生では、人が自分で不幸な人生を選択することはあり得ます。霊的なレベルの高い人がそうしていると言われています。

 「この世においてはすべての人にとっていつ何時も万能な法則はない」という点についてですが、人は、まずい選択をすれば失敗を経験します。これは原因と結果の法則です。しかし、いい選択だと思ったら、不意に事情が変わって悲惨な目に遭うこともあります。個々の人の人生には、運命論とは正反対の「偶然」が関係しているように思えることも時々あります。

 しかしそれは、人は《大まかに》自分の人生を決めて生まれてくるのですが、《こまかな点》は、自由意思により、その時々の自由選択で決まってくると考えます。その際には「偶然性」という不確定性原理が働くようになっており、創造者は人生ゲームの面白さを増強するために、人生の時々で一種のトリックを設けた。だから「人間万事、塞翁が馬」の話のように人生経験は、その時々で大きく揺れ動いているのだろうと思います。ゲームで言えば、みな最終的にはゴールに達するのですが、そこに達する途中経過は、自分の選択如何により、また偶然性という設定された仕掛けにより、ルートや障害が自分の予想とは異なってくるのでしょう。

 ですから「すべてはあなたの自己責任です」というのは、スピリチュアルの模範解答として「究極的な答え」を述べているだけのことなんですが、それを現実に何かの不幸に遭った人に言ったら、時と場所をわきまえない非常識な行為であり、優しさや同情心が欠けていることになります。なので「利己的発言」と言ってもいいかもしれないですが、むしろ相手に感情移入ができていない「無神経的発言」のように思いますね。

 生前のことは誰も知らないというのは、その通りです。ただ、それを受け入れるか受け入れないかの違いは、その人の嗜好や人生背景による場合がかなりありそうです。
 私の場合には、その話に合理性があるかどうかを考え、目からウロコが落ちるほどであったり、うん、そうだなと深く腑に落ちるようなことがあれば、それは思考で納得し、心で共感したわけですから、あとは素直に受け入れるほうです。
 そういう意味で、創造論を信じるのは信仰だという言い方をしていますが、じつは証拠は進化論より創造論のほうがだいぶ優っていると思っています。創造論は誤りだと嫌うことはできても、その証明は誰もできませんが、進化論の漸進的進化と突然変化は、その確率は宝くじが連続何百回も当たるようなもので奇跡頼みの神話のようなものだからおかしいと科学的に言えますから。

 世間や科学で言われていることがすべて正しいわけではないので、自分なりでいいですから、なんでも確かめたほうがいいでしょう。なので前回の返コメでは最後に、「一応ご自分で確かめて、納得してからにしてください」と付け加えました。

2019/04/29(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/04/29(月) || [edit]

いえいえ

真面目だなんて滅相もございません。
確かに真面目なところもあり、
多くの人はぼくをそう見るのですが、
真面目になりきれないところがあるといいますか、
無責任といいますか、
驚くほどいい加減なところがあったりもします泣



>脳の中には10兆ないし100兆のシナプスがあり、その電気的なインパルスが流れる仕組みは驚くほどコンピュータの中枢回路と似ているそうですから。もし実験者がオーラやテレパシーを感じ取れるような霊的感度の高い人ばかりだったら、その確率は1割じゃなく、10割になったのじゃないでしょうか。

改めてこの文献を確認してみます。
ぼくの記憶が確かなら、
霊的感度とは無縁の被験者だった覚えがあります。

それと、
これまたうろ覚えで申し訳ないのですが、
たとえば「怖い」という感情は、
「怖い」という感情があって体が硬直するのではなく、
体の硬直が先にあって、そのあとに「怖い」という感情が起きていることが、
最先端の科学でわかってきているという記述を目にしたことがあります。
この体の硬直を起こしているものが脳だとしたら、
感情が起こると特定の部位に電流が流れるそのプロセスは復路的なプロセスで、
なんらかの往路的プロセスが存在するのかもしれませんね。
いずれにしてももう一度この辺のことをしっかり確認し、
いずれ動画にしていきたいと思います。
創造論のお話と同じくらいに、
こんなにも面白い題材はないですよね^^


>人間の場合のデータバンクは、コンピュータのクラウドのようにアカシックレコードだと考える人もいます。だから覚者とか天才と呼ばれるような人は、天界の叡智を受信する能力が高いのかもしれません。著名な音楽家が3歳の時から天才ぶりを発揮したとか、突如インスピレーションが湧いたなんて話を聞くと、そう思えます。

このことはぼくも近いことを思います。
リミッターのようなものが外れた状態で、
誕生される方がいるのかもしれませんね。
あるいは後天的に外れる方もいますよね。


>自分が知らないものや自分の概念にないものは、人間には見えないようです。宇宙人のUFOも、信じない者には見えないのと同じですね。創造論も、信じない人には全然受け入れがたいのと似ています。

まったく同感です。



>ヘビが気持ち悪かったのですが、

これは大変に失礼いたしました笑

輪廻転生や運命については、
様々な捉え方、考え方がありますね。
個人的には「個」としてではなく、
「全」としての転生があるのみと考えておりますが、
あくまでぼく個人の考えです。

ぼくはあるとき世界に必然をしか見ることができない体になってしまったのですが、
ひょっとするとそういう体験をしたくて選択し、
生まれてきた、
ということなのかもしれませんね。



>ゲームで言えば、みな最終的にはゴールに達するのですが、そこに達する途中経過は、自分の選択如何により、また偶然性という設定された仕掛けにより、ルートや障害が自分の予想とは異なってくるのでしょう。

必然とも偶然とも、
多様に捉えようがあるこの世界は奥行きが深いし、
懐が深い世界ですね。



>ですから「すべてはあなたの自己責任です」というのは、スピリチュアルの模範解答として「究極的な答え」を述べているだけのことなんですが、それを現実に何かの不幸に遭った人に言ったら、時と場所をわきまえない非常識な行為であり、優しさや同情心が欠けていることになります。なので「利己的発言」と言ってもいいかもしれないですが、むしろ相手に感情移入ができていない「無神経的発言」のように思いますね。

このことはもう、
そっくりそのまままったくの同意見です。



毎度のことながら、
とても懇切丁寧な回答をしてくださり、
本当にありがとうございます。

2019/04/30(火) |URL|友資 [edit]

Re: いえいえ

友資さん コメントありがとうございます^^)

 多くの人から真面目に見られるというのはいいですね。私はちょっと遊び人に見られることがあります。たぶん髪型と服装のせいです。嗜好も偏っていて濃い珈琲しか飲まないだろう、食べ物の好き嫌いが多いだろうなどと言われますが、私は珈琲でも紅茶でも安茶でも全然かまわないし、猿の脳みそなどゲテもの以外なら何でも大丈夫です。考え方にしても、自分と反する主義主張や特定の国民を激しく嫌悪するような偏向思考だと、身を引きたくなりますが、それ以外なら何でも大丈夫です。
 
> 体の硬直が先にあって、そのあとに「怖い」という感情が起きていることが、最先端の科学でわかってきている
 これはいささか不思議に思えますね。「怖い」という感情が起きるのには2つ原因があると思っています。1つは過去に自分が同様のことを経験したから怖いと思う。もう1つはひとや書物からそれは怖いことだと聞いていたゆえにそう感じる。つまり《こういうケースは怖い》と思うのだという情報が自分の脳内に蓄えられているので、実際に現物を見たときに怖いという感情が生じ、体も連動して震えたり硬直するのじゃないですかね。その証拠に、パブロフの犬の条件反射の話や、人を見たことがない南極のペンギンは平気で人に近づいてくるという話があります。あるいは野生の動物などでは、そういう情報と感情がもう遺伝的に備わっているように見える場合もありますが。
 
 人生の粗筋はおおまかに決まっているが、詳細は自分の自由選択によって歩む道筋が変わってくる。そのとき不確定性原理のような偶然性が加味しているのだろうと先回書きましたが、その偶然性とは人間にはそのように見えるだけで、じつはそういうことも大きな目で見れば、あらかじめ設定されたものかもしれないですね。人は自分一人で生きているわけではなく、大勢の人との関わりの中、創造者の配慮の下で生きているわけですから。
 キリスト教の一派では「予定説」といって、神の救いにあずかるものと救われない者がすでに定まっている、救いは神からの一方的な恩寵であると考える教団がありますが、それでは人間の側の真摯な努力は意味がなくなるのと、創造者から倫理的な選択の自由を与えられた意味がなくなるようにも思います。
 
> 個人的には「個」としてではなく、
「全」としての転生があるのみと考えております
 
 スピリチュアルでは、じつは人間は一つであると言われます。聖書でもイエスが「私と父(神)は一つである」と言っていますし、使徒パウロも「あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」と述べています。地球上に何十億もいる人間も神から見たら一つの魂からの分身でしょうから、一つであるとも言えそうです。それが個々の人間に分かれているように見えるだけかもしれません。なんにせよ、私たちにはもっと大きな視点が必要のようですね。

2019/04/30(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バクテリアのべん毛モーターができたのは奇跡か否か

記憶が定かでないものの、次の言葉を誰かが言っていたように思うのですが、小生は、これは間違いないこととして捉えています。
「自然科学の辞書に“奇跡”という言葉はない。“奇跡”という言葉があるのは神学の辞書だ。」
よって、バクテリアのべん毛モーターができたのも、地球上の生命が誕生したのも、自然科学でもって、いずれや(遠い将来のことでしょうが)説明されるものと、小生は期待しています。
申し訳ありませんが、小生には神の存在が信じられませんゆえ。

生命誕生の確率は「フレッド・ホイル博士によると、最初の生命が生まれる確率は10の4万乗分の1」とのことで、これは“奇跡”の範疇に入る出来事ですが、小生思うに「生命は誕生するべくして誕生した」であって、これは決して奇跡的なことではないと捉えています。
千島学説には生命の自然発生が言及されていますし、川田薫氏に至っては生命体自然発生実験に成功しておられますからね。もっとも川田薫氏の実験では、各種アミノ酸の自然発生実験に成功した後、リゾチーム(分子量14,307の酵素)を混入しての実験につき、リゾチームの自然発生が証明されないことには、生命体自然発生実験の本当の成功とは言えません。
なお、川田薫氏はスピリチュアルの世界まで踏み込んで、これを自然科学的に解明しようとしておられますから、千島喜久男氏と同様に異端児扱いされ、学界では無視された存在です。

さて、アインシュタインは「いかなる理論も、無限小の真理しかつかんでいない。」と言っています。驚くほどに自然科学が大発展した現代ですが、自然界の諸現象について、我々が知り得た事柄は、いまだ無限小なのも事実でしょう。よって、生命誕生の解明も、今の人類が存在している間に可能なものとなるかどうか、残念ながら随分と怪しくなってきます。
生命の神秘、これはあまりにも奥が深すぎますからね。
バクテリアのべん毛モーターの解説、これ一つをもってしてもとても神秘的。こうした記事は小生のお気に入りです。今回も有り難うございました。

2019/04/30(火) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: バクテリアのべん毛モーターができたのは奇跡か否か

薬屋のおやじ さん コメントありがとうございます^^)

> バクテリアのべん毛モーターができたのも、地球上の生命が誕生したのも、自然科学でもって、いずれや(遠い将来のことでしょうが)説明されるものと、小生は期待しています。
 あ、この意欲と考え方はいいですね。そういう姿勢が科学を進歩させていきます。中世のローマ教会のように、万物はすべて神が造ったと決め付け、実証された科学を否定しているだけなら、宇宙の仕組みは解明されることはありませんから。

 私は有神論の理屈と科学の理屈は本当は合致しなければおかしいと思っています。なぜなら神が万物を創造したのなら、神が造った法則はまったく科学的であるはずだからです。
 科学的な論理と合致しない有神論の考え方はおかしいので、そのうち科学と霊(心)の考え方、そして見える世界と見えない世界を統御する統一原理が確定されていくのではないでしょうか。最近の量子論を見ていると、かなりというか少しずつ解明されてきているように思えます。

> 生思うに「生命は誕生するべくして誕生した」であって、これは決して奇跡的なことではないと捉えています。
 ここも興味深い点ですね。「誕生するべくして誕生した」とは、生命が偶然にたまたま発生したのではなく、発生するようになっていた、その必然性があったと言われているようですから。では、なんで誕生したのか。人間は何のために地球に生まれてきて、何のために生きるべきかのかという疑問に導かれますから。

 私が進化論で「奇跡」という言葉を使ったのは、生命の発生と漸進的進化説と突然変異説を科学的に見れば、それこそ宝くじ一等賞が連続して何十回も当たったというほどの稀有な確率なので、それは奇跡と言うしかない、つまり科学的に考えればあり得ないと言ったに過ぎません。奇跡とはあり得ないことと同義語です。

 私は若い頃はこういう科学系の話が大好きだったのですが、有神論者になってからは忙しかったせいもあり、あまりその種の本を読まなくなりました。なのでまったく素人のようなものですから、何か気が付いた点があればなんなりと率直に指摘するか、もしくは、できれば教授してくだされば助かります。

2019/04/30(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/05/01(水) || [edit]

有神論の理屈と科学の理屈の合致

「有神論の理屈と科学の理屈は本当は合致しなければおかしい」、これには驚きました。よくよく考えてみるに、バーソさんのおっしゃるとおり、ですね。
“あれも奇跡で起こった。これも奇跡で出来た。それもまた。”なんておっしゃる神様は気まぐれもいいとこ。“遊んでんじゃあねえぞ”と怒りたくなります。まあ、たまの息抜きで1つや2つあってもいいでしょうが、それは人間の場合であって、神様ともなると、お遊びはあってはならないことになりましょう。

理路整然と何もかもが起こり、生命体も誕生し、生物は進化(進化するとともに退化し、つまり変異変遷)してきた、こうでなければおかしい。小生にはそう思われます。
突然変異を基調とする今の進化論は、バーソさんがおっしゃるとおり(「奇跡とはあり得ないことと同義語です」)でして、奇跡の積み重ねで全てを説明しようとしているのですから、自然科学どころか神学でも相手にしてもらえない、戯れ学と言っていいでしょう。
自然科学の学問の世界には、こうした類のものが多すぎて、辟易させられます。

ところで、バーソさんの疑問「人間は何のために地球に生まれてきて、何のために生きるべきなのか」については、小生は根本的に違う考え方をしています。
「何のために」つまり目的を持つ、この目的論で語れないのが動物の生きざまです。たしかに動物にも目的らしく見える行動もありますが、それは獲物を得ようとしたり、敵から逃げようとしたり、オスがメスを獲得しようとする場合ですが、これは、単にその日その日を生きていくためだけのことです。多少とも目的らしきものを持って、あれこれ画策することがあるのが、チンパンジーがボスの座を射とめんとする行動。霊長類生態学の本を幾冊か読んで、そのように思います。
また、文明と隔絶された狩猟採集民の調査記録を見てみても、彼らには生きるべき目的なんて何もないような生活をしているように見受けられます。
現代人は、「目的を持って生きねばならない」ように仕向けられている、と言っていいのではないでしょうか。それはいつからか。人類が文明というものを作ったときからだろう、小生はそう捉えています。そして、人類は文明社会に放り込まれたときから苦難が始まり、もがき苦しみ、宗教や思想が誕生したのでしょう。でも、文明社会はどんどん高度化し、それに既存の宗教や思想も着いていけなくなり、新たな宗教や思想が生まれ出てくる、その繰り返しが、今日まで続いているのでしょう。とても追いつけそうにありませんが。

小生も興味を持っている「科学と霊(心)の考え方、そして見える世界と見えない世界を統御する統一原理」ですが、量子論の中に答はないと思うのですがヒントはあるのではないか、と期待しています。
相対性理論はマクロの世界の力学、量子論はミクロの世界の力学と捉えるしかなく、霊(心)の世界はマクロの世界に属し、力学とは異なる物理学の範疇に属するものと思われるからです。
霊(心)の世界を解く鍵も、生命記憶(生命体誕生から現在まで何十億年もの間の記憶が生物には備わっていると考えるしかない)を解く鍵も、同じではなかろうか。それの一番の候補は水。水は摩訶不思議な行動をしますからね。彼ら(水をあえてそう呼びたい)には霊が備わっているのではないか、水はそう思わせられる挙動をしますから。
そんな思いを最初にさせられたのが次の本です。
江本勝著「水からの伝言vol.4 水はことばの鏡」(2008年)

2019/05/01(水) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: 有神論の理屈と科学の理屈の合致

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)
 
 おお、また長文コメント。疲れませんか。大丈夫ですか。(^^)
 昔、映画『十戒』や『天地創造』で、紅海が分けられるシーンや大洪水に方舟が翻弄されるシーンが《特撮》で再現されていました。奇跡は神だけが成し得る特技ですが、サイババの遠距離での物質化例などがある通り、人間でも奇跡的なことができる人はけっこういるようです。
 超常現象や予知能力はみなインチキだと決め付ける人もいますが、ただ、世の中には科学では説明しがたい現象が多々あることは事実で、私は、虚偽も沢山あるが、中には真実もあるだろうと思っています。

 科学的には考えられない現象を「奇跡」と言いますが、単なる元素が結合して生命体になり、意識も持つという《生命の誕生》もまったく奇跡的なことで、それこそ創造者だけが成し得ることだろうだと思っています。
 たまたま運よく偶然でそうなったという仮説は、科学的かつ確率的にあり得ず、進化の中間状態の化石がないというのが致命傷のように思えますね。

 よく、モノを「生物」「無生物」と分けますが、ミクロで見れば「無生物」も動いています。原子核を中心に電子が回っている仕組みは「生物」となんら変わりがないはずです。ただ、動いているといっても、無生物の動きは相当に悠長です。どうものんびりと太公望のように、あるいは定位置から移動しないことに決めている座禅者のように、動かないことに決めているのが無生物であって、あとは時間経過とともにエントロピーの法則にのっとって大岩→石→砂→元素と、ゆっくりと崩壊していくだけになっているようです。
 一方、「生物」のほうは自分で移動できるようになっている点が、無生物とは異なっているようです。
  そう考えれば、生物も無生物も動くか動かないかの違いはあれ、両者とも《生きている》のです。生きている点では変わりはないのです。電子顕微鏡で見れば、それが分かります。
 万物で死んでいるものは一つもありません。人間にはそう見えるだけです。
 そして生きているなら、モノはすべて、それなりの意識を持っているはずです。

 そう考えると人間も死んだとしてもどこかで生きているはずだ、つまり人間には見えない世界がどこかの次元にあって、死んだ後も生命と意識を持っているはずだと思えてきませんか。それは人間の五感では感知できませんが、内部の骨が見えるレントゲン撮影のように、もっと違う波長が見える電子カメラがあれば、その世界も見えるようになると考えられます。
 
 何のために生きているか。
 動物と人間はまったく違うと思っています。まず、人間は知性の点で断トツの高いレベルにあります。人間以下と人間の差は超えることはできません。そして動物は自分と種の存続のために「本能」というデフォルトの知恵を基本として。その時々のその動物なりの知恵で生きていますが、人間は種の存続のために生きているというよりも、自分がどう生きたらいいかと考えて生きています。
 さらに人間は良心とか正義感、倫理観、使命感、信念、主義主張、思想、理念などの他に、使いきれないほど金を欲しがる貪欲の精神やひとをいたぶって喜ぶという残虐性も持っています。なので、人間と動物の違いはかなり多くあり、人生をいかに有効に生きるべきかを《考える》という点が最大に違うようです。
 はっきり言えば、人は《好きな事をしたいから生きている》のではないでしょうか。個々の人間に自由意思があるというのは、自分のしたいことをするためにあるのですから。
 好きな事とは、楽しく感じる事、有意義だと思える事、安寧に生きる事などの他に、スポーツや学問や政治の世界でトップになるというのもあり、それは人によって違うでしょう。
 ですが、もっと他にやるべき必然性のある何かがあるのではないかと深く思う人が、ゴーギャンのように「人はなぜ生まれ、どのように生き、死んだらどうなるのか」と考え、その答えを知りたいと切に願うのではないでしょうか。
 そう思わない人は、思わないでも別にいいのですが、考えて考えても分からず、でもどうしても知りたいと思う人が、先人の知恵を探ろうとして宗教や書物をいろいろ調べるのでしょう。
 宗教や覚者の本を嫌う人は、それらには不正や虚偽や胡散臭いこともあるのですが、しかしそういう目に見えないものを知りたいと思う感覚が薄いので(関心がないので)分からないのだろうと思いますね。
 
 なので「現代人は『目的を持って生きねばならない』ように仕向けられている」というよりは、「目的を持って生きたい、目的を知りたい」と思うのが人間の本来であると私は思っています。自分探しに出かけていく若者はそれを知りたいと思っているのでしょう。
 そもそも、そう思うように人間の精神はなっているのだが、日々の忙しさに追われ、夜の星空もネオンで見えなくなっている人間は、テレビやネットをぼーっと見ているうちに、そうした霊的なことを考えることを忘れてしまっているのだろうと思っています。
 生活に追われていると、あるいは生活に満足していると、「大切なことは目に見えない」ことに気付かない人が増えていきそうです。

 無生物にも生物にも「意識」がある証拠はかなりありますね。
 江本勝さんの水の写真もそうで、無生物だって人間の意識を感知するようです。植物でも花でも名曲を聴かせると発育がいいという話もよく聞きます。スコットランドの不毛の地フィンドホーンで非常に発育のいい野菜が採れている話も知られています。

 初めに意識ありきで、何かの事業でもイベントでも、最初にそれをやろうという意識があって、その計画が始まり、進行していきます。
 ゆえに世界の初めも意識があって始まったのだろうと思っています。世界が始まる前は人間は居ないので、世界を造ったのは人間の意識ではありません。世界はまだ始まってないので自然界の偶然の意識(のようなもの)でもありません。いろいろな法則もまだないので法則自体の意識ではありません。
 と考えていくと、意識を持つ《存在》があって、その意識が世界を始めたのだろうという結論に行き着きます。
 そうであれば、その存在が「大いなる意識」という創造者であり、その「大いなる意識」が世界を作ったのであれば、その「意識」は「エネルギー」でもあるはずです。
 なぜならアインシュタインが発見したように、物質とはエネルギーと同じものですから、創造者は自身のエネルギーを用いて物質世界を造ったのであろうと推論できるわけです。
 そういうわけでこの世界は科学的に始まったはずですから、最近の量子論の思考でかなりの程度、見えない世界が説明できるようになるだろうと思っていますが、ただ、見えない世界は見える世界とは次元が違うので、機械的手段では見えることはないだろうとも思っています。

 スピリチュアルと自然科学の融合を非常にうまく説明した本がありますよ。葦原瑞穂(著)の『黎明』です。精神世界の現象を科学的に説明している貴重な本です。いまは上下巻に分かれましたが、amazonで古書(新版でない)なら上巻1,243円、下巻1,109円であります。

2019/05/01(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

再びこんばんは、

興味深い記事をいつも有難うございます。
随分前に「バクテリアの分子モーター」
という動画を見まして驚いたことがありました。

成るほど!和船の一本櫓の動きと、
バクテリア(大腸菌(-_-;))の鞭毛の動きは
似ていますね。
鞭毛は左右に回転しますが、
地球を含めた太陽系の動きは
左回転のみです。
2千億個の銀河は右回転なのだとか。

ということにつらつらと思いを馳せていますと、サムシング・グレートの存在は否めなくなります。

科学者ヴァイツゼッカー:我々が出きることは、神が創造したものを辿ることだけだ。

コメント後半は精神分野に及んでいらっしゃり、又、熟読に伺います。









2019/05/05(日) |URL|ミルティリおばさん [edit]

Re: 再びこんばんは、

ミルティリおばさん コメントありがとうございます^^)

> 地球を含めた太陽系の動きは左回転のみです。
2千億個の銀河は右回転なのだとか。

 よくご存じですね。金星のみ右回りに自転していますが、他の惑星はみな自転も公転も左回り。惑ちゃんは、どうやら左回りをするとワクワクするようですが、銀河自体は時計回りだそうで、そうなら天の川銀河の中では太陽系だけが異質のようです。

 天王星と冥王星は、行倒れならぬ、横倒れ。月もそうですが、常に同じ面を地球に向けて公転しています。回ることだけを見ても、星にもいろんな個性があることが分かります。それでも何の不都合もないわけですから、宇宙の仕組みはうまくできているものです。左回りとか右回りというと、学校で「フレミングの左手の法則」を学んだことを思い出しますが、今では言葉だけを覚えているだけで、何の役にも立っていません。(笑)

 星空を見ると、とてつもない大きさと力と永遠を思います。ビルの中のプラネタリウムの星を見るだけでも崇高な気持ちになってきます。地球に住む人間のいかに小さいことか。そんなことを思うと謙虚になり、人間は些細なことでいがみ合ってはいけないと思ったりします。「地球は青かった」という言葉がありますが、この惑星の青さをいつまでも保たせねばいけない。それが人間の使命だとも思えてきます。

 コメント後半は長いコメントが多いですが、私の持論「創造論」の神はサムシング・グレートと思っていただいてもかまわないと思っています。進化論が正しいのなら、その進化には絶対にサムシング・グレートが関わっています。あるいは「自然」という名の神が絶対に関わっています。
 コメントまで読んでくださって、ありがたい限りです。

2019/05/05(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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