「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 塩狩峠事件の自己犠牲の死は立派だが哀れか。 


4月中旬、東京では満開の桜がだいぶ散りましたが、
5月中旬、北海道上川郡 塩狩峠 では「一目千本櫻」といって、
約1600本ものエゾヤマ桜が咲き乱れるそうです。

明治42年2月28日、その塩狩峠で、一つの命が悲しく、美しく咲き散りました。
最終急行列車が宗谷本線唯一の難所「塩狩峠」の頂上付近に差し掛かったとき、
突然、連結器が外れ、最後尾の客車が上り急勾配をバックし始めました。
乗客は転覆を恐れてパニックになります。

たまたま乗り合わせていた鉄道職員が、客車後部のデッキに走って行き、
渾身の力を込めて手動ブレーキのハンドルを回します。
しかし客車は減速はしたものの、完全には停止しません。
このままだと客車は加速し、カーブの所で真っ暗闇の中に転覆するのは必至です。

   
sio88.jpg  phptoAC



「さあ、熊さん。おまえさんならどうする」
「うーん、ご隠居、難しい質問ですね。あっしだったら、窓から飛び降りろーっ、
早く飛び降りろーって何度も叫んで、客車の速度が上がってきたら自分も飛び降
りますね」
「女子供や年寄りもいるだろうから全員は助からんぞ」
「ご隠居だって、そうするんじゃないんですか」
「しかしな、熊さん。この鉄道職員は、じつに利他的な行動を取った。三浦綾子
が感動して『塩狩峠』という小説を書いているが、その緊迫場面がこの部分だ。
職員の名は長野政雄さんだが、小説では永野信夫になっている。


 次々に急勾配カーブがいくつも待っている。たったいまのこの速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、信夫はとっさに判断した。
 一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮んだ。それをふり払うように、信夫は目をつむった。と、次の瞬間、信夫の手はハンドブレーキから離れ、その体は線路を目がけて飛びおりていた。
 客車は無気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、遂に完全に停止した。
.

 鉄道職員の信夫は自分の命を犠牲にして乗客全員の命を救った。車外に出た乗
客が見たものは、線路の上に横たわる血まみれの遺体だった。享年32歳。この人
は初めキリスト教を嫌っていたのだが、キリストの言葉に感動して信者になって
いた」
「うわーっ。キリストさんみたいに自己犠牲で死んだんだ。ふじ子、菊、待子っ
て、奥さんと子供ですか」
「ふじ子は、生まれつき足が悪くて、肺結核を患っているクリスチャンで、この
日は信夫と結納を取り交わすはずだった」
「うわっ、結納の日ですか」
「菊は母親。待子は妹。信夫は、家族も結婚相手もいたのに、たまたま居合わせ
た乗客のために無償の愛を表し、自分の命を差し出したのだ。あたしは思い出す
だけで涙が止まらないよ。グシュッ。ばあさんや、鼻紙はどこだ」
「ズルズルー、あっしにもティッシュ10枚ください」

   soqq2.jpg phptoAC

「熊さんは、これほど感動的な話を聞いたことがあるかい」
「ひとのために死ぬなんて、すごいですねー。ただ、ご隠居。それが賢い生き方
かどうか分からねえなあ。だって、命は一つだけ、死んで花見ができるものかっ
て思いますね。それに大体が、なんで人間には事故や病気があったり、生まれつ
き体の不具合があったりするんですかね。クリスチャンは、神様を不公平だとは
思わないんですかね」
「うむ。いくら信者は死んだら天国に行くといっても、いい人間が早死にすると
いうのはむごい話だよなあ。三浦綾子が、その疑問に答えているぞ。ふじ子の兄
が、同級生だった信夫に語っている場面だ」


 ぼくはたった今まで、ただ単にふじ子を足の不自由な、かわいそうな者とだけ思っていたんだ。何でこんなふしあわせに生まれついたんだろうと。

 もしこの世に、病人や不具者がなかったら、人間は同情ということや、やさしい心をあまり持たずに終るのじゃないだろうか。

 病人や、不具者は、人間の心にやさしい思いを育てるために、特別の使命を負ってこの世に生れて来ているんじゃないだろうか

 ふじ子たちのようなのは、この世の人間の試金石のようなものではないか。どの人間も、全く優劣がなく、能力も容貌も、体力も体格も同じだったとしたら、自分自身がどんな人間かなかなかわかりはしない。
                           (下線はバーソ)

「ご隠居。体の不自由な人は、他の人たちが優しさや同情心を表せるようにする
ために特別な使命をもって生まれてきたとしても、私の人生暗かった、になって
やっぱり不公平じゃないですか」
「うむ。三浦綾子のキリスト教観では、ふじ子の兄のように考えるのが限界のよ
うだが、熊さん、もっと明るい見方もあるのだよ」
「はあ」
「それはな、信夫はキリストのような自己犠牲の愛を示せて、崇高な素晴らしい
経験をしたとも言える。ふじ子も、健康人ならまず培えないような立派な良い特
質を培えたはずだ。競馬しか関心がないおまえさんには分からんだろうが、善い
心を持つことを真摯に願っている純粋な人間も世の中にはいるのだよ。そして、
人がみな生まれ変わって来るなら、必ずしも不幸だったとは言えないのじゃない
かな」

   sio59.jpg 松竹・ワールドワイド映画(1973) 

「生まれ変わりですか」
「世間では、人が亡くなったら『天国に召された』と言うじゃないか。神がいる
なら、人がまた地上に生まれ変わるようにしてくれるはずだ。それが愛や親切と
いうものだ。あたしが神ならそうするがな」
「うーん」
「さらに、この塩狩峠の出来事は、乗客全員の救いになっただけでなく、それを
聞いた当時の人々と、現代の私たちが自分の生き方を考え直す良いきっかけにも
なったはずだ。ここは桜の名所だそうだが、無人駅の塩狩駅は、廃駅になるとい
う話もあるようだよ。……………………………………………」
「あら、ご隠居。黙っちまって。話のオチはねえんですか」
「うむ、厳粛な話に駄洒落でオチを付ける気持ちにはならないなあ。オチる話は
線路の上ですでに美しく終わっているのだから」


    長野政雄顕彰碑(2009年7月)Wikipedia
    sii3.jpg
    「苦楽生死、均しく感謝。」と、ふだん持ち歩いていた遺書の一部にあり。





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●覚悟の犠牲説の他に、遺言を持っての自殺説、ハンドブレーキの操作ミスによる過失死説もある。
作者は多少の脚色を加え、レール上の死については資料に基づいて正確に自分の感動を書いている。
●当時の牧師の三男・杉浦仁氏の手紙によると、その当日の夜、9時頃、長野政雄が教会の集会に
遅れてやって来て、いつもの座席で祈っていたのを大勢の者が見たので、事故が知らされても一同
は最初驚かなかったが、改めてそのその席を見ると影も形もないので、初めてびっくりしたそうだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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選ばれた人々

>病人や、不具者は、人間の心にやさしい思いを育てるために、特別の使命を負ってこの世に生れて来ているんじゃないだろうか。

まったく同感です。
自己犠牲もですが、ヘレンケラーや、先天的な四肢欠損などの
人生ストーリーを選べる魂ってスゴイですねぇ。
私にはとてもできない行動です。

>いつもの座席で祈っていたのを大勢の者が見たので、急変が知らされても一同は最初驚かなかったが、改めてそのその席を見ると影も形もなく、初めてびっくりしたそうだ。

霊体で祈っていたんですねぇ。o(;_;)o

豪華客船が座礁して、我先に逃げた船長。
真反対の行動をとった長野政雄さん。
相対的であるがゆえに、私たちの胸をうつんですねぇ。
ありがたや……。

2019/04/13(土) |URL|風子 [edit]

英雄ですね

バーソ様
おはよう御座います。

美しい話ですね。自分ならどうするだろうと考えてしまいました。
良くアメリカ人はヒーローに憧れていてヒーローになれるのなら命をかけると言われていますが実際にはどうなのでしょうね。
必ず止まるという保証もないわけだし。

私が痛ましく思うのは汽車の整備を担当していた人のことです。
おそらく一生悔やんでいたでしょうね。
当然鉄道会社からの罰則や刑事責任も問われたでしょうけれど。

愛新覚羅

2019/04/13(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 選ばれた人々

風子さん コメントありがとうございます^^)

> 病人や、不具者は、人間の心にやさしい思いを育てるために、特別の使命を負ってこの世に生れて来た。
 そしてその本人自身も、自分の心に辛抱強さや克服力や勇気を育てるために、特別の覚悟をもってこの世に生まれてきたのでしょう。
 そう思うとハンディを負った人を励まそう応援しようという気になってきます。この世界はじつにうまく出来ていると思えてきます。
 しかし永遠の時からみれば、たかだか7,80年なんでしょうが、そのような人はすごいですね。たいしたものだと思います。

> 霊体で集会に来ていた。
 私も以前は、集会を非常に大事にしていて、何があっても絶対休まないようにしていたので、長野さんの気持ちはよく分かります。長野さんは、意識がみんなのいるところ、神の臨在するところと信じる所に行っていたんですね。

 日本人はそういう真面目さが際立っているようで、以前いた教団でも日本人信者は野外奉仕に対する意欲が世界の仲間の信者たちの中でナンバーワンでした。

 戦時中の軍艦が沈むときの艦長の最期の姿も、あの隣国の畔津姿の船長とは大違い。これらは儒教や武士道精神の良い影響なんでしょうかね。

2019/04/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 英雄ですね

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> 美しい話ですね。自分ならどうするだろうと考えてしまいました。
 
 そうなんです。こういう話を聞いたとき、美しいと感じ、自分の身に置き換えて考えることをするひとは、善い心のひとだと思います。そういう人たちのために、こういう良い話は語り継がれるのだと思いますね。

 アメリカ人の例では、西部劇の時代、単線鉄道のレール切り替え機が壊れていて、両方から列車が来た知ったのを知った線路夫(?)が、そのままだと正面衝突するので、身をもって切り替え機を手で押さえていたので自分は犠牲の死を遂げたという話を読んだことがあります。どの国でも英雄精神を持っている人はいるのでしょう。
 この長野さんの場合は、スピードがまだ遅かったので自分の体でブレーキになると予想したようです。ある程度スピードがあると難しいと思いますが。

> 私が痛ましく思うのは汽車の整備を担当していた人のことです。
おそらく一生悔やんでいたでしょうね。
当然鉄道会社からの罰則や刑事責任も問われたでしょうけれど。

 あー、なるほど、そういうことを考えましたか。やはり企業で責任ある立場にいた人は違いますね。
 この事件も鉄道局が連結器の故障で責任を問われるのを嫌って、長野さんの単なる過失事故を美談に仕立て上げたのだろうという話もあるようですよ。あの時代は、まあ、今の時代もそうなんですが、組織といいうのは隠ぺい体質がありますからね。

2019/04/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いつも素敵な物語をありがとうございます

>ふじ子たちのようなのは、この世の人間の試金石のようなものではないか。どの人間も、全く優劣がなく、能力も容貌も、体力も体格も同じだったとしたら、自分自身がどんな人間かなかなかわかりはしない。
                   まったくもって、
同じことをいつも思います。
二元性の間の中に「差」があるからこそ、
人は自分や他人をわかることができたり、
わかることの喜びを味わうことができて、
その代償として「対」となるものも生み出されます。

これらを味わうためにこの世に生きているという意味では、
悟り(差取り)を説く人というのは、
ある意味余計なことをしてるとも言えますね。

けれども創造主はしたたかなので、
「差取り」がすべての大衆のものになるような設計を、
DNAに施さなかったようです。

そうしてくれて本当によかったと、
あなたは宇宙一のクリエイターだと賛辞を贈りたいです。
信夫さんの行動に何も感じない人生を送るくらいなら、
悟りなんてまっぴらごめんです^^

2019/04/13(土) |URL|友資 [edit]

こんにちは

サンデル教授のトロッコ問題を思い出してしまいました。
「1人の命を犠牲にして5人の命を救うかどうか?」が
問われる思考実験でした。
この塩狩峠の場合は小説ですが、自分を犠牲にして大勢の
人を救う話です。
考える時間があれば、残される自分の家族と乗客の命と
どちらを取るかの二択ですが、急な危機的状況で迷わず
身を挺したのですね。
福島の原発事故でも身を犠牲にして亡くなられた方々がいました。
こんな危機的状況で同じことができると問われれば、できないで
しょうね。
但し、その列車に家族が乗っていれば出来るかもしれません、
「山椒大夫」の安寿のように。

2019/04/13(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: いつも素敵な物語をありがとうございます

友資さん コメントありがとうございます^^)

> > >ふじ子たちのようなのは、この世の人間の試金石のようなものではないか。どの人間も、全く優劣がなく、能力も容貌も、体力も体格も同じだったとしたら、自分自身がどんな人間かなかなかわかりはしない。
> まったくもって、同じことをいつも思います。


 容貌や能力については、さまざまなバリエーションが人間にはありますが、特に生まれながらの病弱とか不具合については、キリスト教の考え方では、アダムの原罪ゆえに人間は不完全性を受け継いだせいだと言われます。究極的には悪魔サタンが悪の根源であり、黙示録にあるように悪魔が最終的に封印されれば人間は本来の神のみ姿と同じ様になり、完全な幸福を味わえるようになる、それが神の目的だと言われています。

 ですから、この「試金石」という考えは、三浦綾子自身が悩んだ末に出てきた考え方じゃないでしょうか。彼女自身、肺結核とカリエスになったので、なぜ人間にそのような不公平があるか相当に悩んだのじゃないですかね。
 そういう意味では、こうして小説を書いて、その理由を読者に伝えることができたのですから、そのように生まれてきた理由とその益はあったといえそうです。

 二元性とは悪と善、喜びと悲しみ、暑さと寒さといった対極的なことがあることで、それがあるからこそ生きている真の意味が分かるわけですから、この地球上では無いといけないことだとも言えそうです。そう考えると創造者もまた二元性を有している、すなわち愛と憎しみ、聖なることと嫌悪すべきこと、美しいことと汚らわしいことといったすべてを包含しているとも言えそうです。

 しかし問題は、そういう世界の仕組みをまったく知らないなら、人がみなヘレンケラーのようになれればいいですが、そうじゃないわけですから、あまりのハンディのゆえに不幸極まる人生を送らないといけない人も出てくるわけで、そういう哀れな人々の心を救うために、悟りを得た人の存在とその助言の必要性というものがありそうです。

 まあ、ともあれ、世界は、ほんとうに奇しく巧みに出来ていますね。

2019/04/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 あ、そうですね。サンデル教授の授業に、そういう問題がありました。トロッコの問題や漂流ボートの問題がありました。思考実験なら、どうすることが正義かとか、どうすることが最善かと考えて、割合答えは出やすいかもしれないですが、自分が死んで全員を助けるという選択肢は、思いついたとしても実際の場で行動できるかどうかはちょっと難しそうです。

 塩狩駅の場合は、咄嗟の決断だったようですから、聖書を学んでキリストの思いを持つことを強く願っていたその精神思考が長野さんの心を動かして、ほとんど瞬間的にレールの上に飛び込む行動をとらせたのではないかと思います。

 人は初めて聖書を学んだ頃は、気持ちがとても純粋になるものなんです。私もそうでした。いささか口幅ったいことながら、一切を投げうって少しでいいからキリストのようになりたいと思いましたから。
 聖書を真面目に読む人は、イエスの言葉を真面目に考えて、一つ一つ全部を書かれている通りに実行しようと決意するのではないでしょうか。
 この小説を読むと長野さんは相当純粋な信者だったようですから、そういう普段の純粋な思いが、こういう咄嗟の決断のときに瞬時に出たのではないかと思いますね。

> 但し、その列車に家族が乗っていれば出来るかもしれません。
 あ、いい言葉です。その気持ちで十分なような気がします。そういう人は、いざそういう場面になって、目の前にかわいらしい小さな子供がいたりすると、咄嗟に自分でも思いがけないような自己犠牲的な愛を発揮するのではないかと思いますね。

 安寿は弟を逃がしてから、自分は池に飛び込んだのですね。安寿の時代はひどい時代でした。アンクル・トムの時代もひどい時代でした。今はいろいろ問題はあっても、一部の貧困な国を除いて奴隷の売り買いがなくなっただけでも、いい時代になりました。先進国では貧富の格差はひどくなっていますが、基本的人権に関しては良くなってきています。これから将来はバラ色にはならなくても、毎年桜が咲いて散っていくのを愛でられる平和な時代がずうーっと続けばいいですね。

2019/04/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

身も蓋も無い話でごめんなさい

 鉄道の客車は当時の小さい物でも空重量で20t超。人間一人が障害物になった所で止められる物ではありません。車輪止めとして挟まったとしても、通常走行中であるならば人間の肉や骨ごとき何も無かったかの様にミンチにしてしまいます。つまり、彼の「英雄的行為」で止まる程度の速度なら、客が一人ひとり飛び降りてもかすり傷一つつかなかった事でしょう(それでも止まるかどうか甚だ怪しいですが)。現に、客車は彼を巻き込んだ後も暫く走り続けており、停車との因果関係は薄い、と言うか殆ど無いと推定されます。
 結論、彼の死因はハンドブレーキの操作時のミスによる過失死、若しくは可能性は薄いが自殺が妥当。無暗に自己犠牲を賛美する様な創作物は如何なものかと、合理主義を自称するへそ曲がりは申しております。

2019/04/13(土) |URL|miss.key [edit]

Re: 身も蓋も無い話でごめんなさい

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

> 身も蓋も無い話でごめんなさい
 どう考えようが、どう感じようが、どう生きようが自由ですから、別に悪くはありませんよ。ただ、人によって、同じものを見ても、考え方はいろいろ、感じ方もいろいろ。人間というのは面白いものですね。

 さて《空車で20トン超なので人間の体はブレーキになる前にミンチになるはずだ》。はい、じつは私も最初、読んだときにそう思いました。
 しかし私は続いて、このように推論しましたよ。

 この塩狩峠は宗谷本線の唯一最大の難所(急勾配)で、通常は機関車2台で客車を挟んでやっと上るところを、「名寄」発の始発列車は客車が少ないために後部の機関車は連結されなかった。
 連結器が《頂上付近》で外れたということは、登ってきて、今度は峠を下る手前だから、勾配が緩やかな所だった。しかも手動ブレーキが掛かっているので、客車はほとんど停まりそうな速度だった。ならば人間の肉体でも客車のブレーキになるだろう、あるいはブレーキになってほしい。とにかく自分の体で何とかして停めたい、と長野さんは瞬時に考えたのだろう。

 その証拠に、実際に客車は《停車した》という事実がある。停まったからこそ、乗客は降りて遺体を見たし、一人も死傷しなかった。普通の合理的思考では、客車は停まらないだろうと推論するかもしれないが、一念 岩をも通す話もあり、かなり奇跡的に停まる条件がうまく揃ったとも考えられる。その確率は、進化論学者が、炭素や窒素の元素が分子結合して生命体になる偶然的確率は「あり得る」そして「あったはずだ」と主張するときの超天文学的数字の確率に比べれば、比較にならないほど遥かに高いはずだ。

 客車が少ないとはいえ、乗客は多く、満員状態。外は真っ暗闇の峠。落ちたら何百メートルも下に転がり落ちるかもしれず、客車に轢かれるかもしれない。乗客数が少ないなら、速度が低いうちに外に飛び降りればいいだろうが、とかく女子供、年寄り、気の弱い人は飛び降りる際に躊躇する。また、こういうときは先を争って出口(窓)に殺到する人も多いために、かえって事故死が増える例もままあることだ。あの311福島のときも、すぐ後ろに津波が迫ってきているのに、ここまでは来ないだろうと油断して、ゆっくりおしゃべりしながら連れだって歩いて逃げている婦人たちがいた。この客車の場合でも速度が遅いうちは意外にすぐ行動をとらない人も多そうだ。すぐ飛び降りても骨折したりして大勢の人が怪我をしそうだ。
 
 そうこうしているうちに客車が急坂を加速し始めたら、もう飛び降りれなくなる。そうしたら必ず数人以上の人は客車に残されてしまい、事故死する。そういうことまで瞬時に予想して長野さんは飛び降りたに違いない、と私は考えましたね。

 実際、多くの人が自殺や事故死ではなく、自己犠牲の死だと考えたので、本になり、映画になり、記念碑も出来、多くの人が感動し、今に至るまで語り継がれているのでしょう。この出来事をきっかけにして北海道では大勢の人が教会に行きはじめ、そのあと、何十人も受洗したそうです。それは言うまでもなく、長野さんの自己犠牲の精神に感動して、自分もそのような精神傾向を培いたいと思った純粋な人が多かったことを示しています。私も本を読んでいるときにも、そしてブログに書いている最中にも涙が出てきましたよ。(笑)
 むろん、この本を最初から読んで、聖書へ傾倒していく長野さんの心の変化を見ていると、彼の自己犠牲的な博愛の精神を読者はよく感じ取れるので(≒作者がそのように書いているので)、この出来事はやはり自己犠牲の発露だなあと思うこともありそうですが。

 miss.keyさんは、私の反応を予想して「身も蓋も無い話でごめんなさい」と書いたのでしょうが、私のほうもmiss.keyさんの反応を予期していたので、「補足」で以下のように書きました。

 「覚悟の犠牲説の他に、遺言を持っての自殺説、ハンドブレーキの操作ミスによる過失死説もある。作者は多少の脚色を加え、レール上の死については資料に基づいて正確に自分の感動を書いている。」

 まあ、少しでも感動を覚えたり、自分の利他愛や人生観を思い直せれば、自分の生き方を考えるきっかけになり、益になるだろうと思ったわけですが、しかしmiss.keyさんの分析は、さすがに「合理主義」的ですね。頭のいい人は考えること、言うことが違います。「空重量で20t超」には感心しました。

 じつは私も合理主義のほうなんですよ。進化論を信じないのも、それが仮説だからとか、あるいは創造論を信じるからではないんです。進化論がまったく非科学的だからです。科学的に大きな矛盾と致命的な欠陥を持っているからです。
 大体が私は非科学的なものや非合理的なこと、例えば迷信、お守りの類、ゲンを担ぐことや、また神社のお祭りやヴァレンタインデー、クリスマスといった世間の大多数がしている社会習慣的なことでも、私は信じてないことや合理的でないことはしませんね。死後の仏教式葬式など一般常識化されていることでも、する気は全然なく、遺体は近くの医学大学に献体することに取り決めています。

 それにしても前回のmiss.keyさんのコメントは大変見事でした。内容は進化論を肯定し、というよりは不可知論のようでもありましたが、それにしても、あれほどの文章を書けるのはさすがにmiss.keyさんだなあと大いに感銘を受けました。たいしたものです。漫画もいいですが、ああいう文豪が書くような哲学思想的な短編もたまには読みたいものですね。(^^)/

2019/04/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

つい最近まで「劣悪な遺伝子の断種」を名目に知的障害者の強制避妊手術を行っていた国がありました。
優生学の先進国ドイツでさえ悪しきナチスの慣習と縁を切ったのに、縁を切れなかった日本は世界の笑い者になりました。
はて?身体障害者はみな劣悪な遺伝子を持っているのでしょうか?ある意味、生物を進化させるのは可能性のギャンブルです。
100万の失敗を重ねた上にたった一つの成功例が生まれ、それがたまたま現在の地球環境に適合したホモサピエンスだったのです。
先日、ルソン島で新種の人類の遺骨が発見されて世界を驚かせましたが、その身長は120Cmくらいだったそうです。
これなどいい例で、食料に限界があるよそと隔絶した孤島で大勢で生きていく為に、ルソン島のヒト族は小型化していった。
ルソン島の進化の例は、人口が限界まで達した人類が食糧難と言う環境で生き延びる為の方向性を示唆していると思います。
健常者なる者は偶然今の環境に適合して生き残っただけで、別の方向に進化しようとして失敗した者を嘲笑えない立場にあります。
今後の地球の変化次第では、人々が身障者と呼ぶ新人類の方が環境に適合して生き残るかも知れないのですから。

2019/04/14(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 お、こんなコメントになりましたか。私の予想外のというか、joさんらしいというか、ずいぶん考えたことがうかがえるコメントです。毎回よく考えていただいて、ありがたいことです。

 断種。不公平な手術です。特定の民族を嫌い憎む人種偏見や差別と似ています。日本では左派政党が先導した優生保護法。ドイツやアメリカやデンマークでも行なわれ、スエーデンでは1976年まで行なわれてきた。その報道を知った以降でも日本政府は、すぐ是正の対応行動をとらなかった。日本の役人は何でもやることが遅いです。終身雇用制のせいもあり、真面目に働く意欲が弱いのでしょうか。ま、役人が働かないのは、どの国でも、特に共産圏ではそのようですが。
 医科大学の入試では女性はを落とすというのもひどい話でした。

 ルソン島のニュースを知って疑問に思ったのは、現代でもピグミー族や小人症の他に白木みのるやケニー・ベイカー(R2-D2役)、米良美一さんの例もある通り、いくらでも伸長の低い民族や個人はいます。それこそ突然変異のような奇病や障害だってあるでしょう。それなのに、たった大人2人と子ども人1人の、それも骨や歯のわずかな化石だけで、それを全体の特徴のようにみなして世紀の大発見のように言うのは、ちょっとおかしくないかと思いましたね。一般の調査でも、たった2例だけで結論を出すことはあり得ませんから。
 こんな報道もありますよ。

 論文を査読した英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの古人類学者アイーダ・ゴメス=ロブレス氏は、新種と断言するのをためらっている。しかし、今回の珍しい化石を説明する仮説は、どれも等しく興味深いと付け加えた。
 それにまた、こういう事例はどうみなすのでしょう?
 https://tocana.jp/2018/04/post_16550_entry.html

> ルソン島の進化の例は、人口が限界まで達した人類が食糧難と言う環境で生き延びる為の方向性を示唆していると思います。
 食糧難だと伸長を縮める方向に進化すると示唆している、ですか。これは進化があるとしても、選択肢としてはちょっとあり得ないように思うのですがね。
 まず、当時から(低身長化する間の)何万年間も食料難だったのか。今でもルソン島や近辺の島は食料難なのか。もし当時はそうだったなら普通は絶滅するのではないか。アフリカかどこかから渡ってきたのであれば、また他の島や大陸に行けばいいのではないか・・・と自分の伸長を無理して縮めなくても、いくらでも他のもっと容易な優先的選択肢を思いつきます。

 ただし身障者を欠陥者と見ない考えは非常に良いもので、これは素晴らしい見方だと思いました。こういうふうに思えば、そのようなハンディを抱えている人たちに、もっと優しい目で見ることができるようになるかもしれません。

> 生物を進化させるのは可能性のギャンブルです。
100万の失敗を重ねた上にたった一つの成功例が生まれ、

 これは漸進的変化ではなく、突然変異(と自然淘汰の)進化論ですね。この突然変異は普通は失敗例を生み出すだけで、子供を残せないと言われています。しかしそうではなく偶然に奇跡的な確率で成功例もあったのだとするのが突然変異論ですが、そうなら現存するすべての種はすべて環境に適合しているはずですから、地球上にあるすべての生物は突然変異種のそれこそ100万分の1だけが生き残って生存していることになります。
 いや、ばい菌だってアメーバーだってミミズだってオケラだって大勢の種が生きているわけですから、突然変異しない種もすべてがいま生き残っていることになり、それらはなぜ進化しなかったのかという矛盾と疑問が生じます。
 進化論はどうも学術的に常識外の奇妙な思考をする学説に思えてなりません。すみませんね。またまた反論して。(^^ゞ

2019/04/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/04/16(火) || [edit]

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