「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 北斎は努力型の超天才だ。『神奈川沖浪裏』大浪の新解釈。 


北斎の『神奈川沖浪裏』をじっと見ていたら、面白いことに気が付きました。

この絵はどうしても、大きな浪頭と小さな富士山の対比に目が行きますが、
その大浪直下の浪は、あらっ、形が富士山そのものじゃないですか。


huji35.jpg
      hue42.jpg 宝永火口と宝永山が見える富士山(Wikipedia)

どこかで見たぞと思って検索したら、富士山の南側から撮った写真と似ています。
(ちなみに『浪裏』図の富士山は、房総海岸から見た構図と言われています)

そう思うと、「大浪」が両手を広げて真下の「富士山」に襲い掛かろうとして、
おれ様のほうがお前より偉いんだぞ、と威圧しているようにも見えます。

ひょっとしたら北斎は、日本一の山に負けない日本一の荒海を描きたかったのか、
と思いながら北斎の絵を画像検索していたら、空の「雲」の正体が分かりました。



いままで、こんな雲はないだろう、どうも形が妙だと気に掛かっていたのですが、
次の絵の「浪のしぶき」と、富士山のほうに飛ぶ「千鳥」の群れを見てください。

『富嶽百景 海上の不二』 1834年(天保5)
huji91.jpg

huji39.jpg

(左絵)上端の浪の「しぶき」が、エッシャーの絵のように「千鳥」に変化し、
(右絵)『浪裏』図の「雲」が、その千鳥の格子模様に似ていると思いました。

  tido40.jpg
  (左)魚が鴨に変化するエッシャーの『空と水』と、(右)千鳥格子模様

これは小発見だ! 一本ブログネタが見つかったと思い、念のために検索したら、
類似性を指摘しているサイトがありましたよ。(笑) ま、有名な絵ですからね。

しかし北斎の絵を検索し、見ているうちに、さらに妄想が膨らんできたのです。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
北斎は大器晩成型の超天才か。40年も掛けて「大浪」を完成させた。

『ライフ』1887年誌が過去千年間で世界に最も影響を与えた100人を選んだ際、
日本人で唯一選ばれたのが北斎ですが、何歳頃から天才を顕わしたでしょうか。
特に “浪の形” と上端の “しぶきの形” に注目し、描き方の変遷を見ていきます。


北斎33歳 1792年(寛政9)『 江ノ島春望』大英博物館蔵
浪は人間の背丈より低く、しぶきは申し訳程度。お世辞にも巧いとは言い難い。
huji01.jpg



北斎44歳 1803年(享和3)『賀奈川沖本杢之図』
浪の誇張巨大化が突然変異的に始まっている。ただし、しぶきの描写は大雑把。
hujji02.jpg



北斎46歳 1805年(文化2)『押送・波涛通船の図おしおくり・はとうつうせんのづ
丸いしぶきが、とがってきている。この絵と上の絵の大浪は富士山のようだ。
huji07.jpg



北斎58歳 1817年(文化14)『北斎漫画 七編 阿波の鳴戸』
しぶきが『浪裏』図と同じ描き方になり、龍の爪のように細く分かれている。
hokwr1.jpg
左:部分拡大(しぶきが爪のよう)  右:『龍図』(波のしぶきが龍の爪と似ている)



北斎72-74歳 1831-33年(天保2-4頃)『神奈川沖浪裏』
棒立ちの大浪がこの絵で初めて崩れかかる姿に変わった。しぶきは龍の爪のよう。
舟の漕ぎ手は海に落ちないように体を低くしていると見るよりも、鬼神のような
大浪に人間がかしこまってひれ伏している絵とも見える。構図は荘厳精緻の極致。
huji988.jpg (部分)


大浪を海神と見れば、雲は千鳥ではなく、両手を広げた巨人神か北斎自身なのか。
ならば白い神が、荒海と富士山と人間の緊張状態を仲裁しているのか。もしくは
中央の富士山は行司で、雲のような観客が、もっとやれやれ、と煽っているのか。

        ____________________


それにしても、なぜ大浪の描き方が “崩れかかるように” 変わったのでしょうか。

じつは北斎が千葉の欄間彫刻を見て啓発を受けた可能性があると言われています。

房州に「波の伊八」こと武志伊八郎信由58歳が「浪裏」を彫っている。 
関西の彫刻師から、関東へ行ったら波は彫るなと言わしめた宮彫師が千葉にいて、
躍動感のある大浪を欄間に彫っていますが、これが『浪裏』図とよく似ています。

行元寺 旧書院 欄間彫刻『波に宝珠』 文化6年(1809)
huji33_20190320182231fdb.jpg
浪の形がよく似ています。欄間写真はいずみ市観光ポータルサイトより

北斎はこの3年前に房総を旅行したので、制作中の作品を見たのかもしれません。
すぐに真似た作品は無いようで、見たとしても『沖裏』図の20年以上も昔です。


それで、北斎画が大胆精緻で美しいのは、天与の才ゆえだと思っていたのですが、
浪の描き方の変遷を見ると、天才プラス意欲と努力の人でもあると思いましたね。





※参考――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
・http://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol5/hokusai/namiura/
・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B0%B8%E5%B1%B1
・http://news.livedoor.com/article/detail/13709012/
・https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E6%B2%96%
E6%B5%AA%E8%A3%8F
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COMMENT FORM

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恐れ入りましたぁ!

波しぶきが千鳥になって富士山の方に……。
しぶきが竜の爪のよう……。
これにはビックリです。

しかも北斎の“波しぶき”。
40年に渡る描き方の変遷が一目瞭然で、
バーソ新解釈の説得力に感服です。

北斎が、欄間彫刻を見て啓発を受けた可能性があるとしても、
龍の爪から千鳥を誕生させた感性はやはり天才的ですよねぇ。

( ̄~ ̄;) ウーン、恐るべき努力。
“天才とは、1%の天分と99%の……”
この名言を思い出しましたぁ。

2019/03/23(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様も天才

バーソ様
おはよう御座います。

北斎は天才ですが、それを色々な角度から分析できるバーソ様も天才だと思います。
今からでも絵画評論家の道に進まれた方が宜しいのでは?
北斎は遅咲きですね。イチロー選手にもこのブログを見せてやりたいです。45歳なんてまだまだですと。
そういう私も69歳なんてまだまだですね。(笑)

愛新覚羅

2019/03/23(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 恐れ入りましたぁ!

風子さん コメントありがとうございます^^)

 しぶきが手のようだとは、過去記事で「無数の手を広げて人間に襲い掛かる波頭。」と書いたことがあります。
 https://barso.blog.fc2.com/blog-entry-400.html

 しかし、しぶきが龍の爪のようだというのはネットから得た知識で、複数のサイトにそう書かれていました。私も、なるほど、そうかと思い、得心した気持ちです。
 何でも検索したら出てきますね。便利な世の中になったものです。研究者は資料をあれこれ探し回る手間が減り、ずいぶん助かるでしょう。

 年齢別の描き方の“変遷”についても複数のネットから得たものです。
 ただし絵の解釈については私のオリジナル、つまり妄想ですが、でも膨大なGoogle情報をもっと検索すれば、似たような解釈があるかもしれません。

 欄間彫刻を見て啓発を受けた可能性については、ほとんどのサイトがそうだと断定気味に書いていました。
 しかし北斎は、その欄間彫刻の完成3年前にその地を訪れているわけなので、はっきり見たとは言えないでしょうし、見たのならすぐ自分の作品にその描き方が表れてもいいように思うのですが、そうではないようです。

 『神奈川沖浪裏』は、欄間彫刻から20年以上あとの作品であることを考えると、精々北斎の意識の下に残っていたというぐらいが適当じゃないかと思ったりします。しかしそれにしても北斎の絵に対する執念はすごいものですね。

2019/03/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: バーソ様も天才

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 あらら、またお褒めにあずかり、恐縮です。風子さん宛ての返コメに書いた通り、基本的なことはネットにあった情報で、絵の解釈は私の考えたオリジナル妄想なんですね。
 その中でちょっと気に入っているのは、船の漕ぎ手がなぜ姿勢を低くしているかの解釈です。
 以前、海の絵をいろいろ集めた記事の最後に、この『神奈川沖浪裏』を採り上げましたが、そのときは漕ぎ手についてはこう書きました。

 「うねりに翻弄される舟上の人々は荒波とは対照的に無音硬直。」

 しかし今回はこう書きました。

「舟の漕ぎ手らは海に落ちないように体を低くしている、と普通は見るのだろうが、鬼神のような大浪に人間がひれ伏している絵とも見える。」

 この解釈のほうがこの絵に合っているように、今は思えています。
 なぜなら、46歳のときに描いた『押送・波涛通船の図』でも浪は山のように巨大ですが、舟の漕ぎ手は恐れもせず、立ったまま普通に漕いでいるからです。
 なので『神奈川沖浪裏』の漕ぎ手は、大浪にひれ伏している構図ではないかと思います。

 イチローは確か、メジャー最年長者だったと思います。やはり体力の衰えもあるでしょうが、球のスピードや変化に対する勘の衰えがいちばん大きいのではないでしょうか。最後の試合のバッターボックスのシーンをちょっとニュースで観ましたが、タイミングが合ってないように見えました。
 
 しかし我々はスポーツ選手じゃないので、まだまだ命が続く限り頑張りましょう。

2019/03/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

同じ『神奈川沖浪裏』もいろいろあって楽しい

 大浪の描き方が房州の「波の伊八」の影響を受けたらしいというのは初耳で、きっとそうだろうと小生は思います。
 ところで、『富嶽三十六景 海上の不二』 は、『富嶽百景 海上の不二』の誤りですよ。なお、これは、白黒の版画を冊子にしたもののほか、ウィキペディア「神奈川沖浪裏」のページに<「富嶽百景」より、『海上の不二』 >として示されているように、カラー刷りもあるようです。(これは後世において奇麗につないで着色?)
 浮世絵というものは何版も刷られ、特に人気があるものは版数がべらぼうに多くなり、年を経るにしたがい色調がだんだん変わってくるようですね。そのひどい例が、同じ北斎の「凱風快晴」(通称「赤富士」)で、山肌が赤色ではなく茶色のもの(名古屋市立美術館の特別展で実物を見たのですが、茶色で実につまらなかったです)まであり、これが同じ「凱風快晴」かと疑いたくなるほどです。
 ところで、バーソさんがここに取り上げられた「神奈川沖浪裏」は、波しぶきが「千鳥」を思わせるような図柄になっている、というのは、これまた面白い着想ですね。でも、“ちっと待てよ、こんなにはっきりした雲の姿だったっけ?”と、ネットであれこれ見てみたのですが、そうしたものが多いですね。今まで気が付きませんでした。
 ところが、小生が持っている切手(1963年国債文通週間)の図案では、ほんのかすかに雲が描かれているも、形は全く異なり、潮の飛沫がもっと鮮明に、かつ、上の方まで描かれています。小生はこちらのほうが好きです。版を重ねるに従い、鮮明な「千鳥」の図柄になったのか、うすぼんやりした形の雲に変わったのか、どちらかでしょうが、同じ版木(場合によっては一部変更)で刷られたものであっても、かなり違った絵になるのは、これまた楽しいものですね。
 さーて、大浪直下の浪の形が「富士山の南側から撮った写真と似ています」とのご感想。こんなこと思いもしませんでしたが、言われてみると確かに似てますね。でも、小生は、陰になった部分が、富士山の大きな崩れ4本のうちの吉田崩れを思わせ、北東側から撮った写真に似ているように感じました。
 少々富士山にうるさい小生です。毎年のように富士山を眺めに行き、できれば周りの山に登って富士山をじっくり見ていたい、そういう趣味を持っていますゆえ。
 ずばずば物を申し、お気に障ったことでしょうが、お許しあれ。

2019/03/23(土) |URL|薬屋のおやじ [edit]

こんにちは

素晴らしいk渾身の記事でした。
おかげで記事にどっぷり嵌って検索したりしで仕事に入るのが
遅れてしまいました。(笑)
今まで、エッシャーは絶対に浮世絵とか浮世絵漫画に影響を
受けていると思っていました。
動物を扱うことが多かったり、遠近感があるようなないような建物や
ほとんど版画の作品だったりでしたから。
バーソさんの『富嶽三十六景 海上の不二』の記事で、なるほどと
ストンと腑に落ちました。
他のエッシャーの鳥の絵を眺めるとますますその感を強くしました。
調べてみるとエッシャーの父親はいわゆるお雇い外国人で来日しており
浮世絵を所持していたかも知れません。
いつか・・・、ずっと先でいいですが、「北斎と写楽は同一人物か?」という
バーソさんの記事を読んでみたい。
二人にはほとんど同一の役者絵が存在するらしい。
あらバーソさん、逃げないで~。(笑)

2019/03/23(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: 同じ『神奈川沖浪裏』もいろいろあって楽しい

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)
 
 『三十六景』ではなく、『百景』の誤り。あー、そうでした。ありがとうございます。さっそく直しました。 
 『富嶽三十六景』のほうはカラーですが、『富嶽百景』はスケッチ集だというのは知っていました。ですから墨一色で刷(摺)っているはずですが、『海上の不二』の画像検索をしているときにカラー版を見て、これは誰かがパソコンで勝手に彩色したものだろうと思っていました。
 校正は誤字(誤植)ばかり見るので、つい内容のチェックがおろそかになります。自分で書いたものは、一歩離れた視点で客観的に見て、しっかり校閲もしないといけませんね。
 それにしても、いつもよく見ていただいて、有難いことです。ただ、私は、偉そうにされたり小馬鹿にされると不快になることはあっても、単に間違いを指摘されたり率直に言われたからといって気に障るということは無いですので、念のため。

 『神奈川沖浪裏』は、Wikipediaに出ていた、雲の形が一番はっきり出ている絵を使いました。ネットの絵画は色味が違うことがあり、どれが正しいのか迷うときがあります。以前、田中一村の絵について書いたとき、図書館で借りてきた美術書や美術展のカタログ集と、ネットの絵がまるで違うので驚いたことがあります。ネットのほうはパソコンでレタッチしているのでしょうか、かなり明るく鮮やかです。昔の絵は経年変化で彩度が落ちますから、色がどうしても渋みになりますね。
 『赤富士』は言われて画像検索してみましたが、意外に濃い赤で、私の記憶色はもっと茶系統の赤だったような気がします。が、濃茶色の『黒富士』のイメージに引きずられているのかもしれません。でも実物は茶色でしたか。

 大浪から富士山頂に降り落ちるしぶき(雪)は、その『切手』でも『神奈川沖浪裏』でも同じ位置から降っているようですよ。この大きい写真を見ると、人形の雲の腿のあたりから降っているようです。
 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/
The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg

> 陰になった部分が、富士山の大きな崩れ4本のうちの吉田崩れを思わせ、北東側から撮った写真に似ている
 そうなんですか。富士にいろいろ詳しいのですね。私は間近では、車で富士スカイラインを通ったとき、二度しか見たことがなく、一度は登ってみたいと思っているのですが、もうちょっと無理のようです。

 それから、このたびの私のもう一つの発見は、44歳と46歳のときに描いた大浪の形が富士山のようであることです。北斎はよほど富士にこだわりがあるので、だから『神奈川沖浪裏』の大浪の直下に“富士山形の浪”を描いたのかとも思いましたね。

2019/03/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 おお、渾身ですか。うれしいですね。そのひと言で、懇親の気持ちがぐっと増えました。(笑)

 北斎は1760~1849年。エッシャーは1898~1972年。エッシャーは北斎没後の約50年たってから生まれています。ですから、ほぼ間違いなく浮世絵や北斎漫画をいろいろ見ているでしょうね。父親が日本に来ているのなら、なおのこと、そう言えそうです。

 エッシャーの絵は、遠近感の錯覚を利用した、無限に続くような階段や水路の建物の絵が有名です。でも魚が鳥に漸進的に変わっていくようなパターン的な絵は、どこか日本的な小紋が並べられた紋様のようなイメージがある、と以前から思っていましたが、なるほど、ひょっとしたらこうした北斎の絵からヒントを得たのかもしれないですね。エッシャーのだまし絵は模型で実演されていて、エリアンダーさんの動画にもあったような気がします。

 ところで私は、この『海上の不二』の大浪は、タコの頭に見えてしょうがないのですが、どうでしょう。顔には右眼があり、鼻の孔があり、手が二つ前に出ていて、怒っているために髪の毛が逆立っているように見えます。タコは富士山に背を向けて、すねているようです。きっと、酒の肴に焙られてたまるか、沖のカモメ、いや、チドリに深酒させて涙がポロリとこぼれて歌い出すのさ舟歌を~♪という絵なのでしょう。(笑)
 https://blogs.yahoo.co.jp/xcysj881/15352576.html

 北斎という人は遊び心にあふれていたようで、富士を描くのでも当たり前に描かず、桶の間に富士が見えたり、盃の酒に富士が写っていたり、湖に映っている富士は季節が違うとか、いろいろ趣向を凝らしています。改号すること30回だそうですが、「画狂人」とか「画狂老人」という号もある通り、絵を面白がって描いていますね。これが他の浮世絵師とは違うような気がします。

 広重は、自分は北斎とは違って写実的に描くのだと言っていたそうですが、その広重の描いた、似たような大浪の絵がこれですから、どこが写実的なのやら。やはり浪は北斎に限るようです。
 https://ukiyo-e.org/image/waseda/201-2528

 なお、ネットの上町祭屋台天井絵の説明に、「『怒涛図』の絢爛たる縁どりの意匠は北斎の下絵に基づき鴻山が描いたものであるが、当時は禁制下にあったにもかかわらずキリシタンのものをほうふつとさせる1体の有翼天使像が含まれている。 天井画の傑作。」とあったのですが、その絵は検索では見つからずでした。もしこの話が事実なら『神奈川沖浪裏』の白い雲は十字架形の人間のように見えてくるのですが。

 北斎と写楽ですか。シェイクスピア別人説と同じで、いろいろ解釈があって面白いですね。二人の絵は同じ版木の表裏を使って摺られていたとか。その種の本を何冊か読んだことがありますが、相当の知識が必要のようで、むしろ、絵画にも詳しいエリアンダーさんのほうが得意分野のような気がします。

2019/03/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

葛飾北斎が現代に生きていたら宮崎駿を凌ぐアニメ監督だったでしょうね。
映画では、何かのオブジェを別のオブジェに移行させるとか、オブジェ同士を対比させるなんて手法を使います。
おっしゃる通りですと、北斎は一枚の静止画の中で動画の手法を意識しながら巧みに用いていた事になります。
何だか宮崎監督じゃなくて、葛飾監督が作った「もののけ姫」などのジブリアニメを観てみたくなります。
山がだいだらぼっちに変化して行くシーンとか…葛飾北斎だったらどんな風に撮るんだろうなぁ?
北斎の絵は、18世紀~19世紀にゴッホなど世界の名だたる絵画の巨匠に影響を与えたと美術史に書かれています。
現代に生きて映画監督をやったら、世界の映画界に革命が起きていた事は間違いないでしょうね。

2019/03/23(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> 映画では、何かのオブジェを別のオブジェに移行させるとか、オブジェ同士を対比させるなんて手法を使います。
 これは具体的にイメージできなかったですが、なにかの物や人が同じ場所でオーバーラップして、すうーっと入れ替わったり、消えたり、移動するような編集法でしょうか。フェードインフェードアウトとか、フラッシュバック、モンタージュ、カットバックなどは映画ならではの手法でしょうが、これを北斎の一枚の静止画に感じたということですかね。
 この『浪裏』図に舟が3艘あるのは、じつは3艘の動きを1枚の絵に同時に置くことで時間経過の動きを示しているのだという解釈があり、そう言われればそのように見えてきます。
 
 まあ、何でもそうなんでしょうが、芸術鑑賞では批評家や学芸員の説明を聞けば、そうか、なるほどと思えて、より興味が湧くことがありますが、いつも専門家の意見を聞くだけのスタイルに慣れてしまうと、自分の視野が狭くなり、自由な発想や想像力が失われやすいことがありそうです。
 絵は、特に抽象画は、見る者が作者の意図とは違うことを勝手に解釈することがあり、今回の私の面白がって考えた素人解釈もその範疇に入るのですが、そういうものはあまり信用しないで、自分の感性で感じることを楽しめばそれでいいと思っています。

 宮崎映画は『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』で独特の世界を構築した名監督で、私も好きな監督なんですが、それ以降、それとは全然違う大胆奇抜な発想の映画を作ったのでしょうかね。私はアニメにはうといのでよく分かりませんが。
 北斎が映画を作ったらどうなるか。これもちょっとイメージが湧かないのですが、間違いなく従来の映画には無かったような、世間をあっと驚かす作品を創るような気がします。しかし広重の場合は、そうではなく、きれいな映像美の映画を作るような気がします。

 北斎漫画には人間の様々なポーズが描かれているのがありますが、それをパラパラ漫画のようにつないで動画にしたものを見たことがあります。いま探してみたら、こんなのがありました。
 https://www.youtube.com/watch?v=cVY-08PQtO8

 私は、北斎がよみがえったなら、現代の画材を自由に使って、大きな画面に描いてもらいたいですね。折角の名画も、あの木版画ではサイズが小さいために、かなり迫力が薄まっていますから。

2019/03/23(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

年齢を重ねるごとに

盛者必衰のことわりの世界にあって、
人間は年を重ねるごとに執着のようなものが手放されていって、
多くの表現者はだんだんとまるくなり、
良くも悪くも尖りがなくなっていくものですが、
北斎の変遷をこうして辿っていくと、
むしろ年を重ねるごとに音楽でいうところの、
ロック魂といいますか、パンク魂といいますか、
若者だからこその初期衝動的なとがったエネルギーが、
年齢を重ねるごとにむしろ増幅し、
老年期に至って爆発。
そして老年期だからこその精神的成熟や技芸も結実しての、
『神奈川沖浪裏』だったのかな、
なんてことを思いました(^^♪

2019/03/23(土) |URL|友資 [edit]

Re: 年齢を重ねるごとに

友資さん コメントありがとうございます^^)

 そうですね。私もそんなことを思いました。
 昨日、フィギアの羽生選手が2位になり、1位の選手とはフリーもショートも10点以上の差を付けられ、この世界も盛者必衰、とうとう世界王者は次の世代に移ったような気がしました。野球ではイチロー45歳がずっと打てなくて、とうとう引退。スポーツの世界は活躍寿命が短いようです。

 ところが、だいぶ以前、90代の日本人画家が、自分は年老いてますます調子が出てきたというようなことを新聞で語っていました。芸術家は最高潮の活躍期間は概ね5年間であるという説がありますが、クラシックの指揮者や演奏家には高齢者が多いのを見ると、芸術的な感性はさほど衰えないように思えます。俳優も年を取るにつれ円熟味を増すことが多いですしね。

 むろん勘は悪くなりますし、手先の感覚は落ちし、瞬間的な反応も悪くなり、記憶力も落ち、独創的で斬新なアイディアというのは出にくくなり、運動神経や思考力のほうは確実に低下していきます。

 ですが、年を取ると、例えば道を歩いていても、ピーピーと元気にさえずる小鳥の声に感じ、そよそよ肌を撫でる春風の感触に感じ、緑の葉がキラキラ陽の光で輝いている生命観に感じ、子供がきゃっきゃと楽しそうに遊んでいる無心さに感じ、またちょっとした言葉に傷つきやすくなったり、うれしく感じたり…というように、若い頃は感じなかったようなことに強く感じるようになります。
 ですから特に感受性は年齢に応じてだんだん強くなることがあるようです。人間の感性は自分で磨けば、さらに光るようになっているのじゃないですかね。

 しかし、むろんそのようなことにあまり感じない人もいます。ですから、結局は一人ひとりの意識の違いが大きいのかもしれません。ふだん何を考えて生きているか、それによって、その人の感性や感覚は影響されるように思いますね。

2019/03/24(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

土用波 富士の山かと 見えにけり

 波がはじけるを千鳥の群が飛び立つ姿に見立て、波が船に被さるを龍が爪で鷲掴みにする様と見る。おお、バーソ大明神の慧眼恐れ入り屋の鬼子母神でございます。しかも波頭が富士山に類似していると指摘する当たり、まっこと鋭い観察眼。これは「平成最後の年」のベスト記事でありますな。
 さて、恐れ多い事ではありますが、そこにわたくしのどーしょーもない解釈をちとばかり挟ませていただきましょう。
 船には何人も船乗りが乗っていますな。きっと船頭さんに違いない。え゛、船頭さんそんなに要らない?いやいや、何かの間違いでみんな船頭さんなんですよ。それが富士山に向かって・・・あ、落ち判りました? そう
 船頭多くして船山に登る
でした。ちゃんちゃん。

2019/03/24(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 土用波 富士の山かと 見えにけり

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 おお、名句から始まりました。なるほど。土用波ですか。そう言われると、このいかにも日本の海らしいプルシャンブルーの浪、そういう夏のエネルギー感を感じます。

 そしてまた「船頭 多くして船 山に登る」と来ましたか。うーん、うまいっ。うますぎる。十万石饅頭(というCMがありました)。思いつかなかったですよ。ああ、残念なり。これぞ miss.keyさんならではの、平成を飾る名解釈コメントであると言えそうです。それにしても、いつもイマジネーションがよく柔軟に発展するもんですねえ。

 そしてとりわけ「平成最後の年のベスト記事」の誉め言葉がすごい。一体どういう風の吹きまわしか、春一番による花粉症のせいか、miss.keyさんにこれほど褒められるのは、平成初めてで最後のような気もします。(笑) 
 
 この記事のコメントは多分 miss.keyさんで最後でしょうから、自分で書き終わってから思ったことを述べたいと思いますが、じつは以前からこの『神奈川沖浪裏』は、大浪が富士山に対峙している図で、浪のしぶきが手の指先になって富士山につかみ掛かっている、あるいは襲い掛かっている構図なのだろうと思っていたのですが、そうではなく今は、この大浪は船乗りに対峙している図だとほぼ確信するようになりました。

 すなわち、船乗りたちがへいつくばっているのは、舟から落ちるのが怖いからではなく、大浪(の神)に恐れ畏まって、ははーっと平伏している図であろうと思っています。富士山はそれを泰然と見守っています。つまり自然には人間は敵わないのです。人はもっと自然を敬わないといけない。これは日本人伝統の神道的な考え方であるのです。

 では、大浪直下の富士山形の浪は何かといえば、この浪は北斎の遊び心の発露か、あるいは記事中に書いたように、日本一の山より荒浪のほうが激しいんだぞということを言いたいのかと思っていましたが………いや、そうじゃない、こうして返コメを書いているうちに突然思いました。これは北斎の隠し絵で「船頭 多くして船 山に登る」の句が隠されているのでありましょう。

 そうであれば、この平成最後の年になり、約190年ぶりに世界的な名画の謎解きがされたわけで、いや、おめでとうございます、おめでとうございます、いつもより余計に回しております、コメンテーター多くなくとも頭の回る人のおかげですこぶる付きの名解釈が生まれました。

 なお、蛇足的な補足をすれば、その格言は指図する人が多すぎると統率が取れず物事がうまくいかないということを表しているわけで、ならば無能な烏合の衆が集まっても天下国家の運営はうまくいくものじゃない、というようなことを主張しているのかもしれず、そうであれば現代の民主主義の政治形態を予表しているようでもありますね。いや、またまた面白いコメントをありがとうございました。ちゃんちゃん。

2019/03/24(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

RE:RE:同じ『神奈川沖浪裏』もいろいろあって楽しい

>大浪から富士山頂に降り落ちるしぶき(雪)は、その『切手』でも『神奈川沖浪裏』でも同じ位置から降っているようですよ。この大きい写真を見ると、人形の雲の腿のあたりから降っているようです。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/
The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg

アクセスに少々苦労して、このサイトで『神奈川沖浪裏』を見ました。たくさんあるのにビックリ。
色がだいぶ違うものがあり、保存性に差があるのでしょうね、これはきっと。
こうしてみると、「千鳥」の部分は、保存性の悪いものはぼやけてくる、といった感じですね。
小生が感じた切手の波しぶきの鮮明さは、印刷のかげんでしょう。
ところで富士山スカイラインに2度とはスゴイ。小生がそこを走ったのは1回だけ。宝永火口に恐ろしさを感じました。

2019/03/25(月) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: RE:RE:同じ『神奈川沖浪裏』もいろいろあって楽しい

薬屋のおやじ さん コメントありがとうございます^^)

> アクセスに少々苦労して、
 すみません。URLが長くて入りきらないので二行に分けたのですが、それをつなげてコピーすると、一行目と二行目の間に空白が半角分ほど入るのですね。それが分からず、私もアクセスに苦労しました。
 
 当該切手は検索して見ましたが、色再現が良くなく、赤味が足りない感じがしました。
 しかし切手はオフセット印刷ではなく、写真雑誌に多いグラビア印刷で、しかもインクはシアン、マゼンタ、イエロー、スミ以外の特色を使えるはずなので、なぜこんな色をしているのか不思議です。
 調べてみたら、劣化しにくいように特殊な薬品を混ぜているそうで、そのために透明度が落ちるのだそうです。

 しかしそれにしても切手も紙幣も、よく絵柄を見ていますね。私は紙幣も切手も数字しか見てないので、絵柄はまったくといっていいほど覚えてないですよ。紙幣にしても数字や絵柄で覚えているというよりは、なんとなく色調の違いで区別しているだけのようです。

2019/03/25(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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