「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 越中「魚津城」十三将。耳に穴を開けて名を残せり。 


 先日、あるセレブが東京拘置所から作業着姿で出てきて、世間を驚かせました。

 仏フィガロ紙は「クロサワとは言わないが変装の努力は見られる。だが衣装の
レベルは『影武者』よりも下がった」と報道するなど、散々な評判でした。
 後日、担当弁護士は「彼の名声に泥を塗る結果となって…」と謝罪しています。

 天正十年(1582)、越中富山で起きた『魚津城の戦い』。
 城を守った武将十三人の死に際のパフォーマンスは、極めて壮絶、かつ特異で、
後世にその名が伝えられています。

                 

「ご隠居、越中で起きた『魚津城の戦い』ってどんな戦いですか」
「熊さんが好きな話だ。戦国末期、天下統一を目指す織田信長が甲斐武田を滅ぼ
し、その勢いで越後上杉の守りの要所『魚津城』を攻めた。城に立て籠もる上杉
勢三千八百。攻める織田の連合軍四万。数は十倍以上。さあ、熊さんなら、どう
するかい?」
「すぐ越中ふんどしで白旗を作ります」
「ま、腰巻だと牛に攻められるからな。しかしな、籠城戦は守るほうが三倍有利
だと言われる。城壁や堀があるからだが、長引くと大変。食料、水、弾薬が尽き、
命運も尽きる」
「援軍が頼みですね」
「そうだ。当時、上杉謙信は死んで、養子の景勝が当主だったが、魚津城の守将
らは救援の願いと決死の覚悟を書き送った。景勝は援軍を差し向けたが、多勢に
無勢で敵わない。ついに景勝自ら軍勢を率いて越後・春日山城から出陣。魚津城
東に後詰めの陣を張った」
「よおっ、待ってました、大統領」

  uod6s.jpg

「ところがだ、自分の留守を狙われているとの報告が入り、景勝は断腸の思いで
撤退を決断し、城の守将らにこう伝えた―――よく戦ってくれた。城は明け渡せ。
降伏して生きながらえよ
、とな」
「うわっ、見殺しだ」
「景勝自身も死ぬ覚悟だったのだ。盟友にこんな手紙を書いている―――天下の
織田と越後一国で戦い、生き残れば英雄になれ、死ねば名を残せる。武門に生ま
れた自分は果報者だ
、とな」
「侍は名声第一なんですね」
「だが、大将が助けてくれない場合は、従属の武将は降伏することがよくあった。
籠城戦では内通したり、寝返る者も多かった。そうしないと戦国の世では生き残
れない。ところが、魚津城の守将十三名は、敵に屈して生き恥をさらすよりは、
武士の名を重んじよう、きれいに散っていこう
と決めた」
「切腹ですか」
「うむ。どうせ死ぬのなら後代に名が残るように死のうとなり、それぞれが自分
の名を板に書き、耳に穴を開け、鉄線で結び、自刃して、みな果てた」
「うわっ、名札をピアスにして死んだんだ」

  Uebba.jpgNHK『天地人』


「籠城八十余日、六月三日、魚津城はついに落城したのだが、なんという歴史の
の皮肉か、その落城の前日、日本中を驚かせた大事件があった」
「はあ」
「京都『本能寺の変』、織田信長が死んだ」
「あれまーっ、武将たちは、もう何日か持ちこたえれば死なずに済んだんですね。
うーーん。それにしても、名を残したいので耳に名札をぶら下げて死ぬってのは、
なんか、痛ましいような、いじましいような」
「うむ、『戦場で討ち死にすること侍の常なり』だからな。しかしだ、熊さんよ。
いさぎよく名誉の死を遂げれば、自分の子が取り立てられる。だから忠臣として
死んだほうが子孫のためになる、という意識もあったのだろう」

  uodu5s.jpgNHK『天地人』


「お家第一。家のため、子供のためなら、あっしも死ねるかなあ。でも自分で死
ぬのは怖いしなあ」
「大丈夫。いざとなったら目をつぶれ。そうしたら背中のほうから一気に心臓を
刺してやる」
「うわっ、日頃の恨みを果たすんなら、ご隠居、そのあとは子供の面倒を頼みま
すよ」
「おっ、熊さん、いい覚悟だ。しかし親のことも考えたほうがいい。大家と言え
ば親も同然、店子と言えば子も同然。さあ、親同然のあたしには何を残してくれ
るか」
「あはっ、死ぬ人間から何か取ろうっていうんですか。ったくもう、因業爺なん
だから。でもまあ、人は死して名を残す。あっしは熊。熊は死して皮を残す、と
いうのはどうでしょう」
「いや、そんな薄っぺらい皮は欲しくない。軽いオチは駄目だ。もっと重いオチ
はないか。重いのは?」
「じゃ、ご隠居には、草木も眠る丑三つ時に、恨めしい思いを残しましょう」


                 


私バーソの思いを、大きな声では言いにくいので薄い字で書き残しますと、
名声もいらぬ、金もいらぬ、人は死して悔いを残さなければ、それでよし、です。
なお、悪評が残されていても、すべて忘却でよし、でお願いしますね。(笑)


.


補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
魚津在城十三将の名は、中条景泰・竹俣慶綱・吉江信景・寺嶋長資・蓼沼泰重・藤丸勝俊・亀田長乗
・若林家吉・石口広宗・安部政吉・吉江宗信・山本寺景長・(吉江景資)
※吉江景資の名は「魚津在城衆十二名連署状」にはないが、同時期に戦死したと考えられる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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今や世界規模の国盗り合戦

おっ❢ 本日のお題は“国盗り合戦”ですかぁ。
NHK大河の路線ですね。(笑)

自分の名を板に書き、耳に鉄線で結び自刃した
十三人の武将がいたとは知りませんでしたが、
その潔さは、西欧の国盗り合戦ヒーローと違う部分ですよね。

ただ、武士の美徳…切腹という精神(慣習)が、
後の戦争でも兵隊の自決に至ったことを思えば
観念の怖さを思いますねぇ。
彼らは端から無名で名も残らないし……。

それにしても男人って、
戦いや奪い合うことが好きですねぇ。(数千年も続いている)
かつて1000年ほど続いたと言われる女人政権。
男人は力仕事と子種ってどうでしょう。(笑)

>名声もいらぬ、金もいらぬ……。

同感です。
端から、な~んにもありませんから‥‥(^_^ ;)

2019/03/16(土) |URL|風子 [edit]

悪評でも

バーソ様
おはよう御座います。

柴田勝家の越中攻めですね。勝家はすぐに京都に引き返せば秀吉より先に光秀を討てていたかもしれないのに動けなかったのですよね。
そういう意味では十三将の粘りが歴史を変えたのでしょうね。
名を残すのは重要ですね。自分が生きた証ですから。たとえ悪評であっても何も残らず死んでいくよりいいのではないかと思います。

今回は最後の落ちが決まらなかったですね。(笑)

愛新覚羅

2019/03/16(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 今や世界規模の国盗り合戦

風子さん コメントありがとうございます^^)

 私は大河ドラマは見たことがないので、ネットで動画を探し、この第十八回編はざっと流し見しました。武将が耳に名札を付ける短いシーンはあったのですが、なぜそうしたのかという説明はないようでした。

 西欧にも騎士道というのがあり、ナイトらも名誉を重んじたようですが、日本人の場合は、お家第一、お国第一で、個人の存在感が薄いですね。儒教の影響でしょうか。

 切腹は潔いですが、しかし自分で自分を殺さずとも、相手から殺されるまで必死に戦って、相手に少しでも被害を与えたほうが合理的に考えれば得になるのじゃないですかね。私なら戦って死ぬと思います。
 ただし、生きながら捕らえられると、なぶり殺しにされたり、手足を切られて肥溜めの中で生かされることもありますから、自死のほうがいい場合もありそうです。
 
 女人政権。大昔はそれでうまくいっていたそうですが、今はいいとはあまり思えませんね。女性がリーダーとなっている国や党は、見方を変えれば男に人材が一人もいないわけで、つまりは全体的には人材がいない弱い国や党に見えます。しかし男は野心が強く、自分が得になることを第一に考える傾向が非常に強いので、それが困ったものです。

 名声も金もいらぬ。
 私の場合は、自分で好んでそうしてきたせいもありますね。体制におもねない大久保彦左衛門のような生き方や、縁の下の力持ちのほうが子供の頃から好きでした。むろん、風子さんと違って、私の場合は自分に才能がないせいが一番大きいですが。(笑)

2019/03/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 悪評でも

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> 勝家はすぐに京都に引き返せば秀吉より先に光秀を討てていたかもしれないのに動けなかったのですよね。
 そうでしたか。信長が討たれた報を聞いたとき、秀吉は、信長はまだ生きているとデマを飛ばして情報操作をしたために、明智側につくことをやめた武将たちがいたので、光秀は謀反仲間が増えずに困ったという話を読んだことがあります。

 それにしても秀吉の戻ってくるのが速いこと。機転も速い人でしたが、軍勢の足も速かった。情勢を見るに敏なるものが天下を獲る―――。国でも企業でも何の組織でも、頭の回転のいい人がトップにいると勝ちですね。そしてそれは顔に出るように思います。
 
> 自分が生きた証ですから。たとえ悪評であっても何も残らず死んでいくよりいいのではないかと思います。
 ああ、そうですか。この場合の「悪評」というのは悪事をしたゆえの悪評ではなく、男として大きな目的を持って何かをやり遂げようとする際は、大抵なんらかの悪評も付いてくるので、そんな悪評はやむを得ないということでしょう。

 教授のブログネームが愛新覚羅だということは、歴史を動かすような人間になるのが男の本望だという気概を示しているのでしょうから、それはまた才能のあることをも示しているようですね。

 オチ。そうなんです。それが悩みなんです。いいのがあれば教えてください。素早く差し替えますから。(笑)

2019/03/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

散骨は7番ホールのどこかに

おひさし~

三谷監督の清須会議のちょっと前のお話ですなぁ、織田側の総大将は役所広司さんだったかしら、景勝ちゃんが見限った魚津城から逃げずに逃げられず、それで死んで名を残す、とかなんとか言っちゃって、みんな仲良く自決ってか、それでも今こうしてバーソ師匠に取り上げられて、平成の世に知らしめられているんだから、やっこさん方も本望か。

戦国時代ってとてもデンジャラス、とうの役所さんも5年後には、二回りも下の嫁さんを道連れに自害、・夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす・なんちゃっての句を残してね。

おいら、死んで花実が咲くものかの主義、だから、今でも続く平和な戦国時代では、鳴かずに撃たれずに、小さな花と、小さな実を残せればなぁ、などと思う次第で、ま、結局は死んじまうんだけどね。

2019/03/16(土) |URL|ばく [edit]

Re: 散骨は7番ホールのどこかに

ばくさん コメントありがとうございます^^)

 ばくさんは、こういう話が好きなほうじゃないですか。それこそデンジャラスな戦いに勝ち抜いて北の大地で一国一城の主になったひとですから、謙遜で「小さな花と、小さな実を残せればなぁ」などとおっしゃってはいますが、この世に男として生まれたからには、という意識が人一倍強そうに感じます。

 “夏の世のように短く、はかない私の名を後の世に伝えてほしい、ほととぎす”。この柴田勝家の句は面白いですね。
 信長の“鳴かぬなら殺してしまえ、ほととぎす”と、秀吉の“鳴かせてみよう、ほととぎす”の二つの句と比較すると、勝家もいつかは自分も天下を獲りたいと思っていたでしょうが、信長、秀吉よりも少し志が穏やかだったようなニュアンスがあります。
 
 お市の方。信長の妹。子孫に女性天皇になった人もいます。
 このひとの辞世の句を調べたら、「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ郭公かな」でした。
 ほととぎすは郭公とも書くのですね。以前、ブログに書いたことがあります。

 ともあれ、みな、ほととぎすで結句していて、このお市の方の句は夫の勝家の句とよく似ています。さすが戦国武将の妻、死生観は同じのようです。勝家も、25歳下(ですか)の女性に好かれて、幸せ者です。

 やはり、男は顔でも若さでも体力でもなく、やはり男気、そして才能なんでしょう。私はどれも持ち合わせてないですが、男に生まれてきてよかったと思っていますよ。こう言うと女性蔑視のように思われそうですが、そうじゃなく、今の世は男のほうが面白く生きられますから。

2019/03/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

面白いですね。
ご隠居と熊さんのやりとりが絶妙で戦いの経緯が分かりやすかったです。
魚津城の戦いの耳の話、初耳でした。
耳を名を板に書き、耳に穴を開け、鉄線で結び、自刃した
とは異様ですね。
耳に穴をあけるとは痛いでしょうに。
あっでも自刃に比べればなんてことはないか。
しかも後数日待てば信長の死の情報も入り死ぬこともなかったのに。
日本の武将は敗色が濃くなると戦って死ぬことより自刃を
選ぶことが多かったですね。信長も魚津城を攻めた柴田勝家も。
柴田勝家はこの城攻めで信長の弔い合戦参戦に遅れました。
それが後後まで響いて秀吉の後塵を拝することになったんです。
ただ、勝家は秀吉が恋焦がれたお市の方をちゃっかりと手に入れてますね。
秀吉には分かっていたんでしょう、お市が自分を蛇蝎のように嫌っていることを。

2019/03/16(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2019/03/16(土) || [edit]

そもそも

この世において、
「所持できるものは何もない」
という考え方です。
名声も、お金も、思いも。

車窓の景色が過ぎ去っていくのと同様に、
ただただ「体験」が過ぎ去っていくのみ。

にもかかわらず、
ニヒリズムに沈むことなく、
子のため人のため、
自分のために何かを残したいという、
衝動にかられる自分がいます。

「個」を超えた衝動(自己愛)が
「所持」をも超えて、
今日もぼくを突き動かします^^


2019/03/16(土) |URL|友資 [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 今回はご隠居の説明は、無駄な言葉、例えば「てにをは」や接続詞もなるべく省くようにして、講談調のようにストーリーが分かるようにしたつもりでした。「戦いの経緯が分かりやすかった」ですか。エリアンダーさんにそう言われるとうれしいです。

 信長は権力者として美人であれば誰でも召すことができたでしょうから、美人の娘であるお市の方が戦国一の美人といわれるのも当然なのでしょう。
 お市の方は21歳で浅井長政の継室として嫁いでいるので、これは戦略的な結婚だったのしょうか。そして再婚相手の柴田勝家は25歳年上。お市の方が秀吉を蛇蝎の如く嫌っていたのなら、男女の好悪感情ではなく、他に何か事情がありそうです。私はこの時代のことはあまり詳しくないので分かりませんが、夫が信長に殺されたことも関係あるのでしょうかね。
 ともあれ、当時は武将たちやその子供らの結婚は、相当に政治的な思惑がからんでいたのでしょう。女性はいつの時代も立場が弱く、かわいそうなものですね。

 武将に自害が多いのは、敵の手に落ちるより、自分の手でしたほうが負けたという意識が弱まるせいか、あるいは負けた責任を取るためなんでしょうか。
 太平洋戦争中、軍艦の艦長が沈みかけた船のマストに自らを縛り付けて海の底に沈んでいったという話があります。三島由紀夫の『憂国』は、新婚の中尉が、反乱軍になった仲間を討つのがつらいというので、夫婦で自害する話でした。この妻は夫の割腹を見届け、それから咽を刺して後を追っています。こういう男と妻が日本人の模範だと三島は考えていたように感じます。

 美学というのは損得感情とは全然関係のない美意識であり、高潔な人生観ですね。他者に迷惑を掛ける美学は困りますが、男らしい、精神的にカッコいい生き方は憧れです。

 耳は痛点が少ない部位なのでしょうか。妻はピアスの穴を開けてもらうために医院に行ったとき、麻酔はしなかったが、痛くなかったと言ってました。

2019/03/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: そもそも

友資さん コメントありがとうございます^^)

> この世において、
「所持できるものは何もない」
という考え方です。

 そうですか。聖句を思い出します。ヨブの言葉です。
 「我、裸にて母の胎を出たり。また裸にて彼処に帰ろう」。

 この世では人は栄耀栄華を極め、世界をも手に入れることもできますが、それはできたとしても、生きている間のごく短い期間だけ。死んだら死後の世界には何も持っていけない。虚しいものを追い求めるのは意味がないと聖書は述べています。友資さんはまだ年取っていないのに、そういう意識を持てているのはたいしたものですね。

> 車窓の景色が過ぎ去っていくのと同様に、
ただただ「体験」が過ぎ去っていくのみ。

 これもまた精神世界の達観した人がいう言葉。そう思えれば、辛いとか、悲しいとか、腹が立つとか、悔しいとか、そのようなネガティブな思いで感情的に悩み苦しむことはなさそうです。それもたいしたものだと思います。

> にもかかわらず、
ニヒリズムに沈むことなく、
子のため人のため、
自分のために何かを残したいという、
衝動にかられる自分がいます。

 「にもかかわらず」ですか。ははは。ま、人間は、そういうものですよね。

> 「個」を超えた衝動(自己愛)が
「所持」をも超えて、
今日もぼくを突き動かします^^

 そう落とし込みましたか。究極的には「自己愛」。それでいいのでしょうね。他者を一切考えない利己愛なら困りますが、行ってみれば自己愛から利他愛も何もかもが始まるのでしょうから。

2019/03/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

わはは…祇園精舎のゴ~~ン。
諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
「ゴーンの身内にあらずんば、ニッサン・ルノー・三菱の幹部にあらず」
と、まで驕り高ぶった人物なら、せめて能面を被って信長に変装し「敦盛」を舞って欲しかった。
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり(中略) 滅せぬもののあるべきか」
死を覚悟して桶狭間に突入したあの人も、あらかじめ自らの運命を知っていたかの如く50にして本能寺に散りました。
いつの世も、地位と名声を求めて「平家物語」の愚を繰り返すのが人間の浅ましきサガなのでしょうか。
そう言えばお隣の韓国では、大統領の座を目指す者には必ず退任後の住居(監獄)が与えられる決まりになってる様です(笑)

2019/03/17(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

> いつの世も、地位と名声を求めて「平家物語」の愚を繰り返すのが人間の浅ましきサガなのでしょうか。
 おや、久しぶりにjoさんと意見が完璧に合致したようで、お互いの幸福のためにいいことですね。(笑)

 日本の戦国時代というのは面白いですね。親と子でさえも争う下克上、群雄割拠の時代。お家第一、名誉第一。野心満々で、功名心にギラギラ明け暮れる人生。命よりも名のほうが大事であるかのような武士の精神思考が目につきます。万事カネカネカネで生きていたのではないようでもあり、ある意味、高潔な精神志向があったのでしょうか。

 そんな人生観を持てたのも、才覚と運があれば百姓の子でも天下を獲れる、不安定な変動社会であったからでしょう。だから家康によって世の中が安定すると、跡目争いなどのお家騒動ぐらいしか争いはなくなります。

 世界に目を転じると、いまは力のある国が勝つ「帝国覇権主義」は流行らなくなりましたが、その代わり、金のある人(企業)が勝つ「資本主義」が幅を利かせるようになり、王や皇帝の代わりに、ごく一部の特権富裕層が国民の大多数を牛耳る社会形態に変わりました。
 男は、昔は名誉と権力を持ちたがり、今は金と権力を持ちたがり、どちらにしても自分は他者より上だという“優越感”を持って生きることに快感を感じているようです。
 しかし優越感はじつはコンプレックスの裏返し。まあ、古今東西を問わず、人間とは愚かな生きものですね。盛者必衰、驕れるもの久しからずの理を知らないのですから。

 ゴーンさんはフランスではそれほど金は使いこんでないようで、どうも我ら有色人種を軽んじて好き勝手なことをしたツケが回ってきたように感じます。日本人をなめたんじゃないですかね。
 韓国の大統領も偉そうにしていますが、人気が終わると必ず牢獄入りか自死。これも韓国だけの特徴。不思議なことですね。

2019/03/17(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

上杉は武門の家とは言うけれど

 最強の者は案外最終勝利者になれないのは良くある話だす。項羽しかり呂布しかり義経しかりだす。それと言うのも、戦とは外交の手段の一つでしかないからなのだす。コメントで何度か言うとりますが、戦争は銭だす。経済力だす。経済力の無い奴はどんなに強くても駄目なんだす。戦術で兵力の差を覆すのは至難の業だす。余程の実力差と幸運が無いと覆せないんだす。そしてそれは続かないだす。軍神などと煽てられて舞い上がってまう様では天下は獲れんだす。
 上杉謙信は超が付く程の戦上手でしたが、超が付く程の内政音痴だす。元来が坊主出身の堅物ですけぇ、自分に厳格なのは良いのだすが他人にもそれを押し付けるので配下の国人衆にはすげえ嫌われただす。お陰で本国越後は反乱の巣だす。お陰で大軍を出しても直ぐに保てなくなって自滅しただす。
 それでも戦国大名やってられたのはその土地柄のお陰だす。越後はやたら海岸線が長いけぇ北前船もスルー出来なかったんだす。一度も寄港せずに次の土地へは行けなかったんだす。ですけぇ越後でカルテル貼りゃあ銭は取り放題だす。ええ軍資金になりましただす。謙信さん内政音痴でも商売っ気だけはあったんだす。敵に塩を送るの逸話も、実際は潮止食らって困っとる甲斐に、これ幸いと越後の塩の販路をねじ込んだだけだす。外面はええけどえぐいんだす。でもそれ位だから配下の信用は得られんかっただす。そこで人質取っただす。まあ他でもやってた事だすから別に珍しい事でもなかっただすけど。
 さて、その跡を継いだのが景勝さんだす。謙信さんの甥っ子だす。色々ごたついて国力を疲弊させただす。魚津に兵を出せんかった遠因はそこに有るだす。まあ、それ以前に能登や富山を失ってる時点で推して知るべしだす。先述の様に配下の国人からは嫌われまくった上杉家だすから、旗色が悪くなるや支配地の国人衆はこぞって逃げ出しただす。追い詰められて籠ったのが魚津城だす。
 でもこれは悪手だす。魚津は交通の要衝ではありますが、平地だす。大群が展開しやすい場所に少数が籠っても袋叩きにされるだけだす。でもって後方には親不知だす。援軍は容易に来れない、物資は届かない、地元の人間当てにならない、では勝てる筈が無いだす。どうせ落ちるなら魚津城なんぞ捨てて糸魚川まで退けば良かったんだす。親不知でモグラたたきすれば織田の大軍かていちころだす。鶏肋捨てるの惜しんで配下見殺しだす。アホだす。
 ではなして城兵は自害したんだすか。人質取られてるから逃げ出すにも逃げ出せなかったんだす。降伏しろ言われて本当に降伏したら人質が幸福になれた・・・訳ないだす。実際は処分されただす。
 更に言うなら戦国時代の人生観は今と違うだす。今は個人主体だすが、当時は家主体だす。北陸戦線の先方だった佐々成政だすが、桶狭間の合戦の折に一族の多くが討ち死に上等の役割を命じられて従っとっただす。自分が死んで一族が繁栄するなら、それはそれでめでたしめでたしだたんだす。だから魚津城の兵士はあえて討ち死にしたんだす。そしたら上杉の親分かて人質を厚遇しない訳にはいかんだす。名誉とか忠心とかもあったかもしらんだすが、実態は打算だす。子孫繁栄!!こそが当時の大命題だったんだす。
 長々とお付き合いくださいましてありがとうございましただす。

2019/03/17(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 上杉は武門の家とは言うけれど

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 そう出すか。まあまあ、手持ち蘊蓄をえらいぎょうさん出すもん出すなあ。さすが、この時代の知識も博士級出す。わたしとは月とすっぽん出す。
 そうか、名誉心もあったが、やはり銭ですか。今とおんなじなのは当たり前田の利家だすなあ。

 当時の戦争は兵の数が多いほうが勝つ。経済力が大きいほうが勝つ。少人数が策略で勝った事例はごく僅かであったという話は読んだことがあります。番狂わせの戦いで思い出すのは、まあ、三方原の戦いとか長島の一向一揆とか、知略家では竹中半兵衛とか真田昌幸とか、一時的なら明智光秀もその中に入るのでしょう。

 魚津城の平面図を見たら、上杉本拠の春日山城とは大違い。確かに平地にあり、造りも要害堅固とは言い難いように私には見えました。
 この魚津城の者たちは、最後は織田連合軍に騙されて滅ぼされたそうですね。織田軍は、その前の対武田戦の際、武田側から寝返った者たちを皆殺しにしたことを聞いていたので、だから上杉軍は寝返ったり降伏したりしなかったのだが、すでに二の丸を落とした織田軍から、人質二名を送るから安心して降伏せよと言われて、信用して降伏したら皆殺しにされたのだとか。むろん織田側が出した人質は上杉方に殺されたそうですが。

 じつは最初は、記事のタイトル後半を「胸算用して名を残せり」にしたのですが、あまり感じが良くないなあと思い直し、「耳に穴を開けて名を残せり」に変え、全体もその方向の話に少し修正したのです。
 日産元会長が、私は名誉を重んじる人間だからそんな悪い事をするはずがないと言い訳していたのを思い出し、イントロはその人の話から始めました。

 昨今は我が子を殺す親がいるものの、たとえ自分を殺してまでも子は生かしたいと思うのは人間の親の本能的な愛なのでしょう。
 ですが、あの時代はそんなに子孝行で、“お家第一”なのは何故なんだかと思います。
 自分よりお家を大事にするという意識は、結局は、個人より国家を大事にする思想と同じなんですかね。そうであれば愛国主義につながりそうです。といっても私は愛国心に断固反対しているわけではなく、家を守るのも国を守るのも共に必要で大事なことだと思っています。

 むろん侵略戦争は絶対に避けたいのですが、意固地な国相手では話し合いで簡単に問題が解決できるものではないですから、人数(国力・軍事力)の多い少ないよりも、戦略と交渉力(外交力)が重要と言えそうです。日本は世界3位の経済大国でありながら、その二つと気力が欠けていますね。

 日本人は宗教的に先祖を尊びます。先祖は単なる人間なのに神様扱いです。それは子孫を大事にし、家系の存続を大事にする思想につながるのでしょうか。私は子供は作らないできました。自分の血を子に残して自分がこの世に生きた証を残したいとか、自分の家系は後世につなげなければいけないとか、先祖代々受け継いだ土地を守りたい、というような意識が全くないのでよく分かりませんが。
 またまた長文の論文コメント、まことにありがとうございました。

2019/03/18(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/03/22(金) || [edit]

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