「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 心清き者は幸いである。心の声を聴く者は賢明である。 


 例のパレスチナで発見された約4000年前の粘土板は、欠損も多く、解読困難で
したが、バーソ調査班の研究により、ラクダが自ら書いた遺訓と判明しました。

 ラクダが前歯で噛んで刻んだ独特の楔形風文字は「カメール(CAMEL噛める)文字」と
命名し、難解なラクダ語の中東方言は、適当に、否、適切に邦訳いたしました。


              cwea1.jpg Mr.camel rakuda
 
 我が愛する子供らへ

 わしは賢明なる駱駝ラクダ仲間の中でも最も自他に厳しい事を自負する者である。
 生涯五十年の中で一番感激かつ感動した事を、愛する子供らに書き残す。

 わしが壮年だった頃の某月某日。族長の名士であるご主人様が最年長の家令に、長男の嫁を探す為に遠い故郷に赴くよう命じられた。それで、わしも荷物を背負ってお供をする事になった。
 というのも、ご主人様は昔この地に移住してきた外人寄留者なのだが、近隣の人たちは異邦人で信仰が違うゆえに、息子の嫁に迎えたくなかったのだ。

 誇り高き我が駱駝族の子供らよ。
 自分の信念を守り抜くか、妥協するかを迫られた時は、焦るべからず。
 我らのまつ毛が二列に密集して生えとる訳は、砂ぼこりを防ぐ為だけでは無い。視界から虚偽を払い除け、真実のみを濾しとる為にある事を思い出せ。

.
[解説] 故郷とはメソポタミアで、今のイラクです。パレスチナからは約1000km。
東京大阪間が約500kmですから、その往復ぐらいの距離を歩く大変な長旅です。

月の沙漠をはるばると旅のラクダが行きまして、何十日も掛かってやっとメソポ
タミアの端にある泉に着きました。時は夕刻。娘たちが水をくみに来る時分です。

          par2.jpg

 家令は、わしらを井戸の傍に伏させ、天を向いて力強く祈った。
「どうか、水がめから、わたしに飲ませて下さい」と娘さんに頼んだ時に、
「どうぞ、お飲み下さい。あなたの駱駝にも水を上げましょう」と答えた娘さんが、私が主のお探しの嫁である事にして下さいますように、とな。


[解説] しばらくしたら、美しい娘さんが泉に水くみに来て、ヒゲづらの家令が頼
んだら冷たい水あげましょう、と歌うように言ってくれました。

 問題は、ラクダにも水を飲ませてくれるだろうか?ということですが、ラクダ
は大水飲み。牛乳パックなら一日約20本分、最大で100本分ぐらいは飲むのです。

 井戸は低い所にあり、手押しポンプはありません。ラクダは10頭もいましたか
ら、家令とラクダすべてに水を十分に飲ませるのは大変な重労働です。

       a0nni.jpg
    ジョヴァンニ・アントニオ・ペレグリーニ 『井戸端のリベカ』(1708-1713)

 
 その娘さんは別嬪さぺっぴん んだった。わしさえも うっとり見惚れた。しかし 麗しさは偽る事がある。美人は心が良いとは限らん。まさかわしら駱駝にまで水を飲ませてはくれんだろう、と思っておったら、なんと娘さんは、こう云った。
「あなたの駱駝もみな飲み終るまで、水を汲みましょう」
 そうして、水を汲む為に何度も井戸に走って、わしらの為に水を汲み続けてくれた。

 びっくりぽんや。娘さんは体力と辛抱強さがあり、礼儀正しく、謙遜で、親切で、優しくて、我ら駱駝にまで深い気遣いを示してくれた。

 わしがこんなに感激したのは、後にも先にもこの時だけだ。仲間の駱駝たちを見たら、みな長いまつ毛が大粒の涙で光っておったのをよく覚えとる。


[解説] 家令が娘の名を聞いたら、レベッカと言って、奇しくも一行をつかわした
主人エイブラハムの兄弟の孫娘にあたる女性でした。不思議な巡り合わせです。

 
 家令が娘さんの家に行って、じつはこのわたしが天に願った通りの事が実際に起きたのですと事細かに話したら、親御さんは、それは神のご意思に違いないから自分たちには良し悪しは云えない、娘の意見を聞いてみましょうという事になり、娘さんがこう答えた。
「行きます」

 単純なひと言だが、わしは脳髄が痺れた。
 娘さんも親御さんもお兄さんも、顔も見た事もない男との結婚をすぐ受諾してくれた。何という素直で、純粋な人たちだろう。わしは心から感動した。


 我が子よ、我が孫よ、そしてまだ見ぬ曾孫、その子供らよ。
 世間の常識に軽々しく従うなかれ。自己の内面の声に耳を傾けよ。よくよく考え、心にピンと来るものがあれば、それが自分の正解である。

 無為の日々を送るのは、楽だとしても、駱駝の堕落であると心得よ。
 常に意欲と自尊心を保ち、自分がやりたいと思う事を意識して生きよ。
 自分が納得できる事を追い求めよ。ひたすら真っすぐ生きよ。

 これがわしの最後の願いである。

 どうか、我が愛する子供らが自分の命を十分に燃やし尽くせますように。
,


[解説] レベッカは一行と共にパレスチナまで長旅をし、族長エイブラハムの息子
アイザック40歳に会い、二人は深く愛し合うようになりました。
 アイザックの名は“彼は笑う”という意味ですが、実際その通りになりました。


          caik1.jpg


 ジーザス・クライエス・キリストイストは、アイザックとレベッカの約2000年後の子孫です。





編集後記―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●この駱駝の「遺訓」は、旧約聖書の創世記24章の記述をもとにしています。

●上記のヘブライ人は英語名で表記していますが、邦訳聖書では以下のように翻字されています。
嫁のレベッカ→リベカ、夫のアイザック→イサク、父のエイブララハム→アブラハム。
リベカの名は「魅惑する者」か「雌牛」という意で、レベッカの愛称はベッキーです。

●写真はフリー画像サイト『pixabay』の写真を借用しています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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Mr.camel rakudaは『歴史の証ラクダ?』

「カメール(CAMEL噛める)文字」を解読するとは、
バーソ調査班って精鋭ぞろいなんですね。
しかもレベッカに会ってMr.camel rakuda の脳髄が痺れたなんて訳、
そうそうできるものではありません。天才翻訳家ですぅ❢

>キリスト・イエスは、このアイザックとレベッカの約2000年後の子孫です。

そうなんですかぁ!
駱駝が飲む水の量に驚き、レベッカの体力に驚き、
男の家来が手伝わなかったことに驚きはしたものの、
『歴史の証ラクダ?』の存在と、バーソ調査班のおかげで、
ピュアな精神を保てそうです。(*´ェ`*)

2019/03/09(土) |URL|風子 [edit]

バーソ様
おはよう御座います。

風子様もおっしゃっていますがカメール(噛める)文字の解読は大変だったのでしょうね。

ラクダと書くのと駱駝と書くのではイメージが違いますね。コーヒーと珈琲が違うように。
ラクダの目からみた人間の心をあらわしているのですね。
そんな素直で美しく親切な娘さんだったら親も手放したくなかったでしょうから親も尊敬に値しますね、
その時代にもし若い私がいたら争ってでも手に入れたかったです。(笑)

愛新覚羅

2019/03/09(土) |URL|aishinkakiura [edit]

Re: Mr.camel rakudaは『歴史の証ラクダ?』

風子さん コメントありがとうございます^^)

 精鋭ぞろいって、とんでもない。バーソ調査団は、入団する者が誰もいないので、成員は団長ただ一人。お酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい、ダンチョネ~と断腸の思いでいるそうですよ。(笑)

 カメールという名はいかにも中東にありそうなので検索したのですが、ちょっと見つからず。でも、かめポケモンというのがゲームにあるようです。キャメルならアメリカのタバコの銘柄を思い出しますが。

 創世記の記述を読む限り、パレスチナからメソポタミアに遣わされた家令は一人だけのようです。ですから家令とラクダ10頭で旅をしたのですから、家令は病気も出来ず、大変だったでしょう。

 ですが、しかし現在と違って、4000年前はあの地帯は全体が無味乾燥の沙漠ではなく、かなり肥沃な土地であったと考えられます。聖書では、あの死海の近辺は、エデンの園のようだと言われていたと書かれています。ですから、緑の木々も泉も案外たくさんあったのではないでしょうか。ですからラクダも、それほどはのどが乾いていなかったとも考えられます。そうだとするとレベッカはラクダを見慣れているので、たいした作業ではないと思ったかもです。

 それにしても聖書を読んでいると、イエスの先祖は“偶然”、じつは“神の導き”という不思議の糸に操られているような気がします。

2019/03/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 そうなんです。解読は大変だったので、解読剤を飲んで作業しました。(笑)
 楔形文字はただ一種類ではなく、表語文字と音節文字など、じつに様々な文字体系があるそうで、学者たちはそんな複雑なものをよく解読できたものだと感心します。

 しかしそれを言うなら、現代の普通の日本人でも、漢字を音読みと訓読みに意識せずに文脈で読み分けているわけで、人間の言語能力というのはたいしたものです。

 ラクダと駱駝。コーヒーと珈琲。確かにイメージが違いますね。
 他には、タバコと煙草。ガラスと硝子。メリヤスと莫大小。これは生地が伸び縮みしやすいからだそうですが。人間は色々と工夫をする動物なんですね。

 駱駝が見て惚れたレベッカさん。教授は、もし若かったら争ってでも手に入れたですか。もちろん結婚前の話でしょう。
 私もこんな女性がいいですね。でも争ったら簡単に負けそうです。腕力と容姿と金銭問題で。(笑)
  

2019/03/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

バーソさん、読ませますね、この記事!
ラクダが自ら書いた粘土板なんざ思いつきもしませんもの。
イサクとリベカ、ちょっと調べました。
アブラハムとイサクが古代イスラエル建国の父だったのか。
家令がすぐリベカを連れ帰ろうとするのを母が止め、
リベカの意思を問う場面や、その後にイサクとリベカが初めて
出会う場面も感動的です。
「井戸端のリベカ」こんな創世記の故事やこれを基にした絵画が
たくさん存在することも知らなかった。
http://tinyurl.com/yyh5y46f

砂漠の井戸は貴重で、無断使用は命と引き換えだということは、
映画「アラビアのロレンス」で知りました。
オマー・シャリフが陽炎のように疾駆してくる名場面は忘れがたいです。
https://youtu.be/ud1zpHW3ito

2019/03/09(土) |URL|エリアンダー [edit]

「最初に水を恵んでくれた娘を主人が探している嫁と認めよう」
と言う発想は、あまりにも都合良すぎる様な気がしてなりませんが、
過酷な環境の砂漠で千キロもの旅をしてくればそんな気にもなるでしょう。
「わしはすっかり疲れた。もう、誰でもいいからこの辺で旅を終わりたい」
人は偶然の巡り合わせを運命だとか、神の思し召しだとか、後で勝手に理由付けします。
いゃ、その気になった発端は「早く楽になりたい」「一休みしたい」と言うのががホンネでは?
運命だの何だのと人は言うが、語り手からみれば「楽だ」を目指したに違いない。駱駝連れだけに(笑)

2019/03/09(土) |URL|sado jo [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 あらー、また調べてくださいましたか。ブログを書いた甲斐がありました。報われた気持ちになります。しかしアラが分かってしまうので、よく注意して書こうという気にもなります。(^^ゞ

 建国の父はアブラハムです。神はアブラハムを選んで契約を結び、「あなたの胤(子孫)にカナン(約束の地=パレスチナ)を与えよう」、そして「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」と約束します。

 じつはこの「あなたの胤」とはイエスのことだとキリスト教では考えるのです。この約束を『アブラハム契約』と言い、この契約をベースにして聖書の神は、500年位後に(旧い)律法契約をモーセを仲介者としてイスラエル人と結び、さらに西暦1世紀になって新しい契約をイエスを仲介者として霊的イスラエル人(クリスチャン)と結ぶわけです。ですから聖書はアブラハム契約がどのように成就されていくかを書いた書であり、旧約と新約はじつは付け足しなんですね。

 アブラハムの息子イサクとリベカは結婚して双子を生むのですが、弟のほうがヤコブです。このヤコブは、神から「あなたをイスラエルと呼ぼう」と言われ、ヤコブの12人の息子がイスラエル12部族の父祖になります。

 イサクとリベカが初めて出会う場面も感動的でしたか。ここは信者でないとあまり感じないだろうと思える箇所ですが、いやあ、そうでしたか、感動的と言われるとうれしいです。

 イサクがリベカに会うちょっと前の情景描写について、創世記24:63前半を4つの訳で比較してみます。①②と③④はちょっとニュアンスが違います。

①新共同訳(日本聖書協会)
 (イサクは)夕方暗くなるころ、野原を散策していた。

②新改訳(いのちのことば社)
 イサクは夕暮れ近く、野に散歩に出かけた。

③新世界訳(ものみの塔聖書冊子協会)
 イサクは夕方になるころ静かに思い巡らすために野に出て歩いていた。

④King James Version(世界で最も普及している欽定訳聖書)
 Isaac went out to meditate in the field at the eventide

 ①②の訳は、イサクが「散策」または「散歩」するため」に野に出たと訳していますが、③④の訳は「静かに思い巡らす」または「meditate 瞑想」するためと訳しています。

 ③④のほうが原文のニュアンスを伝えています。イサクは夕暮れの静かな時間帯に野に出て、一人静かに思索をする習慣があったようです。彼は知的な思索タイプで、いかにもイエスの先祖の人らしいと思います。
 ですので、そういうふうに思ってリベカとの出会いのシーンを絵に描けば、ミレーの『晩鐘』のように、人間の深い内面性が出た思索的な絵画になり得ると思います。
 大体が、私が今まで見た限りではですが、聖書を題材にしたものは絵画にしても映画にしても、神への信仰や神への愛といった深い内面性が描かれてなく、いつも物足りなく残念に感じます。音楽は感動的なのが多いですが。
 「井戸端のリベカ」の絵もいろいろあるのですね。私が選んだのはリベカが金髪で白人顔なのが気になるのですが、他にいいのが見つからなかったのです。

 砂漠で水は貴重ですね。のどが渇いたとき、一滴の水は1キロの金塊よりも大事だという話があります。『アラビアのロレンス』は主題曲とピーター・オトゥールは覚えていますが、このシーンはちょっと記憶になかったです。エリアンダーさんは感受性が相当豊かなようですね。記憶力も良く、いつも感心します。

★追記。変換ミスを訂正しました。注解者→仲介者

2019/03/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 うーむ、そうですか。やはり、sado joさんとは精神思考がまるで違うのがよく分かります。いえ、別にsado joさんが悪いと非難しているのではありません。全然そうではなく、神や見えないものを信じる人間と、そういうものは認めない人とでは、同じものを見ても単に解釈がかなり違うのだなあ、ということに過ぎません。

 ただ、夜空の星々を見たときに、あれは何万年か前の核融合のエネルギーを人間が光点として見ているだけだと思う人もいるでしょうが、しかし物質を見たときに非物質のことを思う人もいるのです。聖書の詩編作者はこう思いました。

「あなた(神)の指のわざ(作品)である天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれに心を留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」詩編8:3,4

 つまり広大無辺の宇宙を見たときに、人間の弱小さを思い、創造者の存在とその愛にまで思いが至っているわけですが、これはアンドレ・ジイドの思考法と似ていませんか。ジイドは、至った結論はちょっと違いますが、こんな思索をしました。

 広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、一茎の葦のごとく弱い存在に過ぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。

 アブラハムはイスラエル民族の父祖として尊ばれています(ですから昔アメリカ大統領になった人は、親からその名が付けられました)。
 当時、全地には多くの人間がいたのですが、アブラハムが神から選ばれたのは、彼の純粋さと信仰のゆえでした。彼はカルデアのウルという都市で非常に裕福な生活をしていたのですが、神(実際は天使)の言葉を信じて、まだ見たこともない遠い土地(今のパレスチナ)に移住することを決意し、実行します。
 信仰というのは良くも悪くも強力な力があり、一切の地位や名誉や財産を捨てても神のご意思に従おうというところがあるのですね。

 むろん盲信や狂信だとオウムのサリン事件のようになりますが、そんな信仰ではなく、自分の内面を見つめ、自分の性格を改め、自分の生き方を考え直すという信仰は、人間性の面で良い結果を生み出すこともありますね。
 私はたいした人間ではないので偉そうなことは言えませんが、信仰には良い面もあるので、だから大昔からなくならないのです。悪いだけのものなら、とっくの昔に消滅しているはずです。ただし宗教組織とその教えは要注意だと思いますが。

 物事には大雑把に言えば二つの面があります。自分は常に正しいと思い込んでいると、とかく自分の好きな面しか見ず、他の面は間違っていると思うことになりがちなので、私はいつも、これはこうだ、あれはああだと決めつけないようにしています。「考え方はいろいろあるから面白い」とブログタイトル下に書いている通りです。

2019/03/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ調査班の研究は

ついにカメール文字の解読に成功しましたか^^

両親の愛を知らずに育ち、内向的で、
終生独身だったという万有引力のアイザックは、
それでも発明の喜びに笑ったのでしょうかね。

2019/03/10(日) |URL|友資 [edit]

成程、イメージが変わる

 脂ハム・・・おおお、なんか脂身だらけの鯨のハムが思い浮かびますね。人間だったら脂ギッシュの嫌らしい中老年おやぢ・・・あ、違う?
 井柵・・・うん、貴重な砂漠の井戸の守り人って感じ。たとえどれだけ困っていようと金がない奴にゃ一滴の水だってやるもんか。それでも飲もうってなら命と引き換えですぜぇぇぇ。あ、おねーちゃん。じゃぁ体で払ってもら・・・ゲフンゲフン。たの崇高なコメンテイターの方々に比べなんと下品な事でありましょう。反省反省。反省だけならラクダにだってできる。
 ときに、偉大にして比類なきバーソ大教授におかれましては、いかなる先人達でもなしえなかったカメール文字の解読に、しかも独力で成功したとの事。誠に誠におめでたう御座います。ときに、その石板には古代バビロニア帝国の隠し軍資金のありかが書かれていると聞き及びましたが、如何で御座いましたでしょうか。え゛、そんなの知らない?いやいやそんな事はございませんでしょう(どうやら独り占めする積りだなボソッ)。私も壱枚乗せて下さいよ。お力になりますよ。いや、わたくしの取り分なんてほんの壱パーセントで結構でございます。どうぞお連れくださいませ。え゛、今からパレスチナ。あそこはちょっと危なくありませんか?なに、お宝のためならエンヤコラじゃないのかって?そらそうですな。そんな簡単に手に入るようなら苦労はない。荷物を運べ?はいはい頑張りますよ。おっと、他にもお連れ様がありましたか。誰なんですあの別嬪さんは。フレンズなんか歌っちゃって、お友達にしとくには勿体無い。ああ、レベッカさん。黒い瞳が魅惑的ですな。ええ、今から新婚旅行?教授も隅に置けませんなぁ。え゛、支度金が大変だったでしょう。はあ、何てこと無い。先日お宝見つけたからそれで十分。ちょっと待ってください。という事は、お宝は既に・・・。え゛え゛、みんな彼女にあげちゃった?
 ・・・何時まで見とらんと、ええ加減止めてんか。

2019/03/10(日) |URL|miss.key [edit]

Re: バーソ調査班の研究は

友資さん コメントありがとうございます^^)

 カメール文字は音読すると文字どおり噛めーる語になるようですよ。なので、私は黙読するようにしています。(笑)

・アイザックといえばニュートン。(アシモフもいますが)
・ニュートンと言えばオリビア。大ヒット曲は『ザナドゥ』。
・オリビアといえばハッセー。布施明の元妻。
・ハッセーと言えば尾形。あ、いや、イッセー尾形でした。この人は映画『沈黙』では脇役でしたが、演技は完全に神父役の外人を食っていました。

 ニュートンは未熟児として生まれ、あまり家庭環境は良くなかったようですが、人間の才能というのはそんなことにはほとんど関係ないのですね。この人はアインシュタイン前の最高の科学者ですが、もう一つの顔は万物の主を信じる有神論者でもありました。

 このところ、人間にはいろいろな才能があるものだなあと感じています。友資さんは元俳優。イケメン顔に加え、かなりの長身なんですね。

2019/03/10(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 成程、イメージが変わる

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 あはは、脂ハム。やはり、そうきましたか。私も目の前にその言葉が脂ギラギラして、いあ、チラチラして、そのイメージを振り払うのに苦労しました。脂ハムの語を本文に駄洒落として入れ込みたくなるのを、やっとどうにか必死に抑えたばかりなのに、また思い出してしまいました。

 で、例によって面白きコメントをいただいたのですが―――毎度、気と時間を使っていただいて、すみませんねえ―――小生の思うところを正直に言うなら、折角見つけた黒い瞳のひとは渡したくないし、古代バビロニア帝国の誇大宝物も渡したくないので、というより、じつはmiss.keyさんに優る返コメを書くこと能わずなので、ここはひとつ関連する聖書の話でお茶を濁させてください。

 パレスチナ。昔、アブラハムの頃はカナンと言われ、ペリシテ人が住んでいたので、ペリシテが訛ってパレスチナになったと言われています。いまはイスラエル人とアラブ人が居住権を争っていますが、本来を言えばペリシテ人の地なんですね。

 特にヨルダン川の以西の土地は、旧約聖書では「父と蜜の流れる地」と言われていて、イスラエル人は神が我ら先祖に与えた「約束の地」であると主張しています。
 この近辺はあまり緑が多いようなイメージがないですが、昔は大変肥沃で、ヨルダン地域は、今から4000年位前ですが、「エデンの園のようであった」と言われています。

 それから500年位たった頃のカナンの地は、人間はネフィリム(ノアの大洪水前にいたとされる天使と人間の混血児)のように巨大で、野菜や果物はお化けのように巨大でした。旧約聖書の民数記13章を引用します。


 23 エシュコルの谷に着くと、彼らは一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ。

 ブドウの一房を男二人で担いでいます。それほど巨大ブドウだったのです。現在のその地方では一房は、普通4.5ないし5.5kgと言われていますが、20kg以上のものがあった記録があるそうです。

 昔は全地が肥沃であったのでしょう。それが年々沙漠化し、荒れていきました。人間のせいですね。ああ、面白きかな、人間は賢くもなり、愚かにもなり。あ、いや、面白い話ではなかったですね。

2019/03/10(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

どんだけでかい葡萄なんですかぁぁぁ

>>>現在のその地方では一房は、普通4.5ないし5.5kgと言われていますが、20kg以上のものがあった記録が・・・
 すっごいでっかいんですけどぉぉ。日本で人気のシャインマスカット、一房700-800gでやんす。それでも結構良い見栄えですが、4.5kg言うたらŁ玉18個入りの桃箱一つ分じゃないですか。名付けるならジャイアンマスカットですな。ぶら下がってる様を想像するだけですんごい。ところが、それが往時20kg!!!!ジャイアンもびっくりです。どんだけ肥沃な土壌だったのでしょうか。え゛、泥鰌がいっぱい住んでいた?納得です。
 さて、飽くまで聞きかじり程度なので間違いがあるかもしれませんが、ユダヤ人ってそもそもはバグダッド辺りの民族で、支配権を巡る抗争の果てに追い出されてしまったらしいですな。。それが流浪の果てにパレスチナに行き着いて、こりゃ良い土地だってんで武力征服してまったとか。で、奴隷にされたのが原住民のパレスチナ人。・・・何が約束の地やねん。単なる侵略者じゃないですか。それが正当なる所有権を主張して今日のドンパチの遠因と言う訳ですから、まあなんと酷いお話。パレスチナ人のお怒りごもっとも。

2019/03/11(月) |URL|miss.key [edit]

Re: どんだけでかい葡萄なんですかぁぁぁ

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 現代のブドウの重さは文献からの引用です。ですが、ある種の巨大カボチャ(記録は800kgを超す)のような、特殊なブドウの種類の重量かもしれません。ただ、英雄譚や奇跡物語は別にして、聖書の歴史的な記述は信用できますから、当時ブドウを男二人で担いだというのは確かだと考えていいでしょう。

 ユダヤ人の歴史を簡単に述べます。
●彼らは初めは『ヘブライ人』と呼ばれました。
 今から約4000年前のアブラハムが、異国の人たちからそう呼ばれています。意味は「通る、渡る」で、ユーフラテス川の向こうから渡ってきたという意味のようです。あるいは「ヘブライ人(イヴリー)」は、ノアの息子のセムの曾孫の名前「エベル(エーヴェル)」から来たという説もあります。

 アブラハムはメソポタミア(現在のイラクのバクダードの南のほう)に住んでいたのですが、神(天使)が現れて、見知らぬ土地へ行け、父と蜜の流れる肥沃な地を与える、と約束されたので、一族郎党を引き連れてカナン(パレスチナ)に移住して、これがイスラエル民族の始まりとなります。

 なので、追い出されたというより、アブラハムという素直な信仰のある人が、神ヤハゥエのことばを信じたのでパレスチナに移住したのだと聖書は主張しています。そしてその出来事については聖書以外に正確な記録はないはずです。むろん、パレスチナは我らが領土だと正当化するための創作だろうという意見はあると思いますが。

●次に『イスラエル人』と呼ばれるようになります。
 アブラハムの孫ヤコブが天使と相撲を取って勝ち、「イスラエル(神と闘うもの)」と名を変えるように言われてます。そのヤコブには十二人の息子たちがいて、その子孫がイスラエルの十二人の部族と呼ばれるようになります。
 
 そののち、飢饉が酷い時期があったので、彼らはエジプトに移住して、そこで人口増してファラオの奴隷の民になります。モーセが登場して紅海を分けるなどの奇跡を行ない、彼らを「出エジプト(エクソダス)」させ、再びパレスチナに戻ってくるのですが、その際にはそこの住民と戦い、打ち負かし、追い払います。「ジェリコの戦い」というジャズは、イスラエルの祭司たちがエリコの城壁を七回まわったら壁が崩れたという奇跡を歌ったものです。

 その後、イスラエルはパレスチナのヨルダン川以西に定住生活をし、イスラエル王国を設立し、エルサレムを首都とし、壮麗な神殿を造り、特にソロモン王の時は地上の栄華を誇ります。

 ところがBC997年、ソロモンの子レハベアムが重税を課したりしたために謀反が起きて、王朝が南と北に分裂します。この頃は北王朝の10部族のほうがイスラエル王国と呼ばれ、南王朝の2部族のほうはユダ王国と呼ばれます。首都エルサレムは南のほうにあり、南が正統です。

 その後、北王国のほうはアッシリア帝国に滅ぼされ、彼らと混血し、民族の純粋性を失い、『サマリア人』と呼ばれるようになります。
 これを「失われた十部族」と言い、その末裔が日本に来たという説もあります。神道の行事は彼らの宗教行事と酷似しています。鉤鼻の天皇はユダヤの末裔であり、伊勢神宮のカゴメ紋はダビデの星の紋だとか、エルサレム神殿のヘロデ門には16菊花紋が彫られているとか、いろいろ言われています。

 そのあと、南王国のほうはバビロニア帝国に滅ぼされ、混血はしないものの、主だった人々はバビロンに連れていかれます。これを「バビロン捕囚」と言います。西暦前600年頃の話です。

●イスラエルを支配する国は、バビロニア帝国からアレキサンダーのギリシア帝国に変わります。そして次にはローマ帝国の統治下に入り、彼らはユダヤ州に住む『ユダヤ人』と呼ばれます。イエスは西暦前2年頃に生まれ、西暦33年頃に死んでいます。

●西暦70年、ユダヤ戦争が始まり、エルサレム神殿はローマ軍により破壊され、ユダヤ人の国家形態は完璧に消滅します。そのとき壊された神殿の壁は「嘆きの壁」と言われ、現存します。
 以来、ユダヤ人は故郷以外の地に多く住むようになり、これを「ディアスポラ(離散民)」と言います。

 こうしてみると、確かに土地の所有権を巡っての戦争の繰り返しの歴史ですね。日本とは大違いです。日本は海洋に囲まれた島国であったのと、戦いが強かったせいで、アメリカを除いては植民地にはされずでした。

●そして1948年。『イスラエル』は離散以来、1900年も掛かってやっと建国したのですが、それまでにパレスチナにはいろいろな人種の人が住んでいたので、いまだにイスラエルは彼ら先住者と居住権を争っているわけです。エルサレムは3つの宗教の聖地。宗教の信念もからんでいるのですから、解決はちょっと無理でしょう。

 しかしながら、イスラエルの強みは知性と財産と武力でしょうね。
 彼らは国家という基盤がなかったので、勉学に力を入れ、金を持つことに力を入れ、ブドウ(武道)にも力を入れました。イスラエルの軍隊と武器は非常に優秀です。
 外国の地で生き抜いていくためには、それしか方法がなかったのでしょう。あの「ヴェニスの商人」のシャイロックは金貸しでした。この本のためにユダヤ人全体のイメージが落ち、世界から嫌われたという話があります。従軍慰安婦を書いた一冊の本とその宣伝をした新聞により日本人全体のイメージが落ちたのと同じです。

 ユダヤ系の学者や有名人は非常に多いですね。
 アインシュタイン、マルクス、フロイト、カール・セーガン、アシモフ、映画ではウイリアム・フォックス、ワーナーブラザーズ、スピルバーグ、キューブリック、ハリソン・フォード、女性では私の好みのスカーレット・ヨハンソン、その他、ミルトン、カフカ、サリンジャー、シャガール、モディリアーニ、ボブ・ディラン、そしてイエス・キリストも忘れてはなりません。

 パレスチナ人のお怒りはごもっともです。特にアメリカの経済界ではユダヤ人が力を持っているので、トランプは彼らを応援しているようです。
 しかしまあ、なんやかんやいっても、世の中は結局は、頭と金と力ですね。私には無いものばかりですが。



2019/03/11(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/03/13(水) || [edit]

子殺し

アブラハムとイサクと聞くと、アノ試練を思い出します。
映画「天地創造」のそのシーンでは、意味が分からなくてドン引きしました。
年を取ってからやっと授かった息子を殺せと言う神様って何なの。そう思いました。

でも、日本にもありましたねえ。
「菅原伝授手習鑑」寺子屋の段。

殺さなくては社会の害になるという悪党ならまだしも、
殺された、もしくは殺されようとした子は良い子でした。

親は、大義のためには我が子を殺すことがある。
洋の東西に変わりはありませんでした。
くわばらくわばら

2019/03/15(金) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: 子殺し

しのぶもじずりさん コメントありがとうございます^^)

 アブラハムが年老いてからやっと生まれた愛する子イサクを殺して犠牲に捧げよと神(天使9から命じられ、悩みながらもトボトボとモリヤ山まで旅をして祭壇を築き、いざナイフに手をかけたら、天使が現れて、あなたの信仰はよく分かった、あなたを祝福し、あなたの胤(子孫)を増やし、その胤によって全人類が自らを祝福するようにしょうと約束される話です。

 これはなかなかいいいところであり、理不尽に思えるところです。

 アブラハムがイサクを捧げようとしたのは、神は死人をもよみがえらせる力を持っているので、必ずやイサクを復活させてくださるだろうという強い信仰を持っていたのだ、と使徒パウロが注解しています。ヘブライ11:17-19

 そしてこのことは神が愛する独り子イエスを捧げることを表しているのだとキリスト教では考えます。聖書のその部分を引用します。創世記22章です。


22:2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

22:3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

22:4 三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。

22:5 そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

22:6 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。

 アブラハムは心の中ではイサクを殺すことを定めていました。イサクはそれを知っていて父親と一緒に旅をしています。つまりイサクはアブラハムの心中では比喩的に死んでいました。その期間は4節に「三日間」とあります。イエスも死んで墓の中に「三日間」いて、それから復活しています。ですので、これはイエスの死と復活を表しており、全人類を祝福する「胤」とはイエス・キリストのことになるのです。

 これは「予表と実体」と言われる聖書の預言なんですね。預言は預言者によって言葉で言われることもあり、こうして実際の出来事(歴史)で示されることもあるのです。

 しかし人間の心の奥を探ることもできる神が人間の心を試すとは?と疑問に感じるところでもあるでしょうね。

2019/03/15(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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