「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とピアノで聴く『ラ・カンパネラ』。(前編) 


「ご隠居、冬の夜空って、やけに美しくて深遠ですねえ。天の川を眺めていると、
物思いに沈んじゃうなあ」
「熊さん、珍しく冴(さ)えているじゃないか。えらく神妙なことを言って。頭が豚
コレラにでもかかったか」
「はあ、あの天の川には、橋が架かってるんだろうか、渡し船があるんだろうか、
船賃は高いんだろうかと考えてると、ひと晩じゅう頭が冴えちまって」
「なあ、熊さんよ。美しい星空を見たときは『銀河鉄道の夜』の話を思いなさい。
本当の幸いってものが理解できるぞ」
「へえ、松本零士の、」

「それは『銀河鉄道999』だ。こちらは宮沢賢治の童話で、なかなか深い話だぞ。
主人公はジョバンニという母親思いの少年で、他に同級生のカムパネルラという
親友と、いつもジョバンニをからかっている、いじめっ子のザネリもいる」
「えーと、主人公はジョバンニで、親友がカムパネルラですね」

  gia12.jpg
  『銀河鉄道の夜』 宮澤賢治(著)佐藤国男(イラスト)福武書店



「そうだ。ある星祭の夜のことだが、『銀河ステーション!』という不思議な声
が聞こえたと思ったら、ジョバンニは、夢の中だか異次元空間だかにまぎれ込ん
でしまって、天の川のわきを走る『銀河鉄道』の汽車に乗っていたことに気付く。
親友のカムパネルラも乗っていて、ジョバンニにこんなことを言う。

「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。
けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」


 熊さん。カムパネルラは、おっかさんが『本当に幸い』になるなら、どんなこ
とでもしたいと思っている。だから、おっかさんの『いちばんの幸い』なことは
どんなことかを知りたがっている。感心な子だろう。次の言葉が興味深いぞ。

誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、
おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」

 熊さん、カムパネルラは『おっかさんだって』とは言わないで、『誰だって』
と一般論にしているだろ。どうしてだと思う?」
「さっぱり、ちっとも、全然」
「これは、カムパネルラは『本当にいいこと』をしたのだが、しかしおっかさん
はそれを許してくれるだろうか、いや、許してくれるだろう、と心がちょっと揺
れているのだよ」
「何か悪いことでもやらかしたんですか」
「じつはカムパネルラは、この列車に乗る前に水死した。というのは、いじめっ
子のザネリが地元の川に落ちたので、カムパネルラはすぐ飛び込んで、ザネリは
助けたが、自分は溺(おぼ)れ死んでしまった。おっかさんは息子を亡くしたわけだ
ら、幸いにはならないんじゃないかと心配しているわけだ」

  ginga9.jpg
  『銀河鉄道の夜』フィールド・ノート 寺門和夫 (著) 青土社

「ご隠居。カムパネルラがいじめっ子を助けようとして溺れ死んだことが『本当
にいいこと』だとしても、『幸いなこと』なんですか。解(げ)せねえのは、そうな
ら、『幸い』になるためには、自分の命を失わなければならねえ。そうなら、大
損をすることで、不幸なことじゃねえんですか」
「うむ、もっともだ。その点については、さそりの話をしようかね」
「さそり座の女。あなたは遊びのつもりでも、地獄の果てまでついていく」
「そう、銀河だから十二星座もある。それにしても熊さんは、あたしとは好みが
正反対だねえ。しかしちょうどいい。息抜きに『ラ・カンパネラ』を聴いてみよう
かね。このクラシック曲を知っとるかね」
「もちろん、あっしのリストには載ってません」
「そうだろな。このカンパネラとはイタリア語で『鐘』という意味で、この曲は、
このピアノ奏者のこのライブ演奏が素晴らしいぞ。場所が夜の神社のせいもある
かもしれんが、右手の小指が弾くカンカンカンという鐘のような音色は、もの悲
しい鎮魂の響きがあって、心が揺さぶられる。あたしは、この転がるような美し
い音を聴いていると涙が出るよ」
「あらら、鬼の目に涙だ」
「茶化さないで、黙って聴きなさい。指の動きがすごいぞ」

『パガニーニによる大練習曲』第3番嬰ト短調 アリス=紗良・オット(ピアノ)

ピアノ界のジャンヌダルクと評される超絶技巧の持ち主。父はドイツ人、母は日本人。


「ご隠居。よく指がこんぐらからないで、あんなにひらひら素早く動くもんです
ね。ムカデの足よりすごいわ」
「人間の才能というのはたいしたものだ。神さまがいるなら、天才を創る超天才
だなあ。で、さそりの話だが、それは来週にして、ここらで一服するかね」
「一服って、タバコじゃなくて、お茶タイムですよね」
「うむ、一茶と言ったほうが今風かな」
「なら、茶菓でもあれば、余計いっさなあ」


(と、半オチで次回に続きます)





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ジョバンニの名は、イエスの十二使徒の一人ヨハネのイタリア語読み。カムパネルラは、ルネサン
ス期のイタリアの聖職者で哲学者のトマソ・カンパネッラ(幼名はジョヴァンニ・ドミニコ)と同じ。

『ラ・カンパネラ』(La Campanella)は、ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽
章のロンド『ラ・カンパネラ』の主題を、フランツ・リストがピアノ曲に編曲したもの。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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深淵な話はファンタジーで

『銀河鉄道の夜』…いい話ですよねぇ。
宮沢賢治の作品では、これが一番好きです。(^_^ ;)
幽体離脱とか死者の旅とか、
深淵な話はファンタジーに限ります。

>『いったいどんなことが、
おっかさんのいちばんの幸なんだろう。』

これは、難問です。
電車待ちしていて他者を救け、
自分が死んでしまった中国人いましたよねぇ。
中国の母は、どんなに絶望したことでしょう。
この時点で、息子は親不孝者と言えないこともない。

これは従軍して戦死した息子の母親たちも同じ。
『息子は英雄、お国のために……』は表向きで、
実際は何十年経っても(生きている間は)
悲しみが癒されることはないかも、ですよね。

母自身に死が訪れるようになって初めて、
『本当の幸い』に気づくのかもしれません。

はて、いじめっ子ザネリを救けて水死したカムパネルラ……。
リストの名曲『ラ・カンパネラ』と、どう繋がるのでしょう? 
後半が楽しみです。

2019/02/16(土) |URL|風子 [edit]

人を思う心

バーソ様
おはよう御座います。

今の子供で自分より母親の幸せを願うような子がいるのでしょうか?
そう思うのは私が穢れているからで子供は天使という言葉の通りで優しい心を持っているのでしょうね。
それを虐待する親は許せません。最近テレビで毎日放映されていますが嫌になります。

紗良・オットのピアノは素晴らしいですね。
残念なのは一番高いほうの鍵盤の音が聴こえません。
年齢からくるものだと思います。多分4000Hzくらいだと思いますが若い頃はちゃんと聴こえていました。
蚊の本物のモスキート音は聴こえるのですが。(笑)

愛新覚羅

2019/02/16(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 深淵な話はファンタジーで

風子さん コメントありがとうございます^^)

> 深淵な話はファンタジーに限ります。
 そうですね。霊界の話をストレートに話すと稲川淳二や霊能師のような雰囲気になり、受け入れ難くなる人がいますからね。でも少年アミの話のようにファンタジー仕立てなら一応架空のお話という設定なので、読むほうは抵抗が少なくなるのでしょうが、その分、真実性が曖昧になることがありますね。しかし美しい楽しい幻想の世界になることは確かですが、ただ、映画『スター・ウォーズ』では、あまりフォースとか超常現象の話は出てこないほうが良かったと思う人がいるのじゃないでしょうか。

 母親の一番の幸いは何か。
 普通は、親として本能的に、切羽詰まった状況では特に、自分の子供が幸いになることを望む親が少なくないような気がしますが、しかし昨今は子供より自分のほうが大事だと堂々と宣言する母親もいて、ひどい場合は子供を虐待死させる親もいます。
 私は、もし子供がいたら、以前なら間違いなく、神のために生きるのが一番の幸いだと厳しく子供に教え込んだと思います。お国を大事にする親なら子供に、お国のために死ね、と心の中で泣きながら言うのでしょう。

 自己犠牲の死を遂げた少年カムパネルラとリストの「ラ・カムパネラ」の繋がりは、名前がイタリア語では同じようなのと、この曲のピアノの一番高い音が鎮魂の鐘音のように聴こえるためと、硬い話を少しでもやわらげるためです。なので、さして深い意味はないのです。その程度の話なのです、いつも。(笑)

2019/02/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 人を思う心

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

> 今の子供で自分より母親の幸せを願うような子がいるのでしょうか?
 私もこの童話を読んで、子供がお母さん思いであることに感心しました。というか、大体が昔は、特に小説などでは、子供が母親思いであることは当たり前のように書かれていなかったでしょうか。親孝行は当然の義務だと教えられましたし、「忠」とか「孝」というのは人間には必須の精神だと私は思っていましたね。

 ですが、自分よりも母親の幸せを願う気持ちのほうが強かったかといえば、そんなことはあまり、というか、全然考えたこともなかったですね。母親と自分とどっちが大事かなんて思いもしなかったし、そんなことを考える状況になったこともなかったです。

 しかし最近報道されている女の子の虐待死事件は、母親は夫から乱暴されるのが怖かったので、子供が虐待されるのを黙って見ていたそうで、それが事実ならおそろしい話です。そんな親もいるのですね。
 
 この曲の一番高い音が聴こえませんか。4000Hzぐらいの音は耳鳴りの音に近いようです。私も常時そのぐらいの音が頭の中で鳴っているのですが、このピアノの音は聴こえますね。教授の場合は、あまり聴こえない、という意味ですかね。

 私は若い頃は15,00Hz以上の音も聴こえたのですが、いまはスピーカーはTwitterが不要になり、フルレンジで十分になりました。(笑)

2019/02/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

大損失です!

 まずは母親の立場で言えば、他人が死ぬのは日常の事。誰が何人とかは関係なく、単なる一風景です。それで心を痛めるかどうかはともかくとして、やっぱり他所の事、他人事な訳であります。そんな一事象を掛け替えの無い息子の命と引き換えにしたのだとすれば、そりゃいたたまれんでしょうな。立派だとは思うかもしれませんが、同時に何でそんな馬鹿な事をと思う気持ちもある筈です。〇〇鹿無いは有り得ないのですな。
 次に序盤二の立場から申しますと、無二の親友の命が、寧ろ居なくなってくれた方が有難い存在の存続と引き換えに消えてしまったのだとしたら大損害です。今後の事を考えても憂鬱です。口には出さないまでも、その逆ならどんなに良かったかと、悪人でなくても思います罠。人の心の中に於いて人命の重さに平等など無いのです。あしからず。
 噛葉寝裸の立場から申しますと、あちゃぁ、やっちまったよ。と思ったところでもう遅い。自己満足と後悔と心残りがない交ぜになってゼロになるのでありましょう。感謝されても偲ばれても絶対本人は元は取れん罠。
 最後に座練の立場で申しますと、幸運の宝くじに当たった様なものです。当たった時は幸運を噛みしめ感謝もするでしょうが、喉元過ぎれば熱さ忘れる。何時しか思い出す事も無くなり、過去は振り返らない♪明日に向かって生きて行く~♬ってなもんです。噛葉寝裸は無駄死にかもしれません。ああ、諸行無常。

2019/02/16(土) |URL|miss.key [edit]

Re: 大損失です!

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 四者についての四様の感想。なるほど、いちいちごもっともです。
 ですが、母親の件では「〇〇鹿無いは有り得ない」がちと難解でした。何回か読み直しましたが、これは「死ぬしかない」でしょうか。いずれにせよ、拙ブログは禁止ワードフィルターの設定をオフにしているので、どんな言葉でも大丈夫ですよ。
 なお、「序盤二」については私も同じ字を考え、後編で使う予定ですので、ご内密に。「噛葉寝裸」については、「看破」や「寒波」じゃ面白くなく、ロシア語の「カンパ」だと漢字が無しで、造語は思いつかず、でした。

> 人の心の中に於いて人命の重さに平等など無い 
 ごもっともです。が、船が難破して小さなボートに定員オーバーの人が乗っていて、もうボートが沈みそうだから誰か一人を除こうという状況になったとき、私なんぞ真っ先に選ばれるでしょうし、それも無理はないと思いますが、そんなことを当然だとばかりに言いだすような男は一緒に除いてほしいと思いそうです。

> あちゃぁ、やっちまったよ。と思ったところでもう遅い。
 カムパネルラはなぜザネリを助けたかといえば、損得勘定や善悪判断などを超えた、いわゆる「惻隠の情」と言われる、本能的かつ衝動的なものなのでしょう。人間にそんな感情が備わっていることは不思議で、これは後編でちょっと扱います。

 ザネリは、そうです、たいして感謝はしないか、あるいはこれを契機に悔い改める可能性も無きにしは非ずかもしれませんが、馬鹿は死ななきゃ治らないので、こんな男はまた弱者をからかって面白がるような日々を送りそうです。

> 噛葉寝裸は無駄死にかもしれません。ああ、諸行無常。
・仏教的に言えば、極楽に行くか、宇宙の命に戻って、ああ、諸行無常ですかね。
・キリスト教的に言えば、天国にて神のみそばで至福の生命を永遠に楽しむことになる。
・精神世界的に言えば、悪い人にでも無条件の愛を示すという人生の課題を果たしたことになり、達成感と充実感と幸福感を味わえる。
・無神論もしくは進化論的に言えば、死んだら終わり、はい、それまでよ。無情ですねえ。

 しかしながら、死んだ後は、一切は無になるのか、至福になるのか、誰にも確定できないのであれば、生きているうちが花、自己満足でいいのかもしれません。幸福感とか喜びというのは、つまるところ自己満足なのですから。

2019/02/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「銀河鉄道の夜」の一番のポイントは、列車に乗っていたカンパネルラが死人であった事です。
そしてその死因が、彼にとって最も嫌いないじめっ子のザネリの命を救う為に死んだと言う点です。
これは、自らが嫌悪する者の為にさえ身を惜しまっずに捧げる自己犠牲の精神を表します。
それは「汝の敵を愛せ」「汝の右の頬ほおを打たば、左をも向けよ」と言うイエスの教えにも通じます。
面白いのは、他の死者は天国の入り口「サザンクロス駅」で降りたのに、カンパネルラはさらに高みに昇った事です。
賢治が信奉していた法華経には、自己犠牲によって人を救った者は高い位の菩薩へと昇華すると説かれています。
仏教は、人の命は平等である…と言いながら、実は人の命に修行のレベルによる階級を設けているのですね。
「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ」「西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ」
賢治が生涯を閉じるに当たって詠んだ詩「雨ニモマケズ」は、まさに自己犠牲の仏道修行を表してるんですね。
さて「銀河鉄道の夜」で発心し、自己犠牲の仏道修行をしてきた賢治は正真正銘の菩薩になったのでしょうか?

2019/02/16(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

 確かに『銀河鉄道の夜』には、自己の命の犠牲により他者を助けるという献身思想が全面に表れています。いじめっ子の命と自分の命を引き換えにしたカムパネルラは、イエスの“悪人をも愛す博愛”と“全人類のための贖いの犠牲死”を小規模に表しているようです。
 この童話は、大体が主人公の名がジョバンニ(使徒ヨハネ)で、本文には「水晶の数珠」という仏教用語が出てくるものの、その他は「十字架・ハレルヤ・黒いバイブル・新世界交響曲」など、キリスト教的な言葉のほうがだいぶ多く目立ちますね。この本は初稿を28歳で出しているので、まだキリスト教的な思想が強かったのでしょうか。

 ある人たちが「サザンクロス」駅で降りたのは、これは南十字星ですから、十字架を奉じるキリスト教信者だからなんじゃないですかね。
 ジョバンニとカムパネルラがその駅で降りなかったのは、キリスト教信者じゃなく、(そして法華経信者でもなく)、そうした特定の宗教を超えた人生観、すなわちそれは“本当の幸いを求める心”を持っていたからじゃないでしょうか。
 そのことは、ジョバンニがどこにでも行ける特別切符を持っていたことに表れているような気がします。そして第9章では、「うその神様」と「本当のたった一人の神様」について、しつこいぐらいくどくどと神さま論争を青年としていることも興味深い点です。

 賢治の没後にメモ書きで見つかった『雨ニモマケズ』は、特に「東に~、西に~」や「みんなにデクノボーと~」あたりは法華経の精神を表していると言われていて、この詩の巻末にも法華経の経文が書かれています。
 ですが、そのように仏教的に見なくても、ここに書かれている人は、世俗的な欲など無く、世間的にも評価されておらず、日常の言動ではちょっとした善意とも言えるかもしれない程度の平凡な善行に懸命に励んでいる純粋透明な人であるようです。というより、「そういう者に私はなりたい」と結んでいますから、それは謙遜であったとしても、悟りを開いているとはまだ言えない、修行中の段階の人、仏教的な言い方をすれば菩薩であると言えそうです。

 賢治は24歳のときに法華経に改宗し、28歳のときに『銀河鉄道の夜』の初稿を出しています。特定の教派の狭い教えに染まっていないような人生観と死生観を持っているらしいことが、言い換えると、いわゆる悟りをまだ開いていないことが、むしろ賢治の良さであるように思うのですが、どうでしょうね。

2019/02/16(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

ご隠居さんはどうやって熊さんをさそりで納得させるんでしょうか。
次回まで待てないので青空(文庫)を見上げるとそこにヒントらしき
ものがありました。
バーソさんのお話のオチは来週だとして、この「銀河鉄道の夜」の
カムパネルラはどうなったんですか?

カムパネルラから無理やり「ラ・カンパネラ」に持っていきましたね。(笑)
アリス・紗良・オットさん、美人ですねえ。演奏も情熱的ですごい!
渋い?フジコ・ヘミング氏のとは別の曲に聞こえる。
アリス・紗良・オットさん、昨日、多発性硬化症だと公表しました。
奇しくもチェリストのジャクリーヌ・デュ・プレと同じ病気です。

2019/02/16(土) |URL|エリアンダー [edit]

某漫画とアニメのせいで、猫世界の出来事だというイメージですニャン。。。。





2019/02/16(土) |URL|Anthony [edit]

アリスさん素敵ですね

人間が何かしらの表現をするとき、
それがどんなパフォーマンスにしろ、
思考や理性みたいなものが限りなく縮小された状態のとき、
もっとも優れた能力が発揮されますよね。

ぼくは思考や理性を「父性」というくくり方をしますが、
父性の補助輪が消失したそこには、
むきだしの「母性(思考や理性を超えたもの)」が顕れるからこそ、
そういったパフォーマンスは人のこころを打つのだと、
そんなふうに思います。


後編を楽しみにしております(^^♪

2019/02/16(土) |URL|友資 [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 あらま、さそりの話をもう確かめてしまいましたか。いつもよく面倒がらずに、青空文庫に行きますね。エリアンダーさんの知的好奇心はたいしたものです。

 さて、聖書は「名」を非常に尊んでいます。「名」とは名称を表す語句で、評判、当人自身を表します。アダムが最初にしたことは動物に名を付けることでした。

 しかし一番大事なのは、評判もしくは名声という意味の名です。伝道の書7:1は「良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる」と言って、人は一生を終えるときに、悪をした人生か善をした人生かが明瞭になり、名声を得るか悪名を轟かせるかに分かれることになります。そういう意味で、死ぬ日は生まれる日に優ると言われています。

 カムパネルラは、悪人をも愛(アガペー=博愛)して死んだあとは、母親の姿が見える「きれいな野原」に行きましたが、その場所はジョバンニには「黒いびろうど」のように見えました。
 カムパネルラがどこへ行ったかについては、いろんな解釈があり、定説がないようですね。しかし、さみしそうな場所のようで、光り輝いてはいないのが、キリスト教やスピリチュアルとは違って、仏教的な考え方のように感じます。
 いずれにしてもカムパネルラは、短い人生でしたが良い名を得たことは間違いなく、これは賢治の願望であったように感じます。

 面白いのは、その文脈の前に「石炭袋」という「まっくらな孔」が出てくるのですが、これは後に「暗黒星雲」と知られるようになったもので、《賢治は南北ふたつの石炭袋を冥界と現世を結ぶ通路として作品を構成したとされている》とWikipediaにありました。

 リストの曲。フジ子・ヘミングさんの弾き方は脂っこいですね。アリス=紗良・オットさんは、右手小指の高音が仏教のチーンと鳴らす小さな鐘の音のように聴こえて、他の著名な演奏者とは全然違うと思いました。

 しかし多発性硬化症だと発表されたのですか。手足にしびれや痛みが起きる病気。白血病になった水泳選手のようにもっと大きく公表されると、大勢の人から心配されるのでしょうが、根本的な治療法がないようで、これは大変な試練ですね。うーん。

2019/02/17(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)

> 某漫画とアニメのせいで、猫世界の出来事だというイメージですニャン。。。。

 あいたー。全然わかりません。降参です

 じつは漫画とアニメは、まったくと言っていいほど見てないのです。
 最後に見たのは「鉄腕アトム」と「サザエさん」ぐらいと、あとは思い出せませんね。あ、いや、楳図かずおの「まことちゃん」は少し知っていますが。
 その他は、宮崎映画をテレビで放映されたときに見たぐらいです。「紅の豚」と「君の名は。」の2本だけは映画館で観ました。

 長年、年中無休で、超忙しく、テレビを見る時間も漫画を見るヒマもなかったのです。
 でもひょっとしたらニャロメの漫画ですかね。有名なのに、それも見てないのです。すみませんね。

2019/02/17(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: アリスさん素敵ですね

友資さん コメントありがとうございます^^)

> 人間が何かしらの表現をするとき、
それがどんなパフォーマンスにしろ、
思考や理性みたいなものが限りなく縮小された状態のとき、
もっとも優れた能力が発揮されますよね。

 こういう哲学的な言い回しがいつも上手で、感心します。いつも頭の中はそういう言葉の紡ぎ方(組み合わせ)で思考しているのでしょうかね。
 ただ、私の場合には、何回も読み直さないと難しいです。長年、消費者や聴衆を高校生レベル以上と考えて、なるべく易しいコピーを書いたり、(演壇から)話をしていたせいが大きいと思います。むろん、ブログを書いている今は違いますが。

 そうすると、この意味は、ただ感情や感覚だけで心のままに弾いていくなら、ピアノは巧く弾けない。作者の意図や曲の全体の流れを考え、どのような強弱と間で鍵盤を叩いたらいいか、そのようなテクニックの冴えを表す際にも、思考や理性を十二分に働かせて弾かなければいけないというような意味ですかね。

 その理性や感情に「剥き出しの母性(思考や理性を超えたもの)」が顕れると、良いパフォーマンスになり、心を打つというわけですか。
 しかし、この「母性」は感情や感覚でもないようですね。「父性」の鏡なんでしょうか。しかしこれは、おいおい分かってくることなのでしょう。

2019/02/17(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/02/17(日) || [edit]

長文で申し訳ありません。

ぼくは自分の文章が優れているとはあまり思えず、
そのときはいいものが書けた!と思えても、
時間が経ってから読み返すと「なんだこりゃ…」なんてことも少なくなく笑
バーソさんの誰にでもわかりやすく巧みな例え話で伝えられる文才に憧れております^^


もちろん、初心者レベルの段階での、
楽譜が読めるようになったりだとか、
鍵盤の位置を身体の一部になるまで擦り込ませるだとか、
指導者のアドバイスを的確に演奏に落とし込むためには、
よほどの天才でもない限り「考える」の作業なくしてはありえないのですが、
反復練習の中でだんだんと「あまり考えなくても」体が勝手に動き始めるレベルに到達したときから、
その「考える」や「迷い」の補助輪をいかに外せるかが、
いいパフォーマンスをする勝負になってくるのかな?なんてことを思うのです(アスリートにも同じものを感じます)。
補助輪があっては、角度をつけて体を倒さなければならない急なカーブなど、
高度さを要求される場面でカーブを曲がり切れませんもんね。
先天的な能力+反復練習+運が結実したものが、
表現者は常に試される気がします。


そうですね。
「感情」や「感覚」でもないもの(ですが、私心なき「喜び」と私心なき「悲しみ」は、母性に近いものだと考えます)。
生まれてすぐ死に向かおうとする生命体がないように、
すべての生命が常に、現状よりよくなろうとする方向性を求める不可逆な力、
母性はそんな力のことです(なので自己愛とも呼んでおります)。


仮に宇宙のすべてが自分で、
他人も自分であるとするなら、
なんの邪魔も不純物もなければ、
すべての人は、他人(自分)も自分も喜ぶことのみ目指そうとするはずですよね。
しかし、一筋縄ではそうはなりません。
一筋縄だとなんの学びも体験もありませんし、
二元性(鏡)を創造した意味がないんですよね。

なので利他は母性で、
利己的(父性)なものが消え去った、
私心なき利他は、
むきだしの母性で、
そういうものが表現者から発揮されたとき、
人のこころを深く打つのだと思うのです。


そしてイエス・キリストが、
この世に母性を顕した代表者のように、
ぼくは考えております。
「隣人を自分のことのように愛しなさい」の下りは、
母性を言葉で示そうとした、
究極のものではないかと。


解せないのは、
なぜに「天の父」なのかな?
というところです。
本当はイエスは「母」と言ったのではなかったのかなと。

バーソさんは、
どう思われますか。

こういった違和感を感じるとき、
極父性的な権力者が、
聖書の言葉を改ざんした可能性を、
考えてしまうのです。
考えすぎかもしれませんが^^;

いずれにしても、
今となっては確かめようがないことですね。



長々とわかりにくい文章、
妄言を書き連ねてしまい、
申し訳ありませんでした。
実体験としても知識としても、
キリスト教に造詣が深く、それでいて多角的で寛容なバーソさんしか、
このような疑問をぶつけられる方が他にいませんでした。
返信は、していただかなくても大丈夫です。
いつもありがとうございます。

2019/02/17(日) |URL|友資 [edit]

Re: 長文で申し訳ありません。

友資さん コメントありがとうございます^^)

 母性は、人生の上昇志向で、本能的な自己愛とも言えるが、利他愛のこと。それに反し、父性は、母性とは鏡のように父性とは対照的なもので、すなわち利己愛。
 その二つは、二元性の事象で成り立っている地球上の約束事であり、だからすべては一つであるというワンネス意識が全体を覆ったときは、最終的には自我が消えて、母性だけになるということでしょうかね。
 そういうわけで、利己的な動機や邪念が消えたとき、芸術はひとの心を深く打つことになる、ですか。そうですね。そうなれば、その芸術家はひたすら甘美なアートの世界に入り込んだ達人の領域。精神世界なら悟りを開いた覚者の領域にいるのでしょう。

 イエスは、神をなぜ「父」と呼んだのか。
 神には本当は性別がないと言うべきなんでしょうが、聖書から即物的な説明をすれば、聖書の神は永遠に存在していて生殖の必要が無い「霊」なので、性別をあえて言えば「男」なんですね。というより基本が男なんです。
 神は人間の創造者なので、人間の「父」と呼ばれています。「主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です」イザヤ64:8

 神が最初に「土(アーダーマー)」を材料に創造した「アーダーム」つまり人間は、男と女の両方ではなく、男のみでした。「アダム」というヘブライ語はその人間の固有名と思われていますが、「人・人間・地の人」と訳され、個々の人にも人類一般についても用いられ、聖書中に560回以上も出てきます。その男(の肋骨)から女は造られたのです。
 宇宙では地球上だけに男と女が居るとされています。天界に女はいません。イエスは、「天使は娶ったり嫁いだりしない。死人から甦って天国に行く者もそうなる」と言いました。(ルカ20:34-36)

 イエスが神を「父」と呼んだのは、当時のユダヤでは神を父親と描写するのが概念的に分かりやすかったせいかもしれませんし、もしくは畏敬の念を感じさせる「神」という称号よりも、「父」という呼び方のほうが神をより身近に感じることができるので、イエスは意図して「父」と呼んだのかもしれません。
 そして後の時代に「三位一体論」として「子なる神」の概念に発展するのですが、イエスは、自分は天の神から遣わされた神の子であるという認識があったのですね。だからそういう意味でも神を父と呼んだのです。その証拠の一つとして12歳のときにエルサレムの神殿に行きましたが、そこを「自分の父の家」と呼んでいます。(ルカ2:49) またイエスは「私の父(神)は今に至るまで働いておられるので、私も働いているのです」(ヨハネ5:18)とも語っています。
 なお、イエスは「神の子」であるというのは、精神世界でもそう言っており、人間はすべて神の子、神の分身であると言っています。

 私は、以前は聖書は神の言葉であり、一点一画も偽りや間違いは無いと信じ込んでいましたが、しかし違うようです。例えば聖書はどう見ても、男性上位で、女性蔑視。男が主で、女は副なんですね。宇宙には天使の間に階級があり、会衆(教会)内にも序列があり、女性信者はどんなに有能でも男性信者を教える立場(牧師)には就けないことになっています。カトリックの教会堂では女性信者が頭にかぶり物をしていますが、あれは女性が男性を頭(かしら)とみなしていることの象徴的な習わしで、使徒パウロがそう命じているのです。コリント第一の手紙から、長いですが引用します。
「11:3 しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。11:4 祈をしたり預言をしたりする時、かしらに物をかぶる男は、そのかしらをはずかしめる者である。11:5 祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。11:6 もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである」。


 死に至るまで神に忠節を示せ、そうすれば報いを与えよう(黙示録2:10)、というような聖句は、どう見ても愛の神の本来の特質ではなく、封建国家の権力者に都合のいい儒教的な教えです。神は無条件の愛の持ち主であるはずなのに、些細な罪でも犯したら罰として永遠の死や地獄行きが与えられるというのも、おかしな話です。先祖アダムの罪(原罪)を子孫全員が受け継いでいるというのも、公正の原則に反します。ユダヤの神殿では、毎年おびただしい数の牛や羊が犠牲にされて神に捧げられたのも妙な話で、神はそんなに肉好きなのかとも思えます。そういうことがけっこうあるので、聖書は後の時代にかなり改竄された可能性が大きいと思います。

 ですが、面白いことに、信じ切っていると、矛盾と思えることがあっても、それが正しい見方であり、正しい考え方なのか、それならそれを受け入れるようにしよう、自分のほうがおかしいのだろうから自分の考え方のほうを調整しよう、と思って気にならなくなるのです。
 というのも「聖書は神の霊感を受けた言葉である」、「神を愛し、何よりも神のご意思を行なうことを第一とせよ」と教えられると、その他のことは些末なことになってしまうのですね。強信と狂信は紙一重。素直な信仰と盲信も近い距離にあります。あまりにも熱心な教団にいる真面目な信者は、そういう危険性を持っていますね。

2019/02/17(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

赤塚不二夫のニャロメではないです。

宮沢賢治の童話作品群を漫画化している、ますむらひろし の漫画とそれを原案としたアニメ映画です。

 が、登場人物が擬人化した猫で描かれています。

2019/02/19(火) |URL|Anthony [edit]

Re: タイトルなし

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)

 ますむらひろし。66歳。おかげさまで一つ知識が増えました。
 なかなか現代社会の批判や愚かな人間性をとらえた真摯な作品を描いているようですね。絵がユニークで面白いと思いました。

 Wikipediaによると賢治の『銀河鉄道の夜』を執筆中だそうで、画像を検索したら、この人の絵はアマゾンの書籍のコーナーで一週間ぐらい前に見たばかりです。

 というのは、このたびの話の中に挿し絵として『銀河鉄道の夜』の本の表紙を入れようと思って探したとき、この人の本があったのですが、でも主人公が人間じゃなく猫だったので、使うのをやめたのです。

 Anthonyさんから猫の某漫画の話をされたときに思い出せばよかったですね。この人は北斎の絵をもじって描いているのですね。面白そうな人です。
 
 図書館に『銀河鉄道の夜 アニメ版』と『風の又三郎 賢治に一番近い風』の本があったので予約しました。

2019/02/19(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ますむらひろし、『銀河鉄道の夜』を何度も書いているのですが、次で4回目だそうです。

 今度は登場人物が猫ではなくて、人間になるかも知れないです。

 僕は小学校高学年の頃から氏の作品を読みはじめて、作品登場人物(猫ですが)の名前を飼っている猫に名付けました。「ヒデヨシ」。


 それと、「バーソは自由に」をウチのブログの読者にも読んでもらいたくて、リンク(リスト)に加えさえていただきました。

2019/02/21(木) |URL|Anthony [edit]

Re: タイトルなし

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)

> ますむらひろし、『銀河鉄道の夜』を何度も書いているのですが、次で4回目だそうです。今度は登場人物が猫ではなくて、人間になるかも知れないです。
 そうなんですか。ブログをやっていると、いろいろ勉強になり、ありがたいことです。
 ヒデヨシ」。Wikipediaを見たら、「ますむらひろしのライフワークともいえるシリーズで、ジャンル的にはミステリー要素を含んだギャグ漫画に近く、1話完結型の形式を取りながらも世界観を読み解くヒントが随所に散りばめられており、予備知識があると一層楽しめる仕組みになっている」とありました。『アタゴオル物語』の主人公なんですね。
 1986年の出版。33年前の本。これも面白そうなので、図書館に予約しました。

> 「バーソは自由に」をウチのブログの読者にも読んでもらいたくて、リンク(リスト)に加えさえていただきました。
 おー、こういう書き方をされると、すごくうれしいですね。私のほうもリンクを張らせていただきました。ありがとうございます。

2019/02/21(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/02/22(金) || [edit]

主題は「銀河鉄道の夜」だと承知していますが、ひとこと言いたいのです。
<リストの>と言われるたびに、悔しい思いがします。
ピアノ曲に編曲したのはリストですが、原曲はパガニーニのヴァイオリンコンチェルト第二番の第三楽章です。
私が大好きな名曲です。
リストが、第三楽章をほぼ丸ごとパクりました。
堂々と盗作されて、パガニーニは楽譜の出版を止め、演奏会で楽団に配布したパート譜さえ、終演後に回収するほどナーバスになってしまいました。
そのせいで、パガニーニの作品は、コンチェルトが6曲と24のほんとに短い小品しか残っていません。
存命中は大人気だった作曲家の作品がです。

ピアニストの藤子ヘミングウェイ(彼女は、よくこの曲を演奏します)も言ってました。
「リストは、ピアニストとしては一流だったけど、作曲家としては……三流ね」
私もそう思います。
<リストの>と言われるたびに、パガニーニファンの私は悔しいでっす!

2019/02/22(金) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: タイトルなし

しのぶもじずりさん コメントありがとうございます^^)
 
 あら、大変。すぐ直しました。でも、その説明を入れると本文の流れがそがれるので、「リストの~」の部分をトルツメにし、補足で説明を少し加えました。ありがとうございます。

 原曲はパガニーニのヴァイオリン曲だというのは漠然と知っていました。だからYouTubeの上に、そう書きました。でもWikipediaを見たら下記のように書いてあったので、ピアノに編曲したものは今では(リストが大幅に修正変更したためかで)一般にリストの曲というのかと愚かしくもうっかり思ってしまいました。せめては「リストの編曲したピアノ曲」と書けば良かったですかね。パガニーニさんに大変失礼をしました。

Wikipedia→『ラ・カンパネラ』(La Campanella)は、フランツ・リストのピアノ曲。ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンド『ラ・カンパネラ』の主題を編曲して書かれた。名前の Campanella は、イタリア語で「鐘」という意味である。


 私はピアノよりヴァイオリンの弦の音のほうがだいぶ好きで、ヴァイオリンは持っているのですが、この曲の一番高い音がピアノだと鎮魂の鐘の音のようで、ピアノもなかなかいいなあと思ったのです。そして、じつはこの曲のヴァイオリン演奏は聴いたことがないのです。ですが、いま探したらやっとありました。
 https://www.nicogame.info/ja/watch/sm320855

 教えていただいて、ありがとうございました。そして、しのぶもじずりさんにも、ファンの方々にも失礼しました。

2019/02/22(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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