「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 右の頬を打たれて、左頬を向けたら、また打たれた場合は? 


あのイエスは言行不一致であった、と思う人がいるかもしれない。
というのは、イエスは「人もし汝の右のほおを打たば、左をも向けよ」と言ったが、
この言葉通りにしたことは無いからだ。(マタイ5:39文語訳)

イエスは最後の晩、大祭司の前で、下役から頬を平手打ちされたことがあるが、
こう言って下役を咎めた。

「もし私が何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、
正しいことを言ったのなら、なぜ私を打つのか」。
(ヨハネ18:23口語訳)

イエスは、もう片方の頬を差し出したりせず、むしろ抗議をした。

なので「左頬をも向けよ」は、文字通りに解釈したらいけないようだが、
そうなら、一体どういう意味なのか?




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」の意味は?

普通は右利きの人が多いので、ひとから頬を打たれると、こちらは「左頬」を打
たれる。ところがイエスは「右頬で打たれたら」と特定した。だから相手は右手
の甲(てのひらの反対側)で、打ち払うようにこちらの「右頬」を打っている。※

つまり拳固で頬やあごをガツンとなぐる行為ではなく、ひとを小馬鹿にし、侮辱す
るために、右手の甲で頬をピシャッと平手打ちする “挑発” 行為の話なのだ。

だから暴力に一切抵抗するなとか、お人好しになれという意味ではなく、挑発に
乗ってやり返すな、こちらから攻撃を仕掛けるなという意味で言われている。

なので「左頬をも向けよ」とは、強調のための誇張法(修辞話法)と考えていい。


 イエスは弱々しい人ではない。この絵は平手打ちではないが、必要な場合には実力行使もした。
 gureko9.jpg
 エル・グレコ「神殿から悪徳商人を追い払うキリスト」1600年頃


そこで、問題が生じる。
すなわち、こちらは侮辱に耐えていたら、
相手は調子に乗って、左頬も打ってくることが予想できるのだが・・・。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
右頬を打たれて我慢したら、さらに左頬をも打たれた場合は?

世の中には、パワハラ、いじめ、中傷、排除、虐待、ストーカー行為が絶えない。

なぜひとを打つのかといえば、優越感を感じ、劣等感が減るからで、だから打っ
ても仕返しをされないと分かると安心して、余計面白がって、そうする人がいる。
(だから強い人や国にはへつらうが、おとなしい人や国には強く当たる人がいる)

そういうとき、黙って、耐えるのは、美徳であり、“大人の対応” なのだろうか。


そんな場合、こんな対処法がある。

A:イエスの勧めを “言葉通りに” 実践する、立派な善い方法
使徒パウロは、イエスの勧めを積極的に解釈して、「左頬をも」差し出した。

「私は・・・はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられて
は優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、
人間のくずのようにされている」
(コリント第一4:12,13 口語訳)

嘲弄されても(言い返さずに)祝福し、ののしられても(ののしり返さずに)優しい
言葉を掛け、パウロは単に我慢する以上の善いことを行なった。だから世間から
は、軽んじられ、馬鹿にされ、「ちり(塵)」や「くず」のようにみなされた。

しかし彼はそれを誇りに思っていた。神からの祝福があると信じていたからだ。
(神に信仰を持つと、こういう利点がある。もしくは難点?がある)


B:イエスの勧めを “半分ほど” 実践する、まあ、良いと思える方法

私は使徒パウロの近似法だった。生来臆病で、腕力がないが、忍耐だけは得意な
せいと、「右の頬を」の勧めを多少実践していると思えば自尊心が保てるからだ。

しかし聖書の原則は、世間には通じにくい。悪に悪を返さないようにしていると、
性格の良い人は敬意を払ってくるが、性格の悪い人はかえって付け上がってくる。

それで今は路線を変更し、あまりに態度が悪い人には、よくよく我慢したのちに、
相手の問題点を道理をもって指摘することにした。逆恨みはされるが、悪辣行為
はピタリと終わる。そして不思議なことに、大抵、相手はそのうち居なくなる。
(私に必要な経験が終わったので、相手は人生のステージ上から消えるのだろう)


さて、ご自分なら、どうされますか。どうされていますか。
相手が自分より立場や力が上の場合には、非常に対応が難しいのですが。




補注―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※W・F・アルブライトとC・S・マンによるマタイに関する注釈は「イエスはここで身体的な殴打すべ
ての中で最も侮辱的なものは手の甲で右の頬を叩くことである点について述べている。それは近東
においては依然として真実である」としている。「右の頬」とは言葉の綾で、単に「頬」というこ
とかもしれないが、いずれにしても頬を打つのは侮辱して挑発する行為であることは間違いない。
参考―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●大本教の二大教祖の一人・出口王仁三郎は、さすがに宗教人で、善いことを言っている。
「縁があって人生の途上で自分と出会う人を、何とかして良くしてやりたいと思っている人は、怒
るでもなく泣くでもなく、人につかみかかって殴るような人を、どうすればもっと立派な人に出来
るか、色々と斟酌(しんしゃく)するじゃろう。わしの場合だと、この世的にどう顕われるかは、
神の御心のままじゃ。心乱されてはいかん、と。この程度の心境じゃろうのう」(部分抜粋)
https://blog.goo.ne.jp/goodwonderland/e/98507f41cee3fd9d8d55bb6de8a553ab
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はて、どうしたものか?

頬を二度めに打たれた場合、
パウロのように我慢はせずに言葉で反撃します。
一応『なめんなよぉ‼』のつもり……。(^_^ ;)

ですが、その内容はバーソさんと同じで、
一度目に相手を分析しているので、二度目は理詰めで
『愚の根も出ない』ように、です。

ただ、これも相手の知性や性格次第。
勝てないと判断した場合は忍耐します。

眼力使って『なめんなよぉ‼』……示しておくと、
二度め打ってくる人は、ほとんどいません。
子育て時代に、よく泣いて戻って来る息子にも
言い聞かせました。
(やられてばっかりじゃなく、たまにはやり返せ‼、
但し、絶対に素手で……)

イジメ、パワハラを含めて、効果的だと思います。(笑)

2019/02/09(土) |URL|風子 [edit]

なるほど

バーソ様
おはよう御座います。

右を打たれるということは相手は左で打つ。
考えてもいませんでした。確かにそうですね。
ボクシング理論にかなっています。
イエスはボクサーだったのか?(笑)

私の場合も右を打たれれば左を出せでした。
映画の高倉健のように耐えて耐えて、しかし、しまいには切れて
反撃するという感じです。
ただし、暴力ではありませんよ。

愛新覚羅

2019/02/09(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: はて、どうしたものか?

風子さん コメントありがとうございます^^)

 そうですか、ぐうの音も出ないほどですか。それも、理詰めで。さすが、風子さんらしいです。ひとと言い合いしても、口では負けたことがないのでしょう。それに仕事ではおおむね上の立場にいたことが多いようですから、どんな相手でもは勝てないでしょう。私も勝てそうもありません。(笑)

 しかし勝てないと判断した場合は「忍耐」ですか。そうですよね。泣く子と地頭には勝てないことになっています。相手が上の立場にいて、権力を持っていると、その人がよほど謙遜でない限り、理詰めで攻めても勝てないですね。かえって三倍返しをされます。私も教団でネチネチとひどい嫌がらせをされたことが一度あります。

> 眼力使って『なめんなよぉ?』……示しておくと、
二度め打ってくる人は、ほとんどいません。

 なるほど。そういう手があるのですね。私は大抵、相手と目を合わせずに、静かにその場を去ってしまいます。気が弱いのとひととは争わないことにしているせいです。だから人生では、大声で口げんかをしたことがないです。議論なら平気ですが、言い合いは苦手です。

 昔、丸大食品の「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」というコマーシャルがあったように、親は、ひとをいじめる子にはなってほしくはないですが、強くたくましく生きる人間にはなってほしいですね。いじめは性格の弱い子が狙われますから。

2019/02/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: なるほど

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

「右頬を打たれたら左頬を出せ」の意味については、いろんな解釈がありますが、しかし大抵その意味は、仕返しをしないという程度の説明になっています。
 しかし問題は、こちらが忍耐したら、相手が調子に乗って次から次へと打ってくる場合には、どうしたらいいかということなんですよね。

 このたび検索した限りでは、それを説明しているサイトは無かったです。クリスチャンは、とにかく忍耐せよ、しかし最後は神が報いてくださるから、という考え方が多いですね。

> 映画の高倉健のように耐えて耐えて、しかし、しまいには切れて
反撃するという感じです。ただし、暴力ではありませんよ。

 そうですか。かっこいいです。怒っても暴力は振るわないで対処する。いいですね。いかにも日本男児らしいです。
 確かに、高倉健にはそういうイメージがありますね。普段は無口で何事もじっとひたすら耐えるが、いざとなれば非常に強靭な気概と行動力を示す。最後には忍耐の緒を切るのは、ちょっとマカロニウエスタンの主人公にも似ていますが。
 
 しかし教授は本当は、腕力は弱いほうではないんじゃないですか。性格的に喧嘩をするのが嫌いなんでしょう。私も喧嘩が嫌いですが、それに加えて、そもそも腕力が弱いゆえに、生まれてからつかみ合いとか殴り合いなんかしたことがないですね。負けるのが分かってますから。

2019/02/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

打たれたらグーでお返し。

おひさしです。

むかし、むかし、おいらがピチピチしていた頃、空手を嗜んでおりました。
和道流と言う会派でしたので、身を守ることが優先の寸止め空手でした、なので 右の頬を打たれる前に交わします、もしくは受け流します。
もし不幸にも右の頬を打たれら、上下関係、宗派を問わずグーで返します。
いやいや別に強がっている訳ではありませんが・・・

2019/02/09(土) |URL|ばく [edit]

Re: 打たれたらグーでお返し。

ばくさん コメントありがとうございます^^)

 おー、空手をたしなんでいたのですか。たしなむとは、その技芸を身に着けているということでしょう。やはり、酒とナントカとか、いろいろたしなんできたのでしょう。(笑) あ、いや、たしなむには、ほどほどに楽しむという意味もありました。

 ともあれ、それじゃ怖いものなしでしょう。上下関係、宗派を問わずグーで返すのですか。普通は躊躇する場面ですが。すごいです。ぐーの音も出ないほど返すのでしょう。

 しかしそういうことをしていると、江戸の敵を長崎で倍返しをされませんか。もし、そうされたら、また返すのでしょうか。強い人はいいですね。

 和道流。動画で見ました。日本刀の剣術と戦っている演技も見ましたが、相手が切り込んできたらちょっと体をかわしたり、切り込んでくる前の一瞬のスキを突く場面がありました。ですが相手が真剣でフェイントをまじえて切り込んで来たら、素手で本当に大丈夫なのかと思いましたね。
 柔術と空手を併せたもののようですね。まともに受けず、ふわっと受け流す技はたいしたものだと思いました。
 

 護身術を身に着けていたら、自分が暴漢に襲われても大丈夫でしょうし、誰かが悪い奴に嫌がらせを受けているのを見たときも助けられるでしょうから、これはいいですね。

2019/02/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ぼくだったら

その状況になってみないとわからない、
というのが正直なところです。

頬を打たれるという、
そこだけ切り取れば、
ほんとにただそれだけの出来事なのですが、
そこに至る文脈や、場所や状況、
相手が誰でそのときどんな表情だったのか、
そして自分自身がそのとき感じた気持ちや思い、体調など、
様々な要素が複合的に集約して、
常にひとつの出来事が生まれます。

これまでの人生において、
こういうとき自分はこうするだろう、
という予測は半分くらいは当たるのですが、
もう半分は想定外の連続ですね^^
他人どころか自分のことさえもいまだによくわからず笑


それと、ぼくの自己満足に丁寧な分析を寄せてくださって、
とてもありがたく思います。
いつもほんとにありがとうございます。

どうお返事しようかと考えていたのですが、
バーソさんが仰る通り、
これからの動画解説ですべて語っていくことで、
バーソさんに二度手間を取らせてしまうので、
動画をアップしていくことで返答という形を取らせていただくことにしました。

僭越ながらひとつだけ語らせていただくなら、
前に鏡のお話をバーソさんとした覚えがあるのですが、
母性が「神」なら、
父性は「神」を映し出すための「鏡」といったところです。

来週の記事も楽しみにしております(^^♪

2019/02/09(土) |URL|友資 [edit]

Re: ぼくだったら

友資さん コメントありがとうございます^^)

 なるほど、状況によって違うということですか。そうですね。いろいろ違う要素がからみますから、一概にどうするとは言い難いでしょう。

 私は自分でいうのはナンですが、子どもの頃は勉強ができたほうなので、いじめられたことは一度もなく、むしろいじめられている人の味方をするほうでした。
 社会人になってからも、いじめられたことは無いのですが、聖書の教団に入ってから、私の思うことやすることが、例えばタバコは吸わない、夜は飲みにもカラオケにも行かない、新年の祝いやクリスマスやバレンタインの祭りは異教徒の祭りなので一切行なわないなど、一般の風習とは違うせいもあるのでしょう、煙たがられたり、変わり者だとみられるようになりました。

 そしていじめというパワハラを受けたのは、その教団で経験しましたね。階級制は無いというのが建前でしたが、実際にはカトリックのような厳とした位階制があり、上位にいる者の中には、自分の気に入らない人間に対してパワハラをすることがありました。
 西暦1世紀にはパリサイ人という偽善的な人たちいてイエスから強烈に叱責されていますが、現代のクリスチャンでも、社会的には義人なんですが、そういう人がいるのです。
 優秀な政治家でも実業家でも長くトップに君臨すると、必ずといっていいぐらい権限を振るい、悪事を平気でするようになります。気を付けないといけないですね。

> 母性が「神」なら、父性は「神」を映し出すための「鏡」
 そうですか。二つが一緒になって完璧な姿に完成するのか、あるいは一つのものが違って見えるのでしょう。では、そうしたことがおいおい分かるようにしていきますね。(^^ゞ

2019/02/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

右頬を打たれて左頬を出すのは相手によっては却って挑発に
なりそうな気がします。(笑)
Youtubeでたくさんの平手打ちが見られますが大抵の場合は
打った方が後悔するような結果になっています。
https://youtu.be/7DK7n7ftp3k
私は父親以外に打たれたことがないので、もし打たれたら
激昂して打ち返すと思います、きっと。
パウロのようには到底なれそうもないです。
ジェファーソン大統領の至言が大好きなんですよ。
「謙虚な人に対しては、絶対に不遜であってはならない。
不遜な人に対しては、絶対に謙虚であってはならない」

2019/02/09(土) |URL|エリアンダー [edit]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/02/09(土) || [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 右頬を打たれて左頬を出せば、かえって挑発になる。はい、私もそう思いました。てめえ、オレを馬鹿にしてるな、なめやがって、とか言われてボコボコに張り倒されそうな気がします。
 イエスは宣教を始めた最初の頃、安息日にユダヤの会堂で話をしたことがあります。つまり人々からはラビ(教師)扱いされていました。霊性の高い人は、ひとから侮辱されることはまず無いでしょうから、イエスに侮辱をしてくるような一般人はいなかったのでしょう。エリアンダーさんもそんな目に遭ったことがないのは、日頃のコメントを見るだけでも分かりますよ、お世辞じゃなく。

 このYouTube、見ました。冒頭で女性がポリスを平手打ちする仕方が、まさに手の甲で打つやり方ですね。ただ、この女性の場合はサウスポーですが。

 私は文字通りの平手打ちはされたことがないですが、高校生の時に近所の不良グループ4、5人に囲まれて、そのうちの一人は自転車のチェーンを持っていましたが、リーダーから生意気だと言われて右フックを1発食らったことがあります。口から血が出ましたが、抵抗せずに黙って引き下がったので、それで終わりました。歯向かわなければ、それ以上殴られることはないですね。

 しかし比喩的な平手打ち(侮辱)は、馬鹿な人間から何度かされたことがあります。私が徹底的に謙遜にして、いつも下手に出ていると、クリスチャンは無抵抗主義だから何をしても怒らないだろうと思っているせいか、調子に乗って偉そうにタメ口をきいてきたりするんです。でも私は、いささか口幅ったいですが、「罵られても罵り返さず」のイエスの態度を実行すると固く心に思い定めていましたから、涼しい顔でいるようにしてきました。そしてその頃は、本当にほとんど腹が立たなかったのですよ。
 というのは、ひとを侮辱するような人間は霊性が低いことを証明しており、それに耐える人間は霊性が高いことを証明しており、それは天の神がちゃんと見ていると思っていたからです。
 でも一つジョークを思い出しました。エリアンダーさんのブログの中で、死んで天国に行った悪人が、門の近くで泣いているグループを見て、なぜ泣いているのかと天国の門番(ペテロ?)に聞いたら、彼らはクリスチャンで、天国ではきちんと生前の善行がメモされていると思っていたが、そうではなかったので泣いているのだという話でした。
 
 このジェファーソン大統領の至言は、同じく『夏への扉』で見てハッとしたので、よく覚えています。この言葉をもっと早く知っていたら良かったです。(笑)

2019/02/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

相手に真剣に向き合うなら殴り返す筈

 つまりイエス様は相手に真剣に向き合っていない・・・と。
 それはさておき
 道理の通じない相手と言葉で遣り合っても始まらないので選択するしかありません。
 ですが、馬鹿は逃げると精神勝してしまいますので後々厄介です。ちとばかり知恵のある馬鹿は相手にされてないと判ると却って激高いたしますので更に面倒臭い。
 かといって同じ土俵に立って損失を被るのも避けたいところ。予想される損失と失うものを天秤にかけて、覚悟できるかどうかが運命の分かれ道でしょうか。引くに引けない一線を引き、そこまで踏み込んで来る様ならもうやるしかありませんな。
 ところが、実はこれは道理の通じない相手には悪手の様で、最終ラインまで引いてそこから一歩も引かないとなると、突然怒り出したこっちが悪いとか言われるのが落ち。馬鹿は察しません。第一警戒ライン、第二警戒ラインと予防線を張り、常に警告を発しておかないといけないんですな。ああほんと面倒臭い。アメリカ人が銃を手放したがらない理由がわからんでもない。
 法は人々を暴力から守る役目を果たしますが、無法者には意味を成しません。なら自主防衛となる訳ですが、しかし無法者相手の正当防衛であってもそれを立証するのはなかなかに難しいし、その損失の補償もしてくれません。世渡りは大変であります。

2019/02/10(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 相手に真剣に向き合うなら殴り返す筈

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 
 イエスは、当時の指導者層である祭司や律法教師らから嫌われましたが、一般の民衆からは、ユダヤのおかしな伝統を超えた良い教えゆえに好かれ、慕われました。
 ところが最後の晩、イエスがローマ当局に捕まったとき、総督ピラトが、恩赦は誰をしたらいいか、キリストと呼ばれるイエスか、それともバラバと呼ばれる犯罪者かと大勢の群衆に尋ねたら、群衆は、イエスを処刑せよと叫んだのです。そこでピラトは大衆の声に押されて、イエスを釈放するのをやめて、刑柱に架けることになります。大衆も政治家も風の中の羽のように心が変わるのですね。

 このことをイエスは「世のものでない者は世から憎まれる」と前もって述べていました。聖書は「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである」(ヨハネ3:20)と言っています。ですからイエスの場合は、自分がひとから憎まれ、嫌われるのは想定内であったようです。

 さて、世の中は、確かに、道理の通じない馬鹿者が多いですね。ちょっと知恵のあると自分で思っている者は、メンツや誇りゆえに、正当な理屈や道理を意地でも受け付けようとはしないことがあり、さらに面倒くさいです。なにか相手の問題点を突くと、嘘を言ったり、シラを切るだけじゃなく、逆切れして、嘘話をこしらえてこちらを反撃してくることもあります。自分の誇りを傷つけられたと思った場合の、復讐はひどくなることが多いですね。
 そしておおむね、執拗で声の大きいほうが勝ちになるので、とかく柔和で穏やかな人は人生では不利益を受けます。裁判だって大衆の声に影響されておかしな判決を出す場合もありますし、どちらにせよ、勝てば官軍。気力と腕力があるほうが勝つことになっている世の中は困ったものです。

 桃井かおりが「世の中、馬鹿が多くて疲れません?」と言ったコマーシャルは真実をついています。だから苦情が出て放送中止になったのでしょう。miss.keyさんのご意見は、いちいち全部ごもっとも。ほんと、世渡りは大変です。(笑)

2019/02/10(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

世の中おりこうが多くて疲れません?

 チョコラのCM制作陣は、反論が出てくるのは予想の範囲内だったようですよ。ですから非難の声が上がった途端、待ってましたとばかりに上記の様に改めたバージョンを流しております。が、実はこっちのほうがよっぽど辛辣じゃね?(爆笑)まあ、非難の声を上げた方々、グゥの音も出なかったのではないでしょうか。まったくやってくれやがったぜぃ。

2019/02/10(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 世の中おりこうが多くて疲れません?

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 そうでしたか。分かっててやったんですか。ならスタッフは、面白かったでしょう。桃井かおりは物憂いしゃべり方で、こういうセリフに合ってました。しかし「おりこうさん」とは「おばかさん」と同義。「きらいよ」は「好きよ」と同義。言葉は言わんとする意味と意図がいと大事なんですが、おりこうな方々はその辺がよく分からない、いや、よくお分かりのようで、すぐ言葉尻を捉えるのがお上手です。

 最近どこかの市長が「火を付けてこい」と暴言を言ったと非難されて辞職願を出す羽目になりました。確かに言葉は乱暴でしたが、軽く報道記事を読んだ限りでは、市長の怒るのも無理は無いと思いましたね。それほど難しいとは思えない事案が7年間も放置されたままだったようで、そうなら担当の幹部が無能だと、いや、お有能さんだと感じましたね。民間なら到底あり得ないようなことを公務員は平気でやりますから、いや、平気でやらないですから、いい気なもので、いや、安楽な業務でいいですねえ。

 安楽といえば、「国家安康君臣豊楽」も、言い掛かりをつけた人は頭がいいと思っていましたが、いや、そもそもそういう意図があってあえてそう刻んだのだという説があるのですね。「ももいろくろーばー」という名は、くろには桃色のバーがあるというような秘めた意図が織り込まれているのじゃないでしょうか。NHKの「チコちゃん」は憎たらしい顔で「ボーっと生きてんじゃねーよ!」なんて暴言を吐いています。これはいいのですかね。まあ、昔も今も、威嚇だとか挑発だとか、とかくにこの世は住みにくいもんですねえ。(笑)

2019/02/10(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

パーソさんのおっしゃる通り、状況が変われば言動も変わるのが当たり前でイエスは矛盾していないと思います。
こう言われたからどんな時でも絶対にそうしなければならない…では、ヒトラー治下のナチスドイツや、スターリン治下のソ連共産党になってしまいます。
それは人間ではなく命令されて動くロボットです…ところが、意外と人は熱狂の余りそんな馬鹿げた教条主義に陥るものです。
宗教における普遍的なものは変わらなくとも、指導者や信者の言動は時代と共に刻々と変わってゆくのが当たり前です。
それは人類全体が進歩していっている証です…だから、同じキリスト教指導者でも、1世紀に生きた聖ペテロと21世紀を生きるフランシスコローマ教皇の言動は違うはずです。
時の流れや人類の進化を理解せずに教条主義に陥った人間は、時に狂信的原理主義者となって人々に害を為す存在となります。
そうなれば、もはや彼らが忌み嫌うところの悪魔の手先であり、自身が信仰を失ってしまっている事に気づかない堕落した人間ですね。

2019/02/10(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)

「右の頬を打たば左をも向けよ」は誇張法の言い方なんですが、文字通りに解釈して、人は無抵抗主義であれと考える人がいます。しかしガンジーは無抵抗主義ではなく、無暴力主義だったんですね。ガンジーはしっかりとイギリスに抵抗しています。

 ひとから不当に襲われた場合には抵抗するのが当たり前で、これを正当防衛と言って、古今東西の世界で認められています。ただ、不必要な暴力は絶対に良くないのであって、力を持つ者が益を得るために他人に対して横暴な態度を取るのは決して許されることではありません。権力を持つ者や国は、とかくそういう傾向があって、それが効果を発揮するものですから困ったものです。

 イエスの言葉は文字通りに解釈してはいけない場合があるのは、イエスの人格と語られた文脈を考えるとすぐ分かるはずですが、頭の良くない人はしばしば間違って解釈するようです。
 イエスの言葉がいまでも残っているのは、内容が素晴らしいのもありますが、とにかく言い方がうまいんですね。レトリック(修辞法)に長けていたので、イエスの言葉はしっかり人々に記憶され、現代にまで伝えられています。
 
 イエスは「譬えならでは語り給わず」と言われたように非常に比喩が巧みでしたが、特に誇張法が得意でした。たとえば、
「金持ちが天国に入るよりはラクダが針の穴を通るほうが難しい」
「兄弟の目の中にあるワラを見ながら、自分の目の中にある垂木のことを考えないのか」
「盲目の案内人は、ブヨは濾し取りながら、ラクダを呑み込む」
「小さな辛子の種粒ほどの信仰があれば山をも動かす」
「あなたが持っている物をみな売り、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、天に宝を持つようになる」
「豚に真珠を与えるな」
「野のユリを見よ。蒔かず刈らず地面に生えているが、その装いは栄光を究めたソロモンでさえも敵わない」
 などなど、じつに言い方は卓越しています。

 で、教条主義ですが、そうです、じつに馬鹿げています。私はキリスト教の原理主義のような教団に長くいて、聖書こそ絶対だと教えられ、信じてきた人間ですので、その反面の愚かさは実感として分かります。

 大体が自分たちだけの考え方だけが世界で唯一正しいなんてことはあり得ないのですが、宗教に限って言うなら二千年も昔の教えこそが絶対だと思っている人がいて、時代の流れと進歩に共に対応していこうとしないのも困ったものです。

2019/02/10(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ

小生の今までの理解は、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」はキリスト教、「目には目を、歯には歯を」がイスラム教、両宗教で正反対の教えだなあ、というものでした。
ちなみに、今回、イスラムの教えをネット検索したら、小生の捉え方も間違っていることが判明。
やはり1文だけを取り出して物事を判断するのは間違いであることを改めて知ったところです。

ところで、小生が小学校高学年の頃、やたらとビンタで体罰する先生がいました。パンと1回だけ、なんてことは絶対ない。パンパンと1回往復ビンタ、これもまれ。たいていは往復ビンタを複数回です。
ビンタはたいていそうしたものですから、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」なんてやってたら、まずは左の頬をぶたれ、一瞬の間も置かず右の頬を打たれます。イエスはマゾか?なんて疑ったり。加えて、通常は右利きですから、ビンタはまず左を掌で打たれ、返しは手の甲で打たれますから、左右が逆じゃないの?というのが、小生の子供の頃の経験からの思いです。
バーソさんの解説を読んで、「人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」はビンタではなかった、ぎっちょでもなかった、合点がいきました。

さーて、バーソさんの路線変更「あまりに態度が悪い人には、よくよく我慢したのちに、相手の問題点を道理をもって指摘することにした。」=これの加害者が小生。で、「逆恨みはされるが、悪辣行為はピタリと終わる。そして不思議なことに、大抵、相手はそのうち居なくなる。」の例外として小生はその後もコメントをときどき。
小生、これからも「態度が悪い」ことがありましょうが、お許しあれ。

2019/02/11(月) |URL|薬屋のおやじ [edit]

Re: 人もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ

薬屋のおやじさん コメントありがとうございます^^)
 
「目には目を」は旧約聖書の律法の中にあります。イスラム教より古いユダヤ教の教えで、ハンムラビ法典の中にもあります。
 この意味は、目を損なわれたら目を損ない返せという《同態復讐法》を勧めるものだと一般に思われていますが、そうではなく、誰かが他者の目を故意に損なったら、裁き人は、刑罰としてその加害者の目を損なう。歯を損なったら刑罰として歯を損なう。命を損なったら刑罰として命を損なう。つまり公正に処罰をせよという、いわば《同態処罰法》の法律です。

 ですからカッとなって気軽に人を殺した人間は、間違いなく死刑に処されるので、かなりの程度、重犯罪の抑止に役立ったと思われます。
 これは故意の犯罪の場合ですが、過失の場合は、ユダヤには「逃れの町」という避難都市が6か所備えられていて、そこに逃げ込めば被害者の親族の復讐の手から逃れることができました。

 現代の日本なら一人殺したぐらいでは死刑に処されず、欧米では何十人殺しても死刑にされない国が多いようですが、ユダヤ教の神は愛と公正の神ですから、刑罰も公正にされるのです。

 イエスは「たとえ全世界を得ても自分の命を失ったら何の益があるでしょうか」と言って、人の命は全世界の資産以上の価値があると述べていますが、実際、100兆円出すからおまえの命を引き換えにくれと言われても、大抵の人は、それだけは勘弁をと言って断るのではないでしょうか。それだけ貴重な命を故意に取る者は、賠償金や監獄入りで済むはずがなく、自分の命をもって償うしかないと聖書は言っているわけですね。

 イエスの教えは、その律法の刑罰が間違っている、と言ったのではありません。当時のユダヤでは「目には目を」の律法は復讐をしてもいいのだと間違って解釈されていたので、イエスは、そうじゃない、個人的な復讐をしてはいけない(きちんと手順を踏んで裁判に任せなさい)、右の頬を打たれたぐらいなら我慢しなさい、許してやりなさい、(そうすれば喧嘩が発展して相手を殺すようなことにはならない)と言ったにすぎません。
 ですからイエスは不当に頬を打たれたときに、もう刑柱に架けられる前の晩なのに、平手打ちをした下役に正当に苦情を述べたのです。

 さて、私の路線変更の件ですが、(1)故意にからかおうという意図で小馬鹿にするような侮辱をして、(2)逆恨みをして、(3)姿を消すという条件を全部満たした人がいたという話ですから、自分のことが言われていると思うのは間違ってますよ。どうぞそのようには思わないようにお願いします。私はそんなことは全然思いもしてないで昔話を書いています。(実際、私の過去の人生で、酷い仕打ちをしたような人はみな、不思議に私の前からいなくなっているのです)。

 それどころか、むしろ謙遜に謝罪して、その後も何度も真摯なコメントをくださったり、間違いを教えていただいたり、ずっとお付き合いいただいているわけで、有難い限りだと思っています。なので、これからもどうぞよろしくお願いしますね。

2019/02/11(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2019/02/14(木) || [edit]

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