「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 出会うべき人と出遭って、人は幸福になる(前編)。 


 え~、本年最後は明るく「さいわい」な話で、ご機嫌をうかがいます。
          ______________

「ちわ~、ご隠居。年末ジャンボ、いくら買いました?」
「熊さんよ、宝くじの確率は一等七億円が二千万分の一。十万円一つ当てるにも
百五十万円くらい買わないといけないらしい。そんな不確かなもの、あたしは買
わない」
「でも、あっしは早く、いい運といい女に巡り会いてえなあ」
「ま、いい女は無理だろうが、運は天任せ。幸せは山のあなたと私の空遠くから
降ってくる。運が良ければラッキー、つまり幸運となり、その運に満足できれば
ハッピー、すなわち幸福となる」
「はあ、ラッキーとハッピーはちょっと違うんだ」
「面白いことに英語のハッピーの語源は、ハプニングつまり《偶然》から来てい
るのだよ」

 canvas36.jpg ※1



「ご隠居。偶然なら、果報は寝て待てですかね」
「いや、何もしないのはいかん。
 中島みゆきの『糸』にこんな歌詞がある。
  
  
なぜめぐり会うのかを 私たちはなにも知らない

  縦の糸はあなた 横の糸は私
  逢うべき糸に 出逢えることを
  人は 仕合わせと呼びます


 ここでは、糸が逢うべき糸にうまく出逢えることを『仕合せ』と呼ぶと言って
いる。出逢うのは偶然のように思えるかもしれんが、しかし布を織ることをしよ
うとしたからこそ、うまく出逢えたのだ。幸福は何か《すること》と関係がある
ようだな。
 奈良時代の頃、《しあわせ》は、こう考えられていたらしい。※2
  
  
自分と他者(天)のすることがうまく合わさっている=為合
わせ

 人がして天もすると、しあわせになれるという考えだ。この『天』は、運命と
ほぼ同じだ。
 これが室町時代になると、人と人がすることに変わる。

  自分と他者(人)のすることがうまく合わさっている=仕合わせ

 つまり人間関係がうまくいけば仕合せと呼んだのだな。
 この『為』も『仕』も《する》という意味だ。※3  そして江戸時代以降、幸運
から生じる人間のしあわせな気持ちに《幸》の字があてられて『幸せ』と書くよ
うになったそうだ」
「じゃあ、お天道様とうまく付き合い、ひと様ともうまく付き合えば幸せになれ
ますかね」 
「そうだな。しかし大昔は違っていた。古代中国の『殷(いん)』の時代、王に逆ら
う者は残忍極まる重い刑罰が与えられた」
「インじゃなく、ワルだ」
「この『幸』の字の元々の甲骨文字を見なさい。

 canjp91.jpg

 この『幸』の形は木で作った《手枷(てかせ)》だ。真ん中の《日》に見える部分
は、両手首を入れて、その間に木の棒を差し込んで細い枝でくくっている形だ」
「はあ、木の手錠ですか」
「しかし、手枷のほうが、手足を斬られるよりは《さいわい》だ。それで手枷を
はめられるような危機から運良くまぬがれることができれば、それも『幸』と言
うようようになったのだよ」
「あっしも、自分に問題が起きたとき、あの人よりいいとか、あれよりマシだと
か思うときがありますね」
「うむ。『他人の不幸は蜜の味』と言って、誰かの不幸が自分の幸福になる場合
もあり得るが、それはちょっと怖ろしい考えだなあ」※4

          ______________

 と、ここで仲入り、休憩とします。
 この続きは一月五日、土曜日の更新日にてまたお目にかかります。
 その前の
元旦には、特別編のおめでたいご挨拶をさせていただきます。

 皆様には今年も温かくご訪問いただき、まことにありがとうございました。
 来年も、愛変わりませずバーソのブログをごひいきのほど、
 どうぞよろしくお願いいたします。


補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:この文字はGoogle Chromeのお絵描きアプリ「描画キャンバス」を使ってマウスで描きました。
英文字は、このロゴをアレンジしました。
※2:玄侑宗久『しあわせる力』角川SSC新書 
※3:「為」=なす、する。「仕」=つかまつる(する、おこなうの謙譲語)
※4:『悪魔の辞典』を書いたアンブローズ・ピアスは、『幸福とは他人の不幸を見ているうちに沸き
起こる快い気分』と警句的に定義している。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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COMMENT FORM

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おはようございます!

『仕合せ』『仕合わせ』『手枷を免れる』……。
時代や国によって“幸せの語源”って、それぞれで面白いですね。

甲骨文字って象形文字に含まれるのでしょうが、
亀の甲羅や、獣の肩甲骨などに刻まれた
古代の漢字を指すというのが独特ですよね。
大きさ、持ち運びともに都合が良かったのですかね。
なにしろ中国人って、亀の甲羅の占いとか、好きです。
中医学古典の体系には泣かされましたが……。

>誰かの不幸が自分の幸福になる場合も……

一瞬、ギョッとしますが……。
自らが不幸のどん底に思えたとき、もっとヒドイ状態を知ることで
“耐える力”になったことは、私の人生でも確かにありました。(^_^ ;)

さて、『知の巨人』になりつつある、
バーソさん記事の『続き』を楽しみに、
“お節づくり”に励むとしましょう。

この面倒くさい風習、いい加減に卒業したいの心……。

2018/12/29(土) |URL|風子 [edit]

来年もよろしくお願いします

バーソ様
おはよう御座います。

年内は最後の更新ですね。私の幸せのイメージは理想と現実のギャップがゼロになることだと思っています。ギャップが大きくなればなるほどストレスとなります。数字で表すのは難しいですが。
バーソ様のブログにお邪魔すると頭の活性化になります。
もしお邪魔していなかったら認知症になっていたかも知れません。
来年も認知症候補者を救ってください。
スティーブ・ジョブズの次に崇拝しております。

愛新覚羅

2018/12/29(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: おはようございます!

風子さん コメントありがとうございます^^)

 日本では、人と天が、あるいは人と人の関係がうまくいっていることをしあわせと言うのは面白い考えだと思います。西洋では、しあわせとは天からの祝福だとされているようですから。
 イエスも山上の垂訓で「八福」といって、幸せな人を八つ列挙していますが、いずれもなぜ幸せと言えるかといえば、神から報われるので幸せだと言っています。

 甲骨文字といえば、骨や甲羅のヒビ割れから運命を占う、手のシワから運命を占う、そんなものに運命が出ると思うのも面白いですが、それが長い年月が経ってもあまり廃れなかったのが面白いと思います。ある程度は当たったのでしょうか。
 筮竹やトランプの札で占うのも似たようなものに感じますが、現在の偶然の現象に近未来の必然の確定が表れると思うのも面白いものです。しかしそこに天の意思が関係しているとみなすので、そう思うのでしょうかね。

> >誰かの不幸が自分の幸福になる場合も……
 じつは具体的に、手足を怪我しても、生まれつき手足に障害がある人を思えば・・・と書こうかと思ったのですが、それでは問題があると思い直して漠然と書いたのです。生まれつきの障害や突然大災害の問題を抱えたようなひとには、それは考えようによっては良い体験だとか言って、輪廻転生の話をするのは難しいですね。

 お節料理はつくるのが大変でしょう。我が家はほとんどそういうものとは縁がないですよ。年末や新年の挨拶を(ブログで)するようになったのも何十年ぶりですから。

2018/12/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 来年もよろしくお願いします

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

「幸せのイメージは理想と現実のギャップがゼロになること」ですか。
 なるほど、何か目標を決めて、それが達成されると、ああ良かった幸せだとなるということでしょう。企業戦士として懸命に努力し、活躍してきた方ならではの感想ですね。仕事では自分で何かの計画をまとめたり、新規のプランを開発したりするほうだったのでしょう。
 世間のいろいろな情報にレーダー電波を照射し、パソコンにも強く、ギターも弾く。そういう人は認知症にはなりにくいのじゃないですかね。

 私も自分の人生を振り返ってみると、大体がなにか目標を決めるということがなかったですね。仕事の面では、その時々に業務として与えられた広告のアイデアを考え出すだけで精一杯でしたし、教団の活動のほうは、その時々の講話の割り当てを果たすことと成員の世話をするだけで必死でした。
 
 毎日毎日いつも追われているような感覚で、バタバタと駆け足で人生を過ごしてきたような気がします。だから自分の人生をひと言でいえば、とにかく疲れる人生でしたね。教団を離れてから、こんなに人生は楽だったのかと痛感しました。

> スティーブ・ジョブズの次に崇拝しております。
 あららー、すごい誉め言葉です。今までの人生で最高の誉め言葉です。これで下手なブログでも、来年もまた頑張ろうという気になれます。ありがとうございます。来年もよろしくお願いしますね。(^^)/

2018/12/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

うれしいハプニング

前回の記事についていただいた返答は、
ぼくもまったくの同感です。
「体験」あるいは「発見」があってこその、
人生だなあと。


「幸」の語源には驚きました。
改めて、「幸」も「不幸」も、
塞翁が馬で表裏一体のものですね。


中島みゆきさんの「糸」は、
普遍的な名曲ですよね。
バーソさんにお会いできたことは、
今年のうれしいハプニングのひとつでもありました。

バーソさんにとって、
こころ穏やかな年末年始となりますように^^

2018/12/29(土) |URL|友資 [edit]

Re: うれしいハプニング

友資さん コメントありがとうございます^^)

> 「幸」も「不幸」も、塞翁が馬で表裏一体のものですね。
 確かに、塞翁が馬です。物事は長い目で見なければ、そして広い目と大きい目でも見なければ、全体の真実が分からないのでしょう。場合によっては小さい目も必要で、優しい目、厳しい目も忘れてはいけないのでしょう。

 一方、邪悪な目、寛大ではない目、そねむ目、姦淫の目、怒りの目・・・と濁った目もたくさんありそうですが、イエスは「もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう」と言いました。(マタイ 6:22) 
 人間は意識して自分で見るものを吟味厳選しなければ、目から入ってくる物質的な欲望に負けてしまうことがあります。ということで聖書では、ではいつも天をしっかり見なさいよとなるのですが、まあ天を見ないでも、なにかあったらすぐ自分の内部をしっかり見て、心を吟味することが出来る人は幸いな人だと思いますね。幸せは心と結びついているのですから。

 人間の目はアンテナのようなもので、自分に合うもの、合わないものを見分けることも出来ます。波長が合う人同士は、合うべくして会えるようになっていると思います。
 しかし思想ブログでは考え方が合っているうちはブロ友として結びつきやすいのですが、より深く知り合うようになると、ちょっとした意見や考え方の違いが出てきて、それが分かるときがあります。
 私は考え方はいろいろあるから面白いと思うほうなのですが、もし何かこれはちょっと違うなあと思える点があれば、率直に指摘していただければ感謝すると思います。むろん多少のことなら許容して寛大な目で見ていただければ、それも感謝しますが。

 そうれしいハプニングと言われて喜んでいます。お互いにもっと大きなハッピーになれるといいですね。
 では良いお年をお過ごしくださいね。(^^)

2018/12/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

甲骨文字の変化がとても面白い。
なるほど、手首切られることを考えれば手枷は幸せと感ずるという訳ですね。
普通の、特に幸せを感ずることもない日に歯痛で転げまわるとき、
歯科医に痛みをとってもらうと幸せな気分になれます。
映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」で自分を不幸に思う少年は
こう思うことで自分を慰めています。
「僕は宇宙に無理やり送られて死んだライカ犬よりまだまし」
ある人は「私は肥満、高血圧、高血糖、高脂血症を持っていますが幸せです、
私の上司は他に肝炎、胆石、尿管結石まで持っていますから」
もっと不幸なことに比べればまだ幸せだと悟れるようになりたい。
逆に他人の幸せは自分の不幸のように感じてしまい勝ちです。

「週刊バーソ」あくなき探求心と諧謔にあふれた記事。
来年も期待しています。

2018/12/29(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)

 甲骨文字の変化が面白いですか。この変遷を見ると、いま、字の正しい形とか、書き順、とめ、はらい、はねとかは気にするものじゃないと思えてきます。
 文中に載せた書体図はマウスで描いたのですが、どうしても直線と曲線のカーブがうまく描けないので、思いたってペンタブレットを注文しました。これからは、たまには自分で描いた挿し絵でも入れてみようかと思っていますが、絵を描くのはいいが恥をかくなと言われそうで、ちょっと躊躇し、しばし逡巡しています。そのうち、恍惚文字の変化が面白いと言われるようになりますから期待して・・・はいけませんよ。(笑)

 ひどい歯痛でも注射を打って患部を治療してもらうと痛みがすっと引くことがありますね。しかし三度経験していますが、尿管結石はだめです。一度目は夜、救急病院に自分でバイクに乗って行ったとき、一番強い痛み止め(モルヒネ?)を打ってもらっても効かなかったですよ。あれが人生で一番痛かったですね。
 なので、その痛みを思い出せば、大抵の肉体的な痛みはどうってことありません。なので、ひどい精神的な苦しみもそのように思えば対処できるのでしょうか。ちょっと分かりませんが。「ライカ犬よりまだまし」というのは面白いですね。優しい少年らしい視点です。

『週刊バーソ』の文字を見るとエリアンダーさんを思い出します。毎週土曜の定期更新になったのもエリアンダーさんのせいです。どうしてくれるんだ、あ、いや、そうじゃなかった、おかげさまでずいぶん励みになっています。いつも温かいコメントをありがとうございます。
 年末でいろいろ忙しいでしょう。どうぞ良いお年を。(^^)

2018/12/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは、久しい感じでのコメントです。

バーソさん、こんばんは。
久しい感じでのコメントです。
といっても、わたしは、
バーソさんのブログは
しょっちゅう見ていますが。

運の話しをしますと、
よくわたしは、自分で
「うん」「うん」といっています。
ああ、これは運なのかと、
自分で理解しようとしていますが、
なかなか、そんなはっきり
自覚できないでいます。

話しは変わりますが、
昔、わたしは、
いつも太陽を見ていました。
良く分からないのですが、
空を見上げると
太陽が輝いていて、
みんなは、
太陽はあまり
見るものじゃないって
言っていたような気がするけど、
なぜか、わたしは太陽を
良く見ていました。
少しじっと見ていると、
目が少しくらむことも
あるのですけど、
いつからか、
そういうのもなくなって
普通に見えるようになる
時期がありましたが、
なんか、見続けると、
目に負担がかかるかなと
思ったのもあって、
見るのを少し控えるように
なりました。

最近では、太陽を
凝視することが、
あまりできなく
なっているような
気もします。
なぜだか、
良く分からないのですけど、
とても大切なものが、そこに
あるような気がして、気やすく
見られない感じですね。

天と通ずるのは、
簡単なことではないように思えます。
人と通ずるのも、
簡単ではないと思います。

もし、天と人と
通じることが
できたなら、それは、
わたしにとってとても
有難いことだなと思います。

今年は、いくつかのコメント
有難うございました。
有難く思いながら、
返信のコメントを
書かせてもらっていました。

バーソさんにとって
来年も良い年でありますように、
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

※ちょっと、コメント内容変更しました。

2018/12/29(土) |URL|真 [edit]

Re: こんばんは、お久しぶりです。

真さん コメントありがとうございます^^)

 真さんとは長い付き合いですね。私は絵のサイトのほうも訪問していますよ。

 自分が運がいいかどうかは、なにか思いがけなく良いことがあれば。ああ運が良かったと思うでしょうかね。私は以前は運なんて信じないほうだったせいでしょうか、クジ運が悪く、まず当たったことがなかったのですが、でも物事を楽観的に考えるように頭を切り替えてからは、面白いことに運が良くなりましたよ。
 例えば都心部に行って1時間300円の路上パーキングに駐車するときでも、空いている空いていると思いながら行くと、不思議なことに前方でちょうどパーキングエリアから出る車があって、そこにうまく入ることができるというようなことが増えました。

 なので自分の運は悪いんだと思うよりも、運が良いと思うほうがいいみたいですね。これは精神世界では、引き寄せの法則とか、意識が環境を変えるといわれることの実証のように感じます。

 太陽を見るのが好きですか。私は目がまぶしくて見ていられないですが、直視できるのですか。あまり網膜に良さそうじゃないですね。
 ひょっとしたら太陽に対して、それは人間に注がれるエネルギーの源のように思えて、つまり太陽を神のように感じて、だから大切なものと思うのでしょうかね。ムウさんはどう思っているのでしょう。

 天と通じるのは、強い信仰心がある人やチャネラーのような人が可能なことだと思われています。でも自分が宇宙を支配している力と叡智のようなものを信じていて、そして正しくて愛があると信じることを行なっているなら、自分の考えていることは間違いなく天に通じていると思いますね。この場合の天とは、宗教が教える人格神ではなく、ハイヤーセルフとか守護霊のことですが。

 そして極端なことを言えば、その逆のことをしていても天には通じていると思います。ただし、いずれの場合でも、天は、だからといって報いや罰を与えることはないとも思っています。なぜなら、人間には自由意思で自分の好きなように生きることがまかされているからです。

 来年は「いくつか」ではなく、もっと気軽にコメントを書くようにしますね。いつも誠実なコメントをありがとうございます。来年もよろしくお願いしますね。(^_^)

2018/12/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

しあわせって

おひさしです。

しあわせって 何だっけ 何だっけ 空に浮かんだ白い雲
しあわせって 何だっけ 何だっけ ぬいた指輪を またもどす
しあわせって 何だっけ 何だっけ あほとアホとの思いやり

「さいわい」なお話を拝読させていただきましたら、みゆきちゃんの糸よりサンマちゃんの歌を思い出してしまいました。

来年もバーソ節を肴にハピネスな夢を見させていただきます。

師も走り出す年末、われらシニア族は転ぶのが怖くて走れませんが、それでもささやかな幸せを追い求めて、俗世の喧騒の中に飛び出し、みなと同じ時間を共有したいものです。

良いお年を、そして来年もよろしくお願いいたします。

2018/12/29(土) |URL|ばく [edit]

Re: しあわせって

ばくさん コメントありがとうございます^^)

 この歌も庶民のささやかな幸せを歌ってますね。
 わりあい長い歌詞ですが、ばくさんが選んだ部分は、その4番。いちばんいいところですね。
「空に浮かんだ白い雲」は自然界の幸せ。
「ぬいた指輪をまたもどす」は結婚生活の幸せ。波多少ありですか。
「あほとアホ」でも両者のトボケ方に微妙な違いがある。でもその阿呆同士の「思いやり」。この終わり方がいいですね。
 世の中のしあわせは所詮そんなもの。しかしそれがいいのだよと言って、高望みをしていません。現状に満足しています。温かい目をしています。ポン酢しょうゆで鍋をつっつくのも日本人の幸せなんでしょう。北海道の鍋は考えるだけでもおいしそうですね。

 シニア族は転ぶのは怖いが、ささやかな幸せを追い求めて、みんなと同じ時間を共有したいですか。いいですね。ばくさんはどちらかといえば大きな幸せをつかんだひとにみえますが、師ニア族になれば無欲で透明に生きたい。みんなと楽しみを分かち合いたい。そんなふうに思っているのでしょうかね。からだは本調子でなくても、外で友人たちと語り合い、飲み合う。ゴルフは冬はお休みになりますかね。
 
 風邪をひかないようにして良いお年をお過ごしください。ご挨拶をありがとうございました。来年もどうぞ愛変らずよろしくお願いしますね。(^^)

2018/12/30(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/12/30(日) || [edit]

「人の不幸は蜜の味」…自分の方が勝っているかどうかを他人と比べたがるのが人間の本質でしょうね。
同族同士で比較し合うと言うのは、群れて暮らす動物が優れた種を残す為の動物的本能から発しています。
その本能が悪用されると人種・民族差別となり、果ては悪しき優生学を唱えて特定の人々をホロコーストする。
ところが、ユダヤ人がホロコーストされてるのに、同じナチスの被害者である占領地の人々は「ざまぁみろ」と言ってたんですね。
自分達もナチスによって被害を受けてるのに、ナチスに加担して一緒になってユダヤ人をイジメていた所に人の恐ろしさがあります。
まさに人の不幸は蜜の味ですね…最近はネット上でも、寄って集って特定の人を叩いて蜜の味を味わおうとする人が実に多いです。
そう言う人間の本性を見ると、私にはどうしても人の「性善説」なるものは理想主義者の夢想の産物としか思えません。
ともあれ、私は病気で寝(込み)正月になりますが、パーソ様はぜひ善いお年をお迎え下さい^^

2018/12/30(日) |URL|sado jo [edit]

お世話になりました

バーソ様
再びです。これが年内最後だと思いますのでとりあえず挨拶だけ。
今年も大変お世話になりました。いつも的を得ないコメントで紙面(紙ではありませんね)を汚していて申し訳ありません。
来年もよろしくお願いいたします。

愛新覚羅

2018/12/31(月) |URL|aishinkakura [edit]

Re: タイトルなし

sado jo さん コメントありがとうございます^^)

> 同族同士で比較し合うと言うのは、群れて暮らす動物が優れた種を残す為の動物的本能から発しています。
 幸福とは、何かに比べて、より上質な生活や精神を意識し、満足している状態のことでしょう。であれば、その「比べる何か」とは、自分の過去の状態というのと、同族同士つまり自分の身近な人々や同じ国の人々ということになります。なので大災害などに遭ったひとの不幸を見ると、ああ大変だなあ、しかし自分は良かったなあと思うのは、まあ自然なことかもしれません。むろん、単にひとの不幸を喜ぶような精神は、嫌悪すべきもの唾棄すべきものですが。

 ユダヤ人が世界から嫌われたのは、彼らが国家を無くして世界中に離散したため、他国で生き延びていくためには金融界に進出するしかなかった、そして資産や土地などの基盤がないので子どもの時から教育に力を入れた結果、政治や経済界、また学者として名を成す人が増えた。それゆえにユダヤ人が住んでいた(他)国の人たちから妬まれ、嫌われるようになった、とラビが書いた『ユダヤ人の何千年の知恵』といった本に書かれていました。
 そしてシェイクスピアが書いた『ベニスの商人』のシャイロックの悪いイメージが中世から西洋に浸透し、ユダヤ人は金に汚い、ずるいと思われるようになったとも言われています。
 ならばユダヤ人が良くない人種と思われているのはイメージなんですね。そして自分たちより優れているので、妬みからそう思われているのです。

 物事の一部を見て、あるいは浸透しているイメージのせいで、全体を悪く思うのは、事実を正確に公平に見ているとは言えません。真っ白なハンカチに小さなシミの点があったとき、それが気になるとしても、だからといってハンカチ全体が汚れているかのように言うのはおかしいことです。
 車の事例で言えば、あおり運転や危険運転ををする馬鹿者は一部にいますが、雪で立往生した車を押してくれる人や、荷台からコンビニに配る予定のパンをみんなに配るトラックの運転手もいます。
 世の中には悪い人もいるが善い人もいる。そして善い人のほうが多い―――私は、そう思っているのですがね。むろん、どちらを見るかで違ってきますし、正義感の違いやその強弱で違ってくるくるとも思いますが。

 まだ寝込み中ですか。困りましたね。そんなときにコメントをすみません。体を暖かくすると肉体本来の修復機能が働きやすくなります。早く良くなるといいですね。私はけっこうjoさんとは違う意見を書いていますが、懲りずに毎回コメントを寄せていただき、ありがたいことです。来年もどうぞよろしくお願いしますね。(^_^)

2018/12/31(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: お世話になりました

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 
 ご丁寧に恐れ入ります。こちらこそ毎回お付き合いいただいて、ありがとうございました。
 同意できなかったり、読みにくい内容のもあったと思いますが、寛容の精神で許容していただいてありがたく感謝しています。
 来年もよろしくお願いしますね。

2018/12/31(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あなたは私を知らないと三度言う

バーソさんが仰ること、
とてもよくわかります。

ぼくもこうした、
思想的なことを記す活動を続けて4年ほどが経ちますが、
まるで通路を通過していくかのように、
様々な方がやって来てくださっては、
多くの方が去って行きました。

必要がなくなったという方がいれば、
考え方に齟齬が生まれてきたという方がいれば、
飽きてしまったという方がいれば、
理由すらもない方もいると思います。

まるでここに真理を見つけたかのような、
そんな熱いコメントを下さる方も多くいましたが、
ほとんどの方は去っていかれました。

イエスの受難の際に、
ペテロがイエスを三度否認したというお話がありますが、
経験上、このことが身に染みてよくわかります。

一生応援します!というような方で、
その信念が続いた方は一人もおらず、
中間くらいのスタンスの方のほうが、
案外と息が長く遊びに来てくださったりします^^

そのどちらが正しいというわけではなく、
人を信じないというニヒリズムでもなく、
人は肉体的にも精神的にも、
同じ個所にとどまり続けることができない存在であることを、痛感しますね。

ぼくが意図するまでもなく、
出会うべき人には出会い、
去る人は去っていきます。
そして自らのこころにもまた
出会うべきこころに出会い、
それは勝手に過ぎ去っていきます。

ですが、それでいいのだと、
どこか年寄り臭いかもしれないのですが笑
穏やかな気持ちです。


年越し前にお話しするようなコメントではありませんでしたね!
たいへん失礼いたしました。
返信不要です。


それでは、よいお年を^^

2018/12/31(月) |URL|友資 [edit]

Re: あなたは私を知らないと三度言う

友資さん またのコメントをありがとうございます^^)

 コメントは、よほど書くのが好きだという人以外は頭も時間も使うので、忙しい方はなかなか筆が重いものです。
 他に書かない理由としては、第一に内容がつまらない場合、内容がつまらなくはなくても自分ではたいしたコメントが書けそうもないと思っているような場合、内容が難しい場合や高度な場合、自分とはちょっと思想や意見が異なっている場合、書いても返信が無い場合、返信は有っても気のない返事をされると分かっている場合などがありそうです。とりわけ精神世界のブログは感想を気軽に書くのが難しいと思います。霊的な話や宗教的な話題が苦手な人もいますしね。

 それに友資さんの言われるように、人の関心事は移りゆくものです。たとえ良いものでも、いつも同じような味だと飽きることもあります。私のブログもそうですが、コメントの多い知り合いのブログでも、何年かたつとコメントを書く人の顔ぶれがかなり変わっていたりしますよ。

 ペテロが三度「私はイエスなんて知らない」と言ってイエスを否んだのは、自分も捕まえられるのが怖かったからです。でもその三度否認の出来事はペテロが臆病だったで終われば、単にペテロの悪い評判になっただけですが、興味深いのはそのあと、ペテロは大祭司の家の外に行って「激しく泣いた」と記述されていることです。(マタイ26:75)

 ペテロは自信家で、自分の信仰に自信を持っていました。私は死んでも主イエスを否定なんかしないと自信のほどを表明しましたが、実際にその時が来たら三度も否んでしまい、結局、自分の信仰がたいしたものではなかったことを痛感させられました。
 それゆえ、「激しく泣いた」ときに、大いに反省し、大いに改善しようと強く心に決めたはずで、それが彼の後の信仰活動に大いに益になったと思われます。ペテロはイエスから信者たちを牧しなさいと言われ、初期教会の代表者になっています。

 人間が創造者の産物であるので人生に偶然はないとするなら、人と人は必要な時に出会い、互いに必要な体験をして何か学べるはずで、そのあとは、その人間関係は終了というか卒業するのは、まあ、自然な流れのような気もします。
 夫婦関係や肉親関係だけはそうはいきませんが、大体が人と人の出遭いというものは、そういうものなんじゃないですかね。
 方丈記に「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。澱みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」とあるように、ブログで知り合って、そして去っていく人もいますが、それでいいのだと私も思いますね。

 とはいえ、それでもブログでの一期一会は貴重で有難いもので、ブログ管理者ならではの特権です。感謝してその出会いを楽しみたいものですね。

2018/12/31(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/12/31(月) || [edit]

会うべき人ですか・・・

 私は出会えませんでした。いあ、「私は」出会えたんですが、相手は出会えてくれなかったんですなぁorzorzorz
 ああ、過ぎ去りし日の想い出よ、わたくしの想いはあの街路樹の下で倒れた儘立ち上がれず朽ち果てたのであります事よ。
 ・・・え゛、何臭い台詞吐いてる?三文芝居は聞き飽きた?まあ、そう言わんと。
 切り株の上で寝て待って待ちぼうけ、攻めてみて返り討ち、何をとち狂ったか守ってみたら誰も攻めてこなかった。ヒロシじゃないが、もうネタにして笑い飛ばすしかないじゃないですか。ねぇ。

2018/12/31(月) |URL|miss.key [edit]

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2018/12/31(月) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)

 ああ、本当ですか。うれしいです。
 来年もよろしくお願いしますね。(^_^)

2018/12/31(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 会うべき人ですか・・・

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 あはは、またかいなと笑っていいかどうか若干悩みますが、相変わらずこの件に関しては一貫してブレずに同じテーマの自虐ネタ話を飽きずに繰り返して世間様の笑いを取ろうとしていますがね、しかしいつか、じつはこんな浮いた話がありましてね、でもね、それは後悔できない、いや、公開できないの事よというような羨ましくも誇らしくも切ない話をたまには聞きたいもんだとやや期待しているのですが、それにつけても今年も毎回、時には関心のない記事や納得できない話もも多々あったかと思いますが、それでも我慢と忍耐と忍従と辛抱強さと持久力を発揮して、いや、そうじゃなかった、一度だけパスタのレシピを書いて不同意の姿勢と抵抗の意識を見せたこともありましたがね、でもまあ、それはそれ、ブロ友同士のいわば義務感的なお付き合いの延長とお愛想と御愛嬌のようなものということで、あり余る知恵を絞ってタラタラと垂れ流れ出た脳髄の液体が乾かぬうちに拙ブログに面白きコメントをいつも書いてくださり、まっこと有難き幸せの事よ、と口癖が移ってしまいました罠。(^^ゞ

2018/12/31(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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