「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 田中一村の日本画は、緻密な構図の中に峻厳な情熱が見えている。 


日本人は、西欧人にはちょっと真似できない、大胆かつ緻密な感性を持っている。
その一つの根拠が、20世紀の奄美で孤高の生涯を終えた田中一村たなかいっそんの日本画だ。
私はNHKの『日曜美術館』で知り、こんな凄い画家がいたのかと非常に驚いた。

一村は、タヒチのゴーギャンに似て、南の島でトロピカルな原色の自然を描いた。
緊張感は対極のように違うが、題材と色調はアンリ・ルソーの絵を思い出させる。
ゴッホのような強い情熱を、ゴッホとは違って清澄また華麗に表現している。

  isso87.jpg(部分)

この田中一村の絵が、それらの画家たちと比べても大きく優っている点がある。
それは緻密な《構図》である。
一村は《構図》を完璧に計算して、並外れた感性と技術で描いている。



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北斎が《大胆な格調感》なら、一村は《美麗な緊張感》である。

田中一村は、対象を丹念にデッサンして、デフォルメなどせず、
時に濃厚に、時に陰影を帯びた色調で、絢爛に、装飾的に描き上げている。
その構図は、見ていて背筋がビシッと引き締まるほど緻密で、大胆で、華麗だ。

下の2作品は、一村が亡くなる前に描いた代表作だが、自身でこう語っている。
「私の命を削つた絵で、閻魔(えんま)大王への土産品なのでございます」


        アダンの木(絹本着色・156.0×76.0)
        iss60.jpg
     中央に橙色に熟れたアダンの実が置かれ、剣のような細い葉は大空に向けて雄大
     に伸び、砂浜には小石が繊細に描かれ、さざ波が連なる海の遠く水平線上には白
     い雷雲が立ち昇っている。上方の雲の間からは陽が漏れていて、神の光のようだ。
                



        不喰芋クワズイモ蘇鉄ソテツ(絹本着色・157.0×83.0)
        isso54.jpg
     真っ赤なソテツの雄花と雌花が、聖地の如き薄暗い地で強靭な命を主張しており、
     上方にはクワズイモの濃緑色の葉々が異様に大きく配され、遠くに見える海上に
     は異界の神の島が小さく見えていて、北斎の『神奈川沖浪』の富士山を思わせる。
                



上の『アダンの木』は、大胆ではあるが、日本画的な、きれいな構図なのに対し、
下の『不喰芋と蘇鉄』は、隙間なく沢山の要素が詰め込まれているのに、各部は
1ミリも動かせないと思えるほど配置が見事だ。こんな構図が他にあるだろうか。

                 

         ビロウ樹(絹本着色・155.0×73.0)
            isso73.jpg
    上が暗く、下が明るい。左の白い花には蝶がいる。鬼気迫る緊張感のある構図だ。
                
 


         ビロウ樹とブーゲンビレア~(絹本着色・155.×073.0)
            isson64.jpg
   花々や果実の中を蝶々が舞う馥郁たる楽園の構図。ビロウ樹の葉が空を扇いでいる。
    



       由布風景(色紙・27.0×24.0)
         isso7.jpg 
    超広角レンズで撮ったような遠近感を誇張した構図。左端から、茎の部分を見せ
    ずに、10本ぐらい中央に放射状に伸びている花柄と花は、てのひらを広げて、絵
    のテーマであるように思える《生命の歓び》に和して歌っている合唱団のようだ。
    


                 
北斎は、ゴッホや印象派に衝撃を与えたほど極めて大胆な構図の絵を描いたが、
田中一村は、寸分の隙も無い精緻な構図で、耽美的な素晴らしい絵を描いた。


                


日本画が、特に《構図》の点では西欧の絵画をはるかに凌駕しているのは、
日本人が個々のことよりも、全体的なバランスを第一に考えるからで、
だから普段から《我》を押し通そうとはせず、
昔から《和》を大事にしてきたのかとも思いました。





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●田中一村(1908年7月22日-1977年9月11日)は栃木県下都賀郡栃木町生まれの日本画家。奄美大
島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。本名は田中孝。

一村は世に認められたい願望もあっただろうが、時流におもねる中央画壇に反抗し、千葉から奄美
大島に移ってからは独り孤独に絵を描いた。生活は大変過酷で、一村は旧友にこう書き送っている。
細(つむぎ)工場で五年働きました。細絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き者と云われる程働いて六十万円貯金しました。そして、去年、今年、来年と三年間に90%を注ぎこんで 私のゑかきの一生の最後の繪(絵)を描きつつある次第です。 
 画壇の趨勢も 見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず 只自分の良心の納得行くまで描いています。
 私の繪の最終決定版の繪がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、畫(画)の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せる為に描いたのではなく 私の良心を納得させる為にやったのですから。

●参考:『孤高・異端の日本画家 田中一村の世界』NHK出版、『神を描いた男・田中一村』小林
照幸(著) 中央公論社、『アダンの画帖―――田中一村伝』中村 滋(著) 南日本新聞社
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驚きました!

ゴーギャンをさらに緻密に、装飾的にしたような
個性的な絵……初めて見ました。

>濃厚に、陰影を帯びた色調で、
絢爛に、装飾的に、緻密で、大胆で、華麗だ。

バーソさんの感動ぶりがよく伝わります。
これ以上の表現はないでしょう(笑)

若いときは神童と呼ばれ、さまざまな賞を授賞しているのに、
画壇から評価を得られなかった。
生前は無名でありながら、死後十年足らずで
爆発的な人気を得た画家なんですね。

★見せる為に描いたのではなく 私の良心を納得させる為に……。

正に孤高の画家。
山奥で、人知れず咲く花のような人生だったんですねぇ。
心に沁みましたぁ。

2018/09/29(土) |URL|風子 [edit]

我と和

バーソ様
おはよう御座います。

なるほど構図ですか。彩度が低くて寝ぼけたような色調でも緊張感があるのはそのためなのですね。
構図というと写真を撮る人にとっては最重要ですね。極端にいうと人間が操作するのは構図だけで、その他は機械がやる訳ですから。
田中一村がカメラを持つと写真家としても秀逸だったのでしょうね。
西洋人の我、日本人の和ですね。わかるような気がします。でも最近西洋化した日本人も多いような気がします。

愛新覚羅

2018/09/29(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 驚きました!

風子さん コメントありがとうございます^^)
 初めて見ましたか。驚いたでしょう。こんなにも絵に打ち込んで、しかも絵は物凄くうまくて、なのに無名のまま死んだのですから。同じ無名でもゴッホは死後に脚光を浴びましたが、この人はそうではなかった点が哀れです。

 反骨の人はなかなか世に受け入れられないですね。世に抵抗しているのですから、当たり前ですが。そして、そういう人は概して生きることにぶきっちょですから。貴乃花も相撲はうまかったですが、生きるのはかなりぶきっちょそうで、あまりにもしゃべらなさすぎです。

> >濃厚に、陰影を帯びた色調で、
絢爛に、装飾的に、緻密で、大胆で、華麗だ。

 「濃厚な色調」だとルソーの密林画に似ていて、「陰影な色調」だとちよっと思いつく画家がいないですが、しいて言えば水墨画の境地に似ています。「装飾的」だとミュシャを思い出しますが、モチーフも違いますし、とにかく緻密感が雲泥の差です。

> 見せる為に描いたのではなく 私の良心を納得させる為に……。
 「良心」とは正邪の観念に関係がなく、魂の叫びのことであり、自分の本当のやりたいことなんでしょう。本当の絵とは世に迎合しないことだということのようです。自分のやりたい目標に向かって生きられれば悔いはない。なんだか精神世界の人の生き方のようですね。

2018/09/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 我と和

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> なるほど構図ですか。彩度が低くて寝ぼけたような色調でも緊張感があるのはそのためなのですね。
 ネットに画像は沢山出ているのですが、大抵みな色を明るく濃くしています。たぶんそのほうが自然だと思うのでしょう。
 しかしNHK出版の『田中一村の世界』は美術展の目録なんですが、その本の色調は色彩が浅くて暗いんです。ここに載せた2枚目の『不喰芋と蘇鉄』は非常に色が濃密なんですが、他の絵はおおむね彩度はかなり低いですね。

 奄美では土着の神の住まいの近くの一軒家で、自給自足のように孤独に暮らしたようですから、精神的に宗教感のようなものを強く感じていたのかもしれませんし、一村は南画出身なので、つい水墨画のような無彩色になってしまうのかもしれないと思いました。

> 構図というと写真を撮る人にとっては最重要ですね。極端にいうと人間が操作するのは構図だけで、その他は機械がやる訳ですから。
 あ、そうですね。このたび本を何冊か読んで、ネットも検索しましたが、「構図」が一番いいと書いてある人はいなかったように思います。私は絵は何を描くかが重要なんでしょうが、それを表すのは構図が一番重要だと思っています。それともちろん描き方の独自性もありますが。

2018/09/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

田中一村、知りませんでした。
画をずらーと見てみると、日本のゴーギャンというより、
バーソさんの言われるようにルソーですね。
周りの色彩を抑えて対象を目立たせたり端正で和風の
精神も感じられます。
「アダンの木」は絵を逆さまにすると雲が閻魔みたいに見えますね。
それを意図して描いたのでしょうか。
アダンの木の根元をみると沖縄や石垣島にたくさん生えている
タコノキに似ています。調べたらやはりタコノキの仲間らしい。

2018/09/29(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2018/09/29(土) || [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 ルソーと似てますよね。でも絵への打ち込み方はルソーとは対照的のようです。ルソーは公務員で仕事の余暇に絵を描いていた日曜画家ですが、一村はひたすら絵を描くために生きた頑固一徹な絵職人。
 ルソーは休日にパリの植物園でデッサンして、イメージで幻想的な絵を描いたのに対し、一村は奄美のあばら家を借りてデッサンし、その実際の写実を基にイメージで装飾的に絵を描いています。その構図力が凄いと思いました。確かに日本画的に端正な美しさがあります。

 『神を描いた男・田中一村』の本を読むと、一村がいかに奇人と思われるほど絵に打ち込んだ過酷な暮らしをしていたかがよく分かります。中央画壇から外れて隠者のような生き方をして、パトロンや支持者もいないのですから、生きていくこと自体、かなり大変だったようです。この本は絶版になっていて古本でも四五千円します。私は図書館で借りましたが、いい本でした。

> 「アダンの木」は絵を逆さまにすると雲が閻魔みたいに見えますね。
 よく逆さまに見ましたね。じっと観察したのでしょう。私は想像力が貧困なせいか分からなかったので、Jtrimに画像を入れて天地を逆転させてみたらやっと分かりました。右下を向いて(地上を見て)凝視しているような顔で、拳を口のあたりに当てて何か語り掛けているようです。描くときには畳の上に置いて描いたでしょうから、時には周りを歩いて天地逆に見て、この雲は閻魔にしようかと思ったのでしょうか。
 私は元の絵では、暗い雲の左に黄色く光っている部分が、右向きの顔で、鉤鼻で、顎が尖って少し出ている霊界のひとに見えました。

 アダンの実は、タコノキ、パイナップルの果実と似ていますが、パイナップルと違って全然おいしくないそうです。南洋の果実は花も形がデコラティブなのが多いですね。気候は植物にも人間にも影響を与えるのでしょうかね。

2018/09/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

写真のなかった時代、主に図鑑などの挿絵に描かれた細密画はまさに神業でした。
それは光が当たる事はないだろうと思える細部まで鮮明に描かれ、影がないだけに実写とは違うとても神秘的な絵なのです。
思い出すのは、駆け出しの映画人だった若い頃、松本零士さんの漫画を見た時の衝撃でした。
当時は手塚治虫全盛期でしたが、松本零士の緻密なメカニックの描写は、どの漫画家とも違って異彩を放ってました。
瞬間的に「あぁ、この人は有名な漫画家になるな」と思いましたね…今でもメカをあれほど神秘的に描く人はいません。
植物などの有機物が緻密に描かれた田中画伯の世界も、この世であってこの世ではない様な神秘さがあります。
人間の目と手は時として実写の世界を超えます…それはまさに本来は存在しない世界を創り上げる神の目と手なのかな?
実写映画出身の自分が、あえて手描きのアニメの世界に惹かれるのはそんな創造神を求めての事かも知れません。

2018/09/29(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> 当時は手塚治虫全盛期でしたが、松本零士の緻密なメカニックの描写は、どの漫画家とも違って異彩を放ってました。
 そうですか、言われてみると鉄腕アトムやのらくろなどのデフォルメして単純化した線画の絵とは違って、銀河鉄道の絵は実写風の絵ですね。
 しかしそう言われると、鳥羽絵や北斎漫画も写実を意図的に崩して感情を誇張気味に描いていて、実写的というなら、スーパーマンなどのアメリカンコミックスや日本の劇画と同じ系列の絵でもあるようです。

 歌は宇宙戦艦ヤマトをすぐ思い出しますが、私は戦艦といえば小松崎茂ですね。漫画家じゃなく挿絵画家で、田宮模型のプラモデルの箱絵を描いてヒットさせ、田宮の経営困難を救ったこともあった人です。メカはサザエさんやおそ松くんのような絵で描いたら値打ちがないので、戦艦ヤマトは必然的に実写的な絵になるのでしょう。

 松本零士の絵も田中一村の絵も神秘的ですか。なるほど。私も「神秘的」という形容語を入れて書けば良かったかもしれません。絵の説明には「神の光」とか「神の島」とか「鬼気迫る」とかの言葉を入れて書いたのですが。

> 人間の目と手は時として実写の世界を超えます…それはまさに本来は存在しない世界を創り上げる神の目と手なのかな?
実写映画出身の自分が、あえて手描きのアニメの世界に惹かれるのはそんな創造神を求めての事かも知れません。

 うーん、いい言葉です。《人間の目と手は、本来は存在しない世界を作り上げる神の目と手である》。これは精神世界的な考え方ですね。人間は神の分身として、地球上で肉体を着けて神の代理体験をしている。人間が目と手でしていることは、神がしていることだとも言えそうです。
 実際、優秀な機械でも人間の感覚には遠く及ばないように思えることがありますね。自動ピアノはいかに正確に弾いても感動は少ないでしょうし、電子ピアノがいかに進歩してもスタンウェイが造った古いピアノの音には敵わないでしょう。
 人間だけが持つ微妙な感覚。それが芸術の世界を昇華させ、世界の文化の深みを構築しているのでしょう。なんにせよ、芸術の世界で生きてきた人は羨ましいですね。

2018/09/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

たしかにこりゃルソーと間違えるかも

 一部を見たらルソーと見間違えそうですね。でもアダンの木は前から知ってましたよ。写実的な様な、でも全然写真とは違う。これこそが絵の神髄なんでしょうな。
 先日、描き続けて上達した人のビフォーアフターなる絵を見ました。確かにみんな上手くなってましたよ。写真みたいに。でも、写真なら素人のパチリでも良い訳で、絵は写真ではいかんのです。絵とは自分の感じたものを如何に感じた儘に人に伝えるかだと思います。只写実的なだけでは如何に上手くとも芸術ではないのであります。逆に、下手糞だけどルソーの絵は芸術的ですな。あ、失礼、田中一村でした。彼は技術では良い意味で段違いですが、もうちょとルソーから離れていればもっとよかったかも知らんです。知らん人間が見たらルソーの贋作とか言いだしそう。惜しい。

2018/09/30(日) |URL|miss.key [edit]

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2018/09/30(日) || [edit]

Re: たしかにこりゃルソーと間違えるかも

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね。『不喰芋と蘇鉄』の一枚はパッと見では、かなりルソーに似ています。あの絵はトロピカルで、濃厚で、のたくっていて、官能的で、他の一村の絵とは全然違うので、それが面白いと思いました。
 一村の絵は南画出身だけに、概ねあっさりした色調の絵が多く、その中から私が選ぶ一枚と言われれば、3枚目の『ビロウ樹』ですかね。題材は葉っぱ9割に花1割。ほとんど水墨画のようで、じつはうっすらと色が着いています。構図も見事で、色調も日本画が持つ幽玄の世界のようです。ただ、もらって自分の部屋に飾るとしたら。色彩豊かな『不喰芋と蘇鉄』のほうがいいですね。

> 絵は写真ではいかんです
 ごもっとも、まったくごもっとも。当時、一村の絵を見た現地の陶芸家が、称賛のつもりで、写真みたいだと言ったら、一村がちよっとムッとしたようで、「写真はシャッターを押せば一瞬で撮れる。しかし絵はそうはいかない。一枚の絵に3年は掛かる場合がある」と言ったそうです。
 ゴッホは勢いで感覚のままに数時間で描いたのかもしれないですが、一村は入念に計算をして丹念に時間を掛けて描いています。どちらも、それまでの伝統的な絵画を超えているところが凄いと思います。二人とも狂人と紙一重のひとだったようです。一村はピカソに心酔していたようですよ。ピカソも独創の人ですね。

 私は、絵は(そして写真も)《独創性》がポイントだと思っています。いくらうまくても人真似や亜流では二流の域を超えません。著名な画家が若い頃と晩年と同じような絵を描いているのもいただけません。その娘も親と同じような絵を描いて入選なんてのは言語道断だと思っています。北斎の娘は親とはちよっと違っていますが。

 そういう意味で、写真は構図はきれいで色もきれいでも、観光絵ハガキのようなアイディアのないものは好みませんね。絵は、構図が大胆かつ精緻な北斎が古今東西で最高だと思っています。そういう意味ではルソーもヘタウマなところがいいですね。あれがもう少し写実的で上手だったら洟も引っ掛けてもらえません。

2018/10/01(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 実物をご覧になりましたか。原画はもっと色彩の深みがありましたか。ということは、この画像よりももっと濃い色調だったということですかね。じつは私も最初はもっと色を濃厚にしてアップロードしてみたのですが、NHKで出している美術展の目録を見たら、これが想像以上にかなり色調が暗いのです。でもそれが正しいのだろうと思って、レタッチをやり直し、いやもう少し濃くしようと思い直したりして計3回アップロードしました。

 「売り絵を描かない絵描き」。世間にウケようとかおもねようという気持ちがないので、絵を愛する心が純粋でいいですね。しかし世には出にくいのでしょう。そして自分のしたことを誰も知らないというのもちよっと哀れですね。

 「絵を描いて死んで逝く」ですか。そうですね。何にせよ、好きなことをして、それで満足して死んで逝ければ、それが一番いいのだと思います。世に認められようとか一番になろうとか、そんな動機は純粋な芸術家から見れば邪道なんでしょうか。私は「2位じゃダメなんですか」という言葉は(無駄金は使うなという意味では)なかなかの名言だと思っていますよ。(笑)

 昔、東京オリンピックのマラソンで3位になって日の丸を挙げたものの、27歳で自殺した自衛隊員がいます。三島由紀夫は「それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた・・・そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである」と言っていますが、あまりメダルメダルと周囲が騒いで圧力をかけないほうがいい、選手本人が楽しめて自己ベストが出ればそれで十分だと私は思いますね。むろん金メダルが取れればもっといいでしょうが。

2018/10/01(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/10/02(火) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
> 掛けるのは鼻ですが、
ひっかけないのは洟であります

 ああー、そうでした。鼻水のことですから。
 すぐ直しました。
 でも治せません。頭のほうは。(^^ゞ

 それから、ついでに「ひっかけて」→「引っ掛けて」と漢字にしました。
 私は、こういう言葉を《ひらがな》で書くのは好きじゃないのです。
 ありがとうございました。^^)

2018/10/02(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

一村の遺品のなかにオリンパスフレックスというカメラが写っていました。それは私の父が愛用したものと同じカメラでした。その写真を見た時から、父の性格や癖などを通して一村を見てしまいます。

2018/10/02(火) |URL|pithecantroupus [edit]

Re: タイトルなし

pithecantroupusさん コメントありがとうございます^^)
 そうでしたか。田中一村はカメラ好きで、何のカメラかと関心がありましたが、オリンパスフレックスでしたか。6×6版は皿現像なので、案外取り扱いがしやすくていいのですよね。
 当時、名前の頭文字はAからZまであると言われた二眼レフの中で、オリンパスフレックスはズイコーF2.8付き。ローライコードに負けない高級機を作って異彩を放っていました。私はハーフ版のPEN EED F1.7/32mmを持っています。今のAPS-Cがこのフィルムサイズとほぼ同じ(42%)ですから、時代先取りのカメラとも言えそうです。

 最近、カメラ業界が面白くなってきましたね。やっとニコンとキヤノンがフルサイズミラーレスを出したと思っていたら、なんとルミックスとシグマがライカのLマウント機を出すそうで、オリンパスはどうするのでしょうか。プライドの高い会社なので、レンズはズイコーを着けたいでしょうからね。

 ブログに載せる画質ならマイクロフォーサーズで十分ですが、ボケを考えるとフルサイズが欲しくなるのじゃないですか。

2018/10/03(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/10/03(水) || [edit]

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