「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 幸せの秘訣を歌うシャーリーンの大ヒット曲『愛はかげろうのように』。 


《自分探し》をする人がいる。
 そうするのは、現状に満足できず、本来の自分の性格や人生の目的など、
 自分が納得できる新しい生き方を探し求めているからだ。

そんな人にぴったりなのが、この歌。
『愛はかげろうのように(I've Never Been to Me)』
 ちょっと古いが、シャーリーンの唯一で最大のヒット曲だ。(※1)

メロディは軽やかで美しいが、歌詞はなかなか重く、
人が幸せに成れないワケと、幸せに成れる秘訣が書かれている。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
“I've Never Been to Me”は、“Me”に意味がある。

若い頃、高級コールガールのように快楽と贅沢の限りを尽くした女性が、
結婚と子育てがうまくいってない若い女性に自分の経験から教え諭している。


(ほんの4分弱ほど時間を取って聴けば、人生観が少し以上変わるかもしれない名曲です)

(この対訳付き動画が再生できない場合は、→ クリック )


(この動画のKei'sさんの訳詞をそのまま掲載させていただきます)

ねぇ 人生に愛想つきてる そこのあなた
子育てにも 善い妻であることにも 疲れたのね
本当はやりたかったことを思って 悔やんでいるのね
でも 私も貴女に話すような事を
誰かに教えられていたら と思うのよ

  ジョージアとか カリフォルニアとか
  行けるところなら どこへでも行った
  牧師の手を取り 陽の光の下で愛し合ったこともあった
  でも自由になりたくて
  親しい人たちや 馴染んだ土地から逃げ出した
  天国のような暮らしだったけど 本当の自分にはたどり着けなかった
  (I've been to paradise, but I've never been to me)


ねぇ お願い 行かないで
私が一人ぽっちになってしまった訳を
あなたに伝えておきたいの
あなたの目に 昔の私が見えるの
嘘におぼれて傷ついたその心を
私に少し打ち明けてみない?

  シャンパングラス片手にヨットで
  ニースやギリシャの小島に行ったこともある
  モンテカルロでは これ見よがしに
  ジーン・ハーローみたいな格好もしてた (※2)
  金持ちたちの望むままに扱われ
  普通の女ならできないような経験もした
  天国のような暮らしだったけど 私らしく居られる場所じゃなかった
  (I've been to paradise, but I've never been to me)


[語り]
ねぇ 楽園なんて幻よ
そうだったら良いなっていう人や 場所のファンタジー
でも本当の楽園というのはね
あなたが抱いている幼子や
今朝ケンカした彼のこと
夜には同じ人と睦み合うでしょう?
それが真実 それが愛なの

  子どもを産まなかったことを嘆くこともある
  私を満たしてくれたかもしれないから
  それが苦い思いにつながるとは思いもせずに
  甘い生活を選んだ私
  結局 自分を高く売り込む事に費やしたような人生で
  自由を手に入れるには 失うものが多すぎた
  だからね
  天国のような暮らしだったけど 私の居場所はなかった
  (I've been to paradise, but I've never been to me)


                

要点は、連(段落)の最後に三回出てくるフレーズ(下線部)で、
《私はパラダイス(ひとが羨むような甘い豪奢な生活)にいたけれど、
本当の自分(Me)にはたどり着けなかった
 すなわち《自分探しができなかった》と言い、
でも《本当の幸せは、今あなたがしているごく普通の日常の暮らしなのよ》と、
自由に生きられることの素晴らしさを [語り] の部分で述べている。

幸せとは、自分のしたいことを自由にするから幸せになる。
若かりし頃はおそらく相当美しかったであろうこの女性は、
もし自分のしたいことを最優先して、自分に正直に生きてきたのなら、
ずーっと満足感を感じていて、それを若い女性に自慢したに違いない。

                

自分の人生は間違っていると強く思う人は、その生活を長くは続けないだろう。
なんやかんや言いながらも続けているのは、まあまあ、一応満足しているのだ。

自分が満足しているとはあまり思ったことはないかもしれないが、
そう思ってみれば、いろいろ問題はあっても、(※3)
自分はそう悪くはない人生を送ってきたことが分かるだろう。

いや、もっとはっきり言えば、
叡智ある原因(≒神)から欠陥のある結果(人間)は生じるはずがないゆえに、
人生に失敗は有り得ず、
どの人も、その人にはジャストな人生を送っていると思うのですが、(※4)
どうでしょうね。



補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:この歌は1976年のアメリカの歌。当初シャーリーンが歌ったが全然売れず、芸能界を引退し、
お菓子屋で働いていたら、ラジオ局のDJが気に入って流しているうちに大ヒット曲になったそうだ。
1982年にはヒットチャートの全米第3位、全英第1位を獲得。世界中の歌手がカヴァーしている。

※2:ジーン・ハーロー(1911-1937)は米国の女優。1930年代のセックスシンボルとして活躍した。

※3:現在の暮らしに満足しているというのは、大病の人や事故や災害に遭った人たちには同意しに
くいことかもしれないが、ここでは自分の自由意思で選んできた人生のことだと考えてほしい。
(この歌の中で、若い頃は自分探しができなかったと言って悔やんだ女性は、その人生経験から良い
気づきを得たわけで、魂の課題という点から考えれば、大局的には良い人生を送ったと言える)


※4:山あり谷ありが人生であり、それでジャストなのだが、ベストな人生ではない場合もあり得る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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COMMENT FORM

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山の彼方の空遠く…

>なんやかんや言いながらも続けているのは、
 まあまあ、一応満足しているのだ。

難病や災害などに遭遇した人たちは別として、
概ね、おっしゃる通りだと思います。
若い頃から『人生相談』のような役割をしてきましたが、
なんやかんや愚痴りながら、結局は“聞いてあげる”だけで
気が済んだ人、多かったです。
裏返すと、現状に準満足、あるいは妥協でしょうね。(^_^ ;)

自分探しの前に『なりたい自分像』の青写真を描けばいいのですが、
漠然と旅に出ても、単なる気分転換で終わるような気が………。
けど、それでいいんですよね。

『家族が好き。仕事も好き。
だけど、ときどき、どこか遠くに行きたくなる。
子供の頃に帰りたくなる。
そんなときは……』

新日本紀行 松たか子のナレーションです。

疲れてくると自然回帰、幼少期回帰願望、ありますよねぇ。
命の洗濯みたいな心境……。

ですが、足元の幸せって『愛はかげろうのように』の通り、
体験しない限り、それに気づかないと思います。
言い聞かしてその通りにできるものなら、
サンプルとして多くの本や映画なんかがありますから。

この歌の心境の変化は、言いかえると、心の振り子運動で、
再び視点が変わっただけ、とも言えます。

体験すると、未練や後悔が残りません。
一方、端から『お利巧さん人生』やってると、
いつまで経っても『山の彼方』を夢み続けます。
そんな意味でも、経験ほどの宝は他にはないですね。(*^▽^*)

2018/09/22(土) |URL|風子 [edit]

いい曲ですよね

バーソ様
おはよう御座います。

とても耳障りのいい曲ですよね。確かCMソングにも使われていたと思います。
さて自分ですか?解からないですね。死ぬまでに解かる人っているのでしょうか?
おっしゃるようにまあまあの人生だったかなと思う人は多いと思いますが・・・・・。
私はいいことでも悪いことでも人に出来ない経験を沢山する方が後悔のない人生になると思っています。

愛新覚羅

2018/09/22(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 山の彼方の空遠く…

風子さん コメントありがとうございます^^)
 こういう話題はさすがに充実していて、完璧な文章ですね。

> なんやかんや愚痴りながら、結局は“聞いてあげる”だけで
気が済んだ人、多かったです。

 相手が話す合間に何か助言しても相手は聞いておらず、ただ一方的にしゃべって満足した顔をしない。あるいは、こちらはうまく助言ができず、ただ一方的に聞いていただけなのに相手は満足している。よくあることですが、これは自分の悩みを聞いてもらって自分と共通の感情を相手に持ってほしいと思っているのですね。女性の場合は特にそのようです。男だと助言を求めるのですが。

> 疲れてくると自然回帰、幼少期回帰願望、ありますよねぇ。
 そうですか。私は自然の環境には縁がなく、幼少期が良かった記憶がほとんどないせいか、どこかに回帰したいとか、どこか遠くに行きたいと思ったことがないですね。過去を振り返っても、その時々に自分の居るところが自分の居場所だと思っていて、いわば運命をいつも受諾していたようです。忍耐と我慢が上手なのか、あるいは消極的な性格なのかもしれません。

> 足元の幸せって『愛はかげろうのように』の通り、
体験しない限り、それに気づかないと思います。

 そうですね。《本当の幸せとは、ごく普通の日常の暮らしなのよ》という心境は、パラダイスのような甘い生活を体験したからこそ言えるのであって、ごく平凡な生き方をしていたら、まずそんなことは分かりませんよね。
 古代イスラエルのソロモンは並外れて智慧の優れた人で、生涯の最後に「空の空なるかな。一切は空しかった」なんて悟ったようなことを言っていますが、この人は、妻は700人、側室は300人もいて、地上の栄耀栄華を極めた人なんですね。

> 体験すると、未練や後悔が残りません。
一方、端から『お利巧さん人生』やってると、
いつまで経っても『山の彼方』を夢み続けます。
そんな意味でも、経験ほどの宝は他にはないですね。

 百聞は一見に如かず。人生ではいろいろ好きなことや楽しいこと、そして苦しいことや悲しいことや腹立たしいことを経験するのもいいのでしょう。そのために地球に生まれてきたのだろうと思います。
 とすれば、こんな歌もたいして教訓とはならないように思えてきますが、しかし人はつい山の彼方の空遠くを見て、無益で果たされない願望を持つことがあるので、チルチルミチルの話と同様、やはりこういう話も必要のようです。そうですね、視点が変わるだけでもいいと言えそうです。視点を変えるのはけっこう難しいことで、非常に大事なことですから。

2018/09/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: いい曲ですよね

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> とても耳障りのいい曲ですよね。確かCMソングにも使われていたと思います。
 ポーラの化粧品やパナソニックのハンディービデオカメラ「愛情サイズ」など、若い母親向けのCMに使われたことがあるようですよ。《普通の生活が幸せなのよ》という歌詞の内容を考えれば、ファミリー向けビデオカメラのCMにはよく合っているようです。しかし化粧品のCMには《若い頃の美しさは空しいのだ》と言っているようで、いや、そうじゃなく、《若さが薄れたときこそメイクは大事だ》と言っているのでしょうか。それなら合っているようです。女性は得ですね。(笑)

 この歌は久しぶりに聴きました。きれいな声ですが、シャーリーンはずいぶん思い入れを込めて歌っていますね。もう少しさらっと歌うほうがいいなあと思いながら、このたび記事を書くときに何度も繰り返してBGMとして聴きました。

> さて自分ですか?解からないですね。死ぬまでに解かる人っているのでしょうか?
 解かったほうがいいのか、解からなくてもいいのか。どちらにしても要は後悔がなく、《自分は人生で十分やり尽くしたなあ》という満足感が感慨があればいいのでしょう。
 そういう意味では「いいことでも悪いことでも人に出来ない経験を沢山する方が後悔のない人生になる」ですか。そうですね、しがらみがいろいろあって、自分がしたいことがなかなかできないのが人生でもあるのですから、ひと様に迷惑が掛からない限り自由に考え、自由に生きたほうがいいと思いますね。これはこの歳になって、いま思うことですが。

 しかし教授は、人生では仕事に懸命に打ち込んで、いろいろ十分以上にやり尽くしてきたのじゃないですか。会社では良い立場になり、趣味はいずれもかなりハイレベルで、スピーカーはタンノイで、アンプはマランツかラックスマンでしたか、ギターもいいブランドのものを何台も持って弾き語りをするレベルで、車はフェアレディを乗り回した人なんて世の中には滅多にいませんよ。
 配偶者にも恵まれて、早く亡くしたのは残念なことでしたが、職業はカメラマンで、なかなかの感性のひとだったようで、ひとが羨むような人生じゃないですかね。

 人はそれぞれ自分で定めた《運命の人生》があるはずなので、教授の性分だと次に生まれ変わるときは、かなり厳しい人生を選択するんじゃないですか。(笑)

2018/09/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

たら・ればの人生

こんにちは~
今週もいいお題ですねぇ。

あの時こうしたら、あの時ああすれば、今思うとそんな後悔の連続、自分の足元にあった幸せの種を踏みつけ、遠くばかりを見ていたあの頃。

67年を経た今、人生これからと吐かない夢を追いかけてトライ、チャレンジの日々、自分探しって死ぬまで続くのよねぇ~。

僕の前に道はない、 僕の後ろに道は出来る、なんてどこかのおっさんが詩っていたけど、本当ですね、おいらの前にもやはり道は無い、で、未だに道探し、自分探しの旅人。

なぁんて格好つけてはみたものの、現実は、枯れ葉の中に隠れたボールを日々探している訳で、とてもとても人様に人生の道標的な歌を歌う事は無理な訳で・・

この歌いいですねぇ、昔よく巷に流れていましたね、たぶんダイアナロスのアルバムにも入っていたような、師匠はたぶん自分を見つけた、というか自分を自分の物にしちゃってる感がありますねぇ・・

2018/09/22(土) |URL|ばく [edit]

Re: たら・ればの人生

ばくさん コメントありがとうございます^^)
「たら・ればの人生」と言われて、鱈は白身の魚で、レバはビタミン豊富な肝臓で、二つとも(健康に)いいものだろうと思いました。人生も「たら・れば」があればいいなあと以前は思ったことがありますが、じつは今までの自分の人生で十分いいのでしょう。
 そうでないと、大抵の人の人生は失敗であったということになり、じつに人生とは虚しいものだということになります。しかしそうではなく、よく考えたら人生とは、たとえ晴れあり嵐あり、そして大雨あり吹雪あり突風ありでも、こんなにいいものは他にないだろうと、これは本当にそう思いますね。

> あの時こうしたら、あの時ああすれば、今思うとそんな後悔の連続、自分の足元にあった幸せの種を踏みつけ、遠くばかりを見ていたあの頃。
 そうですか。ばくさんらしい文章だと思いました。がむしゃらに必死に生きてきた中で、いつも遠くを夢見ていたということですね。いまなお少年の心を持っているようです。これは私も、まあそうなんですが。
 そしてばくさんの場合は、いつも遠くを見て、夢の実現にトライし、チャレンジして、しかるべき行動をアクティブに取ってきたので、今のばくさんがあるのでしょう。この点は、私はそうではなかったですよ。

> おいらの前にもやはり道は無い、で、未だに道探し、自分探しの旅人。
 でもいまだに「自分探しの旅人」ですか。そう思っているのはなかなかいいことじゃないですか。年取ってから悟ってしまったようで、欲も何も願いもなく、何もせず、日がなテレビを見て孫の相手をしてボンヤリしているような人生は、これもある種の幸福でしょうが、変化がなさすぎるきらいがありますから。
 
「枯れ葉の中に隠れたボールを日々探している」ですか。
 隠れたボールは、いつもちゃんと見つけているのでしょう。一枚の「枯れ葉」にも抒情があります。イヴ・モンタンのようにラブソングを歌って、いつも恋心を忘れていないような男も気持ちが年老いてなくてカッコいいと思いますね。^^)

2018/09/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「I've Never Been to Me」は聞き覚えのある歌です。当時は意味を知らずにイーグルスの曲などと一緒に聞いてました。
なるほどこんな意味だったのですね…ある意味、幸せの感性は人種や民族を超えておんなじなんだなと感動します。

そう言えば「山のあなた」と言うドイツの詩人カール・ブッセが詠んだ有名な詩があります。

Uber den Bergen,
weit zu wandern, sagen die Leute,
wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging,
im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen,
weit, weit druben, sagen die Leute
wohnt das Gluck.

山のあなたの 空遠く
「幸い」住むと 人のいう
噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
山のあなたに なお遠く
「幸い」住むと 人のいう

「青い鳥」と言うメーテルリンクの有名な童話もあります。
ちなみに原作の物語には「死と生命の意味するもの」と言う副題が付いてるそうです。
幾ら平凡が良い…と説得されても、若い命は納得せずに旅(冒険)を欲するものです。
そうして、得たもの以上のものを失ってみて、初めて本当の幸せとは何なのかを実感するのです。

2018/09/22(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 洋楽は意味を知らずに、ただただメロディに魅かれて聴いて楽しんでいることがありますね。つらい悲しい別れた惚れたの詞に共感して涙する演歌とはまるで違います。いや、というよりも日本人には外国語が分からないので、メロディを楽しむだけになっているわけで、音楽から半分ほど益を得損なっているのでしょう。

『山の彼方』のドイツ語ですか。Google翻訳にかけてみました。
  山の上に、
  遠くにさまよう、人々は言う、
  運が生きている。
  ああ、私は行った、
  他の人の集団では、
  涙が染み込んだ目に戻りました。
  山の上に、
  遠く、遠くに溺れる、人々は言う
  運が生きている。

 これから上田敏が歌奴の持ちネタでも知られるあの名訳を残したのですから、この邦訳のほうが原詩よりいいと言われるのも頷けます。

 このGoogle翻訳で「運」と訳されている元のドイツ語は「Gluck」で、「幸福・幸運」という意味です。英語の「Luck」と似ていますが、こちらも「運命・幸運」という意味で、やはり「運」が関係しているようです。
 英語の「Happy」は「幸運・満足」という意味ですが、これは「happening」から来ていて、やはり「偶発的な運」が関係しています。
 なので、どうやら「幸せ」とは人が望んでも得られないもので、「運」のいい人間だけが天から受けることができるものと昔の人は考えたのでしょうか。

 このことを考えてみると、じっと同じ場所にただ座っていて何かのハプニングに遭遇することは滅多にないですが、あちこち山の彼方や海の彼方に動き回っているなら偶発的な出来事に出会うチャンスは格段に増えそうです。

 ならば特に「若い命は納得せずに旅(冒険)を欲する」ことはいいことなんでしょう。何もしないで何も得ないよりは、何かして失敗しても失敗から何か得たほうがいいのは確かですから、石橋を叩かないでもどんどん渡っていくような勇気と好奇心と行動力も幸せというハプニングを得るには必要のようですが、幸せの定義は人によって違い、平々凡々の波風がないほうがいいという人もいるはずです。人の考えとはいろいろあって面白いものですね。

2018/09/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

I've never been to meいい曲ですよね。
日本人も含めて多数のカバーがありますが、切なく儚げに
歌うシャーリーンのがやっぱり一番です。
この曲に出会ったのは映画「プリシラ」でです。
女装愛好者が派手な衣装を着てこの曲を口パクしながら踊るんです。
映画を見終えて主人公に共感している自分が怖いです。(笑)
「プリシラ」のyoutube動画を張ったら「書き込み制限」とでて
書き込めませんでした。
普通のの恋をして普通に結婚し、子供たちは結婚して家を出て
義両親の介護を終え、平凡な一生を悔いる女性も逆の意味で
歌いそう。
「女性たち、私の話を聞きなさい。何も冒険をせず貞淑に生きてきて
今、このザマよ。もっと自由でハメを外した人生であってもよかった・・・」
なんてね。

2018/09/22(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 映画も詳しくて、よく覚えていますね。
 この映画『プリシラ』は全然知らなかったです。検索したら、いろいろ分かって面白かったですよ。
 ドラァグクイーンは、あくまでパフォーマンスとしての女装で、女性のパロディのようなものであるが、MtFトランスジェンダーの方はパフォーマンスではなく、自分を女性として認識し、完全に女性として見られることを目的として女性の衣服を身にまとっている・・・と説明があり、なぜケバケバしい化粧をしているかが分かりました。

 『I've never been to me』の動画もありました。0:35からですが、 https://www.youtube.com/watch?v=9PjbnkXWsa8

 他にも知っている音楽が流れていました。
 ヴィレッジ・ピープルの『Go West』。この歌の《西》には深い意味があり、具体的にはアメリカ西海岸の街、サンフランシスコに対する憧憬である。この曲が発表された頃、サンフランシスコはすでにゲイにとってユートピア的な街として見られていた。サンフランシスコが「ゲイの聖地」となる基盤をつくったのは政治家のハーヴェイ・ミルクであり、彼が暗殺されたのは、1978年のことだった。
 映画『プリシラ』の三人は旅をした結果、気づいたのは《自分たちはシドニーという街に「守られていた」のだ》ということだった。彼らは自分探しをしていたのだ・・・と書かれていました。

 『Go West』と『Mamma Mia』を聴いていたら、実話を基にした映画『キンキー・ブーツ』を思い出しました。テレビで見たのですが、ドラァグクイーン用の真っ赤なブーツを造って靴工場を立ち直らせる映画だったと思います。このテーマ音楽がテンポが良くて元気が出るので、CDを買いました。音楽は1:50から。
 https://www.youtube.com/watch?v=sBN0ANOd8Uo

> 普通の恋をして普通に結婚し、子供たちは結婚して家を出て
義両親の介護を終え、平凡な一生を悔いる女性も逆の意味で
歌いそう。
「女性たち、私の話を聞きなさい。何も冒険をせず貞淑に生きてきて
今、このザマよ。もっと自由でハメを外した人生であってもよかった・・・」
なんてね。

 なるほど、そうですね。何にもしなければ、何かしたかったと思うでしょう。『死ぬまでにしたい10のこと』という映画もありました。私もしたいことはいっぱいあるのですが、どうも行動力がなくて。(笑) せめて「宝塚」と劇団「四季」ぐらいは死ぬまでに観ておきたいものですが・・・。あ、そうそう、この上のフレーズで「このザマよ」は名文ですね。「ハメを外した」もうまいです。

2018/09/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

毎度お題が難しすぎるがな

 なになに「愛はかげろう」?つかの間の命?禿しいまでにモヤシ続けて~゜別れは何時も背中合わせに人の心を揺らして~゛♪♪
 あ゛、違う?「愛はかげろうのように」??言葉が判らん。え、訳用意したて?どれどれ、なるほど。散々放蕩の限りを尽くした女性が、堅物で女性経験の無い神官通り越して聖女に昇華してまって、刺激の無い日常に不満たらたらな金妻に説教垂れるって話ですかい。うーん難しい。
 わたくしなんか普通の幸せ持っとらんし、かと言ってこれまで楽しい生活送ってきた訳でなし、何というか、両方の悪いところばかり集めたような人間でして何を言っても言われても素直に取れんわぁ。しかも、皆様のコメント見とったら、わたくしめのコメントなんて書き込むのが恥ずかしい様な内容で、ここはかげろうのごとくふいっと消えるであります。あでゅーノシ

2018/09/23(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 毎度お題が難しすぎるがな

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 まあ、すみませんね。このところ有神論ベースの記事が多くて、そんなものはまったく波長に合わないどころか、じつにあほらしい罠と思っているmiss.keyさんにはさぞかし感想を書きにくいでしょう。でも、気の向くままに異論反論をお手柔らかめになら、どんどんしていただいてもけっこうですからね。

 人生はかげろう つかの間の命
 激しいまでに 燃やし続けて
 別れは いつも冷たさ心にしみる
 倖せと言えば かなしい
 散ると思えば 満ちる
 満ちると思えば 散る
 別れのあとは やさしい思い出のこる

 miss.keyさんの小説にもあるように「人間万事塞翁が馬」。万策尽きて己の命運もついに《散る》のか思えば、まったく逆に突然幸福が《満ちる》こともある―――というようなことはよくあることですが、凡人は悲観的な思考があるゆえか、つい《満ちる》よりも《散る》ほうが二倍以上は多いように感じる傾向がありますね。これを《散る散る満ちる》の法則と言い、なんとかリンクという人が原題は『死と生命の意味』とかいう童話劇を書いています。
 ブルーバードは身近にいますが、当人は狭い鳥籠空間の中に居るので幸せと思っているのかどうか。小鳥を買うなら文鳥が良く、できれば放し飼いがいいと思いますね。

 miss.keyさんは《自分探し》などしたことがないのじゃないですか。自分のしたいことがしっかりある人はそんなことはしないで、(おおむね)自分の好きなことをして生きていると思いますね。
 私もしたことがないですよ。子供の頃は別として二十代になってからは、歩む道筋はけっこう変わって、遠回りをしたり道を間違えたり、それにともない職場も変わりましたが、いつも自分では目的地だと思えるほうを見て、自分のしたいことをしてきました(つもりです)。もっとも今現在はちよっと違っていて、奥さん最優先にならされていていますがね。(^^ゞ

2018/09/24(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんな意味の歌だとは知りませんでした。
思い出すのがサンフランシスコを旅行したとき
この歌を
歌う歌手のハスキーな声が
時々、思い出されるのですが
こんな意味だったのですねえ。

必死で生きていた
働いて子育てして
鋭い刃物みたいな精神状態で
突き進んでいた自分を思い出しました。

あの頃があって今の自分があるのだなあと
しみじみ感じました。
思い出させてくれて感謝。
いま、娘宅で
なおさらそれを感じます。

2018/09/24(月) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
 この歌をサンフランシスコで聴いたことがあるのですか。私はサンフランシスコといえば、トニー・ベネットの『I Left My Heart In Sanfrancisco 想い出のサンフランシスコ』とスコット・マッケンジーの『San Francisco 花のサンフランシスコ』の他に、もう一曲いいメロディのがあるのですが、今ちよっと検索してみても見つからず、題名が分かりません。歌詞の冒頭に明るい調子で「San Francisco」と歌われるのですが。外国で聴いた曲は、その地の景色や人たちの思い出とともに強く印象に残っているでしょうね。

> 必死で生きていた
働いて子育てして
鋭い刃物みたいな精神状態で
突き進んでいた自分を思い出しました。

 もろんさんは波乱万丈のような人生を送ってきましたね。ひとの何倍も山あり谷ありの体験が多いようです。「鋭い刃物みたいな精神状態」の言葉が心にしみました。ご主人がなくってからは特に必死に生きてきたのでしょう。自分だけでなく、娘さんを育てる必要があるので、女手一つでよく頑張ってきました。
 私も必死に生きてきましたが、私は男ですし、子供は生まないと決めたので、そういう苦労は無かったですね。

> あの頃があって今の自分があるのだなあと
しみじみ感じました。

 そうですか。そういう考え方ができるのはいいですね。過去の経験は一つも無駄にはならなかった。すべて益になっている。そう思えるのはいいことだと思います。
 精神的に強い人にはより厳しい出来事が起きて、そうやって切れる刃物がより切れるように研がれていくのでしょう。もりんさんは今は新しい環境に慣れてきて、新しい自分を作ってきているようです。生きていると本当にいろんなことがあって、住む場所も人間関係もがらりと大きく変わっていくことがありますが、モリンさんなら今はどんな環境でもしっかり面白がりながら生き抜いていけそうじゃないですかね。^^)

2018/09/24(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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