「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 地上の事象は天国の隠喩でもある。金子みすゞの『繭と墓』。 


俺はお前となあ、二人でコンビ組んで、ずっとね、漫才とかやれて、お笑い芸人になって、やれたことが本当に幸せやった、ありがとう。もういつそっちに往くか、もうわからんけども、俺がそっちに往ったら、またやろうや。いいか、お前な、待っとけ」 
     (カンニング竹山さんの弔辞:相方・中島忠幸さんへ・2006年)


天国が実際にあれば、そんな素晴らしいことがあるだろうか。
死後の世界は、あるのか、ないのか―――――
この難問を金子みすゞさんの詩を軸にして科学的な合理思考で考えた。

                

部分と全体が自己相似形になっている図形を《フラクタクル》と言う。
この三次元世界には、あらゆる所にそのフラクタクル構造が現れており、
ミクロの量子の構造は、マクロの恒星群や星団の姿と相似であり、
人間は、サイズ的には、ミクロの量子とマクロの宇宙の中間に存在するそうだ。

「下なるものは上にある如く、上なるものは下にある如く」という古言がある。
フラクタクルの原理は、目に見えない形而上の世界にも当てはまるはずで、
この地球上の事象は、霊的な真理を表す《隠喩》であると見做すことができ、
自然界をよく観察すれば、死後の世界についても推察できるということだ。
       
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ジュリアス・シーザーは「人は見たいと思うものしか見ない」と言った。
イエスは「見るには見るが、決して見えない」人がいることを述べた。
これは《心を開いて素直な目で見れば、見えないものも見える》ということだ。

二十六歳の若さで薄幸の人生に自ら終止符を打った金子みすゞさんは、
純粋な感性の目で、人は死んだら見えない世界の中に解き放たれることを見た。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
金子みすゞの『まゆはか』は、自ら命を閉じる前に書いた絶唱だ。

《起》
  (かいこ)は繭(まゆ)
  はいります、
    きうくつそうな
    あの繭に。

《承》
  けれど蚕は
  うれしかろ、
    蝶々になつて
    飛べるのよ。

《転》
  人はお墓へ
  はいります、
    暗いさみしい
    あの墓へ。

《結》
  
そしていい子は
  翅(はね)が生え、
    天使になつて
    飛べるのよ。



この詩は《起承転結》で構成され、修辞技法としては《比喩》が用いられている。
すなわち、
《起》蚕は、成虫になるまでは、狭苦しい繭(まゆ)の中に入るのが運命だ。
《承》しかし、蚕は繭を出たら蝶々(蛾)に変わり、大空を飛ぶようになる。
《転》(蚕から人間の話に転じ) 人間も死んだら、暗く淋しい墓に入るのが運命だ。
《結》(蚕の羽化は比喩であり) いい子も死んだら天使になって天空を飛べる・・・
 と論じ、それゆえ人は死んだら天国に行く(と思っている)ことを示している。

みすゞさんは鋭敏な感性で身の周りを見て、その仕組みから論理的に学びを得た。
彼女は、蚕の完全変態は、人が生まれ変わることの隠喩であると見做したのだ。

 
 私はモスラ系は苦手なんですが、この子はかわいい顔をした蛾天使です。(笑)


この《生まれ変わり》という考えは荒唐無稽で不条理なものだろうか。

聖書の詩編作者は「人の体は恐ろしいほど奇(くす)しく出来ている」と感嘆した。
DNA一つを見ても、21世紀の知力でも造れないほど極めて精妙に出来ている。
脳の1秒間の活動は、スーパーコンピュータだと40分ぐらい掛かるそうだ(※)

人間のパーツはとてつもなく超高性能なのに、その本体のほうは故障したり損傷
したりで、一定期間が経つと全機能が停止になるのは欠陥商品のようではないか。

進化論が正しいとしても、形状や機能は自然の知恵によって著しく進化したのに、
老化については自然の知恵が全く機能してないというのは甚だしく片手落ちだ。

宇宙が出来た大元の原因と考えられる《叡智≒神》が在って、人間が懸命に生き
ても死んだらそれで終わりという情けない生命を造ったのなら、頭が悪すぎる。


 hura1.jpg


英知ある結果は、必ず叡智ある原因から生じる。
であれば、その《叡智》たるものが人間をいたずらに生まれさせるはずもない、
と考えるほうがリーズナブルではないか。

そうなら、宇宙の《叡智》は、人間の現在にも死後にも公正に作用しているのだ。

つまり、人間は肉体は死んでも、《生命》は不滅であり、
人間の本質である《魂》は、目に見えない世界でずっと続いている・・・。


                


補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(金子みすゞさんの命は極めて短かいものでしたが、魂は十分燃焼したはずです)

彼女は「人間は死んだら天使になる」とは言わず、「いい子は死んだら天使になる」と言っています。
これは彼女が、単に子供向けの書き方をしたせいか、あるいは善い人だけが天国に行くと思っていた
のか、もしくは自らの死を予感し、天国の存在を希望的かつ確信的に書いたのかもしれません。
註――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※日本とドイツの研究チームが、人間の脳の神経回路シミュレーションとしては史上最大規模のもの
を、8万2944個のCPUと1.4ペタバイトのメモリー量を持つスーパーコンピュータ『京』で行ないま
した。17億3000万個の神経細胞が10兆4000億個のシナプスで結合された神経回路のシミュレーシ
ョンを行ない、生物学的には1秒間に相当することを『京』は40分かけて計算したようです。
この10兆4000億個のシナプスというのは、ちょうどヒトの脳の神経回路1%ほどの規模に相当し、
小型霊長類であるサルの全脳の規模に達しているとのことです。
https://gigazine.net/news/20130806-simulating-1-second-of-real-brain/
●画像はPixabayのフリー画像を借用しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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永遠のテーマ

バーソ様
おはよう御座います。

死後の世界があるかどうかは人類永遠のテーマですね。
細胞は常に生まれ変わっています。古い細胞は死に、新しい細胞が生まれます。
人間を一つの細胞とみれば死があって生があるのはいたって当然のことであり、ジタバタすることでもないのでしょう。
私が懇意にしているお寺の住職が法事後の会食の雑談の中で死後は全くなにもなくなるという話をしました。宗教関係者なのにロマンのない話だとがっかりしました。
死後でも魂は生きていると考えた方が楽しいです。

私もモスラは苦手ですが、その映画に出ていたザ・ピーナッツは可愛くて好きです。

愛新覚羅

2018/09/15(土) |URL|aishinkakura [edit]

魅惑の『脳』

>脳の1秒間の活動は、スーパーコンピュータだと40分ぐらい掛かるそうだ。

これぞ脳のミラクル構造ですよね。
今生においてDNAと脳ほど魅力的な対象はないと思えるほど。
しかも、宇宙の構造と表裏一体に思えます。

金子みすゞさんの詩を読んで、アウシュヴィッツ収容所を訪れた
エリザべス・キューブラー・ロス博士の内観を思い出しました。
壁に描かれた無数の蝶、蝶、蝶……。
肉体という衣を脱いで蝶のように飛び立つ。
ロスは、魂は不滅であることを暗示していると感じたんですねぇ。

確かに人は見たいもの、信じたいものを見ると思います。
多くの神秘体験をしたロス博士だからこそ、
処刑を前にしたユダや人の心を読み解いたのでしょう。

ミクロ(DNA)もマクロ(星団)も螺旋構造。
身近な自然界に眼を凝らせば、生命の何かも見えてきますよね。

魂は不滅……このことが周知されれば、
道徳や倫理の必要も無くなり世界は変わるのに……。
と、いつもじれったく感じるオバちゃんです。(^_^ ;)

2018/09/15(土) |URL|風子 [edit]

Re: 永遠のテーマ

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 細胞は常に生まれ変わっています。古い細胞は死に、新しい細胞が生まれます。
 人体は70兆個とか100兆個と言われる数の細胞から成っています。その数は世界人口(73億人)の1万倍以上。そして腸の内壁を覆っている細胞は数日に一度、膀胱の内壁を覆っている細胞は2か月に一度、赤血球は4か月に一度新しくなっているそうです。

 ノーベル賞を受けたライナス・ポーリング博士は、人体の細胞は常に入れ替わっており、その新陳代謝がどうして続かずに終わってしまうのか分からず、それは謎だと述べたそうです。

 なので本来は人体の細胞は永遠に生きることができるようになっているのに、それを止めているなんらかの遺伝子的な原因がありそうです。それをキリスト教ではアダムの罪である「原罪」と言うのですが。

 それにしても仏教的な「色即是空」の考えも、邪悪な考えや我欲が無くて崇高な悟りのようですが、ある意味では確かに「ロマンのない話」で、味気ないものですね。ご馳走を食べずに一汁一菜の麦飯を美味しいと言っているようなものですから。

 私はモスラ系も『風の谷のナウシカ』の王蟲系も昆虫はみな苦手です。でもピーナッツ系は、バターピーも殻つきもみな好きです。チョコレートはアーモンド入りが大好きです。(笑)

2018/09/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 魅惑の『脳』

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 金子みすゞさんの詩を読んで、アウシュヴィッツ収容所を訪れた
エリザべス・キューブラー・ロス博士の内観を思い出しました。

 言われて思い出しました。私も読んだことがあります。収容所の狭い環境の中に閉じ込められていた人は、外に出て思い切り蝶のように飛び回りたいと願ったのでしょう。人間、自由がないというのは、大病や拷問などの苦しみを除いて、いちばん酷い苦しみなんでしょう。

 ニール・ドナルド・ウォルシュは、死はじつは解放であり、祝福なんだと言っています。それが信じられると、過酷な状況に居ても挫けずに耐え抜く勇気が出そうです。

 フラクタクルでホログラムを思い出しました。フラクタクルはギリシア語で「すべてが記録されたもの」の意味を持っています。それが自然界の事象にも当てはまるのであれば、
・小なるものの中には、大なるものが含まれている。
・自然界の生物・無生物には、宇宙の属性が秘められている。
・今という瞬間には、過去も未来もすべてが畳み込まれている・・・となります。
 ということは過去も現在も未来も、今この瞬間に同時に存在していることになり、現在の目先の出来事に一喜一憂しなくてもいい、人間万事塞翁が馬という話にもなりますが、その時々のの喜怒哀楽の感情を実体験するのがまた人生のいいところなんでしょうね。

2018/09/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

死して魂だけが宇宙空間に生き続けるというのもなんだか寂しい。
生まれ変わりは魅力的なテーマですよね。
金子みすゞの詩、調子よく読めると思ったら七五調なんですね。
生まれ変わりの隠喩ですか、なるほど。
学術的に検証された「生まれ変わり」の例では、大体一つの
パターンがあるようです。
子供が3歳くらいになって、前世で暮らした人生を話し始めるのです。
住んでいた村、その時の家族、死んだときの状況などを語ります。
半信半疑の両親たちはある日、子供の願いに負けてその村を
訪ねて子供の言ったことが正しかったことを認めます。子供は
時とともに子供の前世の記憶が消え、現実の世界に戻っていきます。
まあこれはバーソさんの考える生まれ変わりとはちと違います。
仏教では功徳を積まない人間は動物に生まれ変わるとか。
虫、特にゴキブリに生まれ変わったらどうしよう。
そうだ、スギに生まれ変われれば数千年は生きられる。
でも花粉症だしなあ。(笑)
北斎の「神奈川沖浪裏」の富士の絵を見ながらブロッコリーでも
食べるとしよう、フラクタルの真っただ中で。(笑)

2018/09/15(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 金子みすゞの詩、調子よく読めると思ったら七五調なんですね。
 あ、ほんと。そうですね。気が付かなかったです。
 琵琶法師の語りとか講談なんかだと、必ず撥で弦を弾きながら、あるいは扇子で台を叩きながら調子よく語るので《リズム感》というものがあるでしょうが、文章だと著名な作家でも考えを伝えることだけに神経を使っていて、リズム感をあまり考えて書いてないと思えるのがありますね。

 私は必ずひと固まりのフレーズを、頭の中で何度か読み返しながらリズムを考えて書きます。でもたまにスポンサーから、文章のリズム感というものを全然考えないで訂正の赤字を入れられることがあり、そういうときはがっかりしますね。

> 子供は時とともに子供の前世の記憶が消え、現実の世界に戻っていきます。まあこれはバーソさんの考える生まれ変わりとはちと違います。
 ええと、同じじゃないでしょうか。ただ、今回は《肉体は死んでも生命は他の形で続くはず》という点に重点を置いており、人の魂は地上に何度も生まれ変わるという《輪廻転生》の話はあまり突っ込んでいません。

 死して『魂』だけが永遠に宇宙空間をさまよい続けると。確かに寂しいでしょうね。しかし『魂』とは生命でもあり、生命とはエネルギーであり、活動するものです。だから『魂』は、大抵はまた地球上に生まれ変わって人間としての《生》を味わいたいと思い、それが楽しいので、男や女、金持ちや貧乏人、善良な人間や悪い人間・・・などなど、いろんな境遇や性格の人間に生まれ変わっているのだろうと思います。

 前世で悪いことをしたので、今生ではその報いを受けてさらに低レベルの人間に生まれ変わるとか、もっと酷い場合は動物や昆虫に生まれ変わるというのはチベット発祥の宗教によくある因果応報の考え方ですね。
 実際にはそうではなく、単に『魂』が自分のまだしてない経験やしてみたい経験をしてその時々の感情を味わうために、今度は何に生まれ変わるかを考えて、選択して、その条件に適う最適な両親のもとに生まれてきていると思っています。
 その生まれ変わりを覚えている子供がチベットや中国の山奥に多いというのも面白いことだと思います。以前、読んだ本では、新しいダライ・ラマになる子供がすでに選ばれていて、(記憶がちよっと曖昧なのですが)今度は白人の子供だったような気がします。

 よく『神奈川沖浪裏』の絵とブロッコリーを思いつきましたね。ブロッコリーの代わりに、玉ねぎではだめですかね。剥いても剥いても同じ形で、ちよっと涙が出るような話なんですが。(笑)

2018/09/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

確かに自然界には、ミクロの世界からマクロの世界までフラクタクル構造で連なっている現象が多いですね。
例えば、台風と銀河は同じ渦巻状ですし…多分、これは双方に同じ宇宙の法則(力学)が働いているからだと思います。
死と言う事になると、外から見る限りは星の死と人の死は異なっている様に見えますが、これは人間と言う形の死に拘るからで、細胞単位で見れば、やはり星の死と細胞の死はフラクタクル構造になっています。
自分は人が精神(心)と呼ぶものは、物質と対を為す存在だと考えますので、アストラル体の様に精神だけで存在する神も、人もあり得ないと思います。
ある人が死ねば、その人を構成していた身体は最終的に塵(物質)に分解されて目に見えなくなる訳ですが、その分解された塵の中にこそ魂が宿っています。
人は生きていた頃の名前や地位や経歴に拘り、その記憶こそが魂を構成する要素だと考えますが、その人が肉体を通して経験してきた事…物質に宿る記憶こそが魂の本質だと思います。
つまり、死んでバラバラに分解された素粒子が持つ記憶(魂)が、人であれ、他の生き物であれ、それぞれ集まって次の何かを構成した時、進化を促す起爆剤として働くのではないでしょうか。
この一個の自分は、単一の魂の輪廻転生ではなく、かって生きた多くの生き物の素粒子がそれぞれの記憶(魂)を持って結合した結果生じたものと考えられますね。

2018/09/16(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 joさんは、神とか創造者の概念が不在か不要の、進化論的(唯物論的?)な唯心論者のようですね。ようやくjoさんの立ち位置が少し見えてきましたよ。
 
> 自分は人が精神(心)と呼ぶものは、物質と対を為す存在だと考えますので、アストラル体の様に精神だけで存在する神も、人もあり得ないと思います。
 身体は最終的に塵(物質)に分解されて目に見えなくなる訳ですが、その分解された塵の中にこそ魂が宿っています。

 物質とエネルギーは同じものです。素粒子は年月の経過で岩石になり、土の塵になったでしょうし、また素粒子に戻り、単なるエネルギーに変わるかもしれません。量子というのは波であり粒であり、ほとんどエネルギーのようなもので、宇宙の始めはエネルギーだけがあったはずです。
 ビッグバンの以前は、物質というものがまだ姿を現してなかったので、joさんの考えでは物質が無ければ精神(心)も無かったということになりますが、そうであれば、いつから精神(心)は出現したのか?ということになり、その謎解きが面白いですね。
 
 宇宙が出来て物質が登場し、物質が自然に進化し、やがて命を持ち、自己増殖する生物が出来、その生物が進化して意識や知性を持ちはじめたときに、思考や感情も持ち始め、そうした生物が生きているときに行なったすべての体験の総称(それには記憶も含まれる)ものを「魂」と呼ぶのでしょうか。いや、素粒子の段階ですでに知力があるということですかね。であれば、知力(記憶力)や思考や感情がいつなぜどのように発生したのか、そのへんが不思議です。
 
> 死んでバラバラに分解された素粒子が持つ記憶(魂)が、人であれ、他の生き物であれ、それぞれ集まって次の何かを構成した時、進化を促す起爆剤として働くのではないでしょうか。
 素粒子が持つ記憶は「魂」であり、それが進化を動かす起爆剤として機能しているということですか。記憶というのは知力が進化した結果の産物でしょう。
 この「記憶」を他の言い方で、「意識」と言ったらいけませんか。つまり素粒子の中にも無生物にも生物にもすべてのものには当初から「意識」があり、その「意識」を「魂」と読んではいけませんか。つまり「意識」は物質の始まりから在るというわけです。
 もちろんその「意識」は、人間のものと草木のものと石ころのものでは違うでしょうが、それぞれのものにはみな「意識」があると考えられませんかね。すべてはフラクタクルであれば、物質の本質の構造はミクロもマクロもみな同じなんですから。
 
 その「意識」は自然発生したと考えるのが進化論ですが、そうではなく物質の中にある「意識」は、《原因→結果の法則》で考えれば、もっと大きな「意識」つまり「神」とか「サムシンググレート」「大霊」「一なる者」と呼ばれるものから造られたのだろうというのが有神論者の考えですね。

 一つのスピリチュアル的な考えでは、「意識」を持つ「魂」は究極的には一つしかなく、大体が「神」自体が「大きな魂」なんですが、その神(魂)が肉体を持つものだけができる《実体験》をしたいがために、その自らの魂を細分化して、小さな分身である人間や生き物を造り、その人間の個々の魂の中にはアストラル体とかメンタル体とか肉体も含まれており、そういうものを見える人が「オーラが見えた」という言い方をしているのですね。
 
 スピリチュアルでも宗教でも神秘主義哲学でも、それぞれの考えは基本的に似たようなものでも、その細部の解釈はかなり、あるいは微妙に異なっているのは面白いことだと思います。そしてそういうことを考えて、自分の存在とか人生の意味などを考えるのも非常に面白いことだと思います。

2018/09/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

蛾と蝶に明確な違いは無いそーな

 蛾と蝶に明確な違いは無いそうですよ。我が敬愛する谷敬様も一緒くたにしてましたね。ガチョーン・・・。あのスウェーデンの名作でも飛びます飛びます。ガチョウ・・・。南米では牛や羊を追ってますよ。ガウチョ・・・。
 え゛ー、前置きはそれ位に致しまして、本題に参りましょう。と思ってみれば自己相似ですか。自宅の掃除すら満足に出来ないくーたらにはあまりに難題。バーソ様に於かれましては毎度難しいお題ばかり並べ奉りやがりまして、こちらは大変でございますの事よ。そこで雑考に任せて書かせて頂けば、人とは「星屑の墓標」であります。なんや、それ。miss.keyの出来損ないのSFの題名みたいやなって、鋭い。学生時代に書きかけてぶん投げてまった代物です。で、何が言いたいかと申しますと、原子宇宙は、まあととりあえず水素だけはある時代としまして、それが集まり恒星となり、やがて死を迎え、酸素炭素窒素珪素その他諸々を生み出し、それが再び集まって星を作り、そこから現れた生命の末端の一つがそれらを調べて記録する。卒塔婆がその人の生の記録であるならば、人の知識とは星の墓標なのであります。しかしそれも何れは消え失せ、再び生まれた星には再び命が生まれ、時間は螺旋を巡り巡る・・・って、随分なこじつけだなぁ。で物体がフラクタルなら時間もまたフラクタル。綺麗な女性は不落たる。ああ、めぐるめぐるよ時代は巡る。喜び悲しみ繰り返し、きょうもわたくしゃお仕事ですorz

2018/09/17(月) |URL|miss.key [edit]

Re: 蛾と蝶に明確な違いは無いそーな

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 今日も仕事なのに朝っぱらから時間を取らせて、と普通なら書くところですが、例によって気の向くままスラスラと流れで書いたように思える、流暢かつ面白いコメントを毎回すみませんね。
 蛾と蝶には違いがないことは知っていました。私は見た目で決めています。きれいなのが蝶で、見たくないのが蛾です。(笑) 

 人とは「星屑の墓標」でありますか。カッコいい。その言葉だけで何でも許容する気になります。「人とは」の前振りがなければ、白色矮星や超新星の残骸のようで、もの悲しくなりますが。

> それが再び集まって星を作り、そこから現れた生命の末端の一つが
 核心はここでしょう。生命が星屑の中から、水素原子の中から、どうして、どのように現れたのか、それが一番の問題点ですね。英語のlifeには「命」という意味と「生活」という意味がある通り、生命というのは単に活動しているものを言うのではなく、意識によって活動して何らかの思考をしたり喜怒哀楽の体験をしている状態を言います。だから、その肝心の生命が、知性が、意識がどのように現れたのか、これが一番の問題点ですね。ちなみに、生命や知性が偶然に発祥したという考えは、物事の道理的に、また科学的にも有り得ないと思っています。

 「意識」は人間の場合は「自意識」とか「自我」とも言えますが、自意識というのは不思議なものですね。もし人間にそれがなければ、たとえスーパーコンピュータを凌駕するほどの頭脳が日常生活で発揮されている人でも、単なるスーパーロボットと変わりありません。自意識がなければ、鉄腕アトムにもR2-D2にもC-3POにもなれません。
 2001年の映画『A.I.』ではデイビッドという少年のロボットが自意識を持っていて、人間のように愛されることを渇望しながら海の中で機能停止し、二千年後に発見され、人間と同じような再生クローンになるものの、たった一日しか生きられないのですが、最後は母の愛に抱かれて、やっと納得して永遠の眠りにつくというストーリーでした。

 自意識というのは自分の存在意義を考え、納得することが仕事で、たとえば自分が他者から愛されることによって自分の存在理由を確かめたいのでしょう。愛の他にも、なにか自分のやりたいことをやり遂げることでも自分の存在理由を確かめることができると思いますが、そのように自分が《なぜ生きているか、どうして生まれてきたのか》を確認したいというのが、人間の顕在意識または潜在意識の中には普遍的にあるように思いますね。だから《自分探し》をしに外国に行く人がいるのでしょう。だからゴーギャンも南海の島に行ったのでしょう。

「綺麗な女性は不落たる」がじつに名言でした。ふらふら苦たる者には非常によく納得し共感できる言葉でした。(笑)

2018/09/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

悲しきメタファー


みすゞのピュアな詩は好きです。

人は死んだら何処え行く、こういうお題を頂いた時、昔読んだ三島のの遺作、豊饒の海を思い出します、この小説は四部作で一巻ごとに、20歳で死ぬ主人公が生まれ変わって登場します、誰もが知らない死後の世界を考えた時、輪廻転生は永遠の命を手に入れた様な、仏教徒でもヒンズー教、キリスト教徒でもないおいらが涅槃だ天国だと騒がずにすむ命のリレー、こんな楽しい事信じないわけにはいかなっかった。


魚游釜中として生きるよりは自らの手で生を閉じる、こんな考えちょいと潔くかっこが良く見えますが、とんでもない!、おいらは「死んで花実が咲くものか」を持論としているので、自殺はいかん、自ら殺した肉体からは魂も行き場を失い死んでしまう、なので輪廻転生もあり得ない、「そしていい子は翅(はね)が生え、天使になって飛べるのよ。」なぁ〜んてこともあり得ない。

みすゞのピュアな詩は好きです、でも悲しき隠喩が多すぎます。
二人とも自死です、言葉の花は咲かせましたが、永遠に実はつけません。

はたして死後の世界はあるか、おいらそんな難し事を考えず、欲を張らず、大人しく無になって土に還ります。



2018/09/17(月) |URL|ばく [edit]

Re: 悲しきメタファー

ばくさん コメントありがとうございます^^)
 確か『豊饒の海』は、ばくさんが読んだと聞いたので、一度読みたいと思ったものの、まだ読んでない本です。四部作ですか。ちよっと気持ちが萎えますね。(笑)
 三島は名声を得た後に45歳で自死。みすゞさんは酷い夫に苦しみ、26歳で自死。片や美文調、片や子どものような文体の詩。いずれも文学的な感性は卓越したものがありますが、凡人には、ただただ、もったいない、もったいないと思えます。
 
 三島の『仮面の告白』という本は、飛込自殺を撮影してフィルムを逆回転させると、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返るという《生の回復術》のことが書かれているそうです。
 自死する人は、また人間として生まれ変わってくる輪廻転生も信じているのでしょうか。そうでないと貴重な命を捨てようとは思わないような気がします。 
 もっとも大義名分のためには覚悟の自死もあり得るでしょうが、三島由紀夫ほどのひとが、自分のあの程度の檄文と演説で効果があると思うはずがないとも思うのですが、どうなんでしょう。
 
 三島文学館で自筆の原稿を見たことがありますが、それはもうじつにきれいな字で丁寧に書かれていました。人生に自分の美学を持っていた人がどうしてあんな死に方をしたのかと不思議ですが、彼にとってはあの切腹が美しい死に方だったのかと思えば、その決意と行動をあまり否定してはいけないような気にもなります。
 私は、自死はひと様に迷惑が掛からないなら特に罪悪ではなく、ゆえに天国には行くだろうし、生まれ変わりもあるだろうと思っています。

> 二人とも自死です、言葉の花は咲かせましたが、永遠に実はつけません。 
 そうですね。もし生きていればもっと沢山の花を咲かせ、実を付けたかもしれませんね。もったいないもったいないと思うばかりです。
 
> 欲を張らず、大人しく無になって土に還ります。
 ばくさんは、この世の栄耀栄華を全部とまでは行かないでも、もう思う存分に人生を味わい尽くしたのじゃなかったですか。ならば後はおとなしく土の塵に還るのもいいですね。次はたぶんもっと厳しい人生を選択して、それにチャレンジする人になるような気がしますが。^^)

2018/09/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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