「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 桃太郎の説話は、勧善懲悪か、完全超悪か。 


 え~、昔の子供はそれはもう無邪気なものでしたが、今は二歳の子供が迷子に
なって見つけられると、「人生で一番うれしかった」とか「昔ならボランティア
なんかいなかった」とか言いそうで、まあ、近頃の子供はじつにしっかりしてま
すな。

坊っ、日が暮れたら寝ないといかん。必殺仕置き少年の話をしてやるから、
早く寝なさい」
「とおちゃん。桃太郎が鬼をやっつけて宝を持ち帰る話なんか、もう退屈で退屈
で、あくびが出そうだよ。あ~あ」
「いいんだ。桃太郎の昔話は聞いたら眠くなる。だから寝るときにちょうどいい
んだよ」
「いつも同じ話だとあきるよ」
「じゃ、とおちゃんが作った桃太郎の替え歌を聞かせてやるから、寝なさいよ」


  yaas4.jpgヤマサ醤油『桃太郎』昭和初期の広告

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唱歌『桃太郎』五十音2分の1ヴァージョン。 
(あ行・さ行・た行・は行・ら行のみを使用し、濁音・半濁音と「ん」は許容)

《歌詞》
1.(犬猿雉) 桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたキビ団子、一つわたしに下さいな。
 ピーチボーイさん、ピーチボーイさん。
 ウエストついてるデザート、ひとつほしい。あたしら、ツー(too)


2.(桃太郎) やりましょう、やりましょう。これから鬼の征伐に付いて行くなら、やりましょう。

 いいさ、デザート与えるだ、デザート与えるだ。
 いっしょさデビル征伐さ行ったら、たっぷりプレゼントだ。


3.(犬猿雉) 行きましょう、行きましょう。あなたに付いてどこまでも、家来になって行きましょう。

 レッツ、ひた走ろうぜ。レッツ、ひた走ろうぜ。
 あーたと一心同体。ずうーっと、フォロアーであるってばてばさ。


4.(桃太郎) そりや進め、そりや進め。一度に攻めて攻め破り、つぶしてしまえ、鬼が島。

 それそれ、フロントどんどん。ハリアップ、フロントどんどん。
 一度でズタズタ、ぜーんぶペースト。滅ぼせ、デビル・アイランド。


5.(桃太郎と犬猿雉) おもしろい、おもしろい。残らず鬼を攻め伏せて、分捕物をエンヤラヤ。

 興奮るんるん。精神はればれ。デビル全員たじたじさせて、
 ピンチさせて、トレジァーいただいたら、はい、ホイサッサ。


6.(語り手) 万万歳、万万歳。お伴の犬や猿、キジは、勇んで車をエンヤラヤ。

 ビバビバ、ビバビバ。シェパード、オランウータン、レポートら
 兵隊ハッスルしてトレーラー引っ張り、ほれ、エイサッサ。


「とおちゃん、くだらなくて眠れなくなっちゃった。『レポート』って記事(キジ)
のことかな。みんなが桃太郎の家来になったのは、キビ団子が欲しいからじゃあ
なく、戦いが好きだからなんだね」
「戦いが好きということは、徴兵ではなく、傭兵だからだな」
「4番の『つぶしてしまえ、鬼が島』って、住んでる土地まで破壊しろってこと
だよね」
「小さな島は攻めやすいからな」
「5番じゃ『面白い』って言ってるよ」
「戦いを面白がるとは、とんでもないな」
「とおちゃん。この話は他に、鬼を鬼畜米英としたり、鬼退治じゃなく話し合い
で解決したとか、鬼の宝は元々は桃太郎の村人から奪ったものだから、村の持ち
主に返しただけという解釈もあるみたいだよ」
「そうか。かわいい桃太郎の絵本で見れば、勧善懲悪の教訓話なんだがな」

 momo9.jpg

「とおちゃんは、一万円札の人が好きだよね」
「福澤諭吉か? とおちゃんの財布の中から行方不明になって、もう二日以上に
なるよ。(泣)」
「そのおじちゃんがこんなことを言ってるよ」

桃太郎が鬼が島に行きしは、宝を盗りに行くと言えり。けしからぬ事ならずや。宝は鬼の大事にして、仕舞っておきし物にて、宝の持ち主は鬼なり。主ある宝を訳もなく盗りに行くとは、桃太郎は盗人とも言うべき悪者なり。もしその鬼が一体悪き者にて、世の中の妨げを為せし事あらば、桃太郎の勇気にて これを懲らしむるは甚だ良き事なれども、宝を盗りて家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとは、ただ欲のための仕事にて、卑劣千万なり。 ――――家訓「ひゞのをしへ」福澤諭吉  (註:原文は全部ひらがな表記)


「ね、桃太郎は盗人だとか欲が深いって言われてるでしょ」
「福澤諭吉は、世間とは違う視点を持っていたのだなあ」
「ねえねえ、とおちゃん。果物はいろいろあるのに、なんでリンゴ太郎とかナシ
太郎とかパイナッポー太郎とかはないのかなあ」
「金坊よ、桃じゃなければ『桃太郎』の話って言えないからだよ」
「もうっ。それはね、桃太郎は桃から産まれ、桃は発音と形が股(もも)に通じてて、
中国では不老長寿の薬で、鬼を祓(はら)う呪物とされていたからじゃん」
「・・・・・・」
「あれ、とおちゃん、とおちゃん、どうしたの?」
「ぐーぐーーぐぁーーー」
「とおちゃん、寝ちゃったよ。あ~、親なんてものは無邪気なもんだ」



補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※唱歌『桃太郎』は文部省唱歌の一つ。1911年(明治44年)の「尋常小学唱歌」に登場。作詞者不明、
作曲・岡野貞一。
※この話は、明治に入って日本の国が日清戦争(1894)、日露戦争(1904)を通っていくなかで、外国
と戦って勝つ強い日本国民の理想を担うものとなり、明治以前に広く語り伝えられていた小さな物語
を引き離して、日本の昔話の代表となった。(朝日日本歴史人物事典より)
※唱歌『桃太郎』五十音の2分の1語ヴァージョンは、ネットを見ていたときにヒントを得て作った
ものです。https://twitter.com/aramatypo(4月10日) 世の中には面白い人がいますね
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仰天です!

『桃太郎』五十音2分の1ヴァージョンなんて、
バーソさんにしか思いつかない遊びでしょうね。

家訓「ひゞのをしへ」は、下級武士出身の諭吉らしい解釈で笑えます。

それが竹から生まれた『かぐや姫』だと……。
『五人の若者に求婚され、無理難題を押し付け、
親への恩も返さずに月に帰るとは、なんたる自己中女人。
育ての親への忠義失くして……』などと、説教されそうです。

桃太郎説話は、水戸黄門同様、勧善懲悪物語でしょう。
諭吉方式の解釈だと“日本昔話”は全て崩壊してしまいます……(^_^ ;)

2018/09/01(土) |URL|風子 [edit]

どうなんでしょうね

バーソ様
おはよう御座います。

はるか遠い記憶なのでよく覚えていないのですが前段として鬼は何か悪さをしていたのでしたっけ?それとも大人しく鬼が島で平和に暮らしていたのでしたっけ?
そして桃太郎は鬼達をギブアップさせただけでしょうか?それとも惨殺してしまったのでしょうか?
そして犯行動機ですね。財宝目的なのか、売名行為なのか、それともゲーム感覚なのか。
それによって桃太郎の罪が決まるような気がします。
有罪だとしても未成年なので刑は軽いでしょう。

愛新覚羅

2018/09/01(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 仰天です!

風子さん コメントありがとうございます^^)
 『桃太郎』五十音2分の1ヴァージョンは補足にも書きましたが、ネットを見ていてヒントを得たものです。ただし、そのネットの記事はよく見ておらず、そこから使った語彙は、鬼=デビルだけで、その他は私のオリジナルです。くだらないところが面白いと思って書きましたが、単にくだらないとだけ思う人もいるでしょう。でも私は、またこの方法で何か書くかもしれません。けっこう気に入りましたから。(笑)

 諭吉の『ひゞのをしへ』は家訓だから、こういう話になったじゃないでしょうか。もし学生向けなら、たとえ少数でも、また自分の側に(人間の)同調者がいなくても、学問で得た知恵を出し合って巨大な悪に立ち向かえというような話になったのじゃないでしょうか。そんな気がします。

 『かぐや姫』の話は、確かに自己中心的なところを感じますね。ただ、月に行く直前に、「月の都の人は、とても清らかで美しく、老いることもなく、物思いもない。そのような所へ行くことはうれしくはない」と言っているので、本心では月に行きたくなかったようで、彼女は翁との別れを悲しんでいます。
 
 桃から産まれた桃太郎は、動物と話すことができ、一人で怖ろしい鬼をやっつけます。竹から産まれたかぐや姫は、天に還って行き、そこは不老不死ですから、どう見ても霊界に生きる人です。

 なので大昔も宇宙人あるいは霊界のひとが地球にやってきて、人間が驚くような奇跡などをしたのではないですかね。イエスも天からの人とされていて、奇跡を起こしました。聖書では最終的には悪魔をやっつける話になっていますが、それもこういうおとぎ話と似たような話でもあるように思います。

2018/09/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: どうなんでしょうね

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 鬼は鬼であるゆえに何か悪さをしたはずだとされているのではないですかね。しかし鬼たちは鬼だけが住む島で平和に暮らしていたのは間違いないようです。そうすると片方から見れば鬼のように見えても、鬼のほうから見れば自分たちをやっつけに来る人間のほうが鬼のように見えたかもしれないですね。

 鬼を惨殺してしまったかどうかについては「鬼退治」と言われているので、激しく立ち向かってきた鬼は惨殺し、降参した場合は、鬼の首領と幹部たちは切腹させ、鬼の家来たちは許したのじゃないですかね。

 武士の感覚だとそうなると思いますが、古代イスラエルの場合は全然違います。立ち向かってきた敵(単なる原住民です)は皆殺しにしました。皆殺しとは男も女も子供も赤子も年寄りも全員です。「ただし処女だけは生かしておけ」と言われていたので、まあ彼らの感覚は全然違うのですね。

> そして犯行動機ですね。財宝目的なのか、売名行為なのか、それともゲーム感覚なのか。
それによって桃太郎の罪が決まるような気がします。
有罪だとしても未成年なので刑は軽いでしょう。

 なるほど、犯罪は動機を問題にするわけですね。昨今は誰でもいいから殺したかったので通行人を車で轢いたとかナイフで刺したという人がいて、妙な人がいます。そんなに殺したかったら自分を殺したらいいじゃないかと思うのですが、痛くて苦しいからイヤなのでしょう。

 いま結婚できる年齢は法律的には、男は18歳以上(女は16歳以上)です。未成年は20歳以上というのはおかしいと思っていましたが、選挙権が18歳以上になったのと共に、ようやく改正実施されるようで、やはり時代は移り変わっていくのですから、法律も時代に合わせて見直すのがリーズナブルのようですね。

2018/09/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

わはは…実は戦時中に鬼を征伐する「今様桃太郎」ともてはやされた将軍が日本にいました。
作戦の神様と謳われた、辻政信関東軍参謀(大佐)…陸軍士官学校を主席で卒業するや、関東軍に配属されて鬼退治(匪賊狩り)に功績を挙げ、勢いで鬼(ロシア人・モンゴル人)の土地を奪ってやろうと、ろくな装備も持たずにノモンハンに出かけ、鬼の返り討ちに遭って大敗し数万の将兵を失う…ところが、なぜか大本営発表では大勝利となってしまい、満州の英雄となる。太平洋戦争が始まると、前回の失敗にも懲りずに軽装で鬼が島(ガダルカナル)にいる鬼(アメリカ兵)の征伐に出かけ、宝を奪うどころかさんざんな目に遭って敗北…ところがこの時も大本営発表では大勝利で、一躍日本人の英雄となり、戦後は無茶な作戦で10万の将兵を殺した反省もなく、衆議院議員・参議院議員となりました。
「一将功成りて万骨枯る」…さぞや辻桃太郎は、大勢の犬(日本兵)猿・雉(朝鮮・台湾の植民地兵)を犠牲にした事でしょうね。
きびだんご(利益)欲しさにこんな桃太郎のお供をしようものなら命が幾つあっても足りません…ま、童話に出てくる英雄・桃太郎は虚像であり、真の姿はそんなものです(笑)

2018/09/01(土) |URL|sado jo [edit]

こんにちは

替え歌「桃太郎」、お父さんが寝ちゃうというオチが
秀逸でした。
最近の子どもは桃太郎を読まないですね。
「なぜサルが人間の言葉を話せるの?」とか詰問されそう。
カ行を使えないのは苦しかったでしょう。
桃って思い切りマ行ですしね。
「レポート」も苦しかったですね。
バーソさんは一行の文字数を決めたり、五十音の制限を
したり、文中に「り」で終わる語だけを使ったり、「ら」の字を
縦に並べたりで、ご自分に難行を課します。
バーソさん、ひょっとしてMの気質があったりして。
夜中に腕にローソクを垂らしたくなったりしませんか。
あ、いかん。私の嗜癖を言ってしまった、ってウソですよ。(笑)

2018/09/01(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2018/09/01(土) || [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 とかく戦争というのは「狂気な人」を指導者にすることがあり、一般人をも「狂気」にすることがありますね。私は実際に自分が徴兵されたら、どう行動しただろうと思うことがありますよ。
 なぜ戦時にはおかしな人が台頭してくるかと言えば、いつの時代も同じで、すなわち今の政治家と同じく、正義感と使命感もあるでしょうが、とりわけ功名心が強いゆえもあるのじゃないでしょうか。
 野心というのは諸刃の「凶器」ですね。野心は「少年よ大志を抱け」の良い一面もありますが、他を蹴落としてでも殺してでも上がっていこうとするところがあるので怖ろしい一面があります。

 二十代の頃、我が家に訪問販売で買った百科事典があり、何巻目かの背表紙のタイトルが「The Age of Faith」でした。「誠実の時代」とは何のことだろうと思って中を見たら、ルターなどのプロテスタント運動の時代のことが書かれていました。「Faith」とは「誠実」の他に、「信仰、宗教、信念、信頼」という意味もあり、そのタイトルは「信仰の時代」という意味だったのです。
  プロテスタントとカトリックの争いは、自分の側が正しいという信念と正義感ゆえに、自分とは違う理念のひとを憎み、相手を殺し、火あぶりにするまでにもなり、それは結果として両者ともキリストの思いからは遠く離れることになったわけですから、自分の正義感や信念についてはよくよく考えることが必要のようです。

 ある時代には、世界の大きな潮流の影響を受け、社会の環境や状況の変化もあり、ある種の思想的な空気が国全体に強く吹く時代があって、国民全体がそれに押し流されることがありますね。「信仰の時代」ならぬ「狂気の時代」です。
 自分は社会の中道を歩んでおり、考え方は中庸だと思っていても、その社会全体が偏っている場合は自分の視点も偏っている可能性があります。
 もちろん良い方向に偏っているなら大いに偏ったほうがいいのでしょうが、その《良い》という規準の定義やその判断感覚がけっこう難しいのですね。どうしてもそれは、自分が考える規準、あるいは自分が好きな規準でしかない場合が多いでしょうから。

 犬・猿・雉は、黍団子のご褒美でお供に加わりました。たいしたご褒美ではないので、彼らは金銭欲や名誉欲ゆえというよりは、正義感や信念で行動をしたのでしょうか。
 と書きながらも、むろん正義感の全然ない人は論外で、まるでノンポリの人たちは困ったものだとも思っているのですが。

2018/09/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 おほめいただきありがとうございます。ただ、この構成自体は落語にあって、私としてはオリジナルなオチでないのが遺憾なところです。今回は妙な言葉遊びのほうに気を使い、あとはちよっと福澤諭吉の家訓紹介をしただけであり、オチのほうはよく考えなかったのですね。

 桃太郎の話については本当は怖い子供の童話というよくあるパターンですが、童話という体裁を取って、かわいい子供の絵本にされると、怖ろしさがオブラートに包まれて教訓話になるのがあらためて怖ろしいと思いました。自分が子供の頃は、桃太郎の鬼退治の話が不条理だとか残虐だとは思ってもみなかったですから。鬼はとにかく鬼だから悪いと思い込んでいました。教育というのは怖ろしい一面がありますね。外国人に対する国民全体の意識さえ変えることがありますから。

> カ行を使えないのは苦しかったでしょう。
 ああ、さすがにエリアンダーさん。私もそう思いました。「か行」というのは「あ行」「さ行」と共に日本語の根幹を為しているようですね。もし「さ行」も抜いたらどうなるかは、いつかトライしてみようと思います。

 それから「猿」は「サル」のままでも条件に適っているのですが、でもそれではつまらないので、あえて「オランウータン」にしました。あと「ひひ」というのもありますが、「狒々」の字を連想させ、ちよっと古臭いように感じました。「雉」は「バード」や「とり」でもよかったのですが、かえって無理があるぐらいのほうが面白いだろうと思い、あえて「レポート」にしました。こういうのはあまりドンピシャな訳語でないほうが面白そうです。
 
 私の過去記事をよく覚えていてくださいました。「難行(?)」を課しているのは、内容に卓越したものがないからです。普通の文章で書いたらたいしたことがないので、せめてちよっとした工夫を入れて、なんとか読んでいただこうと下心のあることが示されているというわけです。

 むろん、そういうシンメトリーにしたりとかの言葉遊びが好きなせいもあるのですが、そういう嗜好のない人には、バーソは愚かしいことをしていると思うでしょうね。以前、正月の挨拶文で言葉遊びをしたら、(たぶん言葉遊びとは気がつかないで)呆れたという趣旨のことをコメントしてきた人がいました。そういう生真面目な方はやがて訪問してこなくなることが多く、いま来てくださっている方は奇特で愛と包容力と遊び心のある方だと思って深く感謝すると共に、ぜひ今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いしたいと思っています。^^)

2018/09/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/09/02(日) || [edit]

Re: やっぱり「桃太郎は盗人」

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 
 桃太郎の話の由来については、吉備津彦命が鬼を討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られているようです。黍団子の黍は吉備に通じるせいもちよっとあるのでしょうか。他にも全国各地で、おらが村が大元だという主張がいろいろあり、インドに源流があるという説もあるようです。

 私が桃太郎のような教訓話の倫理観をそのまま受け取らないようになりだしたのは、昔、ソ連に公用か何かで行った人が「うさぎとかめ」の話を子供たちにしたら、「どうしてカメは寝ているウサギを起こさなかったのか」と言われて、ちよっと驚いたという話を本で読んでからです。なるほど、そういう見方のほうが感覚的に正しいと思いましたが、もっともらしい説話は一歩引いて客観的に考えるようにしないといけないかもしれませんね。

 桃太郎は盗人だ、鬼はかわいそうだと思う気持ちも、まあ、理解できなくはないですが、この話ではそもそも鬼は悪魔サタンと同類の悪者だという前提になっているはずで、ならばこの桃太郎の話は古今東西どこにでもある英雄譚そのものです。素戔嗚やロビンフッド、スーパーマン、007、中村主水などはみな悪と立ち向かう正義のヒーローですが、こういう人が実際に現代にもっといてもいいような気もします。(笑)
 「征伐」という言葉は現代では常用されませんが、クレオソートの「正露丸」は「征露丸」の名であったときもあり、昔から当たり前のようによく使われたのでしょう。

 補足の「日露戦争(1904)を通っていくなかで」の「か」が抜けている件、ご指摘ありがとうございました。すぐ直しました。面白いことに、誤植(脱字)というのは(あまり)校正してない所で見つかることが多いですね。ここはネットで見つけた事典からその一部をコピペしたものですが、簡潔にするために少し削って短くしたときに、うっかり一文字カットしすぎたようです。自分で書いたものではないので、全然校正をしなかったのが問題でした。

2018/09/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

渡る世間は鬼ばかり

 鬼退治とは比喩でありまして、その実態は世渡りであります。渡る世間の荒波を、鬼を避けつついなしつつ、時にはやり込め尻捲り、しかしそれでも何時の日にか故郷に錦を飾ろうと立身出世に励むのであります。まあ、大抵は大成と言う程にはいかんもんですが、ヨッメを貰って、家を建て、犬を飼って、猿のごとき餓鬼め等と雉のローストに舌鼓。ああ、古き良き時代の一家団欒、家族の姿。何気ないごく普通の幸せの形。今はもう遠いおとぎ話でございます。

2018/09/02(日) |URL|宇喜多権備前桃太郎忠則 [edit]

Re: 渡る世間は鬼ばかり

宇喜多権備前桃太郎忠則殿、有難き幸せで御座る
 宇喜多とは浮き多とも書きこの浮き世の儚さと移ろいの多きことを言っているので御座いましょう。忠則とはタダ乗りとも書き利用出来るものは精一杯無料にて利用致したいという合理的精神を持っておる事を結構強メに示唆しておるので御座いましょう。

 桃さの話は隠喩でありますか成程渡る世間は荒波ばかり鬼ばかりで御座いますか成程宇喜多殿らしき面白き御説で御座るなあ。渡る世間に鬼は無しという言い回しも有りしような気が致しますが、私が常々思っておりますのは他の人の態度は自分の心の鏡の反映で有ろうという事で御座います。つまり自分の意識が他の人の意識に映し出され常日頃自分がにこやかに愛想良き精神状態であれば相手も同様に呼応することになり逆に自分が愛想悪く皮肉屋的なる態度を取れば相手の方も同様にはならないとしても兎角煙たがるような態度を取るという事が有りそうだという事で御座いますよ。

 この点で経験から適当かつ朧気に認知致したのは幾ら自分の心の中で愛の灯を燃やしていても其の想いを顔や目で表し特に言葉で相手に伝わるように明確に度々言わなければ相手の方はなかなか理解しては頂けないという事で御座いますなあ。
 その点で私メは極度に口下手で愛嬌は滅多に振りまかず矢鱈内気で引っ込み思案な暗い性向のせいで御座いましょう鬼をうまく往なすなんて器用な事は出来なかった人生を今更ながら深く悔やんでいるところで御座いますよええ。
 ごくごく稀に天使天女に出遭っても己の心の内を言えない謙遜さ臆病さ真面目さというような消極的な人生志向というのは困ったもので御座る。故郷に錦を飾る等あるいは黄色いハンケチを掲げて待ってくれている人が居るような事態は夢のまた夢諸行無常の鐘の音奢ってくれる人は久しく居りません宇喜多殿はたまには私メに御馳走など致す気はないで御座ろうかねえその節は私メは忠則に徹したいと存じておるのですがねえもし。

2018/09/03(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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