「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 悟りとは無欲・無意欲のことか。芥川の『黄粱夢』。 


「ご隠居、先週の雀のお小遣いでサマージャンボとレインボーくじを二枚ずつ買
いました。賞金の七億五千万円の一割をご隠居に分配するってえと七千五百万円。
すっごくうれしいでしょ。それでですね、そのホンの一万分の一で許してあげま
すから、七千五百円、前渡しでください」
「まったく。熊さんは懲りないねえ。今日は、おまえさんに一つ大事な話をして
おこう。『邯鄲(かんたん)の夢』という中国の昔話だがな」
「知ってます。簡単な話です」
「ほう、どんな話だ?」
「へい。若い男が仙人から不思議な枕を借りて寝たら、とんとん拍子に出世して、
偉くなって長生きした。だから、お先まっくらな話ではなく、お先は枕で明るい
未来の夢を見た話です」
「ま、おおむね合ってるな」
「へい。カンタンな話です」
「盧生(ろせい)という名の若者が、邯鄲(かんたん)という町の宿でちよっと昼寝をし
たら、栄耀栄華を極めた夢を見たのだが、夢から覚めたときに、どう思ったか覚
えているか?」
「さあて、どうでしたかね」
「芥川龍之介がこの話を作り変えて面白い結末にしている。短いから三分で読め
る。『黄粱夢(こうりょうむ)』という題だが、黄粱とは黄色い粟(あわ)のことで、話
は、粟の粥(かゆ)が炊き上がった頃に目を覚ます場面から始まっている」



 静かに朗読を聞きながら文字を追うのもいいものですよ。(4分13秒)
 
     _______________________

黄粱夢――――芥川龍之介

 盧生は死ぬのだと思った。目の前が暗くなって、子や孫のすすり泣く声が、だんだん遠い所へ消えてしまう。そうして、眼に見えない分銅(ふんどう)が足の先へついてでもいるように、体が下へ下へと沈んで行く―――と思うと、急にはっと何かに驚かされて、思わず眼を大きく開いた。
 すると枕もとには依然として、道士の呂翁が坐っている。主人の炊(かし)いでいた黍(きび)も、未(いま)だに熟さないらしい。盧生は青磁の枕から頭をあげると、眼をこすりながら大きな欠伸(あくび)をした。邯鄲の秋の午後は、落葉した木々の梢(こずえ)を照らす日の光があってもうすら寒い。
「眼がさめましたね。」呂翁は、髭(ひげ)を噛みながら、笑(えみ)を噛み殺すような顔をして云った。
「ええ」
「夢をみましたろう。」
「見ました。」
「どんな夢を見ました。」
「何でも大へん長い夢です。始めは清河の崔氏の女(むすめ)と一しょ(いっしょ)になりました。うつくしいつつましやかな女だったような気がします。そうして明(あく)る年、進士の試験に及第して、渭南の尉になりました。それから、監察御史や起居舎人知制誥を経て、とんとん拍子に中書門下平章事になりましたが、讒(ざん)を受けてあぶなく殺される所をやっと助かって、驩州へ流される事になりました。そこにかれこれ五六年もいましたろう。やがて、冤(えん)を雪(すす)ぐ事が出来たおかげでまた召還され、中書令になり、燕国公に封ぜられましたが、その時はもういい年だったかと思います。子が五人に、孫が何十人とありましたから。」
「それから、どうしました。」
「死にました。確か八十を越していたように覚えていますが。」
 呂翁は、得意らしく髭を撫でた。
「では、寵辱(ちょうじょく)の道も窮達(きゅうたつ)の運も、一通りは味わって来た訳ですね。それは結構な事でした。生きると云う事は、あなたの見た夢といくらも変っているものではありません。これであなたの人生の執着も、熱がさめたでしょう。得喪(とくそう)の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか」

 rosei.jpg

 ・「寵辱の道」気に入られ、また、はずかしめられるという人生の道程。
 ・「窮達の運」落ちぶれ、また、栄えるという人間の運命。
 ・「得喪の理」得るが、また、失うというこの世の道理。
 ・「死生の情」死ぬことと、生きることに関わる人間の情。


「読むのはここでストップだ。熊さんよ、どうだ。栄枯盛衰の人生は儚
(はかな)
ものだ。だから立身出世の野望は空しい。だから濡れ手に粟の一攫千金の夢なん
ぞはじつにくだらんとは思わんか」
「えーーと、ご隠居。この盧生という若者は栄枯盛衰を味わって、人生は儚いと
思ったんですかね。それとも栄耀栄華を極めて、人生は楽しかったと思ったんで
すかね」
「お、鋭いな。そうだなあ。この話の教訓は『盛者必衰の理(ことわり)を表す』と
思われているが、まあ、苦しい目には何度か遭ったものの、全体的には成功して
いるので、栄耀栄華を愉しんだ話と考えたほうがいいかもしれんな。熊さんよ、
最後の部分が面白いぞ」


 盧生は、じれったそうに呂翁の語(ことば)を聞いていたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私(わたし)は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」
 呂翁は顔をしかめたまま、然(しか)りとも否(いな)とも答えなかった。


「どうだ。おまえさんは、自分は真に生きていると思うか?」
「ご隠居。盧生が『青年らしい顔を上げて、眼を輝かせながら』というのがいい
ですね。人生は夢芝居のようだとしても、あっしは短い一生、思いっきり大きな
火花を散らしてみてえですよ」
「お、眼が輝いとる。しかしなあ、熊さん。一生懸命働きもしないで一攫千金を
夢見ても、そんなあぶく銭はバブルの金だ。すぐに泡(あわ)のように消えてしまう
と思わんか?」
「でもね、あっしは、ちまちま小金をためてアリのように生きたくねえ。人様に
迷惑を掛けない限り、キリギリスのように好きなことをして生きて、あとは野と
成れ、山の塵と成れってなもんですが、駄目ですかねえ・・・・おや、ご隠居、
どうしました?」
「おや、最後は塵となり、散ってもいいのか。まあ、人生に迷いのない者は幸い
だなあ」
「えへ。ご隠居は顔をしかめたまま、然りとも否とも答えなかった、じゃあねえ
みてえだ」
「うむ、いまの熊さんの話は、小賢
(こざか)しく生きようとしてきたあたしには、
あわを食うような、ちっとばかし感嘆の夢の話だったよ」


                  


蛇足―――――――――――――――――――――――――――――――――――
格言や寸言、また故事成句は、とかく人生の真理を教えていると思いがちですね。
しかし或る教えは、上位の者が下の者を支配するのに都合がいい場合があります。
それは大抵、欲を抑え、辛抱し、清貧で、従順に、忠節に生きよと勧めています。
夢や願望の追求は、確かに儚く、空しく、人生無常に感じることもあるでしょう。
しかし短い一生の間、セミのように大声で鳴いて死ぬのもいいとは思いませんか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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COMMENT FORM

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“悟りとは”こだわりがないことかも?

盧生の……。
≪夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私(わたし)は真に生きたと云えるほど生きたいのです。≫

これほど完璧な所信表明はないでしょう(笑)

はて、顔をしかめて無言だった呂翁は“道士”。
道義を体得したはずの呂翁が黙りこくった、というのが面白いですよねぇ。

蛇足の……、
“上位の者が下の者を支配するのに都合がいい場合……”
これが常に思えますね。
偉人の格言を多く読んでも、実生活を知ると、
『ええかいなぁ』って心境になりますもん。

悟りとは、あらゆる煩悩を味わい尽くした後の、
こだわりのない状態かも?ですが、
その意味において、道士の呂翁はちと気の毒かも。

ってなこと言いながら、結局のところ……。
『なりたい自分』になることでしか、
先が読めないような……(^_^ ;)

2018/08/18(土) |URL|風子 [edit]

勘違い

バーソ様
おはよう御座います。

今の若者は無欲、無意欲で野心もなく覇気がなくて困ったものだと思っていたら悟りを開いていたのですね。勘違いしていました。

愛新覚羅

2018/08/18(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: “悟りとは”こだわりがないことかも?

風子さん コメントありがとうございます^^)
 「悟りとはこだわりがないこと」ですか。うん、そうですね。こだわりがあるから、これは駄目あれは駄目と言って、本来自由で多彩にある選択肢を自分で狭めてしまって、生きることを難しくしているのかもしれないですね。
 そして「あらゆる煩悩を味わい尽くした後のこだわりのない状態」というのもポイントでしょうね。これがないと、単に欲も無い何もしないという単なる無為徒食・無味乾燥のつまらない人生になります。

> ≪夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私(わたし)は真に生きたと云えるほど生きたいのです。≫
これほど完璧な所信表明はないでしょう(笑)

 私もここがキモだと思いました。人生はしょせん夢のようなもの。いや、実際にヴァーチャルリアリティの夢だと言われています。そうでないとしても、人間は寿命の尽きるときまで、スリルありサスペンスあり恋あり別れありの夢舞台で自由な演技を愉しむために生まれてきたと思っています。しかしこう書いた芥川自身は早く幕を引きすぎのようで、これが不思議ですね。

 極言すればですが、教訓とか格言というのは、自分を律するものが多く、言い換えれば人間の自由を失わせるものが多いですね。以前は「清貧」の生き方は非常に麗しいものだと思っていましたが、「富裕」だって、ひとを押しのけ悪事をしないで得られたものなら同じく麗しいものです。むしろ富裕のほうが人生に味わいが増え、困っているひとたちを援助しやすくなり、そのほうが望ましいとも言えそうです。

 てなことを言いながら、私は結局はたいしたことはせずに生きてきました。でもこれが私の「なりたい自分」なのでしょう。(笑)

2018/08/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 勘違い

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 今の若者は無欲、無意欲で野心もなく覇気がなくて困ったものだと思っていたら悟りを開いていたのですね。
 昔の少年は青雲の志をもって、大きくなったら大臣になりたいとか、学者、医者、芸術家になりたいとか言ったものです。
 明治から昭和初期の頃は社会が発展途上だったのでしょうか、「大志」を抱いて、成功した人がいます。大抵は貧しい家に育ったのですが、必死に懸命に努力して功成り名を遂げた人がいます。
 でも今は、IT業界を別にして、社会のシステムが整っているせいか、起業家で言えば本田宗一郎や松下幸之助のような人は出にくくなっているのでしょうかね。

 と、そう思えば今の若者は悟りを開いていると言えそうです。
 しかしそうなら、ある意味、今の若者はかわいそうなものですね。大きな夢を持つことをはなから諦めているわけですから。

 とはいえ、昭和の最初の頃は「大学は出たけれど」と言って、そもそも働く場がなかったようですが、しかし今は何でもやる気さえあれば働き場所はたくさんあり、そういう意味では恵まれていると思いますね。小さな子供がスマホでないとしても、携帯電話を持っているだけでもすごいなあと思います。

2018/08/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

同じ中国の伝説にこんなのがあります。
戦に負けた越王勾践は、憎い呉王夫差に貢物として世にも名高い西施と言う絶世の美女を贈った。
呉の国の人々は西施を見ると誰もがその美しさに心を奪われた。
だが、ある日西施が自分の姿を池に映すと、魚達はみな恐ろしさの余り逃げ出してしまった。
人には絶世の美女に見える西施も、魚達にとっては恐ろしい化け物にしか見えなかったからだ。
どんなに美しかろうが、栄耀栄華を極めようが、それはあくまでも人間界だけの尺度に過ぎない。
その人間界だけしか通用しない美女に溺れて、呉王夫差はまんまと越王勾践の計略にはまって国を滅ぼした。
人は愚かと言えば愚か、儚いと言えば儚いもんですね(笑)

2018/08/18(土) |URL|sado jo [edit]

こんばんは

「邯鄲の夢」盧生は呂翁に、夢で人生の栄枯盛衰を見て、
欲をなくして去っていった・・・。
芥川龍之介の「黄粱夢」の結末、人生は儚くてもせいいっぱい
夢を見て生きていくという方が私は好きですね。
いつだったか「胡蝶の夢」について話し合った事を思い出しました。
粥がまだ炊き上がらぬ束の間に一生の夢を見たそうですが、
私も起床直前の短い時間に長い長い夢を見ることがあります。
人は睡眠中に数回のREM期に夢をみて、最後のREM期の夢を
覚えているのです。
夢は記憶の削除・定着の作業中に起こるそうです。

2018/08/18(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

ado joさん コメントありがとうございます^^)
 西施の池の魚の話は知らなかったですが、美女の規準に関する魚の観点と人間の観点は確かに格段に違いそうです。ひょっとしたら美女はそもそも目力が凄いので、濃いアイメイクの威力により、魚たちはギョギョギョッと驚いたのじゃないでしょうか。(笑)

 西施と言えば、病気のときにつらくて眉間にしわを寄せた、その顔も美しいとたいそう世の評判となり、それを見た女たちが真似をしたら、醜女がさらに醜くなり、世の評判となったという話を思い出します。「顰(ひそみ)に倣う」という言葉の由来です。
 まあ、愚かしいというか、哀れというか。ですが、しかし今の世でも、セレブやモデルが使っている高級化粧品やブランドバッグを持ちたがる気持ちもさして変わりはないようです。

 呉越といえば「呉越同舟」「臥薪嘗胆」を思い出します。
 覇権を競って争うのは虚しいこと。美女を使った策略に負けるのも情けないこと。復讐は復讐を呼び、人間の憎悪の感情には切りがありません。それこそ栄枯盛衰はただ春の世の夢のごとしです。

 しかしそんな群雄割拠の時代であっても、范蠡のように頭脳はすこぶる優秀なのに、世俗的な権力には関心を持たずで生きる人もいるわけで、どう生きるかは結局は、どう生きたいかという、その人の意識次第のようですね。

2018/08/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/08/18(土) || [edit]

ここ数年、欲が無くなってきました。(食欲や性欲は人並みにはありますが...

 
 あ、そうだ、これは「あきらめ」だ。

 人生、、未来に対しての「あきらめ」だ。


 悟りではなくて・・・(笑)

2018/08/18(土) |URL|Anthony [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね。私は以前は『邯鄲の夢』の盧生のほうの生き方がいいと思っていました。というのは立身出世や野望や野心というのは、金や名誉を過度に持ちたがることで、他のひとを蹴落とすこともあるわけですから、人間として低質で、みっともない生き方だと思っていました。だから私は実際に、何かの特権や目だった立場を提示されたときは遠慮して辞退するようなところがありました。上に立つより縁の下の力持ちのほうが好きでしたが、これは消極的な人生観かもしれません。

 今はどうかと言えば、今でも本質的にその人生志向は変わらないですね。
 でも今は『黄粱夢』の盧生のように、夢を持つことは素晴らしいことで、その夢を追い続け、それを実現していこうとするほうがはるかにいい人生になると思っています。むろん夢は破れることもあり、そのほうが確率的には多いかもしれないですが、それでも自分の夢を見続けるのはいいことだと思いますね。
 ただし今現在は、何かこれをしてやろうという夢がなくなって、このままなんとか無事に逝ければいいと思っています。(恥)
 
> 私も起床直前の短い時間に長い長い夢を見ることがあります。
人は睡眠中に数回のREM期に夢をみて、最後のREM期の夢を
覚えているのです。

 そうですか。長い長い夢を覚えているのですか。よく交通事故に遭った人が瀕死状態の数秒ほどの間に、自分の一生を走馬灯のように振り返ったという話をしますが、そういう夢の中の時間は普通の時間とは違うのでしょうかね。

 レム睡眠とは身体は休息中でも、脳が活動をしていて覚醒状態にあるそうですが、私も夢は明け方近くに見ることが多いです。面白いのは、自分では思ったこともないようなストーリーの夢を見ることがあり、普段は忘れている人が登場してきて、思いがけないことを言うこともあります。

> 夢は記憶の削除・定着の作業中に起こる
 そうなんですか。夢は潜在意識の中にあるものが出る場合が多いのかと思うのですが、いつもおおむね同じような夢を見るのが少し気になっています。

2018/08/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)
 ここ数年、欲が無くなってきましたか。それは悟りではなく、諦めですか。
 まあ、諦めと悟りとは近似値にあるような気もしますね。どちらも、しないことのほうを優先しています。
 であれば、私は「悟り」たいですが、「諦め」たくないような気もします。(笑)

 同じ芥川龍之介の『芋粥』という小説があります。主人公は下級役人で、芋粥を飽きるほど腹いっぱい食べたいという夢を長年持っていたのですが、いざ芋粥の大鍋を目の前にしたら気持ちが萎えてしまうはなしです。つまり夢は実現するよりも、夢を抱いているうちが良かった幸せなのかもしれません。夢は、夢として心の中で想っているだけでも、その存在理由が十分にあるようですね。

 バーナード・ショーがこんなことを言っています。
「人生には二つの悲劇がある。一つは夢が叶わないこと。もう一つは夢が叶ってしまうことだ」

 私はカメラが好きで、買う前は、見たり、比較したり、カタログを取り寄せたりしていろいろ調べます。でも買ってしまったら、案外そのカメラに対する気持ちが冷めたりします。買う前にあれこれ想っている状態のほうが楽しいのですね。

 女性についても同様で、相手を密かに思っているときのほうが幸せかもしれません。と言うと、Anthonyさんは激しく反対意見がありそうですが。(笑)

2018/08/18(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

短い眠り、終わらぬ旅路

   どのみち短い眠りなら 夢かとまごう夢を見ようよ
   どのみち終らぬ旅路なら 夢とも知らぬ夢を見ようよ
 某中島みゆきさんの「女神」からの抜粋であります。人生が夢であるなら、夢と知っているなら尚、夢かと疑いたくなる程の夢を見てみたいものであります。が、夢だと気が付けないと言うのなら、平凡でも穏やかな幸せを追いかけたいものです。
 ああ、俺も早く夢から覚めてくれねぇかな。目が覚めてみれば、きっと俺は顔が残念じゃなくて、若くて、金持ちで、美人な奥さんがいて・・・それこそ夢みたいなお話。狐が木陰で笑ってますがな。
 え゛、実際どうなんだって?現実は間逆ですよ。どうやら夢じゃない様で(笑

2018/08/19(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 短い眠り、終わらぬ旅路

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 希望というのは夢のように曖昧なものでしょうか。新約聖書の中で使徒パウロがこんなことを書いています。
「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを誰がなお望むでしょうか。」 (ローマ8:24)

 ここでは「見えない希望」こそ本物であると言われています。希望というのはおおむね遠い彼方の空遠くにあって、寝ているときに見る夢のようになかなか明確には見えてこないものです。ですが、それだからこそ「希望」の条件に適っているのでしょう。
  どのみち短い人生なら、夢かとまごう夢を見ていたい。
  どのみち終わる旅路なら、夢とも知らぬ夢を見ていたい。
  人の心が変わり、誰もが変わっても、
  まぎれもなく自分を受け止めてくれる人がいる。
  たとえ天使たちが歌いやめても、
  最後には女神が自分を待っている。
  いちばん最後に見た夢だけを
  人は覚えているのだろう。

> 人生が夢であるなら、夢と知っているなら尚、夢かと疑いたくなる程の夢を見てみたいものでありますよ。が、夢だと気が付けないと言うのなら、平凡でも穏やかな幸せを追いかけたいものです。
 どちらかといえば前半より後半のほうに私も同意であります。ただ、miss.keyさんの場合は、後半がちよっと らしくないような気がしますが、しかし、つちのこののほほんとしたムードに、ほのぼのしたアトモスフィアを想えば、意外にというか、案外そういう浪漫チックな夢を見つづけている人かもしれないと思いました。いや、実際にそうであるのでしょう。永遠の少年のように幼い日に見た夢をいつも思い出しているのでしょう。^^)

 中島みゆきが好きですね。わたし、この曲はこのたび初めて聴きました。
 シャンソン歌手の別府葉子さんも中島みゆきが好きだそうです。
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=74&v=aEN3LYVARTc

2018/08/19(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

芥川龍之介の『芋粥』と同様に、

 僕は小さいころにからの夢で、思いっきり、お腹いっぱい、プリンを食べたいという欲望がありました。

 大人になってから、スーパーでプリンを20個買って、食べましたが、 ちっとも、うれしくなかった。。。(笑)


>相手を密かに思っているときのほうが幸せかもしれません。

 若い時は、たしかに、そうだったと思います。僕も。

 今は、一緒に買いものに行ったり、テレビを見たりとかの、日常に幸福を感じます。

2018/08/20(月) |URL|Anthony [edit]

Re: タイトルなし

Anthonyさん コメントありがとうございます^^)
 プリンは精々2個ぐらいにしておけばよかったのに、20個も食べたら食べ過ぎで、おなかがプリンプリンに張ったせいでうれしくなかったのじゃないですか。(笑)

 これは、子供の頃の味覚と大人の味覚の違いもありそうです。というのは、私は子供の頃はカレーライスがご馳走でしたが、今は全然そうじゃありません。子供の頃はバヤリースオレンジのジュースが憧れで、コカ・コーラは都会的な飲み物のように感じていましたが、いまは両者ともたいして飲みたくはありません。だから大人になるにつれ、いろいろなものに慣れてきて感動が薄れてきたもあるかもしれないですね。そういう意味では「飽食の時代」なんて言われたことがありますが、あまりモノがありすぎるのもよくないのかもしれません。

> >相手を密かに思っているときのほうが幸せかもしれません。
 若い時は、たしかに、そうだったと思います。僕も。
 今は、一緒に買いものに行ったり、テレビを見たりとかの、日常に幸福を感じます。

 うーん、そうですか、いまは非常にうまく行っているようですね。非常にいいことです。そういう日常の平凡な幸せが続くことが本当の幸せなんだろうと思います。

 私は若いときは異性に対しては臆病で、密かに想っているほうが多かったと思います。思い切って自分の気持ちを打ち明けると案の定、断られて、ああ失敗した言わなきゃよかったと思ったり、逆に相手のほうから好かれても、なかなかハートにぴったりしない場合は、こちらの気持ちが引いてしまったりで、要は心から最大限に燃焼する恋をしなかったせいかもしれません。Anthonyさんはその点、熱烈なタイプのようで、それが人生志向のようですね。^^)

2018/08/20(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/08/23(木) || [edit]

悟りとは。

バーソさん、こんにちは。

読んでいて心に引っかかっていましたが
思い出しました。
ゲーテのファウストです。

人生を三回かな?経験した人の戯曲です。
最後の最後に幸福感に満たされて天使が悪魔の契約を
解除した物語です。

悟りとは、人生を何度も経験しないと出来ないモン
なのでしょうかねぇ。

2018/10/28(日) |URL|kenichi2409 [edit]

Re: 悟りとは。

kenichi2409さん コメントありがとうございます^^)
栄枯盛衰の人生は儚い――――。
栄耀栄華を極めても、人間、最後は何十年かしたら死んでしまう。
だから『黄粱夢』の話は、あくせく働いたり、必死に無駄な努力をするよりも日々自分のしたい事、やりたい事をして、のんびり楽しく暮らしたらいいじゃないか、と読むこともできます。

悟りも同様かもしれません。
書物を読み漁り、必死に瞑想をし、滝に打たれ、厳しい修行をして、何十年か掛かってやっと悟りを得て覚者になったとしても、人間、最後は寿命か病気で死んでしまう。
だったら、日々自分のしたいことをして、のんびり楽しく暮らしたらいいじゃないか、と考える人もいそうです。

人間が悟りを得るために生まれてきたのであれば、なぜほとんどの人が悟りを得られないのか。
人類は全員が悟りを得るために生まれてきているのであれば、ほとんどの人は失敗しているわけですから、人間を造った創造者は、地球と人間に関する計画を失敗したということになります。
しかし最高の超叡智の持ち主(神)が失敗するということは有り得ません。
そう考えると、人間は悟りを得るために生まれてきているのではないと言えそうです。

人間はどんな人も皆いろいろな体験をし、喜怒哀楽をいろいろ経験して死んでいきます。ですから、そのいろいろ体験することが人間の生まれてきた目的だろうと考えることができます。そうであれば「人生いろいろ」でいいのじゃないでしょうか。これは誤解を招くかもしれないですが、極論すれば、極貧な人生でも劣悪な人生でもいいのでしょう。それから這い上がる人生をまた経験すればいいのですから。そのほうが極言すれば面白いとも言えそうです。

悟りは何回ぐらい人生を経験したら得るか。
分かりませんが、数回で悟りを得る人もいるでしょうし、何百回生まれてきても悟らない人もいるでしょう。その違いは、どんな人生を送るかを、個々の人が自分で決めているからじゃないでしょうか。

もし全員が悟ってしまったら、もう地球上に人間が生まれてくる必要性がなくなるので、そうなればゲームオーバーになり、地球と人間は宇宙に必要のないものになります。
ということは、すべての人が悟りを得ることは(特に近いうちには絶対に)ないだろうと思っています。

人間は自由意思を持つ特異な存在です。ひとから言われて何かの行動を起こすことはありますが、ほとんどの場合、自分で自分のしたいことを選んで行動しています。
ですから悟りを得たい人は得るようになるでしょうし、悟りなんか得たいとは思わない人は得ることはないでしょう。得る人も得ない人も両方の人がこれからもずっと存在するだろうと私は思っているのですね。

2018/10/28(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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