「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 人は死後、天国か地獄に行くのか、無存在になるのか。 


死んだら地獄と極楽のどちらに行きたいか?と意地悪な記者に聞かれて、
「どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね」。
 ―――― ジャン・コクトー (フランスの詩人 1889-1963)


この世界にはサッカーの神様がいる。
超一流のサッカー選手は、人々から神のように偶像視され、誉めそやされている。
年収100億円以上、モテモテで、この世の天国を味わっている選手もいるようだ。

しかし、もしイエスを信じていないなら、天国には行けない。地獄行きである。
超イケメンでもイスラムや無神論者なら、天国には行けない。地獄行きである。
キリスト教は排他的で、狭きゴールを通らなければ “得天”できないからだ。


misl75.jpg
ピーテル・ブリューゲル1世[下絵]ピーテル・ファン・デル・ヘイデン[彫版]『最後の審判』部分(1558年)


人は死んだら、どこに行くかについては、考え方が三つある。
すなわち、(a)無存在になる、(b)天国か地獄に行く、(c)天国に行く、である。


小学校低学年の頃は、死んだら自分は消滅するんだと思うと悲鳴が出そうだった。
悪事はしないほうだったので地獄への怖れはなかったが、無になるのが怖かった。

離婚した父親は、後に真言宗の僧正になり、死者の霊魂が見えるレベルになった。
母親は霊媒師に相談し、生長の家やら日蓮宗やらに凝り、教会は三宗派に通った。
        ____________________

私も宗教に関心があり、結婚してすぐ、家庭聖書研究を勧められ、夫婦で学んだ。
聖書の信憑性を学んだが、特に教理は他の教会とはかなり違っていて面白かった。

地球はいたずらに造られたのではない。人間は地上で永遠に生きるべく造られた。
死んだら土の塵に戻るだけで、地獄は無い。魂とは、禁断の木の実を食べても死
なないと蛇が言ったのに人間は死んだので、悪魔が言い訳で作った概念だ。神の
当初の目的が果たされずに終わることは無い。失われたエデンの楽園は復興する。

《地上の楽園で人間が永遠に生きる》と聞くと、トンデモ科学のように思えるが、
人間は現在は脳の持つ能力のわずか数パーセントしか使っていないとか、身体の
新陳代謝は本来は永遠に続くようになっている、といった科学的な論証も学んだ。

家に来てくれた伝道者は、こんな人が世の中に居たのかと思えるほど純粋な人で、
その教団は、聖書を神の真正の言葉と信じる、極めて真摯な人々の組織に見えた。
(私は、聖書に心酔し、神の言葉なので疑わずに信じ込もうと思った。=自己マインドコントロール)


Konst7.jpg
コンスタンチン・マコフスキー『幸せなアルカディア』部分(1889~1890年)


真理や正義には逆らえない。楽園はすぐに実現しなくても、神のご意思に従って
生きるのは正しいと思った。だから人生を懸けて必死に懸命に布教活動に励んだ。

長い年月が経ち、ネット探索を始めたら、井戸の中から広い地平線が見えてきた。
なんと教団本部に酷い偽善があり、教理に虚偽があることも分かり、教団を離脱。
        ____________________

精神世界の本を読み漁り、神や魂の概念が一変。特に、神の愛は無条件の愛だと
理解できたのが大きかった。人生で一番いいことを知ったような気持ちになった。

根源たるものが万物を造ったのなら、愛ゆえだろう、と思うのがリーズナブルだ。
そして愛があるなら、どんな人間であろうとも、天国に行かせるのが当然の帰結。

それで、人は死んだら《無存在》説から《天国に行く》説を信じるようになった。


gogya4.jpg
ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897-98年)


以上、確信や信念は変わり得る、私の頭は悪かった、否、今でもという話でした。

原罪と地獄の教理は《救われたければ、教会に所属して献金せよ》とセットです。
《c:人は天国に行く》という教えは、宗教にとっては都合の悪い教えなんですね。
人を怖れさせ、金銭や時間、体力を奪い、自由を規制するなら悪魔的な教団です。





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●(a)無存在になる=無神論、(b)天国か地獄に行く=宗教の教え、(c)天国に行く=スピリチュアル。
※この他に、「黄泉(よみ)に行く」があるかもしれない。「黄泉」とは死者の世界あるいは墓の意。
●神の「創造説」を否定する人でも大抵は、意識の下では漠然と《霊の世界は有る》と思っている。
その証拠に、災害の記念日には黙祷をし、神社では参拝をし、葬式で死者を悼む習慣を続けている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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映画『2010年』に観る世界

人は死後『意識する光の粒子』に戻ると思います。
その状態は、三次元的観方をすれば『無』であり
『天国』とも言えるような……。

映画『2001年宇宙の旅』から10年後、
第二弾『2010年』が公開されました。
宇宙飛行士は冷凍されて目的の星に行くのですが、
そこで高度な知的存在に遭遇。
ヒロインは、宇宙の構成が意図されたものだと理解します。
神とか宇宙は、この感覚が最も近いかも……。

実体は偽善に満ちていたとしても、
バーソさんの布教活動によって救われた人も多いと思います。
信仰心のきっかけを創ったことは確かですから。

どんな道も、進んでいく過程で『カオス』を形成。
その時、どう判断して、どう行動するかが生きることの全て……。

信じる対象を純粋無垢に信じて進む。
それこそが『三昧』で、『三昧』を経験したからこそ
視界が広がり、思考のキャパが増幅したのだろうと、
バーソさんの半生を含めて、私は思っています。

>確信や信念は変わり得る

それまでの自分を否定することですから、
とてつもなく勇気のいる決断と行動を要しますよね。
ですが人生において『目から鱗』を経験することは祝福だと思います。
行動しなければ、ただの無責任な評論家で終わりますから。(^_^ ;)

人生『なにをなしたか』ではなく、
『どう在ったか』ですよね。(^_-)-☆

2018/06/30(土) |URL|風子 [edit]

誰でも天国が

バーソ様
おはようございます。

よほどサディストでマゾな人は別でしょうが普通の人は天国に行きたいでしょうね。
無宗教の私でも天国に行きたいです。
天国のことは昔フォーククルデーダーズが教えてくれました。いいところ見たいです。
消えて何もなくなるのは寂しいですね。
天国で家内と愛犬と再会したいです。

愛新覚羅

2018/06/30(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 映画『2010年』に観る世界

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 人は死後『意識する光の粒子』に戻ると思います。
その状態は、三次元的観方をすれば『無』であり
『天国』とも言えるような……。

 おお、そうそう、そうでした。ありがとうございます。単に「天国」と書くと勘違いされそうですね。なので天国の実体、すなわち死後の状態についての説明を少しでも書いておけばよかったです。一般には天国とは天にある楽園で、ニコニコしている神様のそばで苦しみや悪事が一切ない至福の暮らしをするというイメージでしょうから。なので、風子さんにフォローしていただいてよかったです。
 
 私が教団に所属していた頃は、記事に書いた通り、まったくいい人たちばかりの集まりだと思って、自分も仲間になれたのは恵まれていると思い、誇りさえ感じていました。当時は組織自体も信者たちも、最近の成員とはかなり違って、もっと純粋で真面目だったように思います。

 教団を知ったゆえに聖書に関心を持つことができ、神という存在に信仰を抱くことができ、有神論者になれました。教団の独自の教理「地上の楽園/ハルマゲドン/世の終わり」については、じつは当初から聖書的にちよっとおかしいと思っていました。それはブログで幾つか記事にしていますが、その点はおかしくても、神エホバに忠節で聖書に熱心な点では、あの教団に優る教団は世界には無いと思っていましたね。

 私に救われた人がいるか。これは難しい問題ですね。信仰のきっかけを作った点ではよかったかもしれないですが、人生が大幅に変わった人もいますね。この点は今でも時々思い出して悔やむこともあるのですが、しかし私の場合と同様、これも運命的にそうなるようになっていたのだろうと思っています。

 面白いことに、あの教団に所属している人たちは、神や聖書が好きだというよりは、あの教団そのものが好きなんですね。あの組織と集会と生活スタイルが好きな人がほとんどだと思います。ですから、いくら教理が間違っていると言っても気にしません。むしろこちらが悪魔に毒されていると思っています。フグは食べたい、毒なんか気にしない、というより毒なんか無いと思っているのです。

 確信や信念というのは意外にもろいものですね。私の場合は例外というか少数派のほうかもしれないですが。
 ただ一つ言えることは、大抵のことは理性で判断できるということです。ちよっと落ち着いて冷静に考えれば、していいことといけないこととの違いは分かります。上から言われたら、何も考えずに従順に行動するのは正しい、それが忠節だなんて思うのは、とんでもない間違いです。
 宗教でも倫理団体でも、組織やカリスマ的リーダーを有難がるようになると、それは聖書で禁じている偶像崇拝であり、本当の道から外れ、人生の大事な目標や宇宙の真理を見失うと思いますね。
 励ましのコメント、ありがとうございました。^^)

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 誰でも天国が

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 天国のことは昔フォーククルデーダーズが教えてくれました。いいところ見たいです。
 あはは、思い出しました。おらは死んじまっただーと歌った男は酔っ払いで、酒はうまいし、ねえちゃんはきれいでと喜んだら、神様から天国を追い出されて、畑の中に生き返る歌でした。面白い歌でした。

 加藤和彦は安いかずみの夫で、いろいろ新しい試みをし、面白い人生を送ったひとのようでした。この人もクリスチャンで、しかし鬱で自死しているのですね。他には「あの素晴らしい愛をもう一度」が明るくて、いい曲でした。

> 消えて何もなくなるのは寂しいですね。
天国で家内と愛犬と再会したいです。

 ちよっとジーンと来ました。教授の思いは、いつもそうなんですね。
 スピリチュアルでは、人間が思うことは宇宙に存在していると言われます。存在してないものを想像することはできないからです。新商品や新発明があるじゃないかと言われるかもしれないですが、新しいと言っても全く新しいものは無く、大抵は元々あるものの新しい組み合わせなんですね。アインシュタインの相対性原理にしても、それ以前にあった考えを元にして発展させた考えのようです。

 なので、消えてなくなるものは無く、どこかにあるのでしょう。地球では死んでも、他の世界では生きているのでしょう。ですので天国という名の「楽園」はないですが、生命の本質である「魂」は死なないで永遠に宇宙にあり、人は死んだら、その宇宙の魂の一つになるのですね。「あのとき風が流れても変わらないと言った二人の心と心」がまた通うのは当然だと思います。^^)

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おはようございます

死んだら自分は消滅する恐怖・・・、
ある女優さんは子供時代の死への恐怖を述べています。
世界は私が生まれる前から時を刻み、私が死んでも、死んでも、
変わりなく動いてゆく。自分がこの世から居なくなっても、世界は
動いてゆくんだという事への恐怖感でいっぱいだったそうです。
この恐怖感分かるような気がします。
ネットも本も映画も音楽もない世界で生きる・・・、って、死んでるんだから。(笑)

スピリチュアルには長年、恋焦がれていますが、自分自身スピリチュアルな
体験をしたことがないのです。そばに近づこうとすると逃げ水のように
逃げていくのです。
母が亡くなったとき、ずっと住んでいて好きだった国の河に遺灰を撒いて
欲しいとの願いをいれて実行しました。
後年、その河をクルーズしたとき、スピリチュアルな体験を期待しましたが、
何もなかったです。
スピリチュアルは信じています、身内の確たる体験からね。

2018/06/30(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2018/06/30(土) || [edit]

無信仰なもので

おはようございます。

師匠のようにIQが高くないので、物事をそこまで追求した覚えがなく、凡人らしく刹那的に流されてきましたので、平々凡々な人生を送ってきました、いや、送っている最中でございます。

この世におぎゃーと生まれたとたんから死へのカウントダウンは始まります、そして致死率は100%、なんと平等な世界でしょう、おいら的に宗教と言うものは人間が作り出した究極の欲望の形だと思っています。
致死率100%、この死と言う前提が無ければ、宗教と言うものは生まれて来なかったのではとも思います。
人類という動物の世界も、又弱肉強食のスタンスは未来永劫不変のものでしょう、人が神と言う偶像を作り出したのはいつの事だったのでしょう、信仰とはいったい何なのでしょうか、弱者が神を創り上げたのでしょうか、何かにすがりたい、そんな本能的なものが人にはあるのでは、そして自ら創り上げた神と言う偶像に命を吹き込み、そして自らがその形のない何かに支配されてゆく。
あと30年もすればAIのシンギュラリティが訪れると誰かさんが予測しています、人工知能が人間を超えた時、はたして彼らはどんな神様を作り出すのでしょうか。
恐いですね~、でもその前に、おいらは確実に天国に行ってますので、お空の上から地上の惨状を観戦することになるでしょう。

2018/06/30(土) |URL|ばく [edit]

なるほど

>すなわち、(a)無存在になる、(b)天国か地獄に行く、(c)天国だけに行く、だ。

との事ですが、「地獄だけに行く」と示す教えは無いのでしょうか?

2018/06/30(土) |URL|呑兵衛あな [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> ネットも本も映画も音楽もない世界で生きる・・・、って、死んでるんだから。(笑)
 子供の頃は、ネット以外のものだって、「無い」と言っていいほどでしたが、今はいろいろ人生に彩りを加えるものが格段に増えましたね。子供がスマホを駆使し、赤ちゃんがタブレットをいじるなんて思ったこともなかったです。
 私も特にネットのおかげで、知識が増え、自分の考えも発表でき、同じような志向や異なる思考を持つ友人もでき、人生の楽しみが増えました。今はネットのない生活なんて考えられません。テレビはほとんど見なくなりました。

「スピリチュアルに長年、恋焦がれている」って、あらー、そうでしたか。関心があるレベル以上だったのですか。いま初めて知りました。科学的なことに関心があり、霊的なことにも関心があり、文学や芸術にも造詣が深く、すごいですね。

「そばに近づこうとすると逃げ水のように逃げていく」って、この言葉は実際に探求した人ならではの言葉のようです。座禅して瞑想をするとき、神秘的な体験をしようと思ってするのは良くないと言われます。その世俗的な思いが霊的な次元を追いやってしまうようです。
 無心でいればいいのですが、その無心が難しいのですね。無心になるのではなく、ただ客観的に見つめていればいいと言われますが、見つめていると、まあ、人間の思いは絶えずあれこれといろんなことを考えていることに気づき、驚きます。人間は考える葦というよりは、電源が入りっぱなしで勝手に無駄なことまで考え続けている奔放暴走状態のCPUのようです。

「ずっと住んでいて好きだった国の河に遺灰を撒いて」。いーん、いい話ですね。ガンジス河じゃなく、ライン川とかセーヌ川とか、ヨーロッパのほうでしょうか。
 人体の構成要素つまり元素は、地面の塵の元素と同じだというフランスの研究機関だったかの資料を読んだことがあります。私も遺骨はそんなふうに扱ってもらえればいいですが、でも分別ゴミに出すのじゃなく、《塵から生まれて塵に戻る》にしてもらえれば十分ですね。(笑)

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 無信仰なもので

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> 凡人らしく刹那的に流されてきましたので、平々凡々な人生を送ってきました、いや、送っている最中でございます。
 いやいや、「刹那的」というのは人生の一瞬一瞬を大事にして必死に懸命に命を使って生きてきたということでしょう。だから「平々凡々」どころか、自力であれほど大きな会社を作り上げるまでになったのでしょう。ばくさんは充実した、いい人生を送ってきたひとだなあと思っていますよ。どんな道であれ、人生をしっかり努力して真面目に生きてきた人はリスペクトに値しますね。

「死は100パーセントの致死率」。そうですね。王様も乞食も金持ちも貧乏人も、死だけはみんな平等です。寿命という時間も、健康かどうかの差はありますが、ほぼ平等に与えられています。もっと有効に使いたいものですね。

 宗教が出来たのは、人間に不安があったからと言う人がいます。人間は、なぜ自分が生きているか分からない。なぜ世界が存在しているのか分からない。死んだらどうなるか分からない。知りたいが分からない。その解決策として、人間を倫理的・能力的にはるかに上回る《超人間的な創造者》という概念を作り出した。そして体系的に理屈をつけて宗教というものに仕立て上げたと言われます。
 あるいは当初は、人間は神と共にあった。しかし自由に生きたいと思って神から離れた。だから人間には神から離れたという不安が残っていて、それがいわゆる宗教心として人類の意識下に共通してあるのだが、永い年月が経つうちに、本来の神の概念がだんだん変形して、現在はかなり違っているとも考えられます。

 宗教組織が教える神の概念は、人間の男の専制的な(そして真面目で厳格な)専制君主と似ています。聖書の神エホバだって非常に専制的です。その証拠に有名な『十戒』の第一は「私の他に神があってはならない」で、イエスも「神への忠実を全うするために殉教の死を遂げるなら永遠の命を与えよう」と言っていますから(黙示録2:10)。聖書の神は、自分が崇拝されることが第一の関心事なんですね。

「30年もすればAIのシンギュラリティが訪れるという予測」。
 うーん、どうなんでしょう。将棋のソフトはすでにプロより上かもしれないですが、それは単純計算にもとづく処理や記憶なら人間より能力が上だということを示すだけで、人間の持つ感性や感受性、感覚、そして特に意識も考えると、AIが人間を超えるとは到底思えないのですが。第一、その人工知能を造ったのは人間なんですし。

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: なるほど

呑兵衛あなさん コメントありがとうございます^^)
> 「地獄だけに行く」と示す教えは無いのでしょうか?
 ちよっと難しい質問です。すべての宗教を調べたわけではないので確かなことは言えませんが、ただ世界の宗教の源はどうやら一つだったのが、次第に各地に広がり、そうして様々な教えに発展、変化していったようです。「宗教」の漢字は「おおもと・おしえ」という意味で、ラテン語は「再び結びつける」という意味があるそうです。神と人とを再び結びつける大元の教えということのようです。
 ではその源たる大元の宗教とはどんなものかと言えば、今ある宗教に共通している教えです。すなわち人間や自然の力を超えた超スーパーマン的な見えない存在があり、その存在を崇める者だけが至福を受けることができるという教えです。その宗教を信じる者は、生きているときには精神的に救われ、そうでなくても死んで魂の状態になったら、その宗教の神の下で至福を味わえるということで、それはほぼ共通していると思います。
 
 しかしながら、強いて言えば、キリスト教の「原罪」という教理がそうだと言えそうです。
 つまりアダムが禁断の木の実を食べて神に故意に罪を犯した。人類はそのアダムの子孫なので、遺伝的に罪を受け継いでおり、みな罪びとである。したがって、人間は罪びとなので神から裁きを受けるしかなく、人類は全員、地獄行きが定まっているとなる教理です。
 ところが有難いことに、神は独り子であるイエスを犠牲として(神に)捧げることで、人類の原罪と相殺するようにしてくれた。だからイエスを主として信じなさい、信じる者は救われると言って、中世では免罪符なんて天国行きチケットが無知な信者に売りつけられ、ローマ教会が大儲けをしたことは学校で習った通りです。
 
 誰でもいいから殺したいなんて言って無差別殺人をするような人間は、早く死んで地獄にでも行ってもらいたいのですが、地獄は道理から考えてもあり得ないので、至極残念なことだと思っています。(笑)

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re20: なるほど

返コメ、ありがとうございます。
私は、黄泉の話題が出るかしらんとも思ったのですが...日本神話的な考えは世界の宗教の中でも面白いと思います。
要するに、黄泉(常世)とする日本神話や古神道や神道の世界観は、現世の私達から見ればキリスト教や仏教で言うところの地獄にあたるのだろうか(?)と凡人は考えています....という事で、本件はendにします

2018/06/30(土) |URL|呑兵衛あな [edit]

天国に行くには幾つも手段がありまして、別に得天しなくてもパス回しだけで予選を通過した国もあります(日本)
冗談はさておき、宇宙の質量が不変である以上、肉体が死ねば全ては無に帰すると言う事はまずあり得ません。
肉体を構成していた細胞は素粒子レベルにまで分解されて、元あった宇宙の中に溶け込んでゆくと考えるのが妥当です。
その際、魂がどうなるか?と言うのが大方の関心事ですが、素粒子を物質と捉えるか、常に変化する波と捉えるかで違ってきます。
もし、肉体と魂が波である素粒子の現れ方の別形態だと考えるなら、両者は同じく分解されて宇宙に帰ってゆく事になります。
人は、死ねば自分が自分でなくなる事を恐れますが、逆に魂が分解されずに自分のままならば、いらぬ未練…何かへの執着心や怒りや悲しみ、憎しみを永遠に抱える事になりますのでバラしてもらった方が楽だと思います。
自分と綺麗さっぱりおさらばできると思えば死もまんざらではありませんが、執着心の強い人にはそれが恐怖なんでしょうね(笑)

2018/06/30(土) |URL|sado jo [edit]

Re: Re20: なるほど

呑兵衛あなさん コメントありがとうございます^^)
 百科事典によると、漢語の「黄泉」の「黄」は土の色を表し、つまりは「地下にある泉」の意となり、「死者の国」を言うそうです。

 古事記の黄泉の国は、墓地や死体の腐乱状態の連想から、不気味で陰鬱な死者の場所であり、穢れの世界であることは間違いないのですが、後代になって悪人が神罰を受けるとされる仏教的な「地獄」の概念が入ってきたのでしょうかね。
 その辺のことはあまり詳しくないのでわかりませんが、人間が死んだらみな地獄に行って苦しめられるという概念が古代の人たちにあったのかどうか。むしろ神道では、人は死んだら冥界に行って子孫を見守る。つまりは神になるのではなかったですかね。むろん恨みが残っていて生者に「祟る神」になる場合もありますが。

 聖書でも「黄泉」と訳される言葉がありますよ。ヘブライ語はシェオール、ギリシア語はハデスですが、共に「地獄」の意はなく、単に「墓(もしくは死者が行く所)」の意です。
 ですから聖書では、イエスはシェオールから(あるいはハデスから)甦ったと言われています。「甦(よみがえ)る」という言葉は「黄泉から帰る」ということで、だからイエスは死んで三日目に墓から復活した(よみがえった)と言われるわけですが、もし黄泉が地獄の意なら、イエスは罰を受けるべき悪人で、三日間地獄で苦しんだということになります。
「黄泉」については、補足て説明を追加しました。 

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 あのパス回しは驚きましたね。サムライの潔さというイメージが崩れてしまったようですが、一方で、要は利を取るのが賢いということで、冷静な合理的な判断だとも言えるのだろうと思いました。
 ともあれ次のベルギー戦を考慮し、6人も選手を入れ替えてメインの選手を休ませ、ブーイング覚悟であのパス回しの判断をした勇気と決断力はたいしたものです。いずれにしても、サッカーも歴史も、勝てば官軍じゃないですかね。

 物質は粒か波かですが、要はE=MC二乗で、エネルギーが姿を変えたものでしょう。だから物質の観点で見ると、肉体が滅びれば、塵に戻り、エネルギーに戻って、宇宙の一部になるのでしょう。
 
 人間とは、(見えない次元の)魂が(見える物質の)肉体を身に着けているものと見ます。なので、肉体は焼かれて無くなっても、魂という霊体は無くならず、存続します。「魂」とはいうなれば、意識+エネルギーであり、神の一部であり、それは無に帰することはないと思っています。

 魂は人間の肉体を捨てるときにも、地球上で体験した怒り悩み苦しみなどの記憶は意識の中に残っているでしょうが、ちょうど舞台俳優が劇が終わってから自分の演技をビデオ再生して見るような感じで、地球上では自分は大悲劇の主人公であったとしても、死後にその苦しい記憶を思い出して苦しむというようなことはないと思っています。前回は面白い配役の劇を経験したが、さて、次はどんな主役あるいは脇役で地球座に行こうかというようなものです。

 死んで無になるのが怖ろしいというのは、肉体が滅ぶのが怖ろしいというよりは、自分という「個」がなくなること、すなわち「われ思う、ゆえにわれ在り」といわれる自分の意識がなくなるのが怖ろしいのでしょう。
 生ける者が死ぬことを恐れるのは生物の本能的な自然な感情で、むしろ(スピリチュアル的に悟った以外の人で)死ぬのなんか全然怖くないという人がいれば、本当かな、自分の死を現実的に考えているのかなと思ってしまいますね。
 人間は覇気(やる気)と人生目標と(まあまあの健康体)のある人であれば、やりたいことが必ずあるはずで、そういう自分の目標なり願いが死んだら一切なくなるというのは大いに残念以上の思いであるはずなんですが、まあ、人生いろいろ、人の考えもいろいろなんでしょうね。

2018/06/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

天国良いとこ一度はおいで酒は美味いしねーちゃんは綺麗

 捨ててだに この世のほかは なき物を
  いづくかつひの すみかなりけむ

 うん、この世以外に行くところはありません。人は、いや、人に限らず、万物は死ねば無(世界)に返る(帰る)のであります。そして世界の一部となってまた生まれる時を待つのでありましょう。しかし生まれ出た自分は既に以前の自分ではなく、全く新たな個体なのであります。ああ、なんからしくない台詞吐いとるわたくし。まあ、わたくしは決して神秘主義者ではありませんが、わたくしの体を構成している物体が恒星の屍骸の一部が後世に更生したものであると言う事実に鑑みますと、あながちズレてもおらんかも。と言う訳で天国など無いと言い切っておきましょう。え゛、ある?繁華街の怪しげな看板?うん、まあ、変な事にならんように気をつけてね。

2018/07/01(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 天国良いとこ一度はおいで酒は美味いしねーちゃんは綺麗

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)

 人が死ねば肉体は無に還ります。ところが人間は肉体だけの物体ではない。理性や良心や感情があり、永遠を想う不思議な生き物です。なぜ永遠を想う心があるのでしょう。渥美清が生前、寅さん以外の役をやりたかったと言ってました。人間も生まれ変わって、いろんな役ができるならさぞ楽しいことでしょう。今回の役だけを一度やって、それで終わりなら、ちよっと淋しいですから。

「天国」について補足しておきますと、霊界に夢の国があって美酒美肴および酒池肉林に満たされた饗宴の生活ができるというイメージではなく、ただ宇宙空間に意識だけがあり、ある面では無のような、あるがままの状態が非常に心地いいというような状態と言えるでしょうか。私は飲まないので酔った人の気持ちが分かりませんが、好きな人と一緒に飲んで、苦しみや執着などを一切忘れた、非常に心地いい気分と若干似ているのではないかと思っています。むろん、もっと崇高で、すこぶる甘美な精神状態だと思いますが。

 斎藤入道。勢い盛んだったときは、世俗的な野心があり、権謀術数を考える事で頭がいっぱいだったのでしょう。しかし命だけ残ったときに、最期の地は何処かと考えました。死んで無になるのもよし、と達観した精神でいられる人は、それはそれでたいしたものだと思います。要は、地獄など無いと思えればそれでいいのです。地獄も天国もないし、関心もないと思う人は妙な宗教組織に金と時間を使うことも無いでしょうから、それでいいと思いますね。

 フィギアの高橋大輔が復帰するそうです。今まではみんなの期待に応えようと思ってやっていたが、これからは自分のやりたいことをしたくなったと言ってました。それがいいですね。自分の人生は自分のために用いるべきです。精いっぱい完全燃焼できれば最高ですね。

2018/07/02(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/07/03(火) || [edit]

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2018/07/06(金) || [edit]

僕は母親の独断で幼少期にカソリック教会で洗礼を受けさせられて、聖アントニウスにちなんだ洗礼名も頂きましたが、神の存在は信じていないので、天国には行けません。かな?

2018/08/01(水) |URL|Anthony [edit]

Re: タイトルなし

Anthony さん コメントありがとうございます^^)
 洗礼を受けても信じていなければ救われない、ということにキリスト教ではなっています。他の大抵の宗教でも、似たようなものだと思います。
 ですが、そんな教えが正しいという根拠はまったくありません。
 それどころかキリスト教が言うように、聖書の神が至上の愛を持っているなら、あるいは阿弥陀仏が無上の慈悲を持っているなら、人間が信じてないだけで、あるいは些細な罪を犯しただけで、その人をを滅ぼしたり地獄で責め苦にあわせるというのは、その神や仏の愛とまったく矛盾しています。
 自分や家族に酷い悪事をされても犯人を許せる人がいます。なのに神や仏が自分を信じないだけで地獄に落とすという考えは非常におかしなものです。
 本当の宇宙の創造者は無条件の愛を持っているはずなので、人間を誰でも受け入れるはずです。つまり誰でも死んだら天国に行けます。 というより、死んだら行先は天国しかないはずです。だって創造者は無条件の愛だからです。
 なのでAnthonyさんも安心して、十分に人生を愉しむといいでしょうね。Anthonyさんは皮肉屋さんではなく、人生をエンジョイできるタイプのようですから、体調を壊さないかぎり、どんどん毎日を愉しんでくださいな。

2018/08/01(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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