「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 芥川の『地獄変』から人間の死期を解く。 


 世の中で怖いものは地震・雷・火事・親父と言われますが、この中で一番は、
火事でしょうかね。なんたって衣食住がそっくり無くなってしまうんですから。
 でも、火事を喜ぶ珍しい人もいたようですよ。
          _______________

「ちわ~、ご隠居。どっかで威勢のいい話がねえですかね。家がボーボー燃えて
るとか」
「熊さんか、久しぶりじゃないか。しかしまあ、おまえさんは火事が好きだねえ。
良秀(りょうしゅう)みたいだな」
「漁師の衆?」
「いや、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』の中に良秀という絵仏師がいて、自分の家
が燃えたときに、一切なにも持ち出さず、妻や子供を助けようともせず、燃え盛
る火をうっとり恍惚の顔で眺めていたという話がある」
「へえ、物の怪(け)でも憑(つ)いたんですかね」
「うむ、近所の人も不思議に思って聞いたら、良秀は『じつは長年の間、まこと
に不動明王の火炎を下手に描いてきたものだ。いま本物の火事を見て、ようやく
炎がこのように燃えると得心した。だから大変な儲けものをした』と言ったそう
だよ」
「へえ、絵師というのは、家よりも絵を描くのが一番大事なんだ」

 Blue_Fudō5 青不動明王

「この話を下敷きにして芥川龍之介が小説を書いている。良秀(りょうしゅう) の名
を《よしひで》と読ませているが、良秀は、炎熱地獄の屏風絵を描く際に、どう
しても描けないものが一つあった。それは燃え盛る牛車に乗ったあでやかな女が
猛火の中で黒髪を乱しながら悶え苦しむ絵だ」
「うわ~、あでやかな女がもだえるんですか」
「やはり、そこに反応するか。ま、良秀はな、自分の目で見てないものは描けま
せんと言って大殿にお願いしたら、大殿は『地獄を描こうとすれば、地獄を見な
ければなるまいな。その方が申す通りに致して遣わさう』と言って、後日、実際
に火の粉が舞い上って燃え上がる牛車を良秀に見せた」

 BlueFudō22

「見せたって、女が乗ってるんでしょ」
「そうだ。ところが、その女は、良秀の最愛の娘だった」
「ああーっ、まさか、良秀は絵を描くために、自分の娘が燃えているのをじっと
眺めていたんじゃねえでしょうね」
「うむ、良秀は、苦し気に顔を引きつらせ、唇を歪め、食い入るような眼つきで、
なかば恍惚の法悦状態になって、燃える牛車の娘を見つめていたが、その姿には
人間とは思えない怪しげな厳かさがあった。そうして後日、地獄の責め苦を描い
た入魂の屏風絵を完成させ、大殿や皆を感嘆させた。だが良秀は次の夜には首を
吊っている」

 Blue_Fudō3

「すごい話ですね。でも、大殿も悪党だわー」
「大殿は良秀の娘に言い寄ったが振られたので、根に持っている。そしてじつは、
この出来事の何日か前に、良秀がその大殿の悪夢――予言的な夢だがな――を見
て寝言を言っているが、それが分かりにくくて面白いぞ。熊さん、ちよっと考え
てみなさい。『己』と『貴様』は、それぞれ誰なのか」

「なに、己(おのれ)に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたら、――うん、貴様だな。己も貴様だらうと思つてゐた。なに、迎へに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。待ってゐるから、この車へ乗つて来い――この車へ乗つて、奈落へ来い――」

「ご隠居、『己』とは自分のことだから良秀で、ならば『貴様』は大殿。奈落に
いる大殿が、娑婆にいる良秀を迎えに来たんじゃねえんですか」
「そう読むのが素直かな。だがそうだと、大殿が奈落に居ることになるが、実際
には大殿は良秀と娘が死んだ後も生きているので、ちっと矛盾があるな。だから、
ここは逆に考えられる。つまり『己』は大殿、『貴様』は良秀。奈落に居る良秀
が、娑婆にいる大殿を迎えに来ている」
「そうか。良秀は、娘を殺した大殿が憎くて、死なせたいんだ」

 Blue_Fudō4

「だがそうだと、夢の中で『己』と言っている人間が、自分ではなくて他人の大
殿だというのが気になる。だから他の解釈は、『己』は良秀で、『貴様』は奈落
から迎えに来た使者とも考えられる。この場合は、夢の意味は良秀がやがて死ん
で奈落に行く運命を表しているだけになるのが、ちっと面白くないがな」
「はあ、難しいもんですね。しかしですよ、ご隠居。どっちにしても、変なのは、
良秀の娘は別に悪いことはしてねえのに、奈落に居るってえのはどうしても合点
がいかねえ。変だ」
「そうだ、変だなあ。だから、この小説を『地獄変』という」



私考――――――――――――――――――――――――――――――――――
この小説は、主人公である良秀の《芸術の完成のためにはいかなる犠牲もいとわ
ない》姿勢が、芥川自身の芸術至上主義と絡めて論じられることが多いようです。

良秀は大作『地獄変』を完成させた次の夜、梁に縄をかけて首をくくっています。
もちろん自分の娘を死なせた後悔と自責の念もあったでしょうが、もうこれ以上
の絵は描けない、己の芸術の極限を極めたという思いもあったのかもしれません。

この良秀を芥川自身とみなすなら、どうでしょう。あれほどの知性を持った人が、
35歳という若さで、敗北死や無駄死にをするはずがありません。文学という芸術
のためには大いに苦闘したが、自分の才能を見極めたと思えたときには歓悦状態
になり、もうここまで生きれば十分だという心境になったとは考えられませんか。

そうなら、人は死んだら地獄に行くのか天国に行くのか、その「将来に対する唯
ぼんやりとした不安」が芥川にはあり、その真実を自分の目で実際に見て知るた
めにあの世に行ったのではないか。それに芥川は「人生は地獄よりも地獄的であ
る」とも書いていて、この世のことには未練が無さそうだし・・・と、ふと思っ
た程度の話ですが、『神との対話』の著者ニール・D・ウォルシュは「人は誰で
も自分で死ぬ時を定めている」つまり課題を終了して死んでいると言っています。


※地獄変は、地獄変相の略。亡者(もうじゃ)が地獄で様々な苦しみを受ける光景を描いた図。地獄絵。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



関連記事

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

死んで花実が咲いた?

とんでもなく怖ろしい話ですが、
芥川の“地獄変”は、人の深層心理を見事に描いていると思います。

>自分の才能を見極めたと思えたときには歓悦状態
になり、もうここまで生きれば十分だという心境になった。

これは著名な作家、芸術家の共通点だと思います。
太宰治、三島由紀夫、川端康成。
ヴァージニア・ウルフ
シュテファン・ツヴァイク
フセヴォロド・ガルシン
ジャック・ロンドンなどなど、

今生に憂いを感じて…というより、
心の奥ではアイディアや、情熱の枯渇を思い知っての事では?と思います。
音楽家でも、絶賛!カーテンコール10回とかの喝采時代を過ぎると、
自らに絶望するようです。
昨日より今日、今日より明日の向上心が、
自らの首を絞めるような……。

課題を終了したら死ぬ。
今生の倫理観はともかく、
魂の視点では“ふつうの選択”に思えます。(^_^ ;)

2018/06/02(土) |URL|楓子 [edit]

プロ根性

バーソ様
おはよう御座います。

実話ではないとしても凄い話ですね。
これが本当のプロ根性というのでしょうね。
残業200時間で自分はプロ根性があるなんて生ぬるいですね。
生ぬるいといえば芥川も生ぬるいです。
文学は究めたと思ったのでしょうが文学なんて社会のほんの一部です。
文学を究めたと思ったら次には科学の道に、医学の道に進まなければ
いけないと思います。

愛新覚羅

2018/06/02(土) |URL|aishinkakura [edit]

地獄は力のない庶民にとっては地獄だが、力と金のある者にとっては極楽である。
何しろ増税すれば庶民の懐が冷えてクーラーになるし、ちょっと景気をいじれば燃え上がって暖房器具になる。
故に庶民にとって「人生は地獄よりも地獄的」だが、力や金のある者にとっては「人生は極楽よりも極楽的」でしかない。
芥川先生も両方の立場を味わってみてから死ぬべきだった…そうすれば違う地獄変が書かれていただろう。
♪地獄よいと~こ~ 一度は~おいで~…金と権力のある者には地獄は極楽。地獄の沙汰も金次第と申します。
地獄変じて極楽となす…それを地獄変と解釈つかまつる(笑)

2018/06/02(土) |URL|sado jo [edit]

こんにちは

宇治拾遺物語読んでなかったので、「良秀」の項、読んできました。
http://manapedia.jp/text/1812
火事の詩を詠んだのに迫力がないと批判され、本物の火事を
みるためローマに放火したといわれるネロの話とよく似ていますね。
唐や宋から情報が入っていたのかしらん。
己と貴様の問題は素直に読んだら、己は良秀で貴様は大殿ですね。
大殿は奈落を作り出し、その外にいて良秀を奈落に誘ったんじゃ
ないでしょうか。
いかん地獄変も読んでません。(笑)
芥川さんは心中未遂も起こしていますし、その後有島武郎が心中
したことも自死の引き金になったのかもしれませんね。

2018/06/02(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: 死んで花実が咲いた?

楓子さん コメントありがとうございます^^)
 名前の字を変えたのですか。手偏に風は「かえで」。秋になると色が変わるということは、自由に吹く風から、風流な秋の風になったのでしょうかね。色がついたという点が重要な気もしますが。(笑)

> 今生に憂いを感じて…というより、
心の奥ではアイディアや、情熱の枯渇を思い知っての事では?と思います。

 後半の三人の外人は知らない人でした。楓子さんは多彩に本を読んでいるのですね。
 芸術家で自死した人を見ると、明るい朗らかな太った人はあまりいなくて、大抵は細身で、悩んでウツになったり、酒量が増えたり睡眠薬を常用したりが多いので、芸術の才能について強い苦悩があったゆえに自死したのかと思ったりしますね。
 真実に芸術を突き詰めていく人は、自分の才能に顕著な向上がないと、行き詰まりや恥ずかしさや敗北感のようなものを感じ、それが耐えられないのでしょうか。凡才にはそこまでの気持ちはちよっとわかりません。

 はたからそういう人を見ていると、つくづく折角の才能がもったいないなあと思います。三島由紀夫の割腹自殺は1970年です。もう48年も経ったんですね。
 世間に大きなショックを与えましたが、しかし別段かっこよくもなく、それによって社会の政治思想意識が変革したわけでもなく、結果的には三島が考えていたような衝撃は全然起きずでした。あれほどの人でも自分の行動の結果が読めず、予測間違いをするのですね。
 三島由紀夫記念館で見た自筆原稿は、それはそれはきれいな丁寧な字で書かれていました。真面目で純粋な考え方を持っている人だったのだなあ、惜しいなあ、と思います。

2018/06/02(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: プロ根性

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> これが本当のプロ根性というのでしょうね。
残業200時間で自分はプロ根性があるなんて生ぬるいですね。

 私は、やたら根性根性と言って、科学的な技術論などを無視して、とにかく第一に精神論をぶつ昔の軍隊式の「根性論」とか、同様の趣旨の「スポ根」なんて考え方はあまり好きではないのですが、「プロ根性」というのはいいですね。どんな仕事でも、人はプロ意識を持つべきだと思います。自分の仕事に誇りを持って、絶えず切磋琢磨していって、その道を極める―――そんな意識が強い人は尊敬します。

> 文学は究めたと思ったのでしょうが文学なんて社会のほんの一部です。
文学を究めたと思ったら次には科学の道に、医学の道に進まなければ
いけないと思います。

 あははは、そうですね。まったくそうです。よく自分の研究分野しか知らない人のことを学者馬鹿とかいいますが、作家馬鹿にならず、ダ・ヴィンチのように化学、音楽、建築、数学、天文学、力学など多岐にわたって関心を持ったら、確かに一つのことを極めたとしても、だから早々と死のうとなんか思わなかったでしょう。
 
 平均寿命よりも早く自死する人は、残りの人生をもっと努力したらよかったのに、もっと他のこともやってみたらよかったのに、と思う人は少なくないでしょうね。私なんか才能もないのに、もっといろいろやればよかったなあ、とよく思いますよ。(^-^;

2018/06/02(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> 力や金のある者にとっては「人生は極楽よりも極楽的」でしかない。
 「泣く子と地頭には勝てない」と言われます。これは人間が集団で暮らすようになり、人口が過密な村や町が出来て以来、ほぼ歴史の最初からそうなんでしょう。だから共産主義が本当は理想なのだと思う人もいるのでしょうが、その理想国家は理想通りには実現不可能だとほとんど証明されました。なので世界は自由主義社会に向かう一方で、そこでは、これから持てる者はますまし持ち、持たざる者はますます持たないようになり、カネと力はさらに一極集中化していきそうです。

 されど、この世は地獄かといえば、それほどでもないと思いますね。いろいろ細かいところでは問題がありますが、大局的には100年前、200年前と比べてみれば、ずいぶんよくなっています。女性の地位だけ見ても格段によくなっています。イギリスの王家にもアフリカ系の血が入りました。

 今回のアメフト問題でも、監督やコーチのパワハラだとか言われることは、4,50年前はどこの学校でもスポーツでも普通だったが、しかし今はそういうのは流行らない、などと評論家が言っていましたが、今回の日大問題にしても、悪い事件が起きたというよりは、良くなるきっかけの事件が起きたと考えたほうがいいのじゃないですかね。

 昨日、派遣社員も正規社員と同じ手当を与えるべきだという最高裁の判決が出ました。派遣会社が3割ぐらいピンハネをしていることが是正されないのはなぜかと不思議ですが、これもそのうち改善されていくのでしょう。今の時代はSNSで大衆の意見が出やすいので、そういう点が昔より良くなっていますね。

2018/06/02(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 またちゃんと原典にあたりましたね。ありがとうございます。減点じゃなく、加点を差し上げましょう。では、加点一枚!(笑) 

 ネロのローマ放火は、その噂をもみ消すために、当時発足したばかりのキリスト教の信者らがしたことにして、彼らを競技場に入れてライオンに噛み殺させたという話もありますね。なにか日頃の行状がうさん臭げだと思える人がいれば、その人が犯人に祭り上げられるというのは昔からよくある話のようです。

 良秀の絵は現存してないようですが、日本画の特に仏絵というのは、西洋のその種の絵に比して、概してかなりリアルな写実絵じゃないのが面白いと思います。
 北斎や広重の風景画では、むしろデフォルメして抽象的に描いているように感じる絵が多いと思います。星新一は、常識がないと意外な発想は出来ないと言ってましたが、抽象画家も実物を見て、しっかりとデッサンするからこそデフォルメができるのでしょうか。

> 己と貴様の問題は素直に読んだら、己は良秀で貴様は大殿ですね。
大殿は奈落を作り出し、その外にいて良秀を奈落に誘ったんじゃないでしょうか。

 おや、別説ですね。またまたよく考えていただいて、有難いことです。
 でも「奈落を作り出し」というのはどういうことでしょう? ここでは奈落は元々死後の世界にはあるというのが前提ですから、“奈落のような精神状態”を良秀の近辺(心の中)に作り出したという意味ですかね。いや、そうじゃなく、大殿は、良秀が奈落に行くような状態を作り出したという意味ですね。
 確かに良秀が絵を仕上げてから後の時間は、もう気が狂わんばかりになり、ゆっくり息をして茶を飲む余裕もなく、早く娘のところに行きたいとだけ願って衝動的に首をくくったのではないかと思います。

 それにしても普通は、こういう分かりにくい書き方は書く人が下手だとされると思いますが、大作家の場合には、いろいろ多くの人がいろんな説を考えるのが面白いと思います。こういうのを作家冥利に尽きるというのでしょうかね。

2018/06/02(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/02(土) || [edit]

難しい話はショートショートで抹茶風味にするべし

   天国裏事情

 此処は天国。神様は久しぶりの視察中でありました。ところが、三途の川の畔で天使が溜息を吐いているではありませんか。
「おやおや、どうしたんだい、浮かない顔して。」
 天使は神様を見て、更に深く深く溜息を吐きました。
「それがですね、最近下界では聖人達がやたらがんばったお陰で、人間達のマナーがすっかりよくなってしまったんですよ。」
「それは良い事じゃないか。」
 神様は首を傾げます。
「何処がですか。彼らは皆天国にやってくるんですよ。毎日毎日引きも切らずに。今や天国は完全に収容限界を超えてしまいましたよ。何処もかしこも満員で足の踏み場もありゃしない。お陰で住環境は悪化の一途。天国の住民の心も荒み、天国の治安の乱れる事麻の如しです。」
「それは困ったね。何とかしなさい。」
「何とか・・・って、それが何とかできる位ならとっくに何とかしてますよ。そもそもですね、これまで天国で良い暮らしが出来たのは何故だと思ってるんですか?食べ物も着る物も住む場所も、まさか唯で手に入っていたなんて思ってやしないでしょうね。これみんな天国に来れなかった落ち零れに科した使役の賜物です。つまり、天国の栄華は悪人達によって支えられていたんです。なのに善人ばかり増えちまって、悪人は慢性的に不足。今じゃ善人二人の生活を悪人一人で支えている状況です。下界の年金じゃあるまいし、そんな歪な状況が何とかで改善できる筈無いでしょうが。」
 天使の剣幕に、神様は慌てて地獄の管理人である鬼に会いに行った。すると鬼も浮かない顔で溜息を吐いた。
「全くどうしたもんでしょうかねぇ。悪人が足らないんですよ。もう常に人手不足です。地獄の沙汰も金次第とは申しますが、悪人共は引く手数多なのを良い事に、職場環境を改善しろとか言い出して、泣く泣く聞いてたら今じゃ福利厚生は天国以上になっちまいました。しかも土地余りの家余りなもんですから家賃も低く抑えられておりまして、そりゃもう彼らにとっては至れり尽くせり。噂を聞いた天国の難民達が自分達も住まわせろとか押し寄せて来てまして。善人が地獄にですって? 無茶言うなってもんですよ。違法ですよ、違法。受け入れられる訳無いじゃないですか。悪人の労働を肩代わってもいい?もっと低賃金でもやるから?そりゃそれは有りがたいんですが、逆に悪人が何と言ってるか知ってます?雇用を護れとか、善人は地獄から出て行けとか、天国との間に壁を作れ、しかも天国の予算でとか。わたしはどうしたら良いんですか。」
 神様は呆然と立ち尽くす。
「此の儘では天国と地獄の秩序が崩壊してしまう。由々しき事態だ。しょうがない、下界の人間が善人になるのを抑制し、悪人をもっと増やすのです。」
「しかし、そんな事をしたら下界の聖人が黙っていないでしょう。」
 神様は頭を振った。
「聖人どもには事態の全責任を取ってもらうのです。つまりクビ。」

2018/06/02(土) |URL|miss.key [edit]

Re: 難しい話はショートショートで抹茶風味にするべし

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 あー、またまた長文のコメント。この度はショートショートケーキのまっちゃ風味ですか。めっちゃ時間がかかったでしょう。あ、いやいや、お茶の子さいさいでしたか。そうですかそうですか。さすがですね。これ、保存しておいて、そのうちブログで紹介したらどうでしょう。
 でもね、こういう名作を書かれると、また返事に困るのですよ。当方はショートは不可です。まあ、セカンドだったらなんとか守れるのですが。(笑)

 これは、この世を地獄的と見た芥川の言葉をベースにしていますね。確かに富裕者の天国は、地獄に居るような低所得層をいわば犠牲にして支えられているようですし、難民が押し寄せてくるので治安も生活環境も悪化しているようですし、勉学だとか理由を付けてやって来て安価高質の保健医療を利用している場合もありますし、国境に万里の壁を造って費用は相手の国に払わせるという話もありましたが、あれはどうなったのでしょうかね、しかもそのような無理難題をその時々の気分でつぶやく大国の首脳が現れたおかげで、他の天国は地獄レベルに転落しそうですが、そんな人間にノーベル平和賞を与えようという話もあって、まあ地獄のサタンもカネ私大でも異常な権限を振るっている監督理事もいて学生の課外活動も大変のようですが、しかし当人は反論もせず名誉棄損で訴えもせず入院したまま辞任となって、まあ、みっともないだけの話で終わりそうですね。

 なお、死んだら地獄に行くという話。そのほうが因果応報の原理が施行されるので、理屈と人間の感情に合っているようですが、しかし「地獄は無い」と考えたほうがリーズナブルです。
 というのは聖書では「黄泉」と訳されているのは「シェオール」と言って「墓」のこと。「地獄」と訳されている言葉は「ゲヘナ」といいますが、これは「ゲー・ヒンノム」の略で、「ヒンノムの谷」という意味です。そこはエルサレム市外にあり、公共のゴミ焼却場でした。悪人の死体も硫黄と共に燃やされたので、イエスが言った「悪人はゲヘナ(地獄)に行く」という言葉は、人が罪を犯したら悪人としてヒンノムの谷で燃やされるという意味でした。

 ですが後になってキリスト教会が、霊界の地獄という概念を異教から採り入れて、キリスト教の正式な教義にしたのですね。そして免罪符を買えば、あるいは教会に献金をすれば罪は赦されるのだと言って長年、信者を騙してきたので、それに抵抗して、いや、人はカネや教会によって救われるのではなく、信仰によって救われるのだと主張して、プロテスタントが出現してきたのです。なお、地獄は無い、人は死んだら無になる、魂や霊魂は無い、と教える教団もあり、以前わたしがいた教団がそうでした。

 いずれにしても、必ず言われるのは「神は愛の神である」ということです。ならば、その愛は最高の愛、無条件の愛であるでしょう。ジャン・ヴァルジャンが教会の食器を盗んだとき、司教は快く許しました。あの話はとてもいい話です。つまり神が無条件の愛なら人類みんなを快く赦すはずで、ということは地獄なんか無い。悪人も天国に行くと考えるのがリーズナブルということになります。

 大体が何千年も昔のアダムが禁断の木の実を食べたからといって、当人夫婦とその子孫の末代までが原罪を生まれた時から負わされるのなら、神が異常に意地が悪いことになりますから、神は愛であると言う教えとはまったく矛盾するのです。

 実際「精神世界」では、ヒトラーでも死んで天国に行ったと言われています。というわけで、こういう考え方は能天気だと思われるかもしれないですが、不必要な怖れがなくなり、心が平安になり、いい話だと思いますねえ。とはいえ、まあ、これもいわば信仰の一つで、信じる者は救われる(つもりになっているに過ぎない)と思われるかもしれませんが。^^)

2018/06/03(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは。

怖すぎる話を聞いたり読んだりすると、夜うなされたりするんですよ。

だからそういうときは出来るだけ忘れるようにするんですが…

うまくいくかな(笑)

2018/06/03(日) |URL|別府葉子 [edit]

Re: タイトルなし

別府葉子さん コメントありがとうございます^^)
 あらら、またまたで、うれしいです。^^)

 別府さんは読書がお好きなようですね。怖い話を聞いたり読むだけで夜うなされるというのは、やはり感覚と感性が鋭敏な証拠。芸術家の特長の一つじゃないですか。むしろ、いいことというか、当たり前のような気もします。別府さんは詞やメロディを考えたりしていると、頭が冴えてしまって寝つきが悪くなることもあるのじゃないですか。
 私は何か考えているとまったく眠れなくなり、以前は薬を飲むこともあったのですが、一度病院の無料講習に参加してから、すっかり改善されました。何かに頼らなくても、自分で眠ろうと強く思えば眠れるようですね。なので、悪い夢は出来るだけ忘れるようにしようと強く思えば、実際にそう出来るんじゃないでしょうか。

 夢は、近未来を教えてくれる予知夢だとか、何かのストレスが気になっているとか、潜在意識やハイヤーセルフ(霊的なガイド)が何かメッセージを伝えようとしているのだとか、自分の意識(魂)が夢の中で遊んでいるのだとか、さまざまに夢のストーリーを解釈する場合もあるようですが、面白いのは、自分が目が覚めているときにはまったく思ったこともないようなストーリーの夢を見ることです。すっかり忘れていた人が現れて驚くこともありますね。夢の中でアイディアを思いついたときは、すぐメモしておいたほうがいいみたいですね。そうでないと、目覚めたときに思い出せませんから。

 普段は何も心配のないような明朗な人でも、不思議なことに怖い夢は時々見ることがあるようですが、別府さんの日常生活は行く場所も会う人も変わり、時々の状況の変化が多いので、いろいろ変化に富んだ面白い夢が上映されることがありそうですね。

 私のよく見る夢は、迷う夢です。出勤しようとしたら道を間違えたとか、駅で電車を乗り間違えたとか、ビルのエレベーターがなかなか来ないとか、そのように道に迷う夢が多いので、自分は人生の道を迷っているのかな?などと思ったりします。
 でも、かつても現在も、自分の人生指向はおおむね一つの方向にしっかり定まっていることが多かったので、ひょっとしたら今でも人生の道を間違えているかもしれないのですが、それを心配しているということは普段は全然ないつもりなんですが。

『幸せを売る男』というシャンソンがありますが、自分の夢を持ち、その夢を追う人生はいいですね。別府さんは音楽という自分の夢を舞台で見せるショータイムをずっと続けて拡大し、多くの人に幸せを提供していくことが、その夢なんでしょうかね。
 今まで人何倍の努力と苦闘もあったかと思いますが、なんにせよ自分の才能と特性を活かして、自分の夢を開花できる人って世の中にはそんなにいませんから、じつに恵まれていると思いますね。これからも頑張ってくださいね。(*^^)v

2018/06/03(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/04(月) || [edit]

Re: よくわかっていない人ほど自信たっぷりに断言する

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 性格というのは、よほどのことがないと変革はしないものです。自分の性格を変えるのさえかなり難しいのですから、頑固で、性格を変えようという気持ちの全然ない、自信満々の他者の性格を変えるのは非常に難しいでしょう。

 素直で、謙遜で、自分の性格や生き方を変えたいと日頃思っている人なら、誰か著名な人の言葉や文章でふっと目からウロコが落ちて、人格を改善しようという強い動機付けを得るかもしれません。しかし性格とは意思と感情の結びついたものですから、他者の意思と感情を変えるなんてことは極めて難しいことです。
 
 以下、「一般論」で、私の考えを述べます。

 他者の考えを変えることを考えるより、むしろ変えようと思わないで、このままにしておこうと思うのはどうでしょう。なぜなら、人の人生は、本来その人の好きにしていいものです。性格だってその人のものです。他者が変えるのはよくないことかもしれません。

 と思えば、我慢し、諦め、妥協してやっていくしかないでしょう。世間の大抵の人はそうしているのじゃないですかね。自分の人生の課題だと思えば、他者の問題ではなく、自分の問題ですから、自分の思いを改善して、我慢強い、愛と許しのある聖人のような人間になろうと努力することができます。そう思えばなんとかやっていけるかもしれません。

 いや、散々我慢してきた、もういやだ、というのであれば、遠ざかるのがいいでしょうね。夫婦なら別居がいいでしょう。聖書も別居を勧めていますよ。別居して、メールや電話などの交流を一切しないことです。

 しかし、もっと簡単なことは離婚です。自分のほうが経済的にやっていけて、あまり当該者以外の人にひどく迷惑をかける心配がなくても、あっても、思い切って離婚がいいでしょうね。離婚すれば相手は他人になりますから、自分の悩みじゃなくなります。離婚すれば、ひょっとしたら相手が困るかもしれないですが、そうなったのは相手当人のせいですし、それは気にしないでいいと思います。

 いや、そんなことはしたくないと思うのであれば、なんやかんやいっても結局は相手を気に入っているわけでしょう。いまだに関係が続いているのであれば、自分の精神の深いところでは相手のことが好きなんです。
 ならば、我慢し、諦め、妥協して、なんとかやっていくことを心掛けるしかないのでははないですか。
 以上、一般論ですが、また何かあれば遠慮なくどうぞ。^^)

2018/06/05(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/05(火) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさんへ。^^)
 新約聖書のギリシア語には「愛/love」という言葉が4種類あります。
 1.男女の愛「エロース」=男女が好きな相手を思う親密の感情。
 2.肉親の愛「ストルゲー」=親と子が生まれながらに持っている親愛の感情。
 3.友人の愛「フィリア」=気の合う友人同士が抱く親しい感情。
 4.原則的な愛「アガペー」=誰かをかわいそうだとか哀れに思う、優しく親切な感情。イエスが「神は悪人にも太陽を昇らせ雨を降らせる」と言われたような、人類すべてに抱く公平かつ無私の愛情。日本語では「博愛」と訳されます。

 4.このアガペー愛は、見返りを求めない無条件の愛です。相手が好きなタイプだからとか相手がいい人だからとか相手が肉親や親しい友人だから抱く愛情ではなく、相手を見捨てることができないとか、かわいそうだと思って抱く、本能的な親切心や優しい心に基づく、非常に立派な一番優れた愛情です。無償でボランティアをしたいというような人が持っている愛がそうです。

 なので、心優しい=責任感&ボランティア的な愛情=見捨てられない感情=神の博愛ですから、非常に尊い愛(アガペー)なんですね。
 ですから、自分を責めてはいけません。人生失格どころか、自分は世間的にも、いいほうの人の範疇に入る人間だと思って、愛に関してはもっと自信を持ったほうがいいと思いますね。最高の愛=アガペー愛をしっかり持って仕事をしてきたのでしょう。

 そうすると、相手のその問題を改善することがなかなか難しいから、あるいは自分の心の整理ができないから悩んでいる問題というよりは、相手を何とかして助けたいが、うまく助けることができない悩みのようにも感じますが、どうでしょう。だからそれゆえにも「人の扱い方」や「私の心が楽になる方法」を見付けたいと思っているのでしょうかね。

 その人が「毎日毎日、あるがままに好きに生きている」のなら、まあ、そのひとにとっては幸せな人生を送っていますね。それが出来るのも、誰かが「尻拭い」をしているからでしょうかね。
 では、そんな駄目な人の尻拭いなどしないで、自分も、あるがままに好きなように生きたらどうでしょう。そうすれば一気に問題は解決しそうですが、どうなんでしょう。
 
 私は、自己愛が強くて自分勝手な自信家の人の性格を変える方法を知りません。たぶん誰も知っている人はいないと思います。そんな人のことは放っておいたらどうか、と第三者から助言されたことはないですか。ひとの性格を変えるのではなく、自分の性格を変えよう、自分の感情の在り方を変えようと思うほうがいいでしょうね。それは、こう思うようにしようと心に決めるだけ。自分で決めるだけですから、まあ、簡単といえば簡単な話なんですね。

 他者の性格や人格や意識を変えるのは極めて難しいことです。そのひとが若い人じゃなく、自信家の場合は特にそうでしょう。ですので、解決策といえば、問題となる状況から遠ざかることです。私は、それが最善のような気がしますが、いや、そうはしたくないと思う気持ちがあるのなら、今生の修行と思うようにして、悩みながらなんとか妥協してやっていくしかないような気がしますね。
 
 そしてもう一つの善い方法は、誰でもいいですから、他の人を愛することです。私は以前いた教団でそう教えられました。何か人間問題で悩んでいるときは博愛精神を発揮して、他の誰かに愛を示しなさい。そうすれば自分の心の悩みは薄れていくと習いました。なので、ボランティア活動でも何でもいいですから、自分が助けたいと思う人たちを助けて、アガペー愛を発揮することにいそしむのはどうでしょう。そうすれば今の問題に悩むことが薄れていくと思いますが。

 というのは、どうも本質的に、そういう博愛の感情を表したい気持ちがかなり強くて、だからこそ、その人を助けたいが助けられないことを悩んでいるようにも思えるからです。
 だとしても、もう全然効果のない人は諦めて、つまり放っておいて、他に誰か愛情を示したら感謝されるような人に必要な愛情を示したらどうでしょう。感謝されない人や理解してくれない人にいくら愛を示そうとしても、それはじつに無駄なことですから。むろん、アガペー愛は感謝されるから示すものではないですが。

 とにかく自分を駄目な人間だとか思うのは駄目です。そう思う人は傲慢ではなく、尊大ではなく、謙遜なひとです。それだけでもたいしたものなんですから。
 そして世捨て人になるのも駄目ですね。そうなるのは昔の民話にある姥捨て山に捨てられるような人だけです。今の時代にそんな人がいれば、とんでもなく勘違いしている人です。それほど不必要に卑下すると、それは謙遜ではなくなります。
 もっと自分の人格に自信をもって、アガペー愛でも、あるいは自分の趣味でも何でもやりたいことをしてみるのはどうでしょう。残り少ない折角の人生は後で悔いを残さないよう、自分のしてこなかったことでやりたかったことをしてみたらどうでしょう。いくらでもあると思いますが。^^)

2018/06/05(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/07(木) || [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/07(木) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 
「禁止ワードフィルター」は、FC2ブログの環境設定で「利用しない」という設定にしてあるので、何を書いても大丈夫なはずなのですが、なぜかいつの時からか機能しなくなり、私の書いたごく普通の言葉と思える内容のコメントでも、たまに「禁止ワードが含まれています」と出るようになりました。

そういう場合は、危なそうな言葉の中に英語のカンマ「,」か、ピリオド「.」を入れれば、見た目は汚くなりますが、単語として成立しなくなるので、「禁止ワードフィルター」に引っかからなくなります。
 たとえば、「りんご」→「り.ん.ご」とします。

あるいは、たぶん半角スペースを入れるのでもいいと思います。
「りんご」→「り ん ご」とします。
^^)

2018/06/08(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/09(土) || [edit]

Re: タイトルなし

ゴンさん コメントありがとうございます^^)
 了解しました。よろしいですよ。(^J^)

2018/06/09(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2018/06/13(水) || [edit]

Re: タイトルなし

ゴンさん コメントありがとうございます^^)
 不誠実な人は何かあると、誰かが悪いと言ってひとのせいにします。社会や生まれや家庭環境のせいにする人もいます。
 誠実な人は何かあると、自分のせいにします。自分を責めて、自分はどうしようもない人間だと落ち込みます。
 両者とも間違っていますね。
 ひとのせいでもなく、自分のせいでもなく、ただそうなっただけに過ぎない、と考えるようにしたらいいのです。ああ、こうなったのか、ついてない、ま、しょうがない、他のことを考えよう、他のことをしてみよう・・・と、その時々で気持ちを入れ替えればいいのです。気持ちを入れ替えるのは自分でします。つまり自分で今の意識を変えようと決心すればいいのです。

 意識を変えれば感情も変わります。感情を変えるのは自分で気持ちを入れ替えようと決断すればいいのです。それは自分の“意志”次第です。
 何事も基本は自分の意志で自分の人生は動いています。まわりの状況が悪ければ、その状況を変えようとするのもいいですが、それが難しいならその状況から離れればいいのです。離れるのは自分の意志で決めます。それができないなら、いつまでたっても自分の人生は変わらないでしょう。

 心が弱い人は、とかく自分で歩む道を変えようとしない傾向があります。私もそうなんですが、まずはいいと思える方法を考えて、それを思い切ってやってみる。そう決断することです。思い切って決断しなければ、難しい状況は変わらないでしょう。

 誠実な人は、いい道を歩けるはずなんですが、不誠実な人が誠実な人の邪魔をして、自分の生きやすいようにすることがあります。人生は自分のためにあります。自分がやりやすいように、生きやすいように、自分で判断して、自分で決断して、それがいいと思って決めたら、行動する。ぜひそうしてみよう、と自分に言い聞かせるのがいいと思います。過去のことは忘れたほうがいいでしょうね。^^)

2018/06/14(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Trackback

トラックバックURL:https://barso.blog.fc2.com/tb.php/376-b7e1573d

back to TOP