「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ゾウも悪党になる話。視点が違えば結論も違う。 


見慣れた現実が、新しい意味を帯びるのは、観察するわれわれの側に新しい視点があるからである。新しい視点は、しかし、虚心に物を見ることから生まれることがある。ここのところが難しい。―――――養老孟司『脳の見方』

たとえば、ある動物を二人の人が見たとします。

Aさんは、こう言います。
「目が小さくて何を考えているか分からない。あの長い牙でブスッと刺されたら
怖ろしい。あの太い脚で踏まれたら潰されそう。鼻が異様に長くて気持ち悪い」

Bさんは、こう言います。
「目が小さくてかわいい。長い牙で上手に丸太を転がしている。太い脚で重い物
を運んでいる。長い鼻で器用に食べている。賢くて有用で、楽しい動物だなあ」

AさんもBさんも事実を起点にしていますが、その受け取り方はまったく逆です。
つまり、人の心や感覚、意識、知識などの違いは、視点の違いを生み、
その視点の違いは、感情や解釈の違いと、正邪判断の違いをも生むのです。
 
   zou6.jpg

人間関係が難しい場合、それを別の「視点」で見るというのは、

相手の観点で、すなわち相手の立場になって考えてみるということです。
しかし養老さんも書いているように、そこのところが難しいのですね。

そんなときは、こう考えたら、どうでしょう。
それが難しいからこそ、難しい人間関係が自分に起きるのかもしれない………。

つまり、人生の難問は自分の益になるために必然のように起きたのだと思えば、
ではこの際、自分の(側の)問題点を修正しようと思うのではないでしょうか。

では、なにか問題が生じた場合は、逃げないほうがいいでしょう。
運命の糸が、せっかく人生の綾模様を絶妙に織り成してくれたのですから。


                                

――――――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、先週予告したドキュメンタリー連載小説もどきを始めます。


タイトルは『リキル博士とバイド氏の奇妙な事件』です。冒険小説『宝島』の著
者R.L.スティーヴンソンの有名な小説をもじっていますが、結末は違っています。

小説は書いたことがなく、ほとんど読んだこともなく生きてきたバーソが書く拙
文ですから、諸般の事情を察し、適当に流し読みでもしていただければ幸いです。



『リキル博士とバイド氏の奇妙な事件』
(1)



        eeos.jpg


  
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ユーデン・エネ・ロウペに
  
   神が結んだ糸は解いてはならぬ。
   抵抗すれば、どぶねずみ色の雨が忍び泣く。
   春は、桜の葉とその間を吹き抜ける風の子に。
   秋は、この街に咲き匂うササリンドウに。
   心が傷つくことを怖れたら、命は明日も輝かない。   


 コポス氏の仕事

 エル・コポス氏は、真面目くさった顔をした裁判官である。無愛想で、眉の間の皺は深くなる一方で、口数は少なく、精神の根底に内在する堅苦しい倫理観は古臭い地味な服装にも表れており、軽いジョークを飛ばすための語彙なんてものは彼の辞書には一言たりともない男だった。
 他人にも厳しいが、自分に対しては特に厳格で、ワインにもトランプの軽い賭け事にも手を出したことがない堅物。無類の音楽好きなのに、ここ何十年もコンサートホールの入り口をくぐったこともなかった。

 がしかし、人の心を射抜くような鋭い眼の奥に、なんとなく人好きのする優しい光が時折りキラリキラリと輝いていることは、彼を知る誰もがよく知っていた。コポス氏が下す最終判決は、じつに公正と慈愛のバランスが取れたものであり、原告も被告も最後には納得し、互いに顔を見合わせてにっこりすることもあるほどであった。

 毎日早朝、コポス氏が散歩しているのに出会った人たちの話によると、「散歩もコポスなんですよ」とボソッと言うのが常であった。
 コポスとは聖書に出てくるギリシア語で、岩を叩くという動詞から来た名詞であり、痛みと汗をともなう”労苦”を意味する言葉である。彼は静かに歩きながら、自分の思考を中立公正という規準点にリセットする精神的な”労苦”をしていたのだ。
 実際、コポス氏の扱う訴訟は、盗難・詐欺案件よりも裁決や仲裁が難しい名誉棄損や中傷など、感情的な揉め事のほうが多かった。

 事実は小説より奇なりという。これからする話は、裁判官エル・コポス氏が見聞きした極めて奇妙な出来事を、わたしモジリアーニ・バーソが客観的に要約したものである。

実話を元に、それを聞いたという設定なので、地の文だけの構成にします。20回以下の不定期連載。


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オオ、小説界に『新星』誕生なるか!

>人の心や感覚、意識、知識などの違いは、
視点の違いを生み、感情や解釈の違いと、正邪判断の違いを…

これは痛切に、大共感しますねぇ。
養老孟子さんの『バカの壁』思い出しました。

どことなくバーソさん似……。
裁判官エル・トポス氏の、
公正と慈愛のバランスが取れた最終判決とは?
ってか、その前の『奇妙なできごと』を、
早く読みたいで~す。(*^▽^*)

2018/04/07(土) |URL|風子 [edit]

楽しみにしています

バーソ様
おはよう御座います。

以前にもお話したと思いますが私は小説というものを1冊も
読んだことがありません。
これからバーソ様の連載を読ませて戴くのが楽しみです。
これから人に感動した小説は?と聞かれた場合。
「裁判官コポス」と答えることが出来ます。

愛新覚羅

2018/04/07(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: オオ、小説界に『新星』誕生なるか!

[太字]風子さん ありがとうございます^^)
 よく言われることですが、正邪とか善悪の規準に絶対確実のものは無いですね。人種により、宗教により、時代により、個人の良心により、みな違います。だから極悪人にも、自分なりの正義感というか、言い分がありそうです。
 しかし自分なりのもっともらしい言い訳ができない人は、記憶にありませんとか、データを破棄しました、紛失しました、答えを差し控えさせていただきます、なんてことを言うのでしょう。

 エル・コポス氏はバーソ似ですか。ちょっとは似ているところがありますね。基本的にあまり表情を変えず、にこにこと誰にも愛想がいいほうではないので。でも中身は意外に温かいというのは合っているような気がするのですが。(笑)
 
 じつは『ジキル博士とハイド氏』を真似て書こうと決めているのですが、後半に入ってからの展開はまだ決めてないので、考え考えしながら進めていこうと思っています。ただ滅多にない奇妙な話になるのは間違いありません。事実は小説より奇なりですから。(^_-)

2018/04/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 楽しみにしています

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 あははは・・・それはそれは。もうかなり”超”が付くほどの持ち上げようで、いたくいたく恐縮します。感謝します。

 私は、名作と言われる明治大正昭和初期頃までの、いわゆる文豪が書いた作品は昔々若かりし頃に読みましたが、現代の小説類はほとんど読んでないですね。

 このたびの小説もどきは急に思い立って書こうと思ったので、じつはストーリーもまだ考えていないのです。結末だけは『ジキル博士とハイド氏』とは変えようと決めているだけです。でも書くことは決まっています。どう書くかは決めてないですが、まあ、無謀なことを始めたものだと思います。(^-^;

2018/04/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

>新しい視点は、しかし、虚心に物を見ることから生まれることがある。
しかし養老さんも書いているように、そこのところが難しいのですね。
相手の観点で考えてみると人間関係がうまくいく場合もある

いい言葉ですね。
私自身、早とちりとデータの裏をよく読まないせいで失敗することが
多いです。
自身喫煙家である養老さんでさえもことタバコとガンに関しては冷静に
データを読めないようで、〇の壁を越えられません。(笑)

>なにか問題が生じた場合は、逃げないほうがいいでしょう。
運命の糸が、せっかく人生の綾模様を絶妙に織り成してくれたのですから。

これもいい言葉ですね。座右の銘にしよう。

バーソさんの小説の方向性が見えてきました。
コポス氏が体験した奇妙な出来事をバーソさんが(ユーモアと
ペーソスを持って?)要約する・・・。楽しみです。
一話完結だと読みやすいです。

2018/04/07(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2018/04/07(土) || [edit]

律法と正義は元来は相容れないものです。
モーセの十戒にもある通り、律法は神を見る事が出来ない人の為に(神の代わりに)示されたものです。
対して、正義は自らの利益を基準に人が作った理屈であり、どこまでいっても相対的な価値しか持っていません。
ある国の正義は、他の国にとっては悪であり、ゾウも自分にとって利益があるかないかで価値が判断されます。
仮に、人に忌み嫌われる鬼が人の命を救えば神はこれを裁かず、国家の英雄と謳われる男が戦場で大勢の敵兵を殺したならば、神は彼を裁きます。
神の法は絶対ですが、人の正義は不条理です…と、言う解釈でよろしいでしょうか?

2018/04/07(土) |URL|sado jo [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 データは読み間違えることがあるので要注意ですね。平均水深が70センチの海岸なので安全だと言われても、浅い所では20センチ、深い所では2メートルの所もある海岸の平均だとしたら、泳げない人は溺れてしまいます。関連する情報を政府や大手マスコミ以外の所からもいろいろ入手して調べておかないと、真実を間違える元になりそうです。

 エリアンダーさんに「いい言葉だ」と言われると、一週間弱のしばしの間の幸福感に浸れます。ただデータ的には誉め言葉がそれほど多いとは言えないのがちょっと気になりますが、人間、あまり欲をかいてはいけません。(笑) 

 でも冗談抜きに、人生で起きる問題は、障害物競走のようなもので、それを頑張って乗り越えていくときに自分の人間性が一段上がるような気がしますね。そうじゃないと理屈が合わないと思います。でも、いざそれが自分に起きると、なかなかそうは思えないことが多いですが。

 小説もどきのほうは、方向性は決めてあるのですが、書き方の点で、ちょっと迷っているところがあります。資料を物語の中にどの程度盛り込めばいいのか、そのデータの混合率が難しいです。
 それから、ユーモアとペーソスは普段でも無いのですが、今回は入れるつもりが全然なく、冗談や駄洒落も一切なし。堅物のバーソの本来の一面が出る予定です。(笑)

2018/04/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
> 神の法は絶対ですが、人の正義は不条理です…と、言う解釈でよろしいでしょうか?
 私は以前は、そう思っていました。というより信じ込んでいました。
 ここで大きな問題は、これが真実に神の法だと明確に言えるものが、この世に存在するのかということです。宗教教団は、それは自分たちが奉じている経典に書かれているというのですが、その経典は百パーセント正しいと証明は出来ません。信者がそう信じているだけです。

 聖書の場合には人類最大のベストセラーであることがそれを証明しているというのですが、聖書を調べるとおかしな教えも少なからずあります。旧約聖書は、異邦人を皆殺しにしたことを賞賛しているとか、ブタやエビは食べてはいけないとか、肉の脂肪部分を食べる者は死刑になるとか、女の生理期間中は汚れているとか書かれ、そうした女性蔑視の思想は新約聖書でも引き継がれていて、たとえば妻は夫を「主」として従えといわれ、また女性は牧者(神父・牧師)にはなれないことがはっきり書かれています。

 それともう一つ。神は人間に「絶対の法」を与えたのか、そもそもそんなものを人間に与えるつもりが神にはるのかという疑問も生じます。

 宗教組織は、神は愛と公正ゆえに、勧善懲悪の原則を裁きの日に行使することに定めていると教えていますが、本当にそうなのか、そうならなぜこの人間社会の問題に目をつぶって放置しているのか、いままで死んだ人は天国に行っているのかといったような疑問が持たれそうです。むろん、これは「神」の定義如何と信仰の内容によって変わってくるものですが。

2018/04/07(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

毛皮を使うのは動物虐待だ!!!

「動物の毛皮を使うのは動物虐待です。残酷です。毛皮は使わないことにしましょう。」
「判りました。これから毛皮を使うのは止します。生産者の皆様、そう言う事です。ミンクとか狐とかはもう要りませんので処分してください。」

「野生動物を捕らえて食べるのは虐待です。残酷です。野生の動物は食べないようにしましょう。」
「はい、判りました。野生の動物は獲らない様にします。酪農家の皆様、食肉不足に備えて家畜の増産をお願いします。原野を切り開いて牧場を広げてください。」

「害虫を駆除したいです。天敵を導入しましまょう。」
「では天敵を増産しますね。餌となる害虫の増産もお願いします。」

小麦「粒が大きくてたくさん実らせると食べられてしまう。粒を小さくして食べられないようにしよう。」
研究員「これ、収量少ないんで栽培打ち切ります。」

あ゛、これエリアンダーさんのところへ投稿した方がよかったかも知らん。

2018/04/08(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 毛皮を使うのは動物虐待だ!!!

miss.key さん コメントありがとうございます^^)
 ええと、これは野生で自由に楽しく生きているべきゾウを人間のためにこき使って、かわいいだとか怖ろしいとか勝手なことを言うのはおかしいという視点から発想した話でしょうかね。動物を愛護しなければいけないとか、この言葉は禁止用語だとか言い張って、政府統制や自主規制や他者攻撃をするのが好きな人間もしくは団体は、もっともらしく正義ヅラをしているが、じつはエゴそのものであるというような話でしょうかね。クジラはかわいそうだから食べてはいかんと言いながら、子羊や子牛や若鶏の柔らかい肉を食べて自らをグルメと称する人たちや、アヒルに強制的に餌を与えて脂肪肝にして、それを世界の三大珍味のひとつだと喜ぶ人たちの話を思い出します。農場にもらわれてきた子ブタのベイブは、人間が食べる動物を決めて家畜にしていることを知ってショックを受け、落ち込みますが、落ち込むのが当たり前です。人間が動物の中で一番身勝手であるのは間違いありません。

 小麦を小粒にしようという話が実際にあるのですか。人は金儲けのためには何でもするのですね。げに人間の欲望とは怖ろしき感情かな。持てざるものはハナから持ちたいとは思いませんが、持てるものはもっと持ちたいと思うのでしょう。別に金儲け自体は全然悪くなく、大金持ちだって全然悪くないのですが、そのために他の人に、そして動物たちに、さらに地球環境に迷惑をかけるまでになると、これは大きな悪事です。紛争を起こし、戦争を煽り、そのようにしえ武器を売って儲けようとするような連中は可及的速やかに地上からいなくなることを願います。(笑)

2018/04/08(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/04/09(月) || [edit]

別の視点が相手にはあるということですよね。

自分中心で考えると、ほんとにどんでん返しのように、残念なことになりますよね。

面白そうな裁判官のお話ですね。
気難しい感じもしますが、人好きのする優しさがみえるのですね。
そういう個性をお持ちの方!
お姿を創造しながら
小説、楽しみです。

2018/04/09(月) |URL|森須もりん [edit]

決めない賢さ⁈

こんばんは^^
この問題は夫婦だと、なお難しい(笑)
>つまり人の心や感覚、意識、知識などの違いは視点の違いを生み、その視点の違いは感情や解釈の違いと正邪判断の違いを生む。

そこまでの知恵がなく、自称天才の夫と会話が出来ない時は、自分が違う感情を選択する。
視点が違えば、結論も違うという、決めない賢さで生きていくみたいな(~_~;)
でも人間関係って、勉強になると思えば、面白いですね♪( ´▽`)

ネット上とはいえ、私はバーソさんと出会えて、本当に良かった‼︎
自分を変えてくれるかも、自分のことを分かってくれるかもと、思えただけで嬉しいものですね( T_T)\(^-^ )

2018/04/10(火) |URL|めぐみ [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> 別の視点が相手にはあるということですよね。
 そうなんですよね。だから、ああ、あなたはそうなんですか、考え方はいろいろあるのですからね、ひとは自分と違っていてもいい、と思えばいいのです。ところが、人はとかく自分の視点のほうが正しいと思っているので、他のひとの視点が違っているために自分とは異なる意見を言われた場合、自分が非難されたとか嫌われたと思って、不快に思ったり争いになったりすることもありそうです。これは大なり小なり誰にでもあると思いますが、いい意味で「われ関せず」になればいいのでしょう。

 裁判官の話。楽しみだと言われて、うれしいです。が、あまり期待されるとがっかりしますのでね。(^_-) 気難しいというのは、私の子供の頃にちょっと似ているようです。というのは母親から、おまえは難しいとよく言われました。自分では素直な子どもだと思っていましたが、母親の視点は違っていたのかもしれません。ちょっと波長が違っているところもあったのでしょう。
 いまは私は受容精神がまあまあ多いほうだと思います。誰にでもにこにこと愛嬌を振りまいたりしませんが、たとえば買い物では店員には感謝の言葉を述べたり、スーパーのレジに買い物かごを置くときは、お願いしますと言います。店員がブスッとして無愛想なときや仕事が遅いときは言いませんが。(笑)

2018/04/10(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 決めない賢さ⁈

めぐみさん コメントありがとうございます^^)
> この問題は夫婦だと、なお難しい(笑)
 そうですね。夫婦は世界で一番身近にいる人間関係のせいでしょうか。相思相愛という場合もありますが、普通はなかなかそうではないのですから。配偶者が自分と意見や感情が違うのは当たり前。相手のほうに優しさや思いやりが薄く、そもそもの人生志向や人生体験が違う場合もちょっと難しいかもしれません。自称天才ですか。自分に自信があるひとは考え方をあまり変えないところがあるのでしょうかね。特に自分の妻に対しては。

 でも「自分が違う感情を選択する」というのはベターな対処法ですね。感情というのは自然に起き上がるものですが、じつは自分で選択しているのですね。だから同じ状況でもひとによって違う感情を感じたり、あるいは同じ人でも時と場所が違ったりすると以前とは別の違う感情を持つのです。ちょっとした気分で感情が変わるということは、ちょっとした考え方の違いで自分の感情を変えられるのですね。

 それを「自分がない」とか「日和見主義」だとか思わないほうがいいですね。これは自分の意見がなく、いつもひとに迎合しているという意味ですから。そうでなく、相手は相手、自分は自分、考え方は違っていていいと思えば、相手の考え方で自分の気分が左右されたりしないですみます。自分は自分で自分の好きな感情を選択すればいいだけの話です。そうですね、それは「決めない賢さ」と言えそうです。

 私と出会えてよかったですか。うれしいです。私もいま同じような感情に自然になりました。(笑)

2018/04/10(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

たかが感情、されど感情

お返事ありがとうございます。
そうなんです、この感情がなかなかの難解で、大敵で困っています(笑)
マインツ大学量子物理学の教授に、もう一人の自分が自分を見て、私は二人なら、なぜ感情の抑制が出来ないのかと質問したのです。

両方とも自分だから(・・;)エッ⁇
息子に通訳して貰っても、ちんぷんかんぷん⁇
私が同時に物質波を出して生きているらしいのですが...わからん⁇

結局は自分の感情のコントロールは訓練鍛錬だなと思いました(笑)

あっそうだ、バーソさんが若い時に似ていると言っていたのが風間トオルさんでしたよね。
私の若い時は岩田剛典(EXILE)さんによく似てました。
お互いに男前同士で、複雑怪奇な性格(失礼) やっぱ似てるな\(//∇//)\

2018/04/10(火) |URL|めぐみ [edit]

Re: たかが感情、されど感情

めぐみさん コメントありがとうございます^^)
 理性は、自分の良心とか常識とか知識を表していますが、感情は本当の自分を表しています。ある行為を他者がだめだと禁止しても、自分は楽しいと思うのであれば、それが本当の自分なんですね。だから禁止薬物は理性では悪いと知っていても、感情では行ないたいと思い、溺れてしまうことがあるのでしょう。

 しかしここが面白いところで、その感情は理性でコントロールできるのです。できない人は下手なのか、あるいはそうしようという気が無いのですね。むろんそれが出来ないほど感情の度合いが強い場合もあると思いますが。

 私は以前、聖書の伝道をしているときは、何を言われても一度も腹を立てたことが無いですよ。なぜならイエスが、私に従う者には私と同様に迫害があると述べていたのと、聖書伝道は神の仕事として行っているという自負があったためです。これを聖書的には「理性による神聖な奉仕」と言うのですが。
 なので「結局は自分の感情のコントロールは訓練鍛錬だなと思いました」ということで合っていると思います。

 風間トオルさんとは貧乏話が似ているというのがメインの話でしたが、ついでに少しだけわずかに面影が似ているような部分も無きにしも非ずというような漠然とした曖昧模糊の話をちょっとと言っただけのことですからね。(笑)

2018/04/10(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/04/11(水) || [edit]

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2018/04/12(木) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん ありがとうございます^^)
 わたしが拍手コメントを入れているブログから返信が来ている場合には、わたしは返事を書かない場合があります。
 拍手コメントは、そのコメント欄で返事が書けないブログもあるのですね。(^-^;

2018/04/12(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/04/12(木) || [edit]

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