「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 もずよ、枯れ木で「泣くな」か、「鳴いていい」か。  

春、ひねた百舌もずが、のたりのたりと怠惰に生きている。
と、まあ、前回は、百舌さんのことを図らずも悪く書いてしまいました。
失礼しました。
今回は、そのお詫びと訂正を兼ね、百舌さんの名誉回復の一助にいたします。

百舌はスズメ科の鳥ですが、”小さな猛禽”と呼ばれており、虫やカエルや小鳥な
どの獲物を尖った枝などに串刺しにする早贄(はやにえ)の習性で知られています。

百舌(百の舌)と呼ばれるのは、いろんな鳥の鳴き声の物真似が上手だからです。


54秒時から違う声で鳴き始めます。鳴き声を聴きながら以下をお読みください。

サトウハチローが『僕等の詩集』に書いた「百舌よ泣くな」という詩があります。
戦後、詩の一部が無断で改変されましたが、どう変えられたのでしょうか。

.
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
百舌よ泣くな(原詩) サトウ ハチロー

●この詩は、支那事変が始まる2年前、戦意が高揚していた時代に書かれました。
茨城県の小学校教師・徳富繁が作曲し、当初は茨城だけで知られていたそうです。

    (戦前の原詩)

  一、百舌が 枯木に泣いている
    おいらは わら(藁)を たたいてる
    わたびき車は おばあさん
    こっとん 水車も廻ってる

  二、みんな 去年と同じだよ
    けれども 足ん無(ね)えものがある
    兄(あん)さの薪(まき)割る音が無え
    バッサリ 薪割る音が無え

  三、兄さは 満州へ行っただよ
    鉄砲(てっぽ)が 涙に光っただ
    百舌よ 寒くも 泣くで無え
    兄さは もっと寒いだぞ
 
一番二番は、兄がおらず、家は祖母だけになった田舎の寂しさを描写しています。
三番は、兄が満州に召集された悲しさを「鉄砲が涙に光った」と表現しています。

枯木にいる「百舌」とは国民を表しており、戦地の満州は寒さ(つらさ)がもっと
厳しいのだから、国内にいる者は泣くな、辛抱せよ、と励ます詩になっています。

最後の「兄さはもっと寒いだぞ」は余韻があり、印象的です。当時の厳しい検閲
を通過したわけは、戦地の兵隊を案じた肉親愛の詩と思われたのかもしれません。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

もずが枯木で(戦後の改変版) 

●戦後の昭和29年頃、三番の一部が改変され、日本中で歌われるようになります。

  (戦前の原詩)        →  (戦後に改変された歌詞)

  兄さは 満州行っただよ  →  兄さは 満州いっただよ
  鉄砲が 涙に光っただ       鉄砲が 涙で光っただ
  百舌よ 寒くも泣くで無え  →  もずよ 寒いと鳴くがいい
  兄さは もっと寒いだぞ   →  兄さは もっと寒いだろ

三行目は、意味が真逆になり、”禁止文”が ”許可文”になっています。
原詩では、寒かろうと泣いてはいけないと言われ、当時の国策に同調的でしたが、
改変版では、寒いのなら寒いと鳴くがいい、と感情を表すことに共感しています。
すなわち戦争がつらいなら、そう言ったらいいと厭戦感を強めに表現しています。

漢字が「泣く」から「鳴く」に変えられたことも要注目です。
「泣く」は人間の感情ですが、「鳴く」は鳥の日常的な意思伝達かアピールの行
為です。それゆえ普段から戦争のつらさを語り広めよ、と推奨しているようです。

四行目は、視点の対象が違います。
原詩の「兄さはもっと寒いだぞ」は、思いやれ、我慢せい、と内地の人に語って
いますが、改変版の「兄さはもっと寒いだろ」は、出征地に視点が行っています。

一行目の「満州」は広く満州方面の意で、「満州」は満州に特定する言い方。
戦後の詞なので、確定したことを曖昧に書いたらおかしいと思ったのでしょうか。


倍賞千恵子さんの声はいいですね。私が子供の頃に思っていた優しい”お姉さん”のイメージです。


このようにして「戦時忍耐]的な詩が、「厭戦PR]的な歌詞に改変されました。
言葉はちょっとした違いにより、意味が大きく変わってくることがあるのですね。

                 

作者のサトウ・ハチローは、戦時中は他の作家と同様、軍国色の強い歌を作詞し
ていましたが、後に自分の詞が改変されたことについては、こう答えたそうです。

「確かにボクが最初に書いたものとはずいぶん違っているが、左翼の団体などが茨城県民謡として歌っていることだけ訂正してもらえば、みんなが親しんでいる歌詞でいいじゃないか」 

ちょっと見には、三番の三行目後半が少し変わっただけに見えますが、
詩の趣旨は確かに「ずいぶん違って」います。
最後の「いいじゃないか」の「ないか」も微妙な心理状態を表しているようです。



補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●資料については音楽サイト『二木紘三のうた物語』を参考にさせていただきました。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/03/post_0945.html
●ブログ『青山亭雑記』には、「茨城の田舎では『おら』は女性でも使う。『あんさ』は夫を意味
する。兄を失った少年でもいいが、夫を亡くした若嫁としたほうが、父母が出てこない不自然さが
なくなる」とありました。http://seizan.blog.so-net.ne.jp/2009-12-20
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懐かしい童謡

懐かしいです。
まさにサトウ・ハチローの童謡を聞きながら育った世代ですが、
戦前の歌詞と違うなんて、知りませんでした。

>「泣くな」か、「鳴いていい」か。
バーソさんの目のつけどころが面白い。
送りかなひとつで、時代の思想が判るなんて……。

わが家の裏は山に続いているので、モズをはじめ、
メジロ、ウグイス、ヒヨドリ、セキレイなどは日常的に見ます。
散歩コースの川沿いにはカワセミ、シラサギ、アオサギなど。
どんだけ田舎なことか……(^_^ ;)

2018/03/03(土) |URL|風子 [edit]

難しいですね

バーソ様
おはよう御座います。

言葉を少し変えただけで内容が全然変わってしまうのですね。難しいものです。
満州という地名そのものも戦後は使いにくくなったのではないかと思います。
中国では偽物国家として使いませんよね。
サトウハチローは一日100本を吸うヘビースモーカーだったと聞いています。
1日40本の私はまだ安心だと思っていましたが、しっかり咽頭がんになりました。(笑)

愛新覚羅

2018/03/03(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 懐かしい童謡

風子さん コメントありがとうございます^^)
 私もこの歌は子供の頃から知っていたのですが、歌詞はボーっと聴いていたので、深い意味など考えたこともなかったです。

 戦前戦後で歌詞の一部がなぜ変わったかについては、このたび検索したら、その社会的な経緯を詳しく説明しているサイトが結構ありました。「泣くな」と「鳴いていい」の違いについても書かれていて、ここに注目したのは私の独自の視点ではないのです。
 
 その多くは戦後、反戦思想に転じたことについて論じていて、原詩と改変版の詩文の違いをこまかく説明しているものはないようだったので、私は、その点に絞って簡単に書いたのですね。

 朝早く、澄んだ空の中から鳥の声が聞こえてきそうですね。裏は山で鳥がいっぱい。裏山しいです。あ、羨ましいです。(笑)

2018/03/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 難しいですね

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)

 満州国は愛新覚羅溥儀が元首。激動の時代に生きた清朝最後の皇帝。このへんの話は相当詳しいのでしょうね。

 満州の他に支那という言葉も使いにくい言葉ですが、「出征」という言葉も嫌う人がいそうです。征伐に出ていくというニュアンスがありますから。
 他に、出兵とか出軍という言葉もあるのですが、でもサッカーチームがよその土地に出かけていくアウェイの場合に「遠征」が使われるので、まあいいかと思って「出征」を使いました。
 
 昔はヘビースモーカーが多かったですね。私の祖父は喉から胸のあたりが茶色に変色していました。
 映画監督の市川崑といえば、前歯が一本抜けていて、そこにタバコを差し込んでいる姿を思い出します。でも92歳まで生きたそうで、タバコを吸ってストレスを解消したせいだと言われそうです。

2018/03/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

「百舌が枯れ木で・・・」
懐かしい歌ですね。学生時代に飲み会があると、友人は
必ずこの歌を歌いだすんです。
この歌と「古い顔」という2曲が持ち歌で、まわりの人たちも
これを聞きたくて、これ以外は歌わせないんです。
「百舌が枯れ木で・・・」は絶対に元歌のほうがいいですね、
家族愛が感じられて。
改変はまだいいとしても、全く根拠のない理由で放送局が
自主規制し、テレビ・ラジオから消えてしまった歌がありますね。
「竹田の子守歌」です、好きだなあ。

2018/03/03(土) |URL|エリアンダー [edit]

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2018/03/03(土) || [edit]

確かに百舌と言う鳥は可愛らしい姿に似合わず、捕らえた獲物を木の枝に串刺しにする獰猛な習性を持っています。
まさかサトウハチローさんが、意識して満州の関東軍を鼓舞する為に作詞したとは思えませんが、戦時下の日本の事情を鑑みると、百舌の意味する所を考えてしまいます。
まぁ、当時は「千恵子抄」の高村光太郎や、画家の竹久夢二までが日本の戦争を賞賛する意味有り気な作品を作ってはいますが。
当時の日本の軍歌の歌詞を拾うと「出てくる敵はみなみな殺せ」と言う様なやたらと獰猛さを奨励するものが多く、暗澹たる気持ちになります。
世間の流れに引きずられて人間性を失う事こそ、一番恐ろしく、また恥ずべき事だろうと思います。

2018/03/03(土) |URL|sado jo [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 私も原詩のほうが好きですね。戦地の兄への肉親愛が戦後の改変版よりもずっと強く出ています。それに改変版のほうは標準語になっていて、そこだけ妙に浮いているのが気になります。

 放送局の自主規制は行き過ぎと感じられるときがありますね。放送禁止歌で検索したら、『武田の子守歌』の他に、『五木の子守唄』『かごめかごめ』『通りゃんせ』もそうなんですね。
 美空ひばりの『波止場だよ、お父つぁん』があったので、歌詞を見たら「年はとっても、盲でも」とありました。この字も漢字辞書にないようで、変換できなかったですよ。藤圭子『東京流れもの』もあったのでYouTubeで聴いてみたら、昭和の時代のわびしさが脳裏に甦ってきました。(笑)

 記事中で「支那事変」と書いたのですが、この表記も「日中戦争」と書いたほうがいいとして気になる人がいるのでしょうね。私は「支那」といえば「China」という英語と、東京銀座にある「直久」の支那そばを思い出すので、全然気にしないのですが。(笑)

2018/03/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

 鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 食用に肉といえば、日本では豚・牛・鶏の三種で、馬や羊はあまり食べないですが、羊のほうが美味だとする民族やイヌやカエルカンガルーを食べる民族もあり、長年の土地の食習慣は個々の味覚の嗜好にも影響を与えるようで、面白いものです。

 とにかく最近は記憶力が衰えていて、昔の映画でも、見たのは覚えていても、ストーリーは全然覚えてないのが多いです。今朝もトニーカーティスとシドニーポアチエの『手錠のままの脱出』を放映していて、白人と黒人の反目がなくなっていく話だとは覚えていたのですが、結末がどうだったかは思い出せず、途中だけチラッと見て、他局のニュース番組にチャンネルを変えてしまいました。

2018/03/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sado jo さん コメントありがとうございます^^)

> まさかサトウハチローさんが、意識して満州の関東軍を鼓舞する為に作詞したとは思えませんが、
 百舌は早贄の習性を持っているからというよりは、他の鳥の鳴き声の物真似がうまいので、「鳴く」とは違う「泣く」という言葉が文中で使いやすかったのじゃないですかね。写真を見ると割合かわいい顔をしていますし、詩になりやすい鳥のように思います。

> 世間の流れに引きずられて人間性を失う事こそ、一番恐ろしく、また恥ずべき事だろうと思います。
 そうですね。世間や大衆に迎合して大切な人間性や良心を失うのはまったくおかしなことです。
 ただ、当時の作家や画家が戦争反対の作品を仕上げても、厳しい検閲に掛かって弾圧されたり投獄されたり村八分にされたり、本人と家族も大変な目に遭ったでしょうから、まあ、情状酌量すべき余地はありそうです。反戦運動を否定するわけではないですが、当時の社会の空気は今とはまるで違うでしょうからね。

 軍歌はやたら獰猛を奨励するものが多いのですか。私は軍歌はあまり知らないのですが、いいメロディの歌もあるように思います。
 特に『海行かば』なんて歌は、詞の「大君の辺にこそ死なめ」が気になる人もいるでしょうが、”忠”のためには命をも惜しくないと思う人間の真摯さや潔さ、それに何よりも旋律が素晴らしくて、じつに名曲だと思いますね。「大君」を「愛」とか「家族」に変えると今でも立派に通用し、『君が代』の品位に匹敵する質の高さがあるのじゃないかと思います。

2018/03/03(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/03/04(日) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 あ、やはりというか、さすがに単価が違いますね。(笑)
 食手が動きます。が、うちの奥さんが肉はダメなんです。残念。

2018/03/04(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/03/05(月) || [edit]

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2018/03/05(月) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 ああ松島やも一度行ってみたいところです。エンヤラ・ドットのほうを検索してみました。
 ニューエイジ・ミュージックの火付け役になったとありました。
 私もヒーリングのCDは好きで、1/fのゆらぎ、自然の音や組み合わせたもの、鳥の声、オルゴール、マントラを詠唱するチャンティングなどいろいろ買いましたが、やはりちゃんと歌詞と旋律が付いていて楽曲になったもののほうが心地よく感じます。
 でも、そんな曲よりもいいと思えるのは、たとえばタイスの瞑想曲、G線上のアリア、カノン、亜麻色の髪の乙女、夢のあとに、美しきロスマリンなどで、昔からの軽いクラシックの名曲のほうが気分は静かに休まりますね。

 でも面白いことに外で散歩するときは、ジャズヴォーカルやアメリカンポップスなどのほうがテンポが良くて歩きやすく、気分も明るくなるような気がします。音楽というのは、単なる音色と速度の違いなのに、感情も左右されて、面白いものです。

2018/03/05(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

鍵コメDさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか。そう言っていただけるとうれしいです。
 「へ」と「に」の違いは書き終わってから、特にたいして意味があるとは思えなかったので、わざわざ書くまでもないかと思い、削除しようか迷ったのですが、戦前戦後で変わっている3番の歌詞冒頭のそこだけネグるのも良くないかと思って残しておきました。
 そんなこまかな箇所に注目していただき、ああ、残しておいてよかったかと安堵しました。

 毎回よく見ていただいて、うれしいやら、恐いやら。(笑) 

 さーっと軽く書き流せなくなり、以前より推敲の時間が増えました。
 本当は推考の時間が増えればいいのでしょうが、こればかりはCPUの基本性能をもっとグレードアップしないといけないので、それは頭脳のほうを買い換えないと無理と諦めています。

2018/03/05(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

独善が自由を駆逐する

 差別はいけない、差別は許さない。差別は除こう。あれも差別、これも差別。こういう思想はいけない、こういう言い方はいけない、そのうちそれを指し示す言葉そのものが禁忌となって、代替の言葉が生まれて、それも禁止されて、本来の意味も捻じ曲がり、議論すらタブーとされる。何なんだ。人は自由ではなかったのか。息が詰まりそうだ。言葉狩りはもう沢山だ。どんな忌語も意味がある。必要があるから生まれた言葉だ。それを否定するのは言葉を否定する事だ。言葉を否定すると言う事は知性を否定する事だ。人が人である事を否定する事だ。百舌よ、本当に泣きたいのは寒さなどではなかろう。天から百の舌を与えられながら、それを切り落とされた痛みだろう。

2018/03/05(月) |URL|miss.key [edit]

Re: 独善が自由を駆逐する

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
> 言葉を否定すると言う事は知性を否定する事だ。人が人である事を否定する事だ。百舌よ、本当に泣きたいのは寒さなどではなかろう。天から百の舌を与えられながら、それを切り落とされた痛みだろう。
 うーん、拍手。さすがにmiss.keyさん。ラストが決まってます。
 うーん、とまた、ここで唸るのです。どう返したらいいか。(笑)

 で、こういうときは聖書です。
 ヨハネ福音書は「はじめに言葉があった。言葉は神であった」と書き出されています。言葉とは、知性ある生き物が自分の意思を伝達するために用いる必須の基本ツールであり、それは人間社会では神の道具の如くに機能するものなのでしょう。

 「言葉狩り」とは、施政者にとっては必要悪なのでしょうかね。歴史上、焚書坑儒とか言論弾圧、出版禁止、官憲検閲などがしばしばあり、最近ではマスコミの自主規制とやらが当たり前になっています。いま中国では国家主席の任期撤廃改憲案が提出され、ネットから独裁とか熊のプーさんなど関連する語が削除されているのだとか。
 
 筒井康隆が或る言葉を批判されて一時、断筆宣言をしました。或る団体は差別反対を標榜する平和団体として始まったはずですが、いまでは一種の暴力団体に化しているように見えるところもあります。実際の”差別”が良くないのは当たり前のことですが、言葉狩りの場合は、ちょっと違う要素がありそうです。

 悪い意図など全然ない何気ない表現が、たまたま自分の秘めていたコンプレックス部分を突っついてしまった場合、相手を悪人だと断じて一方的に非難するのは、おかしな話です。相手の意図や人格や前後の文脈を無視した受け取り方をして、相手を激しく非難したり攻撃するなら、精神と感情の平衡を欠いており、神経過敏な被害妄想症だと言われそうです。実際、幻覚まで見るほどに思い込みが激しい精神分裂症系の人もいるようですが

 あるいは、直接関係のない第三者が正義感ゆえにとして、そういうことをするなら、自分たちはいい子になって、正義づらをしているようで、その”義人”振りが偽善者のようで嫌味に感じる場合もあります。昨今の著名人の失態叩きの風潮が増大しているのも、ちょっとどうかと思いますね。

2018/03/06(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/03/06(火) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 人格というのは個人の倫理観が関係していますが、民族にも「民度」といって固有と言えるような人格がありそうです。
 キリスト教国ではカトリック系のラテン国家のほうが民度が低そうです。世界的には民主主義国家よりも共産主義や全体主義国家のほうが民度が低そうです。

 民度に教育や政治の質が関係するのであれば、要は、上が悪いから下も悪いと言えそうです。

 そう考えると日本の民度は世界的にはそう悪いほうではないので、あまり卑下ばかりして、いつも対外的に卑屈な姿勢を取る必要はなさそうですね。

2018/03/06(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/03/07(水) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 パソコンは数年たつとかなり性能が上がります。車も同じ型に乗り続けているとモデルチェンジで質が数段高まっていることに気づきます。

 時代があとになればなるほど世の中は便利になっていって、ケータイもスマホも電気製品もなかった昔の人は、生きるのがさぞかし大変だったのだろうと思います。

 が、そうでもないのですね。あるものがなくなると不便を感じますが、ないものは元々ないので不便は感じません。

 有るのがいいのか、無いほうがそもそもいいのか、ちょっと考えさせられますね。

2018/03/07(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/03/08(木) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 何事も、ほどほどがいいですね。
 度を超すと素人にはもてあます事例になります。
 私は、どちらかといえば控えめのほうがいいです。
 なんせ自分が控えめなもんで。(笑)

2018/03/08(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2018/03/09(金) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 役者は、笑ったり泣いたりは案外簡単で、静かに内面の微妙な感情を出す演技が一番難しいのじゃないかと思います。

 舞台上での芝居やテレビの生番組のコメンテーターなら、身振り手振りをまじえ、顔も表情豊かにしゃべるほうがいいと思いますが、日本のドラマや映画でよく思うのは、ふつうの日本人はあんなに表情をはっきりと表して、相手の目をしっかり見ながらしゃべることはないだろうと思って、演技が嘘くさく見えるときがあります。
 といって昔の小津安二郎映画の笠智衆のように、まったく無表情で言葉数が少ないというのも今風じゃないと思いますが。

 演技にも個人の性格や国民性が出るみたいで面白いですね。

2018/03/09(金) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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