チャールトン・ヘストン、いいですねぇ。
『十戒』『ベン・ハー』何度見たことか。
大作が似合う俳優ですよね。
ミケランジェロの『モーセ像』、角だったんですかぁ!
知りませんでした。
それにしてもレンブラントのモーゼは農夫のようですし、
シャガールにいたっては“日本式の幽霊”みたい……((´∀`*))
色彩の魔術師というのが、どうにも解りません。
描く人によって、これほどイメージが変わることを思うと
“頭角”も、解釈や好みでかなり変化するんでしようね。
モーゼって120歳まで生きたのですか?
『叡智と美徳』……( ̄~ ̄;) ウーン。
チャールトン・ヘストン演じるモーセの風貌には、
確かに、それが備わっているように思えます。
だからこそ彼は、映画界で『頭角』を現したんでしょうね。
『神対』に「十戒」などというものはない、と。
これには驚きました。少なくても戒めではないと。
今も昔も、教義には解釈論争がつきもののようです。(^_^ ;)
頭角を現したモーセを芸術家はどう表現したか。
鹿とか牛などの獣がいて、一頭が頭の先を他より一段高く現わしていることを
「頭角を現わす」といいます。
才能や技量が周囲の人よりも一段と優れていることです。
____________________
さて、紀元前のイスラエルで頭角を現した人物といえば、筆頭はモーセでしょう。
誕生してすぐナイル川に流されましたが、後にイスラエルを率い、紅海を真っ
二つに分断する奇跡を行ない、神から『十戒』を授けられるまでになりました。
●モーセといえば、こんな顔の老人をイメージしないでしょうか。
チャールトン・ヘストンです。当時44歳で、80歳のモーセ役を演じました。
セシル・B・デミル監督の1956年アメリカ映画『十戒』の主演男優です。
監督からは『ミケランジェロの彫刻のように美しい』と称されたそうです。

1968年公開の『猿の惑星』では船長のテイラー大佐を演じました。
●顔が似ていると言われたのが、下のミケランジェロの『モーセ』像です。
顔の輪郭と口元はそっくり。しかし明確に違うところが一か所あります。

『モーセ』像(1513-1515)サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会(ローマ)
こちらの大理石像のほうは、頭に角(つの)が生えています。
というわけで今回は、モーセの彫刻や絵画には”頭角”があるという話です。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
モーセの頭の「角」は、誤訳だとする説と本当だという説がある。※
旧約聖書(出エジプト記34章35節)には、モーセがシナイ山で神に会ってから下山
してきたときに、「モーセの顔は光を放っていた」と書かれています。神は荘厳
な栄光に包まれているので、神に会ったモーセの顔も光り輝いたというわけです。
●ルネサンス期の彫刻家ミケランジェロは『モーセ像』に角を生やしました。
ヘブライ語で「光り輝く」を意味する語は「角」の意もあり、当時の公式聖書ラ
テン語ウルガタ訳が「角」と訳したので、モーセには角があると思われたのです。

モーセは80歳から120歳で死ぬまで40年間も指導者だった。
この『モーセ』像が置かれていた場所の右上にあった窓は長年ふさがれていまし
たが、近年、当時の採光に近いライトアップができるようになり、特にモーセの
ひたいと腕の部分が最も光り輝くように制作されていたことが分かったそうです。
●
●17世紀の”光と影の魔術師”レンブラントも、モーセの頭に角を描いています。

モーセが山で『十戒』を授かって降りてきたら、人々が神を金の子牛の像に造り、
飲めや歌えやの真っ最中。モーセが怒って『十戒』の石板二枚を叩き割るシーン。
モーセのひたいと腕の部分には光が当たり、十戒の板は逆光で暗くなっています。
神の言葉は光を失い、もうおまえらを啓発することはないと嘆いているようです。
●
●20世紀の”色彩の魔術師”シャガールは、角を光に変化させているようです。

天使(中央上)が燃える柴の中に現れ、モーセに「エジプトの支配から逃げて約束
の地パレスチナに向かえ」と指示する場面。画面右の白いモーセに角があります。
画面左は、モーセが紅海を分ける別の場面。モーセの顔と角が光り輝いています。
衣状の上半分は逃げるイスラエルの群衆で、下半分は溺れ死ぬエジプトの追跡軍。
●
●その他のモーセの絵。いずれも角状の光体がしっかり生えています。

トーマス・ブリグストック(1809-1881) 『フルと兄アロンに支えられたモーセ』

ギュスターヴ・ドレ(1832-1883)『十戒の石板を手にするモーセ』

ホセ・デ・リベーラ(1591-1652)『モーゼ』
こうして見ると、画家は「角」と「光」と両方の解釈を受容し、融合させ、
頭角を現すべく、自分のイメージする気高いモーセ像を描いているのでしょう。
___________________
――――モリエール/鈴木豊訳『商人貴族』より
なるほど。頭角を現すためには、
単なる「知恵」程度ではなく「叡智」を表し、
「徳」程度ではなく「美徳」を表さないといけないようです。
うーむ。
私の場合は片鱗どころか、馬脚を現しそう。
ならば、せめては角(かど)の取れた、まるい人間程度にはなりたいものです。
●モーセが山から降りてきたとき、人々が神を金の子牛の像に造って偶像崇拝をし、どんちゃん騒ぎをしていたので、モーセが怒って『十戒』の石板をバラバラに打ち砕いたのだから、「角」はモーセの怒りを表すのにふさわしいと主張する聖書学者もいる。
●また太古の昔はユーラシア大陸の各地に豊穣神を「角」の生えた牛として祀る風習があった。異形の「角」は人を超えた神聖な存在であることを示す表現だとも言われる。
●モーセが腹立ちまぎれに叩き割った『十戒』の石板二枚は、その後、神から再び与えられた。
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COMMENT FORM
バーソ様
おはよう御座います。
この石板をかざした場面はスティーブ・ジョブスがiPadのプレゼンに使ったことで有名です。
「当時からこういうものが出ることが予言されていた」とでも言うように絵画を使っていました。
モーゼの肖像をまじまじと見たことはありませんでしたので角があるなんて思ってもいませんでした。
角と光ですか?どう考えても違うもののような気がしますが。
愛新覚羅
風子さん コメントありがとうございます^^)
チャールトン・ヘストン、いいですね。風貌に重みがあります。リーダーとなる人は顔の雰囲気も重要のようです。
モーセの弱点は短気であることと、かなりの口下手なこと。そのために兄のアロンが神から代弁者に任命されているほどです。
当時のイスラエルには戦闘に参加できる20歳以上の男子が約60万人いて、女子供を合わせれば数百万人になります。そんな大勢の人々を導いたのですが、中には反抗者もけっこういて大変でした。
描く人によってモーセのイメージはこれほど違う。風子さんらしい鋭い感想ですね。芸術家は他者と同じものは描きたくないのではないでしょうか。そうでないと頭角が現れません。ここに挙げた中では、シャガールが飛びぬけて独創的のようです。モーセの衣に見えるのは紅海を渡っている群衆ですし、発想が斬新です。
モーセは死んだときは120歳であった、その目は霞まず、生気は失われてなかった、と記述されています。異例の長寿だったようです。
> 『神対』に「十戒」などというものはない、と。
そうです。原義は「十の言葉」です。戒めという意味はありません。
面白いのはカトリックとプロテスタントでは十の言葉の分類の仕方がことなっていることです。聖書の文章をどこで区切るか、区切り方が違うのですね。Wikipediaを見ると分かります。
aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> この石板をかざした場面はスティーブ・ジョブスがiPadのプレゼンに使ったことで有名です。
あー、そうでしたか。そういえば、あのシーンがそうだったのかと思い出せます。私は、あの方の信者ではないので、その話は知らなかったです。
iPadは画期的な商品であることは十分承知しているのですが、私は普段タブレットは必要ないのですね。でも代替品のAndroidのほうは一応どんなものかと思って買いましたが、ほとんど使っていません。
iPodに関しては、WALKMANが途中から音質が上回ったと思いましたね。音楽再生は、ウォークマンをカセット時代からずっと使っています。まあ、SONY信者のようなものです。
ヘブライ語は母音がなく、子音だけで出来ています。なので母音をどう補うかで、意味が違ってきます。
KRNをカランと読めば「光」で、ケレンと読めば「角」です。キリンと読めばビールです。(笑)
元々は同じ単語だったという説もあります。なぜ同じ語源なのか、不思議です。
中世の時代に工夫がなされ、単語の上下に、ニクダーという母音記号が付けられました。今は読みやすくなっています。
こうやってみるとモーゼの大理石像ってヘストンそっくりですね。
ベンハーもヘストンそっくりでした。←当たり前だ。(笑)
何度もモーゼ像をみていながら角があることを気にも留めなかったです。
よくみるとなんだか奇異な気もします。
バーソさんが言われるように角じゃなく光という説もあるとか。
検索の虫が騒いで調べてみると、1000年前聖書の「光」を「角」と
誤訳したのがきっかけという説もありました。
いまさら光だったといわれても困るし、画家さんはお好きな方、
あるいはバーソさんのいう融合された概念で描けばいいんです。
モーゼの角のことを知っていまだ頭角は現してはいませんが
昨日より少し、少しだけですが”叡智”が増した気がします。
菜食を旨としていた日本では、角は鬼の象徴ですが、肉食の西洋では逆に牛や鹿、羊の角を表す逞しい豊穣の印だったんですね。
まさに「産めよ、増やせよ、地に満てよ」です…そう言えばキリスト教以前の西洋には「リンガ信仰」の様なものがありました。
角状の突起を祭るんですが、女性が触ると幸運が訪れるとか?…角は男性器を表していたんですね。まさに豊穣の印(笑)
エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
モーセは、ヘストンに似て、ベンハーに似ていますが、
そもそもがミケランジェロ本人に似ています。
ラテン語ウルガタ訳は、当時ラテン語の聖書訳がいろいろあった中で「ウルガタ」つまり「共通」のラテン語訳となり、当時のカトリック教会の公式聖書になりました。
ヒエロニムスが翻訳した決定版のような名訳で、グーテンベルグが印刷したのもこの聖書です。
しかしながら難しいラテン語は一般民衆には理解できなくなっていたので、聖書の言葉を聞きたければ、人々は教会に行って神父の注解を聞かないといけない仕組みになっていた。つまり教会が聖書に反することを言っても、それが本当に神の言葉に基づいているのか、単なる教会の宗教指導者たちの考えなのかが民衆にはよく分からなかった。
それゆえにお金を出して免罪符を買えば罪が拭われるなんてあくどい嘘を信じさせられていた。
そこで、マルチン・ルターなどによるプロテスタント運動が起り、寄付によって人が救われるなんてことはない、人はキリストを信じる信仰によって罪が贖われ、救われるのだ、だから教会の教えに従うのではなく、《聖書に帰れ》と言われ出し、それから、各国の言葉で聖書が訳されるようになったのです。
私は今でも何十種類か持っていますが、むろん持っているだけです。(笑)
このモーセの角の誤訳は知っている人は知っている有名な話で、私は30年以上前に知りました。
ヒエロニムスは西暦4~5世紀の教父。画家にもおどろおどろしい絵を描いたヒエロニムス・ボスという名人がいますが、英語名はジェローム(Jerome)。『狭き門』でアリサが愛した男の名と同じですね。イタリア語はジローラモ、ポルトガル語のジェロニモと同じ。有名なインディアン・アパッチ族の酋長とも同じみたいですね。
というわけで叡智はさらにちょっぴり増したことでしょう。(笑)
sado joさん コメントありがとうございます^^)
> 角は鬼の象徴ですが、肉食の西洋では逆に牛や鹿、羊の角を表す逞しい豊穣の印だったんですね。
「角」という語も面白いです。
「かく」と読めば、方形の形状を表し、飛車と並ぶ駒を表し、
「かど」と読めば、方形の出っ張っている部分を表し、
「すみ」と読めば、空間の一番周辺部分。
大体がどれもスペース的な意味合いのようです。
「つの」と読めば、生き物の頭部に生えている堅くて長い突起物。
「つの」は一応戦いのための武器のためにあるようですが、動物によっては用途が不明で、かえって日常の行動に邪魔になるものもあるとか。
角と槍と盾を持っている動物を知っていますか。
カタツムリです。ツノ出せ、ヤリ出せと歌われています。(笑)
角は動物のオスだけにあるものでしょうが、リンガ信仰と関係があるのですか。なんでもよく知ってますね。
それにしてもインドの神様はごく彩色で、まあ派手派手しいですね。仏教やキリスト教、禅宗の静かさとはまるで違います。ヒンドゥ教はアーリア人発祥のようですが、なぜそんなに肉感的なのか、それが人間の本質なのか、ちょっと不思議です。
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三国志に登場する蜀の武将に魏延という人物がいます。大変有能な忠臣でしたが、諸葛亮とそりが合わないばかりに疎まれ、最後は謀略で消された悲運の人であります。演技ではそれに先だって、彼は頭に角の生える夢を見たと語っています。彼が相談した人物は頭に角が生えるのは龍になる(大成する)予兆だと伝えました。が、実はとんでもない凶兆でした。角は分解すると刀を用いると書きますが、それが頭に生えると言う事は、頭に刀を用いる、つまり首を切られるという意味なんだとか。そしてその通りに首をはねられてしまいます。魏延は信じて相談した相手に裏切られてしまった訳です。何せ諸葛亮は蜀の丞相。権力の前に人は弱いものです。
諸葛亮は演技で言われる程に有能な人物ではありませんでした。世渡り上手で行政の手腕もありましたが、大国魏であれば掃いて棄てる程にいた官吏程度の人物でしかなく、蜀と言う辺境故の人材不足がトップに押し上げたと言えるでしょう。軍才と言う意味では無能と言っても良く、嘗ての策士法正などには遠く及びません。そんな彼は旧主劉備の信頼を得ていた有能な将軍である魏延を妬んでいたのかもしれません。
実直であったばかりに人の悪意によって葬り去られた悲運の将軍。その後の評価も演技が主流であるばかりに散々ですが、しかし正史には彼の勇名がしっかりと刻み込まれているのであります。
ちと脱線気味、失礼。
モゼもベンハーも繰り返して見ました。
こちらで繰り返し放送するのよ。
それからミケランジェロ役での
「華麗なる激情」
日本ではあまり知られていないかもしれません。
ローマ法王とミケランジェロの、
芸術上の葛藤を描いています。
チャールトン・ヘストンは確かに美しい身体をしています(していました)が、
シュワルツェネッガーやミッキー・ロックのような肉体派の美しさではない。
役柄にもよりますのでしょうが、
人種差別反対運動を率先して行った彼の身体に
精神的な美しさを見ます。
どうも、おばさんの見方でした。
鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
そうですか。どっちもどっちという意見もありそうだなあ、わが身に置き換えて思います。(笑)
カレー臭といえば、ニンニク臭、ショーチュー臭、オーデコロン臭、そして赤ちゃんのミルク臭。赤ちゃんのはいいですね。
街を歩いていると焼肉臭というのもあって、焼肉屋や焼き鳥屋がビルの1階にあったりすると、上の階の住人はさぼ臭いで困っているだろうと思います。
だいぶ以前、小さなソース工場の近くを通ったらソースの臭いが立ち込めていて、この辺は土地代が安いだろう、反動で醤油料理のほうが好きなのだろうかと思ったことでした。
miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
うわー、これは返信を考えるのに時間が掛かりそうな論文調コメントだ。かなり時間がかかったでしょう。ありがたや有難やです。三国志ですか。私の知らない分野、miss.keyさんの得意分野。魏延は知らない人なので、Wikipediaにあたりました。
魏延の心意は「彼が北へ行って魏に降伏せず、南に帰ったのは、楊儀らを除こうとしたからにすぎない。そうすれば、普段は自分に同調していなかった諸将も、諸葛亮の後継者として自分を望むようになるに違いないと期待していた」とありました。
要は、問題は男の野心でしょうかね。民衆の平安を願うことよりも自分の名誉心を重んじるあまりに、自分と他の人の命を無駄に失っているようです。名誉心というのは強すぎると身を滅ぼしまね。
『三国志演義』という小説もあり、微妙に話が違うようですが、miss.keyさんはこちらを読んだのでしょうか。中国の小説は難解な漢字の名前が多く、西洋の翻訳小説と同じく、登場人物が多いと、この人はどんな人だったかとこんぐらがります。
聖書でも、予兆的な(神からの)夢を見て、それが当たったという話は多いですね。有名なところでは、未婚なのに妊娠しているマリアをヨセフが娶ったのは神からの夢を見て、そうせよと指示されたからです。
新バビロニア帝国の2番目の支配者バビロンの王ネブカデネザルが見た夢は、自分が七つの時の間、野の獣のようになるというものでしたが、実際、彼はその間、狂気になったようです。
私はよくフルカラーのかなりリアルな夢を見ますが、現実化したことはありません。もし占い師になると、売れない師になりそうです。(笑)
ミルティリおばさん コメントありがとうございます^^)
ミケランジェロ役での「華麗なる激情」は、レックス・ハリソン演じるローマ教皇の命を受け、システィーナ礼拝堂に描いた大天井画を完成させるまでの物語。私は、題名にかすかに覚えがあるていどですね。ヘストンにぴったりなようで、俳優には、はまり役というのがありますね。
それにつけても思い出すのは、全く逆のアンソニー・クインです。顔はヘストンと比べると、お世辞にも気品があるとは言い難い顔ですが、じつにいろいろ多様な人を演じています。
『炎の人ゴッホ』ではゴーギャン役。『バラバ』は盗賊役。『道』では旅芸人役で、この映画は主題歌がよかったです。ニーノ・ロータの「ジェルソミーナ」。そして私が一番印象に残っているのは『栄光の座』。なんとローマ法王を演じたのですが、まあ、あのちょっと下卑た顔が見るからに柔和そうな法王になったので感心しました。
渥美清は寅さん以外のシリアスものをやりたかったそうですが、画家が独自の画風で成功すると、その画風以外の絵では注文が来ないそうで、それも困ったものですね。
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鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
なんなんでしょう。同じ所から何回もですか。
セールスはしつこいですね。これは金持ちだと思われると、何回断られても、めげずに電話ターゲットにされるのでしょうか。
我が家にはそういう電話が全然掛かってきませんが、脈も金もないと思われているようです。いいんだか、そうでないんだか。
一度でいいからオレオレ電話が掛かってこないかと、言うべきことも考えて、手ぐすね引いて待っているのですが。(笑)
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鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
私は幼少のみぎりから、命の神には見限られたようで、医者2軒に見放されたことがあると母親から聞いたことがあります。
生来的に弱かったのと、生活環境が良くなかったせいもありそうです。衣食住はきちんとしてないと、そして体力以上に無理をしたら駄目ですね。
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鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
私はブログでは饒舌気味ですが、実際には無口で、人に反論したりすることはまずないですね。
でもいつも我慢するよりも、必要なときにはちゃんと言うべきことは言えばよかったかもしれません。とは思いつつも、なかなか言えない消極的な性格なんです。(笑)
シーンとしたというのは、相当迫力があったということでしょう。(笑)
普段おとなしいひとがぴしっと言うと、効き目がありそうですね。^^)
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鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
パナはさすがにエレクトロニクスの分野では他をリードしているように見えます。
カメラはドイツを凌駕したのは、レンジファインダー式をやめて一眼レフにシフトしたからです。
そう考えると、ミラーレス型にシフトしたパナとオリンパスとソニーがこれからますます勢いが増しそうです。
カメラ好きにはみんな欲しくなって、それを抑えるのに困ります。
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