「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 川端康成の『眠れる美女』と聖書の回春術シュナミティズム。 


トランプ大統領71歳と24歳下のきれいな奥さんをテレビで見ながら考えた。

 人間は歳を取る。
  そして"老人"と呼ばれる。

 しかし加山雄三さん80歳のように、"老人"とはちょっと言い難い人がいる。
  なので、"老人"とは、顔も気持ちも老けている人のようだ。

高齢男子でも才能や資産があれば、かなり年下の女性が相手にしてくれる。
 パブロ・ピカソ80歳頃の結婚相手は、45歳下のジャクリーヌ。
 パブロ・カザルス(チェロ奏者)80歳の最後の妻は、60歳下のマルタ20歳。
 (私もその頃は、せめてパブロ・バーソと改名することを考えたい。(笑)


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では、気持ちは若いが、体のほうは若くない人はどうしたらいいか。
“シュナミティズム(shunamitism)"という回春術がある。
 古代ローマのクラウディウス帝(63歳没)もこれを実践したそうだ。

というわけで、その例を旧約聖書と川端康成の小説から。真摯な話ですよ。


.
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イスラエルの王ダビデ70歳のシュナミティズム。

ダビデ王はおおよそ70歳のときに、体が冷えて、重ね着しても温まらなくなった。
そこで家臣たちはダビデ王に、若い処女に添い寝をさせることを進言した。

(旧約聖書・列王記第一)
1:3 家臣は美しい娘を求めてイスラエル領内をくまなく探し、シュネム生まれのアビシャグという娘を見つけ、王のもとに連れて来た。
1:4 この上なく美しいこの娘は王の世話をし、王に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。


「王は彼女を知る」の「知る」とは、聖書では、肉体関係を持つことの婉曲表現。
ダビデには8人以上の妻の他に多くのそばめもいて、まさに"英雄色を好む"王だっ
たが、やはり70歳にもなると、もうその気が出ないほど身体が衰えていたようだ。

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 『老王ダビデを温めるアビシャグ』ペドロ・アメリコ(1879年)


この少女がシュネム出身だったので、《シュナミティズム》という言葉が出来た。
裸の処女と添い寝をすれば若さのエキスを吸収できるという"虚しい"試みである。


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まだ衰えてない江口老人67歳の場合。川端康成の『眠れる美女』

川端康成の『眠れる美女』は1960(昭和35)年に『新潮』に連載された短編小説。
第16回毎日出版文化賞を受賞。5回ほど映画化された(日本で2回、海外で3回)。

三島由紀夫は、「文句なしに傑作」であり、「形式的完成美を保ちつつ、熟れす
ぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品」だと絶賛している。※

場面は海の近くにある娼家。そこは男でなくなった有閑老人のための秘密クラブ。
小説は、その家の女が新客・江口老人に婉曲話法で念押しするところから始まる。

「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ」


 gus9.jpg


江口由夫67歳の部屋の隣室には、全裸の娘が羽根布団のなかで眠らされている。
江口はもう男性機能が衰えた「安心できるお客さま」と思われて、ひと晩じゅう
不自然な昏睡状態にある娘のそばに横たわるために、友人の紹介でここに来た。

許されているのは、見ることと触れることだけ。

なにもわからなく眠らされた娘は・・・もう男でなくなった老人に恥ずかしい思いをさせないための、生きたおもちゃにつくられている。いや、おもちゃではなく、そういう老人たちにとっては、いのちそのものかもしれない。こんなのが安心して触れるいのちなのかもしれない。江口の老眼には目近の娘の手がなおやわらいで美しかった。触れるとなめらかだが、そのこまかいきめは見えない。


江口は、体の底から若やいでくる温かさを感じ、裸の娘を仔細に観察しながら妄
念を膨らませ、自分の過去の恋人や娘や母親の回想を胸のうちに去来させていく。

ある老人は娘をくまなく愛撫したかもしれないし、ある老人はじぶんをよよと号泣したかもしれない。どちらにしろ娘に知られはしない。そう思ってみても江口にはまだなにも出来なかった。・・・この悪魔じみたみにくい遊びに江口が落ち込まないのは、娘が美しく眠り込んでいるからであった。


心をそそられた江口が五度目に訪れた夜は、色白と色黒の二人の娘が眠っていた。


       ____________________

面白いのは、江口由夫の「くち」の字は、カタカナの「」とほぼ同形であること。
エロ良シオともエロ止シオとも読めるので、男の微妙な心境を表しているようだ。
三島由紀夫の名に似ているとも言われ、この書は三島が代筆したという説もある。

描写には低俗官能のエロチシズムは無い。反モラルの耽美的な書でもない。
(それにしても男とは身勝手なものだ、と思いますが)


 origin8l.jpg

       ____________________


恋も、エロスも、好奇心も、すべては生きていて、熱き血潮が冷えぬ間のこと。
今のこの命、自分の生きたい人生を体験するために使っていきたいものです。
(二十歳やそこらで死にたいと決断するのは、じつにもったいないことです)



補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『眠れる美女』は、生と死の境界にいる人間の“老い“を考えさせられる奇妙で真摯な本です。
作家や批評家たちによる作品の評価や研究については Wikipedia が参考になります。

※この小説は海外でも注目されており、コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスは、
この作品に触発されて、エッセイ『眠れる美女の飛行』(1982年)を書き、長編小説『わが悲しき
娼婦たちの思い出』(2004年)を書いている。日本ベルギー友好150周年記念でオペラ化もされた。

*画像は2枚目以外はグスタフ・クリムト(1862-1918)による絵。世紀末ウィーンを代表する
帝政オーストリアの画家で、作品には甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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うーーん、誰でも幅広く愛してくれそうなパブロ・バーソさんも、
やっぱり並の男なのでしょうか?
女は若いにこしたことはないとお考えのようですね。
回春には若い娘が効くとお思いか?
20歳やそこらで死にたいなんていうのは、まだしょんべん臭い娘っ子だからだし、世間がそれをを気にかけてくれるのも、若い娘だから。
60にも70にもなるBBAがそんなこと言ったって、好きにしろ、と言われます。
しわだらけシミだらけのカッサカサのBBAの添い寝ではお嫌ですか?
女性の回春にも若い男の血がよいそうで、シックスパックに抱きすくめられたら、乾き切った身体もジュンとするでしょう。
いずれにしても人には愛が必要なのです。BBAにも愛の手を。
(高尚な見返りを求めない愛でなくてもいいのです。
 それこそ、添い寝の愛でも充分なのです。)

2017/11/11(土) |URL|宝香 [edit]

殿方の老いは『ゆりかごへの回帰?』

『エマニエル夫人』『チャタレイ夫人の恋人』、
『女の一生』に描かれた女は、エロスをゲーム感覚で捉え、
男たちのそれは『ゆりかごへの回帰』を感じます。
命を生み出す者と、生み出される者の違いかもしれませんね。

私の経験では、
『老いらくの恋』ほど恐ろし気なものはないと思いましたが……。
恋は盲目どころか耳も口も機能不全……(^_^ ;)

川端康成の『眠れる美女』に対する三島由紀夫の書評。
>「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た
 芳香を放つデカダンス文学の逸品」

この素晴らしい表現力。
これは同時に、両者が優れた作家だったことを思い起こしますが、
両者ともに『自殺』って……摩訶不思議です。
自死が、その存在価値を高めると知っていたのでしょう。

>美少女がシュネム出身だったので
 "シュナミティ ズム"という言葉が出来た。

(*′☉.̫☉)これは目から鱗でしたが、
バーソさんにしては珍しいテーマだと、
それも目から鱗ですぅ。

2017/11/11(土) |URL|風子 [edit]

うまく出来ているのでは?

パブロ・バーソ様
おはよう御座います。

不老不死とか回春は昔から権力者が求めてきましたがうまくいかなかったようです。
男がいくつになってもパワフルで獣のようであっては世の中がうまく回らないのではないでしょうか?
男はいくつになっても若い女性を求めると思いますので若い男性はライバルが多くて大変です。
若い女性の取り合いから犯罪が多くなるかも知れません。
やはり下半身も自然に老いていった方がよろしいのではないでしょうか?

愛新覚羅

2017/11/11(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> パブロ・バーソさんも、
やっぱり並の男なのでしょうか?

 あのお、その部分はカッコ内に書いてあり、つまりは私語の部分のつもりすが、そこには文末に (笑) が付いてなくても、私のいつもの冗談なんですよ。 ※追伸:文末に (笑) を追加しました。
 でもまあ並の男であることは合ってますね。上や特上や松とは人生では無縁で、買い物だっていつもバーゲンや特売専門ですから。(笑) 

 たまたま80歳同士の二人が同じ名前なので面白いと思いました。しかもパブロとは聖書の使徒パウロのこと。バーソは十二使徒の一人バーソロミュー(バルトロマイ)の略なので、これも面白いと思った次第です。

> 回春には若い娘が効くとお思いか?
 効くんじゃないですか。一般的には。そういうことに関心を持つ男には。多少は。精神的には。これはむろん言うまでもなく私の想像と推論の領域の話ですが。

 そうでなければ、こんな「虚しい(と文中に書きました)」ことは出来ないでしょう。「男とは身勝手なものだ」ともカッコ内に書きました。こんなことの肯定など全然してないですからね。念のため。

> 人には愛が必要なのです。・・・BBAにも愛の手を。・・・
(それこそ、添い寝の愛でも充分なのです。)

 ははあ、全体的に、若い女性に対する男の性向についての若干の不快感を感じましたが、要はこれを言いたかったのですかね。
 そ、そうですね、わたしも言いたいです。BAASOにもぜひ愛の手を。添い寝は要りません。気持ちだけでいいです。(涙)

2017/11/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 殿方の老いは『ゆりかごへの回帰?』

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 殿方の老いは『ゆりかごへの回帰?』
 おお、鋭い。よくそんなふうに思いましたね。この小説の中にも、それを匂わせる回想が出てきますよ。男ってそういうところがあるのでしょうかね。よくご存じで。

> 私の経験では、
『老いらくの恋』ほど恐ろし気なものはないと思いましたが……。

 あはは、「私の経験では」ですか。相当モテたようですね。
 老いらくの恋が激しいのは、自分の若さを証明したい、そして自分の命が短いことを意識しているために焦りがあるのでしょうかね。
 ただ、これも人によりけりで、逆にもう諦めてしまって、自分はそういう事には部外者だと思う男もいますよ。

 確かに三島由紀夫の文体はすごいです。自分で自分の美文に酔っているんじゃないですか。三島の字は以前、記念館で手書き原稿を見ましたが、まあ感心するほど、じつに丁寧にきれいに書いてありました。ボディビルで筋肉美を作ったり、生き方にも“美"を求めていたようです。それが大和魂を持った武士の割腹自殺という結末に至ったのでしょうか。
 特に才能のある人は、生きているだけでも十分美しいと思うのですが。川端も芥川も伊丹十三も、なんでああいうことをしたのでしょう。

> バーソさんにしては珍しいテーマだと、
それも目から鱗ですぅ。

 自分でも珍しいと思います。本当はこんな話題は好きじゃないのです。でも聖書の中にこんなダビデ王の回春術を正当化しているように書かれていることに遺憾の意を感じていたのと、この川端の小説を読んで面白いと思ったのです。
 だから回春術が良いと思ったわけではなく、結論部分に書いたように、人は体験をするために生まれてきたのだから、ひと様に迷惑を掛けない限り《自分のやりたいことを精一杯生きていくのが良い》とまあ、そんなことが言いたかったのですが。

2017/11/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: うまく出来ているのでは?

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> うまく出来ているのでは?
 ああ、なるほど。うまい言い方ですね。本当にそうですね。言われて、そう思いました。

> やはり下半身も自然に老いていった方がよろしいのではないでしょうか?
 これもそう思います。朝早くからパチンコ屋の前に並んでいるような男にはなりたくないですが、年取ってからもその種の欲望でギラギラしているのも見苦しく、そんな浅ましい男にもなりたくないですね。

 そう考えると、「老い」というのもいいものなんですね。これも創造主の親切のひとつなんでしょう。

 木の葉は秋に色づいて人の目を楽しませ、冬の前に散って地上に落ち、やがて腐って地面の栄養になり、木の成長に寄与し、花を咲かせ、秋に紅葉する・・・。自然界はそうなっていると思うと、人間が老いるのも、じつはいいことなんだと思えます。
 
 ただ、《老いる》のと《衰える》のとは違うもので、人体の機能が十分に働かなくなるのは悲しいものです。
 でも、もし衰えなければ、人はずっと生きていたいと思うでしょうから、身体の衰えがあるからこそ、死への心構えも自然に出来ていけそうな気がします。
 人間は自然体で生きていくのがいいのでしょうか。そうでないと愚かしい自分の煩悩に死ぬまで苦しめられそうです。

> 不老不死とか回春は昔から権力者が求めてきましたがうまくいかなかったようです。
 そうですね。私には権力や資産がなくてよかったと思います。(笑)

2017/11/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おっ!久々にエロスのお話ですか?
自分は聖書を描いた絵画を見て、不謹慎にもエロスを感じるんです。
年老いたヨセフとうら若いマリア…そして赤ん坊のイエスと言う構図にね。
説によるとマリアの処女受胎を示す為だそうですが、実はあの文化圏では現実にあったんですね。
まず、若い娘は財産を蓄えた年寄りに嫁いで子供をもうけます。子供を育てるのはに金が必要ですから。
で、夫は早く死にますから、遺産を得て未亡人となった彼女は若い男のパトロンとなり、時に再婚します。
そして彼女が亡くなると、その男は彼女の遺産を引き継いで金持ちとなり、若い女と結婚する訳です。
ある意味、優れた経済循環システムだと思います。アラブ文化圏ではそれが当たり前だったんですね。
ちなみに、ムハンマドの最初の妻は結構な富豪の未亡人でした。年老いてから若いアイシャと結婚しました。
このムハンマドの最期の妻が、わが子の正統制を主張してイスラム教の指導者を継がせようとした為に争いになり、現在まで延々と続く、シーア派とスンニ派の抗争になったと聞きました。まさに負の遺産ですね(笑)

2017/11/11(土) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 処女懐胎の構図は当時の文化圏では現実にあった。そうなんですか。初めて聞きました。それにしても財産を蓄えた裕福な年寄りの場合の話のようですね。
 
 結婚の話というと、聖書の一夫多妻制を思います。ユダヤ教はそれを許容し、キリスト教ではそれを非難し…と、考え方がまったく違うのが気になります。崇拝する神は同じヤハウェのはずなんですが。

 一夫多妻と妾の存在を支持もしくは許容するための言い訳は、それにより当時の家長制度の下で。貧しいの女が暮らしていくのに役立ったのだと言われます。
 戦争では男が兵士として殺されるので、もし一夫一婦制を厳格にすれば結婚できない女が出る、だから神は一夫多妻制を許されたのだと言われるのですが、これはおかしな論理です。もし経済的理由とか何かもっともな理由があればいいのであれば、売春でも盗みでも許されることになります。

 私が今回の記事を書いたのは知識や情報として書いているだけで、こういうことは男の特権で、よろしいのだと思っているわけではないのです。どの時代でも特に金と力のある男は身勝手なことをしている。男尊女卑の精神やしきたりは、現在のキリスト教会にもイスラム圏にも残っている。そうしたことがじつにおかしいと思っているのですね。
 なぜ一夫多妻が良いとされたのかといえば、愛を教えているはずの聖書が《男尊女卑》を当たり前であるかのように書いてあり、聖書の公正の神がそういうことを非難していないからです。
 ダビデ王の息子のソロモン王なんかは、妻700人とそばめ300人がいたそうで、それが堂々と自慢げにイスラエル繁栄の証拠として聖書に記述されているのですから。

 聖書は世界のベストセラーで道徳的に良書だと思われていますが、そうでない部分もあるのです。聖書の一字一句すべてが神の霊感だとか思わないほうがいいですね。

2017/11/11(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/11/13(月) || [edit]

聖書的な秘儀

バーソさん、お久しぶりです。
kenichi2409です。

箴言7章やソロモンの歌4章辺りは婉曲表現の
オンパレードで、子供にとっては「秘儀」
だったのでしょうね。
大人になったら分かるとか言って。。。

聖書通読の時はワザとそこだけ未成年者には
読ませないとか?? 

2017/11/13(月) |URL|kenichi2409 [edit]

Re: 聖書的な秘儀

kenichi2409さん コメントありがとうございます^^)
 おお、さすがによく読んでますね。特に『ソロモンの歌』のほうは隠喩だということがわかりにくいので、ここは古いクリスチャン信者であっても、あまり意味が知られてないところなんですが。 

 以前、学校で第二の話(朗読)に割り当てられた若い兄弟が、この部分はまったく比喩だということを知らないままに、大真面目に霊的っぽい話をしていたのを思い出します。

 この『ソロモンの歌(雅歌)』はなぜ霊感の書に入っているかは昔から議論され、キリストを花婿としてキリスト者を花嫁とする両者の関係の比喩が描かれているとされてきたのですが、ちょっとその解釈は苦しいところがありそうです。この書と新約の「フィレモンへの手紙」は聖書に加えられた理由が分かりにくいですね。

 この『雅歌』をテーマにしたのがバッハのカンタータBMW140「目覚めよ!と我らに声が呼びかける」だそうで、ちょっとリスニングはいかがですか。
 https://www.youtube.com/watch?v=6KQYUCYkXIY 

2017/11/13(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

聞きました!

バーソさん kenichi2409です。

早速聞いてみました。クラシック音楽
久しぶりです。宗教音楽って?? の
感じですが、やはり博学ですね!

フィレモンの書は、
パウロが改宗させたオネシモ
(フィレモンから逃げ出した奴隷)を
ご主人のフィレモンを送り返す時の紹介書
だとか。。。
放蕩息子に引っ掛けているなんて説明を
聞いたような聞かなかったような?

でも逃げ出す位だからフィレモンも意地悪
だったかもしれないですね!

2017/11/13(月) |URL|kenichi2409 [edit]

Re: 聞きました!

kenichi2409さん コメントありがとうございます^^)
 早速聴いていただけましたか。それはそれは。
 何度か聴くとイントロは覚えてしまうようなメロディですが、それほど素晴らしい曲だとは私は感じない曲ですね。でも古い荘厳な教会堂で静かに聴くと、天上への気持ちが盛り上がるように聴こえそうです。昔の西洋の教会堂は霊が引き締まるような荘重な造りになっていますからね。
 
 『フィレモンへの書』を放蕩息子に引っかけた説明というのは、よくあるキリスト教の好意的な注解じゃないですか。逃亡奴隷を許してほしいという願いですから、放蕩息子でも愛によって許されるというキリスト教の愛の精神が確かに見受けられます。
 でもこの手紙は、その愛の訴えよりもパウロの説得術の巧さが光る手紙という印象のほうが強いですね。以前、演壇から話したことがありますが、記事でも書いています。
 「吉宗の巧みな大奥の改革と、使徒パウロの巧みな懇請の手紙。」
  https://barso.blog.fc2.com/blog-entry-293.html

 ちなみに「放蕩息子」の譬えは、悔い改めれば放蕩の限りを尽くした人間でもでも父親の愛によって迎えられるという話ですから、だれか仲介者の存在などは必要ないのですね。

2017/11/14(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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