「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ものみの塔が「組織」を強調するワケを、大阪市長選に見た。 


11月27日の大阪市長選は、「大阪都」構想という大胆なビジョンを
打ち出した橋本徹氏に軍配が上がった。

勝利の要因は、「独裁」という危ないキーワードを大胆に掲げていること、
と木村太郎キャスターが注解していた。

今回の選挙戦は、人間の集団に大きな問題がある場合、明確なビジョンと
強力なリーダーシップが必要であることを示す好例だろう。

では、西暦1世紀のクリスチャン教会(会衆)と
ものみの塔協会(エホバの証人)のビジョンとリーダーシップは、
それぞれどんな違いがあるだろうか・・・。

一つの興味深い真実が浮かんでくる。

b 犬と猫jpg
※写真はlife-magazineなどから拝借させていただいた。

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1. 西暦1世紀、イエスから、
強力なリーダーシップとビジョンが示されていた。


1) 強力な助け手である「聖霊」というリーダーシップが与えられていた
イエスは、私が去った後には聖霊があなたがたすべてを教え導くと約束していた。
だから信者は、日常をどう生きるかについて心配しないでよかった。

2) イエスの「再臨」ですべてが解決するという確かなビジョンもあった
イエスは、あなた方の思わぬ時に来るので、ずっと見張っていなさい、
わたしは速やかに来る、と約束していた。
つまり、しばらくすれば一切が解決するので、将来についても心配なかった。

初めの頃、そのリーダーシップとビジョンは、信者たちにうまく働いた。
『使徒』2章4章を見ると、聖霊に導かれる生活共同体があり、うまくいっていた。
信者たちは、所有物を共有し、分配し、大いなる歓びをもって食物を共にし、
民のすべてから好意を受け、会衆は平和な時期に入り、聖霊の慰めのうちに歩んだ。

その後の記録を見ても、信者たちは、ある時はみ使いに助けられ、
ある時は聖霊に導かれ、の力を得て、勢いと人数を増していった。

つまり、クリスチャン会衆が始まった頃は、再臨というビジョンと聖霊という
リーダーシップが弟子たちにうまく働いていた。

ネコjpg


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2.年月がたつにつれ、聖霊のリーダーシップは協働しなくなった。

イエスの死後、20年ぐらいたった西暦55年頃は、
『コリント人への手紙』を見ると、集会では各自が勝手に預言・異言していて、
てんでばらばら。会衆内には分裂や内部抗争もあった。
淫行、偶像礼拝、貪欲、大酒飲みは当たり前で、市場で売っている肉を
食べてもいいかどうかの論争もあった。
仲間を市民法廷に訴えたり、義理の母親と寝る者さえいた。

『黙示録(ヨハネへの啓示)』が書かれた1世紀末になると、
七つの会衆への手紙から分かる通り、
弟子たちは「最初に抱いた愛を離れ」、「熱くも冷たくもなく」、
霊的に「死んで」いて、淫行や分派主義が浸透していた。

a犬じゃれる


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3.イエスの再臨という明確なビジョンも、徐々に薄れていった。

当時、イエスの再臨については、その到来時期がぼんやりしていたようだ。

1) 再臨はすぐ近い、とする信仰があった
例えば、「今キリストは死人の中から甦らされ、死の眠りについている者たちの
初穂となられたのです」と言われている(コリ第一15:20)。

当時は収穫の初夜に、その「初穂」を祝って、祝宴が開かれた。
では、残りの作物はいつ取り入れられたのかというと、翌日である。
決して翌年ではない。何十年後でもなく、二千年後でもない。
即ち「終わりの日」に起きると考えられていた死者の復活は、
イエスの復活と同時に始まっているので、
まもなくすべての死者の復活が起きると思われていた。

2) しかし、再臨はちょっと遠い、という思いもあったようだ
例えば、「まず背教が来て、不法の人が表し示されてからでなければ、
それ(再臨とエホバの日)は来ないからです(テサ第二2:3)」とか、
「終わりの日には対処しにくい危機の時代が来ます(テモ第一3:1)」
という言葉は、これから将来、社会に顕著な変化が生じてから、
その後に再臨があると思われていたことを示している。

それで、イエスが昇天後ただちに帰ってこなかったため、年月がたつにつれ、
必然のこととして、弟子たちの確信は次第に薄らいでいくことになる。

はと


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4.再臨への信仰が薄れ、聖霊の働きもうまく働かなくなってくれば、
必然的に会衆には「人間のリーダーシップ」が必要になってくる。


イエスの再臨はすぐだと確信し、聖霊に導きにしっかりと従っていれば、
クリスチャン会衆に、さほどリーダーシップは必要ではない。
なぜなら、信者たちは互いに助け合い、しばらくのあいだ辛抱していればいいからだ。


ビジョンとリーダーシップが弱くなれば、人間のリーダーシップが必要になる。
テモテやテトスに宛てて書かれた牧会書簡には、会衆のリーダーである
監督や補佐について規準や指示が具体的に書かれている。
また、信者である老人や未亡人への接し方、富に対する見方、体の訓練など、
一般クリスチャンは日常生活でいかにふるまうべきかが事細かに助言されている。

男女の役割りについては、年長男性だけが指導者だ、女は口を慎み、男に従い、
黙っていなさい、それが物事の秩序だ、と男の権威がくどくどと言われている。
(※ちなみに、現代では通用しないこの男尊女卑の権威主義は、
イエスの生前の教えや人格とは全く反している )

牧会書簡が書かれたということは、各地に会衆と成員が増えたために
「組織」が必要になったということもあるだろうが、
今やうまく協働しなくなっていた聖霊に代わる
「人間のリーダーシップ」が必要になったことも示唆している。

モンロー


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ここからは、エホバの証人向けの話。
5.ものみの塔は、なぜ「統治体」を強調するのか?


以上のことから推論するなら、統治体は、実は聖霊の働きをほとんど
信じてないのではないか。
そして、再臨が近いとは全然信じてないのではないか
(というより 全然信じていないし、その証拠もない、と私は確信している)。
だからこそ、統治体(Govering Body)のガバメント(決定の上意下達)を
強調するのではないか。

というのは、今まで述べたことを繰り返すが、聖霊が ものみの塔だけに
顕著に働いていて、しかも、イエスの到来が 本当に近いであるのなら、
人間の組織やリーダーシップを特別扱いしたり、重要視したりする必要は
ないからだ。

ゴリラjpg


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6.ものみの塔は、神からの唯一のリーダーシップを唱えながら、
教理を間違える。すなわち、頻繁に変更する。


ものみの塔は、再臨時期についてのビジョン、
すなわち、預言解釈を何度も何度も間違えてきた。
つまり、統治体に聖霊のリーダーシップは全然働かなかった。

しかし、このブログでも 他のサイトでも言われていることだが、
ものみの塔が悪質だと言えるのは、単に教理を間違えたからではない。
統治体は、間違えていることを十分知っている。
十分知っていながら、それを JW信者に隠し、ごまかそうとしてきた。
その不誠実な証拠は過去の出版物に多く残されている。


誠実であるべき立場の者が、なぜ “ ごまかす ”ことをするのか?
それは「統治体」が、JW信者にリーダー的権威を振るい続けていたいからだろう。
リーダーの特権が楽しく、おいしいからだろう。 それ以外に考えられるだろうか。

政治にしても、企業にしても、スポーツ界にしても、その種の権威誇示欲や
それにまつわる虚偽・欺瞞はしばしば報道されている。

おそらく、この世界では、人間の意識を 根本からプログラムし直さない限り、
「組織」という権威主義と階級制度というシステムには、
本質的にそのような欠陥的性向が標準オプションとして付属しているのだろう。
悲しいことですね。



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★参考:「宇宙主権の論争」の教理の誤りを論じています(本邦初) → コチラ
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2011/12/05(月) || [edit]

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