「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 刀にまつわる言葉は、日常を地味に面白くしている。 

                 [バーソ青草文庫]
 「刀」に関係する言葉を四十一個入れ込みました。絵はアンドリュー・ワイエスの作品です。


刀と天国
 
 ある日の事でございます。神様は、刺青(いれずみ)と刀傷が目立つ男と一緒に、
天国の花園をぶらぶらとお歩きになっていらっしゃいました。
 何とも云えない好い匂いが、絶間なく辺りへ溢れております。天国はちょうど
朝なのでございましょう。


「次郎吉や、此処の居心地はどや?」
「へい、何だか夢みてえ。地獄で仏とはマジに此の事で」
「おいおい、此処は天国で、わいは神サンやで」
「ああ、そうだった。それにしても、この大泥棒のおれが、こうして天国に来ち
まったワケがまだ分からねえ」
「ええか、ホンマもんの神サンは愛の塊りみたいなもんや。愛と憎しみとは両立
せえへん。そやさかい、愛の神が人間を罰する事なんかあらへんのや」
「だから、おれのような者でも永遠の責め苦を受けたりしねえんだ」
 神様は、男が、一人の雲助を助けた事があるのを思い出しておられました。


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「次郎吉や、愛と慈悲だらけの天国はめっちゃ楽しいやろ」
「へい、これで、芋のきんつばに粗茶でもあれば云うこと無しで」
「おや、愛想無しで悪かったね。あんさんは、お酒は温(ぬる)めの燗(かん)がいい、
ってクチやなかったんかいな」
「いえいえ、おれは両刀遣いで」
「両刀ちゅうよりも、諸刃(もろは)の剣ちゅうほうやろな。せやけど、次郎吉は、
きんつばの名が、刀の鍔(つば)から来とるちゅう話は知らへんやろ」
「先週だったか、バーソって奴のブログで、きんつばは小さくて上品なのがいい、
肴はあぶったタコ焼きでいい、とか云ってやしたかね」
「そやなあ、あのブログは、沖の鴎(かもめ)のジョナサンのように、人間も自由に
生きたらええ、とよう書いてんなあ」


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「神サンよ、天国ってトコは、ずいぶん自由で、のんびりしてやすねぇ」
「人間社会のように、(しのぎ)を削るちゅう生存競争があらへんしな」
「それに、抜き差しならぬって状況もねぇ」
「そや、ガチャガチャ(つば)迫り合いちゅうような緊迫場面もあらへん」
「神サンは、永遠に生きてて、飽きるつう事がねぇんですかい?」
「ようぞ単刀直入に聞いてくれた。次郎吉よ、あきまへんな」
「ど、どっちなんですっ? 飽きねぇのか、良くねぇのか」
「飽きねえ繁盛(はんじょう)ちゃ」


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「ふーん、神サンは快刀乱麻。スパッと一刀両断に解答すればいいだけ。神サン
は気楽な稼業と来たもんだねえ」
「ほう、刀にまつわる四字熟語を無理やり探してきよったな」
「何が困るって、抜き打ち伝家の宝刀を抜いて、死神を寄こすのがおれら一番
困るんでよ」
「まあ、そやろな」
「あれま、そう気軽に相槌を打たれてもなあ」


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「次郎吉は、一度も死神が怖うなかったんか?」
「へえ、毎度毎度抜き差しならぬ状況で、刀折れ矢尽き切羽詰まって焼きが
まわり
、ついに地獄に来やがったのも身から出た錆(さび)頓珍漢よなあ、と嘆い
ていたら、土壇場のトコで天国に来ちまって、ああ絶景かな絶景かな、天国の眺
めは値千金とは小せえ小せえ」
「うむ、めっちゃ歌舞妓の観すぎやな。せやけど、まあ、泥棒仲間では折り紙付
きの真打ちやさかい、天下の鼠小僧に太刀打ちできる人間はそうはおらへんかっ
たやろ」


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「あたぼうよ、鍛えた腕は付け焼き刃じゃねえ。最後の家は青山の目貫(めぬき)
通り
のさる大名屋敷。いざ一刀のもとに斬り捨てんと押っ取り刀で出てきて、刀
大上段に振りかぶる奴らと真剣勝負勝負ーぅ。滅法切れ味のいい懐刀抜く手
も見しねぇで取りぃ出して、さあさ覚悟しやがれ、おれは助太刀なんぞいらねえ
ぜ、と威勢よく立ち会ったはいいが、とうとう焼きが鈍(なま)ちまったか…」
「せやなかったら、地金(ぢがね)が出たか…」
「う~ん、どうにも神サンとは(そ)りが合わねぇなあ。返す刀で、そんな茶々
を入れられたら、これがマジの故意の鞘当(さやあ)。どう真剣に取り組んでも、
神サンには刃が立たねえや」
「これでも寸止めにしとるんや。わいも、あんさんに気ぃ使ってんのやで」


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 次郎吉は突然ふーっと、人が為(な)すべき事は唯一つ、それは他者に愛を示す事
だと思ったのでございます。
「此処は居心地がいいけどよ、娑婆に戻って、元の鞘(さや)に収まりてぇなあ」
「せっかく天国に引き上げてやったんに、なんやそれは?」
「そうさねえ、おめえ様にはよく分からねえだろうが、男には、おっこちきる女が
居るっつうのも、しみじみ粋(いき)なもんなんだぜ」


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 地球は、人間がさまざまな感情を体験できる稀有な星でございます。
 神様は、地上を面白そうに見ていらっしゃいました。天の花園は陽の光を受け、
好い香りが増しております。天国も、もう昼近くになったのでございましょう。



          
補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●「おっこちきる」=ぞっこん惚れるの意。●「頓珍漢」=とんちんかんとは、元々は、鍛冶などで
師が鉄を打つ間に弟子が槌を入れるため、ずれて響く音の「トンチンカン」を模した擬音語であった。
●「寸止め」=空手・剣道などの競技で、強烈で有効な打撃を相手の体に打ち込む寸前で止めること。
●「折り紙」=紙を横に半分折りにした文書で、江戸時代には美術品や刀剣などの鑑定書に使われた。
●「土壇場」=首切りの刑を行うために築いた土の壇。決断を迫られる、最後の進退きわまった状態。

●絵:アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth、1917-2009)。20世紀のアメリカン・リアリズム
の代表的画家であり、古き良き時代のアメリカ中西部の田舎に生きる人々を、鉛筆、水彩、テンペラ、
ドライブラシなどで詩情豊かに描いた。「クリスティーナの世界」と「ヘルガ」の一連の連作が有名。

●お断り:ここに登場する神サンは、関西支部に赴任して間もないために大阪弁には不備があります。
この話は、むろんフィクションであり、実在する人、団体、神、宗教などには一切関係がありません。 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



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熟語パルズゲーム?

「刀」関連語を四十二個も入れ込んだ力作。
こりゃあ、金田一ファミリーにも無理。
バーソさんにしかできない“パルズ文庫シリーズ”でしょうね。
四十二個の刀関連用語を抜粋しておいて、
ストリーを組み立てるバーソさんを想像すると、
可笑しさがこみ上げてきます。

それとは対照的なアンドリュー・ワイエスの絵。
六作品共に、想像力を駆り立てる静寂に満ちていて
不思議です。
描く者の感情の一切を排除したような静寂。
あるがままの静寂。
それ故に反って、観る者の想像力を駆り立てる。
画家の、精神を反映しているようでステキですね。

ふと、思います。
なぜ、この挿絵を採用したのだろう? と…。(*^▽^*)

2017/08/26(土) |URL|風子 [edit]

飽きずに読めます

バーソ様
おはよう御座います。

私は長文が嫌いで小説など1冊も読んだことがないのですがバーソ様の文は不思議と飽きずに読めます。
飽きさせないように色々苦労されているのだと思いますが、私に長文を読ませた人はバーソ様だけです。
それだけで凄いです。

愛新覚羅

2017/08/26(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: 熟語パルズゲーム?

風子さん コメントありがとうございます^^)
 刀の関連語。もっと数があると思うのですが、他の言葉を探すことあたわずでした。刀だけに修羅場に関係した意味のものが多く、あまり話に変化がつけられなかったですよ。
 
 アンドリュー・ワイエスを使おうと思ったのは、冒頭に乗せた窓のカーテンが揺れている絵が気に入ったからです。この窓の絵は、自由で、開放的で、いい空気感があります。他の絵も、確かに「想像力を駆り立てる静寂に満ちていて」、人の内面にあるものを静かに表しているかのようです。

 最初は、浮世絵の鼠小僧か大正・昭和の剣劇小説の挿絵を使わせてもらおうかと思っていたのですが、このワイエスの絵のほうが天国のシーンという内容とダイレクトにはマッチしてないのですが、しかし内容を全然邪魔してはおらず、かえってこの精神性がマッチしているように思えたのです。以前からワイエスを使いたいと思っていたので、私としては絵画紹介ブログとしても、今回の挿絵は案外気に入っています。

 この文章には何人かの作家の文章が混じっているのですが、これ以上入れるとおふざけになるので、この程度にとどめました。(^^ゞ
 なお、最後の写真が一枚抜けていたので追加しました。女性の絵です。

2017/08/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 飽きずに読めます

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 あ、そうですか。有難いお言葉です。こんな長文を読んでいただいて、うれしいです。小説は私もほとんど読まないですね。読んだのは学生時代に図書室(館)にあった、いわゆる文豪の名作を読んだ程度。現代のベストセラーのような小説はほとんど読んだことがないですよ。関心がないというよりも、忙しすぎて、小説を読むような時間がなかったせいです。ただ、関心のある分野では、聖書関係や自分の趣味や仕事関係の本はよく読みましたが。

 この天国の話は、芥川の『蜘蛛の糸』をベースにしています。殺人をしたり放火したりした大泥棒の男が一匹の蜘蛛を助けたので、その報いとして地獄から抜け出せるようにお釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしてやるのですが、その話と似させるために、次郎吉が一人の雲助を助けたことがあるという話にしています。(笑)

 本当は雲助を助けなくても、悪人も救われることになっているので、次郎吉は無条件で天国に来れたのですが、どんな人間にも必ず良い点があるということと思っていただければ幸いです。

2017/08/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いいっすなぁ、大阪弁の神サンと江戸っ子のやり取り

 今回も辛口のコメントで失礼します。
「ようぞ単刀直入に聞いてくれた。次郎吉よ、あきまへんな」「ど、どっちなんですっ? 飽きねぇのか、良くねぇのか」の回答として、神サンに「飽きねえ繁盛(はんじょう)ちゃ」と言わせましたが、イマイチの感がしますねえ…。
 大阪人は「繁盛」を頻繁に使うようですから、それを入れるとして「飽きねえ、飽きねえで大繁盛ちゃ」とでもしたほうがよろしかろうと思ったりしますが、いかがなものでしょうか。

 その1行下の「…スパッと一刀両断に解答すればいいだけ。…」の「解答」ですが、「回答」としたほうがいいような悪いような、なんとも困った表現ですね。
 ここは、「スパッと一刀両断に物言いすりゃいいだけ。」となさったほうがいいかも。

 今回も存分に楽しませていただけました大阪弁の神サンと江戸っ子のやり取り。いいっすなぁ。

 そして、締めの絵が「おっこちきる女が居る」風景つうのもしみじみ粋なもんですね。今回、初めて「おっこちきる」という言葉を知りました。

2017/08/26(土) |URL|永築當果 [edit]

こんにちは

よくぞここまで刀にまつわる記事を。
刀に関する語彙を調べようと検索したら、あらかたバーソさんに使われて
しまっていてもうイヌにやってもイヌも食わんです。(笑)
ボロボロで駄洒落になってしまいました。

ワイエス「なあヘルガ。秘密にしてた君をモデルにした絵を発表したいんだが。
絵の存在は私の懐刀の妻のベッツィーも知らないんだ」」
ヘルガ「生きているうちは発表しないという約束だったじゃないの」
ワイエス「『クリスティーナの世界』を発表してから世間を一刀両断するような
インパクトのある作品が描けてないからなあ」
ヘルガ「でも隠していた絵のなかにはヌードが何点もあるじゃないの。夫になんて
説明したらいいの。返す刀で奥さんのベッツィーも傷つけるわよ」
ワイエス「世間もモデルが若くて美女だったら騒ぐだろうけど・・・。
へルガ「それどういう意味どす!!」
ワイエス「ドスって。気にしない、竹刀。私にとって君は真剣のように鬼気迫るくらいに魅力的だ。
作品を見てもらえば分かるだろ」
ヘルガ「分かったわ。だったらお願いがあるの。私の横顔の肖像のタイトルを『ブレイド(剣)』に
してくれる?」
ワイエス「分かった。そうするよ『braids(編んだ髪)』だな」
https://goo.gl/kgKyjZ

2017/08/26(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: いいっすなぁ、大阪弁の神サンと江戸っ子のやり取り

永築當果さん コメントありがとうございます^^)
 最初のときから辛口の批評を連続していただいてますね。永築さんの頭脳で見れば、いろいろと問題点が見えるのでしょう。

 言葉や文法の間違いの指摘は、感謝して受け入れ、訂正したいと思っています。ですが、おまえの文章は「イマイチ」だとか「繋がりが悪い」というような批評は、それは私の頭脳や才能、感覚に対する個人批判ですから、私としてはどうしようもないですね。馬鹿は死ななきゃ治らないと言われている通り、頭は取り換えるわけにはいかないのですよ。(笑)

 今回は、永築さんの修正案は、頭脳と感覚の違いのせいでしょうが、率直に言って、私にはそれほどピンと来なかったですね。

 まず「飽きねえ繁盛(はんじょう)ちゃ」を「飽きねえ、飽きねえで大繁盛ちゃ」にする案ですが、それもいいでしょうね。分かりやすくなると思います。でも、ちょっと説明的で冗長でもあるように感じます。むろん私の言い方が完璧というわけではないですが、わざわざ変えなくてはいけないほどでもないと思いました。

 回答と解答の違いについて。ここはちょっと長めに書きます。
 「回答」とは質問者から聞かれたことに答えること。「解答」とは問題を解いて答えを出すことです。
 神が人間から質問されて「回答」したということは、歴史上(ほとんど)ないはずです。何かの宗教の指導者や信者たちは、神に祈って神から回答をもらったことがあると言うかもしれないですが、もし神が実際に個人的な質問に回答しているのなら、その人たちの人生は、そして世界は、もっと格段に良くなっているはずです。
 旧約聖書では、預言者ハバククがこんな質問をして、神から「回答」が与えられないことを嘆いています。「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。私はあなたに『暴虐がある』と訴えたが、なぜあなたは助けて下さらないのか」。
 19世紀のドイツには「神は死んだ」と言った人もいましたね。

 しかし神は「解答」は出せるはずです。なぜなら、神は全知全能の神とされているのですから。
 そういうわけで「回答」でもいいでしょうが、「解答」のほうがいいはずです。
 「物言いすりゃ~」もなかなかいいとは思いますが、そのフレーズ全体で見ると、ちょっと語調(リズム)が間延びしているように感じます。
 この記事の文脈では、私の書いた「解答」という言葉は、「快刀乱麻(=物事を鮮やかに解決すること)」に続いている言葉です。そういうわけで、ここは「快刀」と「解答」の語呂合わせを優先させてくださいませ。

 むろん、神は世界の諸問題を鮮やかに解決しているわけではなく、それには、そうしてない理由があるのですが、それについては短い言葉で説明するのはちょっと困難です。

 「おっこちきる」の風景が面白かったですか。次郎吉が天国に引き上げられて、また元の地上に戻りたい・・・おっこちきる、と続けたつもりなんですがね。ちょっとわかりにくいと思いますが。

 ちなみに、コメントについての私の考え方を申し上げておきます。
 ちょうど街の絵描きの個展会場に同好の士がぶらりと入って、出るときに机の上の芳名帳に自分の名前を書き、絵を描いた本人に温かい励ましの感想を述べるようなものだと思っているのですが・・・なかなかコメントとは難しいものですね。

2017/08/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 エリアンダーさんは、ワイエスは好きな画家なんじゃないですか。ブログ『夏への扉』での扱い方を見ると、そんな感じがします。
 じつは「Christinas world」のクリスティーナが若くて健康な人じゃないというのは、エリアンダーさんのブログで、彼女がぐるりと回転する絵の動画を見て知ったことでした。
 クリスティーナは当時55歳だったのですってね。ヘルガも若くはなく美人でもなかったのに、ワイエスは彼女の内面に魅かれて描いたようで、風景画を見ても、そういう精神性の高さを重んじていたらしいことがよく分かります。
 ワイエスの絵は、古き良き時代のアメリカの明朗な解放感というより、アメリカの田舎での厳しい暮らしの現実が描かれているように感じますね。

 それにしても、まあ、ワイエスとヘルガの会話。よく考えましたね。というより、よく考えてくださいました。ありがたいことです。
 コメントでこれだけ気を使うと、もうアイディアがヘルガと思えど、まだ依然として減らないようですね。別腹という言葉がありますが、エリアンダーさんの頭にも、切っ先鋭いベッツィーの頭があるのでしょう。(笑)

 やり取りのなかでは、特に「ドス」と「竹刀」がさり気なく使われていて、うーん、うまいもんだと唸りました。
 とりわけ、オチの「ブレイド」には、ヤイバほど、否、ヤバイほど驚きました。「剣」という言葉を見て、すぐ「blade」を思い付き、ワイエスの「braids(編んだ髪)」に行くなんてえのは、並の人間じゃできねえぜ、てえしたもんだ、と感服つかまりました。いや本当に七転抜刀するほど、そう思いました。私にはせいぜいトヨタの「ブレイド」しか思いつきません。英語が得意だと、洒落も英語になるのですね。いや、ほんと、太刀打ちできません。(^_-)

2017/08/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/08/26(土) || [edit]

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 そうですか。よかったです。
 でも他のデザインに代えたのですね。今度のもさっぱりして、いいじゃないですかね。
 こちらのほうも今後ともよろしくお願いしますね。(^^♪

2017/08/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

か・・感激です、バーソさん、
た・・単なる文章ではないですもの。
な・・何でも思い入れがあるといいものですね

か・・刀にまつわるものがこんなにあるとは!
た・・楽しくなりました。
な・・泣いても笑っても日本語、いいですね。

2017/08/26(土) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
 いやあ、俳句もうまい森須さんらしいコメントで、恐れいりやした。
 拙僧も節操なく真似しましたぜ。

んしゃ感激です雨あられです。森須さんの愛ある気遣いに。
いしたもんですね。すぐこういう言葉遊びを思い付くのは。
んといっても、やはり文学的感性が優れているのでしょう。
もだちと、いつもこういうやり取りをしてるのでしょうかね。
たって踊って、書いて詠んで、まあ、器用なもんですね。
いけんがモノを言うのでしょうか。いや、知性でしょう。
ー、でも、これから森須さんは毎日が真剣勝負になりますね。
にがあっても人生は一度だけ。ならば楽しく生きたいですね。
らぎらしないでいいから、ゆるゆる生きられたらいいですね。
にがあろうと、“わが人生に悔いは無し”で行きましょう。
いせつな命を十分にエンジョイできるよう私も願っていますよ。(^^♪

2017/08/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

刀は歩兵戦を主眼にするか、騎馬戦を主眼にするかで随分形状が異なります。
伝統的なヨーロッパの歩兵は槍を主な武器とし、刀は接近戦で使用します。
つまり相手を突く事を目的としているので、刀は直線的な形状になってます。
だから兵士は、重い鉄鎧を着用します…騎士の鎧は騎馬戦には不向きです(笑)
対して、アジアの騎馬民族は馬に乗って戦うので、ほとんど鎧を着用しません。
ですから、すれ違いざまに相手を斬りやすい反りのある刀を使用したんですね。
なのに農耕民族である日本の武士は、なぜ反りのある日本刀を使用したのか?
日本は世界一鉄の産出量が少なく、鉄鎧や盾が作れなかった…のです(笑)

2017/08/27(日) |URL|sado jo [edit]

Re: タイトルなし

sado joさん コメントありがとうございます^^)
 刀剣類にも詳しいのですね。日本は、昔は鉄の産出が少なかったのですか。日本刀といえば名刀がいろいろあります。私の知っている名刀は、正宗、村正、兼光、拝一刀の胴太貫・・・えー、これしか知りません。(笑)

 実戦では長い槍のほうが刀より優位だったでしょうが、「名槍」というのはあまり聞かないですね。刺すだけなら竹槍でも間に合うせいと、槍は普段は持ち歩きしにくいので、剣劇小説には登場させにくいからでしょうかね。日本刀には殺傷の有効度だけではない、日本人ならではの思い入れやロマンがあるようです。

 古武道の流派の剣術をテレビで見たことがありますが、下段の構えから相手の太ももの内側の大動脈を狙って斬り上げるという技に驚きました、竹刀を使った現代の剣道は、ただポンと相手に当てるだけですが、実戦的な剣術の怖ろしさを感じましたよ。時代劇映画でも、そういうリアルな剣劇シーンがあれば、もっと流行ると思うのですがね。(笑)

2017/08/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2017/08/28(月) || [edit]

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2017/08/28(月) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 あー、お気遣い、ありがとうございます。
 毎回毎回よく読んで、よく検索までして、時には創作話まで考え、さらには知的な情報紹介も必ずのようにあり、ジョークも入れて面白く味付けをし、そのように温かい励ましのあるコメントばかりで、ありがたくてありがたくて、私としては足を向けて眠れない思いです。本当に、とてもうれしく思っています。

 これで食欲もなくなる夏でも、当分ご飯がおいしく食べられそうです。太り過ぎに気をつけなくっちゃ。あー、この程度の陳腐な言い方しか思いつかないのは、ああ遺憾なことです。いかんいかん。^^;

2017/08/28(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いやぁ申し訳ありません。小生のコメントは、いつも何らかの指摘をしてしまうようで、いかんですなあ。
これも性格かもしれませんが、小生のメインブログ「薬屋のおやじのボヤキ」では物凄い指摘が度々入り、コメント返しで逆指摘したりと、そうしたことに慣れっこになり、自分が出すコメントも平気で相手を指摘してしまうようになったようです。今後、気をつけます。
「解答」と「回答」は、おっしゃるとおりですよね。でも、小生は根っからの日本の多神教信者であるがゆえに、神サンからは「回答」が欲しい、といったところです。それをバーソさんに押し付けてはいかんですよね。そして、「物言いすりゃ~」は、たしかに語調(リズム)が間延びしますね。「飽きねえ繁盛」と同様に。
「おっこちきる」が「地上に落ちる」にかかっているのは気が付きませんでした。なんせ「おっこちきる」ってどういう意味だろう?で頭がいっぱいでしたから。
小生、文学的センスがまるでダメで、文字選び、語調の工夫など、今回、なるほどなるほどと大いに納得させられました。
詳細なる回答、いや「解答」かな、有り難うございました。

2017/08/29(火) |URL|永築當果 [edit]

Re: タイトルなし

永築當果さん コメントありがとうございます^^)
 いやぁ、謙遜な、いいコメントで、こちらも率直に申し上げて、よかったと思いました。
 コメントは、相手を励まして気持ちよくさせて、その喜ぶ顔を見て、自分も気持ちよくなるという、そのような状態がブログ友だちとして長続きする、そして世の中を明るくする、いい関係だと思っています。
 でも時に調子に乗って、勢いで、つい言わなくてもいいことまで言ったりして、思わぬことで相手の感情を害したりすることがあり、そういう時、私は強く反省し、後悔することがよくあります。

 といって、あまり褒めてばかりなのも気持ち悪いものでしょうから、普段あまり誇張表現と思われないようにしているつもりなんですが、言葉というのはどうしても言葉足らずになり、自分の意図が正しく伝わらない場合がありますね。

 でもブログとは書くのも面白いですが、コメントのやり取りというのも面白いものです。

「おっこちきる」は、「フォールインラブ」と似ていませんか。

 いつもよく読んでいただいて、ありがとうございます。(^^♪

2017/08/29(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソ様、こんばんは

本当に永遠に生きて辛くないでしょうか?
キリスト教は、死んだら地獄へ行かなければ天国で永遠の命があると言いますよね
薫子は、いつも永遠に生きるのはしんどい気がしてなりません。
バーソ様は、どのようにお考えでしょうか?

2017/08/29(火) |URL|薫子 [edit]

Re: タイトルなし

薫子さん コメントありがとうございます^^)
 いい質問ですね。いい疑問だとも思います。
 たくさん丁寧に答えたくなります。私の好きなテーマです。
 永遠に生きるのは退屈ではない。その証拠に毎日三度の食事をしていて飽きないだろうという考え方があります。しかしそうではないという考えもあります。

 クリスチャンに説明するのはちょっと難しいのですね。聖書的な答えと他の答えがありますから。

じつは、この月末はちょっと忙しくて時間がないのです。とりあえず過去記事一つを紹介しますから、見ておいてくださいませんか。


 ●過去記事=「過去を手放すために死がある。執着心と生まれ変わり。」
http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-296.html

 これは天国で永遠に生きる場合の話ではなく、今のまま永遠に生きたらどうなるかを冗談気味に書いています。


 正式の返事は今度の土曜か日曜に書きたいと思います。しばしお待ちくださいませ。(^^♪

2017/08/30(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

薫子さんへ。^^)
遅くなりました。ちょっと忙しかったのと、返コメが難しかったのです。
というのは、私は聖書はかなり好きなのですが、キリスト教の教えには、基本的な教理に疑問を持っているのですね。

でも人が神を信じることは、正しいことで、良いことだと思っています。
そして神に近づく道はいろいろあり、キリスト教もその一つだと思っています。ですから教会の存在を否定しているわけではありません。

さて、永遠に生きるのはしんどいのではないかという疑問ですが。
今の地球上で、今の身体をもって永遠に生きるのはしんどいでしょうね。

しかし地球の環境と人間社会が素晴らしい状態になり、身体も健康そのものになれば、動くのも食べるのも話すのも何もかもが楽しくてしょうがない毎日になると思いませんか。
キリスト教は、その状態が死んだ後に実現する、それは天国だと教えているのですね。仏教では極楽と言っていますが。

唯物論の人は、そんな天国の存在を信じません。
死んだ人が生き返ったこともないのだから、証拠もないと言います。

しかし、宗教は、ほぼ例外なしに、死後の《魂》の存在を教えています。
《魂は死なないで永遠に生きる》というのは大昔から信じられています。

私も、人間の本質は魂であり、それは永遠に続くと思っています。
神が存在するなら、人間がたかだか80年位(寿命)で滅んでしまうように
造るはずがないと思っています。
神が存在しない証拠は皆無ですが、存在すると思える状況証拠は山ほどあるのです。

なので、安心して神を信じているのがいいでしょうね。
神を信じて悪いことはひとつもありません。
むしろ信じないでいるほうが不安が増えるはずです。
なので、自信をもって神を信じる暮らしを続けてください。

リビングバイブル、読んでいますか。
イエスの教えを知りたければ「マタイ」だけ読めば十分ですよ。
イエスの教えだけを信じていれば絶対に間違いはないと思います。

2017/09/02(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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