「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 民謡『10人のインディアン』と芥川の短編『孤独地獄』。 

間、なにがさみしいって、“独りぼっち”になることが一番じゃないでしょうか。
愛の反対は無関心だとも言われますが、誰からも関心を示されないのはつらいものです。

みにくいアヒルの子は羽の色が違っていたために仲間外れにされ、悲しい思いをしました。
シカト、よそ者扱い、排斥、村八分は、人をウツにさせ、死に至らせることもある害悪です。

1q.jpgYouTube

なにかの理由で、まわりから黙殺され、孤立させられたら、救いはないのでしょうか。
今回は民謡『10人のインディアン』と芥川の短編『孤独地獄』から、孤独についての話です。

不足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アガサは、民謡『10人のインディアン』の歌詞の最後を変えた。

「一人二人三人いるよ、四人五人六人いるよ」の歌詞で知られる民謡『10人のインディアン』。
『Ten Little Injuns』というタイトルで、セプティマス・ウィナーが1868年に作詞作曲した。
『Ten Little Nigger Boys』としてフランク・グリーンが翌年に翻案し、これが有名になった。

しかし10人のニガー(黒人)は差別語だとされ、後にインディアン(=Injuns)に改められた。
アガサ・クリスティが、これを基に1939年、推理小説『そして誰もいなくなった』を書いた。

質問:アガサは歌詞の最後の一行をまったく変えましたが、どう変えたのでしょうか?
(清水俊二訳・早川書房より歌詞を抜粋)

 十人のインディアンの少年が食事に出かけた
 一人がのどをつまらせて、九人になった

 九人のインディアンの少年が遅くまで起きていた
 一人が寝すごして、八人になった

 八人のインディアンの少年がデヴォンを旅していた
 一人がそこに残って、七人になった

 七人のインディアンの少年が薪を割っていた
 一人が自分を真っ二つに割って、六人になった

 六人のインディアンの少年がハチの巣をいたずらしていた
 蜂が一人を刺して、五人になった

 五人のインディアンの少年が法律に夢中になった
 一人が大法院に入って、四人になった

 四人のインディアンの少年が海に出かけた
 一人が燻製のニシンに飲まれ、三人になった※1

 三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた
 大熊が一人を抱きしめ、二人になった

 二人のインディアンの少年が日向に座った
 一人が陽に焼かれて、一人になった

 一人のインディアンの少年が後に残された
 彼が
[首をくくり、後には誰もいなくなった ]


元の歌詞は「彼は結婚し、誰もいなくなった」ですが、あんまり面白くありません。
自分がもし最後の一人になり、独りぼっちになったら、どうするでしょう。
(アガサ版歌詞の最後は、上の空欄をドラッグしてください。アガサらしい終わり方です)

2q.jpgYouTube

怖いのは、一人ひとり居なくなっていく不気味さよりも、最後には自分一人だけが残される
ことでしょう。アガサの歌のインディアン少年は、その孤独感に耐えられなかったようです。


自足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
芥川龍之介『孤独地獄』(大正五年二月)

これは芥川が養母トモから聞いた話。津藤という通人が禅超という禅僧と吉原の店で知り合う。
ある日、禅超が心配事があるようなので津藤がわけを訊ねたら、禅超はこんなことを言った。

 仏説によると、地獄にもさまざまあるが、凡(およそ)先づ、根本地獄、近邊
地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来るらしい。(中略) その中で孤独地獄※2
だけは、山間曠野樹下空中、何処へでも忽然として現れる。云はば目前の
境界が、すぐそのまま、地獄の苦艱を現前するのである。
 自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味
を与へない。だから何時でも一つの境界から一つの境界を追つて生きてゐる。

 勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて境界を変へずにゐれば
(なお)、苦しい思をする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを
忘れるやうな生活をしてゆく。
 しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外は
ない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌だつた。今では……


最後の「今では……」のあとの言葉は禅超の声が低かったので、津藤には聞こえなかったのだが、
「今では、それを望んでいる」と続きそうだ。死ぬことより孤独地獄にいるほうが怖かったのだ。

「孤独地獄」に堕ちると「一切の事が少しも永続した興味を与えない」が、その状態から助け出
してくれる人がいなかったために救いを得られなかったのだろう。だから快楽酒色にすがり、
溺れ、「転々としてその日その日の苦しみを忘れるような生活をして」いったのだろう。

このあとで芥川は、“一日の大部分を書斎で暮らしている自分は、この二人とは全然違う世界
に住んでいるが、ある意味で自分もまた、孤独地獄に苦しめられている一人だ”と書いている。

3q.jpgYouTube

この話の禅僧のように放蕩の限りを尽くしても、芥川のように普通以上の名声を世に得ても、
心に平安がなく、孤独であるなら、それは苦しみながらの死よりも怖ろしいことのようです。


充足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
たとえ独りぼっちでも、私たちには強い味方がいる。

「孤独」の反対語は何でしょう。群衆? 団欒? 交流? 連帯? 愛他? 殷賑? 社会的? 難しいですね。
意味としては、心が通じ合う人がいるので、さみしさを感じない、ということでしょうが。

しかし、たとえ孤独感を癒してくれる家族や知人隣人などが誰もいなくても、大丈夫です。
なぜなら神がついている、天使がついている、守護霊がついている、運がついている。
そういう意識や感覚がある人は幸福です。その人たちは孤独地獄にはいないでしょう。

そういうものは信じないとしても大丈夫。そう、ネットで知り合えたブログ友だちがいます。
いろんな趣味や個性や考え方の人がいて、面白くて、学びになり、励みにもなっています。
コメントをやり取りし、少しでも意思疎通ができれば、まさにネット天国にいるようなもの。
“一人のインディアンの少年が残された。彼は一人でブログを見た~♪”てなもんです。

4q.jpgYouTube

というわけで、いつも訪問とコメントを非常にありがたく思っています。感謝しております。
今回は皆さまに感謝御礼のスペシャルサンクス号でございます。お茶も出さずにすみません。


補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:「燻製のにしん(Red Herring)」は、人の注意を他へそらすもの、人を惑わすような情報。
 由来はキツネ狩りの猟犬に他の臭いとかぎ分けさせる訓練に燻製ニシンを用いたことから。
※2:根本地獄は地獄の中心、近辺地獄は根本地獄の周辺、孤独地獄は散在している地獄。

蛇足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あきふかし ブログをみたり にたりかな 
秋深い日は夜ふかしし、ふかし芋など食い、飽きもせずブログを見たりして、にたり笑うの意。
「隣は何をする人ぞ」の句に対抗し、いや、私の隣人は良きブロ友よ、が本意であります。(笑)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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いざ、そうなったとしたら?

普段は“一人きりの静寂さ”が好きなんですが、
実際、世界で一人きりになったとしたら、
長期間は耐えられないと思います。

外国行って、2週間ほど日本語を聞かなかったとき、
日本人に会っただけで嬉しくなって、
雑談にふけった思い出があります。(相手かまわず)

(。・?_?・。)ふむ……。
数か月の孤独が最も危険かも?
首をくくらずに1~2年生き延びたとしたら、
意外にも寿命が尽きるまで生きられるかも……です。

そんなことを真剣に考えると、
つくづく、人の存在は大切だと感じます。

高次の霊的な存在を疑わない私でも、
やはり人間は恋しい。
蝶は蝶同士、サナギの気持ちはサナギにしか
解らない部分が、確かにありますから‥‥。

>“一人のインディアンの少年が残された。彼は一人でブログを見た~♪”

これ、うま~い! (@^^)/~~~

2016/11/05(土) |URL|風子 [edit]

なるほど

バーソ様
おはよう御座います。

なるほど最後はそこに持っていったのですね。普段からの感謝の心をこのようにしたためる。
バーソ様でなければ出来ない手法ですね。
それも感心しましたがもっと感心したのは
YouTubeリンクにゲイリー・ムーアがあったことです。
彼は顔でギターを弾く代表選手でギター愛好家達にとっては憧れの存在です。

愛新覚羅

2016/11/05(土) |URL|aishinkakura [edit]

おはようございます。

十人のインディアンの少年が食事に出かけた
 一人がのどをつまらせて、九人になった

→病院で、回復し10人となった。

 九人のインディアンの少年が遅くまで起きていた
 一人が寝すごして、八人になった

→「寝坊してごめんね」と現れ10人となった。

 八人のインディアンの少年がデヴォンを旅していた
 一人がそこに残って、七人になった

→旅から帰り、10人となった。

 七人のインディアンの少年が薪を割っていた
 一人が自分を真っ二つに割って、六人になった

→分身して、11人となった。

 六人のインディアンの少年がハチの巣をいたずらしていた
 蜂が一人を刺して、五人になった

→点滴治療を受けて11人となった。

 五人のインディアンの少年が法律に夢中になった
 一人が大法院に入って、四人になった

→弁護士になって、10人を守る人になった。

 四人のインディアンの少年が海に出かけた
 一人が燻製のニシンに飲まれ、三人になった※1

→ニシン(黄色いダイヤ)から生まれて、100人になった。

 三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた
 大熊が一人を抱きしめ、二人になった

→大熊と仲良しになり、連れて帰って100人となった。

 二人のインディアンの少年が日向に座った
 一人が陽に焼かれて、一人になった

→真黒に日焼けして、素敵な仲間になった。

10人から100人と一匹の熊の仲間が増えた。

100人と一匹は、仲良く暮らし、嫁を得て、1000人と50匹となった。

孤独じゃありませんね~(●^o^●)


孤独の時間を愛する私ですが、人とのつながりがなければ空しいでしょうね。

孤独になれない状況の、贅沢な悩みでしょうか?

たとえ、一人でも心(魂)が通じ合えば、人は生きて行くことができるのではないでしょうか?

自身を封印(嘘をついて)して、つながるよりも不器用に生きて行くのもまた、人間らしいかも知れません。

自分を肯定して、生きることが一番です(●^o^●)






2016/11/05(土) |URL|Miyu [edit]

Re: いざ、そうなったとしたら?

風子さん コメントありがとうございます^^)
 都会の喧騒より自然の中の静寂がいいと言う人がいます。
 でも人間は社会的動物ですから、孤独状態がずーっと長く続くのも大変でしょう。
 もし自分の近辺が悪人だらけで社会が邪悪だらけだと感じたら、世捨て人になりたいと思うかもしれませんが、何か思索したり絵を描いたり本を書いたりの有意義な活動がないなら、そんな仙人のような隠遁生活はしたくないものです。俗人のままでいいです。
 
 ジャングルで何十年も独りで暮らした兵隊はすごいと感心するのですが、恥ずかしながらと言って帰ってきました。旧日本軍で教えられた愛国精神という信念は、これまたすごいものだと思います。信念というのは強いものですね。
 
> 蝶は蝶同士、サナギの気持ちはサナギにしか
解らない部分が、確かにありますから‥‥。

 そうなんでしょうね。天使が人間になる『ベルリン・天使の詩』という映画がありましたが、はだしの感触を味わうのも、手がかじかんだときに手をこすり合わせるのも、いい気持ちだとピーター・フォークの元天使が言ってました。
 
 肉体を持たない天使には知ることができない、人間だけの感覚があるのですね。ふだん私たちはあまりにも当たり前なので、そんなことは気づいていませんが。そういえば、日常の些細なことにも思いを集中する瞑想もありますね。

2016/11/05(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: なるほど

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
 長いあいだ狭い世界にいて、その後その世界からすっかり離れたせいで、いまは友人関係に縁がない生活になりました。
 なので今はネットで知り合えた人が友人です。ほとんどの人の顔さえ知らないのですが、波長が近い人ばかりで、気持ちがいい付き合いです。
 時々褒めてくださる方もいて、そういうときは普段はおいしいとあまり感じないごはんがおいしくなります。(笑) ありがとうございます。
 
> もっと感心したのは…ゲイリー・ムーアがあったことです。
彼は顔でギターを弾く代表選手でギター愛好家達にとっては憧れの存在です。
 
 そうでしたか。Wikipediaを見たら、日本でブレイクしたギタリストで、「マシンガンのようなピッキングによる速弾きから“ギタークレイジー”と形容されていたが、彼の魅力が最も発揮されるのはバラードにおける泣きのギターであろう」とありました。
 2013年ジャパンオールでは羽生結弦選手の演技に「パリの散歩道」が使われたそうですが、この曲は何回も聴いて特に出だしのメロディーが印象に残っています。
 このたびは他にも何曲か聴きましたが、音色に哀愁がありますね。

2016/11/05(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます。

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
 おおーッ、うまい。そうか、こういう視点があったか。うーん。残念。こんな話にすればよかった。
 さすが、気持ちの温かい人の発想は違いますね。感心して、うなりました。うーーーーーーーーーむ。(笑)
 
 特にうまいと思ったのは、
・「寝坊してごめんね」と現れ10人となった。
・分身して、11人となった。
・弁護士になって、10人を守る人になった。
・ニシン(黄色いダイヤ)から生まれて、100人になった。
 ※この連想、すごい。私ならニンシンとして、子供が増えたなんて駄洒落話にしそう。(笑)
 
・大熊と仲良しになり、連れて帰って100人となった。
・真黒に日焼けして、素敵な仲間になった。
・嫁を得て、1000人と50匹となった。
 
 なるほど~。“本当は温かい優しい童話”になりました。
 
 ただ「点滴治療を受けて11人となった」で、ひとり増えたのがちょっと分からなかったのですが、これは「病院で、回復し10人となった」と同様の話なんでしょうね。
 
> たとえ、一人でも心(魂)が通じ合えば、人は生きて行くことができるのではないでしょうか?
 自身を封印(嘘をついて)してつながるよりも、不器用に生きて行くのもまた人間らしいかも知れません。
自分を肯定して、生きることが一番です

 なるほど~。これもいいお言葉です。孤独になれない、精神の贅沢な人の言葉もいいもんですね~。

2016/11/05(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/11/05(土) || [edit]

解説

→分身して、11人となった以降は、11人ですよ。
一人が二人になったのです。

→点滴治療を受けて11人となった。
→弁護士になって、10人を守る人になった。 =11人

→ニシン(黄色いダイヤ)から生まれて、100人になった。 は、89人増えて100人です。

連続なのです(●^o^●)
Miyuワールドでした。

え?どうでもよい?
失礼いたしました。

2016/11/05(土) |URL|Miyu [edit]

Re: 解説

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
 解説をどーもありがとうございました。
 連続ワールドでしたか。
 なんせ足し算に弱いもので。
 10以上の計算は指の数が足りないので、勘定ができません。
 弁護士になった人も相変わらず数に入れるのですか。
 彼は偉くなっても昔の仲間を忘れない。義理堅いですね。
 
 しかしそれにしても分身の話はシュールですね。シュルレアリスムだ。シュレディンガーのネコの話だ。(笑)
 
 自分を封印するのは勘定がたまってしまうので、あとの支払いが大変ですね。おっと、勘定じゃなく、感情でした。

2016/11/05(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/11/05(土) || [edit]

アガサ・クリスティ自身も一度いなくなっています。
夫の浮気を知りクルマに乘ったまま家出をし10日間
も田舎のホテルに隠れていたことがあります。
「アガサもいなくなった」と話題になりました。
ほんと、ネットがあれば孤独にも耐えられそうです。
世界中行きたいところに行けるし、友人もすぐそばに
いるし。
バーソさんと知り合ってもうすぐ4年になるのに
名前も住いも顔も知らない・・・、これも友人の一つの
新しい形で気に入っています。

2016/11/05(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 はい、ドラッグしたら悲しくなりましたか。そうでしょう。
 ドラッグだけはしないようにと母親から遺言で言い残された男性がいるようですよ。(笑)
 
 最後に残った少年に異星の異性が下りてきて結婚して幸せになる、となれば天国のようないい話になります。私はどちらかといえば、威勢のいい女性より、おとなし系のほうが好みですが、でもおしゃべりもいいですね、と勝手なことを言います。(註:威勢は駄洒落です)

 朝はいつも蒸かし芋の輪切りを食べています。おなかにいいみたいですよ。サツマイモがないときはジャガイモにしています。ニンジンと一緒に蒸かしていますが、甘くておいしいですね。焼き芋のほうが好きですが、家庭ではつくるのが難しそうです。峠の釜めしを買うと釜がついてくるので、あれで焼き芋が出来ないかと思うのですが…。なんせ、何でももったいないと思うタチでして。

2016/11/06(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 アガサ自身も、そしていなくなったことがあるのですか。10日間ならボブ・ディランより長くないですか。ボブは姿を現したとき、賞を光栄ですと言ったそうで、ちょっと驚きました。 
 アガサは聖書とシェイクスピアの次によく読まれているそうですが、私は昔、1冊読んだだけ。ポアロはテレビで観た映画で知っている程度ですが、映画はあまり面白いと感じたことがないですね。
 
 エリアンダーさんとはもう4年になりますか。リンク先を見てみたのですが、たぶん最古の友ではないかと思います。
 お互いにジョーク(私のほうは駄洒落オンリー)を言い合える仲で、文芸から科学までの幅広い知識があるのが学びになり、そして非常に包容力があるのが私には有難く、気に入っている次第ですが、これからもちょっとだけなら浮気をしても許しますゆえ、変わらず長いお付き合いをお願いしますよ。(笑)
 
 面白いもので、大体の年齢は見当がつくのですが、顔や外見のほうは全然わかりません。
 しかしイメージとしては、体形スリムで見た目は青年タイプで知的な中年で髪は長めで目は優し気なイイ男だろうと思っているのですが…。そしてちなみに、これは私に対して抱いてほしいイメージでもあるのですが。(笑)

2016/11/06(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

人間、二人いれば諍いを起こす

十人のインディアンの少年が住んでいた
 一人が飢えて九人になった
九人のインディアンの少年が食料を探した
 一人が病気にかかって八人になった
八人のインディアンの少年が薬を求めた
 一人が凍えて七人になった
七人のインディアンの少年が薪を割った
 一人が怪我をして六人になった
六人のインディアンの少年が道具を作った
 一人が事故を起こして五人になった
五人のインディアンの少年が役割を分担した
 一人が不満を漏らし四人になった
四人のインディアンの少年が決まりを作った
 一人が裁かれて三人になった
三人のインディアンの少年が力を合わせた
 一人が責められて二人になった
二人のインディアンの少年が生きていた
 一人が一人を刺して一人になった
一人のインディアンの少年がいた
 彼は身を投げ誰も消えた

 それは兎も角。
 ロンサムジョージですな。探せども探せども仲間は何処にも居らず。言葉も歌も、文章はもちろん、恋愛、友愛、そんなものは総て必要の無いものとなります。
 必要なのは食料と雨風を凌ぐ棲家、そして服でしょうか。でもそうして保った命も何れ尽きるときが来る訳で、その先に託すべき人も無い。何を残しても残る事に意味が無い。となれば生きていること事態が無意味になる訳です。二百年生きると言われるゾウガメのジョージが百歳位で死んでしまったのも判る気がします。
 仲間達と楽しく駆け回った場所。その場所が消えるのも辛い事ですが、その場所だけが残り、誰もいない中で思い出のみを頼りにただ一人さまようというのは何とも耐え難い寂しさがありますな。

2016/11/06(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 人間、二人いれば諍いを起こす

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 おや、miss.keyさんも時間を掛けて考えてくださり、有難いことです。こちらは仕事中の事故が多く、仲間割れもあって、少々受け狙いの気配が無きにしもあらずですが、自身の体験をベースにしてネガティブ方向に振ったハードボイルド編。ちょっとmiss.keyさんらしいと言えば、らしいですね。
 
 ロンサム・ジョージ。ガラパゴス的存在。しかしカメというのは独りで遊泳していて、何が楽しみで生きているのか。本能の欲に従っていて、それを楽しんでいるのでしょうか。あんまり物事を悩んだりしないで、何でもカメへんよとか言って達観しているような気もします。
 
> 何を残しても残る事に意味が無い。となれば生きていること事態が無意味になる訳です。 
 それは、いわゆる短絡的な見方というもんじゃござんせんかね。ほら、メダカだってオケラだってミミズだって、みんな生きているのが楽しいんだと歌ってますよ。ジョージは、何でもよろしゅう万ねんとでも思えば、千年で死ぬことはなかったかもしれません。
  
 歳歳年年人同じからず。されど、ねんねんころりよおころりよと歌われて、成長したら女にころりとまいってしまい、あるいはころりとだまされ、ころりころげた木の根っこ~などと愉快に歌って、最期ピンピンコロリと逝くのもまたよろしからずや、じゃないですかね。
 人生はいつも前向き前向き。手を鋤に掛けてから、うしろを振り返ってはいけないとイエスが言ってました。

2016/11/06(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「孤独地獄」怖い言葉です。
リアルの友だちは放っておいてもいずれどこかでつながることができますが、ブログの友だちはどちらかが訪問しなくなれば終わり。ブロ友同士はあちらこちらでつながっているのに、わざわざ訪問するという一手間がどうしても必要です。
訪問していただけない期間が長くなると、ああ、自分は先様の好みではなかったのだと、さとるわけです。
あな寂し。
喧嘩しても嫌いになっても、リアルな関係の方がいいな、と思う反面、リアルには口に出せないことを吐き出すことのできるブログは貴重な場であり、お付き合い下さる方は希少で貴重で奇特な方だと、思い至るわけです。
その吐き出した言葉によって先様が遠のくこともあるわけですが・・。

2016/11/07(月) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
 リアルの友だちは、例えば学友とか同僚とか趣味の友であれば、相手が何か意見を述べたとき、いや、それは違うじゃん、だって、こうこうじゃない?と気軽に言って、それで別にケンカにもならないのですが、ブログだとそれでおしまいになることがありますね。
 そうなりやすいのは、相手の表情が見えないせいや普段の人柄を知らないせいもありますが、コメントの短い文章ではどうしても言葉足らずや解釈間違いがあり、言葉の持つ意味だけがダイレクトに伝わってくるせいもありそうです。
 
 でもコメントはとても励みになりますね。気持ちが伝わっている人がいると感じ、関心を寄せてくださる方がいると思えるだけで非常にうれしくなります。大変有難いことです。
 
 私の書くコメントは、ひと様を笑わせようという動機で冗談めいた文章になる場合が多いのですが、ひとによっては、呆れたり、からかわれたと思って怒ることがあるようです。でも反省と改善はあまりしていませんが。(笑) あ、おばかさんの話は歌謡曲の歌詞だとよく気づいてくださいました。
 
 毎回訪問してくださる方の中には、私の記事を見て、こういう話題は苦手だと言う人や、コメントを書くのに困っているように思える人がたまにいます。そういう場合は、こちらから訪問してコメントを書くと相手の方にプレッシャーになると思って意図的に訪問しないようにすることがありますね。
 
 別に好みが違っているわけじゃないのですが、私のために相手に不要な気を使わせるのが嫌なので、そうします。でもじつはRSSリーダーで更新記事は見ていることもあるのです。
 (RSSリーダーはlivedwango readerを使っていますが、更新記事がすぐわかるのと、文字と写真が大きく白地に表示されるので、見やすくていいですよ)
 
 だからコメントは書きたいときだけに書いてくださると助かります。私もそうしています。リンクもそうです。こちらからリンクを張ってもいいですかと断ると、相互リンクを張らなければいけないと相手にプレッシャーになってはいけないと思うので、勝手に張っています。本当は失礼になるのでしょうが。
 
> お付き合い下さる方は希少で貴重で奇特な方だと、思い至るわけです。
 そうですね。広い世間で拙ブログを見に来てくださる方なんて、ほんとに希少で貴重で奇特です。私の奥さんだって、ひと様のブログは熱心に見ているのに、私の記事は見ようともしませんから。
 
 なので、たまたまネットで知り合って言葉を交わす。そして何年もそういう関係が続く。それって偶然を通り越して、運命の導きによる必然に近い出遭いのように感じます。
 何かで一度縁が切れたとしても、またつながるなら、逢瀬がなく、袖すり合わせずとも、かなり縁(えにし)とかいうものが強そうですね。

2016/11/07(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

孤独にさいなまれたことは
まだないように思うので
実際はわかりません。
でも、独居老人を見ると
「寂しさ」を感じます。
直接、きいたことはありませんが。

私の体験では
別れはその都度、せつなくさびしくなるように
思います。

遠くに住む娘に会って別れるとき寂しいなと思う。

私もブログ友達がいることは
なにより心を救ってくれます。

※クリスティの小説、誰もいなくなるということが怖かったです。

2016/11/07(月) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> でも、独居老人を見ると「寂しさ」を感じます。
 そうですか。なるほどね。身寄りがない人はさみしいでしょうね。でも介護や援助を受けていれば、誰か彼かが自宅に来ているわけで、そういう意味では何も世話などされてない中高年よりもいいとも言えそうです。

 「やもめの2レプタ」という聖書の話を思い出しました。レプタというのは今風に言えば、50円硬貨か百円硬貨のことです。
 その話のやもめは、それが全財産でしたが、全部献金箱に入れたというのでイエスから褒められています。それで、自分が不幸だと感じているときは他者にふんだんに愛を示せばいい、そうすれば自分の気持ちもいいし、神からも愛されるという話にキリスト教ではなっています。
 孤独とか不幸という気持ちは、自分に過度に思いが行っていて、自分を憐れんでいる状態とも言えます。なので他者に親切をしたり気遣うことをしていれば、思いが良い方向に行き、そういう愛の気持ちで自分の心を満たしていれば、おのずと幸福感に満たされるというわけです。
 たとえ知り合いが大勢いても、誰とも気持ちが通わなければ孤独感を感じるのですね。気持ちを通わせることが大事ということなんでしょう。
  なので孤独かどうかというのは、友人が多い少ないの話というよりは、自分のほうからどれだけ友人をつくってきたかどうかという話になるかもしれません。
  
  森須さんは孤独にさいなまれたことがないというのは、気持ちを通わせる知り合いが多いということでしょう。ブログも友だちが多いようで、よかったですね。

2016/11/07(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

孤独と言えば

アメリカだったと思います。
ある婦人が、眠る事が出来ない体質になり、何十年も眠らなかったとか。
人間は眠らなくても生きていられるのかと驚いたものです。
TV局が24時間密着取材をしたようですが、本当に眠っていなかったみたいです。
その人が、あるとき突然、眠る事が出来て、
「眠ったら、孤独ではなくなった。眠れなかったときは、ずうっと孤独を感じていた」
と言いました。
本当か嘘か分からない話ですが、人間は、眠ると孤独から解放されるというのは、不思議に納得できるような気がします。

2016/11/08(火) |URL|しのぶもじずり [edit]

Re: 孤独と言えば

しのぶもじずりさん コメントありがとうございます^^)
 何十年も眠らないと聞くと、何十年も食事を摂らないとか、百年以上も遺体が腐らないとかという、ラテンアメリカの国々によくありそうな話ですが、アメリカの話でしたか。
 
 長期間眠らない場合は、記憶障害とか幻覚症状などの精神混乱が起きることが多いようなんですが、その女性の場合は大丈夫だったみたいですね。

> 人間は、眠ると孤独から解放されるというのは、不思議に納得できるような気がします。
 そうですか。面白いですね。眠れたら孤独感から解放されたというのは、やっと世間の人と同じになれた、人並みになれた、みんなと一緒だ、安心できた、ということなんでしょうかね。眠らないでも問題なく生きていけるなら、そのほうが便利だとも言えそうですが。
 
 眠りというのは不思議なもので、医学的には身体の休息だと言われていますが、いや、魂の休息だという話もあります。
 人生の三分の一は睡眠。胡蝶の夢の話を思うと、寝ている時が真実である可能性もあるのですが。

2016/11/08(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

二人デ居タレドマダ淋シ、
一人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
ジンジツ一人ハ堪(た)ヘガタシ。
―― 他ト我、北原白秋

真実の孤独は、
ぴったりと分かり合える二人に、
訪れるのではないかな。
分かり合える基準が、
限界まで上がってしまったなら。
ほかの誰かとは、
分かり合えないことを、
知ってしまったなら。

一人デ居タレドマダ淋シ、
二人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ一人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
ジンジツ二人ハ堪(た)ヘガタシ。

誰かがいなくなるということは、
死ぬということは、
僕に、二人でいることの、
孤独の意味を教えて、
いなくなることで、
僕に、一人でいることの、
孤独を与えることにほかならない。
孤独は反対語は、

孤独です。

2016/11/08(火) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
 さすがだ。すごい。甘い味がしそうだ。
飲んだら、苦い。うーーむ。もう一杯。(笑)
 よくもまあ、思考をこねくり回して、独自そうな論理をひとつ作り出せるものだと感心します。私の頭ではちょっとついていけません。
 
> ぴったりと分かり合える(中略)
誰かがいなくなるということは、
死ぬということは、
僕に、二人でいることの、
孤独の意味を教えて、
いなくなることで、
僕に、一人でいることの、
孤独を与えることにほかならない。
孤独は反対語は、
孤独です。
 
 そうですか。こんなことを思いました。
 この文章の僕という人は、相当に淋しがり屋のようだ。
 相当に人恋しい人のようだ。
 自分と分かり合える人だけが真実の友だと思っている。
 そう思えるワケは次の通り。
> 真実の孤独は、
ぴったりと分かり合える二人に、
訪れるのではないかな。

 分かり合える人がたった一人しかいない。これは、ある意味、領域が狭い人なのではないかな。
 いやいや、そういうことよりも、自分のことを強烈に好きなひとなのだろう。
 自分自身が好きでたまらないから、いなくなれば孤独の遣る瀬なさを自分に教えてくれることになるであろう誰かのことを考えている。
 つまりは、その誰かがいなくなったあと堪えがたくなるであろう自分のことを考えている。
 とすれば、この人の思いにあるものは、つまりは自己愛ではないか。
 自己愛も孤独も、自分の中だけで完結できるものだ。
 自己愛のほうは愛に満ちている。
 孤独のほうは不安に満ちている。
 と考えれば、「孤独」の反対語は「自己愛」である。
 
 そしてそれは視点を変えた同義語でもある。
 と無理矢理こねくり回して、ちらと考えましたが、どうでしょう。

2016/11/09(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>自分と分かり合える人だけが真実の友だと思っている。
はい、僕には、分かり合えない人は無理です。
分かり合えない人を「真実の友」とするには、
「真実の友」の定義を変えるほかはありません。
逆に言えば、定義を変えればいいだけの話になりますが、
定義づけられた人だけを「真実の友」だと思うことからは出られません。
思考が始まるのはそこからです。
だから結論が出せなくなります。

>分かり合える人がたった一人しかいない。
一人に限定することでもなくて、
単位を個人としたときの、
他ト我、つまり最小の関係としての二人です。
例えば、僕には子供が二人いて、
同じ時間を過ごすことによって、
それぞれの子供によって変えられた自分がいます。
領域が狭い人と言われれば返す言葉がありませんが、
意見の違う相手に、レッテル張りや人格攻撃は困ります。
僕が身をもって感じるのは、その程度のことで、
狭かろうが、小さかろうが、閉じていようが、
僕がリアルに感じる僕の出来事は、
誰にも譲り渡せないだけですよ♪

>いやいや、そういうことよりも、自分のことを強烈に好きなひとなのだろう。
はははw、僕の自己肯定感を他人から量ってもらうとは。

>つまりは、その誰かがいなくなったあと堪えがたくなるであろう自分のことを考えている。
>とすれば、この人の思いにあるものは、つまりは自己愛ではないか。
はい、そうかもしれません。
自己愛、というか自分のことしか考えられない、に寄っていきそうですが、
もちろん、僕は、その視点も持たなければならない。
というか、持ってますよ、
まともな大人なら、みんな。
持っているから考える。
思考が始まるのはそこからです。
だから結論が出せなくなります。

2016/11/10(木) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
 あらー、申し訳なかったですね。すみません。
 青梗菜さんの論理が白秋まで引用してずいぶん考えたようで(案外そうでなかったかもしれないですが)面白かったので、私も無理矢理ひとつの反論を作り上げたつもりなんですね。
 
 「こねくり回して」という言い方も、面白がらせようとして書いています。だからそのあとで「感心します」とか「私にはついていけないない」と書いて褒めて、カバーしているのです。
 「苦い。うーむ、もう一杯」というのも、以前、青汁のコマーシャルで面白かったので、それを拝借しただけ。CMでもじつは誉め言葉でしたが、同様に褒めているつもりです。
 
> >分かり合える人がたった一人しかいない。 
 この書き方は、言葉通り受け取れば失礼な言い方ですが、こう書いているということは、逆に論理の遊びだと気づいてもらえると思っていたのですがね。
 だって、青梗菜さんに分かり合える人がたった一人しかいないはずがないじゃないですか。そんなこと、あり得ません。大体、ブログのコメント欄を見ても、熱烈なと言えるほどのファンが複数います。大阪に行って会いたいと言う人、面白くてしょうがないと言う人、他にも毎回熱心に意見を書き込んでくる人がいます。そして当然ながら、他にもいるでしょう。
  
 以前に何回か言ったことがあると思いますが、私には青梗菜さんの思考にはついていけないときが多々あり、特にコメント欄での他の方と会話を見ると、熟語や用語の意味が分からないときがあります。
 なので今回の返コメは必死に頭を使って論理をこね回して無理矢理つくりだしたようなもので、それはわかってもらえるだろうと思って安心していたのですがね。
 
 というのも、青梗菜さんも著名な北原白秋の詩にあえて異論(?)を考えて、独自の考えを発想しているわけでしょう。私も同様にあえて青梗菜さんに異論を書いているのですよ。だから、面白がって、私としては無い頭を絞って、無理して調子を合わせて書いたつもりですのでね。どうぞご機嫌を直してくださるようお願いしますよ。
 
 それから「自己愛」は、私は否定していません。それどころか推奨しています。私だってそうです。それでいいと思っています。なので、そういう記事は今まで何本か書いています。自己を愛せるから他者を愛せるとイエスも言っていますし、それは当たり前のことです。
 だから、けなすつもりで書いているのではなく、あえてそう書くことで強引に結論に持っていているだけなんですね。

 それから、「孤独」の反対は「自己愛」というのは、そこに持っていく論理の積み上げ方は良くなかったかもしれないですが、結論としては、まあまあだと思っているのですがね。これが言いたくて無理矢理、話を引っ張っていったのですよ。
 
 なので個人攻撃をしたつもりもするつもりもないのですが、そう受け取られたなら良くないことで、深くおわびします。
 私は冗談やジョークが好きなもので、駄洒落嫌いな人と分かっているのに、冗談気味に書いたのは私の頭の悪さなんでしょう。申し訳なかったです。そういえば以前も同じようなことがあり、迷惑を掛けましたね。失礼しました。
  
 じつはね、書いてからちょっと心配になって、最初の返信コメントを一部あとで修正しているのですよ。最後にひとこと付け加え、以下のように直しています。

 
 と無理矢理こねくり回して、ちらと考えましたが、どうでしょう。
 
 ここで、「無理矢理こねくり回して(あ、青梗菜さんの場合は無理矢理じゃなかったかもしれないですが)」という言葉を挿入しました。これを入れた理由は、いま説明したとおりです。
 
 ちなみに「ちらと」というのは頭の片隅によぎったというぐらいの意味ですのでね。まっとうに正面から考えた論理ではないですよと補足したつもりなんですが、これも言葉が足りなかったようです。

 以上、おわびの言葉です。本当にすみませんでしたね。
 
 -------------------------------
 
 なお、またひとつ余計なことを言いたくなりました。
 私はどうも青梗菜さんの文章を読むと、悪い頭が刺激されてあれこれ考えてしまうことがあります。こういうときにナンですが、またこの言葉にも少しばかり反応してしまいましたよ。反応したというのは、私は違う意見を感じたという意味です。
  
> >自分と分かり合える人だけが真実の友だと思っている。
はい、僕には、分かり合えない人は無理です。
 
 それでもむろんいいのですが、例えば、緊急時に自分の命を投げ出してまでして、こちらの命を救ってくれる友人がいたら、その人とはちょっと分かり合えない仲であっても、真実の友と言えるのじゃないかと、ちらと考えがよぎりました。
 そこまで行かなくても、いつも好意的で困ったときに親切に助けてくれる人がいれば、その人も真実の友と言えないか。
 あるいは自分が何かの大きな計画を始めたときに、それは失敗するからやめたほうがいいと、嫌われるのを分かっていて、なお真剣に反対してくれる人がいれば、その人も真実の友じゃないかと思ったのですがね、どうでしょう。
 聖書には、真実の友は困ったときに分かるという聖句があったと思いますし。
 以上の「真実の友」の事例も例えばの話であって、実際にそんな人はなかなかいませんし、私にもいません。ただ考えをちらと巡らしてみただけの程度の話です。むろん定義が違えば話は変わってきます。
 
 だから青梗菜さんがそうじゃないのなら、それでも別にいいのです。どう考えようと自由なのですから。特に反対するつもりはありません。ただ、どうも青梗菜さんの話はいつも個性的で面白いので、私もつい刺激されて、あえて反論めいたことを言いたくなるのですね。私の性格にも困ったもんです。(笑)
 
 繰り返しますが、このたびは論理遊びをされたと思ったので、その返しの論理遊びをしただけ、のつもりですからね。個人の人格攻撃などしてないですからね。ただ「僕」という事例を使っているかのようにして論理を進めたのは良くなかったですね。これでは勘違いされますね。

 このところ更新の頻度が多く、好調のようで、何よりです。
 毎回、論理の展開がすごくて、私にはちょっとコメントしにくいことが多いのですが、どうぞご勘弁をお願いしますね。
 いつも拙文にコメントをありがとうございます。

2016/11/10(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

いえいえ、バーソさん、
いまさら言わずもがな、ですけど、
全然いいのです。
僕が、失礼ながら、傲慢な言い方になりますけど、
こいつはダメだ、と思った人なら、
コメ欄に書き込んだりしませんから。
頭の悪い人をやり込めようと思えば、
失礼ながら、傲慢な言い方になりますけど、
これだけたくさんのブログがありますから、
相手にはこと欠きません。

>私はどうも青梗菜さんの文章を読むと、悪い頭が刺激されてあれこれ考えてしまうことがあります。こういうときにナンですが、またこの言葉にも少しばかり反応してしまいましたよ。反応したというのは、私は違う意見を感じたという意味です。
はははw、それは僕も同じですw。
僕も、悪い頭が刺激されます。
ここでの悪い頭というのは、
よくある意見や、ふつうの考えから外れた、
自分の考え、って言い換えてもいいと思います。
バーソさんも僕も、当たりまえなことは、
お互い書かなくてもいいくらいの常識はありますから、たぶんw。
どっちも馬鹿だねぇ、って眺めている人たちがいると思いますw。
どっちでもええやん、て。
でもね、「バーソは自由に」は、
いいね、ばかりもらって自己満足しているようなレベルではありません。
僕のコメントは、その承認だと思ってください!
ご迷惑でなければw。

2016/11/10(木) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
 おお、よかった。
 さらりと、うまく書いていただき、感心すると共に、安心もしました。
 これで安眠できそうです。
 
 水心あれば魚心あり。
 愚心あれば苦心もあり。
 好奇心あれば向上心も克己心も羞恥心もあり。
 以心伝心。今後とも精進をしていくつもりですので、
 叱咤激励のほど、否、叱咤のほうは少なめにお願いしますよ。(笑)

2016/11/10(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

お久しぶりです^^
バーソさんのブログは、いつもテーマ設定も興味深く、しばしばコメント欄も拝読しております。お世辞ではないです(笑)
なかなかコメントを差し上げられず、いつも読み逃げで、すみません。
去年からあまり上手く時間の配分ができなくなってしまい、拙ブログのコメント欄も、お休みのままになってしまっています。
ブログ自体やめようかと思ったことも何度かありましたが、何とか続けていく方向で(笑)

私はどちらかと言うと、一人でいる時はいいのですが、複数の人たちといて、どうも自分だけ違うタイプの人間らしいと感じる時が寂しいです。
といっても、本当に一人きりになったら、分かりませんね。誰でも良いから、人に会いたいと思うものかもしれません(笑)

ブログは楽しいし、「ブロ友さん」という存在についても、いろいろ考えます。
ブログでは、普段の付き合いでは聞けないような、個人的な考えに接することができて良いと思います。
それで、バーソさんのブログは楽しみに読ませて頂いています。

「ブロ友さん」という存在は、頻繁にコメントのやりとりをしていても、ブログをやめた途端に、跡形もなく消えてしまうことがありますでしょう?
ブログ自体を消去して、いなくなってしまう方もいらっしゃるので。
そういう時、通常の人間関係と違うなぁと、つくづく思ってしまいます。

2016/11/15(火) |URL|airane [edit]

Re: タイトルなし

airaneさん コメントありがとうございます^^)
 よく感想とお褒めの言葉まで書いてくださいました。お気遣いをありがとうございます。うれしいです。
 
> 複数の人たちといて、どうも自分だけ違うタイプの人間らしいと感じる時が寂しいです。 
 そうですか。それはairaneさんさんの精神と感覚が、他の人とは違っているからではないですか。お世辞ではなく、そう思いますね。
 
> ブログ自体を消去して、いなくなってしまう方もいらっしゃるので。
そういう時、通常の人間関係と違うなぁと、つくづく思ってしまいます。

 そうですね。祇園精舎の話と似ていて、世の無常を見るようでもありますね。この人生ではいろんな出会いといろんな付き合い方があって、深いのもあれば、浅いのもあり、長いのもあり、一時的な場合もあります。
 でも、それぞれが壮大な一枚のタペストリーの中に、いろいろな糸として、それこそスリルとサスペンス映画のように微妙にうまく織りなされているようにも思えます。これも人生の興趣のようにも感じます。
 
 私は人との付き合い方がうまくないほうなので、ブロ友はありがたい存在ですね。いろいろ教えられることが多く、それもありがたいことだと思っています。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

2016/11/15(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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