「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 名を揚げるか実を取るか、という平凡な話だが。 

ひと旗揚げるとは、成功を目指して新しい事業を始めるということである。
ひと花咲かせるとは、成功して一時でいいから栄えたいということである。
ひと角の人物になるとは、ある方面で優秀な存在になるということである。

この「ひと(一)」には、自分もひとつ名を揚げてやるぞ、という意欲と願望が表れている。

donna.jpg
ラファエロ『システィーナの聖母』の下に描かれた二人の天使(1513-1514年頃)

それにしても、人は一体なんのために名を揚げたいのだろうか。
小説家が、その理由を幾つか挙げている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人が名を揚げたい理由。その動機の根底には何があるのか。

永井荷風『西瓜』
もしもわたくしに児があって、それが検事となり警官となって、人の
罪をあばいて世に名を揚げるような事があったとしたら、わたくしは
どんな心持になるであろう。わたくしは老後に児孫のない事を以て、
しみじみつくづく多幸であると思わなければならない。


夏目漱石『彼岸過迄』
母は昔堅気の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たる
ものの第一の務だというような考えを、何より先に抱いている。しかし
彼女の家名を揚げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の
意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。


higan.jpg

河口俊彦『人生の棋譜 この一局』
名を上げた天才達は皆「俺は将棋を指すために生まれて来たのだ」の
思いを持っている。人生が将棋と深く関り合っているのである。


服部まゆみ『一八八八 切り裂きジャック』
名を上げるということは 人の口の端にも度々上がるということなのか。

上村松園『芸術三昧即信仰』
「画を描くことによって画名を揚げて さて何になるのだろう」

吉川英治『雲霧閻魔帳』
「人間、五十年、贅沢をして、食って過ぎるだけなら、何も盗ッ人なんて、
短気な世渡りをするにゃ当たらねえぜ。早い話が俺の師匠みたいに、絵を
描いても、堂島で米相場をやっても、そんなことあ、出来ら」
「ふん…大きに。だが、それじゃ一体、俺ッちは、何をしたらいいんだい?」
「だから、名を揚げることだ」
「名を売るだけなら、大泥棒になりさえすれや、嫌でも名が出る。
石川五右衛門でも、児雷也でも」


吉川英治『宮本武蔵』
彼の慢心は、野望に満ちていた。その彼に禄の望みがないわけもなく、
自分の力で能(あた)う限りの名声も、又 立身も望んでいた。
 さもなくて、何で、苦しい修行などやる必要があろう。立身の為だ、
名を揚げる為だ、故郷へ錦を飾る為だ、そのほか人間と生まれた効(かい)
をあらゆる点で満足させる為だ。


saskaki.jpg
井上雄彦『バガボンド』の中の佐々木小次郎※1

名を揚げること、名を残すことは、自己完結できず、世間の評価があって初めて成立する。
社会に認められたいという意識の深層には、“明日は死ぬのだから”という刹那感がある。
人生は短く、技芸は長い。できれば名を揚げたいと思うのは無理からぬことかもしれない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
力ある人は、名を揚げるため、巨大な建造物を作りたがる。

旧約聖書『創世記 11章1-4節』
さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
その頃、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、
そこに定住した。
彼らは互いに言った。「さあ、レンガを作ってよく焼こう」
彼らは石の代わりにレンガを用い、漆喰の代わりに瀝青※2を用いた。
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、我々は町を建て、頂が天に
届く塔を建て、名をあげよう。我々が全地に散らされるといけないから」


神は、ノアの大洪水後に増えた人々に、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と命令していた。
だが人々は、見知らぬ土地に散って行くのを嫌がり、住みやすい平地に都市を作った。

彼らは当時すでに、天にも届こうかという塔を建てられるほどの建築技術を持っていた。
経済的にも自信があり、ジッグラット(巨大聖塔)を造ることで存在感を示そうと考えた。
巨額の金が掛かってもいい、それよりも名を揚げよう、レガシーを残そうと思ったのだ。

都市形態は美しい自然を破壊し、闘争を助長し、人間の精神性を破壊することがある。※3
聖書の神は、自分たちの益のことしか考えてない、人間の傲慢な生き方を不快に思った。
そこで、人々の言語を混乱(バベル)させ、意思疎通ができないようにさせ、高さも費用も
不条理に高すぎる巨大な塔の建設計画をやめさせた―――というのが聖書の記述である。

birs-i-nimrud-tower-of-babel.jpg出典
(有名なバベルの塔も、どれが真正か不明。今では廃墟が幾つか残っているだけ)

国家の繁栄は巨大な構造物に表れる。ピラミッドや万里の長城、摩天楼などがそうだが、
国家の名を揚げることが目標であるオリンピックも、その中に含められるかもしれない。

だが河川の堤防補強や保育園の拡充など、もっと必須不可欠な建設が身近にあるはずだ。
台風や豪雨は年中行事のように起きている。子がいて働く女性は、今もこれからもいる。

予算を使うときは、差し当たって必要な所から、適切に、有効に、大事に使ってほしい。
みんなの税金は、一部のひと用ではなく、みんなの幸せ度を上げるために使ってほしい。
五輪を行なうにしても、利権を貪り、金を湯水のように使うのはやめてほしいものです。


補―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:井上雄彦(1967生まれ・40歳)は鹿児島県出身。日本の少年漫画・青年漫画を描く。
1988年、手塚賞入選『楓パープル』でデビュー。1990年連載開始の『SLAM DUNK』は
日本のバスケットボールブームの火付け役となる。1998年からは宮本武蔵を題材にした
『バガボンド』、1999年からは車椅子バスケットボールを題材にした『リアル』を連載。
文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞などを受賞。
※2:瀝青とは石油の蒸留残留物アスファルトのことで、接着・防水・防腐作用がある。
※3:エンリケ・バリオス『アミ 小さな宇宙人』⇒都市というのは、先史時代的な生活
共同形態だからね。都市形態というのはたくさんの欠点があるんだよ。その一つとして、
一か所にあまりにも多くの人々が集中するために生じる精神の異常によって、人々にも
地球にも悪影響を与えることがある。なぜなら人々は幸せじゃないから、それを地球が
知覚する。人々には自然や空間が必要なんだ。花や木や庭が……。地球の起こすことは
人々に影響を与えるし、反対に人々のすることは地球に影響を与えるんだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(y^ω^)yバベルの塔

(y^ω^)y バベルの塔の話、逆に読むと、みんなで力を合わせて、言葉(きもち)を一つに出来れば、出来ない事は無い。って読めません~☆

(y^ω^)y 名をあげたい、何をして、が重要ですかね~☆

2016/10/15(土) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

名をあげる

バーソ様
おはよう御座います。

名をあげるということは自分がこの世に生きた証が欲しいということなのでしょうね。
私はそう思います。そして今からでも名をあげたいと思っています。(無理ですが)

愛新覚羅

2016/10/15(土) |URL|aishinkakura [edit]

レガシーよりも今を大切に

いつも思慮深いお話を投げかけて頂いて感謝しております・・

名を揚げるか実を取るか、という平凡な話だが・・

朝っぱらからなんと非凡なメッセージでしょう(笑)

人の生き方なんぞ千差万別、名を上げるのもよし、実を取るのもよし、ただそれも生きていればこその話、今、おまけの人生を過ごしているおいら、日々名を求め、実を求め奔走してきた若き日のあの高まりを今顧みればとても泥臭く滑稽だったと思います。
でもね、それって結構楽しい思い出なんですよ、人間幾つになっても夢見ることを忘れちゃだめだと思います、名を揚げるか実を取るか、そんな事を真剣に考えてもみたあの頃、今仙人になるべく修行を重ねるおいらにとってはもうどうでも良いことなんですが、一つ欲を申せばそんな事を悩んでいたあの日にもう一度戻りたい、でもそれは叶わぬ夢、なので、せめて今日一日は 名を揚げるか実を取るか、という平凡なお話を原点に立ち返りまして考察してみたいと思います、幸い今日はゴルフがお休みなもんで・・

2016/10/15(土) |URL|ばく [edit]

ふ~む……深い話です

自らの人生を振り返ると……
ひと旗、
ひと花、
ひと角ともに、大志を持ったことはなかったです。

それでも“なりたい自分”というのはあって、
職業や、生活水準を基本に、余力(物心ともに)があれば、
趣味を楽しみたいと思いながら生きてきた気がします。

そもそも自己顕示欲ってのは、なかったですねぇ。
ですが、その道の専門家(アスリート、芸術家、科学者など)ともなると、
てっぺんを目指したいと思うのは、健全で自然な感情だと思います。

巨大な構造物を含め、オリンピックや万博も、
発祥時の意図から逸脱して、魑魅魍魎の思惑合戦。
今では金、権力、権威の象徴になってますものねぇ。

エンリケ・バリオス『小さな宇宙人』などの影響を受けたのでしょうか? 
それとも意識の振り子運動?
今、世界中に小さなコミュニティが誕生しているようですね。

いずれにしても人類が金、権力、権威にしがみついてる間、
巨大建造物は増える一方でしょうから、
この時代は言葉を乱して意思疎通を奪うのではなく、
まずは言語の統一のため、人が再びテレパシーを使えるよう、
神に操作をお願いしたいものです。 ( ^^)人(^^ )




2016/10/15(土) |URL|風子 [edit]

Re: (y^ω^)yバベルの塔

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
> バベルの塔の話、逆に読むと、みんなで力を合わせて、言葉(きもち)を一つに出来れば、出来ない事は無い。って読めません~☆
 物事に肯定的な面を見る、という発想ですね。その通りだと思います。当時の人々は、言葉が一種類で、考え方も一つだった。その考え方がよくなかったので、だから神は言葉を乱したという話ですから。
 今の世界もエスペラントのような一つだけの言語になれば、多少は意思疎通がしやすくなるのかもしれないですね。

> 名をあげたい、何をして、が重要ですかね~☆
 そうですね。彼らが高い塔を建てようとした動機は、「全地に散らされるといけないから」、つまり神の意志よりも自分たちの意志のほうを優先したということ。そして「名を揚げよう」とは、つまり自信過剰になって神を忘れたということです。
 聖書は、人間が傲慢尊大になることを非常に嫌うのですね。謙遜で従順であることはいいことですが、しかし人が謙遜で従順であれば権力者は人民を治めやすいという一面もありそうです。

2016/10/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 名をあげる

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 名をあげるということは自分がこの世に生きた証が欲しいということなのでしょうね。
 そうだろうと思います。人生は短くて、あっという間に過ぎますから。子を産む理由も、自分が生きた証のためだと言う人がいますね。人は無人島に住んでいるのでない限り、誰かに認めてもらいたいという意識が普遍的にあるのでしょう。世を捨てた仙人になると、そんなことは卒業しているのかもしれませんが。

> そして今からでも名をあげたいと思っています。(無理ですが)
 いや、無理じゃないですよ、と言いたくなりましたが、さすがに年齢には逆らえませんね。記憶力も行動力も衰える一方ですから。
 ただし何か非常にやりたいことがあれば話は別で、先日も八十過ぎてから切り絵を始めたという人がテレビに出ていましたが、なんであれクリエイティブな意欲さえあれば、そして行動力もあれば、たとえ名は揚がらなくても、それで十分いいような気がするのですが。
 ひとつ何かで名を揚げる方向にもっと足を速めてみませんか。^^)

2016/10/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: レガシーよりも今を大切に

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> > 名を揚げるか実を取るか、という平凡な話だが・・
朝っぱらからなんと非凡なメッセージでしょう(笑)

 あはは、ありがとうございます。タイトルで「名を挙げるか、実を取るか」まで書いたら、これは平凡だなあと思って、その感想をそのまま最後に付け加えました。(笑)

> 日々名を求め、実を求め奔走してきた若き日のあの高まりを今顧みればとても泥臭く滑稽だったと思います。
でもね、それって結構楽しい思い出なんですよ、

 あ~、そうですそうです。そうでしょう。それが人生の醍醐味だと思いますね。それなくして何が己の人生かと思います。楽しいことやうれしいことは、もちろん人生の醍醐味です。でも苦しい時に頑張ったこと、悲しい時に泣いたこと、とにかく必死に生きたこと、それもまた人生の醍醐味なんですよね。
 ばくさんは、獏と名をつけたことに表れている通り、ずっと夢を追ってきたのでしょう。「若き日のあの高まり」ですか。いいですね。人生を十分に燃焼したのですね。
 名を揚げるか、実を取るか。これは名を揚げる過程で、実も得ているように思いますね。^^)

2016/10/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: ふ~む……深い話です

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 大志を持ったことはなかったです。
それでも“なりたい自分”というのはあって、
職業や、生活水準を基本に、余力(物心ともに)があれば、
趣味を楽しみたいと思いながら生きてきた気がします。

 なるほど。それでいいのでしょう。昔、東洋の魔女と呼ばれたバレー女子チームが22連勝を続けて引退表明をしていましたが、東京五輪にも続投を望む声が非常に多く、彼女たちはものすごい猛練習を続け、結婚もあきらめたという話がありました。わたしたち一般人の場合には、余力があれば趣味を楽しみながら生きるというぐらいがちょうどいいのでしょう。
 才能のある人はとかく自己顕示欲も強いと思われますが、そういうものはなかったですか。なるほど。そういう人だから精神世界のほうに来れたのでしょう。

> エンリケ・バリオス『小さな宇宙人』などの影響を受けたのでしょうか? 
それとも意識の振り子運動?

 なにしろ影響を受けやすい人間なもんですから、意識はしょっちゅうあちこちに行っています。今回の記事は、「名を揚げる」という言葉を作家が本に書いているというのが面白いと思って書き始めたのですが、最後は私としてはお決まりの聖書の言葉でまとめようとしたときに、ちょうど『アミ』を読み、ブログ記事に使えそうな文章があったので、それを盛り込んだというわけです。

> 人が再びテレパシーを使えるよう、
神に操作をお願いしたいものです。

 あはは、なるほど。それは良さそうです。テレパシーなら考えはストレートに伝わるので、現代ある意思疎通の際の齟齬はなさそうです。
 そのためには神に、嘘を言わない人間になるように操作をしてもらわないと、いや、それは神にお願いできるものじゃなさそうですね。^^)

2016/10/15(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/10/16(日) || [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 松園の和服女性を描いた絵は、ぴたっと平面的です。着物も大抵は柄がなく、単色だけで、写実性を思い切り離れて、シンプルなパターン構成したデザイン画のように見えます。
 私も高校の図画の時間、風景画を描くときに、木々の葉や家などは詳細を描かず、陰影を使わず、あえてべたっと平面的に単色を塗って描いたことがあります。絵は下手なくせにオードドックスを離れてみたかったんですね。(笑)

 「画名を揚げて何になるのだろう」。これは画名を揚げるのが悪いと言ってるのではなく、画を描く本質的なことを忘れて、自分の名誉心だけに心を捕らわれてはいけないという意味なんでしょう。なにかの世界で一番になるほど卓越するために努力するのは良いことでしょうが、その動機が名誉心のためなら、あまり褒めたことではないのでしょう。

 ラファエロのこの絵は面白いですね。マリアのモデルになった人が見学に来た時の子供の様子を忠実に描いたというのですが、背中の羽が白くなくて、雀や雲雀など小鳥の羽であるように見えるのが面白いと思います。

2016/10/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

おはようございます

卒業式で何度も聞いた「仰げば尊し」にも「身を立て名をあげ・・・」という
詞がありますね。
人が成功し、あるいは成り上がっていき、名を成し、あるいは挫折していく
さまは興味深いです。
自伝はつまらないですが評伝は人物の光と影、表と裏の顔、やり遂げたこと、
やり損なったことが記されていてその人物の立体像が浮かんできます。
前にお勧めした評伝、渡辺淳一「君も雛罌粟われも雛罌粟」の他にも
同じ著者の野口英世の評伝「遠き落日」もお勧めです。
この評伝で渡辺淳一は福島県に出入り禁止をくらったとか。(笑)

2016/10/16(日) |URL|エリアンダー [edit]

バーソさん、こんにちは^^

人は誰でも、自己肯定感が欲しくて、
自分が他者より秀でることができる分野に、
力を注ぐのではないでしょうか。

おそらく、無意識の領域に、
ある満たされない思いがあって、その思いを満たしたくて、
自己満足に達したくて、人は頑張っているのだと感じます。

聖書やスピリチュアル本に、
あることが良くないことだと書いていたとしても、
実際に、神がそれを良くないことだとしているかどうかは、
自然の中で、実際に起こっていることを観察しなければ、
判らないと思います。

バベルの塔で、連想したのは、なぜか、鹿の角や孔雀の羽で、
鹿は、立派な角を持つオスが、
孔雀は、大きくて美しい飾り羽を持つオスが、
メスに好まれますが、この角や飾り羽は、
生きていくのに必ず必要な器官ではなく、
ただ、同性との競争に勝つためのものだとすれば、
おそらく神は、そのような事は、
特に忌み嫌ってはいないと感じますし、
その他の、人間が勝手に、忌むべきことだと決めていることも、
神は特に、忌み嫌ってはいないかもしれません。

傲慢さとは、自負心やプライドの強さと言うよりは、
他者への尊重の足りなさから来るものだと感じます。
スピリチュアリストなんかは、よく、自分と価値観や思想の違う人を、
軽蔑したり、嫌ったり、かわいそうな人だと思ったり、
魂のレベルの低い人とか、精神性の低い人などと言ったりしますが、
単に、違う価値観や思想を持つことよりも、
違う価値観や思想を持つ人に対して、そのように思うことの方が、
より傲慢だと感じてしまいます。

人は、自分に都合の良い価値観や思想を正しいものだと感じますが、
それが本当に正しいものだと、自分の力で証明できないうちは、
違う思想や価値観の人を、見下すことはできないだろうと思います。

2016/10/16(日) |URL|Korva [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
 ああ、そういえば『仰げば尊し』には「身をたて名をあげ」とありました。よく覚えていますね。冒頭に「わが師の恩」が来て、最後は「蛍のともしび、積む白雪」となるのですから、この文部省唱歌も昔の道徳観で作られています。
 昔の子供は、大将になりたいとか博士になりたいと思ったらしいですが、今の子は有名なサッカー選手になりたいとかイチローのようになりたいと言うので、これもまた面白いことだと思います。

> 人が成功し、あるいは成り上がっていき、名を成し、あるいは挫折していくさまは興味深いです。
 なるほど。成りあがっていくのも面白いし、また挫折するのも面白い。どう成り上がるのか、挫折からどう這い上がるのかがいちばん面白いのでしょうか。

> 自伝はつまらないですが評伝は人物の光と影、表と裏の顔、やり遂げたこと、
やり損なったことが記されていてその人物の立体像が浮かんできます。

 福島には出入り禁止ですか。子供の頃、エジソンなどと並んで野口英世の偉人伝も読んだことがありますが、立派なことを成し遂げた人にも、ネガティブな面があるのですね。人間に完璧を要求してはいけないのということなんでしょうか。
 『雛罌粟』の本は面白かったので、野口英世の評伝『遠き落日』もさっそく図書館に予約しました。コクリコの読みは時々忘れそうになり、思い出すと、コクリとうなづきます。(笑)

2016/10/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> おそらく、無意識の領域に、
ある満たされない思いがあって、その思いを満たしたくて、
自己満足に達したくて、人は頑張っているのだと感じます。

 ああ、そうなんでしょうね。人類は意識の根底には“不安”があるそうですから。
 他を蹴落としてまでも自分を目立たせよう、他を見下そうとする利己心や傲慢心が良くないのでしょうが、そういうことは愚かしいことだと認識している人って少ないですね。

> 聖書やスピリチュアル本に、
あることが良くないことだと書いていたとしても、
実際に、神がそれを良くないことだとしているかどうかは、
自然の中で、実際に起こっていることを観察しなければ、
判らないと思います。

 そうですね。聖書の創世記冒頭で、神は地球上に造ったものを見て「良い」と言ったと書かれている通りに地球はなっているはずですが、人間が勝手に善だ悪だと決めつけて価値判断をしているのでしょう。
 鹿の角や孔雀の羽は面白いですね。自然界は不思議です。人間や動物にある痕跡器官も面白いと思います。

> 傲慢さとは、自負心やプライドの強さと言うよりは、
他者への尊重の足りなさから来るものだと感じます。

 人間の、特に男の一番の欠点というのは傲慢さ尊大さでしょう。アダムは神のようになりたいと思って禁断の実に手を出した。有能なみ使いも、神に等しくなりたいと思いあがって悪魔サタンになった、と聖書に書かれています。西暦1世紀にパリサイ人という特権階級がいて、自らを“義なる人”として尊大になり、一般人を“地の人”と呼んで軽蔑していましたが、イエスは彼らを偽善者だと言って痛烈に非難しています。

 思い上がっている人は今でもいますね。スピリチュアルや哲学や宗教をやってる一部の人、それらを見下している人、とにかく自分が頭がいいと思い込んでいる人。でもじつは内心では自分に自信がない人が、そういう他者蔑視感、自己優越感を持っているのではないでしょうか。彼らの中には頭がいい人もいるのに、そのことに気づいていない場合があるのも面白いことだと思います。

2016/10/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは。

聖書に、神が「良い」と言ったと書かれていても、
実際に、神がそれを良いことだとしているかどうかは、
自然の中で、実際に起こっていることを観察しなければ、
判らない、
はい、僕も、その立場をとります。

なので、自然の中で、実際に起こっていることを観察して、
人間が善だ悪だの価値判断をしなければならない、と思います。
勝手に、決めつける、は、
過度な感情を含む形容なので、省かせてくださいね。

自分に自信を持てない、
それこそが、ものを考えるときの基本的な立ち位置だと思います。
聖書やスピリチュアル本や哲学書に書かれているから、
人は、その考え方に自信が持てるのであって、
自分でオリジナルの何かを考えるとしたら、
支えるのは自分ひとりです。
とても自信なんか持てるわけがありません。
他者蔑視感、自己優越感は、寄りかかれる思想があるから。
他人の言葉のコピペです。
ぜんぜん自分の力ではありません。

2016/10/16(日) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
 おお、記事ではなく、コメントに対して鋭い突っ込みが来た。困った。(笑)
> 勝手に、決めつける、は、
過度な感情を含む形容なので、省かせてくださいね。

 人間が善だの悪だの価値判断をしなければならないというのは、まあ、その通りで、そうしなければ実際にやっていけません。
 ただ、過度な感情を含む形容だから省かせてくれというのは、その考えは嫌だという感情を含む価値判断であると言っていいでしょう。
 どう思うかどう感じるかは個人の自由だと思っているので、ああそうですかと軽く受け流してもいいのですが、青梗菜さんはそんな答えじゃ満足しないで、私の考えを知りたいでしょうから、ちょっと長めに感想を述べますよ。

 「勝手に」とは、他人のことはかまわずにという意味。「決め付ける」とは一方的に断定するという意味です。善悪の判断に関しては、この世界は実際にそうなっていませんか。
 政党は互いに相手が“悪”だと非難することに終始し、自分の“善”を正当化しています。アメリカの大統領選も非難の応酬合戦です。愛と一致を説くはずのキリスト教も、こまかく分けると宗派が何百もあるのは、自分たちの聖書解釈が正しい、他は間違っていると主張して譲らないからでしょう。ブログでも、何かの世間に認知された権威に寄り掛からないで、これが善だ悪だと主張しているのなら、それもある意味で勝手に決め付けていると言えませんか。

 人間が善悪を決め付け、己の正しさを主張しているからこそ、世界には昔からずっと分裂があり、今でも争いが絶えないのじゃないですか。
 いやそれは過激な感情を含む形容だ、と言われても別にかまわないのですが、私の感覚では、この言い方は、世の中に見られる事実を客観的に言っている表現に過ぎないと思っているのですがね。まあ、“困った”と思っているので、感情が含まれているのはその通りですが。

 なお、スピリチュアルの究極的な見方では、神が造った世界は完璧であり、善悪を考え出したのは人間だと言っています。これは究極的に見ればの次元の話ですが、私もそう思いますね。エデンの善悪の知識の木の実は、人間が食べ、そうして世界の困難な歴史が始まったのです。

> 自分に自信を持てない、
それこそが、ものを考えるときの基本的な立ち位置だと思います。

 自分に自信が持てない、それこそがものを“考える”ときというよりは、“学ぶ”ときの基本的な立ち位置ではないですか。
 大体が、考えることは、自分に自信がない人はうまくできません。自信がない人はまず学ぶのです。そして知識が十分身についたと自分で思った時点で、次に深く考えることをするのじゃないですか。
 聖書や哲学書などに頼らずに自分で考えることは、頭の悪い人や自信のない人には非常に難しいことだと思いますね。コヘレトの書にも「先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない」(1:9)と書かれている通り、独自の思想を考え出すことは容易ではないのです。

> 自分でオリジナルの何かを考えるとしたら、
支えるのは自分ひとりです。
とても自信なんか持てるわけがありません。

 そうですかね。自分でオリジナルの何かを考えるとしたら、支えるのは自分ひとりです。でも、大変に自分に自信を持っているからこそ、聖書や哲学書など、世間に認知された教えに逆らってオリジナルの何かを考え出してやろうとするのじゃないですか。それができる人、それにトライする人は、本当にたいしたものですよ。そんな人はリスペクトしますね。

 むろん考えることは、自信のない人もするでしょう。でも自信のない人は自分の考えたことを発表したりしません。だって自信がないのですから、笑われたら恥ずかしい困るという心理が働きます。そういう自信がない人は、得てして他者の評価を過度に気にするものです。打たれ弱く、落ち込みやすい人がそうでしょうかね。

 ともあれ善悪の判断を明確に述べたり、自分の好みさえはっきり言う人は、かなり自分の頭脳に自信がある人でしょう。むろん自分に自信があるのは結構なことで、別に悪いことでは全然ないですが、自己優越感や他者蔑視感にまでなれば、非常に見苦しいものになります。
 世間や他者の見解に対して自分の独自の意見を強く主張する人は、意図せず、そうなりやすいので、要注意ですね。私は頭は良くなく、自信もありませんが、まあ、精神世界の書に寄りかかった見解めいたものは持っているつもりのほうなので、要注意ですかね。(^-^;

2016/10/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/10/16(日) || [edit]

Re: こんばんは

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 うわ~っ。ははは、ありがとうございます。
 光栄です。(笑)

2016/10/16(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/10/16(日) || [edit]

こんにちは。

「名を揚げる」多数の人はそんなことが出来れば!と思っているのでしょうが、そんなに簡単に出来ることではない!。
そう思うから、日々の生活に流されながら過ごしているのが一般的でしょう。
ただ、出世欲の野心だけは持っていないと人は成長しないと思います。
(チョット記事の意図とは違うかも知れませんが)

2016/10/16(日) |URL|S-masa [edit]

菜は残すな種を残せ

薊とて 末には種を 成すものを
 残す名も無き 我が身なる哉
          -詠み人知らず
 誰も知らない、知る訳が無い、何処を探しても出てこない和歌でございます。言っておくが、薊が残すのは名ではなく種なのである。種は名より偉いのである。
 それはともかく、この名と言う奴は実に曲者でありまして、実力が有れば残るかと言うとそうでもない。実力がなくても後世の人の思惑などでやたらに上がってしまう人だって居る。
 「よくぞ生きている間に見つけてくれた」わたしゃ大嫌いなタイプの人だし大嫌いなタイプの文章でしたが、某芥川賞を取ったばーさんの言葉にはつい納得させられました。どんな歪な思惑が有ったかはともかく、何らかしかの権威によって認められん事には作品に価値は付かんし、名は残らんである。
 それまで二束三文で投売りされていたワインが、有名人がお気に入りだと言った途端に数万円で取引されるようになったとか、もう人間てどれだけ自分が無いのやらと思わせるに足るお話もある。
 逆に、当時偉大だった人が後世の人により土に埋められてしまったとか、汚名を着せられ貶められたとかも大いに有る話。吉良上野介、偉かったらしいよ。領民からは好かれ、未だに敬われているとか。
 昔の人は命より名を惜しんだそうな。名の為に命を投げうって働いた。成程。しかしこれも今の感覚で言うから本質を間違う。彼らが残そうとした名とは今のそれではなく家(血筋)なのである。家の隆盛の為には手柄を立て恩賞(土地)を得、維持しなくてはならない。その為に必要なのは手柄であり、手柄=名声だった訳だ。成果を享受するのは何も自分である必要はなく、引き継ぐべき人があれば良い。だから安心して死ねた(それはそれですげー事だけど)のだろう。
 さて現代、名とはそれ程大したなものなのだろうか。人は死ねばお終い。はい、それまでよ。前の市長が市庁を建てたとか、無駄遣いは責められても時が過ぎれば誰も覚えてない。乱造される何とか賞なんて二・三年もすれば誰も見向きもしない。有名人だからって興味がなければ気にもならない。「私を知らんとは失礼な」と言った某小山市の議員(笑)も今じゃ落選して唯のじじい。ってか、知るかボケ。
 植物にとって葉は成果である。芽を出し育って作り上げた作品は、しかし、冬の訪れを前に消えてゆく。それ故に次の世代に命を引き継ぐ為に種を残す。種は親がどんなに偉大であっても一から独力で生きてゆかねばならない。受け継ぐのは資産ではなく、その資質だけである。

2016/10/16(日) |URL|miss.key [edit]

コメント欄の愉快さ、楽しみ

きゃあ、視点がスゴイ、面白~い!
miss.key さんのコメントに座布団3枚!

いつも思うのですが、
バーソさん記事のコメント欄は楽しいです。
『考え方はいろいろあるから面白い』という、
バーソさんブログのコンセプト通り、
それぞれが個性的で、それぞれに一理あって……。

コメント読みに、何度も立ち寄って……、
コメントにコメントして、ゴメンなさいねぇ。

2016/10/17(月) |URL|風子 [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
ご丁寧にありがとうございました。
そうですか。やはり感覚が第一なんですね~。
装備の話、参考になりました。(@_@)

2016/10/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは。

S-masaさん コメントありがとうございます^^)
 そうですね。その道で達人になりたい。その道で成功したい。生きている証しを最高の状態で味わいたい。そのようにして名を揚げることは、願望として誰でも持っているのでしょう。
 そしてそのためには必死に懸命に真摯に努力をするでしょうから、その人生を歩もうとする“ひたむきさ”がいいのでしょう。

> ただ、出世欲の野心だけは持っていないと人は成長しないと思います。
 乱世の世に、下層民に生まれ、幼名もはっきりしない男が、木下藤吉郎と名が変わり、羽柴秀吉となり、太閤と呼ばれるまでに上り詰めたのは、野心と努力と才気がそうさせたのでしょうから、まあ、向上心とはすなわち男の夢みたいなものでしょうか。

 むろんトップに上る人は一部の人だけですが、それでも自分は精一杯歩んだのだという自負心があれば、それで十分。それでいいのだろうと思いますね。人生の若い時を青春と言い、晩年を赤秋と言うそうです。どうぞS-masaさんも、いい秋の写真を撮り続けてくださいね。

2016/10/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 菜は残すな種を残せ

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 おおー、気の利いたエッセーの如き、miss.keyさんならではの真骨頂発揮の名文コメント。スラスラスーッと一気に書いたのでしょう。でも時間を掛けていただいて、誠に有難き幸せです。一緒に飲んだら、いろいろ面白い話が聞けそう。かわいい女の子なんか要りません。(笑)

> 何処を探しても出てこない和歌・・・種は名より偉いのである
 これはmiss.keyさん作の時代小説中に出てくる和歌でしょう。「種は名より偉い」とは、人生の真理を突いたなかなかの言葉ですね~。薊はトゲのある葉が特徴。野の「薊とて」名を成すのですね。
 イエスの言葉「野の百合」を思い出し、次の言葉も思い出しましたよ。

 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。
 一粒の麦はそのまま置かれたのなら一粒のままだが、地に落ちる(自分の身を犠牲にする)なら、多くの新しい実を生み出すようになるという意味ですが、miss.keyさんのまとめの注解が素晴らしい。

> 植物にとって葉は成果である。芽を出し育って作り上げた作品は、しかし、冬の訪れを前に消えてゆく。それ故に次の世代に命を引き継ぐ為に種を残す。種は親がどんなに偉大であっても一から独力で生きてゆかねばならない。受け継ぐのは資産ではなく、その資質だけである。
 なるほどなるほど。実はもちろん成果ですが、確かに葉も成果。そして小枝も成果、根も成果。地に落ちた紅葉、枯れ葉も腐葉土となり、これまた成果なんでしょう。
 次世代の者にとっては親の資産は有れば良し、無ければ無しで良しですが、資質、才能だけは受け継ぎたいものです。いや、そんなものは受け継がなくても、自分で道を切り拓いていくほうが面白いと思うのも、また良さそうじゃないですかね。そのほうが人はみな自分なりに面白い人生を送れそうです。

 人は死ねばお終い、ですか。まあ、そう思うのも無理からぬことですね。ですが、そう思うのもいいですが、年歳歳花相似たり、冬来たりなば春遠からじ、木々や花々には、また新しい実を生み出す春が来て、いつも人生には新しい芽が出続けるのだと思うのはどうでしょうね。
 
 そうそう、座布団を私のほうからも追加で3枚差し上げますよ。

2016/10/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: コメント欄の愉快さ、楽しみ

風子さん コメントありがとうございます^^)
 コメント欄が面白いと言われるとうれしいです。以前、ここはサロンのようだと言われたことを思い出しました。風子さんをはじめ、皆さんそれぞれに個性があり、才能がある方ばかりで、おかげさまでブログを書く励みになっています。

 私は、意見でも異見でも何か言われるほうが好きですね。そのほうが啓発されて新しい自分になれるような気がします。
 何かを学ぶというのは人生の醍醐味。これは最近読んだエンリケ・バリオスさんの本にも書いてありました。

2016/10/17(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

「この世に生まれてきて成すべき事は、子孫を残す事だけだ。」
と言った男がいて、若かりし私は感化されて納得した気になったけれど、
だからって、女をとっかえひっかえしていいのだろうか、
と疑問が残った。
で、名を残してやると言われたら、芥川賞でも直木賞でもノーベル賞でも
何でももらっといてやるつもりだが、
それには努力という汗と運というわけのわからないものが必要なのだと、
今更ながら気が付いて、愕然としているおばちゃんです、私、ほほほ。

2016/10/18(火) |URL|宝香 [edit]

Re: タイトルなし

宝香さん コメントありがとうございます^^)
> 「この世に生まれてきて成すべき事は、子孫を残す事だけだ。」
と言った男がいて、若かりし私は感化されて納得した気になったけれど、
だからって、女をとっかえひっかえしていいのだろうか、
と疑問が残った。
 
 おや、女をとっかえひっかえですか、子孫を残すとは、そういう意味だったのですか。なるべく残さないようにが普通だと思いますが。
 でも何年か前、そんな報道がありましたね。複数のフィリピン人だったかに自分の子供を十何人だったかを産ませて養わせている日本人がいました。
 自分の血筋を地上に残したいという気持ち、私にはないですね。自分が特に優れているとは思ってないので、子孫を残したいという気は全然ありません。死んだら、私の血統はそれで尾張名古屋は城で持つです。

> で、名を残してやると言われたら、芥川賞でも直木賞でもノーベル賞でも
何でももらっといてやるつもりだが、

 ほうほう、その調子、その調子。文才と見る目がある人は賞をもらってやる気持ちになる。まだまだ遅くはない。いっちょ汗をかいてみるのはどうでしょう。すぐ本を買って、ブログで宣伝しますから。
 汗をかけば運がもれなく付いてくる。おのずと道が拓ける。ただしそれに気が付かない人が多い、と私は思ってますよ。

> 愕然としているおばちゃんです、私、ほほほ。
 ここ、気に入らない。どうぞ「おばちゃん」はやめてください。べべべんのその後にべの字が付くねえさんのイメージが崩れます。せめて一字増やして「ば」のあとに「か」とでも入れてください。そうすればかわいらしくなります。「ほほほ」がより似合うようになります。ははは。

2016/10/18(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

そうなんです。はじめ、「おば」の後に「あ」をつけたんです。
いくらなんでも、それじゃあねえ。
そっかあ、おばかさんかあ。そっちかあ。
       べのつくねえさん

2016/10/19(水) |URL|私ばかよね、おばかさんよね。 [edit]

Re: タイトルなし

私ばかよね、おばかさんよね。さん コメントありがとうございます^^)
 拙ブログでは、「ば」とか「じ」という、汚い、品のない濁音はご法度になっておりましてね、特にその字を2回続けて使用することは固く固くお断りしておりますからね。
 たとえ年数的かつ経年変化的にそうなっているのが事実だとしても、拙ブログはあくまでもイメージを第一にしておりましてね。ほら、読め遠めブログのうちはボヤけているのが良い、って云うじゃござんせんか、ねっ。

 ですのでね、うしろ指うしろ指さされても、わるいひとだと知っていながらも、あきらめがあきらめが悪くても、秋風が吹く冷たい空に鳥が飛び立つように、あなたひとりに命を懸けて、あくまでも良いイメージを演出する―――。
 これをもっとーにして、もっとお頑張っておくんなせえよ。きょうもくちびるに紅つけて気張って歩いてるんでしょ、べの字ねえさんっ。(*^^)v

2016/10/19(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/10/19(水) || [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 ご丁寧にありがとうございます。お礼に漫談を。

 バーソは大ぼけ。
 こどもはコボケ。
 ねーさん時差ぼけ。
 とーさん空とぼけ。
 わっかるかなあ。
 わっかんないだろうなあ。(笑)

(註)これは松鶴家千とせという
漫談家の決め言葉をもじっています。
バーソに子どもはいません。

2016/10/19(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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