「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 「虹の足」の下にいる幸せに気づける8つの質問。 

オのオリンピックで、男子サッカーが1次リーグ敗退となった。
その最初の試合のとき、女子アナが、サッカーの神様に祈りますと言っていた。

旧約聖書は、王国に天使長が付いていると言っている。(ダニエル10:13,20 新共同訳)
もしサッカーの神様や守護天使がいるなら、ジャパン担当はまだ下っ端のようだ。
イエスは、辛子からしの種粒ほどでも真実に信じていれば「山も動く」と述べた。(マタイ17:20)
これは比喩ではなく、意識の持つ力を述べている。

人は、神に願い事をする。
神は、人が最も強く信じていることをかなえる。※1

ここで面白いのは、人は自分の心に嘘を付くことはできないということだ。
つまり、神に願いを述べていても、内心では、ほとんど信じてないことがある。
・苦しい時の神頼みというのは、普段は、願いはかなわないと信じていることを示す。
・百円硬貨のお賽銭を入れるのは、百円分位の御利益しか期待してないことを示す。

人は願っていても、心の奥底では信じてないので、その信じてないことが現実になる。
つまり、人の願いは大抵かなわない。

mgdr.jpg
ホセ・デ・リベーラ「砂漠のマグダラのマリア」1641

しかし必死に神に願わなくても、手軽に幸せになれる良い方法がある。
吉野 弘さん※2の詩が、そのことを教えている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「虹の足」 吉野 弘

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。

眼下にひろがる 田圃(たんぼ)の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!

野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!

その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。


loyh.jpg
フレデリック・エドウィン・チャーチ「南アメリカの風景」1854

それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。

――――おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照(ほて)らせ
野面に立った虹の足に見とれた。

多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。

そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――――。


ieki (1)
ジョルジュ・スーラ「虹/アニエールで水浴のための研究」1883

山路を登るバスの中から眼下に、虹のアーチが足をそっと地面に下ろしたのが見えた。
ところが、そのきれいな「虹の足」の所に住んでいる人々は、その幸せに気づいていない。
はた目からはよく見えることでも、自分では見えないということがあり得るのだ。

何かが足りない足りないと思っていれば、満足感は永遠にやってこない。
だが、足りていることに気付いて感謝すれば、願いはすでにかなっていることに気付くだろう。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
幸福感は、見つけようと思えば、すぐ見つけられる。
以下の各項目を自問してみれば、いま自分はかなり幸せ状態にいると分かるかもしれません。

幸せに自分で気付ける8つのクエスチョン。※3

1.身のまわりには、どんな美しいものがあったか?
人は一日に幾度も、いろいろな美しい形や色のものに出会っている。身のまわりの人々や、
植物、建物、モノを見直してみれば、鉛筆一本でも幸せを与えてくれていることに気付く。

2.家の近辺には、どんな恵みが満ちていたか?
ちょっと外を歩けば、木々の緑、路傍の花、夕焼け空など、自然が緊張をほぐしてくれる。

3.身近に、どんな微笑ましいことがあったか?

公園で遊んでいる子供。道草食っている犬。地面を動く蟻。眺めているだけで幸せになる。


4.今日も、自分だけの小さな愉しみを味わったか?
起き抜けのコーヒー。好きな音楽を聴く。美しい小石を集める。趣味があることは幸福だ。

5.友人とした、どんな会話が楽しかったか?

幸福の第一の要素は人とつながりを持つこと。好きなブログと交流するのも幸せのひとつ。

6.最近、どんな新しい知識を知り、知的な満足感を得たか?

人は脳を刺激する幸福を与えられている。今日は、どんな知らないことを学んだだろうか。

7.今日一日、自分のためにどのように時間を使ったか?
金持ちにも貧乏人にも、時間は公平にやってくる。短くても、自分のために使えれば幸せ。

8.自分を褒められる、どんな小さな成功があったか?
クモを一匹助けて褒められた人がいる。自分の善行や良い性格を探せば、必ずあるはずだ。


補――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1:ニール・ドナルド・ウォルシュ著『神との対話①』をベースにした考えです。
※2:吉野弘。詩人(1926-2014)。山形県酒田市で誕生。晩年は静岡県富士市に暮らした。
yoino.jpgこの詩「虹の足」は国語の教科書にも採用されている。
読売文学賞詩歌俳句賞(1972)、詩歌文学館賞(1990)受賞。
脚本家の山田太一は、吉野の作品を敬愛しており、
ドラマ『ふぞろいの林檎たち』や『キルトの家』の劇中において
吉野の詩を引用している。(Wikipedia・敬称略)
※3:『Pick the Brain』の「How to Enjoy Life」を参考にしてアレンジしています。
・www.pickthebrain.com/blog/enjoy-life-each-day
・http://labaq.com/archives/50790958.html
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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(y^ω^)yおはようございます。

(y^ω^)y 幸せ、いつも一生懸命に生きれば、こんなに簡単に手に入るものは無い。

(y^ω^)y 自分に自信を持ち、自分を好きになり、人の為に何かを一生懸命やれる、このサイクルに入ると、毎日は幸せだと思う、

(y^ω^)y 不幸や、アクシデントに対し、1秒もクヨクヨ悩むことなく、じゃあ、何とかしましょう、と平然に思える自分が出来てくる。

(y^ω^)y 少し成長したな~☆なんて、生意気なことを思ったりします。

(y^ω^)y 意志の力ですよね。

2016/08/13(土) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

おはようございます。
そういえば私も苦しい時に神頼みをします。
ほとんど叶えられなかったのはそういうことだったのか。(笑)
あっでも今日、錦織が奇跡の逆転をしたのは願いが
叶えられました。

幸せに自分で気付ける8つのクエスチョン。
以下の二つは私に該当します。
4.今日も、自分だけの小さな愉しみを味わったか?
6.最近、どんな新しい知識を知り、知的な満足感を得たか?
最近の知的満足感はモーニング娘。になぜ「。」がついている
のかを知りえたときかな。←情けない。(笑)

いつだったかyoutubeに素晴らしい動画がありました。
保存し忘れて二度と見ることができませんが。
女の子が開いた窓から外を見ながら友人の女の子に電話で
話しているんです。
「ステラ! いま、上をみてごらん、すごいんだよ。虹がステラの
家にかかってるんだよ!」

2016/08/13(土) |URL|エリアンダー [edit]

幸福

バーソ様
こんにちは。

昔から虹の足元には幸福があると言われていますね。
でも幸福の定義が非常に難しいと思います。
全てが満ち足りていて道楽三昧しているのが幸せなのか。
三食食べて睡眠がとれるだけでも幸せを感じるのか。
空気が吸えるというだけでも幸せなのか。
人との比較も入ってきますから難しいですね。
私の場合は酒とタバコがあれば幸せでしたが今は両方ありません。
非常に不幸せな状況です。

愛新覚羅

2016/08/13(土) |URL|aishinkakura [edit]

大好き!

本日の記事、大好きで~す!(*^~^*)

『神に願いを述べていても、内心では、ほとんど信じてないことがある。』

これって、たまに自覚あります。
真実ですよねぇ。

苦しいときのだけの神頼みもですが、
お賽銭百円も、見事な例話ですね。

吉野 弘さんの詩、
まずは、虹の“足”って、タイトルがいい。

“野面にすらりと足を置いて、
虹のアーチが軽やかに、
すっくと空に立ったのを!”

ココ、吉野さんの感性を見事に表現していて
好きですねぇ。

youtubeの、ほっこり画像も素晴らしい!
世界の人々が互いの違い(個性)を認め合って、
こんなふうに優しく、ユーモラスに暮らせたら
イイですよねぇ。

幸せに自分で気づける、について、
ターシャ・テューダーの生きざまから、
多くのことを教えられました。

心をこめる、想いを、意識を……ですねぇ。(@^^)






2016/08/13(土) |URL|風子 [edit]

Hello Happiness

When one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us.
おいらの場合これですかな・・

2016/08/13(土) |URL|Helen Keller [edit]

こんにちは(●^o^●)

幸せに自分で気付ける8つのクエスチョン

ちょっとやってみますね。

1.身のまわりには、どんな美しいものがあったか?

掃除をした、ピカピカの床。

2.家の近辺には、どんな恵みが満ちていたか?

庭に寛ぐクロとミケ。


3.身近に、どんな微笑ましいことがあったか?

甘えてくるもか。


4.今日も、自分だけの小さな愉しみを味わったか?

美味しいパンを味わいました。


5.友人とした、どんな会話が楽しかったか?


今日もバーソさんとつながりました。


6.最近、どんな新しい知識を知り、知的な満足感を得たか?

仕事において、目標が定まりました。


7.今日一日、自分のためにどのように時間を使ったか?


ブログを書き、読み、先祖に感謝しました。


8.自分を褒められる、どんな小さな成功があったか?

小さな虫の命も守ります。



平凡な1日に感謝。
幸せかを決めるのは、自分です。


2016/08/13(土) |URL|Miyu [edit]

Re: (y^ω^)yおはようございます。

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
> (y^ω^)y 自分に自信を持ち、自分を好きになり、人の為に何かを一生懸命やれる、このサイクルに入ると、毎日は幸せだと思う、
 これ、いいですね~。最初の2つは真面目な人に欠けがちの特質ですから。3つ目の「ひとのために一生懸命」というのは、真面目であっても普通はなかなか出来ないことですし。
 ただ、これらは一歩間違えると、自信があり過ぎて傲慢になり、自分を好き過ぎて利己的になり、善を押し売りして独善的になりがちですが、むろん匠石さんはそういうことを承知したうえでのコメントで、やはり助言をすることを仕事にしているだけのことはあり、自信があるのは当然なんでしょう。

> (y^ω^)y 不幸や、アクシデントに対し、1秒もクヨクヨ悩むことなく、じゃあ、何とかしましょう、と平然に思える自分が出来てくる。
 これもいいですね。これも自分に自信があるので、そういう対処ができるのでしょう。ただ、それにしても意志が強いようで、「1秒もクヨクヨ悩むことなく」というのは、たいしたものです。私は、クヨクヨと悩みが持続することはないですが、問題点を考え続けることはありますね。なるべく早めに思いを切り替えるようにしていますが。

2016/08/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> でも今日、錦織が奇跡の逆転をしたのは願いが 叶えられました。
 そうですか。聖書には、真面目な人の祈りは神に聞き届けられるとありますよ。
 奇跡の逆転、私も観ましたが、錦織選手には、目では見えない存在が専属に付いているのでしょう。でも相手のほうには付いてなかったのでしょう。あ、これを“ツイてなかった”というのか。なるほど、ひとつ疑問が解けて知的満足感を覚えました。(笑)

> モーニング娘。になぜ「。」がついているのか
 コピーライターには句点が好きな人がいるので、そのせいかと思っていたのですが、いま検索したら、「モーニング娘になぜ。がついたか知らない奴いないよな? 無断転載禁止」というフレーズが一番最初に出てきて少し落ち込みました。が、「姓名判断で画数がいいから」なんてことがWikipediaに書いてあるのを見て、すぐ立ち直りました。(笑)

 YouTubeのステラの話。ちょっといい話ですね。エリアンダーさんが名前までも覚えているのはたいしたものだとまた思ったのですが、虹→天→星→ステラと連想しやすいせいもありますかね。そういえば、昔、GOOD DESIGN賞をとった某家電会社の衛星放送テレビ「サテラ」のネーミングは私の発案だったことを思い出しました。

2016/08/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 幸福

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> でも幸福の定義が非常に難しいと思います。
 そうですね。確かに、道楽三昧ができればいいのか、衣食住が最低あればいいのか、空気が吸えて生きてさえいればいいのか、中流の上ぐらいになればいいのか、人によって基準が違うのでしょう。
 列挙されたことを考えてみると、特段大富豪にならなくてもいいが、ただどうにか生きていればそれで満足というのもちょっと情けないので、要はバランスの取れた見方が大事だということでしょうか。
 でも、このバランスというのが人によって違うので、ついあれが足りない、これが足りないと思ってしまうのでしょうが、でもこの足りないという不足感も、自分の向上心や積極性に結びつくので一概に悪いとは言えないかもしれません。人生にはいつも何らかの悩みという思考の揺れがあって、これも面白いことだと思いますね。

> 私の場合は酒とタバコがあれば幸せでしたが今は両方ありません。
非常に不幸せな状況です。

 あははは・・・。なるほど、そうですか。でも同情はしませんよ。人間万事塞翁が馬。有ったものが無くなれば喪失感があるのでしょうが、でも代わりに得たものもいろいろあるのじゃないですか。たとえば当分の間、壁のクロスを張り替えなくてもよくなったとか。(笑)

2016/08/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 大好き!

風子さん コメントありがとうございます^^)
> 本日の記事、大好きで~す!(*^~^*)
 あははは・・・よかった。風子さんの勧めを思い出しながら書いたのですが、多少はスピリチュアル方面の記事になりましたか。

> 『神に願いを述べていても、内心では、ほとんど信じてないことがある。』
これって、たまに自覚あります。真実ですよねぇ。

 はい。じつは何を隠そう。恥ずかしながら私もクリスチャン時代にもありました。祈っていても100パーセントは信じてない自分がいて気になっていました。
 でも不思議な導きだなあと思えるようなことを感じたこともあります。長い目で見ればですが、私は、いろいろ紆余曲折があっても結局は良い方向に導かれているなあと思っています。

> “野面にすらりと足を置いて、
虹のアーチが軽やかに、
すっくと空に立ったのを!”
ココ、吉野さんの感性を見事に表現していて
好きですねぇ。

 私も、ここの「すらりと」と「すっくと」のオノマトペに目が行きました。物体を擬人化できる人は、感情移入が出来るひとなんじゃないですかね。そう感じます。

 ターシャ・テューダー。テレビで何度か観て、図書館で本を借りて読んだことがあります。自給自足で、まさしく自ら足りていることを実証した生き方。季節の花々を育て、好きな絵を描いて過ごす。こんな生活も素晴らしいですね。以前、記事にしましたが、1996年のフランス映画『美しき緑の星』を思い出します。

2016/08/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: Hello Happiness

Helen Keller コメントありがとうございます^^)
> When one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has been opened for us.
 あらら、英語のコメントが来た、困った、英語で返さないといけない、と思いましたが、例によって ばくさんで、ヘレン・ケラーの名言でしたか。ああ、よかった。
 “幸せの扉がひとつ閉まると、別の扉が開く。しかし、しばしば私たちは、閉まった扉のほうを長く見過ぎるので、私たちのために新しく開いたドアが見えないものだ”

 人は閉ざされたドアばかりクヨクヨ見ているので、幸福の虹が足元に降りてきたのに気付かない。確かに、こういうことはよくありますね。私も、うまくいったことより、うまくいかなかったことのほうが気になることがあります。

 でも、この名言の後半を見れば、新しいドアが開いていると言われています。三重苦のヘレンさんは、そのために新しい人生が始まったと思ったということでしょうから、彼女は非常にいい意識を持っていたひとなんですね。

 ばくさんも、これがそうだったということは、ばくさんの場合は、そういうときには他の新しい仕事にチャレンジするべく、思いを切り替えた、ギアをひとつ上げてスピードアップした、あるいはギアをひとつ下げて力強さを増した、ということですかね。そうでなければ仕事であれほどまでに成功するはずがないですから。今度、ご自身の経験を少しブログで教えてくださいよ。

2016/08/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは(●^o^●)

Miyuさん コメントありがとうございます^^)
 あー、毎日あれこれと忙しいでしょうに、またまた丁寧なコメントで、うれしいですね。

 ふむふむ、一つひとつ見ていきましょう。
 1.連日暑いのに、ダラケることなく、よく働いていることが分かります。
 2.クロとミケ。準家族にも、よく気遣いを示しています。
 3.もかが甘えてくるのは、少しやきもち焼いてませんかね。
 4.相変わらず菓子パンが好き。私もアンパンが好き。最近は白あんが好きです。白あんってインゲン豆なんですってね、
 5.今日も私とつながりましたって、まあ、うれしいお言葉です。
 6.仕事で目標が定まったというのは、いま当面の目標ということか、あるいはこれから人生のということか、どちらにしても確かな足取りで歩んでいるようで、何よりです。
 7.ブログを書き、読みはいいですが、先祖に感謝したというのがおもしろい。意外に古いところもあるのですね。
 8.小さな虫を守ります。夏は小さな虫が多くて刺されますからね。乙女の柔肌は特に狙われるのでしょう。どうぞ日焼けにも気を付け、冷たいものでおなかを壊さないようにしてくださいよ。私も今年は冷たいドリンクはほとんど飲まないように決めました。その代り、小豆入りアイスクリームをなめ、小倉アイスをかじってます。それじゃダメじゃん、と言われそうですが。(笑)

2016/08/13(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

虹の橋の袂にはお宝が眠る

 成程。お宝とは幸福の事でありましたか。わたくしは即物的な人間ですよってお宝とか言うと直ぐに金銀財宝、宝石がざっくざくなんて考えてしまうのであります。よってツルハシ持ってえんやれことなる訳ですな。でも実際タロさが掘ってみたらあんぱんだった(笑
 それはともかく、虹の橋は追い駆けると逃げていく。眠ったお宝は眠ったまんま。そのくせ諦めて離れようとすると付いて来て人の欲望を揺さぶるのであります。何て性質の悪い性悪女。そして結局人はお宝を手に出来ず、さりとて諦めきれず求めてさ迷うのでありましょう。
 山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う
 何処まで行ってもお宝は山の向こう。幸いは遠い空の向う。ぎゃふんであります。

 最後に、幸せに自分で気付ける8つのクエスチョンをやってみた。
1.身のまわりには、どんな美しいものがあったか?
  道行く綺麗なおねーちゃん。目の保養。しかし側にはイケメンorz
2.家の近辺には、どんな恵みが満ちていたか?
  交番の前で十円拾った。なんと微妙な場面である事よ。
3.身近に、どんな微笑ましいことがあったか?
  子供がワンコ相手に講義していた。
4.今日も、自分だけの小さな愉しみを味わったか?
  飯。お一人様orz
5.友人とした、どんな会話が楽しかったか?
  レポート「カレーライスの作り方」。
6.最近、どんな新しい知識を知り、知的な満足感を得たか?
  人に何かを預ける事の危険性。クラウドサービスには注意しましょう。
7.今日一日、自分のためにどのように時間を使ったか?
  昼寝。気が付けば夜さー。
8.自分を褒められる、どんな小さな成功があったか?
  バーソさんの褒め殺しなら度々・・・。

2016/08/13(土) |URL|miss.key [edit]

Re: 虹の橋の袂にはお宝が眠る

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
> 虹の橋は追い駆けると逃げていく。
 ふむふむ。そうです。お月様もそうです。

> 諦めて離れようとすると付いて来て人の欲望を揺さぶる
 おお、「揺さぶる」、いい言葉。・・・人の執着心というのは始末に悪いものですね。だから「性悪女」を思い出した。性悪男と言わないのはどうしてでしょう。対象に対して執拗に執着する点が男と女の一つの違いということでしょうか。私もたまには執着されてみたいなあ。

> さりとて諦めきれず求めてさ迷う
 なるほど。男はつらい。女もつらい。つらいながらも通りゃんせ。ここはいつもの狭くて細い道~♪ miss.keyさんもだいぶ積もる話があるようですね~。(^_-)

> 8つのクエスチョンをやってみた。
 おやおや、この暑いのに申し訳ないですね。
1.道行くきれいな女性を見るのが楽しみ。おおー、感性が鋭敏で審美眼があるということですね。
2.交番の前で拾円拾ったのが気になる。些細な点でも良心的に生きているのですね。
3.子供がワンコ相手に講義していた。講義はなんでも聞きたい学生気分が持続してますね。
4.飯を一人で。いいですね~。好きなものが自由に食べられる。フリーパーソンの特権です。
5.友人との会話はレポート「カレーライスの作り方」というのはなんでしょう? 食を語り合うペンフレンドがいる。あるいは互いに研究結果をレポートに書くような互いに切磋琢磨の友人がいるということですかね。
6.人に何かを預ける危険性。クラウドサービスに注意。はいはい。私も気を付けようと思います。画像をGoogleフォトに自動保存してあると思って安心していたのですが、これからはPCのピクチャーにちゃんと保存しておきます。
7.今日の時間の用い方は昼寝。いいですね~。日頃、頭脳をフルに使っている人は、たまには精神を休めなければクリエイティブな生活は営めません。
8.私バーソの褒め殺しにより、小さな成功感を味わった。おお、そうですか。私の褒め言葉が効いてるようで何よりです。で、ね。私は、ひとの良い点を褒めるのが好きですが、お世辞は言いませんよ。そもそもブロ友というのはお世辞を言わなければいけないような利害関係はないですし、それに私は、お世辞やお追従、ゴマすり、おべんちゃら、おべっか、ヨイショ、頭ペコペコ、提灯持ち、甘言、巧言令色、面従腹背、ええと、もうなかったかな、等が大嫌いですし。だから賞賛の言葉は信用して安心してくださいませ。(^^ゞ

2016/08/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

(y^ω^)y コメント、ありがとうございます

(y^ω^)y でも、このブログを読んでいつも感心するのは、バーソ様の、包むような優しさと、上品さです、ここは本当に、学びたいです。

 いつも自分は軍の上官のような感じを抱かれるので、教える、のではなく、育つのを信じて待てるような人間になりたいと思っています。

 バーソ様にはそれを感じるんですよね~☆

2016/08/14(日) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

Re: (y^ω^)y コメント、ありがとうございます

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
 え? 「包むような優しさと、上品さ」で、しかも「学びたい」ですか。おおー、これは、うれしい。おかげさまで、今日は朝から小さな成功の一つ、幸せ感の一つになりました。
 ですが、ちょっと褒め過ぎのような気もしますね。私の記事は、どちらかと言うと駄洒落が多く、浅い話ばかり。
 毎日、更新できるほど、いろいろユニークな教訓や洞察を持っている人がうらやましいですよ。私には到底真似できません。

> 教える、のではなく、育つのを信じて待てるような人間になりたいと思っています。
 いいですね。信じるというのはなかなかできないものです。このたびのオリンピックで柔道の成績が良かったとインタビューアーに言われ、井上康生監督が、選手を信じてきたと言って、うれし泣きをしていました。自分に並みはずれた才能があって、他の人にそれがない場合、どうしても相手を信じるというのは難しいでしょうが、井上監督はそれをしたというので、好印象を持ちました。才能にプラス謙遜さが見えると、なかなか美しいものですね。

2016/08/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは^^

今ある幸せに気づくと・・・

たしかに、人は
一瞬で幸せになれますね(^^)



幸せに自分で気付ける8つのクエスチョン。

すばらしいですね!


今日も大切な気づきを教えて下さり
本当にありがとうございます<(_ _)>

2016/08/14(日) |URL|坊主おじさん [edit]

Re: こんにちは^^

坊主おじさんさん コメントありがとうございます^^)
 いつも励ましていただいて、うれしいです。
 神というものを、ひたすら優しいだけで何もしない好々爺と思ってる人は多いようですね。
 ここでは神と言わずに宇宙と言い換えますが、宇宙は人を助けてくれるが、人が期待しているような助け方はしない。人はみな自分の意志で自由に人生の道を選択して歩んでいるが、そのこと自体が宇宙からの祝福である―――と考えると、寒さも暑さも上も下も明るさも暗さもみな祝福であり、それらをいろいろ自分なりに工夫して楽しめることは、小さな幸せどころか、非常に大きな幸せなんですね。

 人間の行動には二つの動機しかありません。愛と不安です。愛があれば、あるだけで幸福です。不安がなければ当然、幸福です。であれば、どちらも自分の気持ち次第。幸福にはモノは要らないのですね。

 不安は他より劣っている、あるいは、いま十分にない、という感情に基づいています。でも、それは要らざる心配なんですが、マスコミは、それが足りない足りないと騒ぎ立て、不安を掻き立てています。あまり世間の(操作されている)情報に惑わされないようにしないといけませんね。

2016/08/14(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

子供のころ、当たり付きの駄菓子を当てるのが得意で、
駄菓子屋のおばちゃんに、
「あんたが宝くじを買ったら、お金持ちになれるのにねぇ」
なんて言われていました。
当てれば当てるほど、当たるのが当たり前だと思えて、
どんどん当てることができましたが、
確率というものを意識する年頃になると、
全く当たりを当てることができなくなってしまいました。
今では、自分はくじ運が悪いという意識があります。

人はどうも、表層意識で強く信じていることではなく、
無意識的に、「当たり前」だと感じていることを、
経験するのではないかと感じます。

しかし、何かの恐れを伴う最初の一歩を踏み出す場合には、
信念というものが大きな力を秘めているなと思います。

2016/08/15(月) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 確率というものを意識する年頃になると、
全く当たりを当てることができなくなってしまいました。

 私も同じですね。妻はくじ運がよく、自販機の当たり付きドリンクとか買い物の景品のくじでもよく当たりますが、私は何でも全然当たりません。原因は、確率的に当たらないと思うネガティブ思考でいたせいと、正当に働かないで不当に自分だけ幸運を願うのは、幸運の神(すなわちサタン側の神)に祈っていることになり、それは悪だと思っていたせいもあります。
 でも最近は意識が変わり、自分はツイていると思うポジティブシンキングをするようになったら、運がいいと思えることが増えてきました。たとえば混んでいる地域でも、空いている路上パーキングエリアが以前より見つけやすくなりました。というか、よく見つかります。

> 人はどうも、表層意識で強く信じていることではなく、
無意識的に、「当たり前」だと感じていることを、
経験するのではないかと感じます。

 そうですね。人の願いというのは、考えと言葉と行動が揃って実現すると言われています。その考えには表層意識や無意識があり、海に浮かぶ氷山と同じく、表面に見えてないほうが大きいのでしょうか。
 
 『神との対話』の中には、病気を例にして、こんなことが書いてありました。
 ほとんどの人はまったく無意識に病気を創り出している。それは人生を無意識に生きているから。人は動物性食品や脂肪をとっておきながら、どうして動脈硬化になったのかといぶかる。人は一生怒り続けながら、どうして心筋梗塞になったのかといぶかる。心配というのは最悪の精神活動のひとつ。心配、憎悪、不安は、細胞レベルで身体を攻撃する。病気はすべて、まず精神の中で創られる。人の現在の経験の多くは、いままでの考え方が元になっている。考えが経験につながり、経験が考えにつながり、それがまた経験につながり、循環する。
 だから身体が何かを(例えば、豊かさを)体験するように仕向ければ、まもなく魂がそれを感じ、それが(豊かだという)新しい考えを生んで、自分の精神が新しい考え方をするようになる。新しい考え方から、さらに新しい考え方が生まれ、身体は新しい現実を永遠の在り方として生きるようになる。
 秘訣は、支えとなっている考えを変えること。それは新しい考えに沿って行動することだ。

 それと集合意識も気を付けないといけませんね。世の中の多数の人が考えていることが物理的に実現していく。世の中の多くの人が考えて、言葉に出して、それに沿って行動しているからでしょう。そうであれば、あまり世間に充満している主流の情報やその他の噂話に気を取られ過ぎないようにしたいものだと思いますね。まず自分の表層意識から変えていかなければ現実は変わらないのですから。

2016/08/15(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

初めまして

こんばんは。
凄いブログですね〜。
幸せ、ブッセが唄ったように
山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う。

なんか、桃源郷みたいな世界を皆夢見ていますが、当然そんな世界はない。
で、聖書のお話になると、新約で、パウロが、神を、我々の外なる存在ではなく内なる存在、とした訳ですね〜。
これを、哲学者の岩田靖夫さんは、哲学者が虚無とする世界に、信仰者は愛を感じる。と。

なるほど、と。
我々にはどうしようもない促し、みたいなものがある。家族を助けたい、献血をしたい、募金をしたいー何でもいいんですが、自然の発露の促しがある。それは、我々の内なる愛の力だ。ちょっと説得力ある。
ただ、神を、我々の内なる存在、と決めつけると、ユダヤ教やイスラム教と違って、キリスト教は特別な宗教ということになり、そもそも、イエスがユダヤ教徒で、ユダヤ教の信仰に従って宣教した。という事実と矛盾する訳ですが、この辺りいかがでしょうか?お考えを拝聴出来ればと。

2016/08/16(火) |URL|oki [edit]

Re: 初めまして

okiさん コメントありがとうございます^^)
 はじめまして。よくコメントをくださいました。哲学の賢者のご到来で、私はそちらの方面は強くないため、少しビビっています。どうぞお手柔らかに。

> 神を、我々の内なる存在、と決めつけると、・・・そもそも、イエスがユダヤ教徒で、ユダヤ教の信仰に従って宣教した。という事実と矛盾する
 エメラルド・タブレットには、天にあるものは地にもあると言われていますが、ヘブライ9章は、旧約時代の地上の神殿制度は“天にある完全な天幕の雛形”であると述べています。なので、ユダヤ教の神殿に関する数々の取り決めは、実体であるイエスが到来すると無くなるものです。

 イエスは、自分の役割についてこう述べています。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5:17) 
 それで、イエスの到来により、神に対する信仰は、律法厳守の旧契約時代から、信仰によって恵みを受けられる新約時代に変わりました。

 ユダヤ教徒のイエスが、ユダヤ教とはちょっと違うが親戚のように近いサマリア教徒の女と交わした会話がヨハネ4章に記録されています。

4:19 女はイエスに言った、
「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。「わたしたちの先祖は、この(ゲリジム)山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」
4:21 イエスは女に言われた、
「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・
4:23 まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、いま来ている。・・・
4:24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

 サマリア教徒の女の質問の意図は、崇拝場所はエルサレム神殿なのかゲリジム神殿なのか、ユダヤ教とサマリア教とどちらが正当なのか教えてほしいということでした。彼女は、神とは特定の神殿に居る“外なる存在”だと考えていたようですが、イエスは、神は姿かたちのない霊であるから、これからの時代は特定の場所でなくても、人間の側に霊と真実があれば、どこででも(つまり人の外でも内側でも)会えるのだと言っているようです。

 人間は、神のかたちに造られた(創世記1:26)のであれば、人間の本質は愛であるはずですが、パウロが原罪という教理を考え出したゆえに、人は生まれながらに神に負い目を背負っている情けない生き物ということになり、イエスの犠牲による贖いを信じなければ救われないというキリスト教独自のセコい教理ができました。この教えは、創造者を意地が悪く、狭小な心の持ち主で、無条件の愛なんか全く無い、執念深い神だとしているのですが、気にする信徒はいません。

 とはいえキリスト教は、神の親切により、人はイエスに対する信仰により神と和解できるとも教えており、神は和解した霊的イスラエル(クリスチャン)の内にも住むという話にもなりました。この場合の神は父なる神自身ではなく、聖霊あるいはキリストが心の中に住む、というのが三位一体論の考え方です。
 ピリピ2:13は、こう述べています。

「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行なわせておられるのは神であるからです」。
 それで天の神という表現をするものの、本当は、神はいつの時代も信じる者の心に働きかけていたのでしょう。
 
 こういう考え方がキリスト教の教えですが、しかし精神世界では、神を或る特定の場所に居る至高の人格神とは見ません。神とは内なる存在でも外なる存在でも無いとしています。では神はどのように自分を現すのかといえば、どのような方法でも顕しており、特に人は自分の内側を静かに見つめることによって比喩的に神と出会えると言われています。

 面白いのは、物事の始まりは偶然ではなく、理知ある何らかの意識が創ったとすれば、すなわち無(空)から宇宙を創った創造者がいるなら、原始には神しか無いはずですから、宇宙は神自身を材料にして創られたはずだということになります。
 そうであれば、その神は至高の天という外なる場所とか、弱小な人間の心の中に内在するものではなく、宇宙全体が、すなわち星雲が、星々が、地球が、動物が、一人ひとりの人間が、そこらへんの路傍の石が、草花が、みなみな神(の分身)であるということになります。原因と結果論から、万物はみな神が形を変えたものであると推論することが可能なんですね。

 そう考えると、キリスト教では、イエスが神の子と呼ばれるのは当然ですし、イエスを信じる者たちも神の子と呼ばれるのも当たり前でしょうし、もっと言えば人間はみな神の子であるとも言えるのでしょう。古今東西、いろんな宗教が人間は神の子であると教えています。
 古代ギリシア人は、自分たちは神(ゼウス)の子孫で特別な人種であると優越感を抱いていました。排他思想の国粋主義的宗教は、今でも身近にありますね。

2016/08/16(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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