「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 ひとの役に立つ「でくのぼー」になる正義感。 

「金儲けをしたくないですか?」
電話に出たら、いきなりこう切り出されたことがある。
声は愛想のない中年男。電話機のナンバーディスプレイに番号は表示されてない。

「金儲けには関心ないです」と穏やかに答えたら、(うッ)と、かすかに息を呑む音がして、
「あんた、男ですか」と言われてしまった。声が挑戦的モードになっている。
あれれ、「あんた」なんて言われたことが過去にあったかな、と一瞬考えたら、
「そういうあんたはどこの馬の骨ですか」という反撃フレーズが頭の中に浮かんだ。
が、そうは言わず、「ええ、関心がないので」と言ったら、電話はガチャンと切れた。

金銭欲は諸悪の根源だと思っていたので、関心がないというのは嘘ではないのだが、
金儲けに関心がない男なんて、ろくでなしだ、でくのぼーだ、と思われたようだ。
世の中にはいろんな考えの人間がいることをわきまえないと、電話営業も大変である。

roku9.jpg
アダモ作詞作曲『Mauvais Garcon(ろくでなし)』1964 →You-Tube

私は、ひとから口汚くののしられても、ののしり返すようなことは、まずしない。
我慢だけは得意なせいと、侮蔑語を発するときの人間の顔が醜くて嫌いだからだ。

今回は、侮蔑語の意味を、社会的な「正義感」と関連させて考えてみた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
侮蔑の一面は、人を《役に立たない》と評価することだ。
役に立てば「正」で、役に立たなければ「邪」、と合理思考で人間の価値は判断される。

馬の骨=中国では使い道がない物の代表だった。馬の骨は大きすぎて役に立たない。
ろくでなし=「ろく」とは「陸」で、平らの意。性格が曲がってる人間は役に立たない。
でくの坊=でく(木偶)とは木彫りの操り人形。自分では何も出来ず、役に立たない。
ウドの大木=植物のウドは大きく成長するが、食用建築用にならず、役に立たない。
ぐうたら=「愚」が「ぐう」と伸び、「弛む」の「たる」が変化した。愚かで役に立たない。
どら息子=「どら」は怠けること放蕩することを表す。遊んでばかりで役に立たない。
昼行灯=日中に行灯を灯しても薄ぼんやりとしている。居たとしても役に立たない。

これらの侮蔑語は、他者を《役立たず》だと侮り、馬鹿にし、傷つける意図がある。
その心情の背景には、それらの人をできれば社会的に排除したい精神があるようだ。

rokude1.jpg
越路吹雪『ろくでなし』(岩谷時子訳詞) → You-Tube

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
正邪善悪を《役に立つ/立たない》で判断すると、どうなるか。

●前回の拙記事と関連させれば、正義の選択とはこういうことになる。
・遭難中のボートの中では、生きながらえさせれば社会の役に立つ人間を救う。
・線路と分岐線路に縛り付けられている人間は、役に立ちそうなほうを助ける。
・大勢を救うために少数者を殺すのではなく、少数でも役に立つほうを助ける。
・77人も殺して悔いてない囚人は即刻死刑にし、浮いた費用で遺族を援助する。

●この合理思考を拡大適用していけば、強者が正義の社会になる。
・日本では高齢者特権をなくし、延命治療はせず、早く死んでもらう、となる。
・社会的少数者、障害者、HIV感染者、貧者、難民などは面倒みるな、となる。
・優秀なアーリア系民族が世界を支配すべきで、劣等民族は抹殺せよ、となる。

うーむ、世界の経済を裏で牛耳っている一部の富裕者層もこういう思考なのか。

roke7.jpg
『志村けんはいかがでしょう特大版』「ろくでなし~ウイッ!」(1994) →dailymotion

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ひとの《役に立つ》行為は、世間の認知とは関係ないようだ。
宮澤賢治は37歳で早世したが、その2年前に「でくのぼー」になりたいと願っている。
有名な『雨ニモマケズ』の結びはこうなっている。(※カタカナを平仮名にした)

 みんなに でくのぼーと呼ばれ
 ほめられもせず 苦にもされず 
 そういうものに わたしはなりたい
 
  (※2行目から3行目へのつながりが気になるが、この詩は手帳のメモ書き)

「そういうもの」とは、博愛を実践した斎藤宗次郎というキリスト者がモデルらしい。
彼は、雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、町の人たちのため働き続けた。
といっても、杉良太郎のように大金を出して目立った支援活動をしたわけではない。

 東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり
 西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い
 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い
 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い


したことと言えば、ただ看病したり、稲束を負ったり、励ましたり、助言しただけ。
だが行った先は東西南北だ。ひと様の役に立とうとして、どこにでも足を運んだ。

ところが世間は、このキリスト者を「でくのぼー」、つまり役に立たない男と見た。
一つひとつのことは小さなことだったゆえか、成果は挙げてないと判断したのだ。

rokude3.jpg
沢田研二『憎みきれないろくでなし』(阿久悠作詞・大野克夫作曲) →You-Tube

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
賢治の理想とした「でくのぼー」は、こんな感覚の人間だ。
このフレーズを読むと、私は胸がきゅっと締め付けられ、ぼろーっと涙が出てくる。

 日照りの時は 涙を流し
 寒さの夏は おろおろ歩き


旱魃や冷夏のときに涙を流し、おろおろ歩いたとは、つらい農夫の気持ちになった
ということだ。ひたすら困っている人々の役に立ちたいと思っていたということだ。

一人の弱い人間が心から他の人たちのことを気遣い、己が弱さをさらけ出している。
博愛主義という「正義感」だけでは、見た目に情けないこんな行動は到底でき得ない。

正邪の判断が必要なときは、主義、価値観、倫理観、合理的精神で考えるのもいい。
しかし、人間に本来備わっている「善なる感情」を最優先する正義感覚もありそうだ。

rokude4.jpg
Henry Garat & Danielle Darrieux - C'est un mauvais garçon (1936)→You-Tube

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
青空文庫『雨ニモ負けず』宮澤賢治
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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以前のコメント欄でバーソさんは

>どこの職場にも、なるべく働かないでいることが賢いと思っている人間がいますね。自分の職務を真面目に遂行しようとする己の義もなく、給料に見合う働きもしない点で会社に対する忠義もありません。<

ということを書いてましたね。

これは生産性に価値を感じている証拠であって、それは「役に立つ」と同値です。
仕事をすることによって、つまり働くことによって傍が楽になる。これは役に立つということです。
現実的には、自己と家族が生きるために働くことは必然であるけれども、働けるのに働かない者をバーソさんは役立たずだと思っていると私は感じていました。

働けるのに働かない者は、どこかで人に優しくしているかも知れません。
今回の記事とバーソさんの仕事に対するスタンスに違和を感じました。

バーソさんの精神が「価値を認めない」者に対して、バーソさんは、どう思っているのか聞いてみたいところです♪

馬鹿にしてお仕舞いでしょうか?
社会的に排除でしょうか?

2016/04/30(土) |URL|小奈鳩ユウ [edit]

(y^ω^)yおはようございます。

(y^ω^)yおはようございます。

77人も殺して悔いてない囚人は即刻死刑にし、浮いた費用で遺族を援助する。

ちょっと似た話で、中東に遊びに行って、勝手に捕まった他人のため、日本政府が動いたりする。欧州では、身代金を払ってしまうこともあるという。直接身代金を払わなくとも、莫大なお金がかかる。国会中継をみていたら、その件で外相が中座したのを見たとき、遊びに行ったやつを助けるのは、税金を使うのは辞めて欲しいと思った。

 震災の被害者をみると、なんの罪もなく苦しむ方々がたくさんいる。役に立つ、立たないは関係なく、そういう人を助ける為に使って欲しいと思う。それが命を秤にかけるときの正義だと自分は思う。

 しかし、中東に遊びに行って、死んだ人をみると、仕方ないと思うが、生きて帰ってくれば、一生大きな罪を背負って生きていく、国家に大きな損害を個人で与えるなんて、金閣寺放火事件のようだ。もう楽しい人生などありえないのだろうと思うと、多少の哀れは感じますね。

2016/04/30(土) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

同じタイプなようです

バーソ様
おはよう御座います。

私も金銭欲がないと言われています。しかし物欲はあります。どうも物と金が結びついていないようです。

私もひとから口汚くののしられても、ののしり返すようなことは、まずしません。

以上2点だけなのかも知れませんが私もバーソ様と同じタイプのような気がします。
嫌でしたら違うとおっしゃって下さい。

愛新覚羅

2016/04/30(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: タイトルなし

小奈鳩ユウさん コメントありがとうございます^^)
> 現実的には、自己と家族が生きるために働くことは必然であるけれども、働けるのに働かない者をバーソさんは役立たずだと思っていると私は感じていました。
 そうですね、役に立つ立たないの観点で見れば、その通りです。聖書は、「働かない者」ではなく、「働こうとしない者は食べてはいけない」と言っています。

 ですが厳密に言えば、その文脈では、役に立つか立たないか、つまり生産性の価値という観点から言ったのではなく、雇用契約を誠実に守るか守らないかという「義」の観点で言ったつもりです。会社の役に立たないから問題だというより、なるべく怠けようという意識が不真面目で、ずるいので、それが問題だと思っているのです。給料をもらっているのなら一生懸命働くべきで、一生懸命に働く誠実な人間は、たとえ仕事ぶりは不器用でも(=あまり会社には役立たなくても)非難すべきではないと思いますね。
 
> 働けるのに働かない者は、どこかで人に優しくしているかも知れません。
 そうでしょうね。悪魔サタンも配下の使いたち(悪霊)には意地悪をしないでしょうし、人間嫌いでもペットや孫には優しいという人がいるでしょう。
 ただし、それは仕事ぶりという観点とは違う、優しさという違う観点で見た場合の評価です。「群盲象を評す」という諺がありますが、象の「力」だけを見た場合でも、重くて牙があって人間に危険だという見方もあれば、しかし力仕事をさせれば人間に有用だという評価もあります。観点や立場、時代、地域、宗教、状況が違えば、善悪正邪の規準や評価はおのずと異なってくるものです。

> 馬鹿にしてお仕舞いでしょうか?
社会的に排除でしょうか?

 私は、イエスが述べた「友のために命を投げ打つことより大きな愛はない」との言葉に賛同し、できれば自分もそうなりたいものだと常々思っています。
 しかし一方で、《人は自由に生きていい、ひと様に迷惑を掛けない限り》と口癖のように言っています。
 ですので、突然の緊急時に他者の命より自分の命のほうを優先する人を非難するつもりはありませんし、自分だってその時にはそうするかもしれません。

 非常に極端なことを言えば、悪とか邪というものは無いと思っています。たとえ朝寝朝酒朝湯を一年中していようと、全然働こうとせずにダラダラしていようと、危険な薬物を常習していようと、宗教では罪とされる偶像崇拝をしようと、もし自分のしていることが他の誰にも迷惑が掛からず、自分の良心も痛まないのであれば、健康を害そうが命を縮めようがひどい貧乏をしようが、何でも自分の好きなようにやったらいいだろうと思います。人間は自分のやりたいように生きるために、この人生に生まれてきたのだろうと思っています。

 ただし、です。いくら有能で有用でも、いつも尊大にして、他者を軽んじ、ひとに甚だしい迷惑を掛けて平気でいるような人間は、私は、まあ、心の中では馬鹿にしますし、社会的に排除とまではしないでも、そんな人はできれば居ないでいただきたいと思いますね。これは、いい悪いの観点ではなく、好き嫌いの観点で言ってますが。

2016/04/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: (y^ω^)yおはようございます。

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
 金閣寺に放火した人は単なる愚か者か、あるいは精神的な問題を持っていたのかどうか、よく知りませんが、ISIS問題の地域に行った人の中には遊びで行った人もいたのでしょうか。

 いずれにせよ危険な騒乱地域なのですから、政府の指導を無視して個人が勝手にした無謀行為に対して、日本政府が日本国民の金を使って助けるのは「義」なのかどうかと、いろいろ意見がありました。あの殺されたカメラマンは行く前に、自分の行動は自分の責任範囲のことだから何かあっても気にしないでくれと言い残していたようですが、もし私がその立場にあれば同じことを言うと思います。

> 生きて帰ってくれば、一生大きな罪を背負って生きていく、・・・もう楽しい人生などありえないのだろうと思うと、多少の哀れは感じますね。
 罪を犯した自覚のある人は多分そうでしょうね。
 ただ「悪行」とひと口に言いますが、「善悪」というのは信念や立場、状況、時代、地域が違えば、おのずとその判断が違ってくるものです。自由主義側から見れば悪でも、イスラム側から見れば正ということもあり得ます。今のこの時代から見れば悪でも、長いスパンや広い視野で見れば善だということもありそうですし、日本のある小さな地域には悪でも、日本全土から見れば正になるかもしれないなどとも言われそうです。

 特に自分の強い主義や信念で行動する人は、社会や他人に甚だしい害を与えても、それを知って後悔することは無いのではないでしょうか。なぜかと言えば、当人は信念という崇高な精神に基づいて良心的に行動していると思っているからです。大韓航空機爆破事件の犯人(北朝鮮の工作員とされている)は、逮捕された後に後悔していますが、あれは珍しいケースじゃないですかね。
 ISISの自爆犯や破壊されたイスラムの町の人々を見ると、本当に哀れだと思います。なんとかならないものですかね。

2016/04/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 同じタイプなようです

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 私も金銭欲がないと言われています。しかし物欲はあります。
 あははは・・・そうですか。私と同じです。カメラとかクルマとかデジタル商品は、欲しいものばかりあって困ります。こういうモノがないと世の中はかなりつまらなくなりそうです。大人もおもちゃがほしいのですね。

 金銭欲というのは、もう先刻ご承知のように、物欲の一部ではありません。金銭がたくさんあればあるほど幸福だという考え方に立つ下品な欲望です。ここでは、そういう言葉の用法をしています。
 金銭を追い求めることを人生最大の善としていて、そのためには他を蹴落としてもいい、ひとを殺してもいい、というわけでテロや騒乱や戦争を世界に起こして金儲けを企むヤカラがいるようです。311の地震は人工的なものだという話や、911のビル崩壊は仕掛けてあった爆弾によるものだと言う人もいます。何が真実か分かりにくいですが、金を神として崇めている富裕な特権階級の人間がいることだけは確かなようで、資本主義の世の中も怖いものですね。
 
 金銭欲がないのと、人にはののしり返さないの2点は同じでしたか。どうも波長が似ているようです。これからもよろしくお願いしますね。(^^♪

2016/04/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>日照りの時は 涙を流し
>寒さの夏は おろおろ歩き
う~ん。
まぁ、どうしようもないのですけど。
弱さをさらけ出すずるさ、があると思うのです。

僕は、苦手かなぁw。
ウェットで、うっとうしい。
役に立たないのに、
気持ちだけで介入してくるボランティアみたいなもので。

僕なら、
「もういいよ、気持ちは伝わったよ、ありがとう」
そんな挨拶をくれてやって、思います。
「ほんとに、でくのぼーだなっ!」

僕は、杉良太郎が好きだなぁ。
売名行為だよっ、それがどうした? 悪いのか?
みたいなことを言ってたけど、
ドライで、感情に訴えない。
役に立って、ありがとうも受け取らない、
なりたいのは、そういう者かな、
どちらかといえば。

2016/04/30(土) |URL|青梗菜 [edit]

天運に身を任せれば自ずと道は開ける・・・筈もなく

 若かりし頃、わたくしは例え小さな歯車であっても必要である存在になりたいと思った。が今は、特に必要でもないけど居ても問題ない存在でありたいと思っている。
 狡兎死して走狗烹らる。必要な存在と言うのは有用であるからだが、それ故に有用でなくなった途端排除される運命に有る。逆に必要でもないけれど居ても良い存在とは、当に必要な訳ではないから役に立たないからと言って排除もされないのである。何たる気楽な身分。難と自由な身の上。
 蟻の社会は、実は働かない蟻の方が多いのだそうな。いざと言う時に即応できるように、取敢えず待機してろって言う事らしい。でもいざと言う時がそうそう有ったら大変な様に、いざと言う時が一度も訪れずに働かないままに死ぬ奴も相当数いるとか。
 かの忠臣蔵の大石内蔵助、ついたあだ名は昼行灯。主君が阿呆なばっかりに昼行灯を謳歌できなくなった「いざ」に遭遇してしまった不運な蟻である。しかし彼ばかりが昼行灯な家老であった筈はなかろう。大半の御家老様は特に何もせずにうすらぼけっと暮らしていたに違いない。とある奉行職の一日を綴った日記がある。剣術の修行、勉学と自己鍛錬は怠り無いが、はてお役目はと言うと、日に一・二時間という有様である。つまり殆ど何もしていない。
 ある賢者は言った。働くとは堕落だよ、堕落。流石に労働を堕落とまでは思わないが、働かずに済むなら働きたくないと言う気持ちは判る。働かずに暮らす知恵が有るなら、それこそ本当に賢者と言えるかも知らん。そしてその賢者は最後にこう言った。
「世界は生きる事を許してくれているんだよ。でもみんなそれを忘れてしまうんじゃよな。」
 許されているならのんびり暮らそう。無論、誰に頼るでもなく、迷惑を掛けるでもない、が大前提ではあるが。
 結論、当たれ宝くじ!!!・・・・・・しゃあない、真面目に働くか。
                               お粗末

2016/04/30(土) |URL|miss.key [edit]

(y^ω^)y遊びに行く~☆

(y^ω^)yお返事ありがとうございます。
信念とは便利な言葉で、自分がやりたいことをやるだけだが、もっともらしい理由として、信念と、語られることが多いのですが、中東で捕まって、自分で責任取れるわけありません。何十億円も払えるとは思えません。自分の責任で行く、という時点で、愚かな子供の遊びです。あくまでも、自分の興味で行きたいだけです。実際、そういって出かけた人が、捕まって「助けて下さい」と言っていましたね。

 もちろんそんな人たちですから、捕まって帰って来ても、何の責任も罪の意識もないかもしれません。でも、流石に世間には叩かれるでしょう。そして、多少は後悔することになる。そこへの、愚かさゆえの結果に対しての哀れみです。

 そういう命は羽毛のように軽いと思いますし、震災の被害者の方々や、交通遺児などの命は比べるまでもなく重いと思います。

2016/05/01(日) |URL| 匠石 戒丘 [edit]

おはようございます

生物を遺伝子学的にみると、役に立たない、弱者は淘汰される
ようになっています。
人間だけはそうじゃないはずです。
だから他の種にぬきんで進化を遂げたのだと思っています。

人にののしられても反論しない・・・・、私もまったく
バーソさんと同じです。
基本的に口で人を言い負かしたり、思い知らせることは不能だと
思っています。そのいい例が「竹島」です。(笑)
議論の場から去ると、しばらくして相手が非を認めてきたりしますが、
困ったことに諍いの原因の半分は私に非があったりするんですよ。(笑)

2016/05/01(日) |URL|エリアンダー [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> >日照りの時は 涙を流し
>寒さの夏は おろおろ歩き
う~ん。
まぁ、どうしようもないのですけど。
弱さをさらけ出すずるさ、があると思うのです。

 そうですか。ま、青梗菜さんらしいですね。あえて世間一般の流れとは違う、ローバーミニという旧車に好んで乗る人の思考が表れているようです。

> 役に立たないのに、
気持ちだけで介入してくるボランティアみたいなもので。

 「気持ちだけで」という言い方は、こういうときには金がないならたいして役立たないということですかね。ある行為を、有用かどうかで判断するのは合理思考であり、知性が優っている人の特長のひとつのように思えます。
 しかしたとえば、このボランティアの人たちが土に埋まった人を助けたとか、あるいは何十人か集まって合同で何かの作業をやり遂げたとかすれば特筆され、美談になるでしょうから、また評価が違ってくるはずです。
 ですが、たとえ何かをやり遂げないでも、そういう同情心を持つ親切な人たちが来てくれたという話を聞くだけでも、かなり励まされるということはないですかね。このたびのニュースでも熊本の小学生たちが、私にも何かできることをしたいと思って、と言って避難場所で弁当配りを手伝っていました。私が被災地の人なら涙が出てきて、手を合わせたくなります。

> 僕は、苦手かなぁw。
ウェットで、うっとうしい。

 ウェットが苦手というのは、お涙頂戴の話が苦手と同義ですか。ならば私も分からないでもありません。誰かに親切行為をするときは陰で見えないようにさり気なくして、当人から直接お礼を言われないようにしたいと思いますからね。自分が善行をすることや他者から感謝されるというのは、恥ずかしくて、ちょっと照れるものです。青梗菜さんはドライな振りして、本当は感情がかなり繊細。そして、けっこう涙もろいほうじゃないですか。
 
> 僕は、杉良太郎が好きだなぁ。・・・ドライで、感情に訴えない。
役に立って、ありがとうも受け取らない、
なりたいのは、そういう者かな、どちらかといえば。

 杉良太郎が立派に見えるのは、金額が数十億と高額なせいもあるのじゃないですか。この金額の前では、だれも文句など言えません。しかし、もしこれが数百万円程度だったなら、売名行為だなんて言うひねくれた人がいても、ちょっと反論がしにくいでしょうが。
 でもまあ、それだけの資産がある人なんですね。金があるというのもひとつの正義だなあと思います。それにしても、この金額はすごくて、たいしたものです。杉さんを大いにリスペクトします。

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

miss.keyさん、匠石 戒丘さんへ。
今日はこれから出かけますので、返コメは夕方以降にさせてくださいね。
いつもありがとうございます。(^^♪

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

スピリチュアル系のブログなんかではよく、「考えるな。感じろ」なんて言っていますが、
これを実際にやり続けると、先入観や思い込みやに基づく自我の領域がより強化され、
石頭の偏屈な人間になると感じます。

「フィーリング」と言うのは、人口的にプログラミングされた関数が返してくる値のようなもので、
どちらかと言うと、その値よりは、その関数自体が、正当なものかどうかが問題になると思います。

その関数が、自分で経験した事実に基づいて組み立てられていれば、
ある程度は根拠のあるものだといえますが、
大抵の関数は、成長過程において、親の都合によりインプットされたものや、
みんながそう言っているとか、権威のある人がそう言っているとかで、
それが事実であろうという思い込みによって形成されたもので、
自分の経験によって、事実だと確認されたものではありません。

そして、フィーリングによる判断と言うものは、
この事実に基づかない関数の返してくる値による判断と言う感じで、
五感によって知ることができない事実を、「直観」によって知ることとは、
また別の現象・経験だと感じます。

バーソさんの言いたいこととは少しずれていると思いますが・・・^^;

2016/05/01(日) |URL|Korva [edit]

こんにちは

「雨ニモ負けず」は私が中学校の時に人生について考えさせてくれた偉大な作品です。
「欲はなく、決して怒らず」、当時の私にもこれがいかに貴く、平和への道であるかということがわかりました。そういうものにわたしはなりたい。身の程知らずにも、私も強くそう思いました。今ではその弊害で、本来欲深い人間である私が欲を無理やり抑えた結果、不調和、自己分裂のような不具合が生じてきています。まだまだ自分は未熟だと痛感しているこの頃です。

先日頂いたコメントに返事をさせていただいたので、よろしければ、時間のある時にでもご覧くださいませ。

2016/05/01(日) |URL|hajime [edit]

Re: 天運に身を任せれば自ずと道は開ける・・・筈もなく

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 またまた時間を掛けての興味深い小論文。ありがたき幸せです。
 
> 若かりし頃、わたくしは例え小さな歯車であっても必要である存在になりたいと思った。が今は、特に必要でもないけど居ても問題ない存在でありたいと思っている。
 そうですか。穏やかで、平衡の取れた思考のmiss.keyさんの姿が目に浮かぶようです。ゴリゴリ。(^・^)
 狡兎死して走狗烹らるの話は知らなかったですよ。范蠡と児島高徳の話は知ってましたが。まあ、人生とは奇妙なものですね。才があっても才がなくても、どちらにしても生きていくのは容易ではない。ならば気ままな人生を選択しておいほうが浮き沈みがなく、無難ということでしょうか。無難はいいことなのでしょうか。

 蟻は働くのが専門で、キリギリスは遊びが専門のようですが、寒い冬でも蟻さんや他の所には物乞いには行かないぞという気概があって、それでどうにかこうにか冬を越せるなら、自分の好きなことができる、キリギリスの無難ではない生活のほうが面白そうです。

 忠臣蔵の大石内蔵助の話。世間一般に倣って無難な公務員として生きるか、義のために信念に従って死ぬために生きるか。自分ではカッコよく生きたと思っても、残された家族は苦しむでしょうし、事が収まったあとには、口先だけの無難志向の人間から寄ってたかって叩かれたりすることがあるので、なかなか大変です。
 働かないで生きていければ幸せか。小説を書くとか絵を描くとか何かの研究をするとか、自分のやりたいことがある人はそう思うでしょう。
 では年中遊んでいられるアラブの石油の富豪は幸せなのか。いや、どうでしょうかね。苦労して働いて、余暇を見つけて、やっと安息や趣味を楽しみ、四季折々の自然の移り変わりを楽しむほうが、私はいいような気もしますがね。
 小さな歯車になるのもいいし、居ても居なくても害を与えない存在で居るのもいい。これは路傍の雑草のようなものですかね。時々チラと見てくれる人がいれば十分。見てくれなくても別にかまわない。片岡につゆ満ちて、揚げひばり名乗りいで、かたつむり枝に這い、神、空にしろしめす、すべて世は事もなし―――。そんな状況と心境がなかなか良さそうです。

> 「世界は生きる事を許してくれているんだよ
 そうですか。温かい言葉ですね。みんながそう思えればいいですね。人がみな、他者が自由に快適に生きることを認め、支えることができれば、昼行灯が煌々と輝く世の中になるのでしょう。なんだか、つちのこがぼーっと機嫌よく歩いてる景色が見えてきましたよ。

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: (y^ω^)y遊びに行く~☆

匠石 戒丘さん コメントありがとうございます^^)
 「信念」。あることが正しいと思い込んでいる心。なので必ずしも正しくはない。
 信念を貫け、信念を曲げるな、などとよく言われますが、しかし信念とは、いわば諸刃の剣なのでしょう。この社会を良い方向に存続させようという信念もあれば、この社会を破壊するほうが正しいのだという信念もありますから。

 中東で捕まった人はみな正義や同情心に動かされて、正しいと信じた信念ゆえに彼の地に行ったのでしょうが、いかんせん単独で、しかも特別なツールもない状態で有用なことができるはずもありません。動機は立派でも、行動はかなり愚かしい。何があっても責任は自分にあると言い残したのであれば、確かに「助けてください」と言ってはおかしいし、まさかの時に備えて切腹用のナイフか青酸カリを用意できないのであれば、行くべきではなかったのでしょう。気持ちはあっても、気概が足りないと感じます。だから「子供の遊び」ですか。なるほど、そうかもしれません。

> でも、流石に世間には叩かれるでしょう。そして、多少は後悔することになる。そこへの、愚かさゆえの結果に対しての哀れみです。
 そうですか。愚かな人間の愚かな行動に対しての哀れみですか。憐れみと蔑みも含んでいますね。まあ、本当に信念とは要注意の思考のようで、自分では判らないという一面もあるので、重々気をつけたいものですね。

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 生物を遺伝子学的にみると、役に立たない、弱者は淘汰されるようになっています。人間だけはそうじゃないはずです。
だから他の種にぬきんで進化を遂げたのだと思っています。

 ああー、そうです。そうです。私もそう思います。人間が動物と同じでいいはずはありません。人は考える葦であり、心を持つ葦です。宇宙はそれができません。宇宙が出来ないことが出来る生きものが人間であれば、弱者をいたわるような優しい気持ちは人間は本質的に備わっているはずです。
 聖書の創世記には、人は神の「像(カタチ)」に造られたと書かれています。ある英訳では「像」は“image”と訳されています。神のイメージは愛であり優しさであり憐れみですから、人間も本来そういう特質を持っているはずなんですね。

 ですから、万事カネカネカネというような経済志向、すべて効率を考える合理思考、弱肉強食、適者生存・・・そういったことが自然界の法則であり、正しいとする進化論は、科学的にその進化の推論は問題ないとしても、倫理的心情的には大きな問題点をはらんでいて、人間を幸福にする有益な科学ではないと思いますね。

> 人にののしられても反論しない・・・・、私もまったく
バーソさんと同じです。

 あららー、エリアンダーさんもそうでしたか。頭がよく、弁も立ちそうで、職場でもいい地位にいるように見えますが、よくそういう謙虚な態度を持てますね。でも、この点は同じだということは思考の波長が同じということで、うれしいですよ。

 口で相手を言い負かせないいい例が竹島ですか。うーむ、とくと考えても難しい問題ですね(あ、ここは独島にかけた駄洒落です、念のため)。話せば分かる、なんてことは相手が凝り固まっている場合にはあり得ないですから。やはり国家間の問題に関しては、最終的には、論理より腕力、ペンより武力のほうが強し、なんでしょうか。そうであれば、こちら側の努力だけでは平和は達成できないので、本当に困ったものですね。

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 「フィーリング」と言うのは、人口的にプログラミングされた関数が返してくる値のようなもので、どちらかと言うと、その値よりは、その関数自体が、正当なものかどうかが問題になると思います。
 そうですね。過度にフィーリングを優先しすぎると、石頭の偏屈な人間になりやすいでしょうか。なにか問題が生じたたとき、理性的な人間はおおむね冷静かつ客観的に対応しますが、感情的な人間は何よりも自分のその時の感情に固執するので、理屈が通じなくて困る場合があります。感情が豊かな人は付き合うとこちらも心豊かになりますが、一方で、感情的な人はすぐ腹を立てたりして感情を乱すことがあるので、「感じる」ことには要注意の問題も多々ありそうです。

 考えてみると、自分の理性というのは、成長過程において他から種々インプットされ、それがメモリーされ、その中から自分の好みのものが取捨選択され構成されることで、一応自分オリジナルの理性のように見えています。
 感情も同様の場合がありそうです。おっしゃるように、他からインプットされたデータから自分用にプログラミングされたもので、こういう場合にはこういうふうに反応するものだという、いわば定番のパターンで感情は反応していることもあるのでしょうか。だから本当は怒らなくてもいいのに、こういう場合は怒るものだという意識ないしは知識が潜在的にあり、それが怒りという感情として表面に浮上してきているということもありそうです。
 
> フィーリングによる判断と言うものは、この事実に基づかない関数の返してくる値による判断と言う感じで、五感によって知ることができない事実を、「直観」によって知ることとは、また別の現象・経験だと感じます。
 「直観」となると、ちょっと深い話になってきて、よく分かりませんが、私の言いたかったことは、万事を合理的思考で理性によって判断していると殺伐とした弱肉強食の世界になりやすいということです。
 よく「惻隠の情」と言われるように、人間には本質的に弱者に同情するような優しいハートが備わっている。だからその人間らしい心をもっと強く意識したほうがいい、ということでしたが、まあ、そんなことを言っても自分ではそういうことが出来ているというわけではなく、むしろ出来てないからこそ、そういうことを言ってる自分がいるわけで、お恥ずかしい限りです。

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

hajimeさん コメントありがとうございます^^)
> そういうものにわたしはなりたい。・・・私も強くそう思いました。今ではその弊害で、本来欲深い人間である私が欲を無理やり抑えた結果、不調和、自己分裂のような不具合が生じてきています。
 そうですか。率直な感想をありがとうございます。自分の感情を理性という意思で抑え込むと、問題が起きる場合があるようですね。

 感情というのは、本質的には人間の本当の声です。理性というのは本当の声ではなく、こういうときにはこういうふうにしたほうがいいという、誰かから教わった、いわば常識的な知識に過ぎません。あるいは、こういうときにはこうするのはいやだという反常識的な意識も、人によってはありますが。

 この感情という自分の本当の声は抑えるのではなく、とことん味わったほうがいいようですね。怒りたい時は怒る。泣きたい時は泣く。笑いたい時は笑う。なんだか子供のようですが、でもそうすればその感情は味わいつくされたので、その感情の役目は終了。あとで現れてきて、ぐずぐずと自分を責め続けることはないようです。

 感情というのは抑えると心の底に溜まります。決して消失しません。ですから、感情は放出してしまったほうがいいと言う知者がいて、たとえば怒りの感情が生じた時は、野原に行って思い切り大声でバカヤローと言ってしまえば、あるいは思ったことを紙に書き連ねてそれを燃やしてしまえば、あるいは風船につけてその紙切れ大空に飛ばしてしまえば、悪い感情が溜まることはないなどと言われます。

 と、まあ、分かったようなことを言ってますが、じつは私にもそれに似たことがありました。
 「右のほほを打たれたら、左のほほを出せ」の教えを文字通りに実践しようとして、過去、怒りをだいぶ長い間、抑え込んだために(そのときは腹も立たず、うまく抑え込んだと思っていたのですが)、だいぶ後になってそのときの怒りの感情が時々顔を出してきて、なぜあのときに堂々と反論したり言い返したりして自分の正当性を主張しなかったのか、しなかったのは自分の弱さではないか、それは人生の失敗ではないか、という自分を責める気持ちが生じてきて、イライラして寝つきが悪かったり、精神が平安になれないことが時々ありました。どの記事か忘れましたが、ブログに書いたこともあります。

 どんなことであれ、気にしないほうがいいと言われますが、気にしないでいようと思っても気にしてしまうもので、気にしないでいることが一番難しいことです。
 気にしないでいるより、気にしてもいい。気にして気にして、たっぷり気にしてしまう。そうすればもう飽きてきて、卒業できる、と思うといいようですよ。私はその感情を味わい尽くせたのでしょうか、今ではほとんど卒業できました。

 「憂鬱ごっこ」と言って、それを「やめることにする」と言えるのであれば、自分を客観的に見ています。感情を意思でコントロールできていると言ってもいいでしょうか。こんな話は全然関係なかったでしょうが、以上は私の場合の話です。

2016/05/01(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

あははは、私は生きているだけで負債を生む不良債権だわ。でくの坊以下かしら。
先生が私に歌ってごらんなさいって言って下さったのは、
愚脳、じゃないグノーじゃないです。何かしら。
でもね、私、ホントに歌うのかしら。
時々、自分がしでかす無謀さに自分で付いていけなく感じるのですよ。

2016/05/01(日) |URL|宝香 [edit]

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2016/05/02(月) || [edit]

役に立たぬ者

こんにちは

論点がずれていたらごめんなさい。

おいらの一番嫌いな言葉、「知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!」

これは土光さんが言ったとか、昔あちこちの会社に掲げられていました。

出来ぬ者はされ、
そうしないと会社はつぶれるんだけど

出来ぬものは何処ヘ行けばいいの

人間は矛盾のかたまりですね。

2016/05/02(月) |URL|ばく [edit]

Re: 役に立たぬ者

宝香さん コメントありがとうございます^^)
でくの坊ですか。どちらかと言えば、でくの嬢、いや出来のいい嬢。
と、そう思いますが。ほんと。そして、ゴリゴリも添えて。(^^♪
義太夫はあえて喉を潰して、無理して搾り出すのでしょうか。
しかしアヴェマリアは、細い喉から生来の声を出すのでしょう。
義太夫姿も凛々しそうですが、リリーを髪にさした白衣のマリア姿も良さそうです。
野の百合を見よ、蒔かず、刈らず、しかしあの栄華を極めたソロモンより着飾っている、とイエスが言ってます。ですが、百合は街の中で見てもいいですね。
歌はYou-Tubeで発表してくださいよ。子守唄代わりに聴きますから。スヤスヤしながら。

2016/05/02(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

sさん コメントありがとうございます^^)
 宮沢賢治記念館は岩手にあるのでしょう。岩手の花巻の人でしたかね。
 『雨にも負ケズ』は全部暗記しているのですか。すごい。私は詩では藤村の『千曲川旅情の歌』を覚えていたのですが、いまは半分も思い出せません。詩を書ける人は羨ましいですよ。
 『雨にも負ケズ』の詩の中では「一日に玄米四合」とあり、そんなに食べたのかとちょっと驚きますが、あの頃はおかずが貧相だったのでしょうね。
 「味噌と少しの野菜を食べ」とありますから、味噌は味噌汁という意味ではなく、ご飯を食べやすくするためのおかずだったのでしょうか。現代とはずいぶん違って世の中全体が貧しかったようですが、人に善行をするというのは、自分が富んでるかそうでないかとは関係ないのですね。むしろ小金を持ってる人のほうがケチだという話もあり、自分が貧しいのに他の人のために東奔西走する姿は麗しいと私は感じます。

 賢治も金平糖が好きだったのですかね。私も子供の頃、舐めた記憶があります。というより、カリカリとかじりました。飴玉やキャラメルは、すぐかじってしまうクセがあります。せっかちな人間は詩歌や名文は書けないような気がします。写真や絵もそうなんでしょう。カメラは好きですが、外でなにか撮ろうと思ったら、その場で全然動かず、精々ズームリングを少し回すぐらいで、すぐシャッターボタンを押してしまいます。そんな安直じゃだめなんですよね。反省します。でも反省しても才能は増えないですね。ああ (~_~)

2016/05/02(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: 役に立たぬ者

ばくさん コメントありがとうございます^^)
> おいらの一番嫌いな言葉、「知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!」
 あら、そうですか。社長業をしていたのに、一番嫌いなんですか。
 「知恵を出せ」とは、頭を使って真面目に仕事のことを考えよの意。考えようともしない人間は、会社の役に立たないから不要だ、という意味なんでしょうか。終身雇用制で就職したら、あとは三ナイ主義とやらを実践していけば安楽に定年まで過ごせる、という安直怠惰な人生志向を戒めていると考えれば、社長の立場としてはそう悪くはない標語のように思えますが、一番嫌いというのは、うーむ、ばくさんは血が熱くて、温情が理性に相当優っているのですね。たいしたものです。妻を愛妻と人前で言えるのもたいしたものだと思います。

 ひょっとして父親なしでハンディがあったのに、苦労して今の立場を築いたせいもあるのでしょうかね。いや、でもそうなら、頭を使って知恵を出し、汗を人一倍かいたほうじゃないですか。
 「出来ぬものは何処へ行けばいいの」。そうですね。人間は矛盾のかたまりです。立場によって善悪正邪の判断が違ってくることがありますね。
 
 才能でも容姿でも生まれながらに劣っている人がいます。そういうとき、人生は不公平だと思えますが、いや、そうではない、懸命に必死に生きることが尊いのだとも思います。そうでなければ自分の生まれや状況を恨むだけの人生になってしまいますしね。

2016/05/02(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/05/02(月) || [edit]

こんにちは

訪問ヘルパーをしていて
あるおばあさんに毎回、いわれること。

「ありがとうね、自分では、できないことを
してくれる有難さ!ありがとうね」と
言ってくれる人がいます。

困っている人を助けている、しかもお金も
いただいている。

役にたっている・・という意識を私が持てる
唯一のご老人。

理想のように思えます。

前回、愉快な動画を教えていただきありがとうございました。
めちゃめちゃ笑えました。

2016/05/03(火) |URL|森須もりん [edit]

Re: タイトルなし

mさん コメントありがとうございます^^)
失礼な相手への反撃ですが、
論理的な批評や疑問には、論理的に応えないといけないと思います。
でもそうではなく、尊大な態度でしてきた侮蔑的な批判の場合には、
ブログの場合は、その無礼を指摘したほうがいいかと思っています。
そういう人は、批判文を書く際のスキルに欠けている場合が多く、
相手の感情を傷つけないように書くことが下手です。
それを分からせてあげたほうがいいかなとも思います。

以前にもコメントで誰かに書いたことがありますが、
聖書の「フィレモンへの書4-21節」が参考になります。
著者のパウロという人は教養があり、非常に頭がいいのですが、
厳しさばかりではなく、優しさもあり、感心します。

> プロテスタントの教会に行き献金をする時に
お財布の中に5万あって千円を入れる人
お財布の中に5百円しかなくて3百円入れる人
宮沢賢治の木偶の坊は後者で 世間の評価は前者に
どれだけ顕したかではなく どれだけ込めたか
それが大切な事なのだと思います


その通りだと思います。イエスの「やもめの2コイン」の話を
思い出します。(マルコによる福音書 12:41-44)
人間が有用かどうかで価値が判断されるのであれば、
ならば生きていく場がないという人が大勢現れてきます。
イエスの時代にも、やもめや貧しい人たちは大勢いましたが、
その貧困の問題をイエスは解決しようとはしていません。

人生にはいろいろ苦難もありますが、精一杯生きていくのが
いいところかもしれない、と思うのがいいのでしょうかね。
お仕事、ゆっくり楽しむようにされてくださいね。

2016/05/03(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> 「ありがとうね、自分では、できないことを
してくれる有難さ!ありがとうね」と
言ってくれる人がいます。

 そうですか。よかったですね。そういう人がいなくてはおかしいですから。でも一人だけなんですか。うーん。
 私が高齢者にしてる役立つことといえば、電車内で席を譲ることぐらいでしょうか。若い時からそうしているので、若くない今でもそうしています。大抵はお礼を言われたり、感謝の表情をされますが、中には当たり前だという顔をして会釈もせずにドンと座る人がたまにいます。
 でも、気にしません。自分の気がすめばいいのですから。役に立っているのは間違いないのですから、相手が感謝の態度を示さないでも、自分は役に立っている意識はいつも持っていていいのじゃないですかね。

 森須さんは、役に立っていても、だからといって、してやってるのだというような偉そうな態度は取らないひとでしょうから、心の中で自分の有用性と真摯さだけはいつもよく見つめていてくださいよ。

 介護の仕事は気軽に誰でもできることではないと思います。自信と誇りとを持って、ボランティア精神でこれからも頑張ってくださいね~。

【おまけ】介護は気持ちいい。
https://www.youtube.com/watch?v=YusyUlgcx78

2016/05/03(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

デクノボーといえば、やはり宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い浮かべます。
実際に言われると、かなりショックなのですが、案外そういう人が愛されていたりします。

2016/05/03(火) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

色:006633]マウントエレファントさん コメントありがとうございます^^)
> 実際に言われると、かなりショックなのですが、案外そういう人が愛されていたりします。
 デクノボーなんて、言われたらショックでしょうね。
 役立たずとか、ボケナスとか、能無しとか、ゴクツブシとか、ウダツのあがらないとか。けっこうこの種の言葉って多いですね。会社に勤めていて、上司からこういうことを言われたら、辞めたくなるでしょう。窓際に行かされるだけでも、辞めたくなるでしょう。勤め人を殺す言葉ですかね。でもそう言われてもしょうがないような人っていますね。

 しかし案外そう人が愛されていたりしますか。そうですか。性格がいい人なんでしょうかね。そうでないと愛されません。
 あるいは他に、優しいとか面倒見がいいとかのいい点があるのでしょうか。

 昨日テレビでアメリカのオーディション番組を見ていたら、あのベッキーの妹という人が出て、ストリートダンスを披露したところ、三人の審査員からOKがでたのですが、三人とも、ダンスのほうはもっと幅を広げる必要があるが、あなたの笑顔がいい、人柄が気に入ったと言ってました。自分の才能は努力して広げて、人格のほうはニコヤカにして人に愛される人になるべきだなあと思いましたね。[/色]

2016/05/03(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/06/23(木) || [edit]

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