「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 己の義のために生きるか、大義のために生きるか。 

世間には「有名」になり「盛名」を馳せても、「醜名」に変わり、「汚名」を残す人がいる。
 2年ほど前には、作曲と聴覚障害の偽装をした音楽家がいた。
 最近は、経歴と出自の詐称をした経営コンサルタントがいる。

彼らは、演技力と変装術さえあれば「虚名」を得るのは容易だという平成の事例となった。

harairi2 (1)
※画像は松竹映画『切腹』(1962年)より。記事の内容とは無関係です。

武士道が廃れかかった江戸時代、「令名」つまり良い評判を命より大事にした人がいた。
これは男の尊厳を失うことを何よりも恥とした一人の下級武士の逸話である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
水野家士 岩崎彦右衞門が事―――『耳嚢みみぶくろ 
(江戸中期に奉行職を歴任した根岸鎮衛が同僚や古老の話を書き留めた随筆集『耳嚢』より)

老中の水野和泉守は、下級の旗本の息子であり、
下々の者たちの事情をよく知っていた。
本家を相続して藩政を執ったが、才覚にはひと方ならぬものがあったそうだ。

その和泉守の御側仕えに、岩崎小弥太という者がいた。 

あるとき、和泉守は着替えをする際、
岩崎小弥太の手伝い方が要領悪かったので、
「遅いッ」と苛立って、帯で小弥太の顔を打った。

すると小弥太は、すっと次の間に行き、髻
(もとどり※)を切り払い、
次のような書置きを残して退去してしまった。
「先代より御奉公して参りましたが、侍の顔を打たれたことなど
一度もないことで、武士としての面目が捨てられました」 
               
※髻:髪を頭の上に集めて束ねた部分 
和泉守は己の短気を悔やんだ。
家臣たちも、家中の騒動になることを心配して諌めたので、
和泉守は「余の誤りと告げて、小弥太を呼び戻せ」と命じた。

ここで老臣の水野三郎右衞門が意見を申し上げた。
「ごもっとではございますが、主君の誤りと申して、
すぐ帰ってくるような小弥太ではございません。
主君に背くのは不届きゆえに切腹を申し付けると申し渡せば、
直ちに帰って参ることでございましょう」

和泉守がそうしたところ、果たして小弥太がすぐさま戻ってきたので、
加増を申し付け、納戸役※に取り立てた。 
                 
※納戸役:金銀・衣服・調度の出納係
和泉守は名君と言われているが、
下位からだんだんと昇進した方であり、その気力を助けたのは、
この水野三郎右衛門と岩崎小弥太彦右衛門であったという。


 『耳嚢・上』岩波文庫 102ページ バーソ拙訳

harairi2 (2)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主君への忠義第一なり、が侍の美学であった。

このエピソードは、岩崎小弥太が自分の侍としての《義》よりも主君への《忠義》を
第一にしたということだが、その背景には50年以上前に起きた赤穂浪士の仇討がある。

水野和泉守忠之は、赤穂事件では赤穂藩の屋敷に赴いて騒動の鎮静にあたった。
討ち入った赤穂浪士47名のうち9名を預かったが、彼らを罪人扱いしないで、賞賛し、
よくもてなし、その後、幕府の命により、彼らをきちんと切腹させた。

この水野和泉守の行動は江戸の庶民から称賛されたようで、こんな狂歌が残っている。
「細川の水の(水野)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」
(細川家と水野家は浪士たちを厚遇し、毛利家と松平家は冷遇したと言っている)

harkiri5 (1)

赤穂浪士は、侍としての忠義を全うするために命を捨て、幕府に逆らった。
岩崎小弥太は、己の侍の義を全うするために公務を捨て、主君に逆らった。

浅野内匠頭は、おそらくは面子(名誉)を潰されたのと短気ゆえに吉良上野介の顔を切り、
水野和泉守は単に短気ゆえに岩崎小弥太の顔を打ったので、和泉守のほうが分が悪い。
家臣たちは、この小事件が家中の者たちの忠義騒動に発展することを心配した。

小弥太が主君の命令で切腹と言われて、直ちに戻ったのは主君への忠義を重んじたゆえ。
御前に出る際には、切腹覚悟で幕府に出頭した赤穂義士の気分になっただろう。

harkiri9.jpg

自分の義よりもっと崇高な義のために生きようとする、奉仕と自己犠牲の精神は美しい。
だが臣下は忠義を第一にせよという教えは、上が下に押し付ける不条理な倫理観である。
それは専制君主制を維持するための大義名分を詐称する偽装の人生美学ではないか。

君主に逆らう者は、大抵は疎まれ、罰せられ、左遷され、弾圧され、時には殺害される。
水野和泉守と岩崎小弥太の話は封建時代には珍しかったので、その名が書に残っている。

では自分の義のために生きるのは美しいかと言えば、これもいささか問題があるのだが。

yni 77
(靖国の桜は今しずかに五分咲きなり)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※画像:『切腹』松竹(1962年) 小林正樹監督、滝口康彦原作 、第16回カンヌ国際映画祭
「審査員特別賞」受賞作、出演:仲代達矢・三國連太郎・丹波哲郎・石浜朗・岩下志麻など
※大量虐殺を行った歴史上の支配者 (出典)
 第8位 李 承晩(韓国) 少なくとも120万人
 第7位 金 日成(北朝鮮) 160万人
 第3位 アドルフ・ヒトラー(ドイツ) 1,700万人
 第2位 ヨシフ・スターリン(ソ連) 2,300万人
 第1位 毛沢東(中国) 7,800万人
※資料:Wikipedia
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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武士道

バーソ様
おはよう御座います。

今の世の中、今のサラリーマンに義とか忠義はありませんが、もしあったら面白いでしょうね。
武士道を重んじて忠義を社是としている会社と一般の会社を競わせた場合、品質やコストや納期で勝つのはどちらなのか興味があります。
武士道会社は残業がどうのこうのと言わないでしょうからここ一番には力を発揮するかも知れません。
それ以前に武士道では商業や金を卑しいものだとする風潮がありますから駄目かも知れませんね。

愛新覚羅

2016/03/26(土) |URL|aishinkakura [edit]

おはようございます

和泉の守には水野という名家臣がいたんですね。
小弥太は藩命の大義の前では自分の義を殺すしか
なかったのか。
千利休は切腹を命じられ、詫びれば許すとの秀吉の
言にも耳を貸さなかったとか。秀吉から顔を打たれる
以上の恥辱を与えられたのでしょう。
小弥太が髻を切る場面で映画「切腹」を連想されたんですね。
「切腹」、時代劇にしてはサスペンスフルで先の読めない展開が
続きハラハラ・ドキドキしました。

2016/03/26(土) |URL|エリアンダー [edit]

おはようございます^^

今の時代に生まれることができて
良かったと思いました。

私は、人様の迷惑にならない範囲で
自由に生きたいです。

2016/03/26(土) |URL|坊主おじさん [edit]

Re: 武士道

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 今のサラリーマンに義とか忠義はありませんが
 私は何度か職場を変わったことがあるのですが、どこの職場にも、なるべく働かないでいることが賢いと思っている人間がいますね。自分の職務を真面目に遂行しようとする己の義もなく、給料に見合う働きもしない点で会社に対する忠義もありません。3ない主義の職場からいい仕事が生まれるはずはなく、確かに武士道が必要です。

 この記事では主君という権力者のために自分の命を犠牲にする悲しさ愚かさを書いたつもりですが、現代の男にとって仕事(自営業でも会社勤めでも職人でも芸術家でも)は大義のようなもの。大義をおろそかにしていては自分の義もなくなると思いますね。

> 商業や金を卑しいものだとする風潮がありますから駄目かも知れませんね。
 そうですね。「武士は食わねど高楊枝」という言葉を思い出しました。やせ我慢は麗しくないですが、そういう自尊心と清貧の気概を持つ人がいてもいいと思います。万事カネカネで経済至上主義の社会は好きじゃないですよ。

2016/03/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 小弥太は藩命の大義の前では自分の義を殺すしか なかったのか。
 これ、面白いですね。普通はやはり常識どおり藩命優先となるでしょうし、あるいは、うがった見方をすれば小弥太は、自分の退去行為は許されると推測していたとも思われます。
 赤穂事件のときは浪士は世間からは義士として賞賛されましたし、赤穂事件の前にも類似の討ち入り事件「浄瑠璃坂の仇討」があって、そのときは寛大な処分がされたようですから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%
92%83%E5%9D%82%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E

> 千利休は切腹を命じられ
 諸説あるということは本人が理由をひとに言わなかったということでしょう。いずれにせよプライドが相当強かったのでしょうか。
 千利休にしても内匠頭にしても自分のプライドを重要視しすぎると、家臣や自分の家族にまで迷惑が掛かることを知っていたでしょうが、それにしてもプライドはどこまで大事にすべきなのか、これはよくよく考えるべきことのようです。

 映画『切腹』は面白かったですか。私は観てないので、記事とストーリーと合ってるかどうかは分かりません。チャンスがあったらぜひ観てみます。あ、そうそう、画像は記事とは無関係と断りを入れました。いつもありがとうございます。
 映画はYou-Tubeで果し合いと切腹の場面を観ました。丹波哲郎が二枚目でした。昔の時代劇はみな、お芝居の舞台チャンバラの延長ですね。リアリティが全然なし。構えにしても顔つきにしても斬り方にしてもカッコをつけていて、『七人の侍』のあの剣劇シーンにはまるで敵わないと思いました。

2016/03/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます^^

坊主おじさんさん コメントありがとうございます^^)
> 私は、人様の迷惑にならない範囲で 自由に生きたいです。
 あらー、そうですか。これは私のモットーとまったく同じです。いつも私は、人間は何でも自由に生きるべきだ、ただしひと様に迷惑を掛けない限り、と言っています。

 なので極論をいえば、他者の迷惑に絶対にならないのなら、自分の義に従って死にたければ死んだらいい、それも自由だろうと思っています。
 ただし他者の迷惑にならない死なんて無いだろうとも思います。ただ、自分が死ぬことで誰かが助かるという場面もあるでしょうから、この話も突き詰めると難しいですね。

2016/03/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんにちは^^

何に対して忠義を立てるかが問題で、
忠義心自体は、利他心に基づく尊いものだと感じます。
しかし、人のそういう尊い感情を、
自分の利益のために利用しようとする人がいるのも確かで、
バーソさんの懸念するところもこの辺にあるのでしょうが・・・

昔と違って、今の時代は、大した倫理教育もなされていないので、
人間の自然な心理として、地位が上がると利己的で傲慢になりがちですが、
昔のほうが、武士道などの、ある種の倫理教育によって、
地位が上がると、より人間性が高くなるようなシステムが、
部分的にでも、あったのかもしれないなと想像したりもします。
こういう社会は、上の人が、人としてあるべき手本を示せるので、
社会が心理的、構造的に安定しているのではないでしょうか?

今の時代は、自分の欲望に仕えている人ばかりなので、
どんな分野でも、上の人が下の人に、自分の行動を通じて、
手本を示せる人は、ほとんどいないと感じます。

2016/03/26(土) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> 何に対して忠義を立てるかが問題で、
忠義心自体は、利他心に基づく尊いものだと感じます。

 そうですね。辞書によると《忠義とは主君や国家に対し、まごころを尽くして仕えること。忠節。忠誠。》とあります。《まごころを尽くして》というのは、尽くすほうの人間が自発的にするならいいのですが、そうではなく今までは、自発的になるように上が下に教えてきた倫理観でしょうから、これは問題を秘めています。

 私は長年、神と教団に対する忠義忠節を必死に第一にしてきて、つくづくその不条理を実感したので、この記事では君主に対する忠義のおかしさを書きました。
 その不条理の中には、ヒエラルキーという上下関係が付随しています。これがじつに醜いもので、イエスもこれは悪魔の特質であると散々指摘しているのですが、自分が尊大になっていることに気づかず、かえって尊大になれる立場に居ることを誇りに思い、尊大になれることを喜んでいる人が非常に多くいます。
 宗教でも職場でも組織には階級性はつきものですが、傲慢尊大な態度を表さないような学校教育をもっと幼いときからすべきだと思います。

 上が人としてあるべき手本を示せば社会が構造的に安定しているというのは、本当にそうですね。手本は二宮金次郎、というのは古くないと思います。
 それと、ローマ帝国と徳川幕府の平和な時代を思い出しましたが、群雄割拠ではなく独裁政権のほうが、社会は、いい悪いは別として安定します。みんなが自由に勝手に意見を主張すれば安定はあり得ないので、自由奔放がいいわけではないのです。
 
 日本人が「忠臣蔵」が好きなのは儒教の教え(と敗戦)のせいがありそうですが、この忠義忠節の問題も、やはりバランス感覚が大事なんでしょうね。

2016/03/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

岩崎小弥太の逸話、命がとっても軽く感じました。レジャー感覚w
忠義を拠り所にして、じゃれてるような。

帯で打たれたぐらいで勝手に出て行く我が儘さ。
切腹だと言われて簡単に帰ってくる潔さ。

忠を誓ったのなら
我慢するべき。(自分の手際が良くなかったから帯で打たれたのだろう?)
出て行ったのなら
忠を誓った己への裏切り。
武士に二言ありw
侍としてのプライドなんてあると思えないですw

おう、死ねっつーんなら、死んでやらあ。でも絶対に謝らねえ。
これが出来てしまうという信頼関係に甘えておるのですな~w
忠義と言うよりは、反抗期の子供との親子関係みたいで微笑ましいくらいですw

主君のためには、己の命でさえいとわない。
これぞ忠なり。

死にたくないって叫んで、抗い、逃げ惑う。
これぞ命なり♪

忠義は命に反する性質を持つのでは?
価値観というのは命が元来備えている性質を超えようとした結果に現れてくるのかな?
そんな風に思いましたw

2016/03/26(土) |URL|小奈鳩ユウ [edit]

Re: タイトルなし

小奈鳩ユウさん コメントありがとうございます^^)
> 忠を誓ったのなら我慢するべき。自分の手際が良くなかったから帯で打たれたのだろう?) 出て行ったのなら 忠を誓った己への裏切り。 武士に二言ありw ・・・・・忠義と言うよりは、反抗期の子供との親子関係みたいで微笑ましいくらいですw
 おお、さすがに小奈鳩さん、いちいちごもっともです。現代人の感覚なら、そう思うでしょう。「忠義を拠り所にして、じゃれてるような」というのも言い得て妙。確かに、そんなふうに見えます。

 本田宗一郎は気に入らないと社員をよく殴ったそうです。上の者から帯で打たれるぐらいの話は昔も今もよくある話でしょうが、ただ当時の武家社会での武士道という倫理観の枠内で考えると、顔を打たれるのは男の面子に関わる重大事だと思ったということでしょう。あるいは50年以上前の赤穂事件と世間の評価を思い出して、この程度は許されるだろうという子供じみた甘い考えがあったのかもしれません。

 時代や地域によって善悪の判断や世間の常識というのは異なります。アダムとエヴァの子供たちはみな近親相姦をした、アブラハムは一夫多妻だった、ソロモンには妻700人とそばめ300人がいたといった、特に倫理観が関係するような話は当時の時代背景を考えないといけないのでしょう。最近のISILの自爆事件も、肯定と同情の余地はありませんが、彼らがイスラムの中の過激派という狭い世界に住んでいるゆえに起きているのであり、彼らには彼らなりの大義名分があるのでしょう。

 私は長年、宗教組織に所属していたので自分自身の実感として分かるのですが、人間は狭い世界にいると、その狭い視野でしかものごとを見られないことがあります。それはマインドコントロールを受けたのだろうと言われますが、広義にはすべての人がマイコンの影響を受けていて、世の中には受けてない人などいないのです。
 落語の『一眼国』では、二つ眼がある普通の人間が、珍しいというので見世物に売られてしまいます。特に主義思想信念では、少数派が多数派から悪く言われることはよくあることです。人間はどうしても自分の立ち位置から物事を判断してしまうのも、言わば当然というか、しょうがないような気もします。

> 主君のためには、己の命でさえいとわない。これぞ忠なり。
死にたくないって叫んで、抗い、逃げ惑う。これぞ命なり♪

 「これぞ命なり」ですか。面白いと思いました。ほんと。それが人間の本能、人間の生き方、人間の命、それでいいのだ、という気もします。

> 人間の価値観というのは、命が元来備えている性質を超えようとした結果に現れてくる
 なるほど、そうかもしれません。価値観とか倫理観というものは、誰かその時代の正義感に溢れ、カネも満ち溢れる権力者が強引にこしらえたものじゃないでしょうか。いい教えもあれば、そうでない教えもあります、現代人から見れば。

2016/03/26(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

主家に忠を尽くし、主家滅びようとも名を惜しめばこそ真柄直隆、武士の魂を解らぬ者の為に振るう太刀は持ち合わせておらぬ

 タイトルは「真柄直隆のごたく」とわたくしが呼んでいる思い付きのセリフ(今回初出!)であります。実はこういったセリフや小文がわたくしの雑記ノートにごたごたと埋もれているのでありますが、雑学バーソ薀蓄様の記事によって出番を得る事が意外と多いのであります。ありがたやありがたや。逆にそれ以外に使い道が無い、まさに「ごたく」な訳ですが・・・。

主家に忠を尽くし、主家滅びようとも名を惜しめばこそ真柄直隆、武士の魂を解らぬ者の為に振るう太刀は持ち合わせておらぬ

 この台詞、自己満足の世界であります。
「わたしゃ朝倉家に絶対の忠誠を誓ってるから口説いたって無駄だよ。いやだからって朝倉家が滅んだ後だって駄目だよ、乗り換えて卑怯者って言われたくないしぃ。そんな武士の気持ちが判らない織田家になんか仕えてやんないよー。」と言う訳であります。なんか自分に酔ってるなぁ?いや、飽くまで私が考えた台詞ですがね。でも言いそう。無論、こういった台詞は武士共通の通念に基いたもので、それで普通に考えれば「こやつ天晴れ」などと言われて無事釈放・・・皮算用ですな。「それじゃ首刎ねてやる」とか、んな事知ったこっちゃない信長に言われて一気に醒めるかも知らん。
 尊敬とは、人のふんぞり返った部分が相手のふんぞり返った部分に向ける感情であるそうな(誰かは忘れたが、そんなご大層な人ではなかったと思う)。武士は食わねど高楊枝、常にふんぞり返っていたかったので、そんな感情を大切にしたのかも知れませんなぁ。
 しかしあの赤穂浪士も実は討ち入りを再就職のデモンストレーション位に考えていたという説も有りますし、上杉謙信が敵に塩を送ったのはだぶついた越後の塩の販路を甲斐に求めたという側面も有るそうな。
 何事にも一々、忠だ、義だ、信だ、仁・礼・智・孝・悌・・・めんどくせぇー・・・色々とごたくを並べる武士の世界、しかしそこにはしたたかな勘定も潜んでいたのであります。まあ、算盤弾き違えたら元も子もないんだけどねぇ。首を打たれる墓穴の前で「こんな筈じゃなかったのに・・・」と呟く真柄直隆の姿が目に浮かぶ。

2016/03/27(日) |URL|miss.key [edit]

Re: 主家に忠を尽くし、主家滅びようとも名を惜しめばこそ真柄直隆、武士の魂を解らぬ者の為に振るう太刀は持ち合わせておらぬ

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 これまた、miss.key殿らしい冷静かつ多面深層なる分析でござるな。
> 武士の魂を解らぬ者の為に振るう太刀は持ち合わせておらぬ
 成程。これは恐らくは貴殿の人生美学、偽らざる心情でござろう。或いは、生きていて一度はこんな台詞を吐いてみたいという切ない願望でもござろうか。拙者、そのような気障とも言えなくもない傲骨無双の心意気は持ち合わせておらぬゆえ、痛く感服し、羨ましく思う次第でござる。ほんとほんと。
 
 > 尊敬とは、人のふんぞり返った部分が相手のふんぞり返った部分に向ける感情であるそうな
 感情はラジオのバリコンのようなもので、他者の同じ部分に同調し、反応するようです。誰かの尊大さに腹が立つのは、じつはそこに自分自身の欠点を見ているからだという話と同じでしょうか。ただ傲慢さという特質は、相手が卑屈謙遜にしていると余計に付け上がって酷くなることがありますね。傲慢・尊大とは男の最大の欠点じゃないでしょうか。

 「武士は食わねど高楊枝」は、「食わねど」の部分が面白い設定条件です。食えない武士の悲哀が滲み出ています。しかしこの言葉も自分が「尊敬」されることを有り難がっているわけで、ここは誇り高くてカッコいいと感じる人と、つまらん痩せ我慢で馬鹿らしいと感じる人と二つに分かれそう、というか、その両面がありそうです。

 赤穂事件と忠臣蔵とは別物と見るべきなんでしょう。事実には多面的な要素が関係しているものですし、群盲象を評すとも言われていますから。Wikipediaを見ると、謙信の塩の話にも裏事情がありそうです。歴史の裏にはカネあり、女あり、権力争いあり。ああ、醜い世界ですなあ。で、この真柄直隆という男、赤穂浪士のご先祖でしたかね。

2016/03/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ご先祖じゃないと思う

 真柄直隆は戦国時代の朝倉家の家臣というか、傘下の国人衆でして、姉川の合戦でぼろくそにやられた際に殿に当たった人です。剛勇で名を馳せた、つまり数多居る猪武者の一人ですな。一族は生き残ったと思われますが、とりあえずこの人は討死。子供も戦死しとります。

2016/03/27(日) |URL|miss.key [edit]

今の時代にも通じますね。
使われる者として、いろいろ考えさせられました。

2016/03/27(日) |URL|マウントエレファント [edit]

加増を申し付け、納戸役に取り立てた。
しかし、それらを丁重に断り、すっと次の間に行き、
小弥太は、腹を切った。
そっちの可能性を考えれば、
危なっかしい話だ~。

みんな短気だなぁw。
落ち着こう!

2016/03/27(日) |URL|青梗菜 [edit]

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2016/03/27(日) || [edit]

Re: ご先祖じゃないと思う

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
 あーっ、わざわざすみませんね。この名で検索したら出てきました。文献によると、刀はなんと五尺三寸を振り回し、体格は身長2メートルを超え、体重250キログラムに達したとか。白鵬だって155kgですから、すごい巨人じゃないですか。

 このカッコいい台詞で検索しても出てこなかったので、台詞も人物もmiss.keyさんが創作したのだろうと思ってました。なので赤穂浪士の先祖ですか、というのは軽い冗談風の締めのつもりでした。
 それにしても日本の武士たちがいた頃の時代背景や武勇伝にいろいろ詳しそうですね。いつも何か物語に仕立て上げたいという気持ちがあるのでしょうね。

2016/03/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん コメントありがとうございます^^)
 すまじきものは宮仕え。仕えるのも使われるのも男は大変ですよね。
 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌と言えば『南総里見八犬伝』を思い出しますが、私は子供の頃に読んで、こういう特質を培いたいものだと思ったものです。

 でも今の子供はそんなことは思わないでしょうから、いい時代になったものだと思います。私なんか当時に生まれていたら、軟弱だ弱虫だと言われて蹴飛ばされて早死にしていますよ。

2016/03/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
 なるほど、ストーリーの別ヴァージョンですか。小弥太のプライドが強ければそうなったでしょうか。ただ水野和泉守や老臣家臣らが寄ってたかって小弥太のご機嫌を取ったであろう光景が目に浮かびますが。

 さて自分ならどうするだろうかと考えれば、まず帯で頭を打たれたぐらいでは私は腹が立ちません。手厳しく罵られて腹がたったとしても腹の中に収めて、それを態度には表しませんね。怒りを抑えるのは得意なほうですので。
 ましてこのたびは自分の不手際ですから、腹が立つどころか、自分のふがいなさに落ち込むでしょうね。
 あるいは、もし腹が少々立ったとしても、時間が経てば解決するので、何があってもいつも通りにお役目を終えて定年まで無事に勤め上げて、先祖代々の墓に入る。ああ、つまらない人生になりそうです。
 大体、職場放棄してまた戻るなんてことは絶対にしませんね。一度言い出したら、たとえ損失になろうと、自分の言った言葉を守ります。なので最初に退去したときに、すぐ荷物をまとめて逐電します。そしてどこかで野垂れ死に。
 がイヤなので親戚にまず頼ります。
 という方法も難しそうなので、やはり誠に申し訳ないことを致して慙愧の念に耐えませんがいいか、遺憾に思いますのほうがいいか、ひたすら頭を下げて涙を流したほうがいいかと主君への言い訳の仕方を夜も寝ずに考えるでしょうか。ああ、情けないことです。(笑)

2016/03/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 男の大義。この言葉に男は弱いですね。じつは私もこれは大事にするほうで、実際にかなり長い間そうしてきたという自負はいささかありますね。
 ですが、この大義が曲者で、真の意味で立派だと言える大義はそうはないのですね。たいしたことのない大義を守って必死に死ぬ思いで生きるよりは、自分を大切にして、家族が楽しく生きていけるようにするのも、これまた大義のような気が今はしています。

 男の沽券に関わるという考え方はどうでしょう、大義ではなく、単なる男の自尊心や世間体、意地、面子じゃないですかね。古いタイプの男は得てして人間の優しさや人情よりも、他者との義理や恩義のほうを重んじます。
 こういう話ではいつも思うのですが、平衡の取れた考え方をしなければいけない。そうでないと自分も関係する人もみな損失をこうむるような気がします。
 義のためにはむろん損失をこうむってもいいのだと思う人もいるでしょうが、極右や極左、自爆テロをする人もそう思っているのでしょうから、難しいものです。ほんと、男はつらいよ、と思いますね。

2016/03/27(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/03/27(日) || [edit]

Re: タイトルなし

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 冒頭の2名は確かにマスコミがチヤホヤしたせいも大きそうです。テレビ映りがいいせいもありそうですが、ちょっとしたことを大仰に演出して番組を作る局の姿勢にも問題があるのでしょう。特に形容詞や表現がみんなオーバーですね。レジェンドとか史上初とか運命の、なんて誇張表現が視聴率を上げるために常套句として使われています。

 確かに大義は時代時代で違いますね。今の大義は経済方面に寄っている気がします。
 名誉欲というものは男には魔物で、金や女には関心がなくても他者に対して偉そうにすることには多大な関心がある人もいます。そして偉くなるとカネや女も近づいてくるのですね。
 そういう意味では女性も有名人には関心があって接近するようですが、そうなれば自分もまた偉くなった気がするのでしょうかね。時々ニュースになるのは、不倫というよりも、単なる女遊び、男遊び。ゲームのような気がします。

2016/03/28(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

わたし、江戸時代に行ってみたいです。

そこでいろいろな身分のひとに
なってみたいです。

それにしても武士のひと、大変だなあ。

現代のような価値観は全くなかったから
そういうものだと思い込んで
「忠義ひたすら」だったのでしょうね。

2016/03/29(火) |URL|森須もりん [edit]

Re: こんにちは

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> わたし、江戸時代に行ってみたいです。 そこでいろいろな身分のひとに なってみたいです。
 あはは・・・偉い人になってみたいって言わないところが、さすがに森須さんらしいです。私も江戸時代に行ってみたいですが、なにか現代の文明の利器、マッチとか手回し式懐中電灯とか電気を使わないものを持っていって、ぎゃっと驚かせてやる身分になれれば行ってみたいです。

 > 現代のような価値観は全くなかったから そういうものだと思い込んで 「忠義ひたすら」だったのでしょうね。
 そうでしょうね。今でも北朝鮮などの専制国家に生まれたら大変です。忠節を要求されて、命令に従うだけですから。
 いや、日本でも身近なところで、尊大に命令されたりするということがありますね。歳が上だとか、金を出してるからとか、使うほうだといったぐらいのことで偉そうにする人がいるようですから。まあ、人間とは愚かしく醜いもので、困ったものです。森須さんはだいぶ忍耐力と包容力がついたでしょう。(^_-)

2016/03/29(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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