「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 伊藤彦造は、下書きなしで、一筆入魂の密描ペン画を描いた。 

有名な印象派画家などの美術展に行くと、僭越不遜な感情が湧くときがある。
おお、これがあの絵か、うーむ、と絵の前で しばし感動に浸る―――ほかに、
あら、こんな絵だったのか、と拍子抜けすることがままあるのだ。

一方、さほど知られてない美術展に行き、驚嘆敬服の思いが湧くときがある。
大正から昭和にかけて、大衆雑誌の細密な挿絵で一世を風靡した伊藤彦造。
素人目にも鬼気迫る画力があり、人間の技芸の凄さを思い知らされる画家だ。

彦造47
「合掌金剛」『少年倶楽部』昭和2年

以前、竹久夢二美術館に行ったついでに隣の弥生美術館も観たら、こちらの
伊藤彦造展のほうに感銘を受けたことがあり、いつか出そうと温めていた記事です。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
ペン一本で極めた挿絵道。「降臨!神業絵師 伊藤彦造という男」
上記のフレーズは美術展のタイトルだが、決して誇張表現ではなく、ペンの一本一本の
克明な線に凄まじい迫力がある。彦造のおもな活躍の舞台は少年雑誌草創期の
『少年倶楽部』で、他に大衆娯楽雑誌『キング』などの挿絵が知られる。

伊藤彦造。明治37年、大分生まれ。一刀流の開祖・伊藤一刀斉の末裔として生まれた。
少年の頃から真剣で何度も薄く皮膚を斬られるほどの厳しい修業を父親から受け、
自らも師範となった。66歳で筆を折り、平成16年に満100歳で没。
彦造13
覚悟。大正14年、22歳の若さで描いた大阪朝日新聞
の連載小説『修羅八荒』の挿絵が爆発的な大好評を得た。
この仕事のとき、父親は先祖伝来の短刀を渡し、
「(うまく)できなかったらそれで腹を切れ。その代わり、
お前が血まみれで帰ってきたら、おとうちゃんもすぐ
腹切って親子一緒に死のう」と言い、彦造も腹を切る
覚悟で常に短刀を懐に入れて持ち歩いていたそうだ。

修羅八2
「剣聖物語決戦巌流島」(筒井敏雄・文)  大阪朝日新聞連載小説『修羅八荒』
 
一発描き。父親は「剣は最初の一撃に全精神と精力をかけて斬りこむ。絵とても
その意気に違いはない」と言い、彦造は下書きなしの一発勝負で描いた。片目は
視力ゼロだったが、製図用のペンで細い線は、ためらいや狂いなど皆無。
後年には暗部を黒でベタ塗りせず、緻密な線をきれいに等間隔に引いて表現した。

s彦造12
雪の吉野竜虎の激闘『少年画報』昭和26年1月号

愛国。署名を「憂国の絵師」とし、「画人ではなく武人」と語った。満州事変
翌年の28歳のとき、憂国の情を訴えるため、体の55箇所に傷をつけて出した
自分の血で『神武天皇御東征の図』を描き、失血で何度も失神しながら完成させた。

彦造16

殺気。剣術に習熟していただけに、殺陣シーンには殺気を感じるほどのリアリティ
がある。構図は隅々まで緊張感が張り詰め、勢いと躍動感があふれている。
描かれる剣士は例外なく死ぬか生きるかの切羽詰った状況にあり、傷つけられ、
血を流しながらも、なお戦う悲壮の気迫に当時の青少年は熱狂したそうだ。

伊藤彦造2
「小金ヶ原の決戦。一刀斎の弟子・神子上典膳と小野善鬼」『中学生の友』

官能。学芸員・松本品子さんの宣伝文も凄い。「目覚める死への渇望、エロスと
タナトス、戦う美少年、死に直面した極限状態、どちらかが確実に死ぬ・・・!」

エロスとは性と生存の本能。タナトスとは死への衝動。死と隣り合わせで生きる
美貌の剣士は、ほの暗い官能的な色気を漂わせており、そのホモセクシュアルな
妖気と自虐の死への耽美感は三島由紀夫の生き方を思い出すと評する人もいる。

hsikozou1.jpg
丸橋忠弥めし捕り『冒険活劇文庫』昭和24年9月号(↑美術展リーフレット)

技芸。芸術を創作する方法には、新しい別の道を切り拓く方法と、同じ道を深く掘り下げる
方法があるが、伊藤彦造は後者。他者の絵を見ることなく、孤高の絵師として自らの道を
究めた。真剣必画の密描挿絵は怖ろしいほど凄絶である。

                 

「芸術は長く人生は短し」は、英語で“Art is long, life is short.”と言う。
この“Art”は「芸術」という意の他に、「技芸、熟練、術」という意味も持つ。

伊藤彦造は、《精密ペン画》の枠内の《活劇挿絵》の枠内で、《下書きなし一発描き》
の制約という枠を創り、人間業とは思えないほどの“Art”領域に達した。

ならば、人は自分の好きな分野という枠内で “Art”に打ち込むことができる。
誰でも自分だけの“Art”を創作し、芸術の愉しみを持つことができるのだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
日本の挿絵は江戸期に始り、大正昭和の成熟期を経て、劇画に至っている。
●密描挿絵という児童出版美術の画風は、系譜的に眺めれば、江戸期の絵本や読本類の
挿絵が近代において年齢下降的な延長・発展したものである。
●それは半世紀の間隔を置いて、大正期末・昭和期の初め、いわゆる大衆児童文学の
勃興に棹差して出現し、ただちに成熟した。
●この密描挿絵の画風は、昭和三十年代より出現した新しい児童文学形式としての
《劇画》の分野に大きく継承されている。
―――『日本の童画4 山口将吉郎/伊藤彦造/樺島勝一』 第一法規

参考――――――――――――――――――――――――――――――――
・『伊藤彦造イラストレーション』中村圭子構成 河出書房新社
・『伊藤彦造名画集』憂国画家の入魂世界 講談社

・弥生美術館・竹久夢二美術館 →ホームページ
  2016/1/3-3/27 わが青春の「同棲時代」 上村一夫×美女解体新書展
  3/31-6/26 耽美・華麗・悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見る 
          ~アンティーク着物と挿絵の饗宴~
――――――――――――――――――――――――――――――――――
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みたことがあります

バーソ様
おはよう御座います。

幼き頃少年誌でこのような挿絵を見たことがあります。
伊藤彦造だったのかどうかは解かりませんが、そのリアルさに
鬼気迫るものを感じました。
伊藤彦造親子の生き方が凄まじいですね。
先祖はもっと過激だったかも知れません。
よく子孫を残せたものです。

愛新覚羅

2016/01/30(土) |URL|aishinkakura [edit]

Re: みたことがあります

aishinkakuraさま コメントありがとうございます^^)
> 幼き頃少年誌でこのような挿絵を見たことがあります。
 昔の少年誌は絵物語が多かったですね。戦記ものなら小松崎茂、ジャングル冒険ものなら山川惣治でしたか。私は子供の頃、戦闘機や軍艦が好きだったので、小松崎茂の絵を真似て絵を描いたり、プラモデルを作ったものです。
 当時はテレビや動画がなかったので、余計に絵を欲していたのでしょうか。
 でも絵物語は、だんだん文章が少なくなり、コマ割りのマンガに押されて衰退していくのですが。

> 伊藤彦造親子の生き方が凄まじいですね。
 そうですね。この親に、この子あり。本人もすごいが父親もすごいです。仕事がうまくいかなかったら腹を切れ、一緒に死ぬから、なんて言うのですから。
 真の侍の精神を持っていたのでしょう。右系の人はこういう気迫ある潔い思想が立派なものです。いまでもスポーツや音楽関係で、親の訓練や励ましの甲斐あって成功した人がいますが、愛情を子に注ぐいい親がいるのは羨ましいです。

2016/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ペンは剣よりも強し

 一刀流で一時代を築いた家柄も、明治大正昭和となれば剣では食っていかれない。手に持つ剣をペンに代え、さあ世間に打って出るその意気込みや恐ろし。仇なす敵を一刀の元に切り捨てるがごとく、世人の心をバッサバッサとペンで切る。下書き練習などありえない。常に一度の真剣勝負。参りましたと読者若者悲鳴の数々。と思いきや、描く美しき少年剣士にご婦人方が感極まりて卒倒する者引きも切らず。ああ罪多き技の絵師。これはもはや我が道にあらずと緑寿を以って筆を折る潔さ。いやいや単にお歳であります。しかしまさかこの後百まで行きようとは、当の本人も思いもせずか。鍛錬に鍛錬を重ねたペン持つ武人の大往生であります。

2016/01/30(土) |URL|miss.key [edit]

Re: ペンは剣よりも強し

miss.keyさん コメントありがとうございます^^)
おお、流石にペンの達人。下書きなど微塵もせず、思うが侭にすらすらと筆先鋭くペンを走らせたその文章たるや、あたかも講談師のようにすぱすぱっと調子宜しく、嗚呼、物語作家あんど漫画絵師の真骨頂が見ン事に出ております。返信を返す方と致しても、一等の下に、否、一刀の下に斬り捨てるべく立会いたしと思えども、そうは行かぬが世の習い。いやいや、参りました、最早此れまでと訪問者諸兄の前にて恐れ入る次第であります。それに付けても、一言申し上げれば、伊藤彦造の絵は婦女子に受けたというよりは少年青年に痛く評判が良かったと参考書物に書いてありました。あの頃は現代と違い、結婚前の異性交遊など殆ど無く、それ故か同性に対して思慕の念を抱くことが屡あったそうでありますよ。

2016/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/01/30(土) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 深く覚悟をすれば、何も気にならなくなるのかも知れない。
 必要なものは、覚悟と、それから、ひとに迷惑を掛けないなら何をしても自由だという意識と、さらに自分自身の考え方や生き方への自信もあるでしょうか。

 人間としてこの世に生を受けたら、あとは寿命を全うするまで好きなことをして生きていくのが一番幸福なんじゃないでしょうか。私はそう思っています。

2016/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

☆バーソ☆さん、こんにちは。

>腕の切り傷から落ちる血のしたたりを
>絵の具皿に受ける彦造
激しいなぁ。

そこまでやって下手だったら、
どうしようもないからなぁw。
僕は、なにごとにおいても、
そういうことはできません。

ふと、我に返る、
なにやってんだ? おれ。
昼ごはん、なに食べよっか。
奥田民生にするか、スピッツにするか。
ポテチにするか、ハッピーターンにするかなぁ。
バーソさんにコメントでも書くか~。
今日は☆を入れてみようか~。

2016/01/30(土) |URL|青梗菜 [edit]

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2016/01/30(土) || [edit]

こんばんは

伊藤彦造ときくと剣豪小説の鬼気迫る挿絵が浮かびます。
失神しながら血で絵を描いたとは驚きました。三島のおどろ
おどろしさと被るとは言いえて妙です。
今、伊藤彦造ブームらしい。
googleで検索すると、倒錯とまではいかなくても
美人の萌え画もけっこうでてきますね。
たとえばこんなの。https://youtu.be/tV0QoAMHNLY

2016/01/30(土) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

青梗菜さん、鍵コメさん、エリアンダーさんへ。
今夜はこれからサッカーの決勝戦があるので、
返コメは明日にさせてくださいね。
いつもありがとうございます。!(^^)!

2016/01/30(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2016/01/31(日) || [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん コメントありがとうございます^^)
> そこまでやって下手だったら、
> どうしようもないからなぁw。
確かに。そこまでやる、というのが美学なんでしょう。
美学とは美学ができる人が己の美学のために拘るものなり。

> 僕は、なにごとにおいても、
> そういうことはできません。
まあ、すべてにおいても美学を実行できる人は少ないでしょう。
しかしながら「そういうことはできません」というセリフ。
できないと言うは、できる人だけが言える美学なり。

> ふと、我に返る、
あら、やっぱり。「我に返る」の前は表向きのことば。
ここから以下が本音であるというわけですか。

> 昼ごはん、なに食べよっか。
> 奥田民生にするか、スピッツにするか。
> ポテチにするか、ハッピーターンにするかなぁ。
小生、この中で3つ意味不明瞭のことあり。
スピッツは多分イヌではない。
ポテチはどうもポテトチップくさい。
ハッピーターンはスピンターンの一種ではなさそう。
ま、いずれも「昼ごはん、なに食べよっか」と同類項に違いなし。

> バーソさんにコメントでも書くか~。
この「でも」がいいなあ。精神のリラックスがうかがえる。
しかし当方に対する気持ちは、ポテチと同等ということか。
しかし、やめられない止まらないといい意かも。
ここは、いい意味にあえて解釈しておきたい。

> 今日は☆を入れてみようか~。
ああ、やっぱり。「か~」と軽く来た。
人間の深層意識はちょっとした言葉遣いに出るものである。

意外に縦方向に長くなったが、質の低さは量でカバーするものなり。
でも、白星が付いたし、星二つだし。
これ、喜ぶべきことなり、か。(笑)

2016/01/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: Re: タイトルなし

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
まあ、お忙しいときに、わざわざご丁寧に恐れ入ります。
かえって恐縮してしまいます。
どうぞ、そんなに気を使わないようにお願いします。
いつもありがとうございます。

2016/01/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん コメントありがとうございます^^)
> 伊藤彦造ときくと剣豪小説の鬼気迫る挿絵が浮かびます。
 さすがに博識のエリアンダーさん。まあ、何でもよくご存知で、感心します。
 私は、この時代の挿絵やイラストが好みです。薄茶色の安っぽいザラザラした紙に2色刷りで印刷した、少し濁ったようなあの古い色調が案外好きですね。

 大正から昭和の前期頃は大衆文化が盛んになって、街の喫茶店のマッチラベルとか恵比寿びーるのポスターとかスモカの雑誌広告とか、いま見ても面白いものがたくさんあり、私のブログでも使わせてもらったことがあります。

 いまは伊藤彦造ブームなんですか。現代の劇画もうまくて感心しますが、彦造の時代の挿絵画家たちのデッサン力はすごいものがありますね。

 魔性の女。最後の長煙管を持った女性の顔を見ると、美男剣士の顔と同じで、
彦造の好みは男も女も同じ傾向なんですね。ただ私生活は、妻との間にふたりの子をもうけ、穏やかな家庭人だったそうで、高畠華宵とは違うようですが。

2016/01/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: タイトルなし

[太字]鍵コメさん コメントありがとうございます^^)
 挿絵は不思議な生き物! 小説の魅力を200%にする!
 そうですね。私もブログでは文章に関係のない画像を入れることがあります。
そういう場合は挿絵だと思っています。そうすることで文章の低質を少しでもカバーしようとしているわけですね。(笑)

 文章だけで成立できているブログはたいしたものです。写真がメインで成立しているブログもたいしたものです。写真と文章の両方がうまいブログは真似したくなりますが、難しいものです。

2016/01/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

始めて出会ったお名前ですが
どこかで見たことある絵だと思います。

迫真の絵ですね。

私だったら、この絵に対して弁士になって
語りたいなあ。

血で描くというのはびっくりですが
聞けば、なるほどなあ・・と思いました。
入魂なのでしょうね。

2016/01/31(日) |URL|森須もりん [edit]

Re: こんにちは

森須もりんさん コメントありがとうございます^^)
> 私だったら、この絵に対して弁士になって語りたいなあ。
 ああ、そんな感じ。なんとなく無声映画とかモノクロ写真時代の匂いがしますね。昭和の初期でしょうか。森須さんの弁士なら調子が良くて面白そう。

 ひょっとして森須さんが好きなのは昭和の最初の頃ですかね。あるいは40年代か。50年代、60年代ですかね。
 40年代なら生まれる前かもしれませんが、こんなのが流行りました。モンキー族、ジャルパック、「私でも映せます」のCKで知られるフジカシングル8、加山雄三の「君といつまでも」。洋画では「007/ゴールドフィンガー」「マイ・フェア・レディ」がランキング1位と2位です・・・というようなことは、いま検索して調べたことですが。

 加山雄三も出演した黒澤明の映画「赤ひげ」もこの頃みたいですね。じつはこの映画は夕べ、テレビで放映していました。内容をまったく覚えていなかったので、初めて観たのかもしれません。さすがに黒澤映画はカメラワークがうまいものですね。映画はカラーの時代でしたが、この映画はモノクロで、それが合っていました。

> 血で描くというのはびっくりですが
> 聞けば、なるほどなあ・・と思いました。
 己が血で神武天皇の絵を描くぐらいですから、かなりの右翼主義者で、本来は軍人になりたかったそうですよ。この時代の人は意思が凄いですね。

2016/01/31(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

わあ、知らなかったなあ。うん、激しいw

月岡芳年と牧野邦夫の間に
そんな絵描きがいたのですな♪
系譜を感じます。
ホモセクシャル画として見るなら薔薇族の表紙でお馴染みの甲秀樹を思い出しました。

私は少女性ってやつ(ロリと言い替えても良いw)が入ってる絵が好きなので、どっちかと言うと
フラットな方に惹き付けられます。内山亜紀とか
トレヴァー・ブラウンとか…大っぴらにお奨め出来ないものですが(笑)

詩も血で書くとするか~。
でも現代では、お医者に掛かる事態になってしまうな~(笑)
時代ですね~♪

2016/01/31(日) |URL|小奈鳩ユウ [edit]

Re: タイトルなし

小奈鳩ユウさん コメントありがとうございます^^)
伊藤彦造の絵は、文学なら三島由紀夫の『憂国』を思い出します。
何よりも大義のために生きる。名誉を重んじる。死を恐れない。
潔く腹を切る。それを男の美学と考えている。日本人の侍魂。儒教の影響。
死とエロティシズムに少年愛。そんな耽美感が描写されていると感じます。

挙げられた名で知っている人は月岡芳年だけで、あとの人は画像検索しました。
世の中はいろんな絵を描く人がいますね。
少女性の傾向ですか。これは男には心の底辺に多少なりともあるもので、
清らかなもの、聖なるものに憧れる心情の表れではないですかね。
それが発展して病的、偏執的になると、醜悪な性犯罪に発展しますが。
人間というのは本質的に善も悪も持っている動物なんですね。

これらの絵を見て思い出すのは、内藤ルネ、マグリット、金子國義、横尾忠則、
宇野亜喜良、四谷シモン、澁澤龍彦、寺山修司、唐 十郎といった面々です。
この中で、横尾忠則とマグリットは数年前に美術館で観ました。
小奈鳩さんの象徴詩も、そういうシュルレアリスムと言うのでしょうか、
そんな不思議な世界に近いものを感じますね。

2016/02/01(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、こんばんは^^

こういうタイプの鬼気迫る絵は、
太い迫力のある線で描かれることが多いと感じますが、
伊藤彦造の絵は、非常に繊細で、銅版画のようにも見えますね。
好きなタイプの絵です。
非凡な人は、矛盾した要素を併せ持つことが多いと感じますが、
伊藤彦造の絵を見ていると、
彼もそういうタイプなのかなと感じます。
意志の強さはもちろんのこと、絵の題材とは裏腹に、
繊細な感受性や儚さ、美に取り付かれた人の
純粋さのようなものも感じられます。

確かに、Art is long, life is short. ですが、
自分の作品が、自分の命を超えて、
さらに長い生命を保つためには、
Art の域まで達することが必要ですね。

2016/02/02(火) |URL|Korva [edit]

Re: タイトルなし

Korvaさん コメントありがとうございます^^)
> こういうタイプの鬼気迫る絵は、
> 太い迫力のある線で描かれることが多いと感じますが、
そう言われると江戸時代のその種の絵にしても、劇画にしても、太い勢いのある線で描かれているような気がします。そう思うと彦造の絵はすごいものですね。

意志の強さはもちろんのこと、絵の題材とは裏腹に、
繊細な感受性や儚さ、美に取り付かれた人の
純粋さのようなものも感じられます。
そうですね。彦造には武士の魂が感じられます。竹刀を当てるだけの剣士ではなく、真剣で死ぬ覚悟で斬り合う剣士の魂です。

彦造は透視能力があり、直近の事件を言い当てたとか。エピソードとしては、Wikipediaによると、彦造は戦後、戦争画を描いたことで戦犯容疑を受け、米軍座間キャンプに収容。この時、マッカーサー元帥の部下の求めで《山姥と金時》の絵を、山姥を聖母マリアに、金時をイエス・キリストに見立てて描いています。
部下から「キリスト教をどう思うかと」と問いかけに対し、彦造は「仏教徒だが、信ずるところは同じだと思う」と答えたために制作を依頼されたそうで、マッカーサーにこの絵を見せたい、と綴った添え状が付属しているそうです。

彦造の愛国精神は、戦争終結から29年目にしてフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんを思い出しますが、こんなことを言っています。「戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになった」そうですが、このお二人には《取り付かれた純粋さ》というようなものがあるでしょうかね。

Artの話。KorvaさんのスピーカーもArtのひとつでしょう。音は聴かなくても、構造設計とその工作の仕上げを見るだけで、そう感じますよ。

2016/02/02(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

伊藤彦造、すごいですね。
千の一本一本に気迫があり、技術に優れている以上のものがあるようです。
もっと知られていい人ですね。

2016/02/03(水) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん コメントありがとうございます^^)
> 線の一本一本に気迫があり、技術に優れている以上のものがあるようです。
 そうですか。絵の専門家の感想が見てもそう思うのですね。

 線は、ためらいながら引いたのか、勢いよく引いたのかぐらいは素人でもわかりますが、気迫があるかないかまではちょっと私らには分かりません。
 顕微鏡で見なければ分からないほど微妙な線の直線度とか揺れといったようなものがあって、そこに気迫の違いのようなものが出るのでしょうか。

 そういうものを感じることができる人間の感覚も素晴らしいものだと思います。

2016/02/04(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

絵でも、音楽でも、芸術に触れたとき、
感動したり、わくわくするのは、
その人が持つ「能力」みたいなものなんだろう、
と思います。

2016/02/06(土) |URL|プラトニックまいまい [edit]

Re: タイトルなし

プラトニックまいまいさん コメントありがとうございます^^)
> 感動したり、わくわくするのは、
> その人が持つ「能力」みたいなものなんだろう、
 そうですね。それも、生まれながらに持っている要素が大きいのじゃないでしょうか。芸術のセンスというのは遺伝要素が大きいという話もあります。芸術家の子どもは芸術関係で成功しやすいですよね。芥川 比呂志は俳優。芥川 也寸志は作曲家でした。
 あるいは生まれてからの環境も大きいのでしょう。親が必死に教えたとか、幼いときから専門の学校に通わせたという例は多いと思います。
 むろん感性才能を開花させるのは本人の努力なのでしょう。本人にヤル気がなければどうしようもありません。
 まいまいさんの場合は文学関係の感性が大きいようじゃないですか。と、ここはお世辞10パーセントぐらいで。(^^♪

2016/02/06(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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