「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 我輩は、夏への扉を探す、猫町のネコである。 

人生の旅は単に「同一空間における同一事物の移動」に過ぎないのか。

日本中、どこへ旅をしても、同じような町や村があり、同じような人間が
いて、同じような生活を繰り返している、と思ったことはないですか。
それらの人たちと自分は顔以外どう違うのか、と考えたことはないですか。

歩む道は同じように見えても、人生に対する考え方は一人ひとり違います。
猫が登場する3つの小説から、3通りの人生観について考えました。
  cat1qq2
  PIXBAY(Free materials)

※猫小説から抜粋引用し、強引に「起承転結」でまとめましたが、
文章を短くしたいために一部省略した箇所があります。

●――――――――――――――――――――――――――――――――――
人生は胡蝶の夢。いま見えているものは、あるいは幻想かもしれない。

『猫町』(散文詩風な小説)萩原朔太郎
起――― 
 旅への誘いは、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の法則が反覆
している。私はもはや、どんな旅にも興味とロマンスをなくしてしまった。
承――― 
 次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が現象
した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。
 猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口から
は、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
転――― 
 だが次の瞬間、私は意識を回復した。あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えて
しまった。町には何の異常もなく、窓はがらんとして口を開けていた。
すべては私が知ってる通りの、いつもの通りに変化のない、田舎の単調な町である。
結――― 
 支那の哲人荘子は、かつて夢に胡蝶となり、醒めて自ら怪しみ言った。
夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるかと。この一つの古い謎は、
千古にわたってだれも解けない。
 だがしかし、今もなお私の記憶に残っているものは、窓にも、軒にも、往来にも、
猫の姿がありありと映像していた、あの奇怪な猫町の光景である。
 あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑の前に立って、私は今もなお固く心に信じている。
あの裏日本の伝説が口碑している特殊な部落。猫の精霊ばかりの住んでる町が、
確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということを。 
(※口碑とは、石碑のように長く後世に残る意)

  a夏への扉q (2) 

猫町』の話は精神世界的であるようです。人生とは夢や幻を見ているようなもの。
人はこの人生では自分が主役のゲームを演じているに過ぎない。意識が変われば
他の次元に行ける。人生は様々なスタイルで続いていくものなのでしょう。

●――――――――――――――――――――――――――――――――――
人生とは苦なり。感情と感覚を超越できれば大抵のことはうまくいく。

『吾輩は猫である』夏目漱石 
起―――
 吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
承―――
 ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。次第にからだが
暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。
猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。
転―――
 我に帰ったときは水の上に浮いている。どこだろうと見廻わすと、吾輩は
大きな甕(かめ)の中に落ちている。・・・水から縁までは四寸余もある。
足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気にしていれば沈むばかりだ。
結―――
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙るよ」と、前足も、
後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
 次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。
水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても
差支えはない。ただ楽である。否、楽そのものすらも感じ得ない。
 吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

  aアアムハ 

我輩は猫である』の話は仏教的であるようです。生あるものは必ず死ぬ。
だが死は苦しみの持続ではなく、開放である。あらゆる煩悩を除き去り、
こだわることをしなければ、この苦しみ多き世でも気楽に生きていけるのでしょう。

●――――――――――――――――――――――――――――――――――
人生には希望がある。現在は問題があっても未来は必ず良くなる。

『夏への扉』ロバート・A・ハインライン/福島正実(訳)
起―――
 この家は、なんと外に通ずるドアが11もあったのである。いや、ビートの
ドアも勘定に入れれば12だ。 (※ビートは飼い猫の名)
 冬が来るとビートは決まって人間用のドアをあけてみせろと、ぼくにうるさく
まつわりつく。彼は、その人間用のドアの、少なくともどれか一つが、
夏に通じているという固い信念を持っていたのである。
 1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。
冬は、ぼくの心の中にあったのだ。
承――― 
 真正面のバアの窓越しに、さっきから3通りに変わる広告のサインが見えていた。
『ミニチュアル生命 冷凍睡眠保険』。
 結局、ビートのぶんとして、人間一人分の15パーセントを支払って二人前の契約をする
ということを取り決めた。
転―――
 実にその間に30年の歳月が流れてしまったのだ。
 ぼくが、その生物実験台になる。先生は、ぼくをほんとうに時間転移させるような
つもりで、最後のボタンを押す。そうすれば・・・
結―――
 未来は、いずれにしろ過去に勝る。誰がなんと言おうと、世界は日に日によくなり、
まさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、
器械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。 
(※下線部は本文では傍点付き)

  asummer of 

夏への扉』は楽天主義的であるようです。よく昔は良かったと言う人がいますが、
衣食住や人権・福祉など大抵のことは現在のほうが良くなっています。このブログにしても
10年前は頭の中にも存在していません。未来を明るく見ることができれば、
今日は駄目でも明日あさってが楽しみになってくるでしょう。

●――――――――――――――――――――――――――――――――――
何を信じるかで結果は変わるが、すべて経過オーライだ。

世の中の人は3種に分けられます。見えるものだけ信じる人と、見えないものも
信じる人と、どちらが真実か分からないと言う人です。以前、聖書の伝道をしていた頃、
一番やりにくかったのは3番目の不可知論者・・・ではなく、自分の考えとは違う意見を
ひとから言われるとすぐ腹を立てる人でした。

人は自由な生きもの。何を信じようと、どう生きようと、個人の自由のはず。
なので、他の人に迷惑を掛けない限りという条件付で、こう思っています。
●何を信じてもいい。好きなことをしているか、楽しめていれば、それでいい。
●人生に失敗はない。長い目で見れば必ず自分と誰かのプラスになっている。
 (いつも同じことを言ってるようですが、今回は ↑ ここが違います)

  cat1582

―――――――――――――――《追記》――――――――――――――――
高校野球には関心ないのですが、8月20日の準決勝は予約録画で見ました。
リトルリーグの国際試合を何度かテレビで観て、清宮幸太郎選手を知っていたからです。
早稲田実業が仙台育英に0-7で負けたあと、彼は大粒の涙をこぼしながらこう言いました。
「このままじゃ終われない、もっと練習してパワーを付けて戻ってくるんだという
思いが生まれました」「(甲子園の)砂は持ち帰りません」
敗戦は早実にとっては残念でしたが、清宮選手のためにはかえって良かったと思いました。
彼は今後さらに頑張って、素晴らしい選手になるでしょう。他の選手たちも今後さらに
頑張るでしょう。挫折は、いいバネになるのです。
彼はまだ高1なのにバットの振りもコメントも凄く、人間も世の中もだんだんと
進んでいるのだなあと思ったことでした。
ハインラインの『夏への扉』は、ブロ友・エリアンダーさんの同名のブログで知った本です。
このたび読み返したら、新たな発見があり、感動し、何度も涙が出て、気分快調になりました。
未来を信じるSF小説。胸のすく痛快な終盤。
この本もブログ『夏への扉』も、ずいぶん気持ちが明るくなりますよ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
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2015/08/22(土) || [edit]

バーソ様のものが最高

バーソ様
おはよう御座います。

私は1冊も小説というものを読んだことがないのですがバーソ様のように要約して戴けると読むことが出来ます。
出来れば世の中の小説という小説を全て要約して戴けると助かります。
小説というものは読むのに時間がかかるので嫌なのです。困ったのが小学校や中学校での読書感想文でした。いつも後書きを修正して提出していました。それが優秀感想文となったときはあせりました。
全ての小説がバーソ様のように起承転結で短くまとまっていれば嬉しい限りです。私も胸を張って読んだことがあると言えます。

愛新覚羅

2015/08/22(土) |URL|aishinkakura [edit]

おはようございます。

猫ですね~小説の解説つきで感謝です。
猫は、主役になれるのですね(*^_^*)
猫好きとしては嬉しい限りです。
起承転結・・・気性転々という人生真っ最中ですが。

見えるものだけ信じる人・・・職場の私
見えないものも信じる人・・・本当の私

どちらが真実か分からないと言う人・・・賢い生き方?「わからない」と逃げ道の言葉を使うと都合が良いことがあります。

自分の考えとは違う意見をひとから言われるとすぐ腹を立てる人・・・今の社会多くの方は、そうでは?自分が正しいと思い込んでいますから。たぶん・・・
表に出すか出さないかの違いで、ずいぶんイメージが変わるのでしょうね。写し鏡と思えば、自身もそうなのでしょう。

人は自由な生きもの。条件付
→憲法第13条
 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊厳を必要とされる。
としていますが、幸福の追求の価値基準や公共の福祉に反することの制限が曖昧と感じます。

以下、普通?の基準も心配ですが賛同いたします。
●何を信じてもいい。好きなことをしているか、楽しめていれば、それでいい。

以下、心配なく、おっしゃる通りだと思います。
●人生に失敗はない。長い目で見れば必ず自分と誰かのプラスになっている。
※ただし、どう生かすかは、己次第だと考えます。

さて、賢いコメントかアホなコメントか?
バーソさんにお任せいたします。
優しく対応願います(*^_^*)

2015/08/22(土) |URL|Miyu [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん ありがとうございます^^)
こんな記事にも感想を寄せてくださって、うれしいです。
でもせっかくのいいコメントを鍵付きにするともったいないので、
どうぞ遠慮しないでくださいね。(^^)v

いま鍵コメは表示されないようにしているので、ごめんなさいね。

2015/08/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: バーソ様のものが最高

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)
あははは、今日は何かいいことがありましたか。最上級の褒め言葉ですね。
これ、要約といってもストーリーの要約ではなく、意図的に人生観が出るようにした要約で、実際にはもっと面白い話がいっぱいあるのですが、それは省いているのが作者には申し訳ないところです。

後書きを修正したら優秀感想文になったとは面白いですね。要約するのがうまかったということでしょう。いまのブログにもそんな才能が出ていますね。

私は書店で本をチェックするときは、パラパラと数ページめくり、数行を拾い読みして、そこに何か光る言葉や巧い言い回しがあったら買うことにしています。
(ま、これはいろいろなブログを訪問するときも同じなんですが)。

読むときはまず後書きを読み、誰かのお勧めの文章を読み、それから本文を読みます。後書きというのは作者の思いが書かれていることが多いので、先に読んだほうが面白い場合が多いですね。ミステリーの場合は最初から順に読みますが。

2015/08/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: おはようございます。

Miyuさん 長文をありがとうございます^^)
おお、こんな硬いのに、真面目によく読んで賢いコメントをくださいました。
最近は気性転々ですか。最近は気象転々のせいもありますかね。

表に出すか出さないかの違いで、ずいぶんイメージが変わるのでしょうね
そうなんでしょう。『裸の王様』の話に出てくる子供のように、誰にでも正直に自分の思いを述べていれば、人間関係はもっとギクシャクしそうです。時には黙っているのも人間の知恵なんでしょうか。

おお、憲法第13条。憲法の条文が出てきましたか。
そうですね。確かに曖昧なところがあります。憲法というのは法律とは違って、基本的な考えですから、そこは十人十色、人によって解釈が違ってくる場合もあるのでしょう。「条文」通りに読むよりも「状文」や「情文」がいいですね。あ、これは人間の状況を考慮した情のある考え方という意味ですが。

ただし、どう生かすかは、己次第だと考えます
そうなんでしょう。いい加減に生きていればそれなりの経過と結果しかない。必死に真剣に生きていれば、それに応じた経過と結果がある。原因結果という自然界の法則で、自分のしたことはそのまま自分に還ってくるものだと思います。

2015/08/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ただいま戻りました

ネコから読み解く人生観、面白かった。
二番目の人生観に共感します。
見えないものは信じないという人生は寂しすぎます。(笑)
女優の高畑洵子さんは、子供の頃、聖書のせいか自分が、今、目に
している風景、人々、すべて必要に応じて、誰かが配置している様な
感覚があったそうです。
学校に行くと、お母さんは、もう休んで動かなくなり、今度は、
学校の先生、友達が動き始める。自分が行く所、居る場所だけが
動き、自分が目にしている物だけが実在するという世界観です。
ところが、母と来た東京見物で、その考えは違っているらしいと、
思い始めたのです。東京は私が生まれる前から時を刻み、
世界は私が死んでも、変わりなく動いてゆくものらしい!!と
自分がこの世から居なくなっても、世界は動いてゆくんだという事
への恐怖感でフトンのなかで嗚咽したとか。
あの動画、カメラのスタビライザーでは揺れがとりきれずyoutubeが
追加で揺れをとってくれたようです。α7Sを使ってみてLumixGh4より
動画画質が劣りがっかりしています。

2015/08/22(土) |URL|エリアンダー [edit]

こんにちは

唐突な話ですが
きょう、私は施設にいる母のところに行きました。
その施設の運営会に出席するためです。

忙しくて出席どころではないのですが、無理して行きました。

その母の施設、2、3年の間に、管理者が5,6人かわり
スタッフもよくかわっているのです。
ですから無理しても参加することが母のためだと思いました。
身内(家族)は、ちゃんと施設の事をみていますよ!
のアピールのため。

そして、帰りにスタッフに私は「母をお願いしますね」と
ひとりひとりに頭を下げます。
媚びるように頭を下げている自分がコッケイなほど。

でも、信じていない部分があります、この施設を。
といっても、有難いのです、看てくれているから。

でも目に見えるだけの背景の奥が、まだあるようで
見えない部分を探している自分がいます。

楽天的にいきたいのですが・・・



2015/08/22(土) |URL|森須もりん [edit]

Re: ただいま戻りました

エリアンダーさん ありがとうございます^^)
今、目にしている風景、人々、すべて必要に応じて
誰かが配置している様な感覚
これ、精神世界的には正しい感覚じゃないですか。
 人間が目にしている事物は映画『マトリックス』のようなもの。非常によく出来たバーチャルリアリティの世界であって、実際には幻覚を見ているに過ぎない(実際、量子の世界は0.00000幾つ以外は何にもない空間で、電子だって実体があるのかどうか、どこにあるかさえはっきりしないのですから)。
 だから自分が寝たらこの世界は消失し、目覚めたら夕べの記憶のまま目の前に世界は再現しているのだと言われています。
 東京が自分の生まれる前から時を刻んでいるのは、東京の歴史を学んで頭に入っているので、だから東京がずーっと前から存在しているように見えているだけに過ぎない、となるようです。
 
自分がこの世から居なくなっても、世界は動いてゆくんだ
という事への恐怖感でフトンのなかで嗚咽した
 私もそういう思いは子供の頃、しばしばありましたね。自分という存在が今はある。だが、いつかは無くなる。この「無くなる」という概念が非常に恐ろしくて、夜中に目が覚めてそのことを考えると叫びたくなることがありました。
 成人して聖書を知り、楽園の希望というものを知り、必死にそれを追い求めたわけなんですが、今は、精神世界の情報を知り、見えない世界があると思えてきたので、その怖ろしさは消えています。

 カメラの件。同じ4K動画OKと言っても、センサーは、片やフルサイズで、片やフォーサーズなんですが、α7Sは1220万画素で、LumixGh4は1600万画素。そこが違うせいでしょうか。ビッグスクリーンで観るとそんな細部の違いが分かって、気になるのですね。それにしても、暗いのに強いカメラと動くのに強いカメラと両方持っているのは凄い。羨ましい限りです。

2015/08/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

Re: こんにちは

森須もりんさん ありがとうございます^^)
 森須さんは介護の裏事情を知っているので、そういう施設もつい裏の部分を見る目が光ってしまうのでしょうかね。運営会だと普段よりも表の見える部分は特別にきれいにしているでしょうから、なかなか裏は見えにくいでしょう。
 特に管理者やスタッフが目まぐるしく変わっているような所は、ちょっと心配ですね。

 でも媚びるように頭を下げたというのは、それだけはしておきたいことなのでしょう。その気持ち、分かるような気がします。お世話になっていることもあるし、人間は、そうされるとむげにはしにくいところがありますから。
 
 けさがた一瞬、森須さんの夢を見ましたよ。といっても森須さんは現れずに、名前だけが漢字で「森須茂林」とぽっと空中に出てきて、あ、こういう字だったのかと思ったら、すぐ目が覚めました。本当はモーリンなのに、妙ですね。

2015/08/22(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

百年(ももとせ)は花にやどりて過ぐしてき
この世は蝶の夢にありける(大江匡房)

私はこの歌が好きで、ブログのプロフィール欄に掲げています。拝見していて、ハッとしました。朔太郎の「胡蝶の夢」に通底しているのではないか。

蝶は長年、花に宿って過ごしてきた、というのですが、花が美あるいは美意識であるならば、私自身もそうかもしれない(照笑)。起承転結はバーソさんにお任せするとして、「この世は蝶の夢」であるに違いありますまい。


2015/08/22(土) |URL|花渡川 淳 [edit]

Re: こんばんは

花渡川 淳さん ありがとうございます^^)
なるほど。確かに「胡蝶の夢」そのものですね。
荘子の話に影響を受けた和歌はけっこうありました。
http://yamatouta.asablo.jp/blog/2010/01/22/

 かりの世の色をはかなみ散る花にまじる胡蝶も夢をみよとや
  (正徹『草根集』)
 花園の胡蝶となると見し夢はこはまぼろしかうつつとやせん
  (肥後『堀河百首』)
 みし夢も胡蝶の夢も何かいはん我が思ひ寝の我が身なりける
  (後柏原院『柏玉集』)
 花や夢ゆめや花ともわかなくにまたも胡蝶の春やおくらん
  (三条西実隆『雪玉集』)
 ゆきとまる陰を宿とて花に寝ば胡蝶の夢や今宵見てまし
  (契沖『漫吟集』)
 志賀の浦や今もたはるる花園の胡蝶よ夢かありし昔は
  (本居宣長『鈴屋集』)

5代目林家正蔵(1824-1923)は享年100。時世の句は「百とせを花に過ごして花乃山」。昔でもずいぶん長生きした人がいるのですね。

花渡川さんは、今回は朝早めではなく夜遅めのようですが、100歳蝶まで生きて、日本の正しい美を指摘をする詩的で私的な活動にぜひ頑張ってください。

2015/08/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

辛い毎日のなかでも、人生を明るくしているものに目を向け、それに打ち込み、楽しい気分になる。
それが他人も楽しくさせるようなものに仕上がれば、余計に楽しくなる。
ブログをするようになって、そういうものを得られたような気がします。
感謝です。

2015/08/23(日) |URL|マウントエレファント [edit]

Re: タイトルなし

マウントエレファントさん ありがとうございます^^)
おお、いいコメントです。
「起」人生には、つらいことがある。
「笑」しかし、明るくポジティブなものに目を向ける。
「転」それに打ち込む。→自分が楽しい気分になる。
「結」他人をも楽しませる。→そうすれば自分も余計に楽しくなる。
これ、幸福の極意じゃないですか。

 大抵の人は自分を楽しませることはやろうとしますが、他の人まで楽しませることまではちょっと気が回りません。これは物理的の余裕に加えて、その気持ちがないとなかなかできないことでしょう。
 マウントエレファントさんは文才、画才もさることながら、毎日アイディアを出して更新を続けているのがすごい。いつも感心していますが、他の人を楽しませたいという動機がそうさせているのですね。
 ファンが大勢いて、反応がわかるのもいいですね。

2015/08/23(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

はじめまして、こんにちは。

どこへ旅をしても、
もれなく自分がついてきますから、
他人に出会った瞬間に、他人というものは自分になってしまいます。

『猫町』、僕も、いつだったか、読みました~。
しかし、『1Q84』を読んでごっちゃにさせられましたw。
なんてことをしてくれたんだ、村上春樹は。
切り絵というか、幻燈というか、
いやいや、そんなものは見たことがないくせに、
僕がリアルタイムでは知らないノスタルジーに誘われます。

『吾輩は猫である』、
これは読んでいません。
こんな有名な本も読んでないのか、君は。
たまには本くらい読みなさい。
と言われて、はいはい、たまには本くらい読みます、
と答えるためにも、読んでいません。
今後も、読みませんとも。

『夏への扉』、
ときどきハヤカワ文庫の表紙を確かめたくなり、
しかし、その時には行方不明になっていることに気づきます。
3冊は買ったと思います。
なんなのでしょう、あの読後感、
なにに喩えましょうかねぇ。
ロバートとハインラインの間の、間抜け面がたまらない。
・A・

2015/08/24(月) |URL|青梗菜 [edit]

Re: タイトルなし

青梗菜さん ありがとうございます^^)
ようこそ。はじめまして。よくコメントをくださいました。
だいぶ面白そうな方のご来訪で喜んで降ります。あ、降りたらいかん。

他人に出会った瞬間に、他人というものは自分になってしまいます
うーむ、これを解するためには時間が、いや、年月が掛かりそう。
でも他人に出会った瞬間、親しくなれそうな予感がすることはありますね。

『猫町』。
確かに『1Q84』と似てますね。
人間がイメージできるものはすべて存在するのだという話があります。
であれば、リアルタイムで「猫町」もどこかにあるのかもしれないですよ。
僕がリアルタイムでは知らないノスタルジーに誘われます
なるほど。そういう感覚ってあります。読書好きの人に多くないですか。

『吾輩は猫である』は「今後も、読みませんとも」ですか。
主義嗜好波長が合わないのでしょうかね。
『坊ちゃん』ならいいのですかね。井上ひさしが激賞してましたが。

『夏への扉』。
ロバートとハインラインの間の、間抜け面がたまらない
>・A・
あははは・・・うまい。今年一番の面白さです。(*^^)v

2015/08/24(月) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

カメラ、お詳しいですね。
動画の画質って、センサーの大きさだけでは決まらないんですね。
LumixGh4はフォーサーズですが動画画質ではフルサイズ機を凌駕
しています。αの丸い虹の動画のフォーカスが甘かったのは逆光
のせいですが、オートフォーカスも遅くて迷ったりしますね。

2015/08/25(火) |URL|エリアンダー [edit]

Re: こんばんは

エリアンダーさん ありがとうございます^^)
LumixGh4は動画画質ではフルサイズ機を凌駕するというのは凄いですね。撮像素子はSONYのシェアが高いもののパナソニックも自社製なので、画素数と画像エンジンだけではない他のノウハウやスキルも関係しているのでしょうかね。

デジカメは7台ありますが、同じものを撮っても色味がけっこう違いますね。
値段の違いのせいもあると思いますが、手持ちのものではオリンパスが一番鮮やかで、フジとペンタックスが中庸、松下、キヤノンが地味に感じます。
安物コンデジはセンサーが小さいせいか、色味が妙に濁った感じになります。カメラが軽いと背面画面を見ながらさっと撮る気になり、重いとアイレベルで見ようという気になります。カメラの重さで撮影スタイルが違ってきますね。

ペンタプリズムが付いた一眼レフはファインダーを見たときの空気感が好きだったのですが、機能的には実際に写る画像が見えるミレーレスにもう敵いません。これからはニコンやキヤノンの光学式一眼レフは報道やスポーツ関係のカメラマン専用品になるのではないでしょうか。SONYがいつかは追い越せそうです。

2015/08/26(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2015/08/26(水) || [edit]

Re: タイトルなし

鍵コメさん ありがとうございます^^)
青色はいろいろ種類があるのですが、
コバルトブルーのほうがいいかなとか
思っていましたが、ウルトラマリンで合ってましたか。
よかったです。(~o~)

2015/08/26(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

自由が何よりですね。
猫のように勝手気ままに生きて、
人を楽しませられる存在は素晴らしいですね。

私がまだキリスト教の尻尾をつけていたとき、
ある友人に
「Korvaさんは頑固だからなぁ・・・
 なんだか心配になるよ。
 私は何より自由が好きだよ?」
と言われた言葉が、今も耳に焼き付いています。
私も、当時よりは、
いくらか自由になったような気がしますが・・・

宗教も、スピリチュアルも、
そこに真実が含まれているとしても、
結果的に、人間のヒエラルキー化や、
エネルギーの偏在化を狙ったシステムのような気が、
最近はしています。

2015/08/27(木) |URL|korva [edit]

Re: タイトルなし

korvaさん ありがとうございます^^)
猫のように勝手気ままに生きて
人を楽しませられる存在は素晴らしいですね
なるほど。犬は尻尾からして人を楽しませようとしているところがあります。
人間も猫的に生きられればいいのでしょうが、犬的に生きたほうが好かれて、得なような気もします。でもそれは損得計算の人生になりますね。

宗教も、スピリチュアルも
結果的に、人間のヒエラルキー化や
エネルギーの偏在化を狙ったシステムのような気が
ヒエラルキーというのは、この社会最大の(必要)悪じゃないですか。
社会とは人が集まったもので、集まれば組織が必要となり、組織ができれば階級制ができ、偉そうに命令や制限を課すことで権威を振るう快感を味わう者が出てくる。そして下の者に忠実忠誠を要求できる構図ができる。以前所属していた教団も、階級制はないと言いながら、実際には階級意識が甚だしかったですよ。

忠実とか忠誠という概念は立派な特質のようで、じつは上位にいる者に対する服従心のことですから、ヒエラルキーなくして存在できる概念ではありません。

特に日本人は昔からずっと天皇や殿様に忠義を示して、そのためには死ぬことがいちばん尊いと教えられてきたせいもあって、いま会社でも宗教でもどこでもヒエラルキーのあるのが当たり前のように思われているのではないですか。

「エネルギーの偏在化を狙ったシステム」。
そうですね。公平な「遍在化」ならいいのですけどね。権力と富は偏在化が酷くなってきています。封建時代の君主制度は形を変えて続いていますね。

2015/08/27(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

100円ですぞ!しゃくえん!

お早うございます
或る日かみさんの兄じゃの
(健在ですが)
ガラクタを整理しておりましたら
一眼レフのカメラが出てきました
レンズが数種類
皮製の立派なバッグに入っておりました
こりゃ~お小遣いに成りそうと早合点をして
古物商に持ち込みましたが
『こりゃ~価値はありません!』
『ど~しても売りたいと仰るのなら』
『百円でお引き取りしますが・・』だとさ
持ち帰りました

どうりで物置に転がっていたわけだ・・・
いっそ形見にでもしましょか?
でもまだ生きているし・・・
あはは
(猫についてコメントしたかったのに)
(とほほ)。

2017/02/15(水) |URL|はしびろこう・ウナ [edit]

Re: 100円ですぞ!しゃくえん!

はしびろこう・ウナさん コメントありがとうございます^^)
 こんな古い記事まで目を通していただき有難いことです。
 カメラはデジタルでない昔の機種は、すっかり価値が落ちました。もうフィルムが手に入りにくくなっていますから、無理もありません。
 私の古いカメラたちは、いま戸棚の中で飾り物になっています。一番古いのは戦前のですが、もう値段はゼロに近いのでしょう。

 モノには、古くても良きものがあります。元々いい品質のものです。
 ヒトは、古くて良きものになればいいのですが。元々良い品質でも、だんだん使えなくなるのが困ります。さみしいものです。
 でもまあ、今は爺捨て山がないだけマシですかね。

 しかしながら、ヒトは使える使えないには関係ありません。
 生きていれば、それで十分。元気でいれば御の字。健康でいられるかどうかは、気持ちの持ちようが大きく影響するようです。
 ウナさんは人一倍精神が気丈頑強のようですが、これからもその勢いをずっと保ち続けてくださいよ。(^^♪

2017/02/15(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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