「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 「崇拝」は神聖であっても、愚かしく、危険である。 

世の中は、澄むと濁るで大違い。
「くうそう(空想)」 「くうぞう(食うぞう)」 「ぐうぞう(偶像)」の
各崇拝者の正しい在り方を示したがゆえに、自分に当てはめれば何かの役に立つ
と思うかもしれないが、どっこい、そうは問屋が卸さない小論文です。

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(冗談を装いながら、じつは意外に真面目な話です)
「崇拝」とは、ある対象を愛し、敬うことである。
まず定義をしておこう。「崇拝」とは、神やそれに等しいものを愛慕し、
崇敬することである。その人の目は宙を仰ぎ、思いがハイテンションになっている。
それゆえ、元々は「宙ハイ」と書いたのであるが、のちに「宙拝」となり、
やがて神聖化され「崇拝」となった。

と言うと、そーだ(※)、それは「チューハイ」、すなわち蒸留酒をソーダで割った
アルコール飲料を飲んでる状態に等しいのだ、と勝手なことを言う人が必ず出てくるが、
それは全く正しい。「宙ハイ」を「チューハイ」と書くのを好む東大付近赤提灯学派がある。

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※ 「ソーダ」と片仮名で書くと駄洒落とすぐ分かるので、遠慮して「そーだ」と
書いたのだが、その辺の深慮をご理解いただいているかどうか若干心配なところではある。


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1.「空想」崇拝は、情緒的であり、美しい。
「空想」とは、まだ実現されていないことに対し、実現している場面を頭の中で想像すること。
空想行為は、それが実現してないことを否応なく当人に思い起こさせるという
悲しいパラドックスがある。ノンフィクションを除き、物語の多くは空想を基にしている。

SF作家の星新一は「常識外のことを書くSFは、常識を知らない人間には書けない」を
持論としたが、それは《サルでもできる空想の正しいやり方》を知らない人の思考。
正しくは、空想とは文字通り《空を想う》(※)こと。学問には素直さが肝心なのである。

なので、「空想」崇拝とは、物質的な豊かさや地位・立場とは全く無関係の、地球上で
最もポエティックでファンタジックな、非常に精神性の高い考え方であり生き方である。

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※「空」を素直な心で想像してみよう。天には高く馬が肥え、雲は白色と黒色と
その微妙な中間色で流れ、秋には夕焼け小焼けの赤とんぼが飛び、カラスは勝手に
家路を急いでいる。たまにはモモンガーも飛んでいる。そういった事象を静かなる心で
想うことは、じつに詩的で情緒的で浪漫チックだなあ、いいなあ、
と言う以外に適切な言葉があろうか。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
2.「食うぞう」崇拝は、快楽的であり、愉しい。
「食うぞう」崇拝とは、ひたすら腹を美味いもので満たしたいと願うこと。
食通、グルメ、食道楽、食べ放題といった言葉に付随する当該行為は、
食欲を神とする崇拝なのだ。

「食うぞう」崇拝者の口ぐせは「食うぞう」であり(※)、モットーは「もっとー 食べたり
飲んだりしよう、明日は死ぬのだから」である。 これはエピクロス派の享楽主義に似ており、
ギリシア、ユダヤにも浸透していたようだ。(旧約イザヤ22:13、新約コリント第一15:32)

この人生は今回限りの上映で終了するのであるから、日々を愉快なることで埋め尽くし、
命を精々楽しませようというのは、これはこれで見識であり、真理であると言える。

「食うぞう」崇拝は「空想」崇拝とは対立概念と思うかもしれないが、どちらであっても
別に悪いことではない。何を思おうと基本的には個人の自由であるはずだからだ。

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※ 「食うぞう」族は、家の犬は焼いて食うわ、猫は煮て食うわ、鼠は活き造りで食うわで、
ついには鼠に唇を噛まれるという事態が生じ、それが「窮鼠 人を噛む」との格言と
なったが、ミッキー友の会・浦安支部から抗議があり、「猫を噛む」に改変されたとか。


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3.「偶像」崇拝は、貪欲的であり、虚しい。
「偶像崇拝」とは木像や鋳像などを崇敬すること。 偶像崇拝者は、偶像に宿る神の
スピリッツや仏の魂を拝んでるのだとか、偶像は神や仏をイメージする際の助けにしている、
毎回言い訳する言葉が有難いお経の文句になったという説があるが、どうだか。

ユダヤの預言者は、人が木材を使って煮炊きや焚き火をしたあと、その同じ木材で
自分たちを助けてくれる神を作るのは愚かしくないか(※)と言った。(イザヤ44:13-19)

「偶像は目あれど見えず、口あれど話せず、耳あれど聞けず」だ。昨今の玩具のロボット
のほうが単3乾電池で動くゆえに、より尊敬に値する。(旧約・詩篇135:16-17)

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※ 「偶像崇拝」は愚かしいと言われるが、「崇拝」そのものが愚かしいとはあまり言われない。
神を崇拝するのは当然だとする宗教観や倫理観や勘違いがあるからだろう。


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4.「神様崇拝」は不条理であり、愚かしい。

神から見たら人間はイナゴのようだと聖書は言う。 そんな卑小な人間が至高の神様から
目を掛けていただけるのは有難いことなのだよ、という理屈である。(イザヤ40:22)

しかし、普通の人間なら、原っぱのイナゴ(※)に向かって、人間の俺様だけを崇拝し、
忠誠を尽くせ、さもなければ死罰を与える、とは言わないし、一瞬たりとも思わないだろう。
 虫も殺さない私なら、虫君たちが短い命を好きなように生きることを望むなあ。

要は、神が究極の愛を持つ至高の存在であれば、虫けらに等しい弱小な人間に対して、
《死に至るまでの忠誠や専心の献身を求めている》はずが無い、ということである。

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※ 新任教師が宿直の際、中学生から蚊帳の中へイナゴを入れられたが、佃煮にして
授業中に投げ返したという逸話が『坊っちゃんエピソード2 ・定刻の逆襲』編にある。


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5.「人間崇拝」は専制的であり、恐ろしい。
なにかを「崇拝」するという考えは、支配者と被支配者という主従関係の上に成立する。
「主君のために死ね」とか「指導者の批判は許さない」 「神の地上の代理者を敬え」
といった主張は、独裁主義、全体主義、権威主義の標榜であると思うべきだろう。

結論。
穏やかな「神信仰」は人を誠実・敬虔にし、心に感謝や平安をもたらすだろう。
しかし、激な「神様崇拝」や「人間神格化」は、非常に愚かしく、危険である。
それは人の考え方生き方をを誤導し、貴重な人生を破壊する恐れがある。

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画像は「22 Animals That Need a System Reboot」より。
http://www.pleated-jeans.com/2014/05/28/22-animals-that-need-a-system-reboot/
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崇拝対象

バーソ様
おはよう御座います。

空想、食うぞう、偶像とあたゆる角度から崇拝を導き出して
おられるのですね。
食うぞうにも理念があったとは思いもよりませんでした。
崇拝は一歩まちがうと大変なことになりますね。
ヒトラーも崇拝のようなものだったと思います。
隣の国の北の方にいるキムなんとかさんという若い人も
着々と崇拝対象になってきていますね。
その点では私のようにapple教を信じ、スティーブ・ジョブズ
を崇拝するのは正しい道のような気がします。

愛新覚羅

2014/11/01(土) |URL|aishinkakura [edit]

aishinkakuraさま ありがとうございます^^)

偶像は英語ではアイドル(idol)。偶像崇拝はアイドル崇拝となります。
いまタレントとかスポーツ選手とか多くのアイドルがいますが、
女性歌手をアイドルとみなして、じCDを何十万円分も買う男たちがいるのには、
ちょっと驚かされます。

権力と粛清で自分を偶像化する人間が治める独裁政権の国を考えると、
日本は、まあ、平和だということなんでしょうか。
その点、アップルファンの場合は、罪がないというより、知的レベルが高い
と言うべきなんでしょう。この崇拝というか志向は、なかなかいいですね。

2014/11/01(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

集団でキメてる様です

 え゛ー、正しくは集団が狂うという意味で「衆狂」と書きます。そしてそれは大変な異臭を放ち周りに迷惑を掛けますので「臭強」。でもそれが当然となるともうひたすら盲目的に上の人のたわごとを競って学び「習競」。変な組織を作って「醜協」。誰かが気に入らないと思えば怒鳴って脅して暴力ふるう「襲脅」。でもいざ指名手配されると逃げ回って「囚恐」。で、最後は教祖の嘘がばれて「終今日」
 こじつければまだまだ書けそう。とにかく変な神様は物語の中だけにしたいものです。

2014/11/01(土) |URL|miss.key [edit]

おはようございます

いつものことながらバーソさんらしい、駄洒落、諧謔、シリアスを
散りばめた名文ですね。神も人もゆるやかに崇拝する・・・、
強制されない崇拝なら人を強いものにしてくれるでしょうね。
人を過度に崇拝し、崇拝させられた結果、人が殺され、国が荒廃した
ことは歴史的にも数えきれないくらい繰り返されています。毛沢東、
スターリン、ヒトラー・・・。
とりわけ、けざわさんの場合は崇拝者がいまだにたくさんいておとろしい。(笑)

2014/11/02(日) |URL|エリアンダー [edit]

>「空想」崇拝は、情緒的であり、美しい。

ソーダ!(←深慮がなぃので。笑)
 「空想」といえば、
 やっぱり、赤毛のアンの空想は好ぃなぁと。
 彼女のたわいもなぃ空想想像には、
 背景ベースに、ちゃんと見えなぃものへの崇拝や畏敬の念が感じられるもの・・・。

>「常識外のことを書くSFは、常識を知らない人間には書けない」

 へぇ、星新一氏はそんなことを言われたのですかぁ。
 彼のショートショート大好き~
 だけど、確かにセロリのような匂いがしますものね。
 (あ、私、セロリの匂い嗅ぐと理科室とか連想するんです)
 なんといぅか無機質な感じ。
 対して、アンの空想は、有機質といぅ感じかしら。

>※「空」を素直な心で想像してみよう。天には高く馬が肥え、雲は白色と黒色とその微妙な中間色で流れ、秋には夕焼け小焼けの赤とんぼが飛び、カラスは勝手に家路を急いでいる。たまにはモモンガーも飛んでいる。そういった事象を静かなる心で想うことは、じつに詩的で情緒的で浪漫チックだなあ、いいなあ、と言う以外に適切な言葉があろうか。

 私も、 ↑ みたぃなのはそぉだと思うなぁ。
          同感・共感・バーソさんに1票☆"

2014/11/02(日) |URL|レイまま☆ [edit]

miss.keyさん ありがとうございます^^)

うーーーーん。こういう手があったか。ええ、口惜しやい、由良之助だわあ。(笑)
なるほど。あのカルト狂団にぴたり適合してます。でも大抵の宗教にも合っていそう。
問題は、それらの信者は、この宗教は「秀教」だと洗脳され、もう「執教」状態になっていて、理屈や常識や道理が通らない思考状態になっていることですね。

この世に完璧な宗教なんか無いということは、神の言葉とされる聖書だってよく読めば、矛盾やおかしな教えがいろいろあるのですが、それがなかなか分からないのは、愛とか親切といった甘い言葉で包まれた糖衣錠になっているせいでしょう。

むろん善良で立派な人もいます。ですが、表面的に善を装ってるということもあり得ます。
どんな組織も、自分たちの教えが唯一の善なる教えだとして他を排撃している場合とか、階級制という人間崇拝が厳格にあるところは要注意ではないでしょうか。

2014/11/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2014/11/02(日) || [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

「名文」ですか。おお、うれしいです。これで1週間ばかり幸福でいられます。

人の「信念」とか「信条」というのは自分で考えたものではなく、大抵は親や教師や哲学者や著名人といった先人の考えの中で、自分の好みに合ったものを自分のものとしているに過ぎず、善悪の基準にしても極言すれば自分の好みで決めています。そして、どんなことでも、人は自分のしたくないことは、してないものなのだそうですよ。

第二次世界大戦ではヒトラーとナチが悪者にされますが、熱狂的に支持したドイツ国民がいたことを忘れがちです。信者が大勢いたからこそヒトラーは権力をふるえたのです。

けざわさんのような政治家は、もうたくさんだと思う人が大勢いれば、少しは歴史が変わってきたかもしれませんが、でも粛清が怖いですね。アメリカでは赤狩りと言いました。
くねさんにしても、彼女の考えはすなわち国民の考えであるということなんでしょう。
カルト教団にしても、彼らの唱える思考や生き方が好きな熱烈なるファンが大勢いるので、成り立っているのですね。これは私の敬虔から、いや、経験からはっきり分かります。

2014/11/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

レイまま☆さん ありがとうございます^^)

「ソーダ」の注釈とか「空の空想」の補足とか、私の意図し、深慮した箇所を正しくご理解いただけているようで、非常にうれしく、ありがたく思っています。(笑)

そうですね。赤毛のアンは空想で生きていたように感じます。誰でも子供の頃は多少なりともそういう傾向があるのでしょう。
レイママさんも夢見る少女だったのだろうと思いますが、私も小学生の頃は学校の帰りなど、いつも何かの物語の主人公になったつもりで、空想しながら歩いていました。
住んでた所が田舎で、自動車も今のように沢山走ってなかったので、ぼーっとしながら歩いても問題なかったのですね。時々、子供の頃に戻れたらいいなあと思う時があります。

>だけど、確かにセロリのような匂いがしますものね。
そうですか。星さんのショートショートはそんな匂いがしますか。面白い連想ですね。

>私、セロリの匂い嗅ぐと理科室とか連想するんです
そうですか。私もそうです。ちょっと薬品くさいですよね。セロリって、イライラ解消の鎮静作用があるらしいですよ。セロリとかパセリって、大人の食べ物なんでしょうか。
大人と子供では、だんだん好みも考えも変わってくるのですね。

2014/11/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

有難うございました

コメント有難うござました。
どれもおもしろい画像で、爆笑してしまいました。
今後とも宜しくお願いします。

2014/11/02(日) |URL|マウントエレファント [edit]

マウントエレファントさん ありがとうございます^^)

わざわざのお返事、ありがとうございます。
私も面白い絵が描ければいいのですが、
そんな才なく、ただ歳を取るばかりの今日この頃ゴロとしています。
こちらのほうこそ、よろしくお願いします。

2014/11/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

☆バーソ☆さん、こんにちは。

あらゆる崇拝は服従であり恐怖を含んでいると思います。
逆に言うと恐怖があるゆえ、崇拝してしまう。
そして崇拝は自分で考えることを放棄する行為でもあり
まさに支配者と被支配者という主従関係を作り上げてしまうと思います。

どちらにしろ☆バーソ☆さんが言われるように「貴重な人生を破壊する恐れ」
の確率は高くなるので、「人間崇拝」「神崇拝」は危険ですね。
これらは主に一神教の宗教団体が体現しているので、観察すれば
いかに危険かはよく分かります。組織の中に真理はありません。

我が身に置き換えて、「崇拝」には気をつけなければと思います。


追記
それにしても☆バーソ☆さんは頭の回転が速く、他人に優しい意識を
持たれていますね。ユーモアもあり素晴らしいことですね。

2014/11/02(日) |URL|H [edit]

Hさん ありがとうございます^^)

>あらゆる崇拝は服従であり恐怖を含んでいる
確かに、崇拝には飴と鞭が関係しています。神崇拝の場合、飴は恵みとか罪の許しとか永遠の命ですが、鞭は神の罰という裁きで、信者は神から見放されるのが恐ろしくて従っているという一面が確かにあります。

>崇拝は自分で考えることを放棄する行為でもあり
そうだと思います。「神に一切を委ねよ」というような教えがまさにそうです。
これは信仰者の望ましい態度と言うべきか、自分の理性を使わなすぎると言うべきか。
ともあれ、人間としての自分の理性放棄は賢明なことではないのは確かでしょう。

>これらは主に一神教の宗教団体が体現しているので、
ああ、そうですね。一人の神しか認めないのですから、一神教は排他的です。
神道系の人は他の宗教を悪く言うことがあまり無く、人あたりが穏やかですね。

>組織の中に真理はありません。
はい、そうです。どんな組織でも大勢の人間の集まりになると、争いや腐敗などの問題がついてまわります。著名な宗教リーダーは組織を作らず、大抵はその弟子たちが組織を作っています。イエス・キリストはキリスト教徒ではないという話がある通りです。

私、思うのですが、神を信じる人と信じない人、見えないものを信じる人と信じない人とでは、霊的なことに対する感じ方がそもそもちょっと違うということがないでしょうか。
むろん、人それぞれの考え方、生き方があっていいのですから、どちらがいいとか悪いとかの話ではないのですが。

ただ、見えないものを信じる人の場合、信じるゆえに人生を懸けて打ち込んでしまうことがあります。そうすると本来は容易に見えるはずの問題点がことが見えなくなります。
そして、みずから歩きにくい狭くて細い門を通ることになり、教団からは時間や労力や金銭を要求されたりして、この社会で生きていくのにもいろいろ苦労することになります。
神を求める気持ちは悪いことはないですが、「崇拝」という信仰方式には要注意です。

>追記
それにしても☆バーソ☆さんは~
ああ、ありがとうございます。過分におほめいただいて、うれしいです。

2014/11/02(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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2014/11/03(月) || [edit]

こんばんは

うまい事も書けませんが 夢見る 夢子ちゃんでした、
赤毛のアン!大好きです、
子どもが誕生日プレゼントに DVDくれました、
元気な内に プリンスエドワード島に 行きたかったのですが、
エエ年して アンに会いたい!なんて 信者でしょうね、 

小学生時代 空を見上げて 飛行機に乗るのも夢でした、
ホントに 夢見るだけでした、 
空想の世界も楽しいでしょうね! 
実現しない アニメの世界も好きです、
宇宙戦艦ヤマト!など、 
失礼しました、  たか 

2014/11/04(火) |URL|たかちゃん [edit]

たかちゃんさん ありがとうございます^^)

やはり「夢見る 夢子ちゃん」でしたか。私と同じですね。
『赤毛のアン』がお好きですか。アンの空想好きに共感する心があるのでしょう。
あの島、私も行ってみたいとずうーっと思っています。思ってるだけなんですけどね。
アニメがお好きなようですね。『弱虫ペダル』って、関東では放映してないみたいです。
女性で飛行機とか宇宙戦艦ヤマトが好きって、ちょっと珍しくないですか。
日々の暮らしの中で、ちょっとした変化を感じて楽しんでおられるようですね。
私も、だんだんと寒さが肌身に感じられる時期になると、なぜか物悲しくなります。
でも、この物悲しい気持ち、あんがい好きですけどね。

2014/11/04(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

携帯からです

面白い!
バーソさんは常に考えていらっしゃる。
生きているうちに頭を使え、と言いますが、それを実行している人にはなかなか会えません。

信心は大事だけど、狂信はするな、というのが自論ですけど、ここまでちゃんと考えたことはありませんでした。
勉強になりますb

2014/11/06(木) |URL|ウダモ [edit]

ウダモさん ありがとうございます^^)

おお、頭を使ってる、とみなしていただけたのでしょうか。えーーーと、
そうなんです。無い頭を必死に使って、駄洒落を盛り込んだのですよ。(笑)
私の結論は、ウダモさんの持論と同じだったようで、よかったです。
この話は、自分の人生経験から書いているので、冗談のようで本当の気持ちです。
どんなことでも実際に体験して、よく分かることってありますね。
励みになるコメントをありがとうございました。(^^)

2014/11/06(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

>穏やかな「神信仰」は、人を誠実にし、敬虔にし、心に感謝や平安をもたらすことがある。

ほんとにそうかもしれないですね。
うちだけが最高、正しい は危ないかもですよね。

人はわりと暗示にかかりやすいですよね(自分ですが)
宗教だけじゃなく 商品セミナーとか 怪しいなって思ってても
そのゾーンで話を聞くと、ちょっと信じてしまったり・・
でも あとでよく考えると おかしいな?って思って
すぐ覚めるんですけどね(^_^;

いろんなことを謳ってる世界がありますが
その世界に浸ると ほんとにそういう現実が作られるような気もします。
思いが現実を作るというか そういう磁場ができるというか。
思い込みもバカにできないかもしれないですよね。

でも、無意識のうちにその時代の考えに洗脳されてるのかもしれないなって思う時があります。
なので時々 目からウロコポーロできる本が読みたくなります^^

2014/11/09(日) |URL|kotorin [edit]

kotorinさん ありがとうございます^^)

>人はわりと暗示にかかりやすいですよね(自分ですが)
ああ、そうですか。私もそうです。私もわりあい何かをすぐ信じるほうですよ。
でも、すぐ覚めるというのは心のバランス感覚がうまく働いてる証拠でしょう。
だからその感覚が働かないうちに、通販では「お求めは今すぐ」と言うのでしょう。

>その世界に浸ると ほんとにそういう現実が作られるような気もします。
ある強固な思想を持つ集団の中にいると、実際にその世界があるような感じがすることがありますね。この社会は何が作ったかと言えば、結局は人の意識が作ったというのは、これは無神論者でも認めざるを得ない事実だと思います。

精神世界では、よく意識が現実を作っていると言われますね。寝ている間は、この世界は存在しておらず、起きた時に毎回毎回、前の晩まであった自分の意識通りの世界が再現されているのだと。そう思うと、中国の「胡蝶の夢」を思い出しますが、この人生もなかなか面白いものだと思います。

「神対」の本の中で、人は死後、自分が信じていたところに行く。地獄を信じていた人は、地獄と思えるような場所に行く。死んだら無存在になると信じていた人は、なかなか目が覚めない、と書いてありました。「無になる」とは、以前、私が所属していた教団で教えられていたことですが、これもまた面白いものだと思いますね。

2014/11/09(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

何も崇拝しない、虚無主義、老荘の思想、もしくは聖徳太子の「世間虚仮唯仏是真」の思想こそ、ある意味で極地ですよね。何かを崇拝しなきゃならないなんて弱い人間の生き方だと思います。

2014/11/28(金) |URL|わほマン [edit]

わほマンさんへ

>何かを崇拝しなきゃならないなんて弱い人間の生き方だと思います。
そういうふうに見ることもできますが、そういうふうに教えられ、それが正しく強い生き方だと思わせられている人もいるでしょう。

いずれにせよ、《神や人間を崇拝せよ》というのは、人を支配するのを面白いと思う権威主義が好きな人か、そういう立場にある人が考え出したものだと思います。

2014/11/29(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんにちは

面白いですねえ。

「食うぞう」と「空想」はまさしく私の崇拝するべきことなので
熱く読ませてもらいました。

はなしかわりますが、

友人が先週末、沖縄に出張があり、私も連れていってもらいました。
日本人より中国人の観光客が多くて外国のような感じでした。
その沖縄で思いました。
日本も中国もミックスして
さらに戦前も戦後も混ざって混沌として
さらに基地を抱えて、この沖縄って
「にんげん」そのもののように思えました。
「崇拝」とか「空想」とかではなく「食うぞう」の強さみたいな
ものを感じました。

2015/05/21(木) |URL|森須もりん [edit]

Re: こんにちは

森須もりんさん ありがとうございます^^)

この沖縄って「にんげん」そのもののように思えました
「崇拝」とか「空想」とかではなく
「食うぞう」の強さみたいなものを感じました

そうですか。なんとなくわかるような気がします。
「崇拝」と「空想」は精神の領域。無くてもいいかもしれません。
「食うぞう」のほうは本能の領域。無いと生きていけません。

現実生活では、精神より本能を満たすことのほうが大事なのでしょう。
沖縄は行ったことがないですが、いろんな問題がかなり切実なのだろう、と森須さんのコメントを見て感じました。

「人はパンのみによって生きるにあらず」という有名な言葉があります。
これもまず第一にパンを食べて腹を満たしてこその話。それから精神的な必要を満たすことが大事なんでしょう。
人がみな基本的な安定や平安や安寧を持てるようになるといいですね。
過去記事も読んでいただき、いつもありがとうございます。

2015/05/21(木) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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