バーソ様
おはよう御座います。
パブロ・カザルスは名前だけは知っていましたが演奏も聴いたこと
がなく、また戦争にまつわる話も始めて知りました。
偉大な方で高齢にもかかわらず素晴らしい演奏に感動しました。
しかし悲しいかなクラシック音楽は聴く人が少なくジョン・レノン
の方が影響力があったのではないかと思われます。
両名とも本物だと思いますが一時新宿などでヒッピーの格好をして
ギターを持って反戦フォークなどを歌っていた若者達はどこまで
本気だったのでしょうか。
私の友人に極端な人間がいて学生時代は反戦デモに参加していて
機動隊と敵対していたのですが卒業後気がつくと警察官になってい
ました。
よくそこまで思想を変えられるものだと思いました。
愛新覚羅
平和を願うパブロ・カザルスとその母の言葉。
①
カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きながら飛んでいる。
アポロ14号が月に着陸し、南ベトナムがラオスに侵攻し、中華人民共和国が国連に加盟し、
日本が円変動相場制に移行し、ジョン・レノンが『イマジン』を発表した1971年。
10月24日、国連本部で、94歳のパブロ・カザルスが出席者に静かに語りかけた。
「私はもう14年もチェロの公開演奏をしてませんが、今日は弾きたくなりました。
これから、短いカタルーニャの民謡『鳥の歌』を演奏します。
私の故郷では鳥たちは Peace、Peace、Peace と鳴きながら空を飛んでいます」
カザルスのこのエピソードは伝説的で、録音が残されている。
※「鳥はピース、ピース、ピースと鳴く」の言葉は50秒ころから、演奏は2分5秒から。
カザルスは1876年にスペイン・カタルーニャ地方に生まれ、
11歳でチェロを弾き始めた。
62歳のとき、フランコ軍のスペイン制圧により、フランス領プラードに亡命。
独裁者が生きてるうちは故郷には帰らないと言い、
国連やホワイトハウスでチェロを弾いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
②
われわれは、人類という一本の木につながる葉である。
『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』
アルバート・E・カーン(編)吉田秀和・郷司敬吾(訳)
一秒一秒、私たちは、宇宙の新たな、二度と訪れない瞬間、
過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。
子どもたち一人ひとりに言わねばならない。
君はなんであるかを知っているか。
君は驚異なのだ。二人といない存在なのだ。
世界中どこを探したって、君にそっくりな子はいない。
過ぎ去った何百万年の昔から、君と同じ子供はいたことがないのだ。

ほら、君のからだを見てごらん。
実に不思議ではないか。足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
君は シェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。
どんな人にもなれるのだ。そうだ、君は奇跡なのだ。
大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。
君たちは互いに大切にし合いなさい。
君たちは、われわれもみんな、この世界を、
子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。

私は、今までになんと驚異的な変化と進歩を目撃してきたことだろう。
科学も産業も宇宙開発も、まさに驚異的進歩を遂げた。
それにもかかわらず、世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。
われわれの行動は、依然として野蛮人に等しい。
未開人のように地球上の隣人を恐れる。
隣人に向かって武器をもって防衛する。
隣人も同様である。

私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。
いつになったら、人類が同志であるという事実に慣れ親しむときがくるのだろう。
祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。人類という木に。

20世紀最大のチェリストと言われるパブロ・カザルス。彼は《音楽で平和を
訴えることが、自分が生まれてきた意味ではないか》と語ったそうだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
③
人は、殺したり、殺されるために生まれたのではない。
カザルスの弟のエンリケが徴兵されたとき、母ピラールは彼を国外に逃がした。
「エンリケ、お前は誰も殺すことはありません。
誰もお前を殺してはならないのです。
人は、殺したり、殺されたりするために生れたのではありません・・・。
行きなさい。この国から離れなさい」
彼女は、わが子だけは死なせたくないという、身勝手な肉親愛でそうしたのではない。
激しい非難があっても、自分のすることが正しいという強い信念と勇気でそうした。
カザルスは、「もし、世界中の母親たちが自分の息子に向かって、
私の母と同じことを言うなら、世界から戦争はなくなるだろう」と言っている。

パブロ・ザルスは1973年、プエルト・リコのサン・フアンで永眠。享年96。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
☆現代の戦争は、大国が膨大な軍事費を費やすことで、自国の経済を活性化する目的がある。
大義名分は嘘だったと判明しても、さして問題にはならない。
戦争という名の大量殺戮テロには、民主主義国家の場合、国民過半数の(経済)意識が反映されている。
もっとはっきり言えば、一部の富裕特権層の拝金主義が反映されている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
最後は、素朴なようで心に深くしみるバッハの「無伴奏チェロ組曲」をどうぞ。
★画像:女性たちの写真はスペイン内戦に関連。ネットから集めたものを着色。
1.内戦の終結直後を舞台とした1973年スペイン映画『ミツバチのささやき』より。
2.スペインのマドリードで難民になった女の子(赤十字国際委員会の写真ライブラリ)。
3.髪の毛を剃られ、下剤のひまし油を飲まされ、街なかを歩かされる女性たち。
4.戦場写真家ロバート・キャパが撮影した、パートナーのゲルダ・タロー。
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COMMENT FORM
こんにちは ☆バーソ☆様
高尚な記事お書きに成られて素晴らしいと思います
常日頃より 下劣な思索が渦巻いており情けない限りです
人の為と言う 大義名分が付くと こんな残酷な生物も余り居ない
心のタガが外れた様に 平気で色々やりだすものですね
全体として機能してる社会において 個人を見つめた場合
善である 悪であると論じることは 非常に難しい
不平等感から生じる ナゼと言う疑問 何とかしたいと言う行動
神の元では平等であるとしながらも 平等を好まない信者
愛と言う言葉もそうなのだが 測り様の無い曖昧なものに
不公平感を持ち 嫉妬してしまう どうしようもない人間という
生き物 種族保存本能であると突き放すのは簡単だが 現実に
有る 公平な物は 生命の終焉 死 しかないのではないか
未だに死を超える物は存在しない 死後というものを信じ
如何に死ぬべきかを論じている 本当なのであろうか 判らない
未だに 完全死をしたものが 戻ってきた事は無い
死にかけた事は有るが 死んではいない 知らないのだ
仏教では 異音と言う言い方をして(イインと読む)を生ずる
として 怨念邪念が残るとされているのだが 如何にそれを
生じさせないかが 仏道と言う死に方 無の思想がそれです
この記事に出てくる 息子に殺生をさせたくないというのは
我欲として分類されるべきもの 怨念に相当する強い因縁
異音を生ずるとされています さらに ここで殺生を逃れ
ても 因縁が有れば 必ず殺生の場面に出会うはず
愛と言う自己犠牲精神で 防ぎきれないものでしょう
その因縁の鎖を断ち切る方法をみつけるのが 仏道因縁縁起
解脱という方法 一歩踏み込み過去の事例に照らして
実践するのが 仏道と言う道 だが難しい
それには 一歩進めば 現象として何が有ると検証された道が
有るのだが 大乗仏教の陰で消えゆく運命に有ります
無上の愛を説くことが悪いと言っている訳では無く もっと探究
すれば 出来ることが有るはずだと思っております
平和という みんな満足する世界は 果たして有るのだろうか
大変難しい状況であると思います あとは自分で感じられる
満足感の問題ではないでしょうか 偉そうな事言っちゃって
御免なさいデス
確かに、ジョン・レノンの『イマージン』の歌詞のほうが強烈な印象を受けますね。
「想像してごらん 国なんてないんだと」
「殺す理由も死ぬ理由もなく そして宗教もない」
「さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって・・・」
一人ひとりがこういう意識を持てれば、世界は少しずつでも変わっていくのでしょう。
最近読んだ本に、面白いことが書いてありました。
つまり、世界の国々が皆アメリカの属国になれば、つまり全ての国がアメリカの州のひとつになれば、州同士は戦わないので、世界から戦争はなくなるはずだ、というのです。
(アメリカも昔は、州がそれぞれ軍隊を持ち、互いに戦争をしたが、合衆国としてまとまってからは、利害の衝突が起きたときは最終手段として裁判で解決するようになった)
これ、案外いい方法じゃないかと思いましたよ。むろん、難しい国もあるでしょうが。
(日本の場合は、すでに属国のようなものですが)
確かに、ジョン・レノンの『イマージン』の歌詞のほうが強烈な印象を受けますね。
「想像してごらん 国なんてないんだと」
「さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって・・・」
一人ひとりがこういう意識を持てれば、世界は少しずつでも変わっていくのでしょう。
最近読んだ本に、面白いことが書いてありました。
つまり、世界の国々が皆アメリカの属国になれば、つまり全ての国がアメリカの州のひとつになれば、州同士は戦わないので、世界から戦争はなくなるはずだ、というのです。
(アメリカも昔は、州がそれぞれ軍隊を持ち、互いに戦争をしたが、合衆国としてまとまってからは、利害の衝突が起きたときは最終手段として裁判で解決するようになった)
これ、案外いい方法じゃないかと思いましたよ。むろん逆説的な意見ですが。
(日本の場合は、すでに属国のようなもので、アメリカは心配して無いでしょう)
>大義名分が付くと こんな残酷な生物も余り居ない
人間が死んでも守りたいものの第一は、自分が信念としている「義」なんだそうです。
愛とかカネと親族かよりも、正義のためには死ぬべきだとする人間が多いんですね。
これ、一見立派ですが、問題は、その「義」に絶対的な規準というものが無いことです。
だから、おっしゃるように、大義名分が付くと残酷なことをするのですね。
>息子に殺生をさせたくないというのは、我欲として分類されるべきもの
そう言える一面もあるでしょうね。母親というのは自分の子がかわいいものですから。
ただ、もし、世界のすべての人がカザルスの母親やジョン・レノンと同じ思想を持つことができるなら、世界から戦争がなくなることは事実でしょう。
とは言いつつも、世界から大国は無くならず、大国は自国の「我欲」を武力や経済力や外交力でゴリ押しするものですから、実際にはどうしたらいいか、非常に難しい問題です。
今は、きれいごとが通じない世の中です。絶対主義にしても資本主義にしても、どんな政府でも、要は、力で勝ったほうが官軍の世界になっていますね。
仏教の教えはよく分かりません。死後の世界のことも物的証拠は弱いようですね。
ただ、最近、思うのですが、自分がなんとなく納得できているようであるなら、
「わからずとも それでいいのだ ホトトギス」という気がしています(笑)。
なかぬなら、それも愉しき ホトトギス、これが一番すきでしたよ!
子供たちは大切な宝ですよね。戦争はもちろんダメ。
きのうのニュースだったか、地方公務員の精神疾患率が10年で2.4倍、教師は3倍、だったかな?そんなニュースを見て、戦争が無くてもこんな心を痛めなきゃいけないのはなぜだろうな。。って思ってしまいましたよ。
>一秒一秒、私たちは、宇宙の新たな、二度と訪れない瞬間、
過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。
言葉にすると、
なんと簡潔で、
しごく容易な事のように思えるのですが、、、
私などは、宇宙とか時代とか言う大きなスパンでは実感も想像すらも出来ないでいます。
カザルスの母上のように、
ある意味ちっぽけな意味では、かろうじて共感出来たりします。
特に、言葉を持たない犬、
(ここで人間ではない生き物と比べると不謹慎であると思われる方もいらっしゃるかもしれなぃけど)
この子らの生き様を見ていると、
過去も未来もなぃ、大義名分も無い、
「今」が全てで、淡々と生きているワンコの姿は尊く、私などより達観していて、上記の言葉を何気に実践している師のようでさえあります。。。
すみません、私情の入りすぎているコメではありますーー;
チェロ演奏も、素晴らしい~心に染み入ります。
素朴で媚びていない「鳥の歌」、
一見、規則正しくも無機質にも思えるバッハの単調な旋律が、
まさに、
「われわれは、人類という一本の木につながる葉である。」
といぅはるか悠久の彼方から紡がれている真理を奏でているように思えるのか~凄く心に響きますねぇ。。。
「鳴かぬなら、それも愉しき ホトトギス」
これがよかったですか。そうなら、よかったですー。
とにかく鳴かないといけないんだと思い込んでいると、鳴かないときは、それが自分の不幸の原因になり、つらくなったり落ち込んだりするかもしれません(私の経験でも、そのことばかりずうーっと考えていると、ますます気持ちが沈む一方になりますね)
でも、別に鳴かずとも、それでもいい、そういう道もあるのだろうと思うなら、鳴かないことは別に間違ってもいないし、自分の不幸の原因でもないということになります。
いつの時代でも、生きている限り、悩みの原因はなくなることはないのでしょう。
原因の除去ができないのであれば、あとは現実問題として、それを受け容れて、まあ、しょうがない、なんとかこの状況でやっていこう、と思うしかないのでしょう。
たとえ鳴かぬことを「愉しめない」としても、
「鳴かぬなら 鳴かぬのもよし ホトトギス」(紹巴)と思えたらいいのでしょうね。
うわッ、カザルスの深遠な文章に、これはまた、レイままさんの深い深い随想。
時間を掛けて考えられたようで、ありがたいことです。
宇宙とか時代というと、確かに、私も実感できません。
ですが、この「今」という瞬間は、たとえようもないほど貴重なものであることは理解できます。「今」という時間は、自分の宇宙であり、その積み重ねが時代なんでしょうか。
小学生の下校風景を見ていると、子供たちはみな屈託のない顔で、おしゃべりに夢中になって歩いているので、いつもうらやましく感じます。あんな時代に戻りたいものです。
「過去も未来もなぃ、大義名分も無い」。そうそう、これがいいのでしょうね。
「素朴で媚びていない」。これも同じことで、自然な、本質的な、ということなんでしょう。
ただただ、今この瞬間に生きてることを味わう---。これでいいのでしょうね。
ワンちゃん。無事に手術が終わったようで、よかったですね。
もうじゃまな包帯などが取れたようですが、早かったですね。(^J^)
このコメントは管理人のみ閲覧できます
驚きました。そうでしたか。
涙が出てきました。
がんばってるんですね。
私も祈ってますよ。[
がんばって。
「鳥の歌」も「無伴奏チェロ組曲」もカザルスが再発見した
ようなものですね。いままで埋もれていた曲を積極的に
取り上げて有名になってしまいました。「無伴奏チェロ組曲」は
ただの練習曲だったのですがカザルスが演奏するようになって
深い精神性をもった高尚な曲になりました。出世魚のようにハマチが
ブリになったようなものです。←えっ、違うって?(笑)
高齢になったカザルスが演奏の傍ら平和運動も行っていたことは
驚きでした。
人とチンパンジーは487万年前に分岐し、チンパンジーとボノボは
233万年前に分岐したとされています。チンパンジーは攻撃的で
ボノボは平和主義です。
遺伝子的に内包された攻撃性が人にもチンパンジーにもあり、
ボノボに劣る点ですね。
http://blog-imgs-64.fc2.com/e/l/l/elleander/bonobo.jpg
内戦で裏切り者として引き回されている写真はパリの解放後にも
よく見られた光景でしたね。
さすが、エリアンダーさんらしい、深く、広く、面白い文章になってますねー。
『無伴奏チェロ組曲』は「深い精神性をもった高尚な曲」だと言われると、
おお、そうだなあと思いますが、それ以上の深さについては正直よく分かりません。
ただ、心が鎮まる曲であることは確かですね。それにしても、この曲の最初を聴くと、
パッヘルベルの『カノン』(好きな曲です)を思い出すのですが、なぜでしょうかね。
ホンダの原付の名に、APE、MONKEY、GORRILLAがありましたが、CHIMPANZEEはなかったですね。おどけたイメージがあるせいでしょうが、じつは「攻撃的」なんですか。
ボノボもチンパンジーもヒトも、みんな「サル目」の「ヒト科」(Wikipedia)。
人は皆「人類という木」に繋がってるはずなのに、こんなに性格が違うのが面白いです。
戦争は、なんであれ負けたほうが悪役にされるのが、悲しい現実ですね。
私も、この「無伴奏チェロ曲」聴くと、
パッヘルベルの『カノン』を思い出します。
そして、
ロバート・ブラウニングの有名な詩の一節~
「神は天にいまし、すべて世は事もなし」
も、連想してしまぃます。。。
なので、
音楽的な旋律の形態とかだけでなく、
これらの作品に流れる共通した
「この世の事の全てを受け入れ、
普遍的な人間に対 する信頼と肯定~」
が、ベースに流れているからじゃないのかなぁって思います。
まさに、↓ この言葉通りのスピリットなのかなぁ。。。って
あらためて、思ったりました。
>一秒一秒、私たちは、宇宙の新たな、二度と訪れない瞬間、
過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。
>私も、この「無伴奏チェロ曲」聴くと、
> パッヘルベルの『カノン』を思い出します。
わー、そうなんですか。驚きました。私とレイままさんと波長が近いようですね。
>「神は天にいまし、すべて世は事もなし」
> も、連想してしまぃます。。。
おー。連想が『春の朝』ときましたか。この部分は、『赤毛のアン』の中で、
アンが引用していますが、私、これ、学生時代に授業で習って好きになり、
今でも上田敏の訳詩のほうを暗記していているんですよ。
>なので、
>音楽的な旋律の形態とかだけでなく、
>これらの作品に流れる共通した
> 「この世の事の全てを受け入れ、
> 普遍的な人間に対する信頼と肯定~」
> が、ベースに流れているからじゃないのかなぁって思います。
おー、この文章、すごい。うーーん、と唸ってしまい、言葉がありません。
音楽を聴いてこんな深いことを言葉にできるのは、素晴らしいです。拍手です!
そぉそぉ、
私も、遠い昔、
赤毛のアンを読んでファンになったんです!
このコメントは管理人のみ閲覧できます
そうなんですか。やっぱり似たものナントカなんでしょうかね(笑)。
プリンス・エドワード島は死ぬまでに一度は行ってみたい所です。
アンは想像力豊かで、いつも夢を見ている文学少女というか、おしゃべりな少女です。
レイままさんも、夢見る少女のアンタイプのように感じますけどねー。
私は、夢想傾向はアンに似てますが、でも無口で、しかも内気なほうなので、
どちらかと言えばマリラの兄のマシューに似てるかもしれません。
私はヴァイオリンの弦の音が好きなんですが、このチェロの音も、いいですねー。
連コメ 御免下さい
郡山の鳥は
ゲケツッ ゲケツッ チッ チッ チッ !
とか鳴いています 美味しんぼでも読んだのでしょうか
下品ですみません・・・(~_~;)
ホトトギスの鳴き声を人間の言葉に当てはめると、
「本尊掛けたか」とか「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」と聞こえるとか。
郡山では、血肉の奥まで痛めつけられたせいで、そう聞こえるのでしょうか。
何と言っていいやらわかりませんが、・・・とりあえず・・・ご愁傷様です。
連コメ 御免下さい
こないだからチェロの曲ばかり聴いてます。
レイもなんだか心地よいみたい。
音楽が理解出来るのは人間だけじゃないですね。。。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
ひと頃、ヨーヨー・マをよく聴きました。
彼は、飛行機では隣の席をチェロのために取り、タクシーでも必ず隣の席に置く
と言ってますが、実際は頻繁にタクシーのトランクに置き忘れているとか。
その楽器のせいか、弾き方のせいか、音色が他の人と違うような気がします。
チェロは音程が低いので、神経に優しく響くのでしょうかね。
レイちゃんもレイままさんも心地よいなら、よかったですー。
早く治るといいですね。おいしいもの、食べさせてあげてください。
>カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴きながら飛んでいる。
パブロ・カザルスという方、存じ上げませんでした。
ジョン・レノンが『イマジン』を発表した年の演説。。なんですね。
鳥の歌。。が哀愁を帯びて
こころに響いてきます。
残された言葉も沁みますね。。。
彼は《音楽で平和を訴えることが、自分が生まれてきた意味ではないか》と語ったそうだ。
ここ↑ メモしたいです(^^)
無伴奏チェロ組曲
各国の軍隊を撤廃し、国連軍と国連最高裁を設け、争いは裁判で決着すると決めれば、武力闘争はなくなるでしょうが、現在は大国の拒否権があるので難しいでしょうね。
人種は違っても国は違っても、人類はひとつ---。
精神世界のそんな意識が浸透していけばいいですね。
「鳥の歌」は、物悲しい旋律が胸の反射部に浸透してきます。
元は聖誕歌で、イエスの誕生を祝う歌詞が付いていたそうですよ。
鳴かぬなら、自分が鳴いて笑っちゃお~w
↑
こんなんしか思い浮かばなかった私って…orz
レイままさんのコメントに思わず涙が出てしまいました。
愛犬を失ったばかりでセンチメンタルになりすぎているのかもしれません。
本当に、動物は純粋で本能に忠実な生き物だと思います。
無条件に私を信じてくれて、無条件に私に愛をくれた大切な存在です。
あの子といた時間は、幸せ『だけ』でしたよ。
そんな存在、どこにもいませんてw
まあ、わが子は命より大事な存在ですけど、その愛とはまた違うんですよね。
何と言ったらわかりませんけど。。。
各国では何やら物騒ですが、それこそ世界中が憲法9条を持っていれば戦争なんて起こらないのにね、と思いますw
すみません、私も単純ですた←
泣きたいときって、ありますね。
でも、泣くのを我慢し、感情を抑えこんでしまうのはよくないようですね。
悲しいときは悲しみの感情に浸る。泣きたいときは思い切り泣く。
泣いたらさっぱりして、自分を笑えるようになれれば、さらにいいのでしょうか。
とにかく時々の自分の気持ちに素直になるのが、自然で、いいようですよ。
生きてると、「楽」と「苦」が、こちらが忘れた頃に勝手にやってきます。
人生は泣き笑いの積み重ねになっていて、そういうものなんでしょうかね。
動物は本能に忠実に生きています。私利私欲や損得なんて概念は皆無。
特に、かわいがられているペットの本能は、飼い主への無条件の愛です。
人間もみな「愛」という自分の本質に目覚めればいいのですけどね。
はじめまして、ビーチです。以後よろしく。
この画像はすべてこの書に掲載されていたものでしょうか?すべてステージはスペインですかね。
三枚目の画像ですが髪の毛を剃られているのは左から二番目の女性(特にひどいですね)と右端の女性だけのようですが。
(ウダモさんあてのコメントかと思いましたが、私も感想を・・・)
愛する人や動物が突然いなくなると、悲しくて、つらいものですね。
世の中に無常感を感じたり、空虚感を感じたりします。
病気になって体が弱っていくのを見るのも、悲しく、苦しいものです。
我が家の手乗り文鳥。子供のようにかわいがっていて、10年以上も長生きしました。
私の手のひらの上で息を引き取りましたが、いまだに手のひらに、そのときの羽毛に包まれた体の、柔らかくて、温かい感触が残っていて、思い出すと涙が出てきます。
でも、最近は、思い出すときに、悲しさとそして温かさも感じるようになりました。
写真はネットから集めたもので、そのことを本文に補記しました。
3枚目の大きい写真は、http://soyplastic.net/category/sociedad/
その説明は、http://lasmerindadesenlamemoria.wordpress.com/2013/03/06/que-te-creias-roja/
4枚目については、どのサイトの説明を見たのか覚えていませんが、
http://www.jumbow.main.jp/?eid=1272375 が参考になるでしょうか。
「し」とは何だろうか?と気になりました。
リンク先読みました。
スペイン語なので翻訳に苦労しましたがな。
私の場合翻訳というより解読でしょうか。
これはひまし油を飲まされた後から髪をそられたんでしょうか?
「し」とはおそらくなんかで入力しちゃったんでしょう。
ビーチさん ありがとうございます^^)
おやー、約一年ぶりの返信。こういう律儀なお方は珍しい。
よく思い出しましたね。あるいは女性の髪剃りに関心があると言うべきか。(笑)
>これはひまし油を飲まされた後から髪をそられたんでしょうか?
さあ、先か後か分かりません。ですが、下記のように書かれていたので、ひまし油を飲まされたあとに行進させられたのは間違いないでしょう。
「彼らは、ゼロまで髪を剃っていて、彼らに下痢を引き起こすためにヒマシ油を飲むことを強制していて、彼らに下剤のため、彼に糞便をしている通りを取りに行くことを強制していました」―――Yahoo翻訳
私は日本語も覚束ないので、すぐ翻訳サイトのお世話になります。
ですが、「し」の字はちょっと悩みましたよー。解読不能で。(笑)