「バーソは自由に」

 考え方はいろいろあるから面白い。

 「臨死体験は幻覚ではない」と言える科学的な根拠。 

死後も意識が存在し続けることは、
 今から十年、十五年もすれば、常識となるだろう


フランス人医師ジャン=ジャック・シャルボニエが、数百件にのぼる臨死体験の
科学的データに基づき、「臨死体験」は幻覚ではないと明言している。
彼は救命救急医として25年以上働いてきた、いわば科学的な範疇の人間である。

あの世が存在する理由
「あの世」が存在する7つの理由 

〈著〉ジャン=ジャック・シャルボニエ 
 (フランス蘇生学協会会員/麻酔・蘇生医)
〈訳〉石田みゆ  サンマーク出版

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「臨死体験」に対する科学的な懐疑論と、それに対する反論。
27-40頁「第一の理由:死からよみがえった六千万人」の内容を紹介します。
(バーソ要約)

懐疑派の科学的主張(1)
「酸素不足と二酸化炭素過多のせいで意識を失った脳が見せる幻覚だろう」


ハイポキシア(低酸素症)とハイパーカプニア(血中の二酸化炭素濃度が著しく増加した
状態)では、典型的な症状が起きる。例えば、うまく話せなくなる、怒りっぽくなる、
注意力が低下する、記憶が曖昧になる、など。

しかしこれは、臨死体験者たちが何かを見てきたと話す内容や、明瞭に語る様子とは
全く対照的である。彼らにはそのような意識障害や思考力低下はない。

1_2014012215432413f.jpg

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懐疑派の科学的主張(2)
「後頭葉が酸素不足になったときに見える光の点を見ているのではないか?」


この場合の症状は、古いブラウン管テレビの画面のスイッチを切ったときのように、
スポットライトの強い光が突然拡大したようになり、少しずつ弱まって最後は
完全に消えてしまうといった感じになる。

しかし、臨死体験者たちが語る「トンネルの先のほうに、愛の光が見える」という光景は、
ブラウン管の光が消滅していく感覚とは似ても似つかない。その光は、力強く、
大きく広がっていくようで、言葉に尽くしがたい経験である。

5 (2)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
懐疑派の科学的主張(3)
「モルヒネ受容体への刺激の活性化による幻覚ではないか?」


モルヒネは、実際に並外れた幸福感をもたらし、ある種の快感を引き起こす。
ただし、たとえ強いモルヒネを1本注射したところで、根本的に人生をひっくり返す
ということはない。

しかし、臨死体験者たちは、交友関係や興味の対象などで、目を見張るほど劇的な変化が
よく起きる。人間関係が向上し、性格が優しくなったり、魅力的になったり、
中には芸術的な才能や直感が鋭敏になり、霊媒師やヒーラーとしての才能が開花することもある。

5 (1)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
懐疑派の科学的主張(4)
「大脳の右角回への刺激によるものではないか?」


この場合、確かに意識と身体がずれたような感覚が起きることがある。
いわゆる「外的自己像の幻視(オートスコピー)」と呼ばれるもので、
自分の身体がまるで自分の遠くにあるかのような錯覚をもたらす。

しかし臨死体験者の場合は、自分の身体を上から見下ろしていたとか、
患者からは隠されていたものが見えたとか、離れた場所から眺めていたと語る。
中には、歩行者を轢いてしまった車のナンバープレートまで、轢かれた本人が
見ていたということもある。

10jpg (2) 
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懐疑派の科学的主張(5)
「衰弱した脳が回復時に自律機能を取り戻したときの幻覚ではないか?」


これが事実ならば、なぜ、例えば隣の部屋で行なわれていた手術の様子や、
待合室にいる人々の服装や姿勢、病院の前に停めてあった自転車の数、何キロも
離れた場所のアパートで起きていた特殊な出来事など、身体からずっと離れた場所で
起こっていたことを正確に描写できる臨死体験者がいるのか、まったく説明がつかない。

中には、視覚障害者の人々が、臨死体験をまるで見てきたかのように語る事例もある。
それらはみな本人が知ることのできない情報であるはずだが、その後の綿密な検証により、
事実であることが証明されている。

10jpg (1)

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懐疑的な人たちがよく言う、主な二つの論議。

1.「臨死体験者たちは死んでなどいない。なぜなら戻ってきたのだから」

臨床死には明確な定義がある。心臓が停止すると、少なくとも1分後には測定可能な
すべての活動も止まってしまう、というのは動かしがたい事実だ。

停止した心臓の持ち主は「死の近く」や「死との境界線」にいるのでも
「死に瀕している状態」でもない。「戻ってきた」臨死体験者たちは、
救命救急医が救命措置を施したからこそ戻ってきたのであり、彼らは確かに死んだのだ。

2.「測定可能な電気的活動がないからといって、脳が機能してないわけではない。
おそらく現在ではまだ測定できない何らかの活動が残っているのだろう」


たとえこの反論しづらい主張が事実だとしても、心停止の間に衰弱した脳が、
どのようにして時間や空間を移動したり、壁を突き抜けたり、テレパシーを使ったりと、
普段の機能を上回る働きを見せられるのか、全く説明ができない。

ただでさえ脳が衰弱しているというのに、そして本人が知ることのできない情報が
たくさんあるのに、作り話をでっち上げることなど考えられない。
仮につくり上げることができたとしても、そうした情報をどこから得たのだろうか。

12.jpg

最もわかりやすいのは「臨死体験中に意識が移動している」ことを認めることではないか。
この説よりも理にかなった説明は存在しない、と認めるのが最も自然ではないか。
  _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _         

長年、私は《人は死んだら無になる》、また《死後の命に関心を持つと邪悪な霊の影響下に入る》
と教えられ、それを信じていたのですが、今は考え方が一変しました。

信念、信条、信仰というのは、別の論理的な考え方に触れると変わり得ます。
人が共感できる考えというのは、人によってそれぞれ違うのが面白いですね。

この『「あの世」が存在する7つの理由』という本。このたびの手術の前に読んで、
かなり平安を保つ助けになりましたよ。(笑)

「木内鶴彦」さんの「臨死体験」の話を書いて以来、その二つのキーワードで検索して
拙ブログに訪れてくる方が案外多いので、ちょっと驚いています。


写真:自動車の窓から外を眺めるワンちゃんの連続写真。http://imgur.com/bHLym
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2014/01/25(土) || [edit]

脳死体験

バーソ様
おはよう御座います。

脳死体験は難し過ぎて解りませんがワンちゃんが可哀想です。
(ワンちゃん本人は喜んでいるのかもしれませんが)

愛新覚羅

2014/01/25(土) |URL|aishinkakura [edit]

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2014/01/25(土) || [edit]

こんにちは!

アメリカの有名な脳外科医も、死後の世界についての論文を発表して物議を醸しだしましたよね。
彼は今まで、死後の世界など科学的にあり得ない!と言っていたのですが、自分が体験してみて、色々と検証してみた結果、考えがまるきり変わったそうです。

私も、死後の世界はDNAの記憶でしかない、と思っていたのですが、宇宙レベルで考えてみると、どうもしっくりいかない(笑)

精神や思考をエネルギーとして考えてみると、そういったエネルギーが寄り集まって、ひとつのエネルギー体として宇宙に存在してもおかしくないのでは??…という空想にたどり着きますw
しかも次元レベルで考えてみると、もっとややこしくなるわけで…。
4次元、5次元と、私たちの知らない時空がありますしね。

時間の概念や重力本位のこの地球では、そういった考え方は通用しないと思うのですが、地球の外でシュミレーションしてみると、色々と矛盾が出てしまいますよね。

こういう事を考えたりするのって楽しいですね!^^!

2014/01/25(土) |URL|ウダモ [edit]

aishinkakuraさん ありがとうございます^^)

ははは・・・ワンちゃん、かわいそうですか。
車に乗っていると、ドライブが大好きな犬をよく見かけます。
たいてい窓から落ちそうになるほど身を乗り出して外を見ています。
偉そうに運転手のひざの上に乗っているのを見たこともあります。
でも猫の同じ状態は見かけたことがありません。
この写真(1枚目)、最初の頃のマイケル・ジャクソンだそうです。
http://metro.co.uk/2014/01/07/6-animals-who-are-as-unamused-by-the-weather-as-you-are-4251184/

2014/01/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

鍵コメさん ありがとうございます^^)

すごい賜物を持っているんですね。いや、驚きました。
ひとの心や真実が見える、時間と空間を超える、というのは、すごいですね。

中世にエマヌエル・スヴェーデンボリという人がいて、
体外離脱して死後の世界に行ったということで知られています。
この人も、後に起きる世界戦争の光景を前もって見たと言っています。
火砕流の話は、それと似ていますね。

人が死んだ後にどうなるか分からないままで生きているのは、
目的地がわからないで車を運転してるようなものではないでしょうか。

死後の命の話は、信じない人や気持ち悪がる人が多いのですが、
そのくせ葬式などでは、亡くなった人が天国や極楽にいるような
話を当然のようにみんなの前でしたりします。これ、矛盾してますね。
興味深い貴重なお話、ありがとうございました。

2014/01/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ウダモさん ありがとうございます^^)

難しそうなテーマに、コメントをありがとうございます。
>精神や思考をエネルギーとして考えてみると
おお、そうなんです。精神世界では、精神や思考はエネルギーである
と言われています。想念は電波のように、いろいろ無数に空中に漂っていて、
それを「脳」がアンテナとなって、自分の波長に合うものを引き付けてい
と言われています。この考え方、面白いと思いませんか。

>そういったエネルギーが寄り集まって、ひとつのエネルギー体として
>宇宙に存在してもおかしくないのでは?
そうです。そのエネルギー体を、「根源」とか「大いなる意識」と呼んでいます。
すなわち、一般の宗教で教える「神」は、本当はこの「エネルギー体」のことで、
それは本来、人間(信者)に崇拝や忠誠や儀式など一切求めていないのですね。

ウダモさんがこういう事を考えるのが好きだと聞いて、うれしいです。

2014/01/25(土) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

体調はいかがですか。

最近NHKがすごいんです。昨年の8月に、「亡き人との“再会”」、
「天国からのお迎え――穏やかな看取りとは」で死者との
邂逅を、今年の1月にも「超常現象~科学が挑む不可思議の世界」
で臨死体験を取り上げていました。NHKらしく否定と肯定の両論を
述べていましたけどね。バーソさんの言われる通り、臨死体験の本
(ロスとかムーディ)を読むと死に対する恐怖が軽くなりますね。
もう死ぬほどは怖くはないです。(笑)
今日は映画「ゼロ・グラビティ」を観てきました。アイマックスの3D
だったので大音響、爆発、火災のオンパレードで、私、死ぬかと
思いました。実際3度ばかり死んだと思います。(笑)

2014/01/25(土) |URL|エリアンダー [edit]

元気ですか。

☆バーソ☆さん こんにちは!
ウダモさんへの返信の中の一文
>それは本来、人間(信者)に崇拝や忠誠や儀式など一切求めていないのですね。

本当にそう思える。根源なるものは人間に一切求めてないと思います。
根源が人間に求めているものとは、ようは『仲良くあれよ。みんな』
と言うことだけやと思います。

2014/01/26(日) |URL|ナットウ [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

なんでも多方面に目が行ってますね。多彩な知識欲に感心しています。
『天国からの“お迎え” ~穏やかな看取り(みとり)とは~』
文章で読めました。

http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/8220cea4ae0e9ec21a5d9fc88c23ac50
 対象は宮城や福島の在宅緩和ケアを利用した患者の遺族、500人以上。
 すると、全体の4割でお迎え現象を体験したという回答が得られた。
 こうしたお迎えを見た9割の人が穏やかな最期を迎えたことがうかがえる。

なるほど、そうですか。霊的現象を体験した人の比率はけっこう高いのですね。
BSプレミアムのほう、次回は必ず見るようにしたいと思います。

3度も死ぬのはイヤですが、『ゼロ・グラビティ』は今度チャンスがあれば、
ぜひ見たいと思います。サンドラ・ブロックは好きな女優ですが、
『スピード』以外いい映画がないみたいで、かわいそうですね。

2014/01/26(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

ナットウさん ありがとうございます^^)

ああ、コメントまで読んでいただいて、うれしいですね。

聖書では、人間と神(エホバ)の立場の違いを次のように対比しています。
「国々は、手おけのひとしずく、はかりの上のごみ」のようで、
「地の住民は、バッタのようだ」(イザヤ書40章15,22)

普通の人間なら、昆虫や塵埃に対して、私を愛せよとか、私だけを崇拝せよ、
そうしなければ滅ぼすぞ、なんてことは言わないし、思いもしません。
聖書の神エホバが、イザヤ書にあるような至高の存在であるとしても、
そんなことを人間に要求するはずがないのです。

ということは、その教えは、人間の専横な支配者が言ったに違いないのです。
それを宗教指導者連中たちが同意し、神の言葉として教えてきたに違いないのです。

>『仲良くあれよ。みんな』
そうです。自分だけが正しいとして、他を排撃することに懸命になるのではなく、
みんなが互いに尊重することのほうを優先していければいいのですが。

2014/01/26(日) |URL|☆バーソ☆ [edit]

バーソさん、好調ですね!お体大事に運動もしてくださいね!
臨死体験、すごく興味があるし、霊魂も信じてますよ。なにしろ子どもの頃
でっかい木と同じくらいの大きさの石膏像のような怪獣を見たことがあるので
それも科学的には説明できないんじゃないかなぁ。。ちゃんと覚醒して縄跳び
で遊んでるときだったから。笑
姉もおなじものを同時に見てたので、見間違いじゃないのですよ!
大人になってから、それを知り合いに言ったら、「あまりそういうことを人に
話さないほうがいい」と言われて、イラッとしたことがありますよ。笑

2014/01/28(火) |URL|abe [edit]

abeさん ありがとうございます^^)

確かに運動は大事ですね。寝てばかりいたら、脚の冷えがひどくなりました。
お気遣い、ありがとうございます。

「石膏像のような怪獣」を見たって、すごいですねー。
「石膏像のような」という形容が、画家のまれさんらしいです。
「姉も同時に」ということは、感覚が鋭敏なDNAの家系なんでしょうかね。

私は性格・頭脳が平々凡々なせいか、まったく経験がなくて残念です。
以前、瞑想めいたことをしていたときに(眼をつぶっているわけですが)、
視野の片隅にぴかっと光るものを見たことが何度かある程度ですね。

彗星ハンターの木内鶴彦さんは、臨死体験のことを友人たちに話したとき、
当初はかなり変人奇人扱いをされて懲りた、と述べています。
テレビ番組などでは、オドロオドロした恐ろしげな話が多いですからね。

2014/01/28(火) |URL|☆バーソ☆ [edit]

こんばんは

私の親戚の子、K君(3歳)ですが、“見える”みたいなんですよ。
もう亡くなった曽祖父母が今そこに座っているとかよく言いますね。
K君は曾祖母には会ったことはないんですが、髪の毛が真っ白で
目と足が悪いとかけっこう的確に描写するんです。曾祖母はその
子の兄(6歳)を溺愛していたのですが、K君が、「おばあちゃん(曾祖母)は
ボクに会いに来たんじゃなくて、お兄ちゃんに会いに来たって言ってる」
なんて言うもんだからもう、大変。(笑)

2014/01/28(火) |URL|エリアンダー [edit]


今回も、大変興味深く読ませていただきました。
うむうむっっ!・・・と、唸&頷しきりであります(^^)

科学的な説明、ってのはいつも『従来的普遍』の域を出ないですね。
そして、タイヘンに居丈高で押し付けがましい(笑)
誰もに解るよう、かんたんに可視化や証明などができないとしても、
それを知覚すべく、感覚が研ぎすまされたところに(だけ)、
ほんとうにたいせつなことってのは、じつにおおらかに、
まるで普通の顔をして、在るものだったりします。

==========================

 蜂はお花のなかに、
 お花はお庭のなかに、
 お庭は土塀のなかに、
 土塀は町のなかに、
 町は日本のなかに、
 日本は世界のなかに、
 世界は神さまのなかに。

 そうして、そうして、神さまは、
 小ちゃな蜂のなかに。

(金子みすゞ『蜂と神さま』)

==========================

http://www.youtube.com/watch?v=HrFSBBCmPe0

記事中で戦わされている論の答えも、やがて自ずと出ることでしょう。
《その時》は、必ず誰にでも訪れるのですから。。。

『120km』・・・この世のものではないような顔になってますネ(笑)
このワンちゃん、まちがいなくサプライズを楽しんでマスヨ(爆笑)

2014/01/28(火) |URL|G.D.M.T. [edit]

エリアンダーさん ありがとうございます^^)

「お兄ちゃんに会いに来たって言ってる」なんて話を聞くと、
これは嘘ではないと思ってしまいますね。
エリアンダーさんのブログにも似たような話がありました。
生まれたばかりの赤ちゃんに、幼い姉がそうっと話しかけている。
「神様ってどんなだった? 私は忘れ始めてるの」

私も長年、なんとか思い出そうとして必死で来たのですが、
やっぱり、思い出せないこと必至のようです。
今は、もうまもなくすれば思い出せるだろうと思っていますが(笑)

2014/01/29(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

G.D.M.T.さん ありがとうございます^^)

おお、なんと深遠な言葉でありましょうや。
 「それを知覚すべく」「感覚が研ぎすまされたところにだけ」
 「ほんとうにたいせつなことってのは」 
 「実におおらかに」「まるで普通の顔をして」「在る」のですか。

これを《神を探求する》ことに置き換えてみると、なるほどなるほど、
そうなんだろうなあ、そうなってるんだろうなあ、と思います。
「ほんとうに」とか「実に」とか「まるで」という副詞も、
なかなか意味深く、かなり熟慮して使われているようですね。

金子みすずさんの詩も
 「そうして、そうして、神さまは、
  小ちゃな蜂のなかに。 」
と、小さな蜂に戻るのがいいですね。
この詩にもまったく共感します。

>《その時》は、必ず誰にでも訪れるのですから。。。
これ、重い重い言葉ですねー。
誰にでも必ず訪れるのに、
人は何となく自分には訪れてこないかのように思っている。
でも、人は、そうして、そうして、
また戻っていくのですね。

2014/01/29(水) |URL|☆バーソ☆ [edit]

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