「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 ツイッターが政治を動かす異例。民の声が天の声になる⁉ 


「遊ぼう」って言うと「3密だ」って言う。
「入国制限を段階的にする」って言うと「日本人の命が危険だ」って言う。
「制限を厳しくする」って言うと「観光産業が危ない」って言う。
「自粛要請を出す」って言うと「都市封鎖をしないと人命が危険だ」って言う。
「自粛を延長する」って言うと「解除しないと経済で死ぬ人が出る」って言う。
「ごめんね」って言うと「同情するならカネをくれ」って言う。
 ――――こだまでしょうか。いいえ、ころなです。(冗)

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 1984年宮崎駿映画『風の谷のナウシカ』。腐海(ふかい)に入る時にはマスクを着用する。

                 

 人は満足と不満足の間を不満足近辺でうろちょろと生きている。少し昔の人らしいが、世人の身勝手な反応を指摘した人がいる。

 辞世の曲を聴きながら断食往生をする選択肢。 


新型コロナのおかげで、いっそう死を意識するようになりました。

西行の辞世の句のように、「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」が憧れなんですが、自分では何もできないほど衰えても爺捨て山には行きたくないしと思っていたら、《断食往生》という選択肢があることを知りました。

《飢餓》では脳内にモルヒネ様物質が分泌されて、いい気持になり、《脱水》では血液が濃く煮詰まるので、意識レベルが下がってぼんやりとした状態になる。だから、つらい痛みもなく自分の意思で安楽死できるのだそうです。

実際、断食道場では六日目ぐらいになると空腹感がなくなり、食べないことの高揚感で全身が包まれるとのことですが、高齢・衰弱でいよいよ耐えられなくなったら《断食往生》も良さそうです。

私は延命治療と葬式はしないことに決めてありますが、人生最後に好きな音楽が流されるとしたら《辞世の曲》は何がいいか、ちょっと考えてみました。


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 Image by Pexels from Pixabay

 『楢山節考』。姥捨て山伝説から見る高齢者の幸いとは? 


 その貧しい村では七十歳になった親を子が背負い、お山に捨てに行く――――
 母親は言っていた。「おれが山に行くときゃあ、きっと雪が降るぞ」


深沢七郎の短編小説『楢山節考』は、間もなく七十歳になるおりんが、山深い貧しい部落の因習に従って冬の楢山に捨てられる話です。
 
(あらすじ)
 おりんは捨てられる日を早めるために、丈夫な前歯を自分で石臼(いしうす)に打ち据えて折っていた。
 あと三日で新年になる極寒の夜、息子の辰平はおりんを背負い、いやいや楢山を登っていく。
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 頂上に来たら、おりんは冷たい筵(むしろ)の上に座り、辰平の背中を押して帰らせた。
 辰平は帰り道で、おりんが言っていた通り、雪が降っていることを知って感動する。雪の中で凍死するのは、餓死より苦しみが少なく、幸いなのである

 辰平が家に帰ると、おりんの綿入れと帯はすでに孫たちが使っていた。

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 コロナ自粛時は「安息日」の休み方が参考になる。 

 
  自粛:[名] 自分から進んで行ないや態度をつつしむこと。大辞林第三版

 
ある意味、武漢ウイルスより怖ろしいのが「自粛」による影響でしょう。

自粛で家にいると「子供が家で暴れて大変だ」とか「家族全員のご飯をつくって全員の食器を洗うことが1日3回も繰り返される。このことに私は限界が来ている」とか「ヘアサロンで白髪染めができないのでまいった」など、子供もママも旦那もお年寄りも皆それぞれの理由でイライラしている、だから政府が悪いとメディアや識者らが非難しています。

経済的に対処できなくなる人もいて大変でしょうが、「家にいるだけでストレスが溜まって大変だ」といった話を聞くと、現代人は平穏安逸な微温生活に慣れてしまい、まあ、こらえ性のないひとが増えたものだと思いますね。あるいは人間は働いているのが本来であるということかもしれませんが。

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人類が仕事を週に1日休むようになったのはいつからでしょう?
週休制は、日本では 戦後昭和22年の労働基準法35条で規定されましたが、世界では第一次大戦後の1919年に創設された国際労働機関(ILO)が定めています。

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