「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 小さな頭を捨てよ。広い宇宙へ出よ。 

(今回はちょっと調子を変えて)


ゆーふぉーは何しに地球へ?



しんじられないでしょうけど
ぼくは 宇宙でいちばん小さい ゆーふぉーなんだ
重さは アルミの1円こうかぐらい
厚さも 1円こうかぐらい
でも ちょっけいは20センチぐらいにもなるんだよ

ぼくを 輪ゴムとかゴムバンドとよぶ人もいる
たくさんつないで なわとびあそびをしたり
ゴムじゅうを作って いやなやつをうったり
とりあえず 手くびにはめておく女の人もいる
ぼくは 人間にあいされてる ゆーふぉーなんだ

でも食べられないでしょって ドーナッツが いうんだ
首かざりになるの?って ネックレスが わらう
ぐるぐるまわせないだろって フラフープが ばかにする
ぼくは かなしくて からだが ねじれてしまったよ

半分ねじれたら へんてこな輪になった
うら面がない メビウスの輪だ
ぼくは ゆかいになって そのなかにとびこんだ

とつぜん ものすごいいきおいで輪が大きくなって
ぎんがけいをこえて 宇宙のはてにまで ひろがった
ぼくは  宇宙ぜんたいより大きくなった
ゆめの話みたいだけど ほんとだよ

ぼくは 宇宙にあいじょうをかんじて ぎゅうっとハグした
宇宙が輪ゴムのはちまきをした姿になった
輪になって 輪になって おどろうかな
ゴムぱっちんをして あそぼうかな
ぼくは 近ごろ少し地球にあきた ゆーふぉーなんだ

        
telooi.jpg
Pixabay(フリー画像)      

               
スマホの両端に輪ゴムを巻き、机上で滑らないようにしている人がいる。
輪ゴム一本でも、うまく使い方を考えれば、暮らしはもっと便利になる。
すなわち世の中のことは人間の思考で、より良くなるようになっている。

この世の闇の部分を改革するのは、神の仕事ではない。
人の意識は、狭い頭の中から無限の宇宙へと拡大できるほど大きい。
世界を明るくするには、ひとを憎まない心を表に出すだけでいい。

      ____________________


※輪ゴムで超ひも理論を説明する学者がいます。 
 宇宙のすべては“素粒子”って呼ばれるツブから出来てる、そして 少なくとも17種類ある って人類は見つけたんです。その中には、光のツブ=“光子”も含まれているんですよ。光には“偏光”という特殊な性質があります。もし素粒子が小さなヒモなら、振動できるということが違う。つまり偏光の性質を持った素粒子が自動的に現れるはずなんですよね、「超ひも理論」なら。

 重力の波は、空間を伸ばしたり縮めたりするので、トンネルにレーザー光を飛ばして縦横の距離を測ることで、重力波が来たってわかる仕組みです。輪ゴムの形のヒモを考えると、縦に伸びたら横に縮む運動しますね、これは重力波とそっくりです。ということで、閉じたヒモの振動は重力を表し、重力の存在も「超ひも理論」は説明するんです。(部分抜粋)
     ―――――橋本幸士(大阪大学教授・理論物理学者)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55445

 何のために人は生きているのか。中島敦の短編小説『狼疾記』 


 突然、社の広い制作室の中で、
「宗教をやる人間は馬鹿だ」という大きな声が聞こえた。

 私がまだ二十代だった昔、聖書の神に付き従う人生を歩もうと決意し、大手広
告代理店を辞めた当月の話です。

 大声を出した男は三十代の理屈っぽいコピーライターで、革新系の市議に当選
して退職することになっていたが、どうやら誰かと話をしていたときに、自分の
信条をこの私に聞かせたくなったようだ。

 しかし私は、別に、というか、全然、腹は立たなかった。
 なぜなら、ひとがそう思うのも理解でき、まあ、もっともだと思うからだ。

   rou1p.jpg ※画像は単なるイメージカットです。


 とかく宗教に関心を持つと、外から非難や憎悪、また助言や説得がやってくる。
 しかし中島敦の短編小説狼疾記ろうしつきでは、作者が内側で自問し、反問している。
 
 この書の主人公の思考と性情が、私バーソと似ているのです。

 生きていさえすればいい。太宰治の『ヴィヨンの妻』 

人非人にんぴにん」という言葉は、前から読んでも後ろから読んでも禁止ワードらしい。
変換キーを叩いても出てこなかった。(Microsoft IME)

類義語は、人でなし、無頼漢、下劣野郎、アウトロー、人間のクズ、人間失格。

ところが、そんな「人にあらずの人」でもいいと書いている作家がいる。



 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」


        ksi7q.jpg (ホーム社漫画文庫)



1947(昭和22)年に出された『ヴィヨンの妻』の中の女主人公が語るセリフだが、
戦後2年目の時期なので、とにかく生きることが大事だという意味だったのか。

 出会うべき人と出遭って、人は幸福になる(後編)。  

 
 世界中の皆さまのご多幸を願い、《幸い》な話の後編でございます。

          ______________

「熊さんよ、よく『上みて暮らすな、下みて暮らせ』と言われるが、下と比較す
れば幸せに感じるという心理は私たち凡人にはあるなあ。
 だが、宗教心があった宮澤賢治は、さすがにいいことを言っている。


  世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。

「なるほどねえ、でも、ご隠居。あっしは、とりあえず自分が幸せになりてえで
す」
「そうだな。『とりあえず』っていうのがいいな。自分を愛せる者が他の人を愛
せるのだから、自分ファーストは必ずしも悪いことではない。とりあえず、まず
は自分が幸せになり、そうして他の人も幸せになることも考えられたらいいなあ。
 芥川龍之介がこんな皮肉なことを言っているぞ。

  ある仕合せ者 彼は誰よりも単純だった 
――――『侏儒の言葉』


      nybiuh.jpg NEW YORKER

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