「バーソは自由に」

考え方はいろいろあるから面白い

 獅子と猿の約束。今昔物語「師子哀猿子割肉与鷲語」 


 シェイクスピアの『ヴェニスの商人』より心温まる、“ライオンの承認”の話が
平安末期の『今昔物語』の中にあります。

 約束を守ることは名誉を守ることだと考えているライオンが、自分より弱者の
言い分を正当だと素直に認め、重大な自己犠牲を払うという気持ちのいい話です。

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(地の語りは阿波弁、獅子は標準語、猿は京都弁、鷲は熊本弁にしています)

 今昔物語 巻五第十四話
 「獅子、猿の子を哀れみて肉を鷲に与える話」



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 今は昔、天竺(インド)の深山の洞穴に一頭の獅子が住んどった。
 獅子は心のうちで常々こう思うとった。
私は百獣の王である。すべての獣を護り、哀れまねばならない
 
 その山に、夫婦の猿が二匹の子を育てとった。
 子を洞穴に置いて食べるものを探しに出かけると、鷲や獣が来て子供を奪うていくかもしれんけん、それを怖れて外出せんでいたら、疲れが極みに達し、もう餓死するしかのうなってきた。

 そこで猿は、獅子の洞穴に赴いて、懇願した。
あんた様は百獣の王どす。すべての獣を哀れんでくれはる存在どす。うちも獣のはしくれ、哀れんでいただける者どす。うちは、二匹の子が幼いときは、一匹を背負い、もう一匹を腹に抱き、山野に出て木の実や草の実を拾い集めました。せやけど子供たちは成長し、背負うのも抱くのもややこしなりました。子を置いて外出したら獣に襲われるさかい。出かけへんといましたら、疲れ果て、命絶えるばっかりどす。どうか、うちらが山野に出とる間、子供たちを預かって護っていただけへんどっしゃろか
 獅子は顔をしかめた。
おまえが言うのはもっともだ。おまえたちが帰ってくるまで、私が護ってやることにしよう
 獅子は、よそ見もせず子猿をよう見守っとったが、ちっと居眠りしていた隙に鷲が飛んできて二匹の子猿を連れ去って、木の上で猿の子を食べようとした。

 獅子は騒ぎ迷うて、鷲がおる木の根元で叫んだ。
おまえは鳥の王だ。私は獣の王だ。お互い、王としての心があるはずだ。どうか見逃してほしい。私は、親猿に子猿を預かると保証しておきながら、その子を失うなら、肝も心も割かれるように感じる。私が怒って吠えて罵るなら、おまえたちも安らかではいられないはずだ
 鷲は困った。
おっしゃることはごもっともばい。ばってん、こん猿ん子二匹は、うちん今日ん食事ばい。獅子ん言わるることは怖しゅう、また、かたじけなかことやばってん、うちん命ば思えば返すことはできまっせん
 獅子は、うーむと顔を斜めにして言うた。
言うことはもっともだ。ならば、この猿の子の代わりに、私の肉を与えよう。これを食べて今日の命を助けるとよい
 獅子は剣のような爪で、自分の股(もも)の肉をつかみ出し、猿の子二匹と同じぐらいの大きさにして鷲に投げ与えてから、猿の子を返してほしいと頼むと、鷲は言うた。
返しゃん理由はなか
 そうして獅子は猿の子二匹を得た。

 獅子が血だらけで洞穴にやっと帰ってきたら、子猿の親が木の実を拾い集めて帰ってきた。獅子が事の次第を語ると、猿は涙を流すこと流すこと、まあ、雨のようやった。
 獅子は静かに言うた。
おまえが言ったことを重く考えたからではない。約束をして違えることを極めて怖ろしいと思ったからだ。また私にすべての獣を哀れむ心が深かったからだ


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 獅子は、自分が約束したことは絶対責任を負うという強い《自負心》と、また
自分は哀れみを持つべき百獣の王であるという適切な《自尊心》も持っています。
そして《哀れみ》という「惻隠の情」のような本質的な優しさも抱いていました。

 猿は、我が子を大事にする情愛ゆえに百獣の王に会いに行く勇気を持っており、
他者の善意を信じる心と、そして愛や親切に対する深い感謝の念も抱いています。

 鷲は、獅子より猿の子の肉のほうが柔らかくて美味のはずですが、メンツを押
し通そうとはせず、相手の弱みに付け込み、さらに要求しようともしていません。

 
 シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は、貸した金の代わりに人肉を切り取ろ
うとした悪役の金貸しが裁判で負けるので、気分がスカッとするかもしれません。
 しかしこの獅子は、重大な損失を被ろうと、約束を果たして自分の名誉を守ろ
うとしており、太宰治の『走れメロス』など比較にならない高潔さがあります。

 当時の人々に名誉を尊ぶ精神があったので、こんな寓話が出来たのでしょう。
私は最後に猿が雨のように涙を流したところで、ぐっと来て眼に涙が滲んできま
した。原文はもっと長いのですが、要約すると良さが伝わりにくいのが残念です。

 名誉と哀れみを尊ぶとは、自己愛と利他愛を大事にすることです。
 利他愛は素晴らしいですが、善い意味の自己愛もまた必要なものなんですね。





補足―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※絵は木島櫻谷(1877-1938)の『獅子虎図屏風』個人蔵と『猛鷲図』㈱千總蔵を借用しています。
※方言については、方言変換サイトを利用させていただきました。
 ・https://www.8toch.net/translate/   ・https://www.8toch.net/translate/
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 越中「魚津城」十三将。耳に穴を開けて名を残せり。 


 先日、あるセレブが東京拘置所から作業着姿で出てきて、世間を驚かせました。

 仏フィガロ紙は「クロサワとは言わないが変装の努力は見られる。だが、衣装のレベルは『影武者』よりも下がった」と報道するなど、散々な評判でした。
 後日、担当弁護士は「彼の名声に泥を塗る結果となって…」と謝罪しています。

 天正十年(1582)、越中富山で起きた『魚津城の戦い』。
 城を守った武将十三人の死に際のパフォーマンスは、極めて壮絶、かつ特異で、後世にその名が伝えられています。

                 

クマ「ご隠居、越中で起きた『魚津城の戦い』ってどんな戦いですか」
隠「熊さんが好きな話だ。戦国末期、天下統一を目指す織田信長が甲斐武田を滅ぼし、その勢いで越後上杉の守りの要所『魚津城』を攻めた。城に立て籠もる上杉勢三千八百。攻める織田の連合軍四万。数は十倍以上。さあ、熊さんなら、どうするかい?」
クマ「すぐ越中ふんどしで白旗を作ります」
隠「ま、腰巻だと牛に攻められるからな。しかしな、籠城戦は守るほうが三倍有利だと言われる。城壁や堀があるからだが、長引くと大変。食料、水、弾薬が尽き、命運も尽きる」
クマ「援軍が頼みですね」
隠「そうだ。当時、上杉謙信は死んで、養子の景勝が当主だったが、魚津城の守将らは救援の願いと決死の覚悟を書き送った。景勝は援軍を差し向けたが、多勢に無勢で敵わない。ついに景勝自ら軍勢を率いて越後・春日山城から出陣。魚津城東に後詰めの陣を張った」
クマ「よおっ、待ってました、大統領」

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 林芙美子「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かれど」 


 (林芙美子の有名句に関わる話ですが、虫の字を46匹ほど添加しました)

 こんにちは。あたくしは、ちっぽけなです。
 名前は、まだありません。
 生まれも育ちも、そこらの草むらか軒下か、とんと見当がつきません。
 日一日と暖かくなるにつれ、の知らせで啓蟄(けいちつ)の候を知り、こうして
地面の中から這い出てまいりました。
 この見苦しき面体(めんてい)お見知りおかれまして、今後ともご昵懇(じっこん)
ほどお頼み申します。


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 さて、渡る世間には、地上にも空中にも、鬼がうじゃうじゃ存在しおります。
一番おっそろしい鬼は、普段はも殺さへん顔をしとるおたくら人間様です。

 宝塚の『ブスの25箇条』は自分の特質を見直すきっかけになる。 


ココ・シャネルの言葉。
「二十歳の顔は自然から授かったもの。
   三十歳の顔は自分の生き様。
     だけど、五十歳の顔は自分の功績よ」

エイブラハム・リンカーンの言葉。
「四十過ぎたら、自分の顔に責任を持て」

この二人の言葉を併せると、人は二十歳の頃は番茶も出花で勝負できるが、三十
を過ぎたら自分の顔は許容範囲だろうと自分で忖度し、四十を過ぎたら美容整形
を勘案し、五十歳になったら、この顔だっていいじゃないか人間だものと居直る
方針で行こう―――などと思わなくていい。

なぜなら、顔は自分の“意識”次第でけっこう変えられるからだ。

テレビに出てくるセレブたちの顔も、その時々でけっこう違う場合が多く、
見る側の視点の違いも相まって、鋭い目つきが悪い目つきに見えることもある。

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では、自分の“意識”を変えるには、具体的にはどうしたらいいのか。
図書館で『宝塚式「美人」養成講座』が目に付いたので読んだら、著者の貴城たかしろけい
さんは元・宙組男役トップスターらしいが、なかなか有益なことが書かれていた。
 ※宝塚式「ブスの25箇条」に学ぶ「美人」養成講座 (講談社+α文庫)


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